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2006.11.27

反省の弁を掲載する

 お約束通り、以下反省の弁を。

 私はかなり激高しやすい性質であり、「怒っても解決にはつながらない」時に怒りをぶつける文章を書いてしまう傾向がある。これは以前より自覚している。

 メディアの役割の一つに真実の暴露と、それによる現状の改善を期すというものがある。必要なのは事実の積み重ねであり、私が行わねばならないのは「事実の読み方の提示」だ。ところが時として、これが怒りを感じさせる文章となってしまう。

 もちろん、きちんと書かねばならないことは、書かなければならない。情で事実を隠蔽するのはもっての他だ。それでも、むやみやたらと私が悲憤慷慨して、事態が改善されるものではないことは肝に銘じなくてはならない。

 大切なのは「現状の改善」であり、個人的な怒りをぶつけることでも誰かを貶めることでもない。

 以上、自省のための備忘録として。

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2006.11.26

小杉健郎先生逝去

Kosugi

 26日は宇宙作家クラブ例会、半田利弘先生の講義を楽しみ、仲間内で酒を飲んでの帰途、携帯電話で、太陽観測衛星「ひので」プロジェクトマネージャーの小杉健郎先生逝去の報を受け取った。
 2日前に脳梗塞で倒れ、意識を回復しないまま今夕の死を迎えたとのこと。

 一体何を言えばいいのだろう。先生が全精力を注ぎ込んだ太陽観測衛星「ひので(SOLAR-B)」はこの9月に打ち上げられ、まさにこれから素晴らしい観測データをどんどん送り届けてくれるところだったというのに。かくのごとき死があるとは。

 私が小杉先生と親しく話したのは一回きりだ。「国産ロケットはなぜ墜ちるのか」を出した後、的川泰宣先生の部屋にお邪魔した時、先客として的川先生と雑談(ではなかったのかも知れないが)していたのが小杉先生だった。

 小杉先生は「国産ロケットはなぜ墜ちるのか」をほめてくれた。その上で「前の『ようこう』でも、ずいぶんと危ない局面はあったんだよ」と話してくれた。私はといえば、「これはネタになる。SOLAR-Bが無事に上がったら聞きに行こう」と考え、先生の話を聞いていた。

 もはやそれすらかなわぬ夢となった。

 あの時、色々とお話を伺ったが小杉先生が、SOLAR-B実現に、全精力を注いでいることは会話の端々から感じることができた。

 今年9月の打ち上げ時に、内之浦で松葉杖をついている姿を拝見したが、「今は声をかけるまい」と、遠巻きに見ていた。その後。相模原ISASの食堂で定食を食べているのを見かけた時も、「もう少し後で」と思い、声をかけなかった。ISASの定食を食べるというよりも、かき込むという調子で食べていた小杉先生の表情は、幸福そうだった。それは、「やっと本格的な観測ができる」という幸福感だったのだろう。
 今年9月の打ち上げ成功後の記者会見で、小杉先生の表情はこれ以上はないほどに 晴れ晴れとしていた。「これからが本番だ」という喜びに満ちていた。明らかに先生は、全身全霊を SOLAR-B計画にかけておられた。

 今、私が言えることはただ一つだけだ。「先生、ご苦労さまでした」。いや、これすら私のような部外者が言うべきことではない。

 小杉健郎という個人の意志は、「ひので」観測チームに引き継がれるのだろう。

 写真は、今年9月23日、「ひので」打ち上げ成功記者会見にて。撮影:喜多充成

2007.11.27 13:00注記
 一部文章を不適当と判断して削除しました。経緯はコメント欄に書きました(松浦記)


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2006.11.21

M-V復活の夢に官報の軽さを知る

 11月15日付官報に宇宙開発計画が告示された。

官報(平成18年11月15日 号外第259号の12ページ)

 宇宙開発計画は年度毎に国が実施する宇宙開発事業を示した文書で、本来は年度初めにあわせて3月に告示されるものだが、宇宙三機関統合のあたりから、そのような官僚的折り目正しさはかなり変調を来している。

 1970年代から90年代末まで、約30年続いた、10年以上を見据えた長期ビジョン、5年計画である宇宙開発政策大綱、年度ごとの宇宙開発計画という政策策定の構図は、今や完全に崩壊している。

 今年は11月の告示か、と思って読んでいたら、以下の文言が目に付いた。

開発研究
第24 号科学衛星(PLANET−C )
第24 号科学衛星(PLANET−C )は、金星の雲層の下に隠された気象現象を金星周回軌道上から観測することを目的とした衛星であり、M−V ロケットにより打ち上げることを目標に開発研究を進める。

 さらに14ページには以下の記載があった。


2 .宇宙輸送
運用
M 系ロケット
M 系ロケットは、全段に固体推進薬を用いるロケットとし、科学衛星の打上げに利用するものとして開発を行ったものであり、特にM−Vロケットについては、引き続き科学衛星の打上げに使用する。

 驚いて宇宙開発委員会に問い合わせたところ、「間違いです」とのこと。M-Vロケットを最終的にどうするかが明確でない段階で文面を用意したものが、印刷の都合でそのまま流れてしまったという。

 M-Vの復活はない。

 同じ宇宙開発計画にはM-V7号機で打ち上げたSOLAR-Bを「ひので」と記載しているし、7号機打ち上げの時点でM-V廃止は決まっていたので、そのまま流れてしまった理由を鵜呑みにはできない。とはいえ、官報印刷の過程でなにかものすごく非合理なことをやっていても驚きはしないけれども。

 それ以上に私が感じ入ったのは、「官報を読んでいる人がいるんですね」という言葉だった。

 そうか、中央官庁においてそこまで官報は軽くなったか。

 官報は、国が何を行っているかを知らせる官制の新聞のようなものだ。かつては、国が日々なにを行っているかを知る唯一の手だてだった。私が記者として就職した20年前の時点で、すでにだいぶその位置づけは軽くなっていたけれども、それでも色々調べたものだ。いくつかの衛星の調達情報は官報で知ったものである。

