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2008.04.25

宣伝:5月2日金曜日、ロフトプラスワンのイベントに出演します

 このゴールデンウィークは、小型で機動的な宇宙開発を目指す、北海道のカムイロケット、その中心人物である永田教授をお迎えして、その現状と未来像、そして例によって——なんといってもロフトプラスワンですから——あんなこんな話を語ってもらう…予定です。


Naked→PLUS ONE→Loft A→GWトライアングル/宇宙作家クラブpresents
「カムイロケットまつり!」〜人気シリーズ「ロケットまつり」に「CAMUI(カムイ)ロケット」開発者が登場!〜
CAMUIロケットとは、北海道大学や北海道内の民間企業、国ではなく民間主体に開発がすすめられているハイブリッドロケット。そのCAMUIロケットにはどんな道のりがあったのか、開発の中心人物の一人・永田晴紀教授をお呼びして伺う。

【出演】永田晴紀(北海道大学教授)
【聞き手】松浦晋也(ノンフィクション・ライター)、浅利義遠(漫画家)、笹本祐一(作家)

5月2日金曜日
Open18:30/Start19:30
¥1500(飲食別)
当日券のみ

場所:ロフトプラスワン(新宿区歌舞伎町1-14-7林ビルB2 03-3205-6864、地図)

 カムイスペースワークスの記事を見て心配して下さった方々、どうもありがとうございます。連絡に齟齬があったのですが、すでに解消しました。当日は間違いなく永田先生においで頂けます。

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宣伝:4月28日月曜日、ロフトプラスワンのイベントに出演します

 「やりましょうか」というプロデューサー斎藤さんの一言で決まりました。

 先般、地球を離れて旅立ったA・C・クラークについて、百戦錬磨のSF成分全開の面子が語り倒します。多分私は聴き手に回ることになるでしょう。

宇宙作家クラブpresents
「アーサー・C・クラークを語る」
『2001年宇宙の旅』など数多くの作品で知られ、2008年3月19日に多くの人に惜しまれながら永眠したSF作家の巨匠、アーサー・C・クラークを追悼し、その多大な偉業を振り返る。

【出演】江藤巌(航空宇宙評論家)、金子隆一(サイエンス・ライター)、鹿野司(サイエンス・ライター)、松浦晋也(ノンフィクション・ライター)、他

4月28日月曜日
Open 18:30 /Start 19:30
¥1000(飲食別)当日券のみ

場所:ロフトプラスワン(新宿区歌舞伎町1-14-7林ビルB2 03-3205-6864、地図)

参考記事:いずれ星の世界へ

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2008.04.24

書籍紹介:「中国動漫新人類」

 書評仕事で回ってきた本なのだけれども。あまりに面白かったのでここでも紹介する。中国における日本アニメ需要に実態を追った——だけの本と思っていたら、とんでもない。中国人のメンタリティの部分にまで降りていった本格的な分析書だった。

 テレビアニメというサブカルチャーが予想以上に大きな影響を中国の若年層に与え、それは権力構造を揺るがすまでになっているという内容だ。

 まず中国の大学生に対するフィールドワーク。男女問わず、ドラゴンボール、スラムダンク、セーラームーンなど、広範囲の日本漫画とアニメが若年層に巨大な影響を与えているのだという。

 続いて中国に置ける日本アニメ受容の歴史だ。最初は1981年の鉄腕アトム放映で、その後大量に放送されるようになる。ビデオCDによる海賊版、漫画本も海賊版が安く大量に出回るようになった。

 ターニングポイントは、1989年の天安門事件だった。中国指導部は、彼らからすればはっきりと思想性を読み取れるハリウッド映画を警戒しきびしく検閲するようになった。その一方で、開放経済政策で、国民に誰もが豊かになれる幻想を抱かせ、治安を維持しようとする。その中で、日本の漫画、アニメは「人畜無害」「この程度の子供だましに人民がうつつをぬかしてくれれば、好都合」ということで放置、黙認された。

 ところが中国政府は、例えば手塚治虫が鉄腕アトムに込めた深い思想を見過ごしていた。そう著者は指摘する。

 中国の子供達にとって「努力、友情、勝利」も「恋愛」も「自由」も、日本のアニメ、漫画の中で光り輝いているものだった。中国の若年層は、日本のアニメや漫画を通じて、民主主義を体感として学ぶことになった。

 同時に著者は海賊版の存在を積極的に評価する。海賊版が安く出回ることで、中国人民は貧困層にいたるまでが等しく日本のアニメ・漫画に触れることになった。海賊版のおかげで日本のコンテンツは中国で巨大な影響を持つことになった。

 同時に、安価な海賊版を買うことで、子供達は「自分がお金を出して自分の漫画、自分のアニメを買う」「自分で好きなものを選び取る」という資本主義の基礎を体で学んでいった。

 その一方で、著作権を厳しく管理したアメリカのコンテンツは、それ故に中国市場での影響力を失った。

 海賊版というのは、つまりヒットソングにおけるラジオでのへヴィ・ローテーションのような役割を果たしたということだ。

 話は江沢民による反日教育にも及ぶ。今の若い世代は反日教育で育っている。その一方で、日本アニメ・漫画は生活に浸透しており、彼らは2つのスタンダードを使い分けている。アニメもマンガも好き、でも日本の首相が靖国に参拝するのは許せない、というように。

 1989年の天安門事件以前、毛沢東から四人組に至るまでで中国社会のたがを締め付けていたのは「革命」だった。「反革命的」と烙印を押されると、それは社会的な、そしてかなりの場合、身体的な死をも意味した。こうなると人々はこぞって革命に奉仕する姿勢をみせ、他人を反革命的と告発することで自分は死から逃れようとする。それが中国政府への忠誠となり社会秩序をもたらした。

 天安門事件以降、毛沢東は死に四人組は失脚し、開放経済体制も始まっており、もはや「革命」はキーワードになり得なかった。その状況で社会を締め付けるために選ばれたキーワードが「反日」だった。根底には「抗日戦争を戦いぬいた共産党」という自己認識がある。このため中国人にとって「反日」は、共産党への忠誠と同義となる傾向があるのだという。

 今や中国政府は自らが行ってきた反日政策に縛られている。経済的には日本とうまくやらねばならない。しかし国民は反日教育の成果で、日本との宥和的政策を許さない。

 著者は今後、日本は戦略的に中国の若者を日本に招いて、漫画やアニメの分野での交流を進めるべきだと提言する。それもネットなどで反日的な活動をしている者こそを積極的に招くべきだ、と。反日青年達も、日本の漫画やアニメで育っているのだから、そこに理解の糸口がある。

