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2004.02.29

東工大の学生さんの話を聞く

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 午前中は慶應病院で定期検診。午後は新橋に回って宇宙作家クラブ例会。今回のゲストは東京工業大学松永研究室の学生さんたち。10cm角、重量1kgの衛星「CUTE-I」を開発した皆さんだ。衛星は昨年6月30日にロシアのロケット「ロコット」で打ち上げられ、現在も順調に高度820kmの軌道を飛行している。同時に打ち上げられた東京大学中須賀研究室の「XI」と共に、日本初の大学研究室レベルで開発された衛星である。

 色々と面白い話を聞く。大学衛星コンソーシアムの事務局長を務める川島レイさん(今回のゲストを引っ張ってきてくれた)によると、「東大と東工大の学生さんってずいぶんと違うのよ。東大のほうは本当に優等生って感じなんだけれども、東工大の学生さんは一つのことにのめり込むというかね」。実際、衛星の各所に凝った仕組みが組み込まれていて、しかもそれらがきちんと軌道上で動作しているのには感心してしまう。東工大には、なるほど本当に「作るのが好き」な連中が集まっているのだな。

 昨年のクリスマスは、「クリスマスになんか面白いことやろうぜ」ということで、皆学校に集まり、衛星からメッセージを送信して、受信報告をしてきた人に特別なベリカードを送ったとのこと。川島さん「みんなクリスマスに他にやることなかったの!!」(ほとんど悲鳴)。

 さあこの文章を読んでいるあなた、彼らを「オタク」とあざ笑うだろうか。彼女がいてしかるべき年齢の彼らが「面白いことやろうぜ」でごそごそ学校に集まって衛星をオペレーションするということを異常だと思うだろうか。

 私はそうは思わない。もの作りに向けた極度のコンセントレーションはそういうものだと思うのだ。ものを作る愉悦には、確かに「彼女?、んなことはどうでもいい」と言わせるほどの力があったりする。重要なのは、そういう感情をも「ありうべきこと」として認めていくことだ。

 この件に関するイラストレーターの小林伸光さんのコメント。「クリスマスにその電波を受信していた奴も相当寂しいんじゃないかな」。寂しき連中のコンセントレーションに、メリークリスマス!

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2004.02.28

バイクのエンジンをかける

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 終日こもって王立科学博物館第二期の原稿書き。なかなかはかどらず呻吟する。ついに進行役のYさんからまくりの電話が入ってしまう。申し訳ありません。

 私は、基本的に部屋が整理整頓されていないと原稿が書けないタイプなので、原稿執筆に入ると部屋がきれいになる。今日も考え込みつつ机の上を掃除してしまった。部屋はきれいになったが、それでもなかなか書けない。ちなみにもっとせっぱ詰まると、整理整頓の余裕すらなくなり、荒れ放題になる。

 昼過ぎ、車庫に行ってバイクのエンジンをかける。バイクは自動車と比べるとバッテリーが小さいので、放置しておくとすぐにバッテリーがあがってしまいエンジンがかからなくなる。オイルやガソリンの管理という点でもエンジンを回すべきなのだが、以前は面倒でやっていなかった。そんな調子でいたら、この冬は2台所有するバイクのバッテリーを両方ともあげてしまい、先だってひどく情けない思いをしつつ修復したばかり。反省して時々エンジンをかけることにした次第。

 まずは今年15年目となるホンダAX-1を始動する。こいつのDOHC単気筒250ccエンジンは、始動性はあまり良くない。チョークをいっぱいに引いてセルを回すこと数回でやっととことことエンジンが回り出す。次いでこちらは9年目のスズキGSX1100S「刀」。こっちは時々エンジンを回してオイルをエンジン内各所になじませておきさえすれば、機嫌良く一発で始動し、ヨシムラ・チタンサイクロンマフラーの派手な音で吹き上げる。
 AX-1はあちこちが痛んできており、そろそろ買い換えの時期かとも思うが、軽快至極な乗り味が気に入っているのでどうしても手放せない。刀は、そもそもこのバイクにあこがれて免許の限定解除をしたというもので、この9年間で少しずつカスタマイズを進めてきた。刀よりも速いバイクや乗りやすいバイクは今後いくらでも出てくるだろうが、これよりも格好良いバイクは金輪際現れないだろうと信じている。当然手放す気は一切ない。修理不能になるか、自分がバイクに乗れなくなるか、ディーゼル車のように社会的に走行不可となるか、とにかく最後の最後までつきあうつもりでいる。

