15 posts categorized "アニメ・コミック"

2010.10.22

宣伝:10月24日(日曜日)、新宿ロフトプラスワン「ロケットまつり41」に出演します

 また告知がぎりぎりになってしまいました。この日曜日はロフトプラスワンでロケットまつりを開催します。

 今回はいつもと若干趣向が変わり、半ば幻と化してしまった傑作アニメ「おいら宇宙の探鉱夫」(1994年・飯田馬之介監督)を上映します。全6話の構想だったにも関わらず、商業的に成功しなかったために2話でうち切られてしまった悲運のオリジナル・ビデオアニメですが、的確な宇宙空間描写は、今もって見る価値を失っていません。
 「おいら宇宙の探鉱夫」に加えてねこまたやさんの手によるアニメの上映、さらにはサプライズゲスト出席の次回ロケットまつりのチケット先行販売もあります。

宇宙作家クラブpresents
ロケットまつり41 オススメ映像上映会『おいら宇宙の探鉱夫』上映 & トークイベント
今回のロケットまつりはオススメ映像の上映 & トークショー。
SFファンから熱い支持を受けた『おいら宇宙の探鉱夫』を上映。
上映後にトークショーを行います。
『おいら宇宙の探鉱夫』以外にもオススメ映像あり。

【出演】松浦晋也、浅利義遠、野田司令
【Guest】ねこまたや
※『おいら宇宙の探鉱夫』上映後、ねこまたや氏製作のアニメーションも上映。上映後にねこまたや氏を招いてトーク致します。
10月24日(日曜日)
Open 18:00 / Start 19:00
新宿ロフトプラスワン(地図)
新宿区歌舞伎町1-14-7林ビルB2
TEL 03-3205-6864
¥1500(飲食別)
※予約あり。以下予約ページで受付中
http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/reservation/

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2010.08.20

第5回MMD杯、そして水木しげるの戦記マンガ

 MikuMikuDanceというソフトがある。ニコニコ動画で、そのソフトを使った映像を競う「MMD杯」というイベントがあり、第5回が始まった。

 そこになかなか素晴らしい宇宙関係の画像がアップされている。


 最後まで見るとそこには…

 テーマとなっているSOMESATはニコニコ動画発の実在の衛星計画である。



 毎日新聞がはやぶさブームを扱った特集記事を掲載している。


 おさえるべきところを押さえているな、という印象。はやぶさカレーうどんは、是非とも記者自身が食べてみるべきだったかと。私のコメントも掲載されている。

 NHK朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」関連で、何冊か水木しげるの戦争物を紹介する。ドラマを単なる夫婦愛の物語としてみている人が多数だろうが、水木しげるは戦地で片腕を失った戦争体験者であり、自らの体験に基づくマンガも多数描いている。そこには、軍隊の最下層を体験した者にしか描けないリアリティがある。

 まずは、この「総員玉砕せよ!」を。水木しげるを、妖怪マンガでのみ知る人は、なによりもこれを読むべきだ。赤紙招集された兵士の視線で、出征から戦地の生活、戦闘、そして強制される玉砕に至るまでを描いている。その実に簡単に人が死ぬことといったら。恐ろしいまでのリアルな戦争が、あの緻密な背景と、簡略化されたキャラクターとで展開する…なんというべきか…傑作・駄作を超えたオンリーワンの作品だ。

 「総員玉砕せよ!」は、2007年にNHKでテレビドラマ化された。それがこの「鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争」だ。傑作。特に主演の香川照之の演技が素晴らしい。私は、彼が描くあの「ビビビ」というビンタが、映像になるとこうなるのか、と妙なところで感心してしまった。



 こちらは自らの戦争体験を娘に向けて語った一冊。凄惨な戦場の様子と抑圧に満ちた軍隊生活が、なぜか水木の視線を通すと、どこかぽかんと抜けた印象になる。この人は、やはり他と隔絶したパーソナリティの持ち主なんだと納得する。なにしろ、現地の人々に馴染んでしまい、敗戦後の帰国にあたって「現地除隊したい」といったというのだからすごい。「一度帰って親の顔を見てからでも遅くはない」と説得されなければ、水木しげるはマンガ家にはならずに、ジャングルの奥に元日本兵として暮らしていたかもしれないのだ。



 その体験を、あくまでマンガとして描くとこうなる。水木しげるの戦争マンガは単なる教条的な反戦マンガではない。理不尽やつらいこと痛いこと悲しいことひもじいこと、すべての苦しみを受け止めて静かな怒りを燃やしている。それは本書収録の「幽霊艦長」を読んでも分かる。あたかも「白鯨」のエイハブ船長のように、戦闘に執念を燃やす幽霊艦長のような人物像を、彼はどこかで実際に見たのかもしれない。

 個人的感覚なのだけれど、戦後日本のマンガ史は、手塚治虫が得意とした「2人の男」という形式で描きうるのではないかと思っている。すなわち、手塚治虫と水木しげる。本土で空襲を経験し、アメリカ文化に憧れ、若くしてデビューして成功を収め、アニメーションへと手を広げていく手塚治虫。従軍して片腕を失うという過酷な体験を経て、描いても描いても売れないという貧乏を経験して40歳を過ぎてから一気に売れっ子となり、土着の感覚のままに異世界との交感を続ける水木しげる——というような。  それこそ、「火の鳥・鳳凰編」「未来人カオス」「アドルフに告ぐ」といった手塚作品と相似ではないだろうか。手塚は茜丸で、水木は我王か?

