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2010.06.29

月で公共工事をしたいのか

 事態が急速に動いている。秋山演亮さん(和歌山大学)が、「「反対意見は丸め込んででも、2020年までに月探査に2400億円を付ける」方向に強引に乗り切る方針が本日中に決定しそうです。」と書いた。

 前原宇宙担当大臣の有識者会合で委員を務めた秋山さんは、かなり太いパイプを宇宙開発戦略本部周辺に持っているのだろう。そして、秋山さんが書いていることは、まったく別のルートから私にも断片的に聞こえてきている(あまりにあまりな内容なので「裏を取るまで書けない」と判断していたのだ)。この動きがあることは間違いない。

「 心に翻るのは錦の御旗?」(2010年6月29日付け)

 もはや呆れたような状況になりつつあります。月探査懇談会の提案に関するパブコメ、今のタイミングで月をやる事に関する疑義がかなり出ていたようですが、「反対意見は丸め込んででも、2020年までに月探査に2400億円を付ける」方向に強引に乗り切る方針が本日中に決定しそうです。 何度も繰り返しますが、僕は別に月探査そのものに反対している訳じゃ無い。月の着陸探査はやるべきでしょう。それはいつかのタイミングでね。しかし他の物を全てかなぐり捨てて今のタイミングでやる話しでも無いし、ましてや2020年まで引っ張って2400億円という巨費を投じて、月南極に無人月面基地とか今、決めちゃうことの意味が全くわからない。

 このあたり、週刊ダイヤモンド6月12日号の宇宙特集で書いた。手元にある方は再読してもらいたい。

 まず「なぜ日本が月探査を行うのか」。
 当初の答えは、2004年1月のブッシュ米前大統領による新宇宙政策だった。スペースシャトルを2010年に引退させ、国際宇宙ステーション(ISS)も2015年度いっぱいで打ち切り。その代わり有人月探査計画を立ち上げるというものだ。
 これはJAXAからすると、ISS日本モジュールの開発に従事していたセクションの雇用問題である。だから、アメリカの次の計画である有人月探査計画に参加し、国内で予算を取る体制を整えようとした。
 ところが、ブッシュ有人月探査計画は、ハードウエア、なかでも有人用ロケット「アレスI」の開発が難航し(これも技術的には2006年の段階で予想できたことだった)、遅延と予算超過を引き起こした。

 2010年2月、オバマ米大統領は新しい宇宙政策で、有人月探査計画の中止を発表した。正式決定は米2011年度予算決定と同時ということになるが、すでに米国内では計画中止に必要な作業が進みつつある。

  「日本の大規模月探査に『アメリカについていくことで予算を取る』以上のモチベーションがない」——これは重要なポイントだ。もちろん研究者、科学者の間では月探査への欲求が、過去四半世紀以上にわたってずっと存在しているが、それは2400億円もかけて実施する内容ではない。

 秋山さんが提示した資料。
日本惑星科学会将来計画委員会報告書(1996年6月):古い資料だが、最近の私の取材でもこの内容は古びていない。今でも現役の研究者たちは「世界一線級の月探査のためにはLUNAR-Aで狙った地震計と熱流量計のネットワークを月に設置したい」と考えている。

 オバマ新政策で日本の月探査構想は、2階に上がって梯子をはずされた格好となった。

 私は、これで月探査に関しては宇宙開発戦略本部もJAXAも考え直すと思った。存在しない米計画についていくことはできない。そこを突っ切るということは、米がやるはずだった計画を自分の技術と自分の資金で行うということだ。そのためには「他のどれかの政策を差し止めてでも宇宙分野に大規模投資をする」という政治判断を必要とする。
 それを、参議院選挙のために、政治の側が動けないこの時期に決めることはないだろうと思ったのである。
 やるとすれば、それは政治の空白を狙った官の越権行為に他ならない。

 またオバマ政策は、ISSの運用を2020年まで延ばした。参加各国宇宙機関による宇宙機関長会議(HOA)は、2027年までの運用延長の可能性を議論することで合意した。つまり、JAXAの有人関連雇用は少なくとも2020年、場合によっては2027年まで確保される見通しとなった。

 だから月探査に関する懇談会については、一度考え直すだろうと、常識的に考えていたのだが…まさか中央突破を目指してくるとは。
 動機は何だろうか。「ここまで積み上げてきた議論を無にすることはできない」ということだろうか。状況がオバマ新政策で劇的に変化したのだから、ここは「君子豹変する」べきところだろう。
 前提がひっくり返った以上、積み上げてきた議論はすでに無になっているのだ。

 「2020年までに月探査に2400億円を付ける」計画がスタートすると何が起こるか。まず他の計画がすべて圧迫される。参議院選挙直前の政治不在の状況で決定することになるから、予算全体を増額するという政治的決断は望みがたい。