 エンジンをかけ、その振動を腕に感じると、自分の内側でなにかがわさわさと動き出すのが分かる。血がたぎるのだ。最初にバイクに乗ったのが20歳の時だから、もう23年もこの不安定な乗り物とつきあっている。今では自動車も利用しているが、それでも自分にとって根元的な乗り物は、やはりバイクなのである。

 ただし暴走族は嫌いだ。あれはつるむしか能のない未成熟なガキの行為であり、徹頭徹尾軽蔑すべきものである。大体せっかくバイクに乗ってるんだから一人で走れよ。それも体がねじくれるほどの長距離をさ。孤独と疲労と走った距離の充実感を骨の髄にまでしみこませるのは愉快だぜ。

 仕事が一段落ついたら箱根か伊豆に行ってこよう。

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2004.02.27

二輪駆動自転車を見学する

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 午前中は日経WinPCの取材で市ヶ谷のシャープへ。実に面白く、楽しい取材だった。午後は洗足池に出ていつものメンバーでブレーンストーミングというかミーティングというか、そのまま晩飯、さらに酒へとなだれ込んで帰ってきたのは終電だった。ミーティングではショッキングな事実が判明。「フォン・ブラウン、あんたは偉かった!」。

 シャープ取材後、歩いて飯田橋に出て、東京理科大学入試センターに。別に再度入試を受けるというわけではなくて、ここに展示されている二輪駆動の自転車を見に行ったのだ。同大学の小林研究室が開発し、ベンチャーの日本ロボティクスが製造、そして販売している現在入手できる唯一の二輪駆動自転車である。


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 自転車の前輪と後輪を一緒に駆動する場合、1)前輪と後輪の走行路に差があることから生じる回転数の差をどうやって吸収するか、2)ステアリングを回した場合の回転が動力伝達軸に伝わるのをどうやってキャンセルするか——という2つの問題がある。理科大の自転車がこの2つをどうやって解決しているか、上の写真で分かるだろうか。動力は後輪軸から取ってベベルギアで前輪へとシャフトでひっぱってくる。ステアリング部のギアは、ステアリングの回転をキャンセルする仕組みだ。その上で前輪の軸にフリーハブを組み込んで、前後輪の回転の差を吸収させている。

 自動車に四輪駆動があるのだから自転車やバイクでも二輪駆動を、という発想は別に珍しいものではない。日本では趣味で二輪駆動自転車を自作した人もいるし、アメリカではマウンテンバイクのメーカーが製品化をしていたりする。バイクでは、アメリカ製のROKONという製品があったし、日本でも確かベンチャーが50ccの製品を少量市販したことがあった。

 二輪駆動自転車の面白いところは、役に立つのか立たないのかが実に微妙だという点だ。雪道を走れるといっても「そもそも雪の日に自転車に乗る必要があるのか」といわれればあまりないだろう。前かごに重い荷物を積んだ時に安定するといっても、積み方の工夫で安定させたほうが簡単である。おそらく数kgは重くなるであろうから、g単位で軽量化する競技用自転車への採用もなかなか悩ましい。

 それとは別に「なにがなんでも二輪駆動を実現するぞ!」という強い意志を感じさせる構造は見ているだけで楽しい。本当に実用品として使えるのか、それとも愉快な無駄メカなのか、自分で乗って試してみたいところではある。展示されていた自転車をちょっといじってみたが、ギア部分のバックラッシがかなり大きくて気になった。ただし、これは試作品であるためなのかも知れない。

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2004.02.26

「瑠璃の翼」を読む

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 午後から古巣の会社に。やや遅いランチミーティングで仕事の話をあれこれ。大変おいしいマグロの頬肉などを食べる。その後は千歳烏山に回って歯医者。欠けてしまった詰め物の補修のため。

 山之口洋さんの「瑠璃の翼」(アマゾンbk1)を読み終える。3年前に吉祥寺の飲み屋で山之口さんに「今ノモンハンを調べている」と資料を見せてもらって以来、ずっと発売を待っていた本だ(写真は世界の傑作機「97式戦闘機」と共に。なぜこんな資料を持っているかといえば、ノモンハンで活躍した97戦は糸川英夫が最初に設計に関わった飛行機なのである)。

