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2008.11.28

マクロスFとハイパーインフレ

 放映から随分遅れたが、アニメ「マクロスF」を全話見終わった。

 私の立場からすると、まずは「アレを本物の宇宙と思ってはいけない。あれは“マクロス宇宙”である」と言わねばならない(あんな宇宙があるわけない)。

 それはさておき、面白かった。きちんとキャラクターは生きているし、ラストは盛り上がって終わってくれた。三角関係の決着がラストでついていない、との批判もあったようだが、決着は映画版に持ち越されるのがマクロスというものだ。

 最初の「超時空要塞マクロス」の放映(1982〜1983)から、もう四半世紀経った。当時私は大学生。「スタジオぬえの絵が動く」という事前情報に私たちは期待したものだが、家庭用ビデオもろくに普及していなかった当時、日曜昼2時という放送時間は、まったくもって「ご無体な!」であった。
 とはいえ、貴重な毎日曜日の午後をテレビの前に座るのは、確か5話ぐらいで終わった。作り手の側も若かったし経験不足だったのだろう。そこにあったのは、意欲の空回りの典型例だった。
 第1話(2話をまとめて1時間枠で放送した)を見て、「はて?」となり、さらに数週間見続けて疑惑は確信に変わり、「これは観る価値はない」と切ったものである。
 その後、アニメ雑誌が「27話(愛は流れる)はすげえ」という話を掲載し、「なにっ、実はすごかったのか」と、再度見始めたらば、そこは作画崩壊の嵐であった。ええそうです、私は壮絶作画で伝説と化した最終回「やさしさサヨナラ」をリアルタイムで見ておりますよ。ちなみに今、レンタルショップなどで見ることが出来る最終回は、全面的に作り直してあるので、あのものすごい最終回は、個人のビデオアーカイブにしかないはずだ。

 その後ずっと続いたマクロスシリーズは、作る側からすれば最初のマクロスに対するリベンジの繰り返しだったのだろう。今回、「マクロスF」は、かなり高いレベルでリベンジを果たしたと思う。

 さて、ここからが本題。ネットで誰かが言及しているだろうと思ったのだが、検索をかけても見つからなかったので以下、書き留めておく。
 Fの何話目だったか、マクロス・フロンティア内が統制経済モードに入るので商店街が一斉売り尽くしセールをやるという話があった。そこにオペレーター3人娘が買い物に行くと、あの人もこの人もというお笑いになっていたのだが。

 これは明らかに設定ミスだろう。
 1000万人が居住する巨大移民船の内部経済は閉鎖系と考えて良いだろう。とすると通貨は移民船の政府が信用を保証し、艦内に蓄積、生産される富に応じた通貨の量を供給、コントロールして通貨の価値を維持しているはずである。
 統制経済モードに入るということは、物資イコール艦内の富が減少している状態だから、物資の価値は上がり、通貨価値は下がる。となると物価は上昇し、通貨を持っているよりも現物を持っているほうが得になる。
 マクロス艦内では起きるのは売り尽くしバーゲンではなく、物資を求める人々のパニックでなくてはならないはずだ。このあたりは高校の社会で習う経済学の初歩の初歩である。

 これをやると話が暗く陰惨になるのは分かるのだけれど、長距離大規模移民船で経済の話をやるなら逃げられないところだと思う。

 以下、中年の思い出話。

 特撮・アニメなどに登場する経済ネタというと思い出すのは「レインボーマン」のお多福会だ。日本人殲滅を目指す「死ね死ね団」(すごいネーミングだ)が現世利益新興宗教の「お多福会」を通じて社会に偽札をばらまき、結果ハイパーインフレが起きて日本経済大混乱という話である。

 これをちゃんと子供にも分かるようにストーリーを展開していたのが、当時の製作スタッフの偉いところ。物価が上昇して食べ物が買えなくなってしまった子供が、ひもじさと出来心でインスタントラーメンを万引して食料品店主らから袋だたきにあう、ど真っ暗な描写をきちんとやっていた。
 主人公のヤマトタケシが子供を救うのだが、そこに食料品店の店主が怒りの形相もすさまじく「お前が金を払ってくれるのかよ」と詰め寄るのだ。ヤマトタケシ「いくらだ?」、店主「千円だ!」。で、ヒーローは財布から千円札を出すのである。
(注:このあたり、記憶が偽造されている可能性もある。子供を救ったのはヤマトタケシではなく、彼の周囲の人々だったかも知れない)

