2008.05.09

かぐやハイビジョン映像のネット公開にあたって

 もう皆さんご存知だろうが、NHKが月探査機「かぐや」の取得した「地球の入り」「地球の出」のハイビジョン画像を、ネットで公開した。

かぐやアーカイブ アースウォッチャー

 今回公開されたのは、1280×720ピクセルの画像だ。オリジナルの1920×1080ピクセルではないのが残念だが、現在のネットの伝送容量と端末となるパソコンディスプレイの解像度を考えると妥当なところだろう。
 もちろん、伝送容量もパソコンの能力もムーアの法則に従って伸びていくものだから、NHKには1年後程度をメドに、フル解像度の画像を公開するよう望みたい。

 この件については、MIAUが、NHKに質問状を出し、それに対する回答が来たり、といくつかの動きが続いていた。私も、記事を書いている(「ハイビジョン月面画像を公開しなかったNHK」「日本ではダメなのにカナダではネットで観られる「かぐや」ハイビジョン画像」)。

 やっと、事態は良い方向に向かったと考えて良いだろう。

 今回の件に関して私は、記事を書いた際の感触から、NHK内部にも状況を正確に理解し、事態を打開しようとしている人たちがいることを感じていた。

 昨今の映像コンテンツの権利を巡るニュースをフォローしていると、なかなか「公開すべきコンテンツは公開すべき」という原則が、組織の中では通りにくくなっているだろうことが見て取れる。

 公開にまで持っていった「NHKの中の人」、本当にご苦労さまでした。MIAUもナイスプレーだったと思う。

 そして、公開に至るまでのNHK内部の手続きにおいて、あれこれと疑問を投げかけ、牽制したであろう「別の中の人」へ。

 これがあるべき姿なのですよ。最初からこうしていれば、「親方NHKは、あれこれ言われてから仕方なくやったんだろ」などと言われず、「さすがNHKは情報のあるべき未来を見据えている」と評価されたはずなのですよ。

 今回の件は、自分たちの収益の元となるハイクオリティのHDTV画像を、生データでネットに掲載してしまうことに対するためらいが、NHKにあったのだろう。
 このロジックは、もちろん通用しない。「地球の出/入り」の画像は、国民の税金で開発された探査機に搭載したNHKのカメラで取得された。NHKが独力で取得したものではない以上、探査機に対する出資者である日本国民、さらには全世界の人々への、ネットを使ったハイライト部分の公開は当然である。


 この問題を広く捉えるならば、ネットワークによって「デジタル映像コンテンツ」の流通はどう変わっていくか、という問題だ。

 音楽の世界では、ネット流通において違法コピーをどう避けるかという問題に対して、すでにアメリカの状況によって答えが出ている。「テクノロジーによる過度のコピー制限をしない」ということだ。

 まずiTunes Music Store。その成功に理由のひとつには、緩いデジタル著作権管理(DRM)がある。

 さらにiTMSでは、iTunes Plusという高ビットレート、DRMなしのサービスを行っているし、アメリカではAmazonがMP3フォーマット/320kbps、DRMなしの音楽ダウンロード販売を開始し、売り上げを伸ばしている。

 DRMは不要。それで十分ビジネスは回るというのがすでに実績として証明されているのだ。着うたなどで、DRMにしがみついている日本の既存音楽業界はいずれ衰退するだろう——私はそうみている。

 私は、この流れは動画像でも同じではないかと思う。コピーワンスもダビング10も、従来のビジネススキームに固執するあまり、にっちもさっちもいかなくなっているのではないだろうか。

 すでに台湾発で、コピーワンスを無効にする「フリーオ」というデジタル放送チューナーが出回っている。コピーワンスはテクノロジーの産物であり、後から来るテクノロジーに破られる——これは自明の理だ。だからといってこのようなチューナーの所持や利用を違法化したとしても、それは映像産業全体の活力を奪うだけのことだろう。

 まあね、例えばゴールデンタイムのテレビ各局、なかんずく民放各社が、コンテンツと呼ぶに値する、何度もの視聴に耐える番組を制作しているかといえば、私はノーだと思うのだよな。
 そしてこれは、本がデジタル化される近い将来、自分にも関係してくる問題である。「お前は本当に、意味のある情報を生産しているのかね?」と。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2008.04.19

“神環境”が見せる未来

 ああ、やってしまったか。

「アナログ放送終わります」テレビ画面に常時字幕へ(asahi.com)

 2011年に予定される地上波テレビのアナログ放送停止を控え、今夏からテレビ画面に「アナログ」という共通の文字スーパーが流される。地上デジタル放送(地デジ)への完全移行をPRする。NHKや民放各社は完全移行3年前となる今年7月24日から始める方向で調整している。

 現在、地デジ受信機の世帯普及率は約28%にとどまっているため、アナログ停波の認知度を高める狙い。

 商品に魅力があれば、後は値段との兼ね合いで自ずと普及する。地上デジタル放送の普及が遅れているのは、商品としての魅力に欠けるという一点に尽きる。アナログ時代に構築した放送利権を維持するために、訴求力に欠けるシステムを組んだところに最初のボタンの掛け違いが存在するわけで、それが小手先の対策でどうなるわけでもない。

 テレビを見なくとも必要な情報を手に入れる環境はすでにできている。こんなことをしていると、先行き何が起きるかは明白だと思うのだけれど。

ここから今日の本題。

 先日、面白いものを教えて貰った。Windows Mobile用のWMWifiRouterというソフトだ。Windows Mobileを採用するスマートフォン、それも無線LAN機能を搭載する機種でこのソフトを走らせると、そのスマートフォンを無線LANルーターとして使うことができる。