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2010.07.24

探査機はやぶささん

 今日も暑かった。炎天下の東京を歩いていたら、足の裏が火傷しそうに熱い。融けたアスファルトに足をとられて行き倒れにならなかっただけまし、と考えることにする。

 色々あって連日外出しており、疲れが溜まっている。8月末まで連日更新と宣言したものの、息切れは否めない。

 今日は連作4コママンガを紹介する。

 はやぶさの擬人化というと、「萌衛星図鑑」(三才ブックス)のしきしま・ふげんさんが先鞭をつけて、その後あちこちに拡がっていったが、このはやぶささんは線のシャープさと、バックグラウンド知識の正確さでなかなか良い雰囲気だ。このまんま「まんがタイム」あたりの四コマ誌に掲載してあってもおかしくない。

 個人的にはミネルバさんのデザインが気に入った。

 オリジナルは4コママンガだが、動画にもなっている。見せ方の融通無碍さは、ネット時代の必然だろうが、フットワーク軽くメディアの違いを飛び越えていくのは、見ていて爽快である。

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2010.06.28

pixivに投稿されたはやぶさたち

 「はやぶさ」は日本で本格的なネット普及が始まった後の2003年打ち上げということもあり、ネットで一般が盛り上がり、熱狂した最初の探査機となった。2005年11月の小惑星イトカワへの着陸の時には、有名になった「おつかいできた」を初めとして様々なイラストがネットで公開されたことは記憶に新しい。

 pixivというサイトがある。プロ、アマを問わずイラストレーターやマンガ家が集まって、自作を公開する場だ。登録制で、大きなイラストを見るためには登録を行う必要があるが、縮小された画像ファイルで絵の概要を見ることは、登録なしでもできる。

 ここではやぶさと検索すると、なんと985件も見つかる。毎日数枚ずつ登録は増えており、数日中に1000件に到達するだろう。この中には鉄道の「はやぶさ」(ブルートレインや新幹線)も入っているのだが、かなりの部分は小惑星探査機の「はやぶさ」だ。
 小惑星探査機はやぶさでの登録は43件。「はやぶさ」「小惑星探査機はやぶさ」で重なって登録してあるイラストもある。このあたりはかなり緩い。

 もちろんというべきか、「おつかいできた」も作者の手によって登録されている。

 やはりというか、擬人化したイラストが多い。男の子女の子、子供からグラマーまで、さまざまな「はやぶさタン」が描かれている。

 私が気に入ったのはこの一枚。


 帰還時のはやぶさの輝きが、適度に様式化され、その下を老若男女が走っていく。童画風でもあるし、モスクワの宇宙飛行士記念博物館外壁のレリーフを思い起こさせもする。確かにはやぶさは、こんなミッションだったなと思うのだ。

P1030410 モスクワの宇宙飛行士記念博物館。てっぺんにロケットの造形を載せたモニュメントで根本部分が記念博物館になっている。

P1030404
外壁のレリーフ。右から、科学者が計算し、技術者が設計し、労働者が建造し、そして宇宙飛行士が搭乗して飛び立つ、という内容になっている。

 気に入ったので、自分のパソコンの壁紙に設定してみた。

 ちなみにpixivを、川口淳一郎で検索してみると…愛されているのが、探査機のみではないことが分かる。


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2009.08.06

「天にひびき」(やまむらはじめ)が面白くなりそうだ

 ヤングキングOURSで連載が始まった、「天にひびき」(やまむらはじめ)が、面白くなりそうな予感を感じさせる。

 奏者も空気もすべて引き込んで、まとめてしまう天才的な指揮の才能を持った少女・ひびき。彼女との鮮烈な出会いによって秋生の人生は大きく変わっていった!夢を追う青年達の希望と苦悩…。音を奏でる若者たちの青春ストーリー!
(ヤングキングOURSホームページより)

という、女性指揮者をテーマとした音楽マンガなのだが、作者のやまむらはじめさんが、どうも相当にクラシック系音楽に入れ込んでいる節があるのだ。

 このことに気が付いたのは、同じOURSで以前連載していた伝奇物マンガ「カムナガラ」の最終回直前のサブタイトルに、「そしてそれが風である事を知った」(武満徹の室内楽曲)、「閃光の彼方へ」(オリヴィエ・メシアンの管弦楽曲)といった曲名を使用していたことからだった。

 さらに続く青春ストーリー「夢のアトサキ」で、主人公の名前が「也寸志」君だったり、「武満さん」というかわいい女の子が出てきたりで、「おや?」と思っていたら、この連載である。

 クラシック音楽好きには、かなり期待の持てる連載だと思う。冒頭に、ベートーベンの第4交響曲を巡るエピソードをもってくるあたり「分かっているなあ」という雰囲気だ。ひょっとすると同じベートーベンの第7交響曲をメジャーに押し上げた「のだめカンタービレ」への対抗意識でもあったのだろうか。

 第4は、名前付きの2曲に挟まれて(第3「英雄」と、あまりに有名な第5「運命」)、今ひとつ知名度が低いのだが、実はとてもチャーミングな曲だ。第4楽章には、ファゴットのおよそ吹けそうもないほどの超絶高速パッセージがあって、これをどうこなすかがファゴット奏者の腕の見せ所だったりする。

 ベートーベンの交響曲は1番と2番が、ハイドンの影響が濃い習作であり、第3「英雄」、第4、第5「運命」、第6「田園」、第7、第8、第9「合唱」と続く。どれも超が付く有名曲である題名付きを除くと、残るは第4、第7、第8。
 のだめが第7を持っていったので、マンガで使えるのは第4と第8だが、第8は室内楽的な小振りで力が抜けた曲なので、ちょっとマンガの冒頭では使いにくい。

 この第4番の選択ひとつをみても、かなりクラシックを理解した上で選んでいるな、と思えるのである。

 クラシック音楽マンガは、多分手塚治虫の「虹のプレリュード」あたりから始まるのだろうか。手塚は執筆時に音楽を欠かさない音楽好きで、ピアノも弾いたので、音楽をテーマにマンガを描くというのはごく自然なことだったのだろう。もっとも、「虹のプレリュード」は、ショパンが登場するものの、ショパン本人と彼の音楽は添え物であって、主題は手塚好みの男装の麗人を巡る悲恋物語だった。「ルードウィヒ・B」では、ベートーベン本人の伝記に挑戦したが、これは完結させることができなかった。

 「虹のプレリュード」の次のクラシック音楽マンガというと、くらもちふさこ「いつもポケットにショパン」(1980〜1981)まで飛んでしまう、といっていいのだろうか(あまり熱心にマンガを読んでいるわけではないので自信はない)。だた、これも音楽がストーリーの根幹に食い込んでくるというよりも、音楽高校に通う女の子の恋愛ストーリーだった。
 「いつもポケットにショパン」よりちょっと後、竹坂かほり「ディ・カデンツ」「プレリュード」(1984)という音楽マンガが登場する。これは、同じ音大に通うヴァイオリンとピアノの男女の恋愛物語だった。この作品もまた、音楽はテーマというよりファッションだったと記憶している。クライマックスが、ヴァイオリンの男の子のコンクールでの演奏なのだが、演奏する曲がメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲なのだよ!
 当時、「そりゃ、あんまりに安易だ」と思ったものである。なにしろ、この通称「メンコン」は、学校の音楽鑑賞教材に入っているぐらいの超有名曲だったから。当時、「そこは、バルトークとはいわないから、せめてシベリウスのヴァイオリン協奏曲を使うところだろ」とマンガに向けて突っ込みを入れたものである。