 勢い、JAXA経営企画が「これは減らせない」と判断するものから予算を確保していって、最後に残ったものにすべてのしわ寄せが行くことになる。まず間違いなく宇宙科学全般だろう。

 「はやぶさ2」がなくなるどころではなく(当然、より大きな予算を必要とする「はやぶさマーク2」もあり得ない)、X線、赤外線といった宇宙望遠鏡も、プラズマ・磁気圏観測もソーラー電力セイルのような新たな技術試験も——その他すべてが圧迫されるだろう。一方で「宇宙科学には月探査で十分な予算を付けているではないか」という言い方をされることになることになるだろう。
 情報収集衛星がスタートした時と全く同じだ(ちなみにこの構図は1980年代、ISS日本モジュールがスタートした時にもあったそうである。当時は予算が右肩上がりだったので、破滅的事態は回避された)。

 「アメリカに代わってアメリカがやるはずだった計画を実施する」という覚悟も合意もなしに、「2400億円という巨費を投じた月南極に無人月面基地」は、2020年代前半には、「これをいったいこの先どうするのだ」というお荷物になるだろう。科学的価値を考え抜いて決定した計画ではないから、真の成果は限られる。成果の乏しさは「月面を走行する日の丸ローバーの勇姿をハイビジョン画像で」といった画像でごまかされることになるだろう。
 混乱の中で、「せっかく作った月拠点を生かすためには、さらなる計画を進めねばなりません」と焼け太りを狙った動きがでてくるだろう。関連産業にお金は落ちるだろうが、肝心の「それでどうなるの」という目的はまったく省みられなくなるはずである。
 結果、危機的財政状況の下、月に誰も通らない道路を建設するような、公共工事が続くことになるだろう。


 今回の件、私のところにもぼつらぼつら聞こえてきていたのだが、その中に「一般国民は、はやぶさの小惑星探査も月探査も区別が付いていないから、『はやぶさの経験を生かして月からサンプルリターン』というシナリオを書けば、はやぶさ帰還に湧く国民は納得する」という声が入っていた。まさかそこまで国民を低く見ているとは思えず、この話は誇張か情報伝達につきもののノイズかと判断していたが、秋山さんがここまで書く以上、事実である可能性は高いと思わねばならない。

 いいかげん国民をバカにするなと言いたいが、実際はやぶさ関係者に「業務命令だ」と強制して、「はやぶさのサンプリング技術を活かして、月からのサンプルリターンをやります」というプレゼンテーション・シートを書かせるぐらいのことはあってもおかしくないだろう。

 たとえはやぶさ関係者がプレゼンしたとしてもだまされまい。小惑星からのサンプル採取と、月のような高重力天体からのサンプル採取の技術は根本から異なる。共用可能な技術はごく少ない。

 この件に関しては、秋山さんの文章に全面的に同意する。

 幸い、このblogにはそれこそJAXAからも内閣府からも文科省からも毎日、幾度となくアクセスを戴いています。であるなら、是非、読んでください。考えてください。今一度、胸に手を当ててよく考えてみてください。日本の宇宙開発は、日本の科学は、日本の国際プレゼンスは、日本の未来は、あなた方の舵取りによって為されているのではないですか?本当に、誇りを持って、今、貴方は最善の決断をしていますか?今、あなた方がする決断が、まさに日本の子ども達の将来を決めてるんですよ?それはホントに日本の為の決断ですか?組織維持のための決断ではありませんか?そのことに今一度、想いを馳せて戴きたいと心から思います。

 私に出来ることは何だろう。将来に禍根を残す決断は、きちんと経緯を取材して後世に記録を残さねばならないだろう。

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2010.06.26

月に行って、で、それでどうするの?

 連日忙しい。今日も午後11時を過ぎてこれを書いている。昨日の記者会見の続きだが、まだメモを整理する時間をとれていない。明日以降に掲載いたします。

 和歌山大の秋山演亮さんが、以下のような記事を書いている。

我が国にとって月探査は最優先事項か?(有人宇宙港を巡る冒険 2010年6月25日)

 

 私は我が国にとって、月探査は最優先事項ではないと思う。今やるべきは小天体探査機の後継機をさっさと決めて来年度予算化することだ。そのために必要な「比較検討」の議論が行われ、その過程が広く公開されることを、心から願う。

 ところで、野田司令こと野田篤司さんも、月探査に関して全く同じ趣旨の文章を発表している。

月に行くのは、より道・遠回り・行き止まり(2010年6月3日)

 秋山さんと野田さんが示し合わせたということではなく、私が取材した範囲では、きちんと考えているプロの間では、両者の考え方が一般的なのだ。
 野田さんのほうが項目立てして整理された形で月探査の問題点を整理している。

  • 月に行くメリットはない
    • 月も物資は無い。正確に言えば、あるのは岩と砂だけだ。水は科学的な研究対象で分析できる程度の量しか無いだろう。人間が生きていくのに必要な量は無い。
  • 月に行くのは難しい
    • 月に行く困難さは方向性が違いすぎて練習にならないのだ。

  • 月に行くのは遠回り

    • 地球から全て物資を送るなら、月の重力に逆らって着陸して離陸するのは無駄以外の何者でも無い。

  • なぜ、月に行きたがるのか?