——ううむ、なるほど。

 ただし調べてみると東京国際アニメフェア「中国アニメ産業事情」レポートという記事も出てくる。状況は急速に変化しつつあるようだ。何をするにしても「慎重に急ぐ」という難しい舵取りが必要になるようではある。

 著者の遠藤誉氏(筑波大学名誉教授)の略歴を見てびっくり。1941年に中国の長春(当時の新京、満州国の首都)に生まれ、帰国は1953年。
 長春に立てこもった国民党軍を共産党軍が包囲して長春市民に30万人の死者がでた、1948年の長春包囲戦を7歳にして生き延びた人だった。その体験を綴った「卡子(チャーズ) 出口なき大地 1948年満洲の夜と霧 」という著書(1984年読売新聞社刊、残念ながら絶版中)もある。

 こういう人が、サブカルチャーの領域で中国研究をやっているのか。すごい…これは「卡子(チャーズ)」も読まなくては。


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2008.04.23

新型インフルエンザ、4月中旬のまとめ

 例によって鳥及び新型インフルエンザ海外直近情報集による、4月中旬の世界の状況のまとめだ。

 他人様のまとめた情報をさらにまとめているだけなので気が引けるのだけれども、同ページをきちんと読み込む時間のない人もいるだろうと思うので。
 より詳細な情報はオリジナルに当たってほしい。


 同ページが冒頭に掲げているパンデミック発生危険度を30%から33%に引き揚げた。韓国、ロシアなどでの家禽の間での鳥インフルエンザ流行発生に対応したもの。


●韓国の鳥飼育施設で発生した鳥インフルエンザが、あちこちに飛び火している。22日の時点で、鳥インフルエンザ発生の疑いがある事例は49件、うち26件が鳥インフルエンザと確認されている。23日には家禽処分に参加した兵士の一人がH5N1ウイルスに感染していたことが確認された。

 韓国での感染拡大には、流通業者が感染が発生した農場からカモを不法に持ち出して販売したことが影響しているという報道が出ている。流通業者が鳥インフルエンザに対する知識を十分に持っておらず、その危険性を低くみてしまったのだろうか。「大したことないから売り抜けてしまえ」というように。

 逆説的に「知識のワクチン」の重要性が示されたように思う。皆が鳥インフルエンザ、ひいては新型インフルエンザに対する正しい知識をもつことが非常に重要なのだ。

 韓国のみならずロシアのウラジオストック近郊でも鳥インフルエンザの発生が確認された。過去の事例では、韓国で鳥インフルエンザが発生した後で、日本の養鶏場でも鳥インフルエンザが発生している。

 人に感染することがまれな鳥インフルエンザの感染拡大が、なぜ危険なのかといえば、それによりウイルスが増殖する機会が増えるためだ。ウイルスは増殖のたびにランダムな突然変異を起こす。増殖の機会が増えるということは突然変異の試行錯誤回数も増えるということであり、人から人への感染を起こす新型インフルエンザが出現する確率も高まるのである。


●人への感染が続いているインドネシアは、相変わらずWHO及びアメリカに対して敵対的な態度を取っている。過去の感染でアメリカがかなり強引な手法でウイルスサンプルを持ち出したことから、インドネシアは態度を硬化させた。自分たちが提出したサンプルで助かるのはアメリカをはじめとした先進国であって、自分たちに恩恵が来ないではないか、ということだ。三者は話し合いを続けているが、まだ解決の糸口は見えてこない。

 この件についてはインドネシアの現地メディアの報道をまとめているBerita Flu Burung (インドネシア 鳥インフルエンザ情報)でも取り上げられている。
 インドネシアでは大きな問題になっているのに、日本ではほとんど報道されていない。どうした?新聞各社のジャカルタ支局!!

 インドネシアのシティ・ファディラー・スパリ保健相は、そのシステムは不公平であり、変えるべきだと主張する。パンデミックが起きた場合、インドネシアの鳥インフル標本から作られたワクチンは、インドネシアの国民に手の届く範囲にない、高価すぎるし、裕福な国々によって操作されているからと、彼女は主張している。

 ワクチン製造にはウイルスのサンプルが必須である。もしもインドネシアで新型インフルエンザが発生し、同国政府がサンプル提出を拒めば、それだけパンデミック時のワクチン製造が遅れることになる。しかし、発生国に優先的にワクチンを供給する国際的な枠組みは、まだ存在しない。


●日本では、備蓄しているプレパンデミック・ワクチンの一部を、医療従事者や検疫担当者など約6000人に事前接種する方針が出た。また、今年度はプレパンデミック・ワクチンを1000万人分積みまして合計3000万人分を備蓄する。

 事前接種はいいのだけれど、接種者数が増えれば少数ながら強い副作用が出る人がおそらくは発生するだろう。そのあたりのリスク・コミュニケーションはどうなっているのだろう。きちんと情報は共有されているのか。
 アメリカの過去の例では、1976年にパンデミックを恐れて事前接種したワクチンで、運動神経が冒されるギラン・バレー症候群となってしまった例が存在する。

 そしてなによりも、いざパンデミックが発生した時に、数日オーダーで一気に接種する体制の整備はどうなっているのだろう。現在の大型ボトルによる備蓄では、接種開始までに数週間の時間が必要になる。ワクチンをアンプルに詰めて末端に配布する必要があるためだ。

 事前接種もさりながら、ひとたびパンデミックが発生したときに急速に接種を行う体制を整備するほうが先決ではないのだろうか。致死率の高い新型インフルエンザのパンデミックが起きてしまえば、副作用のリスクは許容範囲となる。しかし発生前の現在、副作用リスクを許容すべきかどうかは、きちんと考えねばならない事柄だ。

 そしてなによりも3000万人分では足りない。狭い国土に1億2800万人が暮らす日本なのだから、全国民分のプレパンデミック・ワクチンを備蓄し、パンデミック発生時に数日で接種を行える体制を整えることが重要なはずだと思う。


●その一方で、ワクチン研究は急速に進んでいる。アメリカのパーデュー大学の研究グループが、通常の風邪を引き起こすアデノウイルスにH5N1ウイルスの遺伝子を組み込むという手法で、幅広いH5N1亜種に効くワクチンを製造することに成功した。マウスと鳥の実験では、接種後1年以上、免疫が持続したという。アデノウイルスは取り扱いが容易で、ワクチンの大量製造も可能だ。
 プレパンデミック・ワクチンと、新型インフルエンザ発生後に製造するパンデミック・ワクチンの両方に有効な、有望な手法ではないかと思う。もちろん人に適用するにはまだまだ様々なハードルが存在するわけだけれども。