 多分、クラシック音楽を抜き差しならない主題として扱った最初のマンガは、さそうあきら「神童」(1997〜1998)ではないかと思う。それまで私はさそうあきらを「キタナイ絵で、どうしようもない自我垂れ流しのマンガを描く奴」と認識していたので、「神童」を読んだ時には、本当にびっくりした。
 「神童」は、主人公である天才少女“うた”が、はるか年上の冴えない音大生“ワオ”を振りまわす話と思わせて、実は老いた元神童の御木柴教授、そして“うた”とは違う意味で、実は神童であった、“ワオ”と彼の恋人香音(カノン)という、「才能とは何か」を巡る物語だった。「はじめて恋愛以外をテーマにしたクラシック音楽マンガ」と言っても良いかもしれない。
 ストーリーの中での曲の選択も的確で、特に御子柴教授の復活と、うたに降りかかる試練という物語の転回点に、バルトークの第3ピアノ協奏曲を持ってきたのには感心した。
 その後、作者は指揮者を巡る「マエストロ」というマンガも描いている。

 その後は、一色まこと「ピアノの森」が出て、そしてなによりも二ノ宮知子「のだめカンタービレ」の大ヒットが出る。「のだめ」の凄さは、徹底した調査とストーリーテリングを融合させたところで(ここにも時々コメントを書いてくれる大澤徹訓さんがブレーンをしている)、「音大生って、こういう曲を演るよな」「コンクールってこんなもんだよな」というところで、一切隙がない。大澤さんは、作中のコンクールの架空の課題曲としてピアノ曲「ロンド・トッカータ」を一曲まるまる作曲してしまったぐらいだ。

 さあ、「天にひびき」は、どんな展開をしてくれるのだろうか。掲載誌はかなりマニアックな内容も許容するので、連載打ち切りにならない程度に、どんどん趣味に走ってやってもらいたいと思う。主人公のひびきが、やがて登場する2人のライバルと共に、3人の指揮者を必要とするシュトックハウゼンのオーケストラ曲「グルッペン」を演奏するとか(やり過ぎ?)。

 なお、現在発売中の9月号からは、作曲家の吉松隆氏による解説も始まった。初回は「指揮者のお仕事<誕生編>」で、指揮者という職業ができた歴史的経緯を説明している。こちらも本編と合わせて楽しみである。

   

 「カムナガラ」「エンブリヲン・ロード 」、そして現在連載中の「神様ドォルズ」と、やまむら作品はうねるようなストーリーが特徴だが、実は連作短編の名手でもある。マンガの短編集はどうしても部数が少なく、すぐに絶版になってしまうが、彼の短編を読まずにすますのは惜しい。今、入手できるのは「夢のアトサキ」だけだが、ここでは「境界戦線」「未来のゆくえ」も紹介しておく。私は特に「未来のゆくえ」が気に入っている。

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2009.08.05

はやぶさリンク:映画「サマーウォーズ」に小惑星探査機が登場

 「はやぶさ」をモデルにした小惑星探査機が登場すると聞いて、これは行かねば、と見に行ってきた。現在ロードショー公開中のアニメーション映画「サマーウォーズ」(公式サイト)

 「時をかける少女」でブレイクした細田守監督作品。監督:細田守、脚本:奥寺佐渡子、キャラクターデザイン:貞本義行の3人は、「時をかける少女」と共通。
 「時かけ」は小規模公開から口コミでヒットしたが、今回は堂々のロードショー公開である。

 あらすじは、公式サイトの「イントロダクション」を参照のこと。

 面白かった!

 長野県上田市に集う旧家の一族が、ひょんなことから巻き起こる世界の危機に一致団結して立ち向かうという、なんとも妙な筋書きだが、それが滅法面白い。「華麗なる一族」や「犬神家の一族」のような、日本の“一族映画”が描き出す湿っぽさや陰湿さは、この映画の陣内一族にはこれっぽっちもない。「ダイナスティ」に代表されるアメリカ“一族ドラマ”にあるようなどろどろの愛憎劇とも無縁だ。乾いて、からっとしていて、陽気だ。

 なにより脚本がいい。かなり複雑な状況設定を、オープニングの陣内本家に集まってくる親族の会話だけでテンポ良く説明してしまうのもうまいし、そこから畳み込むように事件を起こして、本筋である“夏の戦争”に持ち込むストーリー運びも見事だ。

 しかも、主人公とヒロインを含め、主要登場人物29人という群像劇であるにもかかわらず、すべてキャラクターがくっきりと対比されており、「これ、誰だっけ?」ということが一切ない。血の繋がった親族と、そこに嫁入りした女性、生まれた子供など顔や体格を描き分けたキャラクターデザインが、とてもよい仕事をしている。

 この夏のお薦めだ。私も、もう一回ぐらいは映画館に足を運ぶことになるかもしれない。

 が、理工系のシチュエーションとなると、けっこう緩い。冒頭、主人公が量子コンピューターで素因数分解を行うための「ショアのアルゴリズム」に関する本を読んでいるので、スタッフも事前に相当調査したらしいことが分かる。が、それでも、暗号のあり様とか、ネットセキュリティの描写とか、アバターの操作方法とか、もうちょっとなんとかできただろうという部分がある。
 多分、理工系のアドバイザーを入れて、あと数回脚本の練り直しをやっていたら、もっと良い映画になっていたろう。

 小惑星探査機「はやぶさ」ならぬ「あらわし」については、「このストーリーなら仕方ないかな」といったところだ。

 小惑星「イトカワ」ならぬ、小惑星「マトガワ」を探査した「あらわし」、この「あらわし」の再突入カプセルが、ラストのクライマックスに関係してくるのだが、まあ、あれはないよね。

