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2008.10.23

JPOPのワンパターン

 もうすこし音楽の話を。

 最近、JPOPサウンドの核心部分が、実は1つのコード進行で出来ていた、という話という記事が話題になっている。

 30年前に和声法の勉強を途中で放り投げた私でも、これは理解できる。

 問題のコード進行は、IV△7→V7→III7→VIというもの。サブドミナント→ドミナントと動いて、基本ならばその後に主和音が来るところを、主和音の根音を抜いてさらに上に7thを重ねて調性を曖昧にしたIII7をもってきて、短調であった場合にはIII和音がドミナントの役割を果たすことを使って、短調の主和音であるIVにもってくるというわけだ。

 記事では「メジャーとマイナーの中間を漂う浮遊感」と書いているけれどもまさにその通り。

 以下自分なりにもっと簡単な説明を試みてみよう。

 長調とか短調といった調的な音楽の場合、「こういう風に和音が並ぶと音楽がきちんとしめくくられるような感覚を聞き手に与えられるぞ」という和音の並びがある。

 その一番基本となる並びが、IV→V→Iというものだ。

 一番簡単なハ長調、ピアノの白鍵だけでドレミファソラシドの音階で説明すると。Iというのはド。同時にドの上に音階の音を3度で積み上げたドミソの和音を意味する。IVというのはドから数えて4つ目の音であるファであり、同時にファの上に積み重ねたファラドという和音である。同様にVは5つめの音であるソでありソシレという和音のことだ。

 この3つの和音は主音であるドを中心に音程でいうと5度の関係にある。5度というのは鍵盤5つめの音だと思っておいてもらいたい。

 ドから上に5度がソ、下に5度がファだ。

 ドの主音に対してソを属音(ドミナント)、ファを下属音(サブドミナント)という。これら3つの和音が、長調における一番基本の和音であって、そのまた一番基本の並びが、ファラド、ソシレ、ドミソ、つまりIV→V→Iなのだ。

 細かい理由は抜きにするがV和音はもうひとつ音を積み重ねてソシレファとして使うことが非常に多い。記号で書くとV7である。

 さて、ここでドレミファソラシドの長調は、音階の出発点を変えるとラシドレミファソラの短調になる。主音はラになるわけだ。ここでもさっきと同じ5度の関係を作ることができて、ラドミの主和音に、ミソシのドミナント、レファラのサブドミナントが存在する。これでさっきの長調と同じ基本の和音の並びを作ると、レファラ、ミソシ、ラドミ、となる。記号で書くとII→III→IVだ(本当はもっともっと色々あるのだけれど、とりあえずは省略)。

 ここで、問題の和声進行「IV△7→V7→III7→VI」に戻る。7とか△とかは、簡単に言えば和音に独特の彩りをつけるフレーバーみたいなものだから、とりあえず無視する。するとこの和声進行は「IV→V→III→VI」となる。ハ長調の音階で書くと、ファラド、ソシレ、ミソシ、ラドミ、となる。

 これを、一番基本となる和声進行「IV→V→I」と比べると、IV→Vと来たものが、Iに行かずにまずIIIに行ってしまっている。Iはドミソ、IIIはミソシだから、音は2つ共通だ。でも肝心かなめの主音であるドがなくなってしまっている。
 これは聞き手の耳の印象からすると、「あれ?ドが鳴って音楽が一段落付くはずが、なんか落ち着かないぞ。でもミとソは鳴っているよな。一段落ついたようなつかないような変な気分だぞ」ということになる。

 そしてIIIの和音は短調で考えるとドミナントだ。だから短調の基本の和音の並びに従って、次は短調の主和音VIとつながる。

 すると聞き手の耳は「あれれ、ここまで長調だと思っていたけれども、短調で収まりよく音楽が落ち着いちゃったようだなあ」と感じるわけだ。

 人間の耳は和音一つや二つ程度の音の並びでは「これは長調だ、短調だ」と断言することができない。せいぜい「なんか長調っぽいぞ、短調みたいじゃないか」と感じる程度である。つまりこの和音の並びは、それまで長調で来た音楽に一瞬長調と短調との間で、宙ぶらりんになった印象を与えることができる。

 その一瞬の曖昧さが、日本人好みである、というわけだ。

 もちろんこの和声の並びに引き続いて本格的に短調に転調してしまってもいいわけだが、JPOPはそうはせずに、また長調へと戻っていく。長調基調の曲に一瞬の曖昧さを与えるためにこの和声進行を使っているというわけである。ほんの一瞬、ウエットな印象の短調へと音楽が振れるのを「なんかいいなあ」と感じているのだね。

(ということでよろしいでしょうか、大澤先生!)