 すごい小説だ。電車の車中で読み進めたのだが、何度も涙を流してしまった。

 日本陸軍が猛悪としか形容しようのない無責任な指揮でソ連陸軍に対して壊滅的な敗北を喫したノモンハン事変、その中で陸軍航空隊は最後まで互角以上の体勢を維持し続けた。その立役者である、戦闘機部隊「稲妻部隊」を隊長の野口雄二郎を中心に描いた作品である。小説といってもほとんどが事実に即しており、小説としての作意は最小限に抑えられている。おそらく、プラモデルで言えば「墨入れした」という程度ではないだろうか。

 野口以下、現場の戦闘機パイロットは、満州国の国境警護という任務のために自らを極限にまで鍛え、戦闘が始まれば死地に飛び込み、任務を忠実に遂行して力の限り戦った。山之口さんはその生き様と死の有り様を必要以上の形容を排した淡々とした文章で描いていく。

 しかし、そうやって野口以下「空の侍」としか形容のしようのない男達をくっきりとした輪郭で描くほどに、描かれざる陰画もはっきりと見えてくる。無責任な戦争指導、功名心むき出しの参謀、いがみあう関東軍と東京・三宅坂の陸軍省、そういったものも描かれざるが故にかえってはっきりと姿を現す。

 戦争は勝つことによって国に利益をもたらす経済行為だ。だとするなら、旧日本陸軍はなんと利敵的な性格を持つ組織だったのだろうか。ひとりひとりの戦闘機パイロットの生き方が悲劇的ではあるが背筋の伸びた清々しさを感じさせるほどに、その悲劇の向う側にある絶望的なまでの組織腐敗が見えてくる。

 野口雄二郎は、山之口さんの祖父だという。きっとこの小説は、「何があっても書かねばならぬ」ものだったのだろう。あの司馬遼太郎がさんざん調査したあげく結局書けなかった「ノモンハン事変」という題材に食らいつき、最後まで書ききったことに拍手を送りたい。

 とにかく読もう。読んで泣こう。そして、色々感じ、色々考えてみよう。

 野口は、日本に軍事航空が導入された草創期にパイロットを志し、現役の戦闘機パイロットのキャリアをノモンハンで終え、戦後、ソ連に10年抑留されて病死した。技術者として、一つの新しい技術が勃興するその場に居合わせることほど幸福なことはない。戦闘機パイロットも技術者の一種だから、野口の人生は、激動の日々ではあったけれども決して不幸なものではなかったのではないだろうか。そう思う。


最初の発見者
 このblogは、あまり周囲の人にも知らせずに、こそっと立ち上げて更新しているが、あっさりと世間に見つかってしまった。発見者は漫画家の粟岳高弘さん、同じくココログ内にblogを持っていて、「コミティア」の検索で見つかってしまった次第。粟岳さんと面識はないが、水城徹さん粟岳さんの漫画を書評していたのでお名前は知っていた。粟岳さん、見ておられますか。あなたは当blogにおけるコロンブスであります。
 というわけで、トラックバック機能を使って該当記事にリンクしてみる。どんな機能なのか、まずは使ってみないとね。

 で、なぜ私が粟岳さんが見つけたことを知ったかと言えば、まあ「蛇の道は蛇」なのでした。

追記:「アンガラ」はクルニチェフの工場でモックアップを見ましたが、着陸脚や翼などの付加物が多すぎてブースターとしても成立するかどうか分からないな、という印象を受けました。

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2004.02.25

永福町に行く

 JRと井の頭線を乗り継いで、永福町に行く。同地に宇宙開発の老先達が住んでおり、インタビューのための段取りをつけるためだ。これまで喫茶店で話を聞いたり、マクドナルドで粘ったりしてきたのだが、どうにもうるさくてたまらなかった。永福町駅近くに杉並区の集会所があるのを知り、そこの会議室を借りる算段をしてきたのだ。最初は電話一本で予約が取れるかと思ったのだが、まず利用者登録をしろ、そのためには一度来いということで仕方なく赴いた次第。

