« December 2005 | Main | February 2006 »

2006.01.22

天候が回復しはじめる

 21日の午前中は宿でお仕事、午後から宇宙センターへ。Y-1ブリーフィングに出席する。そろそろ、はやぶさタッチダウン取材で知り合った報道関係者達が集まってきている。

 夕刻、プレスセンターから撤収しようとして表に出ると、島に入って以来降り続いていた雨がやんでいた。自動車を南種子町方面に走らせていると、一瞬太陽の光が見えた。

 夜、表に出ると星が見え始めている。これならば、23日の打ち上げも大丈夫そうだ。

| | Comments (7) | TrackBack (0)

2006.01.21

種子島で雌伏する

 19日朝のフェリー「プリンセスわかさ」で種子島に入った。海は荒れており、錦江湾から出るとフェリーは揺れる揺れる。気分は映画「Uボート」だ。フェリーのトイレに取っ手が付いている理由が初めて分かった、とは同行者全員の実感。

 そのまま宇宙センターに直行する。海岸に面したプレスセンター付近は風雨が強い。道が海岸から飛んできた砂に覆われている。プレスセンターはほとんど空っぽ。「今回も技術説明で来ました」という旧知のAさんがいたので、現状を聞く。一般向けの展示をしている宇宙開発館には、今回打ち上げる衛星ALOS「だいち」の熱構造モデルが展示されていた。

 河内温泉センターにつかってから港のある西之表に戻る。宿は西之表のなじみの民宿。センターからは遠いのだけれど使い勝手がいいので大抵はここに泊まっている。いつも通りおばちゃんと猫共が迎えてくれたが、おばちゃん、20日から23日まで九州の方で結婚式があるとかで留守にするという。「後は適当に使って下さい」。のんびりしたものだね。当面、宿は我々の貸別荘状態。信頼に応えるべく心して住まわねば。

 夜は飲み屋に出てきびなごと焼酎で酔っぱらう。店主のおやじさんが、途中から飲みに参加。サーファー米の顛末とか、種子島における町村合併の状況とか、色々と聞く。

 「娘が福岡でデザインの仕事をしようとしているんだがものになるだろうか」と、娘さんが高校の体育祭で描いたという立て看板の写真を見せられる。
 才能はあると思う。でも、高校で一番描けるというレベルの奴は、美大にいけばごろごろしている。その連中との切磋琢磨の中で、色々な出会いがあって仕事につながっていくといいのだが…
 デザインと写真の仕事をしている同行Mさんの意見ははっきりしていた。
「東京に出なければだめですよ」
 …それはあるなあ。現実として。

 20日も雨。センターに電話すると、早々に打ち上げは23日以降に延期とのこと。
 午後3時から、センター内の一般向けツアーに参加する。以前我々が打ち上げ後数日粘って見学したH-II7号機を、現在は無料の一般向けセンター内ツアーで公開している。事前の予約が必要だが当日、宇宙開発館の受付で申し出ればOKだ。宇宙開発館には「見学人数2万人まであと264人(数字はうろおぼえ)」という表示が出ていた。
 マイクロバスに十数人の見学者が乗ってツアー開始。打ち上げがない時はH-IIA射点の敷地内にも入るそうだが、今回は外から見るだけ。
 大崎事務所棟の倉庫で、4年振りにH-II7号機と再開する。先行した8号機の事故で、結局打ち上げずに終わってしまった機体。組み合わせるはずだった固体ロケットブースターは、すでに推進剤の経年劣化を調べるための燃焼試験に回してしまったため、もう打ち上げられることは金輪際ない。そもそも、射点設備もH-IIA用に回収されてしまっている。
 横にはH-IIの射点での燃焼試験「CFT」に使った第1段も置いてあった。
 精緻な構造が、かえってわびしい気分をかきたてる。もうちょっときちんとした展示はできないものだろうか。

 この日も温泉。そして西之表で、スーパーの総菜を買い込んで宴会。種子島はスーパーの総菜であってもおいしい。ビールを飲みつつ、仕事。

 目覚めて21日、センターに電話すると23日打ち上げ決定とのこと。

 さあ、本番だ。

| | Comments (0) | TrackBack (2)