 今やインターネットのおかげで、官報のようなメディアは事実上不要になったといっていいのだろうか。私に言い切る自信はないが、少なくとも宇宙分野では、官報は盲腸のような存在となっていることは間違いない。

…考えてみれば、長期ビジョン、政策大綱、宇宙開発計画というコンセンサスの積み上げは、官僚が宇宙開発をリードしていたからこそ必要だったのだな。内閣主導で宇宙開発を進めようとする宇宙基本法案が上程されようかという今、この構図がうやむやになって当然と言えるかも知れない。

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2006.11.19

一気に自転車の試乗をする

 18日の午後、東京ビッグサイトで開催されていた東京国際自転車展2006に行ってきた。

 会場は閑散としていた。というのも数年前からサイクルモード・インターナショナルという展示会がテレビ東京系の肝いりで開催されるようになり、こちらは高価な最新モデルが惜しげもなく試乗に出てくることが評判になって、お客が流れてしまったのだ。

 とはいえ、閑散としてしまったということは、私にとっては悪いことではない。私は最新のロードバイクにもBMXにも余り興味はない(試乗してみたいとは思うけれども)。むしろ中小メーカーの創意工夫と、なによりも現在は折り畳み車に興味の中心がある。
 来場者が減ったことで、東京国際自転車展は、待ち時間なしでどんどん試乗車に乗ることができる状況になっており、おかげでかなりの車種に試乗することができた。

 以下、自分なりに高評価だったり、興味深く感じたりした自転車について書いていく。

Bd1cpgraym  新型BD-1(写真は日本ディーラーのミズタニ自転車のHPから借用した):独R&Mの折り畳み自転車BD-1は、2006年モデルからフレームが変わった。それまでのアルミパイプを組み合わせた構造からおそらくはプレスで作った左右パーツを溶接するアルミモノコック構造になったのだ。

 これがびっくり。BD-1は全く違う自転車へと進化していた。旧BD-1はどこかハンドリングに落ち着きがなかったのだが、モノコックフレームの新型はどっしりと落ち着いたハンドリングと、ペダルを踏んだ力が逃げずにすべて推進力となる感触の、まるで良質のランドナーのような走りに変わっていた。
 旧BD-1は「これ一台だと日常きついな」と思わせるところがあったが、新型ならこれ一台で日常の買い物から輪行サイクリングまですべて満足できそうな気がする。

 物欲沸騰してしまった。が、旧モデルに比べるとぐっと値段が上がっているのが玉に瑕だ。確かにフレーム構造は高製造コストだろうと思わせるものだけれど。

Lgscm ・ルイガノLGS-CM:この自転車はどうやら台湾メーカーが開発してあちこちにOEM供給しているらしく、異なる名前で複数のブースに出店されていた。試乗にはルイガノとは違うメーカーから同型車が出ていた。

 8インチタイヤであるということを考えれば、予想以上によく走る。近所数kmの買い物だったら、十分ママチャリの代用を果たすだろう。値段を考えれば立派な設計だ。超小径車が欲しいならばこいつは買いだと思った。

 ただし、チェーン周りは汎用品ではなく、専用の目の細かいものを使っていた。長く愛用しようとするならば部品の供給がどうなっているかを確認したほうがいいかもしれない。もっとも、長く愛用する自転車と言うよりも楽しく寿命まで使い切るタイプなのかも知れない。

Komapsp2SmartcogKOMA(写真はSmartcogのHPから借用した):Smartdriveを組み込んだ2×3段変速のモデルに試乗した。超小径車とは思えないぐらいスピードが出て、よく走る。長距離サイクリングをものともしない熱狂的なファンがいることも理解できる。しかし、乗り味が私には今ひとつ堅いように思えた。うまくはいえないのだけれども、フレームが堅すぎるような感触がある。

 新BD-1や、次に書くANTとどこが違うのだろう。自転車フレームは単に剛性が高ければいいというものでもないようだ。

 また、この車種に限らず、超小径車はペダルを止めたときにすぐにスピードが落ちる。これはタイヤが小さく運動エネルギーを蓄積できないため。文句を言うべきことではなく、超小径車の特性と心得たほうがいい。

 次のANTのほうが、私としては高評価である。

Ant77300 ・同じくSmartcogのANT(写真はSmartcogのHPから借用した):同じSmartcogの製品なら、私はこちらを選ぶ。やたらと関節の多い折り畳み方法を採用しているので、フレーム剛性が低いのではないかと思っていたが、どうしてどうして。非常にフレームがしっかりしていてよく走る。走りは新型BD-1と同等と言って良い。

 12.5 kgとBD-1よりも2kg重いが、これはスタンドと折り畳み時に使うキャスターホイール、さらにはリアキャリア込み。これら3つを足すと、おそらくBD-1との差は1kg以下になるだろう。しかも凝った折り畳み機構を採用しているにもかかわらず、新BD-1より安い。

 折りたたんだ時の携行性はBD-1と比べてどうだろうか。気になるところ。薄く畳まれるので案外携行性も悪くないかも知れない。旧BD-1は畳むと意外と分厚くなり、改札の通過や、電車内のどこに置くかでかなり苦労した。
 輪行用自転車は単に軽いだけでは足りない。電車の中で他のお客さんの邪魔にならないような置き方ができるかも重要だ。これだけ薄く畳めると、案外邪魔にはならないのかも知れない。

 これは欲しいぞ…

 いや、だから物欲をたぎらせてどうするってば!