 例えば、イーモバイルのEM ONEでこのソフトを走らせて、カバンの中かポケットにでも入れておけば、自分が最大7.2Mbpsの無線LANスポットを持ち歩いているのと同じになる。

 どういうことか。例えばiPod Touchのような端末をいつでもどこでも無線LANでネット接続できるようになるわけだ。「いつでもどこでもネット」という環境を、Windows Mobileのどうしようもないユーザー・インタフェースではなく、iPod Touchの洗練されたユーザー・インタフェースで使用することができるのである。

 次世代のWiMAXの環境を先取りだ。一部では「神環境」などと呼ばれているらしい。

 この環境のデモンストレーションは、日本に持ち込まれたiPhone(もちろん電話機能はアクティベートされていない)、それもジェイルブレイクしてさまざまなソフトを組み込めるようにした端末で見せてもらったけれど、やはりiPhone/iPod Touchのユーザー・インタフェースは良くできている。ほいほいとGoogle Mapを呼び出して、地図を確認できるのはとても便利そうだった。

 EM ONEがそもそもWindows Mobileなどを使っていなければ——という話ではあるのだけれど、今後高速通信が当たり前のものになれば、勝負の場は携帯端末のユーザー・インタフェースに移っていくのだろう。今現在、すでにアップルはiPhone/iPod Touchを実現しているわけで、日本の電機メーカーが対抗していくのは相当難しそうだ。

 要は、ムーアの法則をどう考えるかということだったのだろう。ムーアの法則により、プロセッサーは高速化し、メモリーは大容量化していく。いずれ携帯端末で、かなり重いとされたOSも軽々動く時代が来る。すると、パソコン用だろうが携帯端末用だろうが、「筋の良いOS」が一種類あればいいということになる。筋の良いOSとは、優れたメモリー管理とタスク・スレッド管理機能、優れたユーザー・インタフェース、生産性の高い開発環境を兼ね備えたOSだ。OSのサイズや実行速度については、気にする必要はない。いずれムーアの法則が解決してくれる。ただ一つの筋の良いOSをブラッシュアップしていけば、いずれそのOSでパソコンから携帯端末までをカバーできる未来が来る。

 そう考えた上でアップルが出した結論が、カーネルにオープンソースのダーウィンを採用したMacOS Xだったのだろう。ご存知の通り、iPhone/iPod TouchはMacOS Xで動いている。

 パラダイス鎖国などと言われている、日本の携帯電話メーカーは、この先どうなるのだろうな。あまり良いことにはなりそうもない予感がする。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

2008.04.04

テレビを巡る終わりの始まり

 こんなニュースが出た。

フジ、BPOに改善報告書提出 「27時間テレビ」問題:asahi.com
フジテレビ:江原さん出演番組で報告書公表:毎日新聞

 放送倫理検証委員会(BPO)がフジテレビに出した意見は以下の通り。
FNS27時間テレビ「ハッピー筋斗雲」に関する意見(pdfファイル)

 フジテレビがBPOに提出した報告書はこちら
ハッピー筋斗雲」に関する報告書
 2008年1月21日付 BPO放送倫理検証委員会決定第2号

 この件については、大阪大学の菊池誠教授のBlog「kikulog」で、議論が行われている。

「江原番組に対するフジテレビの見解」(kikulog)

 ここで問題になっている江原啓之氏と彼の行うスピリチュアル・カウンセリングについて、私はウソであろうと判断している。ただし非常によくできたビジネスモデルを構築している、と。

 通常の詐欺師は被害者から金品を巻き上げるが、江原氏はテレビメディアに視聴率という果実を与えることで、その一部を収益とする。被害者に金品の被害は出ない。
 したがって、彼のウソは犯罪としては成立しない。テレビに出ることによって彼の著作は売れ、さらなる収益を彼にもたらす。

 しかし、被害者がいないわけではない。根拠のないスピリチュアル・カウンセリングを信じてしまえば、将来にわたって様々な形で人生の判断を誤る可能性が高まる。が、それは短期的には表面化しない。

 実に良くできた仕組みだ。

 今回の場合は、江原氏が事前に十分に準備しない状態でカウンセリングと称する行為を行い、カウンセリングを受ける者に直接的な被害を出したから問題になったわけだ。

 報告書を読む限り、今回の件でフジテレビは、スピリチュアル・カウンセリングを採り上げることについて反省をしていないようだ。

「プロデューサーから上がった意見」というところには、わずかにひとつだけ「非科学的な根拠の薄いテーマを題材にした番組制作に対する一層の注意喚起が不可欠であることを実感した。」とあるだけである。
 報告書に付帯する識者意見が、軒並み「非科学性」を問題としているのと対照的だ。
 フジテレビのプロデューサーたちはむしろ、素人を扱う番組も難しさに目がいってしまっている。

 そうじゃない。「非科学的な根拠の薄いテーマを題材にした番組制作」は、そもそもやっちゃいけないのだ。そういうものはアングラで流すならともかく、貴重な公共財である電波帯域を占有して放送してよいものではない。

 今回の件に、私はテレビというメディアの追いつめられた姿を見る。

 「江原啓之」で検索をかけてみよう。Googleの検索結果は、まず公式ホームページ、Wikipediaと来て、3番目は「江原啓之 インチキ霊視!?檀れいの「死んだ父親」が生きていた ...」、4番目は「J-CASTニュース : 前世は「中世の賢者と貴族」ばかり 江原啓之の「摩訶 ...」、以下そんな内容のページが続く。
 関連検索のキーワードはといえば、「江原啓之 インチキ」「 江原啓之 正体」「江原啓之 批判」と来たものだ。