2006.01.18

二兎を追い損ねる

 18日夜現在、内之浦の隣、高山の温泉旅館にいる。

 17日、種子島を目指して宇宙作家クラブの面々と東京を自動車で出発、18日早朝、鹿児島新港フェリーターミナルでフェリーを待っているところで、H-IIA8号機がトラブルを出して延期となったことを知った。

 H-IIAのトラブルは長期の延期となる可能性があると考え、急遽内之浦のS-310-36号機打ち上げを取材することにした。午前10時半には内之浦に到着。午後1時の打ち上げを待ったのだけれども、こちらも雨のために打ち上げ中止に。

 さらに、種子島からは20日にはリカバリー終了、21日以降に打ち上げ可能にという報道が入ってきた。これはまいった。もっと長期間の延期になると踏んでいたのだけれども。

 明日の早朝、またフェリーターミナルに向かい、種子島に渡ることにする。

 これで、どちらの打ち上げにも立ち会えなければ、大間抜けだ。昨年夏のM-V6号機、そしてスペースシャトル「ディスカバリー」と数えていくと3連続で振られたことになる。

 なにをやっているのやら。とにかく、締め切り仕事を抱えているので、宿で仕事をすることにする。
 

| | Comments (11) | TrackBack (5)

2006.01.08

「はやぶさリンク」:石橋を叩くな、渡れ!

 本ページで続いていた「はやぶさ」を巡る議論も、そろそろ出尽くしたようだ。
 私自身は、ここで議論して結論が出るとは思っていない。書き込みをしてくれた人たちが、ここで交わされた意見に基づいてもう一度考え、次の機会にまた意見を表明することが重要だと考えている。
 これまで、私自身の意見を開陳することは控えてきたが、そろそろきちんと書いておくべきだろう。

 議論の中心となったのは、1)「はやぶさ」は成功か失敗か、2)メディアはよりわかりやすく「成功/失敗」に特化して報道すべきか——ということだったように思う。まずは1)のほうを。2)については日を改めて書きます。

 昨年11月、何度も相模原の特設プレスセンターにかよいつつ、なによりも強く感じたのは、「きっとマリナー、パイオニア、ヴォイジャーといった探査機が目標に近づいた時のジェット推進研究所は、こんな雰囲気だったに違いない」ということだった。
 誰も見たことがない、未踏の地に近づくということが、その場の雰囲気すらも独特の色に染めてしまっていた。「なるほど、未知の世界に赴くというのはこういうことだったのか」と、私は思った。

 「はやぶさ」ミッションで、最も重要なことは、「日本が主体となって人跡未踏の地に初めて赴き、未だ誰も体験したことのない環境で誰も見たことがない世界を観察し、誰もやったことのないことをやろうとした」ことだ、と私は考える。

 これまでの日本の宇宙開発は、基本的に「できると分かったことをやる」という方向で進んできた。日本がロケット開発に手を染めたとき、すでに「ロケットというものが作れる」と分かっていた。日本が「おおすみ」を打ち上げた時、すでにいくつもの人工衛星が地球を回っていた。
 その後の旧NASDAミッションは、すべて「できると分かっていることを自分でやってみる」というものだった。
 旧ISASミッションも、ほとんどはそうだった。日本がX線天文衛星を打ち上げた時、すでにアメリカの「ウフル」が「宇宙に出てX線で観測すると、新しい世界が見える」ということを証明していた。オーロラ・磁気圏観測も、「エクスプローラー」によるヴァン・アレン帯発見以降、「宇宙からの観測で色々分かる」ということは判明していた。太陽観測では「ようこう」が大きな成果を挙げたけれども、その前にスカイラブの太陽望遠鏡が「宇宙から太陽を見るとすごいぞ」ということを示していた。
 過去四半世紀の旧ISASミッションは、素晴らしい結果を出したけれども、基本的に「できると分かっていることを、より先に進める」という性格のものだった。その過程における技術革新や新しい観測機器の開発、得られた科学的成果を小さく見積もる気は全くない。しかし本質の部分では「先例があり、先の見通しがある」ミッションだった。