Mc1a3村山コーポレーションのMC-1A:アイデア満載の折り畳み自転車を開発している長野のベンチャーによる折り畳み自転車。折り畳み方は単純でフレームの真ん中で折り畳むだけ。ただし畳んだ状態で前輪と後輪が同軸になるので転がして押すことができる。試乗した感触は、旧BD-1とちょっと似ている。

 ハンドリングは素直だが、力が逃げずにがんがん走るフレームというわけではない。このあたり、自転車作りにおけるノウハウがなにかあるのではないかと思わせる。経験によってのみ手に入るノウハウが。

 重量9.6kgで価格もBD-1より安いので、自分なりにサイクリング用に仕上げるのには良い素材かも知れない。ブースでは村山社長自身が、自転車を押したり畳んだりでアピールしていた。こういう元気な会社には、是非とも伸びていって欲しいなと思う。

Nihonrobo日本ロボティクスのFR-16AL:販売はアーバン・ビークルという会社。ホームページはないようだ。日本ロボティクスは東京理科大学と協力して二輪駆動自転車を開発した会社。

 前後片持ちハブで、折りたたむとぴったりタイヤが合わさるのが特徴。この部分は有名なイギリスの折り畳み自転車ストライダと同じだ。また折りたたんだハンドルはハブと面一に収まる。

 シマノ製5段変速が付いて重量10.6kg。4万3800円というのは魅力的。

 ただしフレーム製造は中国に委託しているとのこと。試乗はできなかったが、中国製フレームとなるとなあ…いずれ項を改めて書くが、私は中国の溶接技術、特に低価格自転車のそれを信用していない。このモデルも溶接線がぼてっとしていた。

 今や世界の自転車生産は、台湾と中国が大勢を占めている。欧州設計の自転車もかなりの部分は台湾や中国で委託生産しているのが実情だ。が、私の見るところ台湾と中国ではまだ大きな技術格差がある。自分としては自分の命を預ける自転車には可能な限りメイドイン台湾を選びたい(A-Bikeはどうやら中国生産らしいのだが)。

Ys11バイク技術研究所YS-11:その昔YS-11旅客機に開発に参加したという技術者の方が起こしたベンチャーの折り畳み自転車。重量7.3kgは立派。あまり無理して軽量化したという雰囲気ではなく、各部は十分な強度を持っているように見えた。

 トレンクル7500やブリジストンのトランジット・スーパーライトと同じ位置付けということになるだろう。折り畳み方法は単純な二つ折りだが、ヒンジではなく、スライドパイプを使った前後の分離機構が斬新。

 ホームページでは初期ロット182台(実機のYS-11と合わせたそうだ)を税込み4万9350円で販売するとアナウンスしている。トレンクル7500やトランジット・スーパーライトが10万円近くすることを考えると、この値段なら大変なお買い得。そのうちに内装3段変速機を組んだモデルも出すそうだが、むしろ変速機なしで軽さを生かして使ってほしいとのことだった。

Ele14  この自転車はサンスター技研が電動ユニットを積んで売ることになっているそうだ。電動ユニットを付けて12.5kgとのこと。市販のあかつきには最軽量の電動自転車となる。

 変速機込みでこの重量の折り畳み自転車は別に珍しくもない。変速を諦めるかわりに電動ユニットを組み込み、電動アシストサイクルで輪行ツーリングというのも楽しいかも。うまく輪行用キャスターを装着することができれば、昨今はやりの中高年の定年後の趣味に売り込むことができるかも知れない。

 折り畳み式の輪行用電動サイクルという、新しい分野を創造するかもという点でかなり面白そうなモデルである。

Ele16in  14インチの折り畳み車そのものではないが、折り畳み機構を廃して16インチタイヤを装備したバージョンは試乗することができた。重量は12.6kgとのこと。

 非常にいい。フレーム自体も堅すぎず柔らかすぎず、きちんとペダルの力を受け止めてくれるし、サンスター技研の電動ユニットもけっこうパワフル。モーターを切ってもペダルが重くなるということもない。

 ごく普通の電動サイクルとしてもおすすめ。少なくとも大手メーカーのママチャリ電動化バージョンよりも、ずっと乗り心地がいい。

 このフレーム設計が14インチの折り畳み車にも生きているなら、走りもかなり期待していいかも知れない。

 その他にも色々試乗して、最後は汗だくになって会場を後にした。

 あれも欲しい、これも欲しい…だから物欲をたぎらせてどうするというのかってば!

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2006.11.16

小径車を夢見る

 A-Bikeに興味を持った理由はもう一つある。

 AZ-1に乗せられるサイズの自転車が欲しいなと思っているのだ。

 自転車と自動車を組み合わせ、どこか景色のいいところをゆったりと走ってみたいと思っているのだが、困ったことにAZ-1にはほとんど荷物を積む余裕がなく、通常の折り畳み自転車では積めないのだ。

 BD-1も積もうとしたのだけれど、ぎりぎり助手席に積めるかどうかと言うところで、しかも視界を遮るので、安全を考えると事実上積めないのも同然だった。

 色々調べてみたのだけれど、なかなか適当な自転車がない。値段に加えて価格やら走行性能やらを言い出すときりがない。

 調べてみたり、試乗してみたりの印象は以下の通り。楽天アフィリエイトを利用して、自転車の画像を表示させてみた。楽天で一番安い価格を提示しているショップへのリンクを掲載している。


 ご存知、パナソニックのトレンクル6500。重量6.5kgというのは現在国内の自転車店で購入可能な折り畳み自転車としては最軽量。しかも発売以降様々なショップがカスタマイズのノウハウを蓄積しており、変速器を組み込むことができる。
 東京の和田サイクルと、大阪の工房赤松が改造における東西の雄。ちなみに和田サイクルで、トレンクル6500にシマノの最高級コンポであるデュラエースの変速機を組み込むと車両価格込みで26万5000円になる。この状態で、8kg程度らしい。工房赤松の改造例はこちら
 改造トレンクルについてはイラストレーターの加藤直之氏のホームページに詳細が乗っている。1日100km以上のサイクリングもこなすことができるそうだ。
 問題は、この自転車に30万円近くをかけることができるかということ。また、ぎりぎりまで軽量化しているのでつかいにくい部分もあるらしい。

 BD-1と同じ、独R&MのBD-Frog。日本で販売しているモデルは内装3段変速だが、欧州では7段変速モデルも売っている。こちら東京のサイクルハウスしぶやが色々改造を手がけている。シマノのカプレオというコンポーネントに加え、フロント用変速機のSpeed Driveを組み込むと、鬼のようによく走る自転車になるそうだ。サイクルハウスしぶやの改造例はこちら
 ユーザーである米田裕さんのFrogBlogが、様々な情報を提供している。

