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2011.11.03

山田一雄作品を聴いてきた

 久しぶりにブログを書くことにする。10月30日の日曜日、下記のコンサートに行った。

オーケストラ・ニッポニカ 第20回演奏会・山田一雄没後20周年記念/交響作品展 2011年10月30日(日) 14:30開演予定(14:00開場予定) 紀尾井ホール(東京・四ッ谷)/全席指定 3,000円 山田和男/ 大管絃楽の為の小交響詩「若者のうたへる歌」 (1937) 交響組曲「呪縛」(1940)* もう直き春になるだらう (1938) 城左門詩* 日本の歌 (1944/1959) 深尾須磨子詩* おほむたから 作品20 (1944) 大管絃楽の為の交響的「木曾」 作品12 (1939)

ソプラノ 山田英津子*
指揮 田中良和
管弦楽 オーケストラ・ニッポニカ

 山田和男(途中で改名して一雄、1912〜1991)の作品を集めたコンサートだ。

山田一雄の世界

 ヤマカズさんは、指揮者として何回も実演を聴いたものだ。頭の後ろのほうにだけ残った白髪を長く伸ばし、髪振り乱し汗飛び散らせ、飛び上がって指揮をする姿はありありと思い出せる。指揮棒から紡ぎ出される音楽は、いつも完璧ではなく、時として野暮ったさも感じさせた(当時は、あの流麗極まりない音楽を紡ぎ出す小澤征爾が、当たり前のように日本のオケの定期演奏会を振っていた)が、なによりも熱くエネルギッシュで、いったんエンジンがかかるとどこまでも高揚していった。

 作曲家としての顔もあることは、高校時代に著書「指揮の技法」を読んで知った。自作の譜例を掲載していたのだ。いや、顔があるどころではない、山田和男は戦前戦中を通じて、たいへん精力的に活動した作曲家だった。1950年頃から活動の軸足を指揮に移して作曲を止めてしまったので、ちょうど私が音楽に興味を持ち始めた時期は、作曲家としての側面が忘れ去られていた(ピエール・ブーレーズと似ているが、ブーレーズは完全に作曲を止めることはなかった)。ここ数年、代表作の「交響的木曾」が何回か演奏され、近くナクソスからCDが出るという噂もある(是非出て欲しい!)。

 ヤマカズさんはグスタフ・マーラーの影響を色濃く受けた人だった。戦前に日本にやってきたマーラーの直弟子、クラウス・プリングスハイムから直接作曲と指揮の指導を受けている。マーラーの孫弟子というわけだ。最初の「若者のうたへる歌」は、24歳の時の作品。濃厚なマーラーの影響が、五音音階的な旋律と混ざり合い、かつどこかショスタコーヴィチの交響曲、それも3番あたりを思わせる無限変奏的構成で展開していく。なにより瑞々しい。私は白髪の姿しか知らない作曲者の、若い瑞々しさが音楽に溢れている。
 「呪縛」は貝谷とも子バレエ団の為に書いた異国情緒溢れるバレエ音楽から抜粋した組曲。途中ソプラノ独唱が入り、意味不明(おそらくは異国語を想定したでたらめ、ハナモゲラ語じゃないかと思う)の歌詞を歌うのが面白い。
 ソプラノの山田英津子は、作曲者の娘さんだ。ヤマカズさんは、再婚でずいぶん歳を取ってから娘に恵まれた。私が高校生の頃「音楽の友」誌でまだ小さな娘さんと並んだ写真を見た記憶がある。
 あの写真の娘さんが、この人か…日本語の的確な発音と、ベルカント唱法の響きを効果的に使い分けるソプラノ歌手となっていた。実に良い声だと感じ入って、帰ってきてから検索をかけたら冬樹蛉さんのこのページがひっかかった。私の知人では随一の声フェチの冬樹さんが、ここまで入れ込むというのは大したものだ。

 ところで、パンフレットによると、チャイコフスキーの「白鳥の湖」日本初公演は貝谷とも子バレエ団によるが、オーケストラ譜が入手できず。ピアノ譜からヤマカズさんが独自にオーケストレーションを施して演奏したんだそうだ。当時の例としては他に、近衛秀麿版「展覧会の絵」なんてのもあるそうな。
 これは聴いてみたいな。楽譜は残ってないだろうか。