 「はやぶさ」は違った。

  「イオンエンジンが宇宙空間で長時間運転できる」という保証はなかった。えんえんとイオンエンジンを噴射し続けて、なおかつきちんと探査機を誘導し、目的の小さな小惑星に探査機を到着させることができるかも、誰もやったことがない事柄だった。
 重力が小さな、差し渡し500mの小惑星の近傍に探査機をきちんと留め置くことができるかも分かっちゃいなかった。ましてや、接近し、着地し、サンプルを採取し、もう一度飛び上がれるかどうかは、誰も「できる」と確信を持って言うことはできなかった。例えトラブルがなくても、サンプルを持って帰れるかどうかは、はっきり「できます」と言えるようなことではなかった。

 これを無責任だと思うだろうか。「できるかどうか分からないことに国費を費やすというのは、納税者に対する背信だ」と感じるだろうか。

 そうじゃない。これこそが「未知の世界に挑む」ということなのだ。それは「運を天に任せる」というのとはまったく異なる。

 日本最初の南極越冬隊を組織した西堀栄三郎は「石橋を叩けば渡れない」という名言を残した。
 渡らねばならぬ石橋がある。大丈夫かどうか、叩いていると色々と疑念がわき上がってくる。「本当にできるのか、どうなのか」、自分の気持ちが自分を縛ってしまい、渡れる橋も渡れなくなってしまう。
 だからまず「渡る!」と決める——そう西堀は考えた。そして「石橋を渡る」ために考え得る限りの準備をする。しかし、人間は全知全能ではないので、必ず抜ける部分がある。抜けがないなんてことはあり得ない。それは、現地に赴いてからの工夫で切り抜ける。
 この考えに基づいて、西堀は越冬隊を準備し、成功に導いた。

 はやぶさのミッションを子細に観察していくと、まさに西堀が示した方法に乗っ取っていることが分かる。できるかどうか分からない。だから徹底的に準備する。それでも不測の事態は起きる。それはその場その場の判断で乗り切っていく——というように。

 「未知に挑むような危ないことを、日本はしなくていい。できると分かったことだけを着実に進めるべきだ」という考えもあるだろう。しかし私はその意見に与しない。
 「恐るべき旅路」の後書きにも書いた事なのだけれど、未知に挑む事業は、社会に活気を与える。その活気は巡り巡って、日本を、さらには世界を刺激し、根源の部分から人類社会を富ませることになる。
 例えば、パイオニアやヴォイジャーが、どれほどの刺激を人類社会に与えたかを考えてみよう。
 糸川英夫博士がペンシルロケットを飛ばしてから50年、パイオニアやヴォイジャーに遅れること30年、我々のJAXA/ISASは、やっとその場所にたどり着いたのだ。誰も行ったことがない、誰も見たことがない場所へ。

 同時に、「はやぶさ」が始まりでしかないということも、我々は認識しておく必要があるだろう。
 akiakiさん、というよりも秋田大学の秋山演亮さんが、2005年12月29日の日記に記している川口淳一郎教授の言葉は、とても重要だと思う。

今回のミッションの成功・不成功という議論はさておき、自分としてはようやく「世に問う」事が出来る形にまで持ってくることが出来たと思っている

 私には、常に端的で鋭い言葉を吐く川口プロマネが、「君の話は長すぎてケーキの蝋燭が燃え尽きちゃうよ」と言われるほどの長いスピーチをしたというのも驚異なのだけれど(一体どんなことをどんな調子で話したんでしょうか←秋山さん)。
 現状を川口プロマネは「世に問うところまで持ってきた」と認識している。


 確かに川口プロマネ以下計画に参加した人々は、「はやぶさ」で大冒険(あえてこの言葉を使おう)をやってのけた。冒険はまだ続いている。

 でも、まだまだ始まりなのだ。

 今、この瞬間もNASAが土星に送り込んだ探査機「カッシーニ」は、土星系の驚異の姿を地球に送り続けている。

Cassini-Huygens

 「はやぶさ」の先には、もっと途轍もない、驚異の世界が待っている。「はやぶさ」は必死のオペレーションであれだけのことをやりとげた。でも同時にその大冒険は、次の冒険への序奏なのである。否、これからの努力で序奏にしなくてはいけない。

 「クレージーキャッツの大冒険」を知っている人は、歌詞を思い出して欲しい。あ〜あ〜、大冒険、大冒険。でも、まだ我々は「はやぶさ」で、宇宙に対して「ちょっと百円貸してくれ」と頼んだだけなのである。

 もちろん「カッシーニ」は「はやぶさ」の何十倍ものお金をかけた巨大計画だ。比べたら「はやぶさ」がかわいそうだろう。でも、「はやぶさ」の先に、もっとすごい世界があるということを知るのは、決して悪いことではない。

 それが「百円借りる」程度であっても、我々は「はやぶさ」ミッションで、やっと未知の世界への入り口にたどり着いたのだ。胸を張って良いと思う。そしてこれから先も、胸を張って進んで欲しいと、私は思う。


 最後は、宮沢賢治「青森挽歌」のフレーズで締めくくろう。

ヘツケル博士!