 気になるのはこの手法にも当然特許が発生するだろうということ。事前にパンデミック時の特許の扱いを国際的に協議して決めておかないと、助かる方法があるのに特許によって使えないということだって考えられる。

 特許の問題は、タミフルなど抗ウイルス剤の製造でも存在する。何らかの形で特許の一時棚上げと、その後の特許保持者への適正な利益配分を考えなければならないはずだ。特許保持者にしても、新型インフルエンザで世界経済が大混乱に陥れば、本来得るべき特許収入を得られないということになるのだから。

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2008.04.19

“神環境”が見せる未来

 ああ、やってしまったか。

「アナログ放送終わります」テレビ画面に常時字幕へ(asahi.com)

 2011年に予定される地上波テレビのアナログ放送停止を控え、今夏からテレビ画面に「アナログ」という共通の文字スーパーが流される。地上デジタル放送(地デジ)への完全移行をPRする。NHKや民放各社は完全移行3年前となる今年7月24日から始める方向で調整している。

 現在、地デジ受信機の世帯普及率は約28%にとどまっているため、アナログ停波の認知度を高める狙い。

 商品に魅力があれば、後は値段との兼ね合いで自ずと普及する。地上デジタル放送の普及が遅れているのは、商品としての魅力に欠けるという一点に尽きる。アナログ時代に構築した放送利権を維持するために、訴求力に欠けるシステムを組んだところに最初のボタンの掛け違いが存在するわけで、それが小手先の対策でどうなるわけでもない。

 テレビを見なくとも必要な情報を手に入れる環境はすでにできている。こんなことをしていると、先行き何が起きるかは明白だと思うのだけれど。

ここから今日の本題。

 先日、面白いものを教えて貰った。Windows Mobile用のWMWifiRouterというソフトだ。Windows Mobileを採用するスマートフォン、それも無線LAN機能を搭載する機種でこのソフトを走らせると、そのスマートフォンを無線LANルーターとして使うことができる。

 例えば、イーモバイルのEM ONEでこのソフトを走らせて、カバンの中かポケットにでも入れておけば、自分が最大7.2Mbpsの無線LANスポットを持ち歩いているのと同じになる。

 どういうことか。例えばiPod Touchのような端末をいつでもどこでも無線LANでネット接続できるようになるわけだ。「いつでもどこでもネット」という環境を、Windows Mobileのどうしようもないユーザー・インタフェースではなく、iPod Touchの洗練されたユーザー・インタフェースで使用することができるのである。

 次世代のWiMAXの環境を先取りだ。一部では「神環境」などと呼ばれているらしい。

 この環境のデモンストレーションは、日本に持ち込まれたiPhone(もちろん電話機能はアクティベートされていない)、それもジェイルブレイクしてさまざまなソフトを組み込めるようにした端末で見せてもらったけれど、やはりiPhone/iPod Touchのユーザー・インタフェースは良くできている。ほいほいとGoogle Mapを呼び出して、地図を確認できるのはとても便利そうだった。

 EM ONEがそもそもWindows Mobileなどを使っていなければ——という話ではあるのだけれど、今後高速通信が当たり前のものになれば、勝負の場は携帯端末のユーザー・インタフェースに移っていくのだろう。今現在、すでにアップルはiPhone/iPod Touchを実現しているわけで、日本の電機メーカーが対抗していくのは相当難しそうだ。

 要は、ムーアの法則をどう考えるかということだったのだろう。ムーアの法則により、プロセッサーは高速化し、メモリーは大容量化していく。いずれ携帯端末で、かなり重いとされたOSも軽々動く時代が来る。すると、パソコン用だろうが携帯端末用だろうが、「筋の良いOS」が一種類あればいいということになる。筋の良いOSとは、優れたメモリー管理とタスク・スレッド管理機能、優れたユーザー・インタフェース、生産性の高い開発環境を兼ね備えたOSだ。OSのサイズや実行速度については、気にする必要はない。いずれムーアの法則が解決してくれる。ただ一つの筋の良いOSをブラッシュアップしていけば、いずれそのOSでパソコンから携帯端末までをカバーできる未来が来る。

 そう考えた上でアップルが出した結論が、カーネルにオープンソースのダーウィンを採用したMacOS Xだったのだろう。ご存知の通り、iPhone/iPod TouchはMacOS Xで動いている。

 パラダイス鎖国などと言われている、日本の携帯電話メーカーは、この先どうなるのだろうな。あまり良いことにはなりそうもない予感がする。

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2008.04.16

訃報:柴藤羊二さん

 宇宙開発事業団(NASDA)、そして宇宙航空研究開発機構(JAXA)でH-II、H-IIAロケット開発において大きな役割を果たした柴藤羊二さんが15日、この世を去った。享年65歳。謹んでご冥福をお祈りいたします。
 NASDAの前身である宇宙開発推進本部の時代からロケット開発に参加し、特にH-II、H-IIAでは計画の中心で力を発揮した方である。

「未年生まれの次男ですよ。ひでえ親です。安易な名前をつけてくれて」——珍しいお名前ですね、と問うた私に対する答えはこれだった。
 私はてっきりご両親がキリスト教徒で神の子羊といった宗教的モチーフに基づいたお名前かと、というと、柴藤さんは「違う違う、そんなしゃれたもんじゃない」と手を振り、あっはあ、と笑った。

 あっはあ、と笑う人だった。

 私が1988年に日経エアロスペース編集部に放り込まれて、宇宙開発分野に関わりだした頃、すでに柴藤さんはこの世界の有名人だった。先輩記者達は五代富文さんとまとめて、「五代柴藤悪人コンビ」と言っていた。悪人、というのは、NASDAで動き出すめぼしい計画を記者の側から探っていくと、いつも中心に2人の連携プレーがあったという意味である。
 何を策動しているんだ?この2人は??、という意識が、「悪人コンビ」と言う呼び方の裏にはあった。「五代さんの思慮と柴藤さんのパワーだろ」と先輩は教えてくれた。

