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2005.08.25

1982年、風が追い抜いていった

 外は台風11号の風雨が吹き荒れている。こういう日は屋内で色々なことを思い出す。

 過去、あちこちで話したことなのだが、23年を経て未だ記憶鮮明な出来事だ。記録のため、当blogにも書き留めておくことにする。

 私が原付の免許を取ったのは1982年、20歳の時だった。免許証には「昭和57年6月11日」とある。「夏休みに北海道に行きたい。でもローカル線の駅で何時間も待つのはイヤだ」というだけの理由で免許を取得したのだった。
 早速原付を物色し、これまた「荷物がいっぱい積める」という安直な理由で発売直後のホンダ・モトラを近所のバイク屋に注文した。今も覚えている、納車は6月13日だった。ホンダのホームページによると、「モトラ」の発表は6月9日で発売は10日だ。まさに発売直後にさっと買ったのだな。

 7月8月と、私は猿のラッキョウむきのようにモトラに乗りまくった。乗ってみて、バイクの魅力に気が付いたのだ。8月末の時点で、走行距離は3000kmを越えていた。

 1982年9月4日、私は北海道に向かって出発した。4日かけて国道4号を北上し(途中、仙台の友人のところで二泊滞在し、遊んだ)、7日夜に青森から苫小牧行きのフェリーに乗り、8日の早朝、北海道に上陸した。
 それから10日ほど、私は道東を中心に走り回った。帰宅した時、走行距離は5500kmを超えていた。

 確かあれは、紋別から国道273号で層雲峡に向い、糠平湖、然別湖経由で上士幌を通り、弟子屈へと向かった日の事だ。旅程を思い出せば、9月15日だったはずである。当時273号は途中から林道のような細い未舗装の山道で、カーブを抜けるたびにリスが驚いて逃げていった。層雲峡から先は、深々と砂利を敷き詰めた走りにくい路面で、砂利には2本、ダンプカーが付けた轍が刻まれていた。
 その日の行程が思っていたより長く、予定よりも遅れていた。273号と39号との分岐を過ぎた峠の下り道だったと思う(今、地図を見ると、その部分にはトンネルが開通している)。下りの砂利路面を、私は轍にタイヤを取られながら下った。速度メーターが50km/hを指しており、「こんなに出して大丈夫か」と思ったのを覚えている。
 突如、フロントキャリアに積んでいた荷物が落ちて前輪にひっかかった。荷物を留めていたゴムバンドが振動ではずれてしまったのだ。私はモトラもろとも大きく回転して路面に叩きつけられた。
 気が付くと自分の足の上に、モトラが乗りかかっていた。「ひょっとして折れたか」と、骨折を覚悟した。が、動かすと足はなんの異常もなく動いた。

 私は、自分がダンプの作った轍にすっぽりとはまりこんでいるのに気が付いた。モトラはちょうど轍と直角に倒れ込んでいた。つまりモトラはちょうど轍にかけた橋のようになり、私はすっぽりその下に収まって無事だったのだった。よろよろとモトラを引き起こした私の横を、ダンプがもうもうと土煙を上げて通り過ぎていった。

 「トムとジェリー」のような間抜けさだ。砂利が幸いし、私はケガ一つしなかった。ただ、モトラの左ステップが大きく曲がっただけだった。

 初めての大転倒はかなりのショックだった。そのまま走るのを止めたかったが、人気のない山中で夜を迎えるのも嫌だ。私は曲がったステップのモトラにまたがり、また走り出した。国道241号を、オンネトーへの右折を無視してひたすら走り続ける。

 夕暮れ近くの阿寒湖手前のワインディング、と記憶しているのだけれども、今、地図を見ると、そんなところにワインディングはない。私の記憶違いか、道が改良されたのだろう。突如、風が追い抜いていった。

 風が追い抜いていった——としか形容のしようがない。それは女性ライダーが乗ったホンダCB250RS-Zだった。長い髪をヘルメットからなびかせ、赤と黒に白のアクセントの入ったライディングスーツの背中をひらめかせると、彼女はややお尻を落としたハングオン気味のライディングで、右カーブを単気筒のエンジン音も高らかに駆け抜けていった。

 背筋の伸びた、ほれぼれするような美しいライディングだった。いまでもその背中をまざまざと思い出すことができる。

 1982年当時、まだ女性ライダーは珍しかった。こっちが原付でひいこらしながら未舗装国道を一日中走り、あまつさえ大転倒すら経験した果てに見た女性ライダーの背中とお尻は、もちろん色っぽくもあったし、それ以上に「バイクって、あんなに格好良く乗れるんだ」という驚きを持って記憶に焼き付いた。

 数ヶ月後、私はバイク雑誌(「モーターサイクリスト」誌だったはずだ)を見て、その女性ライダーの正体を知った。堀ひろ子さんだった。雑誌に、彼女の手によるCB250-RS-Z北海道ツーリングの記事が載っており、その日程と自分の旅程が、阿寒湖でクロスしていたのだ。そして記事に付属した彼女の写真は、まさにあのスーツを着ていた。
 検索をかけてみると——おお、このスーツだ。「ひろこの」オリジナルだったのか。

 堀ひろ子という名前を、尊敬と郷愁を持って思い出せるのは、今や40歳以上のバイク乗りだけだろう。彼女は女性モータージャーナリストの草分けで、ロードレースに参戦し、さらには日本人女性として初めてサハラ砂漠をバイクで横断した。1982年頃は、「ひろこの」というショップを経営して、オリジナル商品も販売していた。要するに当時のバイク雑誌の紅一点で、バイク野郎憧れの「オネーサマ」だった。
 今、調べてみると堀さんは1949年生まれで1982年当時は33歳、そりゃ20歳の当方からみれば、とてつもなく色っぽく格好良く見えたわけだ。

 残念なことに彼女は、1985年にこの世を去った。自殺だったと聞くが詳細は知らない。激烈に生きる人特有の、余人にうかがい知れぬ悩みがあったのかと、想像するのみだ。

 あれから23年、私もずいぶんとあちこちを走り回り、様々な女性ライダーともすれ違ったが、あれほど格好良いライディングはついぞ見たことはない。美の神がアホたれ大学生に見せた一瞬の幻だったと言われても、私は信じるだろう。

 「バイクに乗れば風になれる」というような気取った物言いは大嫌いだ。それでも、あの日の記憶を、私は「風が追い抜いていった」としか形容しようがない。

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