    • 心理的なもの。子供の頃に刷り込まれた憧れとか、そう言うものが潜在意識的な欲求として働いているとしか思えない。
       つまり、アポロの月着陸を子供や若い時代に体験して、それが刷り込まれてしまったというわけ。


 より詳しい内容は、秋山さんと野田さんの文章を直接読んでもらいたい。

 秋山さんは冒頭で、「月探査懇談会の報告書(案)が提示され、パブリックコメントの募集が6/17〆切で行われた。」と書いている。私も取材の過程で、「そろそろパブリックコメントに対する返事がまとまっている時期だよ」「どうやら、一般の人は月探査やるべきというコメントを書いていて、それを受けて宇宙開発戦略本部は月探査やるべしという方向に持っていくようなまとめを出すようだよ」と聞いている。

 しかし、実際にはきちんと考えているプロたちは、月探査はより遠くに行くための方法論として筋が悪いと考えているわけだ。

 「はやぶさ」の飛行が見せてくれたことの一つに、「太陽系は地上から見ているのとは違う実態をしている」ということがある。地上から見ると月は大きく見えるし、惑星は明るく輝いて見える。目立つところには行きたいと思うものだし、月や惑星こそが太陽系の主要構成要員だと思い込みがちだ。
 しかし、「はやぶさ」は、実際には差し渡し500mほどの小さな小惑星でも全く想像もしていなかった複雑で豊かな表情をしており、科学探査を行うに足る謎を秘めていることことを直接的に示してくれた。大きな月や目立つ惑星だけが太陽系ではない。多数の小惑星や彗星、あるいは黄道光のような星間ダストなども月や惑星などと同等の太陽系の一部なのだ。私たちは地上の常識に縛られているのである(「重力に魂を引かれている」と形容してもいいのかもしれない)。
 だからこれから人類がどこに向かうかは、地上の常識を離れて、ありのままの太陽系を観察して決めなくてはいけない。「はやぶさ」はそのための判断材料のひとつを提供したといえるだろう。
 
 野田さんはアポロ計画を例に挙げているけれども、私が思い出すのは子供の頃に見たテレビ番組「キャプテンウルトラ」の主題歌冒頭だ。勇壮な富田勲作曲の主題歌は「月も火星も遙かに超えて」と歌い出す。
 キャプテンウルトラの主題歌は今でも大好きだ。しかし、私たちが超えていくのは月や火星ではないのかもしれない。小惑星や彗星や、フォボス・ダイモスや木星の諸衛星なのかもしれない。

 実は自分も、2年前にこんな文章を書いていたのを思い出した。

さらば水金地火木土天海冥(人と技術と情報の界面を探る、PC Online2008年4月15日掲載 読むためには登録が必要)

 日本は今、米国の有人月探査計画に参加する方向で検討しているが、本当にそれでいいののだろうか。私達はどこに向かうべきなのか、最新の情報に基づいてよくよく考えてから決めるべきだろう。でなければ、「月に莫大なお金をかけていったはいいが、なにもなかった」ということになる可能性があるのだ。

 実はこのあたりは、ブッシュ米前大統領が2004年1月に有人月探査構想を打ち出した頃から、さんざん仲間内で議論して、「やっぱり月はダメだろ」という結論が出ていたのだった。議論の一部は、笹本祐一さんの「宇宙へのパスポート3」にも書いた。

 さあ、宇宙開発戦略本部は、パブリックコメントにどんな返答をしてくるだろうか。

追記:ちなみに私は、月探査懇談会報告書(案)へのパブリックコメントとして、以下のような文章を送付した。

 月には科学的探査の価値がある。これは間違いない。しかし、それ以遠への展開を考えると一点集中投資するほどの価値はない、というのが私の意見である。

 月探査は月探査のみで独立した分野ではなく、広く太陽系探査全体の中に位置づけられるものである。それをなぜ月のみを突出して宇宙開発戦略本部の懇談会を立てて審議したのだろうか。


 アメリカの有人月探査計画に呼応したものと推察する。が、今年初めにオバマ米大統領は有人月探査計画のキャンセルを発表した。正式決定はまだだが、米有人月探査計画に呼応した日本の月探査構想は、この段階で「梯子を外された」と考えるべきである。