 問題は体格の良いドイツ人に合わせて設計されているので、10.5kgと重いこと。そして変速機をいじるとやはり結構な値段になること。

 ブリジストンのHANDYBIKE-8。前2車に比べると2万円台と格段に安い。熱心なマニアが多く、これまた様々な改造例がネットにアップされている。中にはこの自転車で40kmサイクリングを行った猛者もいる。
 問題は、9.2kgとそれなりに重いことと、走りは今ひとつというところ。畳んだサイズは、タイヤのサイズから予想するより大きい。改造の冥府魔道に踏み込むにはちょうどいい素材かも知れない。


 スペイン生まれの8インチ小径車のゼロバイク。これまた値段はまあまあ安い。重量8.2kgはHANDYBIKEよりも軽い。チェーン2段掛けなので、HANDYBIKEよりはやや走る。ハンドルポストの剛性が低いといった問題点がいくつかあるのだそうで、自分で改造することが必須となる。


 ルイガノのLGS-CM。値段は4万円台とそこそこだが、走行性能はかなり良いらしい。おしゃれなデザインはポイントが高いし、重量8.4kgも立派。
 畳んだときのサイズはかなり小さいが、それでもAZ-1には乗るかどうかは微妙。

 KOMAについては楽天で扱っていないので、製造元にリンクする。

SmartcogのKOMA

 しっかりしたフレームを持ち、実によく走る小径車。3段変速を組み込んであることもポイント高い。これは乗ったことがあるが、感覚的にはほとんど普通の自転車と変わらなかった。2005年モデルがフレーム亀裂による事実上のリコールを出しているのをどう評価するか。10万円という価格に見合う価値があると思うか。9.8kgという重量をどう考えるか。このあたりが購入するか否かを分けるだろう。

 残念ながら畳んでもAZ-1には入りそうもない。


 こんなリストを作るあたり、私は買うた止めた音頭を踊っているわけだな。
 我ながら物欲がたぎっているな、とあきれてしまう。

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2006.11.15

A-Bikeに魅力を感じる

 ここ数ヶ月、A-Bikeという折り畳み自転車が気になっている。

Abike02
(この写真はA-Bike-shop.comから借用した)

 6インチの超小径タイヤを採用し、重量が5.5kg。開発者はパソコン黎明期に「シンクレアZX」を開発したサー・クライブ・シンクレア。日本でもマニアがそろそろ輸入し、乗り始めている。

なるほどれおなるど:いちはやく輸入し、使いまくっている人のblog。走っている動画像もあります。
ULTIMATED ZEROBIKE:同じく早速輸入したユーザーさんのページ。
A-bikeで行こう!:まだ買っていないけれども、情報を集めている人のblog
Frog Blog:ドイツ製小径折り畳み自転車BD-Forgユーザーとして、その筋では有名なイラストレーターの米田裕さんのblog。A-Bikeについても開発初期から取り上げている。

 mixi内の「超小径自転車コミュ」でも、スレッドが立って活発に情報交換が行われている。

mixiの超小径自転車コミュニティ:注)アクセスできるのはmixi会員のみです。

 発売当初はイギリスからの通信販売のみで、イギリスと日本の両方で消費税を取られて、送料込みで7万円ほどの価格だった。最近香港に通信販売用サーバーが立ち上がり、送料無料となったことで、4万円少々で入手可能になっている。

A-Bike-shop.com:香港にある販売サイト。11月15日現在の価格は4万480円。

 惹かれるのはその軽さだ。5.5kg(ページによっては5.7kgと書いているところもある)。これなら毎日持って歩いて使うことができるのではないか。

 かつては自転車の車輪を外して随分と電車に持ち込んで出かけたことがある(輪行[りんこう]という。サイクリングではよくやる形式)。また、BD-1をリカンベントに仕立てるにあたっては、しばらくBD-1を持ち歩いてサイクリングしたこともあった。
 やると分かるが、輪行は休日に「さあ出かけるぞ」と、自分を鼓舞して行う特別な行為だ。日常的にほいほいとできるものではない。

 まず自転車をばらすのがけっこう面倒で時間がかかる。BD-1のような折り畳み自転車を使って、自転車分解の手間を省くとしても、実のところ自転車は持ち歩くには少々重く、かさばる。
 BD-1は公称10.5kg。これは、自転車の中でも軽い部類に入る。そこら辺を走っているママチャリなら、15kgを下ることはないだろう。
 それでも、畳んで輪行用の袋に入れて、えいやと持ち上げるとかなり重い。しかもけっこうかさばるので、電車の中では他のお客さんに遠慮しなければならない。私は輪行では、よくグリーン車を利用し、最後尾の座席の後ろにできる空間に自転車を押し込んだものだ。

 とても毎日やろうという気にはならない。

 これが5.5kgとなるとどうだろう。

 思い出せば、20年前の新入社員時代、「どこでも原稿が書きたい」と言って、当時最新鋭の富士通製ワープロを持ち歩いて通勤していた先輩がいた。40文字×11行表示の広大なディスプレイ(!!)とプリンタがついた「OASYS」は、確か7kgあったはず。「慣れれば結構持って歩けるものだよ」と言っていた先輩は、通信こそしなかったものの、モバイル・コンピューティングにおける北京原人のような先駆者だった(あくまで例えだから、「北京原人と現生人類の関係は…」とかまじめに突っ込まないように!)。

 そう思うと、けっこうよさげではないか。

 もちろん、このA-Bikeは、みるからに走らなさそうな形をしている。自転車は平均で時速20kmを出すことができるが、いいとこ時速12km程度だろう。時速12kmで20分。4kmといったところが行動限界になると予想する。