 やあ、いいことを聞いたぞ。この和声進行を使って、次は自分がヒットメーカーだ!――ではなくて。

 JPOPは、この和声進行が聴衆から受けることに気が付いた結果、「なんでもいいからこの和声進行を使っちゃえ。そうすれば売れる音楽を量産できて儲かるぞ」という思考停止に陥ってしまったということなのである。

 音楽というのは面白いメディアで、こういう安易さはじわじわと伝わる。特に色々な音楽を多数聴き込んでいる人ほど、敏感にこの手の「ま、こんなもんだろ」的な音楽作りに気が付く。つまり趣味の良い分かった聴衆ほど「けっ、ふざけんじゃねえや」と、離れていって、後にはあまり耳を鍛えていない、普段は音楽をマニアックに聴くことがない人が残っていくことになる。

 もちろん商売としては一部マニアよりも大多数を相手にしたほうが儲かるわけだから、当面はそれでもそろばん勘定は回っていく。だが、何度も繰り返せば、いかに「普通の人」であっても、徐々に気が付いていくのだ。

 同時に「普通の人だけ相手にしてりゃいい」的態度は、作り手の中から真剣さを失わせる。どんどん安易へと流れていくのだ。

 私はクラシックマニアであり現代音楽オタなので、JPOPが滅亡しても全く痛痒を感じないし惜しいとも思わないのだが、それでも「少しは考え直したほうがいいのじゃないか」と思う。かつて演歌が大ブームの後に同様の思考停止に陥って衰退したことを考えると、音楽ビジネスの維持のためには今のうちになんとかしたほうがいいのは明白だ。

 もっとも、過激に言ってしまうならば、JPOPなどというものが高収益ビジネスとして回転している状況のほうがどうかしているのかも知れない。音楽なんてものはほっといても作り手の中から泉のごとくあふれ出てくるのが本来であり、それは作り手の衣食住を支えれば十分だったはずだから(クラシックの世界の食えなさっぷりを考えると、ね)。

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2008.10.21

結局コラボレーション

 初音ミクとニコニコ動画、そしてMikuMikuDanceといったものがもたらしたのは、見知らぬ他人がネット上で出会い、協力してなにがしかの情報を生成していくというコラボレーションの場だったのではないか――そう思っている。

 数日ミク関連の動画紹介を書いてきたが、最後はコラボレーションによって作られた動画をいくつか紹介する。


 初音ミク史に残るべきPV。初期の傑作「恋するVOC@LOID」に凝った3Dアニメーションが付いている。このものすごい完成度!


 これも初期の傑作「WhiteLetter」に手書きアニメの映像をつけたもの。CGとは違う暖かさが良い。


 これはテレビアニメのエンディング風。しゃれた音楽に、これまたしゃれた映像。あまり考えずに楽しめる気楽な作品。


 手書きならではの質感を生かした映像が、歌になんとも合っている。いいねえ、これ。

 稚拙でもなんでもいいから、とにかく自分の作ったモノを出す場があって、そこで色々と評価される。けなされることもあるけれども、作り続けていけば必ず評価してくれる人もいる。

 そういう場ができたということに感謝しよう。

 実に楽しいものだね。


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2008.10.20

楽しいMikuMikuDance

 拙作【ニコニコ動画】じいちゃんの戦争【初音ミクオリジナル曲】で使ったMikuMikuDanceというソフトは、その優秀さもあってニコニコ動画ではずいぶんと使われている。

 というわけで、以下は私基準で選んだMikuMikuDance傑作選。


 モーリス・ベジャールが振り付け、ジョルジュ・ドンが踊った「ボレロ」は20世紀のバレエで一作選べといったら、たぶんこれになるんじゃないかと思えるほどの作品。それをミクに踊らせるとは…いかにMikuMikuDanceが使いやすいとはいえ、この動画を作成するのにいったいどれだけの手間がかかったのやら。想像するだに恐ろしい労作にして傑作。

 比較動画はこちら。もちろん本家ジョルジュ・ドンの迫力に、ミクではかなわないわけだが、私としてはフリーウエアを使ってアマチュアが頑張るだけで、世界最高のダンサーの動きを再現できるというところに、未来への可能性を見たいところ。


 こちらは、おそらく振り付けまで自分で行った逸品。ソフトをダウンロードしたら、あとはユーザーのがんばりでここまでできるのだから、本当に良い時代になったものだ(こればっかだなあ、俺)。


 ニコニコ動画では、ある人が作った曲に別の人がビデオをつけるというようなコラボレーションが普通に行われている。これはニコ動でのヒット曲「ストラトスフィア」に、MikyMikuDanceでビデオをつけたもの。こういう人間離れした動きも手軽に作れるのは楽しい。


