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2013.03.31

NHKの残念な音楽ドキュメンタリー

 本日午後9時からNHKスペシャル|魂の旋律〜音を失った作曲家〜という放送があったのだが……知っている人ほど、口ごもるような内容だった。ただ一つ、作曲者の新作「レクイエム」をたっぷり時間を取って流したことだけを除いて。
 どういうわけか、NHKにとって作曲家ドキュメンタリーは鬼門のようで、かつては晩年の松平頼則を老残の作曲家扱いしたドキュメンタリーを製作して、作曲家の怒りを買ったりもしている(Wikipedia 松平頼則の項を参照のこと)。

 NHKは昨年秋には吉田隆子に関して、大変問題の多い番組を流している。以下は、昨年末のコミケで発表した文章を若干修正したものである。

忘れ去られたことにされた女流作曲家 (吉田隆子「ヴァイオリンソナタ・ニ調」)

 2012年9月2日、NHKの「ETV特集」で「吉田隆子を知っていますか〜戦争・音楽・女性〜」という番組が放送された。戦中戦後にはじけんばかりの才能を発揮しつつも左翼運動に関わり投獄され、十分に力を発揮することなく病死した作曲家・吉田隆子(1910〜1956)を主題としたドキュメンタリーだ。
 ネットを検索すると、この番組には概ね好意的な感想が記されている。「知らなかった」「こんな人がいたんですね」などなど。吉田隆子という作曲家の存在を知らなかった人たちが、吉田隆子を知るきっかけになった――それはいいとして。

 番組はこう始まる。
「忘れ去られた曲がある。ヴァイオリンソナタ・ニ調。作曲したのは吉田隆子。大正、昭和の激動の時代を生き抜き、その後、歴史に埋もれた。」
 ここまでで、もうダウトだ。
 忘れ去られた曲があるだと? 試しにアマゾンのミュージックで「吉田隆子」と検索してみよう。CDが3枚出てくる。


「歌、太陽のように・・・明治・大正・昭和に凛々しく生きた日本の女性作曲家たち」2009年発売。ソプラノ歌手の奈良ゆみが、日本人女性作曲家の歌曲を歌ったアルバムだ。吉田隆子の曲は、「ポンチポンチの皿廻し」「鍬」「お百度詣」「君死にたまふことなかれ」と4曲入っている。


 「荒井 英治 昭和のヴァイオリン・ソナタ選」2002年発売。ヴァイオリニストの荒井英治が、戦前戦中の日本人作曲家によるヴァイオリンソナタを録音したCD。吉田隆子の「ヴァイオリンソナタ・ニ調」が収録されている。


「Oriental」2011年発売。ヴァイオリニストの松野迅によるオムニバスアルバム。吉田隆子の「ヴァイオリンソナタ・ニ調」とヴァイオリン演奏による「君死にたまふことなかれ」が収録されている。



 アマゾンで出てくる曲の一体どこが「忘れ去られた曲」だって?しかも2種類も録音が出ているじゃないか。

 それだけではない。実は「ヴァイオリンソナタ・ニ調」の楽譜は、音楽の世界社(東京都練馬区向山3-21-11 FAX 03-3926-4389)という楽譜出版社から1999年に出版されており、2012年末現在も購入することができる。音楽の世界社の楽譜は、全国のヤマハが注文を受け付けている。これのどこが幻だというのか。
 番組を見ていくと、どうやらこの番組は「忘れ去られた女流作曲家を初めて発掘する」という意図で構成されていることが分かってくる。ナレーションは「長く忘れ去られた作曲家、吉田隆子」と「忘れ去られていた」ことを強調する。
 NHKの意図は明らかだ。そうしたほうがセンセーショナルに視聴者に訴えかけるので、そのように捏造したのである。実際には知る人が少ないだけであって、吉田隆子は忘れ去られていない。もっというならば、番組のディレクトターやらプロデューサーやらが知らなかっただけなのだ。
 それがはっきり分かるのが、番組終わり近くの「ヴァイオリンソナタ・ニ調」を紹介する部分だ。ナレーションは語る。「この曲は昭和30年に初演されたものの、その後忘れ去られ、幻の曲と言われてきた。今回、東京音楽大学の協力を得て再演を試みた。」