 ここでGoogle Mapを見て、東京の主要駅から半径4kmを調べると、かなり色々な場所に行けることが分かる。私の場合、地下鉄に乗らずに、このA-Bikeを持ち歩けば、130日ほどで元が取れると言う計算になる。

 さて、このA-Bikeはどの程度使えるものなのだろうか。

 ここで勝手に適当な指標をでっちあげることにする。

(乗車人数×走る距離km×平均速度Km/h)/(乗り物の質量kg)

 要は人体に対してどれだけ小さな付加質量で、どれほどの移動性を生み出せるかという数字だ。

 通常の自転車は10kgとして、普通の人でもまあわりと気楽に20kmぐらいは走れる。時速20kmとして

 (1×20×20)/10=40

 一方A-Bikeは、質量5.5kg、時速12km、おまけして6kmぐらいは気楽に走れるとしよう。

 (1×6×12)/5.5=13.09

 ううむ、大分悪いな。

 都内を渋滞に捕まりつつ普通乗用車で1人で移動するとしよう。時速20kmでまあ20kmが限界か。でもって自動車質量は1500kgとする。

 (1×20×20)/1500=0.27

 この指標でいくと、渋滞がいかに効率を下げるかが見えるな。

 同じ距離を4人乗りだと1.06。これでも大分悪い。

 渋滞なしとすると、時速40kmで、100kmは楽勝だろう。すると

 (1×40×100)/1500=2.67

 ありゃ、これでも通常の自転車より遙かに悪いんだ。ちょっとこれは実感と違うな。

 そこで分母には車体重量の平方根を持ってくることにする。

すると

通常の自転車 126.5
A-Bike 30.7
渋滞時の自動車1名乗車 10.32
同普通道の自動車 100.32

 となる、だいたい実感とあっているようだ。

 調子に乗ってもっと計算してみる。

 高速道路を使う自動車ならどうか。1人乗り、平均時速80kmで500kmはいけるだろう。

 鍛えたサイクリストとロードレーサーの組み合わせ。1人乗り、時速30kmで200kmは行ける。車体も8kg程度のはず。

高速道自動車 1033
サイクリスト 2121

 うわ、この指標だと、高速道路を走る自動車よりも鍛えたサイクリストのほうが移動性が高いということになる。

 ちなみに市街地バスはどうか。定員70人、車体重量10t、平均時速30kmで30kmを移動する。
 電車は東海道線を考える。211系の15両編成で、1両定員が140人。車体重量はサハやらサロやらクモハで異なるがめのこで1両28tとする。移動距離は50km、時速は50km

バス 42
電車(東海道線) 8100

 市街地バスが意外と使えないことや、電車がやはり大量長距離輸送に向いていることがはっきり指標化できている。

 こんな数値は所詮はお遊び。大して意味があるわけではない。ともあれ、この計算では、A-Bikeが通常の自転車程度に使えると思えるためには重量が3.3kgを切らなければいけないという結果が出てくる。

 そう実感としては悪くないような気がするが、どうなんだろうか。

 買ってみなければ分からないといったところなんだろうか?


 実は、こうやって小さな折り畳み自転車にこだわる理由は、防災対策にある。東京で地震が発生すると相当数の帰宅困難者が発生するとされているが、もしも1人に1台の自転車があれば、帰宅困難という問題は相当に軽減する。時速12kmのA-Bikeだって、歩くよりも3倍も早く帰宅できるのだから。
 もちろん、路上に散乱するであろうガラスからタイヤのどう守るかという問題はあるのだけれども、それでも職場に1人1台の自転車を常備しておくというのでは、いざの時のための備えとして大違いなのではないかという気がするのだ。
 職場に人数分置くとなると、大きな自転車は現実的ではない。小さな折り畳み自転車が必須となる。

 A-Bikeは悪くない選択肢に思えるのだがどうだろうか。

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2006.11.13

携帯電話を代える

Mobilephone_1


 携帯電話を代えた。

 これまで10年以上、東京デジタルフォンで契約し、Jフォンになり、ボーダフォンに買収され、ソフトバンク携帯へ、と名前と資本が変わってもつきあってきたが、今回ナンバーポータビリティ制度が動き出したので、auに乗り換えた。

 最初の携帯は確か三菱電機製の端末で、厚手の食パン1枚の半分ぐらいの大きさがあった。これはかなり頑丈でバッテリー持ちも良かった。機能は通話オンリー。電話帳は登録できたものの、入力可能な文字はカタカナだけだった。

 携帯メールサービスが始まって、メールサービスを使いたくなって買い換えたのが、パイオニアのDP-212だった。全面ディスプレイでダイヤルボタンもタッチスクリーン表示というユニークな携帯で、とても気に入っていた。もっともこの時期は仮名漢字変換が貧弱で、とてもメールは使えたものではなかったのだけれども。

 Jフォンは嫌いではなかった。NTTドコモがユーザー急増をしのぐためハーフレートを採用し、音質が会話が成立しないほどに劣化した時も、Jフォンはきれいな音で通話できた。電話がつながりにくくなる人混みでも、比較的ユーザー数が少なかったので、きちんとつながった。つらかったのは、種子島と内之浦でのエリアが狭かったことだが、それも時間と共に使用可能区域が広がっていった。

 気に入っていたDP-212だが、3年ほど使った後に、表示が乱れるという故障を起こした。修理するよりも新しいのを、と考えて端末を更新した。軽く小さく、安いものをとだけ考えたので、どの機種かすら覚えていない。メールは初めから使うつもりはなかった。
 この機種をポケットに入れたまま洗濯機で洗ってしまい、あわてて端末を更新したのは、2002年9月のH-IIAロケット3号機打ち上げの直前だった。パナソニックの携帯だが、これまた「通話ができればいい。一番安い奴」で入手したものだった。思い入れがなかったので型式など覚えていない。初めて手ににれたカメラ付き携帯だったが、画質はとても使えたものではなかった。