 「もう直き春になるだらう」は代表作のひとつ。素直な歌詞に素直な音楽が付き、繊細なオーケストレーションが可憐に響く。
 一方、休憩を挟んでの「日本の歌」は、「うましくに、ひのもと」と歌う日本賛美の歌詞に、マーラーを思わせる堅固・緻密なオーケストレーションを施した、まさに「マーラーの交響曲の一部」みたいな曲。
 パンフの記述によると、作曲者本人はこの曲にかなりの愛着があり、戦後も改作を続けて1959年に決定稿を演奏しているのだそうだ。あるいはこの曲こそは詩だけではなく音楽も含めて本人の「日本観」の吐露なのかも知れない。

 「おほむたから」はこの日最大の聴きもの。戦局急を告げる1944年に作曲され、一見戦意高揚を思わせる題が付いたオーケストラ曲ながら(「おほむたから」は天皇にとっての大いなる宝、つまり臣民を意味する)、マーラーの第5交響曲の第1楽章を換骨奪胎した構成をしており、極めて悲劇的な色彩が強い。近年になって音楽評論家の片山杜秀氏がこの事実を指摘したことから一気に注目されるようになった。


 徹底した引用と換骨奪胎という表現手法の面では、ルチアーノ・ベリオのシンフォニア(1969年)第3楽章(こちらはマーラーの第2交響曲「復活」の第3楽章を骨組みとしてありとあらゆる引用をコラージュしていった)に25年先駆け、自由に物言えぬ環境での暗喩による音楽の表現という意味ではショスタコーヴィチとほぼ同時期ということになる。
 もう冒頭から、マーラー5番からの換骨奪胎はありあり、ビートルズのパロディのラトルズを聴いているような雰囲気。そして、オリジナルの悲劇的雰囲気は拡大再生産されている。
 ここまで沈痛な雰囲気の曲でも、「おほむたから」とそれっぽい題を付ければ堂々演奏できたのだな。まあ1944年の段階で元ネタとなったマーラー5番を知っていた者のほうが少なかったのは間違いない。
 そういえば、ショスタコーヴィチ交響曲連続演奏会の時のトークで指揮者の井上道義氏が「昭和20年の空襲が続く中、日比谷公会堂では三日に一回の割合でクラシックのコンサートをしていたんですよ」と話をしていたのを思い出した。

 最後の大管絃楽の為の交響的「木曾」は文句なしの傑作。木曽節をはじめとした民謡が気持ちよく鳴りまくる。私はこの曲を実演で聴くのは2回目だけれど(前回もニッポニカの演奏だった )、外山雄三の「オーケストラのためのラプソディ」あたりと並んで、オーケストラが気持ちよく鳴らす日本民謡の曲としてもっと演奏されていいと思う。
 …と書いたら、こちらに「外山雄三のラプソディは、交響的木曾に触発されて書いたもの」という記述があった。これはびっくり。

 会場で、立派な装丁のヤマカズさんの演奏記録を500円というお値打ち価格で売っていたので入手。折田義正さんというお医者さんにしてヤマカズさんの大ファンが、編集したものだ。
 1991年7月21日の新交響楽団コンサートが最後の舞台。翌月の8月13日に79歳で急逝。最後まで現役だったんだな。もっともっと演奏したかったのだろう。

 ちなみに、「おほむたから」は来年2012年2月3日の東京ニューシティ管弦楽団第80回定期演奏会で、元ネタのマーラー第5交響曲と共に演奏される予定だ。興味のある方はどうぞ。



 指揮者としての山田一雄はあまり録音を残さなかったが、近年ライブ録音がいくつもCD化されている。こちらは、1978年2月12日に神奈川件の藤沢市民会館で演奏したマーラーの交響曲8番「千人の交響曲」のライブ録音。

 高校2年生の私はこの時、二階席の最前列にいた。木管が五管に拡大された四管編成オーケストラに合唱団、独唱と多数の演奏者を乗せるため、ステージは大きく客席側に張り出していて、張り出しの上で指揮する山田の姿は、二階席からは手すりの間を見え隠れしていた。山田は、例によって飛び上がり、伸び上がり、身をかがめて渾身の指揮をした。感極まって飛び上がる山田の後頭部が、手すりの間から飛び出してきたのを、私はありありと思い出せる。

 演奏も録音も決して最高ではない。特に第一部は雑駁でさえある。しかし第二部に入るとどんどん音楽は高揚していく。最後の「神秘の合唱」はまさに超絶的名演と言えるだろう。



 前にも紹介したけれども、この諸井三郎追悼演奏会のライブ録音はまさに名演。山田は多数の邦人作品を初演した。岩城宏之の先輩的存在でもあった。




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