 これもコラボ作品だが、実写と組み合わせているのが面白い。日常的なしぐさを自然に再現するのは難しいのだけれど、ずいぶんと頑張っていると思う。



 動作を手軽に作れるということは、ネタ系動画も簡単に作成できるということ。ただしネタ系は作者のセンスが問われる。これは、名画に目をつけたところが勝利の鍵だったかな。軽快な演出が快い。

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2008.10.19

ボカロクラシカから

 もう少し、ニコニコ動画の初音ミク関連の作品を紹介することにする。

 ニコニコ動画には「ボカロクラシカ」という検索用タグが存在する。初音ミクをはじめとした、ボーカロイドソフトでクラシック系の曲を演奏した投稿に付くタグだ。

 クラシック系の曲は、ポップス系と比べると再生数は低いのだけれども、結構面白い動画がアップされている。


 「いきなりこれかよ!」と言われそうだが、はい、これです。ジョン・ケージによるコンセプチュウアル・アートの極北。「音のない音楽」。これすら、初音ミクでパッケージングすると4万再生を超える一発ネタ人気動画になってしまうのだ。ケージ本人はこういう事態になることを予想していなかったろうけれども、もしも知ったら「それもありだろ」と笑うのだろう。
 コメント欄のノリが面白い。


 昨年10月という割と早い時期にアップされた傑作。ゾルタン・コダーイのあまり有名ではない合唱曲で、ミクにハンガリーの言葉を歌わせるというもの。曲そのものの魅力が、ミクの声質とよく合っている。


 高校の音楽の教科書に載ったりもしている有名な歌曲を歌わせたもの。歌曲を歌わせたものとしては割とスタンダードな仕上がりだ。日本語専用に作られているミクで、外国語を歌わせるのはなかなか難しい。


 こっちはブラームス。ミクにはシューマンよりもブラームスのほうが合っているような気がする。


 プーランクも悪くない。ミクを使うと合唱もできるという例。


 バッハ畢生の傑作「マタイ受難曲」に挑む勇者もいる。音域、発音など難しい部分は多々あると思うのだけれど、ずいぶんと頑張っていると思う。


 バッハの器楽曲、特に最晩年の「音楽の捧げもの」「フーガの技法」は、表現と技法の統一という点で空前絶後の高みに達している。楽器指定や音の強さの指定、あるいはテンポ指定すらもされていない、音の高さと音の長さだけを書き込んだ楽譜は、恐ろしいまでに抽象的。にもかかわらず、そこには人を感銘させずにはおかないなにかが存在する。
 抽象的なものだから、これらの曲はどんなアレンジをしても映える。「音楽の捧げもの」を代表する曲「6声のリチェルカーレ」は、初音ミクが歌っても、やはりバッハであり、その音楽が壊れることなない。


 これが時代を下ってドビュッシーぐらいになると、バッハのように「どんなアレンジでもなじむ」というわけには行かなくなる。ドビュッシーのピアノ曲は、ピアノという楽器に密着して作られているので、そこから離れて別のアレンジを施すのにはよほどの努力と才能が必要だ。この動画でミクはずいぶん頑張っているけれども、かなりつらいところもある。


 ミクやリンを電子の歌姫ではなく、独特の音質を持つ楽器として扱う方向性もある。これらの曲が典型例。ミクの音質は意外にライヒの音楽に合っている、これはライヒ自身が声を器楽的に使うことが多い(18人の奏者のための音楽とか)作曲家だからだろう。

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2008.10.18

再生数は少ないけれど――ミクオリジナル曲選

 ニコ厨となり、ミク廃ともなると、誰がどんな曲を書いているかが気になって、ニコニコ動画にアップされた「ミクオリジナル曲」タグの付いた動画をせっせと閲覧することになる。

 実際、ミクに歌わせたオリジナル曲は「アマチュアの手すさび」で片づけることができないほどの市場性を見せており、人気トップクラスは100万再生を遙かに超えている。CDのミリオンセラーとの単純な比較はできないだろうが、すべての閲覧者が10回再生しているとしても、100万再生ならばユニークなリスナーが10万人いる計算となる。これはまったくもってバカにできない規模だ。

 とはいえ、あれこれと聴いていった印象では、もう少し再生数の小さいところ、数千から数万再生のあたりにユニークで面白い曲が多い。
 
 以下、数千から数万再生あたりで、私が面白いと思った曲を紹介していくことにする。もちろん投稿されているミクオリジナルをすべて聴いたわけではないから、私が聴いた範囲、しかも私の好みを反映したセレクションではある。それでも、ニコニコ動画で多彩な才能が楽しく遊んでいることの証拠ぐらいにはなるだろう。