 「レインボーマン」放映当時の1972年、袋ラーメンはスーパーの特売ならば30円ほどだった。はっきり覚えている。覚えているのも当然で、テレビで「ラーメン一袋千円だ!!」を見た翌日だったか翌々日だったか、新聞折り込み広告のチラシでラーメンの価格を調べたのだった。
 子供心には、それほどまでに「ラーメンひとつ千円!」は強烈だったのである。しかし…

 昨年来、ジンバブエが超絶的なハイパーインフレ状態に陥っている。そのインフレ率たるや年間10万%だそうで、30円のラーメンが1000円になる、レインボーマン世界のインフレ率3300%というのは、実はそれでも生ぬるいものではあったのだった。

 なぜ、「レインボーマン」では、あれほど冷酷なインフレ描写ができたのかを考えるに、当時の製作スタップは皆、敗戦後、占領下の日本でインフレやら預金封鎖やら闇市やらを体験してきた人々だったからなのだろう。彼らにとって、物がない、つらい、くやしい、さびしい、もの悲しい、ひもじい、という感覚は実体験に基づくものだったことは間違いない。

 「それに比べてマクロスFのスタッフは…」などということは書かない(なにしろ河森総監督以下、私と同世代だ)。ただ、ちょっとしたことではあるけれども、艦内統制経済モードという用語を使うからには、そのつらくて悲しい部分を描写しても良かったのではないか、とは思うのであった。
 さんざん楽しませて貰っておいて、何をいうやら、なのだけれど。

 「マクロスF」はDVDとBlu-rayで同時に発売されている。「Blu-ray出し惜しみなしだ」と称賛したいところだが、私の聞く範囲では、 ビデオコンテンツ業界においてはBlu-rayのメディアとしての寿命を5年と踏んでいるとのこと。つまり5年間で可能な限りの売り上げを立てなくてはならない状況らしい。
 というのも、Blu-rayの次にネット経由のHDTV配信が来るということがあまりにはっきりと見えてしまっているからである。
 こうなると、DVDのようにすでに普及している物理フォーマットのほうが強いかも知れない。どちらを買うかは、かなり悩むところだろう。

 私はといえば、どちらも買うつもりはない。「マクロスF」に関しては見損ねた回をすべてバンダイチャンネルで視聴した。画質を云々せず。「これはテレビアニメである」と思って見るなら、私にはそれで十分である。今後も、見たくなったならばバンダイチャンネルに1回105円を支払うだろう。オンデマンドTVの便利さには105円の価値は十分にあると思う。




  


 アニメ本体の映像ディスクよりも、買うならこちらかも。実際、マクロスFでは歌手の選択から曲の構成に至るまで、高品位の音楽を理想的なプロモーションで売っているという印象。管野よう子絶好調だ。
 私がびっくりしたのは、「星間飛行」の「キラッ☆」…ではなくて、松本隆のあまりに若々しくも瑞々しい歌詞だった。この歌詞は素晴らしい。なかなか素人には書けない、真のプロの仕事だと思う。

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2008.11.22

賭博と確率

 昨日の占いの話からのスピンアウト。賭博と確率論の話。

 賭け事で絶対確実に儲ける方法が存在する。胴元になることだ。

 正確に書くならば、確率的に絶対に儲かる状況を設定し、後は試行回数を十分に増やして大数の法則が働くようにするということ。

 だが、誰もが胴元になれるわけではない。

 この状況を打破するには、確率が成立する根本、「すべての事象は同様に確からしい」を崩す必要がある。つまり「確率の偏り」に関する情報を入手すれば、大数の法則から逃れることができる。

 パチンコならば、「どの台が玉が良く出るか」という情報であるし、競馬ならば「どの馬が良く走る素質を持ち、当日の体調が良いか/騎手の才能はいかほどで当日のコンディションはどのようなものか/馬場の状況は…」という情報である。