 米計画がなくなった以上、日本の月探査は日本の宇宙戦略の一環として企画立案する必要がある。


 日本の宇宙戦略にもっとも必要なのは、現実と見据えた合理性である。その意味では月探査には、科学的意味以上のものは見いだせない。科学探査には意味がある。太陽系全域探査に向けた技術開発は意味がある。しかし国際政治的な意味は、米の方針転換で消失した。



 従って、日本の月探査は、1)太陽系探査の枠組みの中で、2)科学的探査と技術開発の両面で合理性を持った形で、実施する必要がある。



 上記の観点からすると、月探査に関する懇談会報告案に記載された月探査計画は2つの問題点がある。



1)予算規模が大きすぎる。現行の予算規模の中で実施すると、他の太陽系探査計画を圧迫しかねない。これは本末転倒だ。太陽系探査の中の月探査であって、月探査のみが科学目標として突出しているわけではない。

 この規模で実施するならば政治的判断による予算増額が必須である。予算規模が全体として増えない場合は、探査の小規模化すべきと考える。



2)2020年の計画については、果たして月の南極を目標とすべきか、その科学的意義を最優先に再考すべきである。南極については水資源存在の可能性が指摘されており、米有人月探査計画でも着陸候補地・基地建設候補地であった。しかし、米計画がなくなった今、極域を目指す理由は何なのだろうか。月の水については、その存在はほぼ確認できたものの量は少なく広く薄く分布していることが分かっている。これまでの探査では資源として有望なだけの量がまとまって存在する確証は見つかっていない。

 月探査機「かぐや」の観測で発見された溶岩チューブに通じるらしき縦穴も、探査目標の候補として、ミッションの科学的価値の視点から論証すべきであろう。

 技術開発の面でも、再考すべきところは多々ある。本当に精度100mでしか着陸できないのだろうか。むしろ「科学側の要求が100mでしかないから、工学側もそれ以上のモチベーションが出ない」という可能性はないか。縦穴縁への着陸、あるいは縦穴への降下まで考えることはできないのだろうか。

 あるいは、越夜技術について。プルトニウムを使えば簡単に問題解決可能なのだから、無理筋の技術開発を行うよりも、プルトニウム搭載が可能な体制を作るほうが、正論ではないか。それは検討されたのか。あるいは、そもそも越夜技術の将来の太陽系探査への展開の可能性が乏しいならば、ぱっさりあきらめるという選択肢も考慮する必要があるだろう。



追記:我が国独自の有人宇宙計画について、このような公文書に記載されたことは高く評価できる。しかし、有人宇宙計画と月探査をリンクさせるのは、米有人月探査に引っ張られた大きな間違いだ。有人宇宙計画と月探査は独立した別物として扱うべきである。

 なぜ、我が国は米有人月探査との絡みでしか、独自有人計画を議論できなかったのか。どこに日本という国の自主性があるのか、よほどきちんと反省する必要がある。



以上

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2007.12.26

トップに広告、新規カテゴリー追加、そしてJASRAC

 ココログの機能を利用して、トップに「昭和のロケット屋さん」の宣伝を置いてみた。一月ほど掲示してからサイドバーに持っていく予定。

 これから記事をあれこれ書く予感がするので、新たに「初音ミク関連」というカテゴリーを作った。今後増えるであろうボーカロイドについてや、音楽著作権の話などはこのカテゴリーに入れることにする。

 JASRACについて、少し書いておくべきなのであろう。もう8年前だが、2年間代々木上原に通って取材した相手だ。色々問題の多い組織だが、だからといって「カスラック」と罵っておけば良いというものではない。

 とりあえず参考になりそうなリンクを以下の通り捜してみた。

「補償金もDRMも必要ない」——音楽家 平沢進氏の提言 :ITmedia 2006年6月12日
 平沢進氏は、著作権管理についてかなり先鋭的な主張をしてきたアーチスト。この記事は、アーチストの側からJASRACの管理のどのあたりがうっとうしくて理不尽に見えるかを概観することができる。
 特に、音楽著作権の管理が、今やJASRACの独占ではないこと。にも関わらず、一般開放されたのは録音権のみで、その他関連権利はまだJASRACの独占であることは要注意だ。
 この著作権管理の民間への開放は、ちょうど私が取材していた時期に色々と紛糾していたところだ。なるほど、こんな結果になったのか。
 「開放」といいつつ「録音権」だけ開放というのは、いかにも霞が関がやりそうな手段だわい、と思うのである。