 その後、会ってみると実際柴藤さんはパワフルで陽気な人だった。柴藤さんの取材は、いつも予定よりも長くなった。1時間の予定だと2時間になり、「2時間ぐらい…」とお願いすると3時間を超えた。しかも後半は取材目的とは別の、「これからこういうことをしたいんだ」という話になった。アイデアは次々に出てきたが、出てきたアイデアは玉石混淆で、記者の目から見ても「柴藤さん、それちょっと…」というものもあった。それでも押し出すような口調の説明を聞いていると、「ひょっとするとひょっとするのかも」と思わされてしまったりもした。

 H-IIの取材をしていたときのことだ。ミニシャトルHOPEに向けて飛行試験を行った再突入実験機HYFLEXで、軌道からの再突入と着陸を行えないものか、という話に脱線した。ご存知の通り、HYFLEXは翼を持っていない。リフティングボディとしても、亜音速以下の速度では大した揚力を発生しそうもない形状をしている。さすがにそれで着陸は無理ではないか。そう柴藤さんにいったら、「アイデア次第ではできるはずだ」と返された。
 どうするのか——「ぎりぎりまで降りてきたら、思い切り機首を上げるんです。で、機尾に付けたロケットエンジンを噴射して降下速度をゼロにする。そのまま機尾からすとんと着陸すればいいでしょう」そして言った。「できます!簡単ですよ!!」

 思えば、この「できます!簡単ですよ!!」に振りまわされ、苦労した人も多かったのではないだろうか。

 しかし、NからHへ、H-IからH-IIへ、次々と大きなロケットを開発していく過程では、柴藤さんの人格的パワーと楽観主義が大きな推進力となったのだった。

 H-IIやH-IIAには沢山の「この人がこのような力を発揮しなければロケットは完成しなかった」という事柄が集積している。その中の一つに、間違いなく柴藤さんのパワーと楽観主義があった。玉石混淆で吹き上がるアイデアは、パワーの証しでもあった。

 病を得て、理事を退いてからも、若手技術者を集めて有人ロケットの検討会を開催したり、超低コスト小型ロケットの設計を検討したりしていた。骨の髄からのロケット野郎だった。「我々は宇宙開発委員会の決めた事柄を粛々と実行していくのが仕事でして」というような考えを、柴藤さんは全く持っていなかった、その発想は常に「次に自分たちは何をすべきか、何をしたいのか」というところから出発していた。

 それにしても、65歳。自分が天空に駆け上がってしまうにはあまりにも早すぎますよ。もっと色々と聞いておきたいことがあったのに。タイミングを見計らって、ロフトプラスワンにも出演してもらえないものか、と思っていたのに。

 柴藤さん、どうもありがとうございました。

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2008.04.15

WIndowsCE、あるいはダメOSとの戦い

Ce

 シャープ/ウィルコムから、Windows VistaをOSに採用した端末「D4」が発表された。

 この手の端末には好きなので、興味津々でスペックを読んでいったが、どうなんだろう、これは。

 メモリーは1GBで固定。これでVistaはまともに動くのだろうか。

 そしてストレージは40GBHDD。1.8インチであるのは当然として、iPod Classicよりも小さな容量というのはどんなものなんだろう。

 マイクロソフトのOfficeが搭載されているのも、大してうれしくない。使わなければ貴重なディスク容量の無駄遣いだし、使いたければ別にマイクロソフトのOfficeでなくても、Open Officeをダウンロードしてくればいい(私の場合、ではあるけれども。当然互換性を気にしてMS-Officeでなければ、という人もいるのでしょう)。

 何より、Windows Vistaでいいのだろうか。このOS、本当にいい話を聞かない。私の周囲では「Windows Meの再来」などと言われている。

閑話休題。

 かつて、Windows CE端末をなんとかして使いこなそうとどたばたしたことがある。出先で通信し、原稿を書く。ノートパソコンではあまりに重いので、Windows CE機でやろうとしたのだった。CEにATOKが載ったのをきっかけに(MS-IMEでは変換効率が悪すぎて仕事にならない)、CE機を、NEC/NTTドコモの「シグマリオン」「シグマリオンII」、NECの「モバイルギア(MC-R550)」、日立の「ペルソナ」と4台も買い、使い込んでみた。

 結論から言えばそのユーザー体験は、使えないOSを、どのようにしてアプリでカバーするかという戦いだった。

 いやもうWindows CEはすさまじいダメOSだった。狭い画面をますます狭く使うデスクトップのデザイン、いちどなにかのタスクにいったっきりになったらそのタスクが終わるまで帰ってこないタスク管理、低機能不親切設計でまるっきり使えない上に、ROMに焼き込んであって消去すらできない「Pocket Office」——「ユーザーの神経を逆なでするべく仕様書を書いたんだろ」といいたくなるようなOSだった。

 それでもWindows CE FANからたどって、各種ソフトウエアを組み込むことで、そこそこ使える環境を作ることはできた。かな漢字変換は「ATOK」、エディターは「Pocket WZ Editor」、ファイル管理とランチャーは「SQ」、メーラーは「QMail」などなど、要するにマイクロソフトの用意した環境から離れることで(できればOSから入れ替えたかった!)、持ち歩いて原稿を書きメールを読み書きするという最低限の用が足りる端末となったのである。
 Webブラウザーだけはどうにもならなかったけれども(附属のPocekt IEがまたすさまじい代物でねえ…)。

 OSのダメさに反比例するかのように、ハードウエアはどのマシンもよくできていた。なかでもモバイルギアMC-R550は、打ちやすいキーボードが付いていたので、かなり使い込んだ。

 なによりMC-R550はモバイル機に必須の堅牢性という点で卓越していた。
 一度、東京駅のホームでカバンの中身をぶちまけてしまったことがある。MC-R550はホームをすべり、線路へと転落したが、それでも駅員さんに拾い上げて貰うと、何事もなかったのようにスイッチが入った。もちろん液晶も割れてなかった。

 今考えてもモバイルギアのハードウエア設計は、本当に良い仕事をしていたと思う。NECがこの系列の設計を発展させることができなかったのは、なんとも惜しいことだ。

 これでOSがWindows CEでさえなければ…と何度思ったことだろうか。

 最終的にMC-R550は、バッテリーがへたるまで使い込んだ。最後の頃にはさすがにSTN液晶640×240ドットのディスプレイが見劣りするようになっており、バッテリーをリフレッシュしてまで使い続ける気にはならなかった。

 その後Windows CEはキーボード付きミニマシンから撤退し、タブレット型ハンドヘルド機のOSとして今も使われている。名前もWIndows Mobileと変わり、ウィルコムのスマートフォンも採用している。
 だが、私はそれらを使用する気にはならなかった。いくらバージョンアップを繰り返したからといって、あのCEの子孫が、悔い改めたジャン・バルジャンのごとく素晴らしいOSになっているはずがない、と判断したからだ。