 麻雀やポーカーは、ブラフによって確率を崩す情報を自ら作り出せるところに面白さがある。

 逆に言えば、このような情報が入手/発生できない限り、儲けることを目的に賭け事には手を出すべきではない。さもなくば大数の法則に絡め取られ、絶対に損をすることになる。これは数学が保証している事実だ。

 つまり、ふらっとパチンコ屋になど絶対に入るべきではない。また、出玉の調査なしに台の前に座るべきではない。また、様々な状況を読む訓練なくして馬券は買うべきではない。「儲けること」を目的にするならば。

 そして、原理的に確率論を崩せる情報を入手し得ない賭け事には絶対手を出すべきではない。丁半賭博、スロットマシン、ルーレットなど。

 個人的に最悪だと思うのは宝くじだ。宝くじは事実上、民が喜んで支払う税金だ。胴元である国からすれば、たまにごく一部の国民に、個人には多額の、国家からすれば少額の払い戻しをすれば、大数の法則によってどばどばと税金が入ってくるとてもうれしい仕組みということになる。
 いっそ、税金もこの形式にしたらどうなんだろう。毎年、数十人ぐらい、申告した年収の2倍の税金が払い戻されるとしたら、みんな喜んで高額納税するんじゃないだろうか。

 楽しむのはいい。が、そこで儲けようと思ってはダメ。宝くじでよく言う「夢を買う」というのはかなり自己欺瞞的な言い分だが、まあありだ。もちろん「夢」は現実ではない、ということを十分認識しないといけないが。

 ちなみに、税金まで考慮すると、宝くじの期待値はかなり高いのだそうだ。それでも1を超えるわけではないのだけれど。

 とまあ、こういうことが理解できる本。以前、書評を書いたらば、出版社から「帯に使いたい」という連絡が来たので、今書店に並んでいるこの本の帯には私の推薦文が載っているはず。非常に面白いので、万人におすすめだ。特に、一攫千金を夢見て宝くじを買い続けたりパチンコ屋に通ったりしている人は読むべき…なのだけれど、そういう人に限って本を読む習慣が無かったりするのだよなあ。
 そもそも、ルネサンス期の賭博師が「儲けたい儲けたい儲けたい…(以下略)」と願い続けたところから必勝法として発達したのが確率論なのだから、確率論も理解せずに賭け事に突撃するのは愚か以外のなにものでもないのだろう。

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2008.11.21

我、如何にして占いより脱せしか

 少し占いについて書こう。それは、自分が過去、いかにトンデモや疑似科学に惹かれてきたかの告白でもある。

 姓名判断に興味を持ったのは確か小学生五年の時、母方の祖母が持っていた野末陳平の姓名判断本を読んだからだった。

 それは明快で、素晴らしいものに思えた。漢字の画数を数える。それらを足し合わせて、出てきた数が吉数か凶数かを調べ、それぞれの数字の象徴するものと考え合わせれば、人の運命が分かる。身も蓋もない「数字だけ」というところがずいぶんと気に入った。

 その後、父方の祖母が持っていた別の本も読んだ。少々やり方が違い、もう少し複雑な計算をしていたが、基本は足し算だった。私は自分の名前を判定して喜んだりおたついたり、様々な人の名前を判定してはそれらの人々の人生を思った。

 究極の名前を作ろうとしたのは確か中学の2年の時だったか。名前が良いとか悪いとかいうが、その実態はたかだか2ケタの足し算だ。それならばいくつかの条件を課して総当たりで調べていけば、「もっとも良い名前」を見つけることができるに違いない——そこまで組織的に考えたわけではないが、すべてが吉数で構成され、その他偶数奇数で判断する陰陽やら名字と名前の接続やら、とにかくすべてが最高の名前を作ってやろうとしたのだった。
 確かに大した手間ではなかった。10日ほど熱中したら、すべてのパターンを尽くしてしまったと記憶している。が、「究極の良い名前」は存在しなかった。あちら立てればこちらが立たず。いくら除去しようとしても欠点は必ず入り込んできた。