八分音符の憂鬱:みっくみく問題考:作曲家の吉松隆氏のblog
 実際にJASRACに権利委託をしている作曲家によるこの問題に対するコメント。

夏休み雑談・作曲家と著作権:月刊クラシック音楽探偵事務所(2007年8月10日)
 同じ吉松氏による、著作権に対する論考。しゃれにならない実態が赤裸々に描かれている。
 吉松氏は、一般向けに著作権の話をしばしば書いていて、私は作曲家である:第3章■作曲家という仕事にも、著作権の話が出てくる。なるほど、JASRACの取り分は29%か…

JASRACは「放送通信融合」の敵か味方か 菅原常任理事に聞く(CNET Japan 2007年12月26日)
 JASRACの態度は、この記事にはっきりと出ている。YouTube問題について「契約体系については、地上波テレビ局同様、総収入の2%をお支払いいだだく形になります。」とあるが、うち29%がJASRACの手数料であると仮定すると、事業者の総収入のうち約0.6%がJASRACの収入となる計算だ。
 日本テレビを例に取ると、2006年度の総収入は3436億円なので、2%の69億円がJASRACに支払われ、うち18億円ほどがJASRACの収入となるわけだ。


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2006.05.24

Google AdSenseを導入する

 気分転換の一環として、Google AdSenseを導入した。「Web2.0 AD」という項目を立てて、そこに広告が入るように設定した。

 これまで、「ジャーナリストの端くれが、Webで金儲けに走るのはねえ」と思って、避けてきた。しかし野尻抱介さんが、Google AdSenseを導入し、Google側がどんな広告を送りつけてきているか、面白がって観察しているのを見て、気が変わった。こうなると、広告といってもGoogleの仕組みを調べる楽しいハッキングとなる。

 さらには今後Web2.0というような言い方で括られている経済システムが伸びるなら、そこに実践者として飛び込んでいくのも面白いかも知れない。遅まきながらそう思った次第。

 これまでもAmazonのアフィリエイトを使ってきたが、今後はもう少しアフィリエイトの範囲も広げようと思う。ただし、「自分が読んで(使って、食べてetc)良かったものを紹介する」という方針は守るつもり。例外として、新刊一覧のような本の紹介は、行うかも知れない。
 ともあれ、筋を通しつつ柔軟にやっていくこととしよう。

 当面はいくら儲かるかよりも、Googleがこのページにどんな価値を見いだして、どんな広告を送ってくるかを観察して楽しむこととしたい。色々と毀誉褒貶のあるGoogleだが、具体的にどう振る舞っているのか、まずはお手並み拝見ということになる。

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2006.05.22

気分を変えてみる

 ここのところ、Blogを続けるモチベーションが低下気味。ということで、開設以来、変化なしで来たデザインを、色だけ変えてみた。

 しばらくはちまちまと試行錯誤してみる予定。とはいえ、なるべくシンプルに、なるべく見やすくというポリシーは変えないつもりです。

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2005.10.24

大井浩明氏のblogを発見する

 例によって逃避して、ネットをさ迷っていたらピアニストの大井浩明氏のblogに行き当たった。

閘門ブッコロリ

 大井浩明。2002年に「史上最も演奏が困難なピアノ協奏曲」と言われたヤニス・クセナキスの「シナファイ」を録音し、クラシックファンの間にセンセーションを巻き起こしたピアニストだ。無茶苦茶指がよく回る人である。

 ちなみにネットにはシナファイのピアノパート解説もある。日本初演の時にはピアノを担当した高橋悠治の指から出血したという曰く付きの曲だ。HMVの紹介はなかなか詳しくてお薦めである。

 こんな曲を書く方もいい加減イカれているが、演奏する方はもっとすごいと思う。

 大井氏のページからは、様々な現代曲をストリーミングで聴くことができる。しかもその「シナファイ」のライブ録音を聴くことができるではないか。

■2005/09/29(木) That’s made for you and me, ミッキー井上 ヘイ!ハイ!ホウ!

 こいつは豪気だ!と思ったけれど、なぜか私のPowerbookではうまく再生できない。他の曲はうまく再生できるのに残念だ。

 それでも、なかなかお薦めのページだ。

 興味のある方はどうぞ。シナファイのCD発売時の大井氏インタビューもなかなか面白い。

 大井演奏によるシナファイのCD。好奇心の強い方は是非とも史上最難のピアノ演奏に耳で挑んでみて欲しい。ただし、かなり手強い曲だから、分かろうが分かるまいがとにかく10回以上聴き込むことを覚悟したほうがいいだろう。  恐るべき密度の曲であることは確かだ。  ちなみに“シナファイ”は、別に中国とは関係ない。「結合」という意味である。シナプスの“シナ”と同じ。

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2005.04.04

野田さんと歌島さんのblogを紹介する

 相変わらず潜航中の私だが、野田司令こと野田篤司さんのblogが始まったので告知する。口止めされていたのだけれども、SF系日記更新に掲載されたので、書いてしまう次第。

 ・マツドサイエンティスト・研究日誌

 もうひとつ、JAXAの軌道解析の専門家である歌島昌由さんのblogも、野尻ボードに歌島さんが登場したことで見つかった。

 ・歌島昌由の近況

 紹介されている軌道力学の論文が、分からないまでもとても刺激的だ。SF作家の皆さん、ハードSFネタの宝庫ですよ!