ハンドル名への敬称は省略させていただいた。



 野尻抱介さんに教えてもらった、ハンドル名、長靴Pの作品三連発。長靴Pの作品は、達者なギターから繰り出される爽快なロックンロールと、シュールとも間抜けとも人生の機敏を描いているとも取れる歌詞、そして特徴的なミクのイラストが、三位一体の絶妙なコンビネーションを作り上げている。
 実に楽しいと思うのだけれど、どういうわけか私の評価ほどには再生数が伸びない。おやじっぽいミクが嫌われているのだろうか。「出てねえ腹なんて背中と同じだ」とか、最高だと思うのだがなあ。



 魔術的な繰り返しが特徴的な曲。極端な繰り返しが陶酔を生む系統の曲としては、「ストラトスフィア」がVORCALOID殿堂入りとなっているが、私はこの曲のほうが「ストラトスフィア」より好きだ。
 ミクオリジナルではこういう南米系のリズムの曲もけっこうアップされているのだけれど、どういうわけか再生数が伸びない傾向がある。シックスティーンビートのJPOPテイストだけが音楽ではないのだけれども。


 ハンドル名、子猫Pの曲、初音ミクの登場当初は、ミク自身を主人公としたキャラクターソングが多数アップされた。その中でも最大のヒットは「みっくみくにしてあげる」だったわけだが、こちらはラテンリズムのキャラクターソング。なんともかわいい。ちょっと一連の「うる星やつら」のキャラクターソングを思い出させる。


 同じく子猫Pの曲。キャラクターソングも、「そのキャラクターが、そのキャラクターたる理由はどこにあるのか」というメタな視線を入れると、こういう異色作になる。一発ネタといえばその通りだが、プロからはまず間違いなくでてこないであろう視点が面白い。


 あれこれの要素を付加して音楽を豪華にしていくのではなく、逆にぎりぎりまで切りつめていった歌。まったく無駄がないシンプルさがいい。


 ハンドル名、トゥルララPは、歌詞をつけずに「ラララ」とミクに歌わせることに執心している。歌詞を歌わせることができるのがミクの特徴なのだが、あえて歌詞を禁じ手にして伸びやかな声のサウンドを生かし、素直な曲に仕上げているのが快い。
 この曲も野尻抱介さんが見つけてきたもの。ちょっと聴くと単純に思えるが、メロディの細かいところまで神経の行き届いたうウェルメイドの曲だ。たとえば女性声優のボーカルアルバムのラストにこの曲が入っていたら、アルバムの締めとしては理想ではないだろうか。私はこの曲から矢野顕子の「オーエスオーエス」を連想した。


 これはもう立派な室内楽伴奏付きの歌曲。よく考えられた音楽の構成や、達者なビデオの作りからすると音大、美大系の出身者の作品かとも思う。


 沖縄の音階を使ったシンプルな佳曲。



 最後も猫ネタで。再生数からいえば立派なヒット曲だ。まだまだ伸びるだろう。

 ちなみに作者のハンドル名の最後にPが付いているのはニコニコ動画の慣習だ。これはプロデューサーの略。ニコニコ動画で一世を風靡した「アイドルマスター」というゲームに由来する。このゲームでは、プレイヤーが芸能プロダクションのプロデューサーになってアイドルを育成する。画面にプレイヤーの名前が「●●P」と表示されることから、いつしか、ニコニコ動画でのハンドル名は最後にPが付くようになった。ハンドル名は自称する場合も、ユーザーが投稿者の特徴を捉えて「この人は●●Pだ」と命名することもある。ちなみに私は「L/DP」というハンドル名をもらっている。

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2006.01.06

青春スーツの音楽を聴く

 以前紹介したピアニスト・大井浩明氏の「閘門ブッコロリ」を起点に、あちこちのぞいたり、ストリーミングを聴いているうちに、たどりついた。とんでもない録音のストリーミング。

鈴木貴彦の演奏:ジャン・バラケ:ピアノ・ソナタ(1950-52、日本初演)ほか

 バラケ、ジャン・バラケ!

 私がバラケの名前を知ったのは、中学三年生で音楽に興味を持って、最初のオーケストラスコアを買った時だった。全音のポケットスコア、諸井三郎著のスコアの読み方を解説した「スコアリーディング」、そしてドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」だ。
 全音楽譜出版社のポケットスコアには、かなり詳細な楽曲解説が付属している。「牧神」の解説は、ジャン・バラケの分析に基づくものだった。

 その後、ジャン・バラケ(1928〜1973)が、難解な曲を書くことで知られた作曲家であることを知った。しかし、その曲を聴くことは、このストリーミングに出会うまで、なかった。

 バラケは大輪の、しかし日陰の花だった。日陰の花には対になる日向の花がつきものだ。バラケにも、巨大なひまわりたるライバルがいた。その名はピエール・ブーレーズ

 作曲家にして指揮者、斬新な解釈を施した数々の演奏で知られたブーレーズは、クラシックに興味がある人なら誰でも知っている大物である。
 ブーレーズとバラケ、一体何が起きたのか?(以下、若干芝居がかって)。