 つまり、江原啓之氏の出演する番組は、インターネットで検索をしない人を対象にしているということだ。

 それが視聴率を取れるということは、インターネットを使いこなしていない人ほどテレビを見る時間が長いということであり、つまるところテレビというメディアがどんどんネット時代に取り残されているということである。

 もはや地上波テレビは、ネットから取り残された人々を相手に番組を作るしか、収益を上げる方法がなくなりつつあるのだろう。

 そう考えると、スピリチュアルにせよ、若手芸人をすりつぶすようにして使い捨てていくバラエティ番組にせよ、およそ「コンテンツ」というに値しないことに気が付く。

 その証拠に2度3度と見たいと思う人はどれほどいるのだろうか。2度見る必要はないというのが普通の反応ではないだろうか。私はといえば、1度であっても見る必要を認めない。さっさとデジタルCS放送やらCATVに受信機を切り替えるだけだ。

 一時期、テレビの持つ豊富なコンテンツをネット時代に活かすというような話があったが、今現在のテレビ局は事実上、コンテンツ制作セクターとしての機能を喪失しているのではないだろうか。

 それでも、テレビ局で必死になって意味がある(と信じる)番組を作ろうとしている人たちはいる。それらの多くは深夜や早朝の時間帯にしか放送されない。時々仕事で付き合いのできる民放のドキュメンタリー製作担当は、どの局も本当に良い仕事をしていると思うけれど、決してゴールデンタイムには放送されない。

 こういう状況を「終わりの始まり」というのだろうな。

 放送業界が持つ「金になる構造」を明快に解説した本。デジタル放送なんて全部衛星放送にすれば、地上の再送信設備も電波塔も不要に上に、広大な地上波の電波帯域が再利用可能になる。それなのに、なんで地上波で放送するのかと思っていたら、つまりそこには身動きとれなくなった利権構造が存在したのであった。

 衛星放送なら衛星2機で、打ち上げ費用を入れてもせいぜい600億円ほどで済む(しかも最近の静止衛星は15年以上の寿命がある)ところを、地上波デジタルで1兆円設備投資するのだから、日本が借金漬けって本当か?という気分になる。

 ちなみに、私がSAFTY JAPANに書いた書評:「ネットにあらがうTV業界の現在と未来」

| | Comments (1) | TrackBack (1)

2007.12.27

「かぐや」ハイビジョン画像で、MiAUに動きあり

 著作権に関連して。

 ここと、nikkeibp.netで書いてきた、月探査機「かぐや」のハイビジョン月面画像の事。

 ネット著作権について積極的な活動をしているMiAU(インターネット先進ユーザーの会)が、動き出した。

【MiAUの眼光紙背】第7回 その映像は誰のため?〜ネットで視聴できない月の高画質映像

 MiAUは、なんらかの形でネットユーザーの声をNHKに伝えられないかと考えている。

 この件でMiAUの方とも会って話をしたが、「NHKがそう簡単に態度を変えるとも思えない」というところで意見は一致した。

 結局NHKがよほどあわてる事態にならなければ、今の態度を押し通すだろう。NHKがあわてるとしたら、政治家が動いて次年度の予算が国会を通らなくなるということぐらいしかない。そうなれば、NHKの政治部記者出身の会長秘書あたりが、「ご説明」と称して永田町界隈の議員事務所を大あわてで飛び回ることになるだろう。

 が、ネットの民意で政治家が動くというのも、現状考えにくい。MiAUとしては、とにかくできることやって、NHKの現状をより広く広報しようという作戦のようだ。

 もっともこんなことをやっていれば、NHKは早晩国民の各階層から総スカンを食うことは間違いない。

 JAXAは、この件に関してはNHKと共犯とも言える部分がある。それでも内部では「広報的にハイビジョンカメラが意味あることは分かった。民生用HDTVカメラがこれだけ安くなっている今、次の機会があってもNHKと付き合いたくない」などという声も聞こえてきている。当然だろう。

 「どうして、あそこ(NHK)は、ああ頑なかねえ…」という「かぐや」HDTV搭載の震源地の一人である某先生の嘆きも聞こえてきていたりして。

 今回の件はNHKにも損になっているわけだが、先日は「クローズアップ現代」のオープニングに使ったハイビジョン画像に「JAXA/NHK」のキャプションが写り込んでいるという事態も起きた。
 自分のところの番組でも、JAXAと結んだ囲い込みのための協定のためにキャプションを入れねばならないわけだ。入れなければより画面がすっきりするというのに。

 …と思っていたら、かつてNHKで働いた経験者から「いや、横のつながりが悪くて、『クローズアップ現代』の関係者が、キャプションなしのハイビジョン素材を手に入れられなかったのかも知れませんよ。とにかくNHKは組織内の横のつながりが悪いですから」と指摘された。

 なら、なおさら悪いわなあ。

 もっとも、MiAUに関しては、その後ネットの著作権画像のダウンロード違法化という重大問題が発生したので、どこまできちんと動いてくれるかは今後の状況次第だ。

 これまた重要な話であるので、近日中に書くことにする。私のスタンスは、「違法サイトのダウンロード違法化に反対」である。

| | Comments (1) | TrackBack (1)