 で、D4だ。実物に触れるまで判断は保留だが…多分私は買わないだろうな。VistaがCEで受けた傷をいやせるほどに良いOSとはどうしても思えないので。

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2008.04.09

新型インフルエンザ、4月上旬のまとめ

 新型インフルエンザに興味を持つようになってから、毎朝鳥及び新型インフルエンザ海外直近情報集をチェックするのが日課になっている。現状では、ボランティアベースで運営されているこのページが一番あてになる。

 以下、4月に入ってからの、気になる情報。

・韓国の家禽飼育場で鳥インフルエンザが広がりつつある。3月末から4ヵ所の鶏やアヒルの飼育施設でH5N1型らしき鳥インフルエンザが発生している。過去の例では韓国で鳥インフルエンザが発生し、次いで日本の養鶏場でも鳥インフルエンザによる大量死が起きている。特に西日本の養鶏関係者は気が気ではないだろう。

・バングラディシュ、インド国境地域でも、鳥の世界で鳥インフルエンザが広がる可能性が出てきた。インド・西ベンガル州では1月に発生した感染拡大がいったん2月に収束したものの、2月下旬からまた流行が始まっている。

・インドネシアでは、西ジャワ州、西スマトラ州、バンテン州などで患者が発生し続けている。詳細はBerita Flu Burung (インドネシア 鳥インフルエンザ情報)にて読んでもらいたい。情報はかなり錯綜している。

・ヒト→ヒト感染について。事例報告が増えている。昨年12月に中国・江蘇省で発生した52歳男性とその24歳の息子の感染事例が、息子→父のヒト→ヒト感染だったとの研究報告が出た。また昨年11月にパキスタンで起きた兄弟間感染についても、ヒト→ヒト感染の疑いが強くなっている。WHOは「ヒト→ヒト感染が起きたことを強く示唆」、パキスタン当局は「ヒト→ヒト感染が起きたと断定」している。
 ヒト→ヒト感染は、感染の成立に上気道の細胞が持つレセプターの遺伝的素因が関係していることが分かっている。中国の例では、多数の人が患者に接触したにもかかわらず、感染したのは父だけだった。
 このため、現状のH5N1鳥インフルウイルスが人に感染するためには、幾重ものバリアーが存在する可能性が高い、すなわち簡単には人に感染する株にはならない、という考察も出てきている。
 なお、これまでに、カンボジア、タイ、ベトナム、トルコ等の国々で、ヒト→ヒト感染は十数例確認されているが、全て血縁関係者の間だけで、それ以外に広がった例はない——とのこと。

 どの程度のリスクが存在するのか判断しにくい状況が続いているが、それでも鳥の世界でのH5N1型ウイルスの流行はリスク増大の要因だろう。ウイルスが増殖するということは突然変異の機会が増えるということだから。

 ヒト→ヒト感染についても「遺伝的な素因か」と安心するのではなく、むしろ「現在のH5N1ウイルスに対するレセプターを遺伝的に保有する人が存在するということは、ヒト体内でヒト型インフルエンザ・ウイルスと交雑する可能性が今まで考えていた以上に高い可能性があるということだ」と考えるべきなのではないだろうか。ウイルスの交雑からは、ヒト型となった新型インフルエンザが出現する可能性がある。

・エジプトで、タミフルが効かずに死亡した例が発生した。

Bird flu kills young man in Egypt, bringing toll to 21 International Herald Tribune, France (国際) エジプトで若い男性が鳥インフルで死亡、同国の死者数が21人に
 北部エジプトに住む若い男性が鳥インフルで死亡し、同国の死者数が21人になったと国営通信が保健省発表として5日報道した。
 3日、北部ベヘイラ県のモハメド・イドリスさんが呼吸困難と発熱のためにアレクサンドリア市の病院に入院したが、タミフルによる治療に反応しなかったと保健省副大臣のNasr al-Sayyed 氏が国営通信MENAに発表した。

 タミフル耐性を持つ株が発生したのだろうか。正確なところは今後の情報を待つことになる。現状でもH5N1ウイルスは速やかに大量のタミフルを投与しないと助からない。タミフル耐性株でパンデミックが起きようものなら、それこそ「復活の日」を覚悟しなくてはならないことになる。


 厚生労働省の対策が、方針を示すのみで実施については地方自治体に投げてしまっているので、自分の地元はどうかと茅ヶ崎市役所に問い合わせてみた。つい最近になって自治体間の連絡会議ができて勉強を始めるところだという。どうにも反応がにぶいようだ。実際茅ヶ崎市ホームページには、新型インフルエンザに関する文書がなにも掲載されていない。

 神奈川県は昨年11月に行動計画(PDF)を立てているが、患者数は約118万人、死亡者数は約6800人という、甘い数字の上に計画を作っている。感染率25%、致死率0.6%だ。厚生労働省が出した致死率2%よりも甘い推定である。これはまずい。

 行政の不作為で健康被害を受けるリスクは下げておくに越したことはない。市民として突っつけるところは突っついておく必要があるだろう。

 新型インフルエンザを巡るリスク・コミュニケーションは難しい。惨事はまだ起きておらず、起きるかどうかは確率の問題だ。悲観的に見る材料も、楽観的に見る材料も、共に豊富である。

 だからといって、何もしなくてもいいということにはならない。

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2008.04.08

書籍紹介:「日本の『食』は安すぎる」(山本謙治著)

 やまけんの新著が出た。本人blogによれば売り上げ好調のようで、すでに再重版までかかったという。私のとやまけんの関係は、以前書いた通り

 本書の主張は単純だ。「安全で、おいしい食にはそれ相応の生産コストがかかる」——これだけである。やまけんはこの事実を消費者に突きつける。「安くて安全でうまい食を求めるなんて、それは虫がよいというものだ」。そう、安い食事には、かならず安さを実現するための裏があるのである。

 彼は、自ら農業を実践し、社会に出てからは日本全国の食料生産の現場を巡り、その上でこう考えるようになったのだろう。本書の大部分が、彼が巡った生産現場のレポートであり、どの現場の状況からも、安さを求める消費者からの圧力に応じようとして応じかねている苦悩が見えてくる。