 アドルフ・ヒトラーがドイツに出現し、あの悲惨な第二次世界大戦へと世界を導いたことは、音楽の世界にも大きな影響を残した。大戦後の音楽業界では、ヒトラー的なるものが忌避されたのである。
 ヒトラーはワーグナーが大好きだった。このため、戦後欧州の作曲家の間では、ワーグナーのように聴き手の心を巻き込み、翻弄し、絶頂とどん底を経験させて感動に導くような音楽は忌避されるようになった。

 代わって、作曲家達の意識の中央を占めたのは、純粋に抽象的な美だった。

 戦後の若い作曲家達の動きは、後に「トータル・セリエリズム」と呼ばれるようになる。詳細は略するけれども、音程、音の長さ、強さなど、音楽を構成するすべての要素を、一つの数理的秩序のもとに統一しようとする考え方だ。過酷な戦争を子供として体験した彼らは、ロマンなどという曖昧なものに音楽の美をゆだねることに耐えられなかった。

 音程は、Hzで表される。つまり数字だ。音の長さは、秒で表すことができる。これまた数字、音の強さはデシベルで記述可能。やはり数字だ。もちろんテンポはメトロノームで記述できるわけで、数字そのものだ。
 若い作曲家達は、音楽のすべてを数理的秩序の元にコントロールしようと考えたのである。

 トータル・セリエリズムについては以下のページが詳しい。

全面的セリー主義:芸大の横田敬氏が公開している論考。


 ここでは本題に話を絞ることにしよう。

 当時、フランスにおいて若手作曲家として将来を嘱望されていたのが、ピエール・ブーレーズとジャン・バラケだった。二人はトータル・セリエリズムの可能性にむかって突き進み、それぞれに作曲していった。

閑話休題
 「ハチミツとクローバー」(羽海野チカ著)というマンガに、「青春スーツ」という言葉が出てくる。若いが故の自意識過剰と全能感と無力感が混合された精神状態を「青春スーツ真っ盛り」と表現し、そこからの脱却を「青春スーツを脱ぐ」と形容するわけだ。

 その伝でいえば、ブーレーズとバラケのトータル・セリエリズムは、「青春スーツの音楽」であった。俺たちが新しい音楽を創るんだ戦争は終わった老人共何するものぞ他のやり方は駄目俺は絶対正しいロマン派死ね民族主義死ね新古典主義死ねトータルセリエリズム万歳…。

 ブーレーズの「2台のピアノのための構造」や「第2ピアノソナタ」(共に1948年、ブーレーズ23歳の作品)、あるいはバラケのピアノソナタ(1952年、バラケ24歳の作品)などは、年齢から言っても「青春スーツ真っ盛りの音楽」だったわけである。

 しかし、その後の人生行路はあまりに違っていた。

 ブーレーズは女声と室内楽のための「主なき槌(ル・マルトー・サン・メートル)」(1954年、ブーレーズ29歳の作品)で、世界的な名声を獲得する。シュールレアリスト詩人・ルネ・シャールの詩を、メゾ・ソプラノが歌い、フルート、ヴィヴラフォン、ギター、ヴィオラ、打楽器が絡まっていく——どんな聴き手も魅惑せずにおかない結晶的な美に溢れた、間違いなく20世紀を代表する作品だ。
 この曲で、ブーレーズは「感覚的修正」ということを言い出した。トータル・セリエリズムで数理的に書いた曲に、「ここは俺の感覚に合う、合わない」で修正を施すということだ。むやみやたらに技法にこだわることをやめて、自分の感性を信用する態度に回帰したといっていいだろう。

 ブーレーズは大人になった、というのは言い過ぎだろうか。「マルトー」で彼は青春スーツを脱ぎ捨てた——私はそう読む。

 その後ブーレーズは、徐々に作曲から演奏へと活動の場を移していく。パリのポンピドーセンターを拠点に「アンサンブル・アンテルコンテンポラン」という演奏家集団を組織して、様々な曲を演奏し、録音を行い、斬新な楽曲解釈で世間を驚かせ——今や80歳となったブーレーズは、世界的名声を得た指揮者であり、かつてのカラヤンにも近い地位を楽壇において獲得しているといえる。

 一方、バラケの人生はといえば——そもそも彼は完璧主義者でぎりぎりまで自分を追いつめずにはいられなかった。それが災いしたか、作品はなかなか完成せず、望んだ職は得られず、家が火事になってそれまでの作品が焼失したり、交通事故に遭ったり、アル中になったり。
 彼は同性愛者でもあり、特に若き日の哲学者ミシェル・フーコーとの関係は有名だった。フーコー周辺の爛れた関係はこれまた知る人ぞ知る話であり、おそらくはバラケもホモの痴話喧嘩に巻き込まれたのだろう。
 何にどう絶望したのだろうか。バラケは45歳で自ら毒を飲み、自殺してしまった。