2007.12.24

映画:ピンチクリフ グランプリ

 某所に、マニアな人たちがDVDを持ち寄って上映会を開いたと思って頂きたい。

 そこで観たこの映画。ものすごく面白かった。

 1975年ノルウェーの人形アニメーションだ。

 お話は、アマゾンの紹介ページにある通り。ピンチクリフ村に住む自転車修理工フェンゲンが、同居人のアヒルやハリネズミと一緒に自動車を作ってレースに出場するというたわいもないもの。トニー・カーチスとジャック・レモンが共演した「グレートレース」(1965)や、ハンナ・バーバラのアニメ「チキチキマシン猛レース」のような、レトロなスーパーメカが活躍する「男の子の夢一杯」の映画である。

 ところが、セットも人形の動きの付け方も、とにかく丁寧で細やかなのだ。じっくり時間をかけて、丁寧に丁寧に作っていることがじわじわと伝わってくる。

 終盤のレースシーンは一転して、およそ人形ものとは思えないものすごい迫力となる。このDVDを持ってきたKさんによると「スターウォーズ・エピソードIVのデススター破壊シーンは、この映画を参考にしたんじゃないか」と言っていたが、実際そんな感じ。スターウォーズの疾走感が、サンダーバードの特撮で再現されている。素晴らしい!

 ストーリーも、どこが取り立ててということはない。もちろんレースを妨害する悪人が出てくるのだけれど、彼らがとんでもないしっぺ返しを食うわけではない。主人公達の人生が、レース後に激変するわけでもない(いや、ひとつだけ変わるものがある。それは観てのお楽しみ)。

 それがいいのだ。

 帰宅してからアマゾンでぽちっ。


 そういえば、「こまねこはどうなった?」と、アマゾンで調べてみると、うわ、こっちも出てるよ。これもなんというか、ほのぼのとしたいい人形アニメだったなあ。で、こっちもボチリ…

| | Comments (1) | TrackBack (0)

2007.11.25

ディスカバリーチャンネル・カナダが「かぐや」のハイビジョン画像を公開している。しかも…

 サイエンスライターの鹿野司さんから教えて貰った。

 「かぐや」のハイビジョンカメラが取得したハイビジョン動画像が、ディスカバリーチャンネル・カナダのホームページで公開されている。

 ところが、日本からこの画像を見ようとするとブロックされてしまう。鹿野さんによると、プロクシーを介さないと観ることができないそうだ。

 この画像は、NHKとディスカバリーチャンネル・カナダの間の契約に基づいて、ディスカバリーチャンネル・カナダが利用しているものだ。

 契約に、ハイビジョンクオリティのネット公開を許す条項があり、「カナダ国内に限る」か「日本以外に限る」といった制限がかかっているのではないだろうか。そう考えると現状が理解できる。

 画像、プロクシーに関しては、私自身はまだ確認していないので論評は差し控えたい。とりあえず、HD画像が観ることが可能かどうか、色々試してみることにする。

 この件に関して情報を求めます。なにかご存知の方、試してみた方は、この記事のコメント欄に書き込んで下さればと思います。

| | Comments (13) | TrackBack (4)

2007.11.23

月からのハイビジョン画像と公共性

 nikkeibp.netに次のような記事を書いた。

 画像公開からこちら、なんとかフルクオリティの動画像をネットで公開できないものかと色々聞いて回り、働きかけもしたのだが、結果はリンク先にある通りだった。

 本当に、NHKには考えを変えてもらいたいと思う。どう考えてもNHK自身が損をしているのだし、なによりも私は、NHKがネット公開に同意しないことで、日本という国が行っている探査の実績をもっとも分かりやすい形で示す動画像が、世界に届かないことを危惧する。

 受信料で作られたカメラが、税金で打ち上げられた探査機に搭載されて撮影した映像だ。どこに成果を還元すべきかは、明らかだ。

 まず日本国民、それも一人でも多くの国民にであり、次いで画像の人類史的価値(私はこの形容を決しておおげさとは思わない)を考えれば、全世界の人々に、だろう。記事に書いたが、NHKの著作権を尊重しつつできることはいくらでもある。

 高精細テレビ画像に関しては、例の悪評ばかりのコピーワンスをダビングテンに切り替えるということもあり、色々動きにくいようではある。だが、原理原則に拘ってNHKすら損をしているという状況を理解してもらいたいところだ。

 この件に関しては様々な話を聞いたが、ひとつ言えるのは実際に現場で働いている人は例外なくネットで公開できればと考えていたということだ。

 では何が問題なのか。NHKは巨大な組織で、どこでどんな意志決定をしているのか定かでない部分がある。どうも著作権絡みの部分は、NHKの“奥の院”的なところで意志決定が行われているらしく、一介のフリーランスである私は、核心にまでアクセスすることができなかった。

 以下、記事を書き終えた後で、気が付いたことをまとめておく。

 NHKのことを公共放送と呼ぶ。「公共」とは、辞書を引けば「(1)社会全体に関すること。おおやけ。(2)おおやけのものとして共有すること。」とある。

 今回の問題は、テレビ、ラジオといった情報の伝達形態が「公共」から滑り落ちる過程で起きたのではないだろうか。

 公共放送という以上、その内容は全ての人に伝達されなければならない。放送法ではNHKに「あまねく」放送を届ける義務を課している。電波を届ける義務は、「公共」であることの証拠であり、逆にNHKの公共放送としての特権的地位を保証してきた。

 それは同時に、「日本国民にあまねく情報を伝達するメディアはNHKしかない」という事実に基づくものであった。

 インターネット、特にブロードバンド接続の急速な普及によって、この部分が今、急速に崩れているのではないだろうか。

 NHKとしては、自らが公共放送である以上、国民に月からのハイビジョンを伝える最適な手段は自らの番組プログラムによる放送であるというロジックなのだろう。

 しかし、ハイビジョン・テレビの普及がまだまだだ。デジタル放送普及推進協会の速報値を見ると、今年10月末の段階で、地上波デジタル受信機は約2637万台は、BSデジタル放送受信機は約3036万件となっている。日本の総世帯数が4753万世帯であることを考えると、まだ1700万世帯ほどがそもそもハイビジョン放送を受信できない状況にあることがわかる。