 私も以前こんなことを書いているし、この主張には完全に同意する。

 これは想像力の問題だろう。

 地場のナマのほうれん草よりも安い冷凍ほうれん草には、それなりの裏があるに決まっている。ほうれん草を茹で、切りそろえ、冷凍し、パックするコストはどこに行っているのか——素材のほうれん草へとしわ寄せされているわけだ。

 かつて400円以上した牛丼を200円台で提供しようとすれば、それなりのコストダウンがあると想像するのは難しくない。

 ファストフードのハンバーガーのパティに、どれだけのコストがかけられているのか。自分で牛肉を買って作るハンバーグと比べれば、いくら、大量仕入れによるスケールメリットがあるとしても何かの仕掛けがあると思わざるを得ない。

 彼は問いかける。「おいしさも安全もタダではありえないのですよ」と。

 私には、その深層にはもっと大きな構図があるような気もする。

 牛丼が値下げ競争を始めたたしか1999年頃だったか、大学時代との友人と飲んでいた時のことだ。飲み屋のテレビでは、値下げした牛丼のニュースが流れていた。街頭インタビューを受けたサラリーマンが「やっぱり安いのはいいですね」などと答えている。

「こいつはバカか!」不意に友人が毒づいた。
「物価が下がるということは、次に賃金引き下げが起きるということだ。これは経済学の常識だよ。この男…」と、画面を指さし「自分の給料が下がることを喜んでいるんだ。バカだ、こいつ」

 彼は続けた。「これから、こういう連中の給料がどんどん下がっていく時代が来るんだ」

 経済学部出身の友人の毒舌を、私は「そんなもんか」と聞き流してしまったのだけれども、その後友人が予言した通りの時代となった。正規雇用は臨時雇用へと崩壊し、さらには法の網をかいくぐる偽装雇用まで発生、賃金は低下した。

 賃金が低下しても人は食べて行かなくてはならない。低賃金に陥った人々の食生活を、やまけんが憤る「生産者にしわ寄せを持っていく」格安の食品が支えていたのではないだろうか。

 一昨年から昨年にかけてキヤノンやら松下やらの偽装雇用が発覚した(この件に関して、私はこんな書評を書いている)。つまるところこれらの企業は、第一次産業からの収奪の上に収益を上げたということになるのではないだろうか。

 ここしばらくやまけんは、「食い倒ラー」として名前を売っていたけれど、この本でやっと本来の——私にはこっちが本来の顔だと思える——真摯に日本の食を考え、現状を訴える行動者としての側面をあらわにした。

 そうだ、やまけん、語れ。本当は僕らはどんなものを食べるべきなのか、どんな食生活が豊かな食生活なのか、未来に向けてどんな食文化を保持していくべきなのかを。


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2008.04.07

書籍紹介:「音盤考現学」(片山杜秀著)

 音楽評論家の片山杜秀氏の本「音盤考現学」が出た。主に明治以降、日本人が西洋音楽と格闘し、作り上げてきた音楽について縦横無尽に語っている。

 本日読了。これが無類に面白かった。

 コンテンツが社会においてコンテンツとして機能するためには、「そのようなコンテンツが存在する」ということをある程度の数の人が知っていなくてはならない。
 知られていない情報は存在しないのと同然だ。J-POPの存在を知らない人は、そもそもJ-POPを聴こうとはしないし、「誰か他の歌手」と聴き進むこともない。

 この点でクラシック音楽はその他の音楽に比べて決定的に不利である。まず一曲一曲が長い。音楽の理解には繰り返し聴くことが必須だが、一曲が長いと自ずと繰り返しの回数は減る(マイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」の冒頭は、映画「エクソシスト」のテーマ音楽となったので誰でも知っているだろう。では、あの素晴らしい「アンド・チューブラー・ベルズ!」というナレーションと共に高揚する第一部のラストはどうだろうか)。

 多くの人々に耳に音楽を届けるためには、テレビ・ラジオのような放送メディアでのヘビー・ローテーションが有効だが、曲が長ければローテーションの回数も減る。もちろん放送メディアは商業メディアであって、番組の枠を超えるような長い曲をそうそうかけることはできない。
 繰り返しができないから、ヘビー・ローテーションがかからない。ヘビー・ローテーションがかからないから、ますます知られない。知られないから、ヘビー・ローテーションにはならない。じり貧だ。

 ましてや邦人のクラシック系の曲となると状況は絶望的である。伊福部昭の音楽が人口に膾炙するまでに、ゴジラをはじめとした多数の映画音楽、そして30年近い時間が必要だった。

 従って、この分野は音楽評論家の役割が非常に大きくなる。単に演奏がいいとか悪いとかではない。その曲の魅力を的確にえぐり出し、知識のパースペクティブの中に曲を位置付け、読者を「この曲を聴いてみないか」と誘惑する、メフィストフェレスのような評論家が。

 片山氏の文章は、読者に対して「ほーら、これは面白いよ、聴いてごらん」と誘惑する力が非常に強い。その力の一部は、彼自身が邦人作曲家の音楽が大好きだという熱意にある。なにしろナクソスの「日本作曲家選輯」では、目が爆発するほど小さな活字にもかかわらず、CDケースが破裂するようなぶ厚いブックレットが必要になる、長大な解説を毎回書いているのだ。

 しかし、それ以上に重要なことは、彼が蓄積した膨大な知識だ。一つ一つはトリビアとしか思えない知識を組み合わせ、あっと思わせる構図を描いてみせるのである。

 團伊玖磨のオペラ「ひかりごけ」に刻印された三島由紀夫の姿を読み解いてみたり、東宝映画「大阪城物語」に伊福部昭がつけた音楽から、明治のお雇い外国人ルルーが作曲した「分列行進曲」を読み取り、その上で日本近代史において「分列行進曲」が表象したイメージを語り…あるいは社会主義リアリズムと戦前の大日本帝国が作ろうとした「国民詩曲」を並べて、その中に外山雄三を位置付けてみたり——片山氏の筆は縦横無尽に飛び回る。そして気が付けば「おおお、この曲が聴いてみたい」と思わされているのだ。

 思い出せば、私が邦人作品を聴き始めた30年以上昔、何人もの優れたメフィストフェレス的評論家が筆を振るっていた。

 札幌で同級生だった伊福部昭を作曲の道に引き込んだ“特大のメフィストフェレス”三浦淳史は、まだまだ現役で記事を書いていた。武満徹を語らせてはピカイチの秋山邦晴も元気だった。船山隆と武田明倫は新進の評論家だったし、ラジオをつければ柴田南雄がとつとつとしゃべっていた。私は彼らの文章を読み、ラジオ解説を聴き、NHK-FMの「現代の音楽」をエアチェックした。