 彼の作品は7曲しか残っていない。その死から四半世紀も経ってから作品集が出版されたが、その内容は全く持って完璧からはほど遠い、未校訂のものだという。なんてついてないんだ…バラケ。


 ここで冒頭に戻り、・鈴木貴彦氏の演奏するジャン・バラケ「ピアノ・ソナタ」を聴いてみよう。

 構造があるんだかないんだか、精緻なのかでたらめなのか判別しにくい音から、やがて立ち上ってくるのは、痛々しい自負心と才能のかけらだ。確かに難解なのだけれども、瑞々しい感性が隠しようもなく聞こえてくる。

 その名前を知ってから30年、私はやっとバラケの音楽にたどり着くことができた。

 果たして、ピアノソナタを書いた後、バラケは青春スーツを脱ぎ捨てることができたのだろうか。ブーレーズのように。
 以下のエッセイを読むと、どうも一生青春スーツのまま、七転八倒していたように思える。

ジャン・バラケ(前編):深良マユミ氏のエッセイ
ジャン・バラケ(後編):同上

 深良氏の自己紹介にも、どことなく青春スーツの切れっ端が。ひょっとしてバラケには青春スーツがつきものなのだろうか?


 というわけで、「ハチミツとクローバー」。美大にたむろする若者達の青春七転八倒を描いたマンガだ。青春ただ中の読者は、「うんうん」と感情移入して読むし、より年齢が進めば「あったよなあ」とこれまたうなずいて読むという傑作。
 テレビアニメにもなったけれども、私は未見。この映像にしにくいマンガをどう料理したんだろう。

 不器用な真山と、さらに不器用な山田の関係に感情移入する人も多いだろうが、私には竹本の間抜けな七転八倒ぶりが面白い。バラケのソナタを聴きながら、思わず「青春の塔」のあたりを読み返してしまった。
 きっとバラケには、でこぼこでごつごつの作品に対して「素晴らしい、これこそ青春じゃあ〜」と言ってくれるおじいちゃん先生達や、煮詰まった時に乗って逃げることができるママチャリがなかったんだね、と思ったりして。

 まさかあるまいと思って調べてみたら、ありました。バラケ「ピアノソナタ」のCD。驚いたな。

 まずは、鈴木貴彦氏の男気に満ちた日本初演の音をストリーミングで聴いて、それから注文するかどうかを判断すればいいと思う。

 鈴木貴彦氏は、東京芸大中退後、京都大学で哲学を学び、大学院まで出て、なおかつピアニストになったという変わり種。大井氏とは京都大学で出会ったらしい(大井氏も京都大学卒、独学でばりばり現代曲を弾く技巧を身につけたというこれまた変わり種)。どういわけか、こういう型破りの演奏家は、芸術系大学からは出てこない。

 「ル・マルトー・サン・メートル(主なき槌)」——「大輪のひまわり」こと、ピエール・ブーレーズ、畢生の傑作。この「マルトー…」を聴かずして二十世紀音楽を語ることはできない。一聴すると、いわゆる「キンコンカン」系の現代音楽なのだが、とにかく一つ一つの音の美しさが尋常ではない。この曲がドイツの温泉保養地、バーデンバーデンの音楽祭で初演された時には、大変なセンセーションを巻き起こしたという。

 ブーレーズは指揮者として「マルトー…」を5回録音していて、このCDは2002年の最新録音。そう、室内楽でありながら、指揮者を必要とする至難の曲でもあるのだ。

 以前の録音が突きつける、目の前の空気を切断するかのような切れの良さはない。しかし、全体のまとまりと、一つ一つの音の美しさはこっちのほうが上だ。なにより、高音質の録音が必須の曲だけに、新しい機材で録音されたこの盤のほうが、曲を理解するには良いと思う。

 

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2006.01.01

謹賀新年:おもしろアニメを紹介する

 あけましておめでとうございます。

 年頭なので、構えずに、去年教えて貰ったいくつかのミニアニメを紹介しよう。

こまねこ
  映像はExciteシネマ こまねこで見ることができる。

 コマ取りの人形アニメで「人形アニメを撮影するネコ」を作ったというもの。NHK「ドーモくん」のスタッフの作だが、こまねこの動き、表情、すべてが愛らしく、素晴らしい。
 誰かこのスタッフにお金を出しませんか。アードマンプロが吹っ飛ぶような傑作を作ってくれるに違いない。

#1月7日注記:なんと「こまねこ」は長編アニメ化が進行中だった。公式ページの冒頭で紹介されていたのだけれど、フラッシュが使ってあるとさっさとスルーする癖がついているので気が付かなかった。これは楽しみだ。