 しかも、この数字は受信機の数字であって、ハイビジョンクオリティを映すテレビ受像器の数字ではない。今年5月時点での総務省発表(pdfファイル)によると、地上波デジタル対応受信機の普及率は27.8%。しかしこの中にはチューナー内蔵録画機とやCATVセットトップボックスなどが入っている。はっきり「ハイビジョンクオリティを映すことができるテレビ」であるチューナー内蔵テレビの世帯普及率は19.3%。

 つまり、NHKが「公共放送だから放送で国民に月からのハイビジョン画像を伝える」と言っても、最大でも2割ほどの世帯にしか、ハイビジョンクオリティでは届かないということになる。

 一方、ブロードバンドの世帯普及率はインターネット協会の調べて今年3月において50.9%だ。つまり、放送しても2割の世帯にしか届かない情報が、ネットに出せば5割の世帯に届くのである。

 しかもネットに出せば、日本だけではなく、全世界に届く。NHKは世界の放送局にハイビジョンクオリティの月からの画像を配信したが、ネットに出すならば配信の手間をかけることなく、世界中、それもハイビジョン放送が始まっていない国にまで、画像が届くわけだ。

 これが人気の映画などだったらとんでもないことで、実際動画像共有サイトは、著作権絡みで問題になっているわけだ。しかし、日本国民の受信料と税金とで得られたデータは、せめてそのハイライト部分ぐらいは、日本という国のプレゼンスを世界に示すためにも、なるべく多くの人がアクセスできる形態で公開すべきだろう。

 通信放送融合時代に、「公共放送の公共性」を真剣に考えるなら、ネットへのアップロードよりも良い方法があるとは、私には考えられない。

 多分に、NHKは、放送が唯一の公共放送だった時代の思考法にとらわれているのだろう、というのが私の結論である。

 おそらく、今は「公共」が放送というメディアからネットへと移行していく過程にあるのだろう。その過程で起きたのが、今回のNHKの対応だったのだと思う。

 許認可、利権、収益の3方面から放送業界の実態を解説した良書。この本を読むと、放送業界の表裏が一応理解できる。ちなみに私が以前書いた書評はこちら


 元NHK記者が書いた、NHKと政治の内幕。あまり新しい情報はないが、公共放送というものがどのようにあちこちにぶれつつ現在に至ったかを知るには良い本だ。

| | Comments (11) | TrackBack (4)

2007.11.14

NHKの「探査機“かぐや”月の謎に迫る」

 本日、NHK総合/デジタル総合で、以下の番組があります。

探査機“かぐや”月の謎に迫る
 〜史上初!「地球の出」をとらえた〜
午後8:00〜8:43

 デジタル総合では、昨日発表された「地球の出」の映像を、フルハイビジョンで観ることができるようです。

 不安要素は以下の通り。

出演者
稲垣吾郎
眞鍋かをり
市川森一
アラン・ビーン(アポロ計画宇宙飛行士)

司会:桂文珍
   與芝由三栄
解説:国立天文台准教授…渡部 潤一
語り:礒野佑子
   土田大

 眞鍋かをりはともかくとして、稲垣吾郎・市川森一がなにを言うか非常に不安だ。

 NHKには前科がある。昨年の11月18日、NHKは「史上初!ハイビジョン生中継 LIVE宇宙ステーション」と銘打って、国際宇宙ステーション(ISS)からのハイビジョン中継番組を放送した。

 ISS内部の画像が見られるということで、私は期待していたのだが、スタジオにゲストが出て、どうでもいいことをしゃべるしゃべる。

 この時のゲストは、以下の通り。

 山崎直子 (JAXA宇宙飛行士)
 米村でんじろう (科学実験プロデューサー)
 野口健 (登山家)
 江川達也 (漫画家)
 安めぐみ (タレント)

 米村でんじろうは優れた実験プロデューサーだが、宇宙関係に詳しいわけではない。野口健はアルピニストとして一流だが、もちろん宇宙に(以下同文)。江川達也は、卓越した漫画家だが(以下同文)。安めぐみ(以下略)。

 テレビの前で「いいからお前らしゃべるな!ステーションの中を写せ」と怒鳴ってしまった。

 この時は生中継だったので、間を持たせるためにスタジオにゲストを呼ぶというのもまだ理解できた(うっとうしいだけだったが)。

 が、今回は録画画像なのだ。完全に制作者側がコントロール可能なのである。

 この件、取材先で同席したNHK関係者に尋ねたことがある。
「どうしてあんなに素晴らしい素材が、あそこまでダメな番組になっちゃうの?」

「そうしないと視聴率が取れないんですよ」というのが返事だった。
「みんなの知っているタレントがゲストに出ないと、視聴率が取れないと思いこんでいるだけじゃないのですか」と突っ込むと「うーん」という返事。

「『タレントが出ないと観ない』なんて視聴者をバカにしていると、お金があって質の高い視聴者層はみんなディスカバリーチャンネルやBBCに逃げちゃいますよ」
「そうなんですよねえ。僕らも危機感あります」

 現場は分かっているらしいのだ。現場は。

 とりあえず、今晩の番組では、月からの画像もさることながら、誰が何を言うかに注目である。43分しかない番組だ。私としては余計なおしゃべりは最小限に留め、密度の高い映像と解説を視聴したい。