 姓名判断に対して、最初の疑念を抱いたのはその時だったかも知れない。が、そう考えるのは後から振り返ってのことであり、その時は単に「なんだ、最高の名前なんてないじゃん」で、飽きて放り出したのだった。
 父方の祖母は、いわゆる気学が好きで、いつも手元に長く連なった易断用の暦を置き、会話には「あの人は三碧木星だから」というような言葉が出てくる人だった。その関連からちょっと四柱推命に興味を持ったこともある。が、その興味は続かず、次にのめり込んだのは占星術だった。高校を卒業して浪人生活を送っていたころのことである。

 当時、割とマスコミに露出している科学者が占星術に根拠ありという内容の本を出していたと記憶している。確か糸川英夫の名前を冠した占星術の本もあったはずだ。
 星の動きなら、二ケタの足し算よりは性格に人の運命を見通せるのかも——という期待もあったが、それよりも、当時のちょっと科学っぽい装いを被った占星術に惹かれたといったほうがいいだろう。色々な本を読んだ。

 占星術の夢が破れたのは、多分大学に入った最初の年の学祭だったろう。電算機研究会がやっていたコンピューター星占いで、自分のホロスコープを出して貰った。
 占星術では星と星の角度で吉凶を占う。角度が60度、120度なら吉、90度、180度なら凶。ところが自分のホロスコープにはそんな明快な角度などなかった。各惑星はてんでばらばらに散らばっているように見えた。ところが、コンピューターは、半角カタカナ(当時のパソコンはそれしか扱えなかったのである)でなにやら私の運命について、どこそこが良くて別のところが悪くて、と宣言していた。

 具体的に星の位置を見せられた時、それまでさんざん読んでいた占星術の本へ期待が消えた。どこが60度やねん!どこが90度やねん!!角度のずれを許すっていったって、例えば70度は吉で80度は凶だというのか??

 正確に書くならば、回心は突然訪れたのではなかった。占いに期待し、なおかつ生じる不審な事実が徐々に蓄積していき、気が付くと私は一切の占いを信じなくなっていたのだった。

 はっきり言い切ろう。占いの類はキリスト教の奇跡から姓名判断、気学、占星術、手相に顔相に易に四柱推命にノストラダムス、果てはトルココーヒーのコーヒー占いから深夜テレビのエレクトーン占いに至るまで、一切当たらない。

 正確には確率論的にしか的中しない。私たちが当たったケースを記憶し、外れたケースを忘れているだけだ。

 この世はでたらめを言っても的中する確率が常に存在する。「明日飛行機が大事故を起こすぞ!」、そうかもしれない。そうでないかもしれない。言い続ければいつか当たる確率は上昇していく。全部確率論だ。

 もちろん職業的な占い師は、はっきり白黒が付くような結果は出さない。常に解釈の余地があるようにして、収入の道を保護する。例え外れたことで追いつめられたとしても、過去何千年にも渡る占いの歴史は、外れた場合の言い逃れの論理を洗練させてきた。先人に習えば、いくらでも言い逃れることはできる。

 例えば、易で言う「より深い易断」を知った時には、涙が出るほど笑ったものだ。易は陰陽四象八卦と2進法で運命を分類する。それぞれの二進数に意味が付与されるわけだが、時として「この場合はより深い読みをする」として、意味を全く逆に解釈することがあるのだ。つまり筮竹から引き出された二進数に意味はない。意味は占い師が与えるのである。なんというハンプティ・ダンプティ。

 今も占い師という職業は成立しているから、占いに頼っている人は多いのだろう。民放テレビ局は朝の放送では大抵「今日の運勢」を放送している。あんなものは私が子供の頃はなかったのだが。

 それを「バカが多いな」と切って捨てることはできない。そして未来への不安をまぎらす文化的な装置として占いをとらえると、それは決して悪いものではない。

 だが、自分の人生行路を占いに依存するぐらいなら、数学の教科書を開いて確率論の勉強をしたほうが、よほど実用的だということは、頭に置いておくべきだと思う(特に賭け事において。期待値を理解すると馬券や宝くじを買うのがバカらしくなる)。