弥栄堂

 とても高品位のフラッシュアニメを個人で作っている。私のお気に入りは「オーニソプター」。独特の世界観が面白い。


ウェブテント:いきなり音が出るので注意。

 変な感性が癖になるフラッシュアニメ「クワガタツマミ」を公開中。ライブドアインターネットアニメーションで、「やわらか戦車」も公開中。


 サイドバーに、過去にnikkeibp.jpに書いた記事へのリンクをまとめてみた。けっこう書いたものだ。今読み返すと、もう少し突っ込めたものや、方向が間違ったかと思えるもの、しつこかったかと反省しなくてはならないものなど色々。
 サイドバーが赤いリンクで一杯なのもうっとうしいものだ。しばらくはこのまま掲載するが、そのうちに2005年以降のものに絞ることにする。

 今年もよろしくお願いいたします。

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2005.10.24

大井浩明氏のblogを発見する

 例によって逃避して、ネットをさ迷っていたらピアニストの大井浩明氏のblogに行き当たった。

閘門ブッコロリ

 大井浩明。2002年に「史上最も演奏が困難なピアノ協奏曲」と言われたヤニス・クセナキスの「シナファイ」を録音し、クラシックファンの間にセンセーションを巻き起こしたピアニストだ。無茶苦茶指がよく回る人である。

 ちなみにネットにはシナファイのピアノパート解説もある。日本初演の時にはピアノを担当した高橋悠治の指から出血したという曰く付きの曲だ。HMVの紹介はなかなか詳しくてお薦めである。

 こんな曲を書く方もいい加減イカれているが、演奏する方はもっとすごいと思う。

 大井氏のページからは、様々な現代曲をストリーミングで聴くことができる。しかもその「シナファイ」のライブ録音を聴くことができるではないか。

■2005/09/29(木) That’s made for you and me, ミッキー井上 ヘイ!ハイ!ホウ!

 こいつは豪気だ!と思ったけれど、なぜか私のPowerbookではうまく再生できない。他の曲はうまく再生できるのに残念だ。

 それでも、なかなかお薦めのページだ。

 興味のある方はどうぞ。シナファイのCD発売時の大井氏インタビューもなかなか面白い。

 大井演奏によるシナファイのCD。好奇心の強い方は是非とも史上最難のピアノ演奏に耳で挑んでみて欲しい。ただし、かなり手強い曲だから、分かろうが分かるまいがとにかく10回以上聴き込むことを覚悟したほうがいいだろう。  恐るべき密度の曲であることは確かだ。  ちなみに“シナファイ”は、別に中国とは関係ない。「結合」という意味である。シナプスの“シナ”と同じ。

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2005.10.23

素晴らしき4D2U

 野尻ボードより。

国立天文台4D2Uプロジェクト

 素晴らしい!!一つ一つ見ていくと、それだけで時空を超えた旅に出た気分になる。いつの間に、国立天文台はこれだけのことができるほどの広報マインドを持つようになったのだろうか。

 私は直接知らないのだけれども、天文普及関係の知人によると、東京天文台という名前だった頃の天文台の広報は最低に近かったそうだ。典型的お役所仕事で、応対は悪く、情報サービスは使いにくく、しかも直そうという機運は皆無だったという。その後、国立天文台が発足し、渡部潤一先生が広報担当となって、ずいぶんと改善されたと聞いてはいた。聞いてはいたが、これほど美しく衝撃的な普及広報ページを作成するほどになっているとは。

 繰り返そう。なんと素晴らしい。

 この仕事にはデザイナーの小坂淳氏が参加している。広報に、優れたデザイナーが参加することの重要性を、誰が気が付いたのだろう(そう、広報はその意味では広告に近い性格を持つ)。国立天文台に拍手である。


 本日、参議院神奈川選挙区補選。前外務大臣の自民党・川口順子候補が当選した。

 投票率は32.75%。こっちは全くもって素晴らしくないな。

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2005.10.19

2ちゃんねるで若気の至りの記憶が蘇る

 中学生の時だった。小説を書こうとしたことがある。タイトルは「ナンセンス・ゲリラ」というもの…

 そこっ、笑わないように。30年近く昔だ。まだ「ナンセンス」という言葉は死語になっていなかった。

——突然、奇妙な事件が続発する。タンカーがいつの間にか丘に上がったり、長谷の大仏が後ろ向きになっていたり、霞が関ビルに巨大なはてなマークがペイントされたり。警察はいたずら事件と判断して捜査を始めるが犯人は捕まらない。そのうち実行犯の何人かが検挙されるが、彼らは異口同音に「何となく」「面白そうだったから」という、共犯はと問いつめると「知らない人と一緒に」と答える。やがて、一連の事件に「ナンセンス・ゲリラ」という名前が付く——