 いや、だからアマゾンでCDが買えるんだってば。

 現在、吉田隆子が忘れ去られることなく、CDが出ているには理由がある。一時期、吉田隆子について音楽を習った経験を持つ音楽評論家の小宮多美江さんが、粘り強く資料を集め、評伝をまとめ、楽譜を出版してきたからだ。音楽の世界社から出ている楽譜は、小宮さんとその周辺の人々の尽力によって世に出たものである。
 あきれたことに番組は、その小宮さんにもきちんとインタビューしている。81歳の小宮さんはきっと熱を込めてカメラの前で吉田隆子のことを語ったのだろう。ところが使われているのは、彼女が組織した団体「楽団創生」に関する部分のみだ。出演はわずか50秒程度である。
 実はもっと裏がある。この手の安易なテレビドキュメンタリーには、往々にしてネタ本が存在する。多分あるだろうと思ったら果たして存在した。



 「作曲家・吉田隆子 書いて、恋して、闊歩して」(辻浩美著・2011年12月、教育史資料出版会刊行)である。
 この本を入手して、私はびっくりした。評伝かと思ったら、この本は吉田隆子に関する生の資料を整理してまとめたものだったのだ。番組に出てくる病床日記がそのまま収録されているし、番組中で分析されている彼女の最初の作品「カノーネ」の楽譜も掲載されている。それどころか、CDが附属していて、そこには「ヴァイオリンソナタ・ニ調」が収録されていたのだ。

 明らかにNHKは知っていて、なおかつ「忘れられた作曲家・吉田隆子」という偽りのレッテルを貼って紹介したのだろう。

 NHKというマスにアクセスできる媒体が、吉田隆子を扱った番組を製作するのはとても良いことだ。今まで吉田隆子の音楽を知らなかった人が、その豊かな音楽に触れることは素晴らしいことである。
 でも、だからといって、彼女に「忘れ去られた作曲家」という事実と異なるレッテルを張って良いのか。そのやり口は卑劣であるし、番組を見る人に失礼だ。なによりもここまで長年にわたって努力してきた小宮多美江さんとその周辺の人々に対する侮辱である。

 そういったNHKの蛮行は別として、吉田隆子の音楽はもっと広く聴かれるべき、質の高いものだ。明治43年に陸軍軍人の娘として生まれた彼女は、恵まれた環境の中で大正時代の自由な空気を吸って伸び伸びと育った。作曲を志し、やがて左翼運動にも没頭し、戦争に向かって転げ落ちていく世相の中、何度も投獄され、体を壊した。戦争中をほとんど寝たきりで過ごし、戦後活動を再開するものの、獄中で破壊された健康は元に戻らず、46歳で病死した。
 だから、作品は決して多くない。18曲の歌曲、10曲の室内楽曲、そして力を入れていた演劇や人形劇のための音楽…。
 小宮多美江さんを中心とした音楽批評家グループ「クリティーク80」が著した評伝「吉田隆子」(1992年音楽の世界社刊行)には、伊福部昭が序文を寄せている。

 未だ女性が作曲をするなどほとんど思いもよらぬ時代に「内容に於いては新しい現実を反映し、形式に於いては民族的伝統の上に立つ」と宣言し、また事実、社会性とイデオロギーを重視した彼女の実作活動は、当時の一般的な音楽潮流とは一線を画するものであった。
 彼女は私より四歳年上であったが、ムソルグスキーを極めて高く評価し、また、民族的伝統を重視する点で見解が似ていたせいもあってか、よく話し合ったものであった。 (伊福部昭 序文 「吉田隆子」より) 

 もしも、クラシック音楽に興味を持つならば、「ヴァイオリンソナタ・ニ調」を是非聴いてほしい。まごうことなき傑作だ。荒々しさと優美さが何の矛盾もなく同居した、曇りのない一直線の音楽である。

 NHK番組の質の低下は、ずいぶんと前から感じていたが、これではETV特集も、もう信用できないな。これからはパソコンを膝の上において、検索しつつ見ないと危なくて仕方ない。


 今回の佐村河内守を紹介したNHKスペシャルは、私の「検索しつつ見ないと危なくて仕方ない」という印象を強化しただけだったのは、大変残念である。

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