追記
 観ました。かなり悪かったが、最悪ではなかったという印象。さんざっぱらゲストがくっちゃべって、かぐやからの映像は3分というのを予想していたが、それよりはずっと良かった。

 ぐちゃぐちゃだったISS番組に対する反省もあったのだろう。

 映像の素晴らしさに圧倒される。科学解説部分は手慣れたもので、分かりやすい。

 もっとも、ハイビジョン映像は、実時間ではなく高速度再生だったり、一部を拡大したり、ということをやっていた。これは、その旨説明しないと、放送したものがリアルタイム画像と誤解する人が出そうだ。

 もちろん「地球の出」が、月周回軌道からのみ見えるもので、月面から見ると地球は空の一点にいつでも止まって見える(もちらん裏からは見えない)ということも説明すべきだろう。

 ともあれ、ゲストの人数が多すぎる。43分しかない番組だ。どのゲスト本人もしゃべり足りず、月への興味ではなく、ゲストへの興味で観た視聴者も、どのゲストのファンであれ欲求不満になったのではないか。

 しかも、危惧した通り、ゲストのしゃべりに意味がない。映像があまりに雄弁なので、ゲストの「きれいですねえ」というような言葉が空虚に響く。ましてや「ハイビジョン」を強調する演出は「またNHKの宣伝か」としらけるだけ。

 そして司会の桂文珍はしゃべり過ぎ。しゃべりを本領とする彼を司会に持って来る意味はどこにあったのだろうか。

 ゲストはアラン・ビーンと渡部先生だけでいいだろう。

 せっかくアポロ12号で月に行ったアラン・ビーンが出たのだから、もっと彼の話を聴きたかった。番組進行の都合からか、ビーンの発言を遮るようなところがあったのは残念。

 今回の映像取得にはディスカバリーチャンネル・カナダも噛んでおり、同じ映像を使った番組を用意している。


 私の周囲の反応は以下の通り。

「NHKは自分たちが撮影したものの価値を信じていない」
「想像していた悲惨な番組と比較するとずっと良かった」
「司会が駄目駄目」
「ゴローちゃんの評価、その出番の少なさ故に急上昇」

 そして、やはりというべきか…

「ディスカバリーに期待だな」

 日本でも、デジタルCATVに加入していればディスカバリーHDを見ることができる。

| | Comments (8) | TrackBack (4)

2007.11.07

本日(11/7)夕刻、かぐやからの月面ハイビジョン映像公開

 JAXAは月探査機「かぐや」からの月面ハイビジョン映像(3分間)の受信に成功。データ処理など終わり次第(本日午後5時予定)、映像各社に公開されるそうです。


 本日夕方のニュースが楽しみです。特にハイビジョンカメラ開発を担当したNHK。

 公開されるハイビジョン映像は全部で3分なので、テレビ各社が正味何秒の映像を放送するかも、注目点でしょう。

 午後5時27分

 画像が公開されました。

 これは素晴らしい!
 中村良介さんが指摘していた極域の日陰地域の同定に十分使えそうな画質に思える。これからこのクオリティの画像が次々に出てくるとなると、我々一般の月を見る目すら変化しそうではないか。

| | Comments (1) | TrackBack (2)

2007.05.08

本日(5/8火)、エルピーダの坂本社長がNHKに出演します

5/9追記:再放送は総合とデジタル総合で2007年 5月14日(月)の深夜、翌日午前2:20~翌日午前3:05です。つまり15日(火)の早朝です。


 本日NHK第一、午後10時からの「プロフェッショナル 仕事の流儀」にエルピーダメモリ社長の坂本幸雄氏が出演します。

「プロフェッショナル 仕事の流儀」
放送予定
常識とは。——5月8日(火)放送予定「経営者・坂本幸雄」さんのスタジオ収録。:同番組、スタッフのブログ

 拙著「エルピーダは蘇った」の主人公です。少なくとも従来の経営者の枠には収まらない新しいタイプの経営者であることは間違いありません。

 テレビを見て坂本氏の姿勢と思考に興味を持った方に読んでもらえればと思います。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.11.11

名優の死から出世を考える

 名優ジャック・パランス死去の報を聞く。享年87歳。

J・パランス氏が死去=悪役で鳴らす: Yahooニュース

 私のお気に入り俳優の一人だった。いかつい顔にアクの強い演技がなんとも好きだった。訃報では、やはりというべきか、「シェーン」でのちらっと見るのすら怖いような敵役が取り上げられている。

 が、私にとっての一番は「攻撃」(1956年、ロバート・アルドリッチ監督)だ。

 J・パランス演じる小隊長は、アホタレ中隊長の下手くそ戦闘指揮で、部隊が全滅してしまう。ところがアホ中隊長はええところのボンボンで、誰も責任を追及しようとしない。死んだ部下に復讐を誓い、小隊長は上官を殺すべく最前線から司令部へと向かう——とまあ、全編怒りと執念とがぎとぎとに輝いている素晴らしい映画である。復讐鬼と化した小隊長を演ずるパランスは、まさにはまり役。生身で戦車と戦い、「神よ、力を」と唱えつつターミネーターのごとくきりきりと迫る様は、実に見応えがあった。

 フィルモグラフィを見ると、ごく最近まで元気に映画に出演していたのだな。シェーンで共演したアラン・ラッドはその後鳴かず飛ばずだったことを考えると、幸せな人生だったのだろう。合掌。