 ネタバレは避けるが、本来、再突入カプセルは、サンプルを保護するために、最後はパラシュートでふわふわ降りてくるものだ。また、「はやぶさ」の帰還カプセルは惑星間軌道から直接大気圏に突入する。地球周回軌道にいったん入るなんて、まだるっこいことはしない。運動エネルギーという点では、地球周回軌道からの帰還よりも、惑星間軌道からの直接突入のほうが、ずっと大きくなる。

 ちなみに、小惑星「マトガワ」は、実在する。
★新しい小惑星を「マトガワ」と命名(ISASニュース1997年7月号)。

 とはいえ、この映画により、「はやぶさ」にもう一つの称号が加わったことは間違いない。すなわち、「映画のモデルとなった、日本初の惑星間探査機」である。これまで、ストーリーの根幹に関わる存在として映画に登場した探査機といえば、私は「スタートレック」の“ヴィジャー”ことヴォイジャー探査機ぐらいしか思いつかない。実際、「はやぶさ」は大したものだな。

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2008.11.28

マクロスFとハイパーインフレ

 放映から随分遅れたが、アニメ「マクロスF」を全話見終わった。

 私の立場からすると、まずは「アレを本物の宇宙と思ってはいけない。あれは“マクロス宇宙”である」と言わねばならない(あんな宇宙があるわけない)。

 それはさておき、面白かった。きちんとキャラクターは生きているし、ラストは盛り上がって終わってくれた。三角関係の決着がラストでついていない、との批判もあったようだが、決着は映画版に持ち越されるのがマクロスというものだ。

 最初の「超時空要塞マクロス」の放映(1982〜1983)から、もう四半世紀経った。当時私は大学生。「スタジオぬえの絵が動く」という事前情報に私たちは期待したものだが、家庭用ビデオもろくに普及していなかった当時、日曜昼2時という放送時間は、まったくもって「ご無体な!」であった。
 とはいえ、貴重な毎日曜日の午後をテレビの前に座るのは、確か5話ぐらいで終わった。作り手の側も若かったし経験不足だったのだろう。そこにあったのは、意欲の空回りの典型例だった。
 第1話(2話をまとめて1時間枠で放送した)を見て、「はて?」となり、さらに数週間見続けて疑惑は確信に変わり、「これは観る価値はない」と切ったものである。
 その後、アニメ雑誌が「27話(愛は流れる)はすげえ」という話を掲載し、「なにっ、実はすごかったのか」と、再度見始めたらば、そこは作画崩壊の嵐であった。ええそうです、私は壮絶作画で伝説と化した最終回「やさしさサヨナラ」をリアルタイムで見ておりますよ。ちなみに今、レンタルショップなどで見ることが出来る最終回は、全面的に作り直してあるので、あのものすごい最終回は、個人のビデオアーカイブにしかないはずだ。

 その後ずっと続いたマクロスシリーズは、作る側からすれば最初のマクロスに対するリベンジの繰り返しだったのだろう。今回、「マクロスF」は、かなり高いレベルでリベンジを果たしたと思う。

 さて、ここからが本題。ネットで誰かが言及しているだろうと思ったのだが、検索をかけても見つからなかったので以下、書き留めておく。
 Fの何話目だったか、マクロス・フロンティア内が統制経済モードに入るので商店街が一斉売り尽くしセールをやるという話があった。そこにオペレーター3人娘が買い物に行くと、あの人もこの人もというお笑いになっていたのだが。

 これは明らかに設定ミスだろう。
 1000万人が居住する巨大移民船の内部経済は閉鎖系と考えて良いだろう。とすると通貨は移民船の政府が信用を保証し、艦内に蓄積、生産される富に応じた通貨の量を供給、コントロールして通貨の価値を維持しているはずである。
 統制経済モードに入るということは、物資イコール艦内の富が減少している状態だから、物資の価値は上がり、通貨価値は下がる。となると物価は上昇し、通貨を持っているよりも現物を持っているほうが得になる。
 マクロス艦内では起きるのは売り尽くしバーゲンではなく、物資を求める人々のパニックでなくてはならないはずだ。このあたりは高校の社会で習う経済学の初歩の初歩である。

 これをやると話が暗く陰惨になるのは分かるのだけれど、長距離大規模移民船で経済の話をやるなら逃げられないところだと思う。

 以下、中年の思い出話。

 特撮・アニメなどに登場する経済ネタというと思い出すのは「レインボーマン」のお多福会だ。日本人殲滅を目指す「死ね死ね団」(すごいネーミングだ)が現世利益新興宗教の「お多福会」を通じて社会に偽札をばらまき、結果ハイパーインフレが起きて日本経済大混乱という話である。

 これをちゃんと子供にも分かるようにストーリーを展開していたのが、当時の製作スタッフの偉いところ。物価が上昇して食べ物が買えなくなってしまった子供が、ひもじさと出来心でインスタントラーメンを万引して食料品店主らから袋だたきにあう、ど真っ暗な描写をきちんとやっていた。
 主人公のヤマトタケシが子供を救うのだが、そこに食料品店の店主が怒りの形相もすさまじく「お前が金を払ってくれるのかよ」と詰め寄るのだ。ヤマトタケシ「いくらだ?」、店主「千円だ!」。で、ヒーローは財布から千円札を出すのである。
(注:このあたり、記憶が偽造されている可能性もある。子供を救ったのはヤマトタケシではなく、彼の周囲の人々だったかも知れない)

 「レインボーマン」放映当時の1972年、袋ラーメンはスーパーの特売ならば30円ほどだった。はっきり覚えている。覚えているのも当然で、テレビで「ラーメン一袋千円だ!!」を見た翌日だったか翌々日だったか、新聞折り込み広告のチラシでラーメンの価格を調べたのだった。
 子供心には、それほどまでに「ラーメンひとつ千円!」は強烈だったのである。しかし…

 昨年来、ジンバブエが超絶的なハイパーインフレ状態に陥っている。そのインフレ率たるや年間10万%だそうで、30円のラーメンが1000円になる、レインボーマン世界のインフレ率3300%というのは、実はそれでも生ぬるいものではあったのだった。

 なぜ、「レインボーマン」では、あれほど冷酷なインフレ描写ができたのかを考えるに、当時の製作スタップは皆、敗戦後、占領下の日本でインフレやら預金封鎖やら闇市やらを体験してきた人々だったからなのだろう。彼らにとって、物がない、つらい、くやしい、さびしい、もの悲しい、ひもじい、という感覚は実体験に基づくものだったことは間違いない。