わたくしがそのありがたい証明の

任にあたつてもよろしうございます

| | Comments (11) | TrackBack (6)

2006.01.07

戌年ということで

 そういえば、今年は戌年だったな、と思い出して。

inu2hiki


 松浦実家の犬二匹。物見高い性格で、表に郵便配達やら宅配便やらがやってくると、この調子である。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.01.06

青春スーツの音楽を聴く

 以前紹介したピアニスト・大井浩明氏の「閘門ブッコロリ」を起点に、あちこちのぞいたり、ストリーミングを聴いているうちに、たどりついた。とんでもない録音のストリーミング。

鈴木貴彦の演奏:ジャン・バラケ:ピアノ・ソナタ(1950-52、日本初演)ほか

 バラケ、ジャン・バラケ!

 私がバラケの名前を知ったのは、中学三年生で音楽に興味を持って、最初のオーケストラスコアを買った時だった。全音のポケットスコア、諸井三郎著のスコアの読み方を解説した「スコアリーディング」、そしてドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」だ。
 全音楽譜出版社のポケットスコアには、かなり詳細な楽曲解説が付属している。「牧神」の解説は、ジャン・バラケの分析に基づくものだった。

 その後、ジャン・バラケ(1928〜1973)が、難解な曲を書くことで知られた作曲家であることを知った。しかし、その曲を聴くことは、このストリーミングに出会うまで、なかった。

 バラケは大輪の、しかし日陰の花だった。日陰の花には対になる日向の花がつきものだ。バラケにも、巨大なひまわりたるライバルがいた。その名はピエール・ブーレーズ

 作曲家にして指揮者、斬新な解釈を施した数々の演奏で知られたブーレーズは、クラシックに興味がある人なら誰でも知っている大物である。
 ブーレーズとバラケ、一体何が起きたのか?(以下、若干芝居がかって)。

 アドルフ・ヒトラーがドイツに出現し、あの悲惨な第二次世界大戦へと世界を導いたことは、音楽の世界にも大きな影響を残した。大戦後の音楽業界では、ヒトラー的なるものが忌避されたのである。
 ヒトラーはワーグナーが大好きだった。このため、戦後欧州の作曲家の間では、ワーグナーのように聴き手の心を巻き込み、翻弄し、絶頂とどん底を経験させて感動に導くような音楽は忌避されるようになった。

 代わって、作曲家達の意識の中央を占めたのは、純粋に抽象的な美だった。

 戦後の若い作曲家達の動きは、後に「トータル・セリエリズム」と呼ばれるようになる。詳細は略するけれども、音程、音の長さ、強さなど、音楽を構成するすべての要素を、一つの数理的秩序のもとに統一しようとする考え方だ。過酷な戦争を子供として体験した彼らは、ロマンなどという曖昧なものに音楽の美をゆだねることに耐えられなかった。

 音程は、Hzで表される。つまり数字だ。音の長さは、秒で表すことができる。これまた数字、音の強さはデシベルで記述可能。やはり数字だ。もちろんテンポはメトロノームで記述できるわけで、数字そのものだ。
 若い作曲家達は、音楽のすべてを数理的秩序の元にコントロールしようと考えたのである。

 トータル・セリエリズムについては以下のページが詳しい。

全面的セリー主義:芸大の横田敬氏が公開している論考。


 ここでは本題に話を絞ることにしよう。

 当時、フランスにおいて若手作曲家として将来を嘱望されていたのが、ピエール・ブーレーズとジャン・バラケだった。二人はトータル・セリエリズムの可能性にむかって突き進み、それぞれに作曲していった。