 #2006,11.14追記:J-P51だった。

 パナソニック君を、またも洗濯機で洗っておしゃかにしたのは、確か2004年の春のこと。次の端末は、Jフォンショップで0円で入手した東芝の「KOTO」だった。これは、手に良くなじむデザインと、使いやすいユーザーインタフェースが秀逸な傑作だった。この携帯から、遅ればせながら私は内蔵電話帳を本格的に使い始めた。それまでは、相手の名前を漢字で入力するのがひどく面倒だったので、電話帳への登録をほとんどしていなかったのだった。

 携帯電話は端末販売にインセンティブが出ており、そのコストを通話料で回収するシステムになっている。これ以降、結果的にではあるが、端末を金を払って買う必要なしというのが私のポリシーとなった。

 2005年7月、M-V6号機打ち上げを見られずに、内之浦から帰還してきた私は、またも携帯を洗濯してしまった。3連続で携帯を水洗いしてしまった私は、端末に金を払う気を完全になくしていた。ボーダフォンショップに出かけていった私は、「0円の端末を」と要求した。
 なじみ深い第2世代携帯、PDC方式の携帯端末は、ただ1機種になっており、しかも有料だった。種子島や内之浦での通話に不安を感じつつ、私は第3世代携帯に乗り換えた。

 ここからが愚痴になる。

 乗り換えた日本電気製の端末802Nは、おそらくは不人気で余っていたからこそ0円だったのだろう。とんでもない駄作だった。必要な機能はメニューの階層深くに隠されており、どうでもいい機能はボタン一つでアクセスできた。しかも、ユーザーインタフェースには、およそ一貫性というものがなく、いらいらさせられた。

 ボーダフォンの第3世代携帯も、使いにくかった。PDCと比べて音が良くなったというわけでもないのに通話は不安定で、よく切れた。通話には微妙な時間遅れがあり、しかも突発的に時間遅れが拡大することもあって、会話をするのにもストレスがあった。もちろん、種子島と内之浦の通話エリアは狭かった。

 ナンバー・ポータビリティ制度がスタートすることは知っていたので、「それまでの辛抱だ」と思い、使い続けた。

 新しい端末はサンヨー製のW42SA。ちょっと使ってみたが、これまで形落ちの0円携帯を遍歴してきた身には、最新携帯の使い心地は天国である。これもまた、ナンバーポータビリティ制度開始のサービス合戦で0円。その代わりあれこれ契約に条件を付けられたが。

 さあ、洗濯機にかけないようにしないといけない。


 写真は、私に忍耐と人生を教えてくれた802N(左)と、新しいW42SA(右)


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2006.11.12

エセ科学「水からの伝言」への注意を喚起する

「水からの伝言」を信じないでください

 物理学者の田崎晴明氏(学習院大学)が、上記のページを公開した。

 科学教育という面でも、世間におけるエセ科学の蔓延を食い止めるという意味でも極めて重要なページだと思うのでリンクする。

 水は確かに生命にとって重要な物質であり、しかも他にない特異な物性を示す。しかし、「水が人間の思念に反応して美しく結晶する」という主張は、科学的方法論の示す真理と、人間の感性が掬い上げる審美的な意味での美とを意図的に混同した嘘でしかない。

 嘘を世間に流布するのはいけないことだ。小学生にも分かる話。

 各種検索エンジンで「水からの伝言」を検索した時に、上記ページが上位に来るように、出来る限り多くの人が、上記ページにリンクしてくれればと願う。


————————————


 それでも「水からの伝言」を信じたい人には、以下の事実を指摘しておくことにしよう。

 「水からの伝言」を主張する江本勝氏は、アイ・エイチ・エムという会社を経営している。

 このページを見ると、この会社は波動測定器「HADO R」という計測機器を開発していることがわかる。詳しいページは工事中ということになっている。

 ところが、同じアイ・エイチ・エムの販売ページには、この「HADO R」の詳細が掲載されている。

 波動測定器HADO“R”


 そこにはこんなことが書いてある。


 HADO“R”は、世界のさまざまな「エネルギー測定器」事情を調査し、欧米で注目されている代替医療、その筆頭のホメオパシー医療の歴史についての研究を進め、足掛け4年の開発期間をかけて創り上げた国産型波動測定器です。特に200年もの歴史を持つホメオパシーとの関係性を考慮し、波動発生回路部を“電磁ホメオパシー”として位置付けています。また、HADO“R”のセンス回路にはこれまで日本で紹介されているプローブ型の感知システムとは別の、磁界吸収感知型のハンドプレートを採用しています。これによりオペレーター(測定者)を増幅器として使う必要がなく、より客観的な測定が実現できるようになりました。

 であり、

・1688コードが収められている「コードBOOK」から転写項目を選択し、さまざまな波動情報水をつくることができます。 ・症状、病名、身体組織、そして100を超える心理面に関する波動コードにより、それぞれにおける被験者の波動適応力を分析できます(波動セラピーの項参照)。 ・ハンドプレート上に健康食品・化粧品その他を同時にのせて、被験者との波動の相性が計測できます。 ・心理面の分析! 100コード以上からなる心理面関連コードを駆使した、こころとからだの関係を分析できる点が最大の特長です。

という。

 色々突っ込みどころ満載なのはさておいて。

 測定とは物理的な変化を計測することであり、波動を測定するというならば、波動というものが物理的世界のどのような物理量に変化を与えるかが明らかになっている必要がある。

 ところが最後まで読んでも、この「HADO R」が具体的にどのような物理量を測定しているのははっきりしない。測定器と言いつつ何を測定しているか不明というわけ。

 ここで注目すべきは以下の記述だ。

波動測定器 HADO“R”

本体価格  ¥1,890,000 (税込)
研修費用 別途(半年間プログラム 735,000円(税込)〜)
研修場所に付きましては、お問い合わせください


 「水からの伝言」の提唱者である江本勝氏は、どのような物理量を測定しているかはっきりしないカッコ付きの“測定器”を、189万円で販売し、さらに半年の研修費用として73万5000円を徴収しようとしているわけだ。