 話変わって。

 過去、記者会見で「この人ってダメな人じゃないか」と壇上の人物をまじまじと観察することが何度もあった。
 もう書いてもいいだろうから書くけれども、1990年代前半、ソニーに押されっぱなしだった頃の松下グループなどは、時折「こんな人が偉くなっていていいの?」と記者としていいたくなるような人物が記者会見に出てきたりしたものだ。その後の松下の盛り返しを見ると、困ったちゃんは一掃されたのだろう。とてもいいことだ。

 実際、アホタレが偉くなると周りは大きな迷惑を被る。これが天下りで転がり込んできた人物ともなると、下々のやる気もなくさせるわけで、一石二鳥の反対ということになる。
 自分の能力の限界を自覚して、自重してくればまだしも、困った人は往々にして「俺って優秀」と錯覚しているので、やらんでもいいことをして傷口を広げるということまでする。おお、一石三鳥の逆だ。

 憎まれっ子世にはばかるというのは真理であり、世の中にはこんな困った天下りにすり寄るスネ夫体質な人もいたりする。

 そして、多くの場合、困った天下りちゃんは「俺って優秀」という錯覚のまま、多額の退職金を受け取って退職していくのだ。後には「割り増し払っても良いからもっと早くいなくなって欲しかった」という嘆きが残る。

 ちなみに、某官庁から某独立行政法人幹部へ天下りしたケースの話。
 私は霞が関現役から、その天下り氏の官庁時代の愚行をあれこれ聞いた上、「彼を批判する記事を書くなら全面支援します」と言われたことがある。つまり役所でも厄介者扱いだった人材が、何を間違ったか人事ローテーションの関係でうかうかとおいしく天下ってしまったわけ。

 もちろん「全面支援します」というのは冗談だったのだろうけれども、世の中にはこれぐらい壮絶な事例も存在するのでありますな。

 ともあれ、人のことを言えた義理ではない。フリーの場合、厄介者のフリーランスは自然と淘汰されるのが、周囲にとっても本人にとっても救いでもある。願わくば自分も、ダメになったならば周囲に迷惑をかけることなく、さっさと淘汰されんことを願う(今すでにダメだって?)。

 ここで思い立って、久し振りにショスタコーヴィチの交響曲13番「バビ・ヤール」(1962)をかける。ソ連の反体制詩人エフトゥシェンコの詩に曲を付けた、交響曲というよりもカンタータと言うべき作品。
 第一楽章が、第二次世界大戦中のソ連におけるユダヤ人殺戮を扱った詩であるため、発表当時は、西側でウケが良かった。

 なぜこの曲を思い出したかといえば、フィナーレである第5楽章が、「出世」というタイトルなのだ。

 司祭達はガリレオを
 悪しき愚者と決めつけた
 しかし時が明らかにする
 愚者こそ賢者

と、歌い始め、

 私は出世しないことを
 私の出世とする

で締めくくる、それなりに感動的な詩なのだけれど、ショスタコーヴィチは、ここに、見事なまでに気合いの抜けたへなへなの音楽を付けているのだ。

 楽章冒頭のフルートの旋律からして、「へ〜なへな、へなへなへなへ〜、へ〜なへ〜な、へ〜な〜へなへ〜」と読み解けるほど力が抜けていて、聞くほどに脱力させられる。

 この直前の1961年、ショスタコーヴィチは彼の人生で最悪の駄作である「交響曲12番」を書いている。作曲家として全く不調だったらしい。
 彼が感動したらしき詩の作者であるエフトゥシェンコがその後微妙に体制側へ日和ったことやら、ショスタコーヴィチのひねくりねじ曲がった性格と根性から考えると、「出世」における詩と音楽の乖離もまた、彼が何かを意図した結果なのかもしれない(と、深読みが過ぎると、ショスタコーヴィチの術中にはまるのだ)。

 バビ・ヤール以降、ショスタコーヴィチの不調は1965年ぐらいまで続く(人によっては1964年のオーケストラ伴奏歌曲の「ステパン・ラージンの処刑」をほめるけれど、私は未聴)。

 そして1966年の弦楽四重奏曲11番あたりから、彼は前人未踏のど真っ暗な「黒の音楽」の世界へと突入していくのである。

 ちょっと高いが、ちゃんと「攻撃」のDVDは出ている。鬼瓦のごときジャック・パランスがすさまじい形相で汗と涙をまき散らし、戦車と対決するシーンは必見。そういった物見高さを別にしても、戦争、ひいては組織というものの不条理さを描いた映画としてとても面白い。この映画の撮影にあたって、米国防総省は「反戦的である」と協力を拒否したそうだ。そりゃそうだよな、なにしろ上官に復讐するという話なのだから。

 一応リンクしておくけれども決して薦めません。世評は高い曲だけれども、私としては交響曲12番に続く彼の駄作だと思う。

 どうせ後期ショスタコーヴィチの交響曲を聴くなら、14番と最後の15番にしよう。14番「死の歌」はその題の通り、古今東西の死を題材とした詩を2人のソロが切々と歌い上げるど真っ暗な曲。ロシア的な深い情念と共産主義が導く即物主義が合体すると、かくも身も蓋もない絶望が吹き出すのかと思わせる。しかし音楽の密度は鋼のごとくであり、聴き応えあり。
 交響曲15番は、絶望の暗黒を突き抜けて彼岸にいっちゃった曲。もはやこの世のものとは思えぬ音達が、向こう側でのびやかに踊っている。ここで推薦したCDでは、オーマンディの軽やかな演奏が、なんとも恐ろしく、同時に快感。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.08.08