 その後、しばらくの間、メフィストフェレス的評論家の系譜が絶えていた(そういえば秋山邦晴の訃報を、私は種子島でH-IIロケット4号機を見送った日に聞いたのだった)。

 さあ、片山杜秀という久し振りに出現した“特大のメフィストフェレス”の語りを読んで、「うう、この曲が聴いてみたい」と身もだえしてみよう。私がせっせと音楽を聴き進めていた30年前に比べれば、状況は大分良い。大抵の曲は、アマゾンでクリック一発。アマゾンになくとも、ほぼ間違いなくTower RecordやHMVには在庫がある。ものによってはiTunes Music Storeで見つかるだろう。

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2008.04.04

テレビを巡る終わりの始まり

 こんなニュースが出た。

フジ、BPOに改善報告書提出 「27時間テレビ」問題:asahi.com
フジテレビ:江原さん出演番組で報告書公表:毎日新聞

 放送倫理検証委員会(BPO)がフジテレビに出した意見は以下の通り。
FNS27時間テレビ「ハッピー筋斗雲」に関する意見(pdfファイル)

 フジテレビがBPOに提出した報告書はこちら
ハッピー筋斗雲」に関する報告書
 2008年1月21日付 BPO放送倫理検証委員会決定第2号

 この件については、大阪大学の菊池誠教授のBlog「kikulog」で、議論が行われている。

「江原番組に対するフジテレビの見解」(kikulog)

 ここで問題になっている江原啓之氏と彼の行うスピリチュアル・カウンセリングについて、私はウソであろうと判断している。ただし非常によくできたビジネスモデルを構築している、と。

 通常の詐欺師は被害者から金品を巻き上げるが、江原氏はテレビメディアに視聴率という果実を与えることで、その一部を収益とする。被害者に金品の被害は出ない。
 したがって、彼のウソは犯罪としては成立しない。テレビに出ることによって彼の著作は売れ、さらなる収益を彼にもたらす。

 しかし、被害者がいないわけではない。根拠のないスピリチュアル・カウンセリングを信じてしまえば、将来にわたって様々な形で人生の判断を誤る可能性が高まる。が、それは短期的には表面化しない。

 実に良くできた仕組みだ。

 今回の場合は、江原氏が事前に十分に準備しない状態でカウンセリングと称する行為を行い、カウンセリングを受ける者に直接的な被害を出したから問題になったわけだ。

 報告書を読む限り、今回の件でフジテレビは、スピリチュアル・カウンセリングを採り上げることについて反省をしていないようだ。

「プロデューサーから上がった意見」というところには、わずかにひとつだけ「非科学的な根拠の薄いテーマを題材にした番組制作に対する一層の注意喚起が不可欠であることを実感した。」とあるだけである。
 報告書に付帯する識者意見が、軒並み「非科学性」を問題としているのと対照的だ。
 フジテレビのプロデューサーたちはむしろ、素人を扱う番組も難しさに目がいってしまっている。

 そうじゃない。「非科学的な根拠の薄いテーマを題材にした番組制作」は、そもそもやっちゃいけないのだ。そういうものはアングラで流すならともかく、貴重な公共財である電波帯域を占有して放送してよいものではない。

 今回の件に、私はテレビというメディアの追いつめられた姿を見る。

 「江原啓之」で検索をかけてみよう。Googleの検索結果は、まず公式ホームページ、Wikipediaと来て、3番目は「江原啓之 インチキ霊視!?檀れいの「死んだ父親」が生きていた ...」、4番目は「J-CASTニュース : 前世は「中世の賢者と貴族」ばかり 江原啓之の「摩訶 ...」、以下そんな内容のページが続く。
 関連検索のキーワードはといえば、「江原啓之 インチキ」「 江原啓之 正体」「江原啓之 批判」と来たものだ。

 つまり、江原啓之氏の出演する番組は、インターネットで検索をしない人を対象にしているということだ。

 それが視聴率を取れるということは、インターネットを使いこなしていない人ほどテレビを見る時間が長いということであり、つまるところテレビというメディアがどんどんネット時代に取り残されているということである。

 もはや地上波テレビは、ネットから取り残された人々を相手に番組を作るしか、収益を上げる方法がなくなりつつあるのだろう。

 そう考えると、スピリチュアルにせよ、若手芸人をすりつぶすようにして使い捨てていくバラエティ番組にせよ、およそ「コンテンツ」というに値しないことに気が付く。

 その証拠に2度3度と見たいと思う人はどれほどいるのだろうか。2度見る必要はないというのが普通の反応ではないだろうか。私はといえば、1度であっても見る必要を認めない。さっさとデジタルCS放送やらCATVに受信機を切り替えるだけだ。

 一時期、テレビの持つ豊富なコンテンツをネット時代に活かすというような話があったが、今現在のテレビ局は事実上、コンテンツ制作セクターとしての機能を喪失しているのではないだろうか。

 それでも、テレビ局で必死になって意味がある(と信じる)番組を作ろうとしている人たちはいる。それらの多くは深夜や早朝の時間帯にしか放送されない。時々仕事で付き合いのできる民放のドキュメンタリー製作担当は、どの局も本当に良い仕事をしていると思うけれど、決してゴールデンタイムには放送されない。

 こういう状況を「終わりの始まり」というのだろうな。

 放送業界が持つ「金になる構造」を明快に解説した本。デジタル放送なんて全部衛星放送にすれば、地上の再送信設備も電波塔も不要に上に、広大な地上波の電波帯域が再利用可能になる。それなのに、なんで地上波で放送するのかと思っていたら、つまりそこには身動きとれなくなった利権構造が存在したのであった。

 衛星放送なら衛星2機で、打ち上げ費用を入れてもせいぜい600億円ほどで済む(しかも最近の静止衛星は15年以上の寿命がある)ところを、地上波デジタルで1兆円設備投資するのだから、日本が借金漬けって本当か?という気分になる。

 ちなみに、私がSAFTY JAPANに書いた書評:「ネットにあらがうTV業界の現在と未来」

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2008.04.03

【ニコニコ動画】かっとなってやった…わけではないけれど【初音ミク】

 「初音ミク」を衝動買いしてから半年以上、やっとこさ一つ形にしてニコニコ動画にアップした。

 私がもたもたしている間に野尻抱介さんは、ばんばんニコ動に投稿してウケを取っていた。それをうらやましいと思いつつ、自分の立場だと著作権的にアレなことはちょっとできないしなあ、などと言い訳をしていたのだった。あちこちで「『初音ミク』買ったんだって?で、何やってんの?」と言われたりもした。