 189万円73万5000円

 さて、そのようなことをする人物による「水からの伝言」という主張は、常識で判断して信ずるに足るだろうか。

 少なくとも私は信用しない。

追記:「水への伝言に一言いいたいけれど、自分が張ったリンクでアイ・エイチ・エムのページランクが上がるってのもなあ」と思う方に。
 Googleの場合、リンクのタグ中に「rel="nofollow"」と入れておくと、そのリンクはページランクにカウントされない。

米Google、リンク属性を利用したコメントスパム対策機能(Internet Watch、2005年1月19日)。

 トラックバックを張ってくれたWeb屋のネタ帳さんからの情報だ。どうも有用な情報をありがとうございます。
[2006.11.13記]

 水について本当のところを知りたい人は、「水から伝言」などではなく、この本を読もう。北海道大学で長年氷雪の研究に従事してきた研究者による、氷と水に関する一般解説書だ。
 「圧力や温度によって14種類もの異なる構造を持つ氷が存在する」、あるいは「氷も焼結する」など、氷が常識で思いも寄らない性質を持っていることが次々と説明されるのは楽しい。
 最終章では「ボイジャー」などの惑星探査機が木星や土星の衛星で見つけた氷と、その振る舞いについての新しい知見がまとめてある。

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2006.11.11

名優の死から出世を考える

 名優ジャック・パランス死去の報を聞く。享年87歳。

J・パランス氏が死去=悪役で鳴らす: Yahooニュース

 私のお気に入り俳優の一人だった。いかつい顔にアクの強い演技がなんとも好きだった。訃報では、やはりというべきか、「シェーン」でのちらっと見るのすら怖いような敵役が取り上げられている。

 が、私にとっての一番は「攻撃」(1956年、ロバート・アルドリッチ監督)だ。

 J・パランス演じる小隊長は、アホタレ中隊長の下手くそ戦闘指揮で、部隊が全滅してしまう。ところがアホ中隊長はええところのボンボンで、誰も責任を追及しようとしない。死んだ部下に復讐を誓い、小隊長は上官を殺すべく最前線から司令部へと向かう——とまあ、全編怒りと執念とがぎとぎとに輝いている素晴らしい映画である。復讐鬼と化した小隊長を演ずるパランスは、まさにはまり役。生身で戦車と戦い、「神よ、力を」と唱えつつターミネーターのごとくきりきりと迫る様は、実に見応えがあった。

 フィルモグラフィを見ると、ごく最近まで元気に映画に出演していたのだな。シェーンで共演したアラン・ラッドはその後鳴かず飛ばずだったことを考えると、幸せな人生だったのだろう。合掌。

 話変わって。

 過去、記者会見で「この人ってダメな人じゃないか」と壇上の人物をまじまじと観察することが何度もあった。
 もう書いてもいいだろうから書くけれども、1990年代前半、ソニーに押されっぱなしだった頃の松下グループなどは、時折「こんな人が偉くなっていていいの?」と記者としていいたくなるような人物が記者会見に出てきたりしたものだ。その後の松下の盛り返しを見ると、困ったちゃんは一掃されたのだろう。とてもいいことだ。

 実際、アホタレが偉くなると周りは大きな迷惑を被る。これが天下りで転がり込んできた人物ともなると、下々のやる気もなくさせるわけで、一石二鳥の反対ということになる。
 自分の能力の限界を自覚して、自重してくればまだしも、困った人は往々にして「俺って優秀」と錯覚しているので、やらんでもいいことをして傷口を広げるということまでする。おお、一石三鳥の逆だ。

 憎まれっ子世にはばかるというのは真理であり、世の中にはこんな困った天下りにすり寄るスネ夫体質な人もいたりする。

 そして、多くの場合、困った天下りちゃんは「俺って優秀」という錯覚のまま、多額の退職金を受け取って退職していくのだ。後には「割り増し払っても良いからもっと早くいなくなって欲しかった」という嘆きが残る。

 ちなみに、某官庁から某独立行政法人幹部へ天下りしたケースの話。
 私は霞が関現役から、その天下り氏の官庁時代の愚行をあれこれ聞いた上、「彼を批判する記事を書くなら全面支援します」と言われたことがある。つまり役所でも厄介者扱いだった人材が、何を間違ったか人事ローテーションの関係でうかうかとおいしく天下ってしまったわけ。

 もちろん「全面支援します」というのは冗談だったのだろうけれども、世の中にはこれぐらい壮絶な事例も存在するのでありますな。

 ともあれ、人のことを言えた義理ではない。フリーの場合、厄介者のフリーランスは自然と淘汰されるのが、周囲にとっても本人にとっても救いでもある。願わくば自分も、ダメになったならば周囲に迷惑をかけることなく、さっさと淘汰されんことを願う(今すでにダメだって?)。

 ここで思い立って、久し振りにショスタコーヴィチの交響曲13番「バビ・ヤール」(1962)をかける。ソ連の反体制詩人エフトゥシェンコの詩に曲を付けた、交響曲というよりもカンタータと言うべき作品。
 第一楽章が、第二次世界大戦中のソ連におけるユダヤ人殺戮を扱った詩であるため、発表当時は、西側でウケが良かった。

 なぜこの曲を思い出したかといえば、フィナーレである第5楽章が、「出世」というタイトルなのだ。

 司祭達はガリレオを
 悪しき愚者と決めつけた
 しかし時が明らかにする
 愚者こそ賢者

と、歌い始め、

 私は出世しないことを
 私の出世とする

で締めくくる、それなりに感動的な詩なのだけれど、ショスタコーヴィチは、ここに、見事なまでに気合いの抜けたへなへなの音楽を付けているのだ。

 楽章冒頭のフルートの旋律からして、「へ〜なへな、へなへなへなへ〜、へ〜なへ〜な、へ〜な〜へなへ〜」と読み解けるほど力が抜けていて、聞くほどに脱力させられる。

 この直前の1961年、ショスタコーヴィチは彼の人生で最悪の駄作である「交響曲12番」を書いている。作曲家として全く不調だったらしい。
 彼が感動したらしき詩の作者であるエフトゥシェンコがその後微妙に体制側へ日和ったことやら、ショスタコーヴィチのひねくりねじ曲がった性格と根性から考えると、「出世」における詩と音楽の乖離もまた、彼が何かを意図した結果なのかもしれない(と、深読みが過ぎると、ショスタコーヴィチの術中にはまるのだ)。