 「それに比べてマクロスFのスタッフは…」などということは書かない(なにしろ河森総監督以下、私と同世代だ)。ただ、ちょっとしたことではあるけれども、艦内統制経済モードという用語を使うからには、そのつらくて悲しい部分を描写しても良かったのではないか、とは思うのであった。
 さんざん楽しませて貰っておいて、何をいうやら、なのだけれど。

 「マクロスF」はDVDとBlu-rayで同時に発売されている。「Blu-ray出し惜しみなしだ」と称賛したいところだが、私の聞く範囲では、 ビデオコンテンツ業界においてはBlu-rayのメディアとしての寿命を5年と踏んでいるとのこと。つまり5年間で可能な限りの売り上げを立てなくてはならない状況らしい。
 というのも、Blu-rayの次にネット経由のHDTV配信が来るということがあまりにはっきりと見えてしまっているからである。
 こうなると、DVDのようにすでに普及している物理フォーマットのほうが強いかも知れない。どちらを買うかは、かなり悩むところだろう。

 私はといえば、どちらも買うつもりはない。「マクロスF」に関しては見損ねた回をすべてバンダイチャンネルで視聴した。画質を云々せず。「これはテレビアニメである」と思って見るなら、私にはそれで十分である。今後も、見たくなったならばバンダイチャンネルに1回105円を支払うだろう。オンデマンドTVの便利さには105円の価値は十分にあると思う。




  


 アニメ本体の映像ディスクよりも、買うならこちらかも。実際、マクロスFでは歌手の選択から曲の構成に至るまで、高品位の音楽を理想的なプロモーションで売っているという印象。管野よう子絶好調だ。
 私がびっくりしたのは、「星間飛行」の「キラッ☆」…ではなくて、松本隆のあまりに若々しくも瑞々しい歌詞だった。この歌詞は素晴らしい。なかなか素人には書けない、真のプロの仕事だと思う。

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2007.04.10

「レッドショルダーマーチ」の正体が判明する

 気張った話を続けても仕方ないので、最近に私のところに届いた話を。

 2ちゃんねるでは数ヶ月前に騒ぎになっていたそうだから、情報の早い人はすでに知っているのだろうけれども。


「レッドショルダーマーチ」の正体が判明した。

 「装甲騎兵ボトムズ」というアニメがあった。私もこんな記事を書いている。

 作中で、主人公のキリコは、かつて軍の特殊部隊、通称「レッドショルダー」に所属していたという設定になっていた。このレッドショルダーは命令とあらば、どんな残酷なことでもする悪逆非道の軍隊であり、そんなところに所属していたことがキリコのトラウマになっているのだが、それはともかく。

 作中では、レッドショルダー部隊が登場する時に、実に格好良い行進曲がBGMにかかっていた。これが「レッドショルダーマーチ」である。

 放送当時、この音楽にヤられた我らアニオタ共は、サントラの発売を待ち望んだのだが、発売されたサントラには、なぜか「レッドショルダーマーチ」が収録されていなかった。その代わり、ボロディンの未完に終わった「交響曲3番」のポピュラー編曲が入っていたり——もちろん本編には使っていない——今考えるとあれも妙なサントラだったな。

 いったいあの曲は何だったのか?放送局が蓄積している著作権フリーの曲だとか、様々な噂があったものの、その正体は不明のまま四半世紀が過ぎたのである。

 それが、今年に入ってから2ちゃんねるへの投稿で、判明したのだった。

 こちらがその正体。おや、品切れを起こしているな。

 1966年のイタリア映画「Due marines e un generale」(2人の水兵と1人の将軍)のサントラ盤だ。このCDの2番目の曲「Arrivano i Marines」(水兵の到着)という曲が、「レッドショルダーマーチ」だったのである。作曲者はPiero Umiliani(ピエロ・ウミリアーニ)と言う人。イタリアではかなり有名な映画音楽の作者らしい。
 ちなみに、サントラ中6番目の曲「L’offensiva di primavera」(春の攻勢)は、「機動戦士ガンダム」の第12話「ジオンの脅威」で、ジオン公国のギレン総帥が演説するシーンでかかる音楽なんだそうだ(私は見たはずだけど覚えていない)。あの「諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ。なぜだ!」「坊やだからさ」で有名なシーンですな。
 この「Due marines e un generale」という映画は、2人のアメリカ兵が、北アフリカでナチスドイツの将軍を捕獲しようとするという話とのこと。それに、ニセの作戦計画をわざと盗ませようとするナチス側と、本物を入手しようとするアメリカ兵の駆け引きが絡み、最後はアンツィオの攻防戦になだれ込むというストーリーのようだ。「アンツィオ・アニー(アンツィオ攻防戦で活躍したドイツの列車砲)」が出てくるなら見てみたいね。

 CDが品切れであっても、嘆くには及ばない。iTunes Music Storeでは、ちゃんと「Due marines e un generale」のサントラが売っている。試聴はできるし、曲をばら売りの1曲150円で購入できるし、品切れもない。やあ、いい時代になったもんだ。

 もちろん私はCDを買った。最初に気が付いた方は本当に偉いと思う。取りあえず長年の疑問と欲求を解消させて頂き、ありがとうございます。

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2006.08.09

ショスタコ第7交響曲を語る——「涼宮ハルヒの憂鬱:射手座の日」上級編

 「時かけ」「ハルヒ」「ゲド」と、アニメの話を続けて書いたらアクセスが急に増えた。
 これも一つの縁であろう、ということで、急遽「涼宮ハルヒの憂鬱:射手座の日」の上級編を書くことにする。

 といっても、実のところアニメとはほとんど関係ない。脳内宇宙艦隊戦シーンに使われているショスタコービッチ「交響曲第7番」第1楽章に存在する宇宙的恐怖にして深淵のような因縁について以下つらつらと述べていこうというわけ。若干ミリタリー風味も入ってくる話題だ。

 本当はもう少しきちんと調べてから書こうと思っていたネタなので、少々調査不足ではあり、一部は記憶に頼っている。事実誤認や新事実が分かり次第訂正を入れていくことになるだろう。
 ショスタコーヴィチのマニアの間では有名な話であるし、色々突っ込みを入れたいところもあるだろう。そのあたりはコメント欄で指摘してもらえるとうれしい。