 で、行ったはいいが、まあその事務の手際の悪いこと。説明は要領を得ないし、申込書にどう書き込むべきかははっきりしない。私が区外居住者と分かると「どう登録したらいいんでしょうか…区役所に聞いてみます」で、また待たされる。コンピュータに登録するらしいのだが、どうもパソコンの前に座る女性は、そもそもキーボードが使えないらしい。さんざん手間取ったあげく住所の入力を間違えてやり直し。
 ここはどこだ?悪い夢でも見ているかのような気分だ。東京は杉並で、田舎の村役場のような対応されるとは思っていなかった。
 ようやっと登録が終わり、後はインターネットから会議室の予約ができるようになった。帰る支度をしていると、カウンターの向こうではキーボード入力の講釈が始まっている。先ほど私の住所を入力した中年女性に、別の女性が言う。「『あ』を入れるために『あ』のキーを押しちゃダメなの。『A』を押さないと」。
 そして帰り際、男子職員が私に言った。「ここから後はネットでしか予約できないんです。めんどくさいですがよろしくお願いします」。いや、私は全然面倒ではない。それどころか自宅から予約ができて便利なんだが。

 そこで気が付く。そうか、ネット社会はこういう人々を置き去りにしながら、ぎりぎりと音を立てて進展しているのか。

 お役所仕事に同情する気は全くない。今日時間を浪費させられた最大の理由は、彼らが、区外個人利用者という、普段とは違う区分の私をどう扱っていいのか分からなかったからだ。彼らが昆虫のようにルーチンワークをこなし、そこから一歩でもはみ出すとなにをしていいか分からなくなるような働き方をしていたからだ。

 だが、彼らがネット社会の進展に置いて行かれていいいのかといえば、そんなことは全くない。

 ひとつ彼らの名誉のために付け加えると、対応の態度はとても良かった。


メモ:ウェルニッケ脳症
今日の出典:NNNでやっていたドキュメンタリー

 上のリンク先をぜひ読んで欲しい。

 ウェルニッケ脳症はビタミンB1の不足で起こる脳の炎症。記憶障害や人格の変化などの重い後遺症を残す。1992年以降、高カロリー点滴にビタミンを添加しなかったことから、妊娠時のつわりなどで入院していた人の間で発生し続けている。
 真に驚くべきことに、これは人災だった。1992年、厚生省(当時)は点滴へのビタミン添加を保険対象外とする決定を下したのだ。一部の病院が点滴にすべてビタミンを添加して保険点数を稼いでいたことに対する処置だった。ところがそれがどうしたことか「食事が少しでも出来る患者にはビタミンを点滴に添加しても点数にならない」ということになってしまった。各地での発症報告が続いた結果、厚生省は食事が取れない場合の高カロリー点滴にビタミン添加を行うよう通達を出すが、その実施は徹底することなく悲劇は続いた。

 1)20世紀も末になり、2)病院で、3)ビタミン不足で、4)脳を破壊されるという恐るべき事態が、起きていたのだ。ビタミン剤がコンビニでも入手できるような国で、一体何がどうしたらこんなことが起こせるのか、厚生労働省は想像力というものを持っていなかったのか。一部の医者には状況に目を配るという習慣すらなかったのか。

 全くもって他人事ではない。私の父も5年前に大手術を受けた時、およそ1ヶ月に渡って点滴のみで命をつないだ。おそらくは担当医師がウェルニッケ脳症の発生を知っていたのだろう。まかり間違えば父も危なかったのだ。

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2004.02.23

海岸を散歩する。

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 晴れだが風の強い一日。終日、原稿書き。王立科学博物館のパンレットの仕事が煮詰まりつつある。この仕事、かなりの量の資料を読みこなさなくてはならないので大変だ。

 午後遅くなって風が収まったので海岸を散歩する。実家近くの東京を少々離れた海沿いに住む理由は、「人間の営みがどうであろうと、海岸まで出ると世界の半分が空っぽになるから」だ。かつて東京のど真ん中に14年ほど住んでいたことがある。もう東京は十分に堪能したというのが実感である。

 今日はデジカメ用に買ったテレコンバーターの試験も兼ねて、カメラを持ち出した。写真は、焦点距離714mm相当のレンズで撮影した沖合の「烏帽子岩」。サザンオールスターズが「勝手にシンドバット」で「烏帽子岩が見えてきた〜」と歌っている岩だ。ちなみに桑田佳祐氏の実家は私の実家のすぐ近く。中学時代の友人には「小学校の時に佳祐にいちゃんとキャッチボールしてもらった」という奴もいる。