 自分の恥ずかしい記憶を掘り起こしていくと、私が占いから脱するにあたっては堀晃さんのハードSF2編が道しるべとなってくれたことに思い至る。

 一つは「アンドロメダ占星術」。占星術に実は重力が運命に与える影響という理論的基盤があったという話だ。人類は運命から逃れるべく、地球を脱出する。するとそこは太陽の重力が支配する空間だった。人類は太陽の重力を逃れ、恒星間空間に進出する。するとそこは銀河系の重力が運命を支配する空間だった。すると人類は——という規模がインフレーションを起こす壮大な短編である。
 これを読んだ時、はっきり書くなら既存の占星術よりよほど信頼できるのじゃないかと思った。少なくともこの小説程度に論理の筋道が通っていなければ、それは占いとは言えないのではないか、と。

 もう一つが「地球環」。異星人からの謎のメッセージを解読するには、というところから始めて、エネルギーのエントロピーと情報理論におけるエントロピーを巧みに混合して、「記号が存在するとして、その記号に意味を与えるのは誰か」というテーマを扱ったものだ。

 だから、今、占いに頼らなければならないほど自分の未来に不安を感じている、特に若い人へのアドバイスがあるとすれば「ハードSFを読めばいいと思うよ」だ。自分の狭い経験に基づく我田引水の忠告だが、私の実感である。

 石原藤夫、堀晃、谷甲州、山本弘、野尻抱介、林譲治、小林泰三、A・C・クラーク、ハル・クレメント、ラリイ・ニーブン、ロバート・フォワード、テッド・チャンなどなど。

 実は「ハードSFを読もう」、というオチなのでした。

 「アンドロメダ占星術」は、今やSFファンの間で幻の本と化している(結果、古本はすさまじい高値となっている)ハヤカワ文庫「梅田地下オデッセイ」(1981年)にしか収録されていない。「地球環」は2000年刊のハルキ文庫で読むことが出来る。新刊は売り切ったようだが、まだ古本も安い。傑作がぎっしりと詰まった一冊だ。読むべし。

 堀晃の最高傑作というと、この「バビロニア・ウェーブ」になるのだろう。太陽系を離れた遙かな辺境宙域で、巨大なレーザービームの光束が発見される。人工物か自然のものかすら分からない光束から、やがて人類はエネルギーを取り出すことを覚え、未曾有の繁栄を謳歌することになるが、しかし…という壮大なストーリーだ。
 こちらは昨年文庫で復刊した。これも今すぐ買って読むべき本だ。

追記:
 なぜ、こんな話を書いたかというと、某科学者のblogのコメント欄に、占星術の擁護者が現れて物の見事にやっつけられているのを見て、過去を思い出したのであった。

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2008.11.03

時事ネタ2つ

 ちょっとだけ時事ネタを。

その1
 慶大生が大麻不法所持で捕まった事件。大学近隣に住む友人の話だと、そういう連中がいるのではないかと数年前から噂になっていたとのこと。
 噂になるということは、大学近辺でそれなりの不審な行動をしている学生が目撃されていたということなのだろう。

 決定的に人格を破壊する覚醒剤やヘロインではなく、一説によればタバコより依存性が低いという大麻というあたりに、彼らの計算を感じる。「学生だからこれぐらいの逸脱はいいだろ」という計算を。
 数年前から噂になっていたとすると、学生の時に吸っていたにもかかわらず、知らぬ顔で就職している先輩もいるということになる。今後そこまで捜査の手が及ぶかが、要注目点だろう。

その2
 平塚の神奈川県立神田高校で、受験者の見た目で合否を決めていたという事件。

 実は私の高校時代の恩師が、神田高校に勤務していたことがあった。クラス会で聞いた神田高校の実態はまさに底辺校そのもの。「とにかくな…」と恩師は言っていた。「ひたすら我慢なんだ。生徒が何をしても先生はひたすら我慢。『ああそうですか』と後始末をして、当たり前の顔をして学校を維持運営しなくちゃいけないんだ」