 「射手座の日」に使われた第7交響曲(1941〜1942)は通称「レニングラード」とも呼ばれる。作曲年代で分かるように、この曲は第二次世界大戦最大級の激戦地であったレニングラード、現在のサンクトペテルブルグと密接な関連を持っている。

 独ソ戦開始時、作曲者ショスタコーヴィチは、レニングラード音楽院で作曲を教えていた。第7交響曲はドイツ軍が迫るレニングラードで、1941年7月から作曲が始まった。ドイツ軍がレニングラードを完全に包囲する前に、ショスタコーヴィチは、当時モスクワの首都機能が移転していたクイビシェフに避難し、そこで全曲は完成した。作曲者によるスケッチのメモによると、最後の第4楽章が完成したのは1941年12月27日。

 レニングラードは1941年8月末からドイツ軍に完全に包囲されており、作曲が終了したこの時、冬将軍が到来した市内は、物資の不足によりまさに阿鼻叫喚の地獄と化していた。

 作曲者は、この曲を「レニングラード市」に捧げた。

 初演は1942年3月5日、クイビシェフで行われた。ソ連政府は、世界的に有名な作曲家であるショスタコーヴィチが完成させたこの一見壮大な交響曲を戦意高揚に利用する。複製された楽譜は空輸によってレニングラードに運ばれ、1942年8月9日、包囲下のレニングラードにおいて、レニングラード放送管弦楽団により演奏された。

 オケのメンバーはほとんどが、徴兵され最前線で戦っていた。皆、演奏のために市内に戻ることが許され、1日だけ銃を楽器を持ち替えて、演奏に参加し、そしてまた戦場へと戻っていった。
 彼らのほとんどが、そのまま帰ってこなかった。

 ソ連政府の手により、楽譜はマイクロフィルム化され連合国各国へと渡った。アメリカでは、1942年7月19日、トスカニーニの指揮、NBC交響楽団によって初演が行われた。アメリカはその演奏を、全世界にラジオ中継した。戦意高揚と連合国各国の連帯の強化のために、この曲を利用したのである。


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 と、いうような曲の来歴を頭に入れて、一度ハルヒの「射手座の日」に戻ろう。
 「射手座の日」で使用されるのは第1楽章。まず、コンピ研との戦闘開始にあたってハルヒが演説するシーンで、楽章冒頭の弦とファゴットのユニゾンによる雄大な印象の第一主題が使用される。

 この第1楽章は、非常に変則的なソナタ形式をしている。通常のソナタ形式では中間部は、2つの主題の展開部になる。ところがこの楽章では、展開部の代わりに、そこに全く別のメロディによる「ボレロまがい」が挟まっているのだ。

 この変ホ長調の主題は「戦争の主題」と呼ばれている。

 このメロディが14回ほど繰り返され、繰り返すたびに盛り上がり、最終的に暴力的なまでの音量ですべてを圧倒する。レニングラード市が戦争に巻き込まれる過程というわけだ。

 「射手座の日」では、この繰り返しの部分が使用される
「1600開戦」の部分では、弦楽器が並行和音でメロディを演奏する7回目と8回目の繰り返しが使われる。

 キョンの「どうにもならないんだ」からはオーケストラの全楽器が咆哮する12回目、続いてメロディが大きく変形されて短調で出現する13回目の部分が使われる。いきなり曲調が悲壮な雰囲気に変わる部分に、みくるの「みなさんどこにいっちゃったんですか〜」という悲鳴が重なるあたり、演出効果満点だ。


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 と、まあここまでは、ショスタコーヴィチが生きていた頃の解釈である。

 ところでここで、メロディを覚えている人は、「戦争の主題」を口ずさんでみて欲しい。
 なんだか間抜けな気はしないだろうか。メロディだけ取り出すと、およそ戦争とは思えないぐらいのどかで間抜けで、しかもどこか茶番じみてもいる。これならば、ジョン・ウィリアムズが「スターウォーズ」で書いた戦闘の音楽のほうが、ずっと戦争と言うには似つかわしい。
 そういえば、このメロディ、かつてCMでシュワルツネッガーが、「ちちんぷいぷい」という歌詞を付けて歌っていたではないか。それぐらい、メロディとしては間抜けなのだ。

 この間抜けなメロディが「戦争の主題」とはどういうことなのだろうか。

 実は間抜けなのは主題だけではない。この「ボレロまがい」は、ボレロのように厳格にオーケストレーションだけを変化させるのではなく、繰り返しごとに異なる装飾的な対旋律を伴っている。早い話が「合いの手」が付いているわけ。その合いの手もまた、どこかサーカスじみた茶番っぽい雰囲気を持っているのである。

 はて?


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閑話休題
 1942年に全米にラジオ放送された、第7交響曲の演奏を、アメリカに亡命した一人のハンガリー人の作曲家が聴いていた。

 その名は、バルトーク・ベーラ。ハンガリー人は、「姓・名」の順番で書くので、バルトークが姓である。

 彼は母国ではハンガリー民謡の研究で名前を上げ、民謡と近代的作曲技法とを統合した独自の作風を確立した作曲家として尊敬されていた。
 ところが彼の音楽は、アメリカが受け入れるには晦渋に過ぎた。そしてまた彼の性格もまた、アメリカでうまく立ち回るには実直に過ぎた。ナチスから逃れたアメリカに渡ったものの、ハリウッドを手玉に取ったストラヴィンスキーや、カリフォルニアに作曲の教師の職を見つけたシェーンベルグのようにうまくやることができず、この時期彼は貧乏のどん底にいた。
 しかも彼は、亡命による環境の激変によってか体調を崩しており、あまつさえ精神的には作曲すらできなくなっていた。
 何人かの音楽関係者が、彼を援助しようとしたが、援助を受けるにはバルトークは誇りが高すぎた。難儀な人である。

 そのバルトークは、このショスタコーヴィチの第7交響曲を聴いて怒り狂った。「なんという不真面目な曲だ」と。このことは、彼の息子のピーターが記録している。

 さあ、バルトークはこの曲の何を「不真面目だ」と怒ったのだろうか?