 というわけでまた潜航する。締め切りはもはや危険水域である。ぶくぶく。

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2005.03.03

市民運動とメディア・リテラシーについて、大岡みなみ氏にコメントする

 しばらく潜航している。

 その間にロフトプラスワンに出たり(今回は絶句するだけではすまなくて、林さんの言葉で壇上に突っ伏してしまった。あんなことが出てくるとは)、種子島に行ってH-IIロケット7号機の打ち上げを取材したり、ひたすら原稿を書いたり——とかなんとか忙しくしていた。今も忙しい。いかん、税金の計算もしなくては。

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 気になっていたことを書く。新年早々、記者のblogが炎上(この言葉もネットではすっかり定着してしまった)件を書いたが(1月6日付「ネットのマツリを目撃する」)、その後2月の頭に、もう一つの記者blogも炎上し、消失した(この件をまとめたblog「幻影随想」2005年2月5日の記事)。

 簡単にまとめるならば、記者を名乗って運営されていたblog「しがない記者日記」(現在は消失)に1月23日付けで

「NHKと朝日新聞がやりあっている。というより、明らかにNHKがひどい。番組を流す前に政治家に見せて意見を求めたら、それはもう検閲でしかない。」

と掲載された。それに批判的な内容が付いたところ、「しがない記者」氏は、「アカ」「サヨ」「プロ市民」といった言葉を使った挑発的な反応を示した。するとそれが2ちゃんねるに転載されて一気に「マツリ」状態となってしまった。その中で氏が朝日新聞の地方局記者であることが判明してしまう。NHKとのトラブルの渦中にある朝日新聞の社員が、身分を明かさずにNHKを批判していたというのでますます批判が加速。
 そこで「しがない記者」氏はまたも対応を誤り、さらに批判が殺到し、ついにblogを閉じてしまったのだった。

 私は、この件は前回と同様、blog開設者のメディア・リテラシーがあまりに低かったために起きたと考える。特に渦中の会社に勤務する者がその事実を明かさずに自分の所属組織を擁護する書き込みをするというのは致命的だろう。

 本題はこの炎上自体ではない。この件はあちこちのホームページでコメントされたのだが、その中に大岡みなみ氏のページ「サード・インパクト」があったのだ(大岡氏は実名を明かしているが、ここでは氏のネットにおけるハンドルである「大岡みなみ」と記述する)。

 大岡氏は、フリージャーナリスト。司法と教育、司法などを専門としている(氏自身によるプロフィール氏の著作)。
 私は以前から氏の日記である「身辺雑記」を読んでいた。政治的態度は私とかなり異なるが、アクティブに私にはできない仕事をしているという意味で評価している。

 その大岡氏がこの記者blog炎上について2月6日と2月8日付けの「身辺雑記」(このリンクは最新版。近いうちに過去ログに入るはずなので自分で探して欲しい)で取り上げている(注:氏のページは直接日付へのリンクが出来ない構造になっている)。

 その内容が、私から見ると、どうにも氏の仕事からは考えられないほど根拠薄弱なのである。

 大岡氏は2月6日付の「記者ブログへの暴力的攻撃」で以下のように書く。

 友人の新聞記者が個人的に開設しているサイトのブログが、いわゆる「ネット右翼」に荒らされて開店休業に追い込まれた。ブログでNHKの番組改変問題を批判的に取り上げたところ、某巨大掲示板で一方的な非難が始まり、続いてブログに書き込みが集中した。それだけでなく、ネット検索やリンク先や記事内容からあっという間に本人が特定され、勤務先や本名などの個人情報が掲示板やほかのいくつものサイトで暴露された。さらには、職場に嫌がらせの電話までかかってくる事態にまで発展したという。

 「まともな論理」や「筋道立てたコミュニケーション」とはおよそかけ離れた世界で、しかも「集中攻撃」という形で一方的に誹謗中傷するのは、まさに言葉の「暴力」としか言いようがない。こういう袋だたきのバッシングはファシズムそのものだ。やっている連中はいっぱしの「言論」のつもりなのかもしれないが、こんなものは「言論」でもなんでもない。しかも、個人情報をさらして嫌がらせや脅迫まがいのことを平然とやってのけるとは、なんたる卑劣さだろう

 この記述には、朝日新聞記者が身分を明かすことなく朝日新聞を擁護する書き込みをネットで行うということに対する、倫理的な自省が見あたらない。
 大岡氏は2月8日付の「記者ブログへの暴力的攻撃 その2」で以下のように書く。