 バビ・ヤール以降、ショスタコーヴィチの不調は1965年ぐらいまで続く(人によっては1964年のオーケストラ伴奏歌曲の「ステパン・ラージンの処刑」をほめるけれど、私は未聴)。

 そして1966年の弦楽四重奏曲11番あたりから、彼は前人未踏のど真っ暗な「黒の音楽」の世界へと突入していくのである。

 ちょっと高いが、ちゃんと「攻撃」のDVDは出ている。鬼瓦のごときジャック・パランスがすさまじい形相で汗と涙をまき散らし、戦車と対決するシーンは必見。そういった物見高さを別にしても、戦争、ひいては組織というものの不条理さを描いた映画としてとても面白い。この映画の撮影にあたって、米国防総省は「反戦的である」と協力を拒否したそうだ。そりゃそうだよな、なにしろ上官に復讐するという話なのだから。

 一応リンクしておくけれども決して薦めません。世評は高い曲だけれども、私としては交響曲12番に続く彼の駄作だと思う。

 どうせ後期ショスタコーヴィチの交響曲を聴くなら、14番と最後の15番にしよう。14番「死の歌」はその題の通り、古今東西の死を題材とした詩を2人のソロが切々と歌い上げるど真っ暗な曲。ロシア的な深い情念と共産主義が導く即物主義が合体すると、かくも身も蓋もない絶望が吹き出すのかと思わせる。しかし音楽の密度は鋼のごとくであり、聴き応えあり。
 交響曲15番は、絶望の暗黒を突き抜けて彼岸にいっちゃった曲。もはやこの世のものとは思えぬ音達が、向こう側でのびやかに踊っている。ここで推薦したCDでは、オーマンディの軽やかな演奏が、なんとも恐ろしく、同時に快感。

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2006.11.09

「ひので」が見た水星の太陽面通過

 本日朝、水星の太陽面通過があった。

水星の太陽面通過:国立天文台の解説ページ

 で、これだ!

「ひので」衛星が見た「水星の太陽面通過」

 素晴らしい!あまりに素晴らしい!!

 水星だぜ。水星なんだぜ。あの黒い丸のふちのぎざぎざは水星の地形なんだぜ。灼熱の赤道と極寒の両極を持つ奇妙な惑星が、太陽の前をじりじりと通過していってるんだぜ。それをぼくらの宇宙太陽望遠鏡が見ているんだぜ。

太陽観測衛星「ひので」(SOLAR-B)

 学術観測のために必要な性能を追求した「ひので」は、これほどまでに美しい映像を撮影する能力があるのだ。

 人生の楽しみの一つに、間違いなく「未だかつて見たことがない風景を見る」というのがある。実際、私にとって科学は、素晴らしい画像を見せてくれる万華鏡でもある。

 こういう画像を見ると、しみじみ「生きていてよかったなあ」と思う。そして次の見知らぬ画像に思いをはせるのだ。

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2006.11.01

Firefox2.0がリリースされる

 オープンソースで開発されているWebブラウザ「Firefox」(ファイアフォックス)が2.0にバージョンアップした。

Mozilla Japan Firefox:ここからダウンロードできる。

 早速ダウンロード。

 おお、表示が軽くなっている。さくさく動くぞ。

 マイクロソフト流というかジャストシステム流というか、の、バージョンアップの度に動作が重くなって要らない機能ばかりが増える、というのと全く正反対のバージョンアップだ。

 Webブラウザーの世界は、最初「Netscape」がリードしたものの、マイクロソフトが「Internet Explorer」のバージョン4.0で、強烈かつ強引かつ因業に巻き返し、「IEにあらずばブラウザにあらず」という状況を作り上げた。窮したNetscapeは、ついにオープンソース化を決断し、Mozillaプロジェクトが始まった。ブラウザーのFirefoxとメーラーのThunderbirdは、Mozillaプロジェクトの成果だ。

 Mozillaプロジェクトが立ち上がった時には、ここまで来るとは思わなかった。私は日本におけるネスケオープンソース化の記者会見に出席していたが、あの時、記者仲間でも、「これほど大規模なオープンソース開発は成立しないのでは」という意見が強かったものだ。
 実際Mozilla1.0が出るまでは、茨の道だったし、本当の意味で軌道に乗ったのはFirefoxとThunderbirdの1.0をリリースしてからだろう。

 これだけしっかりしたブラウザが、オープンソースで存在するのは心強いことだと思う。ソースコードが開示されているので、何があっても誰かが開発を継続してくれるだろうというのは、大変な安心感がある。

 圧倒的なシェアの上でしばらく惰眠を決め込んでいたマイクロソフトも、Firefoxに刺激されたのかIE7.0をリリースした。
 それでも私としてはFirefox、あるいはその他IE以外のブラウザーのシェアが増えてくれればと願う。IEによる独占状態はモノカルチャーの農作物栽培のようなもので、決して健全ではないし、ウィルスなどの外的変動に強靱でもない。

 IEがなくなれ、とは言わない。しかし、そのシェアはもっと下がったほうがブラウザというソフトにとっては健全だ。

 Firefoxを使え、とは書かない。ハードディスクの容量に余裕があるならば、ダウンロードして、試しに使ってみてもらいたいな、と思う。


 以下余談だが、私自身がMacOSX+Firefoxユーザーということもあり、「Windows、IEのみ」というサービスは、そろそろなしにしてほしいなと思っている。具体的に言えばGyao。広告で収入を得る無料ストリーミングなのだから、もっとオープンなプラットホームを使ったほうが収益も上がると思うのだけれど。
 著作権管理の仕組みで、どうしても「Windows、IEのみ」にしなければならないのだろうか。疑問。

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