 今回の事件の背景には、そうでもしなければ学校運営が成立しなくなるという、先生達のせっぱ詰まった危機感があったのだと想像する。

 今、ただでさえ教師にかかる仕事の負荷は増えている。文部科学省が教育改革を行うたびに書類の仕事は増え、現場は書類作成に追い回されているのが実態だ。上からは書類書類とせっつかれ、現場の生徒は言うことを聞かず問題行動を起こしまくり、教師の数が増えるわけでもない。そんな状態で、学校運営を崩壊から救うには何ができるのか——正直、この件に関しては校長先生に同情してしまう。おそらく、見つかった場合の更迭も覚悟の上の決断だったのではないかと思う。

 この件を難しくしているのは、「だからといって、見かけによる合否判断は許されることではない」という点。

 見た目に問題のある生徒は、「認めて欲しい気持ち(自己顕示欲)」と「実際に認められた自分」との間にギャップを抱えている。子供は適度に認めてもらい、適度にたたきのめされることで成長する。認めてもらう体験が薄い子供は、見かけと行動で目立ち、自分を「ネガティブな存在として認めてもらおう」とするようになる。そんな彼らを見かけで合否判断すれば、「無視された」と感じ、ますます問題行動に走るようになる。

 彼らが反社会的大人として成人すれば社会経済システムの損失となる。彼らを社会システムの中に呼び戻せば社会経済システムにとって労働力となる。
 高校は彼らを、正常な社会システムの内部に呼び戻す最後の砦であることを期待されている。

 問題は、任務を完遂するのに必要な人的時間的リソースが、高校側に与えられてなかったというところにある。

 ここから先は神奈川県の松沢成文知事がどう判断するかだろう。知事の見識が問われる局面だ。神奈川新聞あたり、来年度の神田高校の教師の人数など報道してくれないだろうか。

 以上2件、メディアに出ない情報を若干知り得たので。

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2008.11.02

宣伝:11月7日(金曜日)、ロフトプラスワンに出演します。

 衛星を作った男、小野さんから話を聴く衛星まつりの第5回。今回は気象衛星・地球観測衛星編です。いやもう、この分野も色々な話があるのです。

 小野さんは「科学衛星から始まって、僕が直接かかわった衛星はここまで。これから後は管理職になっちゃって、現場から離れたからね」と、今回で最終回の予定でいます。

 が、できれば管理職になった後の話もお聞きしたいところ。今回を最終回にしたくない方は、是非とも来場の上、小野さんにリクエストをお願いします。

宇宙作家クラブpresents
ロケットまつり29「衛星まつり5」〜日本で初めて人工衛星を創った男〜
40年前、衛星開発に挑んだ本人が、日本の人工衛星開発のはじまりを語る、5回目。今回は日本の実利用衛星(通信衛星、放送衛星、気象衛星)のうちでトップを切った「気象衛星:ひまわり」と、最初の地球観測衛星となった「海洋観測衛星1号:もも」の開発のお話。

【Guest】小野英男(〜日本で初めて人工衛星を創った男〜)
【出演】松浦晋也(ノンフィクション・ライター)、笹本祐一(予定)、他

場所:ロフトプラスワン(新宿区歌舞伎町1-14-7林ビルB2 03-3205-6864、地図)

11月7日(金曜日)
Open18:30/Start19:30
¥1000(飲食別)
※当日券のみです

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2008.11.01

超(手短)バッハ入門(偏りあり)

 ちょっと反省する。

 いきなり「フーガの技法」を薦めたのは敷居が高かったか、と。

 思い出せば自分のバッハ体験も、ごく当たり前に中学時代に聴いた「G線上のアリア」と「メヌエット」から始まっている。

 「G線上のアリア」は管弦楽組曲3番の第2曲「エア」に基づいている。なぜそれが「G線上のアリア」と呼ばれるようになったかは、G線上のアリアの知識を読んでもらいたい。実際、クラシック関係は熱心な方が詳細なホームページを作成している。
 著作権もとっくの昔に存在しない曲なので、MIDIファイルも多数ネット上に存在している。例えばこのオルゴール編曲とか。