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 この時、指揮者のセルゲイ・クーセヴィツキーが、なんとかしてバルトークに生活費を渡そうとしていた。裕福な女性と結婚していた彼は、妻の財産を使ってクーセヴィツキー財団を設立し、様々な作曲家に新作を依頼し、自ら初演していた。
 誇り高いバルトークが生活費を受け取らないであろうことを知ったクーセヴィツキーは、代わってバルトークに「自分のためにオーケストラのための曲を書いて欲しい」と依頼した。それが、渡米以来萎えていたバルトークの創作意欲に火を付けた。

 かくしてバルトーク晩年の傑作、オーケストラの各楽器が縦横無尽に活躍する「管弦楽のための協奏曲」が生まれた。

 全5楽章からなる「管弦楽のための協奏曲」の第4楽章は「中断された間奏曲」という題名を持つ。ここで、ショスタコーヴィチの第7交響曲第1楽章の、あの「戦争の主題」後半が引用される。上から下へと音符が下がってくる部分だ。

 引用されたメロディの繰り返しが、木管楽器による人間の笑いを模擬したようなフレーズで3回中断される。「中断された間奏曲」という題名の由来だ。
 同時にバルトークのショスタコーヴィチに対する「不真面目だ!」という意思表示でもあるのだろう。


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 では、ショスタコーヴィチは、何が不真面目だったのか。私の記憶ではこれを指摘したのは日本の作曲家、柴田南雄だった。

 実は、「戦争の主題」の後半には元ネタがあった。ウィーンのオペレッタ作曲家フランツ・レハールの代表作「メリー・ウィドウ」(1905)だ。

 「メリー・ウィドウ」は、「会議は踊れど進まず」で有名な1814年のウィーン会議を舞台にした恋のさやあての物語だ。ご存知、ナポレオン後のヨーロッパの勢力図を確定しようと各国が角突き合いをしたあげく、ナポレオンのエルバ島脱出でお流れになった会議である。

 ショスタコーヴィチが引用したのは、登場人物の一人、ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵が酒場に繰り出すところで歌う歌。そして、ショスタコーヴィチが引用したまさにその部分の歌詞は「彼女ら(松浦注:酒場の女達)は祖国を忘れさせてくれるのさ」というものだったのである!

 おいおい、これはどういうことか。レニングラード市に捧げられた交響曲の「戦争の主題」が、「女で祖国を忘れよう」というのは一体何なのだろうか。バルトークが不真面目と怒った理由も分かろうというものだ。

 皮肉なことに、ショスタコーヴィチが第7交響曲を書き、バルトークがそれに怒って「管弦楽のための協奏曲」を書いたその時期、老いたレハールはナチスの庇護を受けていた。しかもユダヤ人の妻と共に。
 ヒトラーが「メリー・ウィドウ」が大好きだったという理由からだった。それ故、戦争終結後、レハール自体は一切政治的な動きをしていなかったにもかかわらず「戦争協力者」と非難されることになる。


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 ここで最大の問題は、なぜショスタコーヴィチは、本当に「メリー・ウィドウ」を引用したのか。そして、引用するとしたらその意図は何だったのかということだろう。

 実はショスタコーヴィチには、そのような引用を行う動機が十分にあった。彼は向かうところ敵なしの天才児としてスタートしたが、芸術をも統制しようとするソ連共産党によって1936年、プラウダ紙面で非難されたことがあった。
 スターリンが密告を奨励し、派手に粛正を繰り広げた時期、彼はこともあろうに共産党の機関紙の紙面で批判されたのだ。その恐怖はいかばかりだったろうか。彼は、彼の庇護者でもあった陸軍のトハチェフスキイ元帥に相談したのだが、翌1937年には、そのトハチェフスキイが、スターリンによって粛正されてしまうのである。

 プラウダによる批判以降、ショスタコーヴィチの音楽は変化した。生き延びるために「明るく健全で分かりやすい」という社会主義リアリズム方針に従った。
 彼の巨大な才能を持ってすれば、その路線ですら傑作を書くことが可能だった。そうして有名な第5交響曲が生み出された。
 彼は第二次世界大戦後、もう一度批判されるが、そのときはスターリンへのおべんちゃらに満ちたカンタータ「森の歌」を書いて生き延びた。歌詞はどうしようもないが、音楽は間違いなく傑作だった。

 その一方で、自由に作曲できない環境の中、彼は鬱屈し、屈折していった。彼は自分の音楽に謎めいた仕掛けをするようになる。奇妙に音楽の流れを断ち切るような音名象徴、それとは分からないような引用など。
 音楽は言葉と異なり、それ自身で確定した意味を持たない。いかようにでも解釈できる。有名なロッシーニの「ウィリアムテル」序曲は、アメリカ西部の騎兵隊の映像にもマッチするし、蒸気機関車の疾走にも、あるいは「スターウォーズ」のクライマックスで共和国軍を助けに駆けつけるハン・ソロとミレニアム・ファルコン号の映像にもぴったりだろう。
 その音楽の特質を生かし、ショスタコーヴィチは音楽の中に自分の真意をひそかに埋め込むようになっていった。


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 そう、ショスタコーヴィチが「戦争の主題」に込めたのは、反祖国的なもの、即ちスターリンによる粛正ではなかったのか。そう考えるとすべてが符合する。どこかおちゃらけた旋律が、サーカスのような対旋律を伴ってどんどん威圧的になっていく過程は、まさにスターリンの治世そのものでないか。
 すなわち、ショスタコーヴィチは、ナチスと戦う祖国の英雄を称える交響曲を書くと見せかけて、実はスターリンに対してあかんべえをかませていたということになるのだ!