 昨日コミティアを見て以来、色々考える。今年の夏のコミケットに向けて「宇宙の傑作機 アリアン5」を書く約束を、版元の風虎通信さんとしている。しかし、頼まれて書く原稿の感触は、商業出版に書くのとあまり変わりない。やはり自分で本を作って自分で売るのとは違う。

 自分で作ったもの、それも自分の創作物を売るという行為には原始的かつ根元的なコミュニケーションの快楽がある。何か作るかなあ。しかし、絵も描けない自分が、あの市場に何を持って参入すればいいのだろう。

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コミティアに行く

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 午後2時近くまで原稿、その後東京ビッグサイトで開催されている同人誌即売会「コミティア67」に行く。行くといっても同人誌を買いあさるわけではなく、知り合いであるしきしまさんが出ているのでそこをのぞきにいった次第。

 会場に入ったのはもう終了間際の午後3時過ぎ、しきしまさんのところは大変な盛況だったそうでなにより。彼の同人誌には、種子島の港から宇宙センターへとロケットを運ぶ輸送オペレーションを狐の嫁入りに例えたイラストが描いてあって大笑いする。そうだよなあ、確かに狐の嫁入りだよなあ。まあ狐ほどに情趣があるもんじゃないけれども、粛々とトレーラーが進む様は確かに狐の嫁入りだ。
 思わず黒沢映画「夢」を思い出したりして。物陰から見ていると、時々狐が「ぽん」という音と共に止まる。どうしたのかと思ったら「トレーラー脱輪です」とかね(種子島宇宙センター内の道は狭いのだ)。

 終了後は東雲のレストランで若い絵を描く友人達とだべる。若いこと、絵を描けること、どちらもすばらしいことだ。

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2004.02.21

伊福部昭にはまる

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 音楽会に行ったのがきっかけで、ここしばらく伊福部昭にはまりこんでいる。持ってる限りのCDを繰り返しかけ続け、本棚から「音楽入門」(伊福部昭著)を取り出し、「伊福部昭 音楽家の誕生」(木部与巴仁著:新潮社)を読み返し、ついにはボイジャーのホームページから「音楽家の誕生」の続編、「タブカラーラの彼方へ」(木部与巴仁著:T-Time版電子ブック)をダウンロード購入してしまった。

 行った音楽会は「伊福部昭/文化功労者顕彰 お祝いコンサート」というもの。


2004年2月1日(日)13時半開演 第一生命ホール

演奏曲目と出演者

  『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』 (1985年) 小林武史/梅村裕子

  二十五絃筝曲『琵琶行』 (1998年) 野坂恵子

  『アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌』  (1956年) 弓田真理子/長谷川友紀

  以降  演奏:オーケストラ・ニッポニカ 指揮:長田雅人 

  『伊福部 讃』 (1988年) 原田甫、石井真木、真鍋理一郎、今井重幸、松村禎三、三木稔、芥川也寸志、池野成、黛敏郎 各氏作曲

  『土俗的三連画』  (1940年)

  絃楽オーケストラのための『日本組曲』 (1933・1998年)

 目当てはまず滅多に演奏されないであろう「伊福部 讃」(伊福部喜寿の記念に弟子達が作曲した小品集)だったのだけれども、「アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌」の「ヤイシャマーエーナ」を聴いて、込められた感情の深さに思わず泣いてしまったのだった。しかも、ステージには今年90歳の作曲家が出てきてあいさつまでした。足は相当弱っているようだったが頭はしっかりしたもので、「自分の音楽は長い間認められなかったけれども今日このような会を催してもらえるのは大変にうれしい」「芥川君も黛君も私より先に死んでしまって悲しい」というようなことをはっきりした口調で話した。
 あらためて伊福部音楽の強靱さと深さに触れ、作曲者の年齢からすれば一期一会かもしれないお姿を遠望し、思わず火がついてしまった次第。