 とても良い曲。いきなり「フーガの技法」を聴くよりも、まずはここから始めた方がいいのかも。

 「メヌエット」は、バッハが2番目の妻アンナのために書いた曲集「アンナ・マクダレーナ・バッハのためのクラヴィーア曲集」に収録された小品。こちらは「ラヴァーズ・コンチェルト」という題でポピュラー編曲が出たことで一気に一般化した。詳細はこちらを読むこと。
 もちろん、クラシックマニアとしては「どこがコンチェルト(協奏曲)やねん!」と突っ込みを入れねばならない。

 その次に、「トッカータとフーガニ短調」に引っかからなかったのが、自分の幸運だったのかも知れない。この曲はオリジナルはオルガン曲だが、指揮者のレオポルド・ストコフスキーが、派手なオーケストラ編曲を施してあちこちで演奏し、さらにディズニーのアニメーション映画「ファンタジア」に採用されることで、一気に人々の間で広がった。
 日本では「トッカータ」冒頭部分が、劇的な変化が起きる場合の劇伴として使われ、今や多くの人が嘉門達夫の「鼻から牛乳」の「鼻から牛乳」というフレーズのあの音楽ね、と記憶しているという状態となっている。

 が、思うにこの曲、バッハの代表作とは言い難い。トッカータは派手だががっちりとした構成を好むバッハ本来のありようではないし、続くフーガ(ちゃんとここまで聴いたことのある人、どれぐらいいる?)は、正直なところバッハが書いた数々のフーガの中では凡庸の類に入る。

 「ちゃらり〜、鼻から牛乳〜」で、バッハ体験が終わってしまっている人は、大変不幸であると思うのだ。

 私の場合は、「G線上のアリア」と「メヌエット」の次がブランデンブルク協奏曲3番だった。中学3年の夏、FMで放送されたのをたまたまエアチェックしてハマッた。何回聞き直したか分からないほど聴いた。詳細は、こちらを読むこと。バッハが公私ともに充実していた時代の傑作である。全部で6曲あるが、中でも3番と5番は名曲の名に値する。

 高校に入ると、フルートを習いだし、そこで演奏者としてバッハの楽譜に接することになった。最初が管弦楽組曲2番、次がバッハの真作か疑わしいニ短調のフルートソナタ。こっちは真筆間違いない変ロ長調のフルートソナタと続き、ロ短調のフルートソナタと出会った。

 これは本当にショックだった。その旋律は後の時代のモーツアルトよりもハイドンよりもベートーベンよりも半音階的であり、モダンかつ陰影に富んでいた。その複雑かつ繊細な旋律が、バッハ一流の対位法によって重なり合い、絡み合いながら音楽が形作られていく。大澤さんがコメント欄で「バッハはアバンギャルドだ」と書いているけれども、まさに同じことを実感した。「どうしてこんな半音階を十分に含んだ曲を書けたのか、俺には書けないよ!」ってな感じである(当時すでに自分で作曲への試みを始めていた。今思えば無駄なことを…)。

 その後ああでもないこうでもないとバッハの半音階的な曲を漁るきっかけとなった。「インベンションとシンフォニア」のへ短調のシンフォニアとか。

 ネットとはありがたい場所であり、探せばちゃんとMIDIやらMP3のファイルが存在する。私がノックアウトされたロ短調のフルートソナタの第1楽章はこれだ。

 ちなみにへ短調のシンフォニアはこちら。グレン・グールドは「インヴェンションとシンフォニア」を独自の解釈で曲順を入れ替えて録音しているが、最後にこの曲を持ってきている。これは私からすれば、まったくもって正しい解釈に思える。

 で、同時期にNHK-FMの「現代の音楽」を聴き始めていたわけだが、そのテーマ音楽がウェーベルン編曲の「6声のリチェルカーレ」だったわけだね。

 これです、これ。(音が鳴ります。注意のこと)「は・つ・ね・み〜く〜」

 これはまた、色々と語り始めたたら止まらない曲なので、またいずれ機会があったら。

 この世には確かに、「聴かないと人生損する」という音楽が存在する。その一つは間違いなくバッハの音楽であり、それにティーンエイジャーの時に接することができた私は、随分と幸せだったのだ、と。
 まあ、思いこみかも知れないが、この年齢まで生きてきての実感でもあるのです。

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