閑話休題
 「ハチミツとクローバー」(羽海野チカ著)というマンガに、「青春スーツ」という言葉が出てくる。若いが故の自意識過剰と全能感と無力感が混合された精神状態を「青春スーツ真っ盛り」と表現し、そこからの脱却を「青春スーツを脱ぐ」と形容するわけだ。

 その伝でいえば、ブーレーズとバラケのトータル・セリエリズムは、「青春スーツの音楽」であった。俺たちが新しい音楽を創るんだ戦争は終わった老人共何するものぞ他のやり方は駄目俺は絶対正しいロマン派死ね民族主義死ね新古典主義死ねトータルセリエリズム万歳…。

 ブーレーズの「2台のピアノのための構造」や「第2ピアノソナタ」(共に1948年、ブーレーズ23歳の作品)、あるいはバラケのピアノソナタ(1952年、バラケ24歳の作品)などは、年齢から言っても「青春スーツ真っ盛りの音楽」だったわけである。

 しかし、その後の人生行路はあまりに違っていた。

 ブーレーズは女声と室内楽のための「主なき槌(ル・マルトー・サン・メートル)」(1954年、ブーレーズ29歳の作品)で、世界的な名声を獲得する。シュールレアリスト詩人・ルネ・シャールの詩を、メゾ・ソプラノが歌い、フルート、ヴィヴラフォン、ギター、ヴィオラ、打楽器が絡まっていく——どんな聴き手も魅惑せずにおかない結晶的な美に溢れた、間違いなく20世紀を代表する作品だ。
 この曲で、ブーレーズは「感覚的修正」ということを言い出した。トータル・セリエリズムで数理的に書いた曲に、「ここは俺の感覚に合う、合わない」で修正を施すということだ。むやみやたらに技法にこだわることをやめて、自分の感性を信用する態度に回帰したといっていいだろう。

 ブーレーズは大人になった、というのは言い過ぎだろうか。「マルトー」で彼は青春スーツを脱ぎ捨てた——私はそう読む。

 その後ブーレーズは、徐々に作曲から演奏へと活動の場を移していく。パリのポンピドーセンターを拠点に「アンサンブル・アンテルコンテンポラン」という演奏家集団を組織して、様々な曲を演奏し、録音を行い、斬新な楽曲解釈で世間を驚かせ——今や80歳となったブーレーズは、世界的名声を得た指揮者であり、かつてのカラヤンにも近い地位を楽壇において獲得しているといえる。

 一方、バラケの人生はといえば——そもそも彼は完璧主義者でぎりぎりまで自分を追いつめずにはいられなかった。それが災いしたか、作品はなかなか完成せず、望んだ職は得られず、家が火事になってそれまでの作品が焼失したり、交通事故に遭ったり、アル中になったり。
 彼は同性愛者でもあり、特に若き日の哲学者ミシェル・フーコーとの関係は有名だった。フーコー周辺の爛れた関係はこれまた知る人ぞ知る話であり、おそらくはバラケもホモの痴話喧嘩に巻き込まれたのだろう。
 何にどう絶望したのだろうか。バラケは45歳で自ら毒を飲み、自殺してしまった。

 彼の作品は7曲しか残っていない。その死から四半世紀も経ってから作品集が出版されたが、その内容は全く持って完璧からはほど遠い、未校訂のものだという。なんてついてないんだ…バラケ。


 ここで冒頭に戻り、・鈴木貴彦氏の演奏するジャン・バラケ「ピアノ・ソナタ」を聴いてみよう。

 構造があるんだかないんだか、精緻なのかでたらめなのか判別しにくい音から、やがて立ち上ってくるのは、痛々しい自負心と才能のかけらだ。確かに難解なのだけれども、瑞々しい感性が隠しようもなく聞こえてくる。

 その名前を知ってから30年、私はやっとバラケの音楽にたどり着くことができた。

 果たして、ピアノソナタを書いた後、バラケは青春スーツを脱ぎ捨てることができたのだろうか。ブーレーズのように。
 以下のエッセイを読むと、どうも一生青春スーツのまま、七転八倒していたように思える。

ジャン・バラケ(前編):深良マユミ氏のエッセイ
ジャン・バラケ(後編):同上

 深良氏の自己紹介にも、どことなく青春スーツの切れっ端が。ひょっとしてバラケには青春スーツがつきものなのだろうか?


