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2013.10.05

巨匠が去って行った

 覚悟はしていた。でも悲しい、悲しいなあ。

訃報:三善晃さん80歳=作曲家、文化功労者(毎日新聞 2013年10月05日)

 2007年で創作が途絶え、風の便りで体調を崩しているらしいと知り、年齢もあって密かに覚悟はしていた。それでも……

 武満徹と並び、十代の自分に決定的な影響を与えた作曲家が去っていったのはショックだし、悲しい。

 とはいえ、私に書けることは多くない。ご本人のことは直接薫陶を受けたお弟子さん達が語るだろう。私が三善晃という作曲家について書けば、必然的に自分の音楽遍歴について告白することになる。

 音楽の記憶をたどるで書いた通り、中学2年の私は吉田秀和の「現代音楽を語る」で現代音楽なるものが存在することを知った。レコード漁りとエアチェックが始まったが、そうそうレコードを買うわけにはいかないし、エアチェックといっても聴きたい曲がすぐに放送されるわけでもない。

 そこで、茅ヶ崎市立図書館の音楽の書棚を漁った。すぐに目に付いたのは、タイトルに現代音楽と入った船山隆「現代音楽 音とポエジー」だった。

 当時新進気鋭の評論家であった船山の筆による、この見事なまでに凝った装丁の本は冒頭に3人の日本人作曲家、武満徹、黛敏郎、三善晃に関する評論を掲載していた。そこで三善晃という名前を知った。

Funayama1

 否、それ以前に「みよしあきら」という名前は聞いたことがあった。小学校6年の時、我が家にラジオ付きのカセットテープレコーダー、つまりラジカセがやってきた。面白がって録音したうちのひとつに、1974年5月5日放送のNHK-AM「音楽の泉」があった。その日の特集は「子供のための音楽」。レオポルド・モーツアルトの「おもちゃの交響楽」などと共に、木訥に語る村田武雄の声は三善晃の「砂時計」と「どんぐりのコマ」を紹介していた。合唱組曲「五つの童画」の第4曲と第5曲だ。
 このエアチェックのテープは自分のお気に入りとなり、その後何度も繰り返し聴いた(今も手元にある)。その他の“子供のための音楽”に比べ、この2曲は響きが全く違っていた。怖いとさえ思った。
 が、どうも心にひっかかって離れなかった。喉に刺さった魚の小骨のように、「砂時計」と「どんぐりのコマ」は精神をちくちくと刺激した。そして、船山「現代音楽 音とポエジー」により私は、村田がぼそぼそと語る「みよしあきら」が漢字で三善晃と書くことを知った。

 確か最初にエアチェックに成功したのは、堤剛が弾いた「チェロ協奏曲(1番)」だ。当時、中村紘子(ピアノ)、海野義雄(ヴァイオリン)、堤剛(チェロ)がソロを務めた、矢代秋雄「ピアノ協奏曲」、間宮芳生「ヴァイオリン協奏曲」、三善晃「チェロ協奏曲」をカップリングした2枚組LPが出たのだった(買いたかったけれど買えなかった)。とにかく激烈な、それまで自分が音楽と思っていたものとまったく違う激烈な音響に度肝を抜かれた。面白いことにその激烈さは不快ではなかった。なにか自分の内側を共鳴させる激烈さだった。

 最初に買った三善晃のLPは、「レクイエム」だった(左記の通りCDが再発売されている)。この素晴らしいジャケットデザインのLPに収められた「レクイエム」は、チェロ協奏曲を超える激烈さで、高校2年生の心を打ちのめした。

3lp1

 必死に貯金して、三枚組の「三善晃の音楽」を買った。そこで,激烈な音楽の前に、端正な白面の貴公子然とした作品が存在したことを知った。この三枚組には「五つの童画」も入っていて、何度も何度も聴き直した。

3lp2

 確か初期の代表作「交響三章」をエアチェックで聴いたのも同じ頃だ。三善晃27歳のこの作品はスタイリッシュな格好良さで自分を魅了した。

 そして突如、テレビアニメで三善晃の音楽が響くことになる。赤毛のアン(1979)だ。エンディングタイトルの「さめない夢」には驚愕した。

 そこからずいぶん彼の音楽を聴いた。戦争三部作の掉尾を飾る「響紋」は初演を聴いた。民音現代作曲音楽祭では時折ご本人を見かけた。休憩中、いつもロビーで満足そうにタバコを燻らせていた。

 言葉でも随分影響を受けた。三善の文章には、若者を惑わす毒があり、ご多分に漏れず自分も引っかかった。エッセイ集「遠方より無へ」は一時、自分にとっての聖書だった。

Sonata_sprit
これは、「遠方より無へ」ではなく、LP「三善晃の音楽」附属の小冊子。有名な「ソナタに精神なんかありはしない、。あるのは形式だけだ……」という言葉。

 三善晃はまさに白面の貴公子として。作曲家の経歴を開始したと思う。フランス留学時には一年先に留学していた矢代秋雄と共に、「キラ」「キオ」とお互いを呼んで研鑽に励んだという、それこそ腐女子が目を輝かすようなエピソードもある。紡ぎ出す音楽には、あくまで内面の感情の襞をなぞるような柔らかさがあった。
 それが1962年の「ピアノ協奏曲」から、ごろんと物体としての音を外に放り出すようなマッシブな量感に満ちた音楽を書くようになる。さらに1971年の「レクイエム」からは、生と死の間で引き裂かれた戦争被害者の悲鳴をそのまま音に塗り込めたような激烈な音楽へと変化した。
 この変容を音楽評論家の片山杜秀氏は、生と死の間の断絶を唄う「日本一の断絶男」と評した。根底にあったのは三善本人がエッセイで書くとおり、子供の時の戦争体験——機銃掃射により目の前で学校の先生が死んでしまった経験——である。同じ場所で伏せたのになぜ自分は生き残り、先生は死んだのか。

 心から鮮血が噴出するかのような体験は、成長の過程で一度は白面の貴公子に覆われたが、中年期に至り貴公子の仮面を割って再度噴き上げたのだろう。ただし鮮血ではなく、激烈なる断絶の音楽として。端正な感性と、フランスで学んだ完璧な技術が支える激烈なる音楽は、他に類を見ないものとなった。

 最後にあまりに美しい「ふるさとの夜に寄す」と個人的な思い出の染みついている「どんぐりのコマ」をリンクする(それが代表作ではないことは百も承知の上で)。

 そして、秋山邦晴「日本の作曲家」(音楽の友社1978)から,若き日の三善の写真を。まさに貴公子。

Prince

 たくさんの曲をありがとうございました。

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