「 それからもう一つ。「所属している会社を隠して語った」ことがさも大問題であるかのように攻撃されているが、これは全く見当外れの不当な「言いがかり」だろう。サイトやブログの運営はあくまでも個人的にやっているもので、会社組織を代表して意見表明しているわけではあるまい。個人的な判断として「記者」の経験やバックボーンを明らかにしたとしても、だからといって会社員が会社をすべて背負って生活しているわけではない。これは、記者という職業に限らず、サイトやブログを個人運営している人たちすべてについて言えることではないのか。 」

 だが、言論組織に所属し、言論を仕事とする者が、自らの所属する組織を所属を明らかにすることなく擁護する言論をネットで公表するというのは、明らかに議論を一方向に誘導する行いではないだろうか。「しがない記者」氏が朝日新聞に所属しているという情報は、それを知っているか否かで、「しがない記者」氏の記事を読者がどう受け取るかを逆転させるだろう。

 つまり、「しがない記者」氏が朝日新聞の記者であるという情報は、本来的に「しがない記者」氏のNHK批判記事の一部なのだ。氏はそれを隠蔽してしまったのである。
 サイトや部録の運営は個人的にやるものだが、発言者は実社会における職業その他の属性から逃れられるわけではない。ましてジャーナリストの場合、仕事も言論、ネットで個人的に行うのも言論である。そこには相応の注意があるべきだったのではないだろうか。

 大岡氏は2月8日付け記事で書く。

「 もちろん、自分とは正反対の意見ではあってもきちんと筋が通っていて真摯に述べられている主張に対しては、ブログ主宰の記者もきちんと対応したと思う。少なくとも僕はそう理解しているし、そういう「真っ当な反論や批評」に対しては、それが「記者だから」などというのとは関係なく、人として誠実な対応をするべきなのは言うまでもない」

 その通りだ。私が思うに、「しがない記者」氏は、上記に大岡氏が主張することが全然実践できていなかったのである。

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 一ヶ月以上前の事件、それも事件そのものではなく事件に対する第三者のコメントに、なぜ今更のようにコメントするかといえば、先般私のところにやってきて削除された例の「高校生っぽい書き込み」以降、「一体なぜ、こうもネットで市民運動は攻撃されるのか」そして「なんでまたこう市民運動的な言論を展開する論者は、脇があまくてリテラシーが低いのか」を考え続けているからだ。

 自分はどうなんだと言われれば、あやしいものであることは重々承知しているが、それでも大岡氏の記事に、「この人にしてこれか」と感じてしまったからなのである。

 

 安易な一般化は禁物なのだが——


     
  • たまたまそういう者が目立つだけなのか。
     
  • そもそも市民運動が、そういういい加減なものだったのか。
     
  • 市民運動という運動形態が、構成者のメディア・リテラシーを向上せしめる環境を持たなかったのか。
     
  • 市民運動というものに、引き寄せられる体質というものがあって、そこにメディア・リテラシーの不足が刻印されているのか。

 馬鹿馬鹿しいものもふくめて色々な仮説を考えてはいるのだが、なかなか納得いく説明が見つからない。

 以下まとめだ。

 市民が声を上げていくことは重要だ。
 が、可能な限りのデータや事実を吟味する前に偏った主張で声を上げてはいけない(週刊金曜日から生まれたあの愚劣な「買ってはいけない」のように)。だから市民運動には、なにはさておきネットにおいても通用するメディア・リテラシーが必要なはずだ。

 しかし、私がネットを見ていく限りにおいて、市民運動系のページに、情報の扱いに不慣れに起因する思われるメディア・リテラシーの低さが目立つのである。

追記:
 例によって興味本位のコメントは自粛をお願いします。私としては、大岡氏ときちんと議論をしてみたいなと考えていることをここに表明しておきます。おそらく結論は出ないでしょうが、少なくとも私にとっては得るものがあるのではないかと思えるので。

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2004.04.03

アクセスが大爆発する

smart.jpg

 4月1日、エイプリルフール。野尻ボードには皆さんよりすぐりの嘘を投稿している。

 なにかがぷちんと切れてしまったので仕事を放棄。こういうときは休むほうがいい。海岸を散歩してスポーツクラブで1400mほど泳ぐ。

 なんとこのページのアクセスが大爆発。どうなっているんだ?とアクセスログからたどってみると、「自動車ニュース・コラム」というメールマガジンに、三菱ふそうの問題を書いた日の日記がリンクされていた。しかも知人2人から「このメルマガに引用されていたよ」とのメールも届いた。