 というわけで、「ハチミツとクローバー」。美大にたむろする若者達の青春七転八倒を描いたマンガだ。青春ただ中の読者は、「うんうん」と感情移入して読むし、より年齢が進めば「あったよなあ」とこれまたうなずいて読むという傑作。
 テレビアニメにもなったけれども、私は未見。この映像にしにくいマンガをどう料理したんだろう。

 不器用な真山と、さらに不器用な山田の関係に感情移入する人も多いだろうが、私には竹本の間抜けな七転八倒ぶりが面白い。バラケのソナタを聴きながら、思わず「青春の塔」のあたりを読み返してしまった。
 きっとバラケには、でこぼこでごつごつの作品に対して「素晴らしい、これこそ青春じゃあ〜」と言ってくれるおじいちゃん先生達や、煮詰まった時に乗って逃げることができるママチャリがなかったんだね、と思ったりして。

 まさかあるまいと思って調べてみたら、ありました。バラケ「ピアノソナタ」のCD。驚いたな。

 まずは、鈴木貴彦氏の男気に満ちた日本初演の音をストリーミングで聴いて、それから注文するかどうかを判断すればいいと思う。

 鈴木貴彦氏は、東京芸大中退後、京都大学で哲学を学び、大学院まで出て、なおかつピアニストになったという変わり種。大井氏とは京都大学で出会ったらしい(大井氏も京都大学卒、独学でばりばり現代曲を弾く技巧を身につけたというこれまた変わり種)。どういわけか、こういう型破りの演奏家は、芸術系大学からは出てこない。

 「ル・マルトー・サン・メートル(主なき槌)」——「大輪のひまわり」こと、ピエール・ブーレーズ、畢生の傑作。この「マルトー…」を聴かずして二十世紀音楽を語ることはできない。一聴すると、いわゆる「キンコンカン」系の現代音楽なのだが、とにかく一つ一つの音の美しさが尋常ではない。この曲がドイツの温泉保養地、バーデンバーデンの音楽祭で初演された時には、大変なセンセーションを巻き起こしたという。

 ブーレーズは指揮者として「マルトー…」を5回録音していて、このCDは2002年の最新録音。そう、室内楽でありながら、指揮者を必要とする至難の曲でもあるのだ。

 以前の録音が突きつける、目の前の空気を切断するかのような切れの良さはない。しかし、全体のまとまりと、一つ一つの音の美しさはこっちのほうが上だ。なにより、高音質の録音が必須の曲だけに、新しい機材で録音されたこの盤のほうが、曲を理解するには良いと思う。

 

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.01.01

謹賀新年:おもしろアニメを紹介する

 あけましておめでとうございます。

 年頭なので、構えずに、去年教えて貰ったいくつかのミニアニメを紹介しよう。

こまねこ
  映像はExciteシネマ こまねこで見ることができる。

 コマ取りの人形アニメで「人形アニメを撮影するネコ」を作ったというもの。NHK「ドーモくん」のスタッフの作だが、こまねこの動き、表情、すべてが愛らしく、素晴らしい。
 誰かこのスタッフにお金を出しませんか。アードマンプロが吹っ飛ぶような傑作を作ってくれるに違いない。

#1月7日注記:なんと「こまねこ」は長編アニメ化が進行中だった。公式ページの冒頭で紹介されていたのだけれど、フラッシュが使ってあるとさっさとスルーする癖がついているので気が付かなかった。これは楽しみだ。

弥栄堂

 とても高品位のフラッシュアニメを個人で作っている。私のお気に入りは「オーニソプター」。独特の世界観が面白い。


ウェブテント:いきなり音が出るので注意。

 変な感性が癖になるフラッシュアニメ「クワガタツマミ」を公開中。ライブドアインターネットアニメーションで、「やわらか戦車」も公開中。


 サイドバーに、過去にnikkeibp.jpに書いた記事へのリンクをまとめてみた。けっこう書いたものだ。今読み返すと、もう少し突っ込めたものや、方向が間違ったかと思えるもの、しつこかったかと反省しなくてはならないものなど色々。
 サイドバーが赤いリンクで一杯なのもうっとうしいものだ。しばらくはこのまま掲載するが、そのうちに2005年以降のものに絞ることにする。

 今年もよろしくお願いいたします。

| | Comments (2) | TrackBack (1)

« December 2005 | Main | February 2006 »