 これでもう言い訳もなしだ。

 ここはやはり、テンプレート発言をしておくべきだろうな。

「かっとなってやった。後悔していない」

 実際にはかっとなってやったどころか、17年物のそれこそ古酒のようなものではある。古酒というほど“うまい”ものではないが。

 20代後半から30台初めの頃、心にひかかった詩にちょこちょこと曲を付けていた時期があって、その中でまあましかな、と思える曲なのだ。今回のことで楽譜を引っ張り出したら1991年3月と書いてあった。20代最後の年、日経エアロスペース勤務が4年目になって、「俺、宇宙ばっかり取材していると偏った記者になっちゃうんじゃないかなあ」なとと考えていた時期だ。後に自分がもっと偏った道を突き進むことになるなどとは思ってもいない。

 それにしても、「初音ミク」はもちろんのこと、パソコンでさくさくとビデオ編集はできるわ、ピアプロに参加する皆さんがイラストをアップしてくれているわ、もちろんニコ動のような発表場所はあるわ——便利になったもんだなあ、とつくづく感じ入ってしまった。それもこれも半導体技術の急速な進歩あってのことだ。ムーアの法則万歳!

 実のところ今回のアップも、歌詞において著作権的にアレな部分が残っている。それでもここしばらくのニコニコ動画の動きを見ていて、なにもかもを杓子定規に考えるのではなく、むしろ柔軟に行動したほうが良い結果を生むのではないかと考えるようになった。

 こういうものは考えるだけではダメで、実際に自分が動きの中に入ってみて、あっちうろうろ、こっちうろうろしなくては本当のことは分からない。もちろん面白くもない。

 というわけで、詩人の中本道代さんについてご存知の方、おられましたらご一報下さい。

 曲はまだいくつかあるので、そのうちにまたアップするかも知れません。こんな青春晩期の残渣がネット・コンテンツのにぎやかしになるのだから、愉快だね。

 一方野尻さんのほうは、さっさと先に進んでいて、SFマガジンに書いた短編「南極点のピアピア動画」を題材に、ネット上でコラボレーションを展開している。こういうところは、かなわないな。じゃんじゃんやってください。


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2008.04.02

新型インフルエンザ・パンデミックを知るための書籍

 新型インフルエンザ関連の書籍で、今現在簡単に手に入る本を紹介する。今後もめぼしい書籍を読んだら紹介することにする。

 なお、私はSAFTY JAPANの書評欄で、「H5N1型ウイルス襲来」と「新型インフルエンザH5N1」、および「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」と「史上最悪のインフルエンザ」を、それぞれ紹介する記事を書いている。

 どれか一冊だけ、それもあまりぶ厚くない本を、というならこの新書をお薦めする。新型インフルエンザの基本的な性質から、自分でできるパンデミック対策までがコンパクトにまとまっている。

 ウイルス学の観点からもっと踏み込んだ情報が必要ならば、この本だ。ウイルスの系統や、強毒型と弱毒型の具体的な差異、プレパンデミック・ワクチンの現状など、ウイルス学が今現在、どこまでインフルエンザ・ウイルスの性質を解明しているかを知ることができる。今後、本当に新型インフルエンザはパンデミックを起こすのか、起こすとしたらどのような準備をするべきなのかが様々な形で議論されることになるだろう。議論に主体的に参加したいと思う方は、最低でもこの本を読んでその内容を押さえておく必要があると思う。

 おどろおどろしい表紙と、「エヴァンゲリオン」もかくやと思われるフォント操作を含む本文とで、キワモノ系と誤解される危険性のある本。実は現時点でもっともよくまとまった「個人でできるパンデミック対策」のノウハウ本だ。自分と家族を救うために今日から自分で行うことができる準備について、必要な情報を一通り掲載している。

 一冊と限らずに、何冊かの本を読んで広く知識を身につけたいと思う方は、「新型インフルエンザH5N1」と「パンデミック・フルー 新型インフルエンザ Xデー ハンドブック」の2冊をまとめて読むことをお薦めする。この2冊を押さえておくと、H5N1ウイルスの性質からパンデミック対策までの、新型インフルエンザに関する情報の全体を見渡すことができるだろう。

 特段の対策を持たない現状のまま、高い致死率の新型インフルエンザのパンデミックに襲われた場合、日本はどうなるかを描いたシミュレーション小説。著者は研究者であり、本職の作家ではないために小説として読むと大して面白くない。そもそも一般向けの啓蒙を目的とした小説が、面白かろうはずもない。
 だがそれでも本書は、「今のままではどうなる可能性があるか」を知るという一点で読む価値がある。
 なんでも著者は、パンデミック啓蒙小説を書いて欲しいと複数の作家にアクセスしたものの果たせず、結局自分で書くことになったという。

 描かれるすべての描写には、論文の裏付けがあるということだ。今程度の準備だといかに大変なことになるか、具体的な形で見せてくれる本である。

 1918年から20年にかけて世界を襲ったスペイン・インフルエンザが日本にどのような被害をもたらしたかをまとめた研究書。おそらくは日本におけるスペイン・インフルエンザに関しては唯一のまとまった本だ。著者は経済史と歴史人口学を専攻する経済学者。過去の人口統計を計算処理して、さまざまな社会の動向を抽出する手法で、被害の実態を調べていく。

 欧米でも忘れられた災厄となっていた、スペイン・インフルエンザに史学の光をあてた、歴史的な名著。スペイン・インフルエンザのパンデミックがどのように広がっていったかから、パンデミックにより歴史はどのように変わったまで、その影響を幅広く検証していく。特に、第一次世界大戦とパリ講和会議にパンデミックが与えた影響を考察した部分は圧巻。パンデミック対策を考えるにあたっての基礎的文献の一つであろう。

 スペイン・インフルエンザの被害を、主にアメリカの医学研究者はどのようにして立ち向かったの焦点を当てて描いたノンフィクション。当時も研究者達は手をこまねいたわけではなく、新たな治療法を求めて必死に戦ったのだった。しかし、まだウイルスの存在が知られていない当時、研究の方向は見当違いのものにならざるを得なかった。
 SAFTY JAPANインタビュー記事の中で、田代氏が言う「20世紀の防疫」と「21世紀の防疫」について深く考えさせられる。

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