 自動車というのは社会に大きな影響を与えていて、多くの人が関心を持っているんだな。と実感する。私の更新するページが今までに経験したアクセス記録は、SpaceServerを運営していた時に、南米ギアナから「アリアン5」ロケット1号機の打ち上げを中継した時だった。打ち上げ後40秒でロケットが爆発し、アクセスが殺到したのだ。しかし今回のアクセス数はそれ以上だった。この8年間にネット利用人口が激増しているとはいえ、やはり自動車はロケットよりも社会にとって重要なのだ。

 自動車ニュース・コラムから来た皆様、いつまで続くかも分からぬ吹けば飛ぶようなページですがよろしくお願いします。

 写真は近所を走っていた「smart crossblade」、ダイムラー・クライスラーが日本に入れているコンパクトカー「smart」を、徹底した遊びバージョンに仕立てた車。実に軽快そうで見ていて楽しい。ホームページを見ると日本での販売数は34台とのこと。

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2004.03.24

アクセスが爆発する

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 昨夜、サイエンスライターの森山和道さんのホームページから当ページがリンクされたため、本日23日はアクセスが爆発。昨日の10倍近い人がこのページを見てくれた。さすがは科学技術ニュース系ポータルの大手である森山さんのページ。その効果は抜群だった。

 森山日記経由でここを初めて見た皆様、よろしく御願いいたします。こんなページですが、ぼちぼちと肩の力を入れずに更新していく所存ですので。

 当ページは、「まあいつまで続くか分からないし、来てもらってもコンテンツが少ないと申し訳ないし」ということで、あまり積極的に宣伝してこなかった。コンテンツがたまるにしたがって少しずつ知り合いに折りあるごとに「こんなページをやってるよ」と知らせてきた。今回森山さんに知らせたら、「リンクいいですか」ということだったので「いいよ」と返事した次第。

 しかしblogerか…

 私もまた、1年ほど前だったか伊藤穣一さんが「これからはblogだぜ」と言い出した時に、「なーにまたアメリカからはやりもの持ってきてぬかしておるか」という印象を持った一人である。かつてパソコン雑誌の編集記者をしている時に、アメリカから新しい物を持ってきて日本との情報時差を使って商売している連中を山ほど見た。ソフトバンクの孫正義氏などは、記者会見で堂々と「アメリカで起きた波は時差を持って日本でも必ず起きます。だからアメリカで起きた波を日本に持ってきて投資すればビジネスになります」と言っていた。

 そういう意味では、「わーいblogだー」と調子に乗った連中とか、「コレはコミュニケーションを変えるメディアで」とかしたり顔で解説していた連中には、今もあまり良い印象を持っていない。だから、こんなページを続けるようになった今も、「ブロガー」と呼ばれることには抵抗感がある。

 ただ、これはSpaceServerを必死になって更新していた時からだが、「ネットに蓄積していく情報を、蓄積するその時点で整理されたものになるようなソフトウエアが欲しい」と痛切に感じていたのも事実である。実はバックエンドにデータベースを持つ仕組みを自分で作ろうとしたこともあるのだが挫折した。なにしろ私は全くプログラミングに暗いのである。

 私思うに、blogの最大の特徴は、投稿した記事が投稿したその時点でラベル付けされ整理されるということだろう。しかも整理された情報がよく考えられた画面の中にきちんと表示される。この「入力即整理」と「整頓された見やすい画面表示」が私にとってのblogの意味である。コメントは、まあ便利かな、という程度。そしてトラックバック機能はよく分からない。通常のハイパーリンクではいけないのか?と思ってしまう。名前が違う以上異なる意味があるのだろうが。

 ネットには即時性と同時に、時を超えて何年も前の情報を瞬時に引き出すこともできるという通時性という特徴もある。通時性という特徴を生かすためには日々蓄積する情報を整理して格納することが不可欠だ。

 それがあるからこそ、私は今こうやってblogを使ってへらへらと日記まがいの更新をしているのでありました。

 曇り空で寒いのは相変わらずだが、昨日ほどではない。本日から次の仕事。夜、泳ぎに行く。思い切って泳ぐ距離を1300mにしてみる。が、ああ、飯がうまい、で食い過ぎて元の木阿弥。

 写真はここんところにやにやしながら見ているロシアンCD-ROMの内容のほんの一部(NPOモルニヤ社CD-ROMより引用)。上は「gk-175」という翼を持つ完全再利用型エネルギヤ、下は「ヴァルカン」という超エネルギヤ級スーパーブースター。「そんなもん作ってどうするんだ」とか「何に使うんだ」とかつっこみどころは色々あれど、これだけのものを構想したロシア人というのは実際大したものだと思う。

 「やっても無駄だ」と考えた瞬間、どんなに容易なことも出来なくなる。先入観を捨てて白紙の状態から考えるのは大切なことだ。

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