 こんなアイデアを思いつくにあたっては前史がある。小学生の時に見ていた「人造人間キカイダー」、私は、キカイダーが阿呆に見えて仕方なかったのだ。
 毎回、敵の首領プロフェッサー・ギルは、ひょろろろーと妙な笛を吹く。良心回路が不完全なキカイダーはその度に苦しみ(ロボットが苦しむとはどういう事だ、というのはさておいて)、やっと敵の戦闘ロボットを倒すのだった。

 「やっつける順番が逆だろう」と子供心に思った。笛の音が聞こえるということは、ギルも近くにいるということだ。だったら、先にギル(生身の人間だから、力はキカイダーの敵じゃない)をやっつけて、しかる後に戦闘ロボットをやっつけるべきじゃないか。
 で、思いついたのだ。「悪の組織において最大の弱点は一人しかいない首領である」。もう一歩進んで「最強の悪の組織は、首領がいない悪の組織である」と。

 ところが、そんな番組はいつまでたっても始まらない。で、中三の時に自分で書いてみようと思ったのだった。つまり「ナンセンス・ゲリラ」が、首領がいない、実行犯だけの組織だったのだ。戦闘員だけのショッカーというべきか。イー。

 私はこの小説を書き上げることができなかった。というのは、大仏を動かすなんてことは、事前にかなりの打ち合わせが必要になる。実行犯相互が、「なんとなく」「顔も知らず」「知り合いでもない」状態で、事前打ち合わせをするにはどうしたらいいのか、どうしても思いつかなかったのだった。

 私は嘘が下手だった。もしも「百匹目の猿」のような仕組みを思いついていたら、今頃は適当に論文趣旨を適当にねじ曲げて一般解説書を書くスーパー・ネイチャーな自然科学者か、中小企業経営者相手に嘘八百を付きまくる経営コンサルタントになっていただろう。

 そして私には工学の才能もなかった。もしもあったら、パケット伝送による中心がないネットワークを考案して世界的な名声を得て、今頃は日経新聞に「私の履歴書」を執筆していたかも知れない(私が中学の時には、現在のインターネットの原型はとうの昔に出来ていたわけだが)。

 何が言いたいか、といえば、2ちゃんねるのような匿名巨大掲示板は、まさに中学生の私が夢想したような運動体になっているな、ということだ。日韓共催のワールドカップの時、妙な報道をしたフジテレビに抗議して、2ちゃんねらー達が、テレビ番組に先駆けて江ノ島海岸を清掃してしまった時、この事に気が付いた。お互いに
顔も知らない匿名の個人が、事前に図ってその時だけの運動体を結成して、社会に影響を及ぼす——中学生の私はこれが書きたかったけれども、書けなかったのだった。

 いや、気が付いたからどうということでもないのだけれど。子供がようよう書ききらなかった小説など、存在しないも同じだ。

 で、今日の本題。知人から流れてきた面白い情報。

・まずこの画像
・で、この動画像

 震源地はどうやら、2ちゃんねるらしい。つまらん討議の時は、こういうことをしたくなるのは良く分かるが、こうやってキャプチャーでその画像が津々浦々に流れてしまうのは、ネットならではだろう。ご愁傷様でした。

 もうひとつ、のまねこ関連で。

空耳じゃないマイアヒ

 そうか、切ない恋の歌だったのか。

 聴き手が空耳をして遊ぶのは、聴き手の勝手だろう。しかしクリエイター側の意向を汲んで音楽を売るべきレコード会社が、歌の内容を無視してはいかんだろう。空耳で売ろうとしたエイベックスは、やはりどこかおかしい。音楽産業として、何か大切なものが、すっぽり欠けていたという感じがする。

 ま、2ちゃんねるからの情報で若気の至りを思い出してしまった、ということで。

 ご多分に漏れず、私もハカイダーが大好きだった。いくらでも弾丸が出て来るハカイダーショットは、実に欲しかったな。銀玉鉄砲でも、装弾に限りがあるのがくやしくてねえ。

 それ以上にカワサキのバイクも格好良かった。なにしろキカイダーが乗るサイドマシンは、1970年のモーターショーにカワサキが出展したメーカーワンオフのレーシング・ニーラーなのだ。しかも2ストトリプルのマッハ改造なのだよ。
 その低い走行姿勢は、ホンダの市販バイク改造の仮面ライダーよりも、後に宇宙刑事シリーズでいやというほど出てきたスズキ製バイク改造のサイドカーよりも、ずっと見栄えがした。
 サイドカースタントも素晴らしかった。ダートをニーラーで突っ走り、パッセンジャー側を大きく振り回してドリフトターンする姿は、本当に格好良かった。

 話はどうであれ、バイクに関してはとても贅沢な特撮番組であったことは間違いない。

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