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 ショスタコーヴィチの「音楽の暗号」は、彼の死後の1982年、西側で出版された衝撃的な「ショスタコーヴィチの証言」(ソロモン・ヴォルコフ編)で一躍表に飛び出た。回想録にはそれまで公式発言で形成されたいた西側のショスタコーヴィチ像とは全く異なる、彼があった。公式発言とは異なる、人間的に納得できるショスタコーヴィチがそこにいた。


 これで、めでたしめでたし。謎は解けたぜ、で終わればいいのだが…

 音楽の暗号は、数理的な暗号と異なり読み手がある意図を持っていなければ読み出せない。その意味では、ノストラダムスの予言とよく似ている。
 ということは、常に「それはショスタコーヴィチの真意か。深読みしすぎじゃないか」という問題がつきまとうことになる。戦争の主題が「メリー・ウィドウ」の引用って本当か?他人のそら似で、深読みしすぎじゃないか、というように。

 実際、現在では「証言」は「編者」ヴォルコフが、ショスタコーヴィチ周辺でプライベートに話されていたことや、ショスタコーヴィチが書いた文章を適当につなぎ合わせたものじゃないかという意見が優勢になっている。その証拠に、「証言」には、ショスタコーヴィチが死後に残した最大の爆弾が記載されていない。

 彼はスターリン時代に、スターリンをはじめとしたソ連政治を思い切り皮肉ったカンタータ「反形式主義的ラヨーク」を密かに書いていた。「証言」にはこの曲についての記述が一切ない。「反形式主義的ラヨーク」の存在を、本当に親しい人は皆知っていたが決して口には出さなかった。これが出てこないということは、「証言」は大して親しいわけでもないヴォルコフのでっちあげということだ、というわけである。


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 だが、私には、そういった混乱すら、実はショスタコーヴィチが意図したものじゃないかという気がする。

 ヴォルコフが西側の出版社に持ち込んだタイプ原稿にはショスタコーヴィチ自身のサインがしてあったという。

 私は想像してしまう。ソ連からの亡命を企てた若きヴォルコフが、西側へのみやげとして、ショスタコーヴィチの回想録をでっちあげるべく取材を開始する。それに気が付いたショスタコーヴィチは、ヴォルコフを呼びつける。おびえるヴォルコフに対して、老いたショスタコーヴィチは何も言わずに、彼の原稿にサインをいれる、というような鬼気迫る光景を。


 さて、長々とした話はこれでおしまい。「涼宮ハルヒの憂鬱」から始まって、ずいぶんと遠いところまで来てしまった。

 まあ、「射手座の日」でなにげなく使われた、そして、かつてシュワルツネッガーがCMで「ちちんぷいぷい」と歌ったメロディには、これだけの因縁がまとわりついていて、暗い暗い深淵が口をぽっかりと開けているのだ、ということで。


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 バルトークの「管弦楽のための協奏曲」は、色々な録音を聴いたけれど、このライナー指揮シカゴフィルの古い演奏が、やはり一番いい。歴史的名演だ。

 オーケストラの各楽器が、あたかもソリストのように縦横無尽に活躍する、エネルギッシュかつスタイリッシュな曲だ。第1楽章の途中、3本のトランペットと3本のトロンボーンがいきなり6声のカノンを演奏するあたりなど、背筋にぞくっと来るぐらい格好良い。




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 酸鼻を極めたレニングラード攻防戦の概要を知るには、このソールズベリーによるノンフィクションをお薦めする。長らく入手不可能だったが、最近再刊された。高いとかいわずに、買うべし。

 レニングラードの指導者だったジダーノフは、スターリンにとって目の上のタンコブ的存在だった。スターリンは、ジダーノフを消すために半ば意図的にレニングラードを見捨てたのである。その結果、市民は地獄を見ることになった。

 スターリンの意図に反し、ジダーノフは包囲戦を生き抜き、ナチス・ドイツを打ち破って、ソ連共産党における地位を固める。そして、戦後ジダーノフは、ショスタコーヴィチに対してさらなる個人攻撃を仕掛けることになるのだ。



 偽書だという説が優勢になっているものの、この「証言」が西側に出てきたときのショックは巨大だった。今後ともショスタコーヴィチの受容史を語るには欠かせない文献といえるのではないだろうか。
 最近はかなりショスタコーヴィチの研究も進んでいるようだが、私がフォローできていない。なにか良い本が出ているようならば、是非とも教えてほしい。


 ショスタコーヴィチ趣味の行き着く果て、ということで遺作の「ヴィオラソナタ」をリンクしておく。間違っても素人はこれを買ってはいけない。
 晩年に向かうにつれ、ショスタコーヴィチの音楽は鬱屈し、内省的で暗いものになっていった。その到達点が、死の直前に完成したこのヴィオラソナタだ。
 マーラーの後期交響曲を暗いと感じる人は多いだろうが、これはそれどころじゃない。おそらく、人類が手にした最も暗い、ブラックホールのような音楽である。
 にもかかわらず、この曲は、あたかもホーキング輻射のように光を放っている。恐ろしいまでに高貴で、気高く、そして真っ黒な絶望に彩られている。この曲と比べることができるのは、ゴヤが晩年に描いた一連の「黒の絵画」だけだろう。
 ショスタコ19歳のはつらつとした第1交響曲を考え合わせると、社会主義というのはいったい何だったんだろうかと考えざるを得ない。

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2006.01.01

謹賀新年:おもしろアニメを紹介する

 あけましておめでとうございます。

 年頭なので、構えずに、去年教えて貰ったいくつかのミニアニメを紹介しよう。

こまねこ
  映像はExciteシネマ こまねこで見ることができる。

 コマ取りの人形アニメで「人形アニメを撮影するネコ」を作ったというもの。NHK「ドーモくん」のスタッフの作だが、こまねこの動き、表情、すべてが愛らしく、素晴らしい。
 誰かこのスタッフにお金を出しませんか。アードマンプロが吹っ飛ぶような傑作を作ってくれるに違いない。

#1月7日注記:なんと「こまねこ」は長編アニメ化が進行中だった。公式ページの冒頭で紹介されていたのだけれど、フラッシュが使ってあるとさっさとスルーする癖がついているので気が付かなかった。これは楽しみだ。

弥栄堂

 とても高品位のフラッシュアニメを個人で作っている。私のお気に入りは「オーニソプター」。独特の世界観が面白い。


ウェブテント:いきなり音が出るので注意。

 変な感性が癖になるフラッシュアニメ「クワガタツマミ」を公開中。ライブドアインターネットアニメーションで、「やわらか戦車」も公開中。


 サイドバーに、過去にnikkeibp.jpに書いた記事へのリンクをまとめてみた。けっこう書いたものだ。今読み返すと、もう少し突っ込めたものや、方向が間違ったかと思えるもの、しつこかったかと反省しなくてはならないものなど色々。
 サイドバーが赤いリンクで一杯なのもうっとうしいものだ。しばらくはこのまま掲載するが、そのうちに2005年以降のものに絞ることにする。

 今年もよろしくお願いいたします。

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