 やはり、この人はすごいな、としか言いようがない。どこをとっても強烈な個性が刻印されていて、なおかつそれが深いのだ。
 多くの人は「ゴジラ」の音楽を作った人、ぐらいに思っているのかも知れないけれども、そう、だまされたと思って「タプカーラ交響曲」のCDを買って10回続けて聴いてみて欲しい。演奏会用音楽と映画音楽を器用に作り分ける作曲家もいるけれども(例えば池辺晋一郎などはそう。これはけなしているのではなく作家の質がそうなのだ)、伊福部の場合両者は地続きだ。大学の時、ゴジラマニアの友人に「リトミカ・オスティナータ」を聴かせたところ、「おお、ゴジラとおんなじじゃん」と感嘆したのを思い出す。

「タプカーラの彼方へ」も熱い本だった。「音楽家の誕生」は一応評伝の体裁を取っているが、「タプカーラの彼方へ」はもう全編伊福部へのラブレターのような本だ。多分私が担当編集者なら「自分の意見の部分を削ってほしい」と指示をだすだろう。何とはなしに紙の出版ではなく、ボイジャーからの電子出版となったのが理解できる。しかし、これはこれでいいのだ、と思う。


以下は、以前某掲示板に書き込んだ与太話。


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 と、ここで架空戦記ネタを思いついてしまう。しかも架空音楽戦記ネタ。

 発端は、マーラーが1910年に死ななかったということです。「ドヴォルザークの風邪もわしがなおした」とかいうアメリカンネイティブの魔法医師が、マーラーの心臓をあやしい煎じ薬で治しちゃう。で、生きたままウィーンに帰ったマーラーはニューヨークでした約束通りにアイブスの交響曲3番をヨーロッパで演奏するのです。
 その聴衆の中には欧州留学中の山田耕筰がいたということにします。山田耕筰の留学は1908年から14年ですから丁度うまく話があう。
 でもって、2600年委嘱で山田の意向でアイブスに話が行くのです。引退していたアイブスは最初拒絶するのですが、三国同盟成立に怒った愛国者アイブスはアメリカ文化で東洋の猿をぶちのめすことを決意、未完だった「ユニバース・シンフォニー」にソリストを加えた「ユニバース・コンチェルト」を作曲して日本の楽壇に挑戦状をたたき付けます。ソリストはもちろんクラリネットのベニー・グットマン!彼は後にバルトーク、シゲティと共演してみたり、ストラヴィンスキーの「エボニーコンチェルト」を初演していますから、まったく適任ではありますね。
 日本側は最初「相手にせず」でしたが、イベント大好きの朝日新聞がこの話に乗った結果、代々木練兵場を使った一大音楽試合へと発展してしまいます。ところが誰がアイブスの相手をして日本側の曲を作曲するかで楽壇は大もめ。山田耕筰はさっさと逃げちゃうし、池内友次郎も諸井三郎も後込みしちゃう。ただ一人、お人好しの清瀬保二が「わたしがやりましょうか」と言うけれど、回りが「あんたの私小説音楽じゃ破壊力が足りない」と押しとどめちゃう。
 すったもんだのあげく、「野蛮なヤンキーには野蛮人を」ということで、厚岸から伊福部昭が呼ばれることになる。伊福部は初期作品の「日本狂詩曲」を巨大オーケストラに編曲した上に、なんと津軽三味線をソロに立てる。もちろん演奏するのは若き日の高橋竹山だ。
 かくして代々木練兵場で開催された一大コンサートは、会場全体に散らばった1000人以上の演奏者がパラパラのテンポで演奏するユニバースコンチェルトと、強化された打楽器群のリズムで押しまくる伊福部作品との大騒ぎになる。音響効果は日本放送協会で高柳健次郎が東京オリンピック向けに開発していたハイファイ拡声器で完璧だ!
 決着が付くはずもなく、熱狂した聴衆のリクエストで、ついにベニー・グットマンと高橋竹山の即興合戦へ!!
 しかしクラリネットと津軽三味線では体力の消耗具合が違った。遂にバチを取り落とす竹山。ここまでかっ!
 やおら竹山はマイクを掴むと歌い出したっ「わだば三味線弾き、ヤクザな三味線弾き…」

 そういうオチかい。
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 馬鹿話はともかくとして、伊福部の「タプカーラ交響曲」と早坂文雄の「交響組曲ユーカラ」とというプログラムの演奏会は、まじめに聞いてみたいな、と思う。魂の盟友だった2人の、共にアイヌに題材を取った管弦楽曲は、同じ空間でどのように響くだろうか。

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