映画のマーケティングを考える

 「時をかける少女」「ゲド戦記」「涼宮ハルヒの憂鬱」と、アニメ系の記事を3つ書いたら、あちこちでリンクされてアクセスが集まった。
 そこでリンク解析を使って、リンク元を辿っていったら、こんな記事にぶつかった。


「亀田」と「時かけ」—メディアの煽動力がネットに圧される時代(デジモノに埋もれる日々 2006.8.6)
『ゲド戦記』が不評のようなのに商売人根性が炸裂し興行成績は優秀な件についての考察
(切込隊長BLOG(ブログ)~俺様キングダム~ 2006.8.7)

 結論は正反対だが、共にメディアが圧倒的な宣伝によって映画なりボクサーなりを売り出して利益を上げることに対する違和感が表明され、それに対してネットによるコミュニケーションがどのように影響するかを考察している。

 マーケティングを専門に勉強したわけではないので、このような手法が、歴史的にどのように立ち現れてきたか、私は不案内だ。ゲッベルスがヒットラーとナチスを売り出していったというあたりだろうか。新聞や映画、ラジオなどのマスメディアを使って刺激の強い情報を繰り返し流し続けるという手法だ。

 映画に関して言えば、これは間違いなく1970年代半ばに角川映画が、文庫本と連動して行ったマーケティングが最初だ。過去の人になりかけていた横溝正史を引っ張り出し、刺激的な宣伝で本も映画も売りまくった。

 あの当時でも、角川の宣伝手法には不信感は存在した。映画「野生の証明」の宣伝コピー「父さん、怖いよ。みんなで父さんを殺しに来るよ」をもじった、「父さん、くどいよ。宣伝で駄作を売りに来るよ」(正確なところは、記憶が曖昧になっている。検索をかけたが見つからなかった)というパロディがあったぐらいだから。
 しかし、あの時の角川は、「通常のメディアのプログラムに、宣伝的メッセージを意図的に挟み込む」ということはしていなかった。そして角川映画には駄作も多かったが、間違いなく傑作も存在した。

 その意味では、当時の角川映画は今よりもずっとましだった。

 さて、現在はといえば、「新聞や映画、ラジオなどのマスメディアを使って刺激の強い情報を繰り返し流し続ける」という、ゲッベルス以来の手法に加えて、「メディアに出資させて利害関係を作り、一見宣伝とは思えないフレームワークに宣伝的情報を挟み込む」という手法が、派手に使われている。

 ボクシングの亀田兄弟をニュースで取り上げるのも、「ゲド戦記」の制作発表やら興行収入をニュースで流すのも、NHKが来年の大河ドラマの配役決定をニュースで報じるのも、メディアが出資による利害に連なっているなら、それは一見公正中立なニュース情報という形を装った宣伝に他ならない。メディアは、聴衆を騙していると言える。

 特にテレビやラジオは、公共財である電波帯域を、免許によって私的に占有しているということを考え合わせると、このマーケティングは日本国民に対する背信行為とさえ言える。

 このような仕掛けを、電通、博報堂のような巨大広告会社が大々的に仕掛けると、利用するメディアも横断的になる。多分、ではあるが、韓流ブームというのもそうやって作られたものだったんだろう。

 それで、売るモノが、それなりに意味のあるものならまだしも、人格未熟にして技量不足のボクサーだったり、二世が作った生煮えプライベートフィルムだったりとなると、これは正当な商行為というよりも、かなり詐欺に近づいた事業となる。

 私は、素朴に、「それではいけない」と思っている。「ゲド戦記」は、星一つというほどひどい映画ではないが、それでも「時をかける少女」よりも高い興行成績を上げてはいけない。

 そう、はっきり「いけない」と言い切ってしまおう。

 なぜなら、「駄作でも宣伝で売れる」という例を、さらに一つ積み上げてしまうから。そうなると、製作会社もメディアも広告会社も、それでいいのだと思ってしまう。
 結果、我々はまた宣伝でじゃぶじゃぶになった駄作を観せられることになる。人生の時間を浪費させられるのだ。

 単純に私はいいものを享受したいのだ。私は、大手広告会社の意のままにお金を引き出せる、便利な財布ではない。駄作を観せられて、「でも、テレビのニュースであんなに言っているから良いものだったに違いない」と自己欺瞞に陥るのはご免こうむる。

 ネットによる情報の双方向性が、メディアを駆使した大規模マーケティングをひっくりかえすだけの可能性があるのかどうか。

 7/29の週は一位だったという「ゲド戦記」の興行収入が表しているのは、まだまだこのような広域かつ暴力的マーケティングは健在だということだ。

 だが、それをもって、「やはりネットの影響力は限られている」と考える必要もないはずだ。取りあえずボクシングの亀田・ランダエダ戦では、興行にまつわる不透明な闇の世界の存在が、放送直後にあっさりとネットを駆け回った(今、気が付いたけれどもTBSの放送免許剥奪を求める陳情なんてものも、ネットでは始まっているのだね)。
 これは今までになかった現象だろう。

 少しずつでも良い方向に変化していく、と私は思いたい。

 ところで、立て続けに映画館に通ったものだから、妙に映画づいてしまった。次に観たいなと思っているのは、ソクーロフ監督の「太陽」だ。
 だって、イッセー尾形の昭和天皇に、桃井かおりの香淳皇后、とどめは佐野史郎の侍従長(Wikipediaを見ると、時期的に藤田尚徳侍従長)ですぜ。この顔ぶれで、ロシア人監督が昭和天皇を撮る、というだけで、ゲドも時かけも沈没も吹き飛ぶ、今年最大の話題作になってしかるべきだと思うのだけれども。

 え、文芸映画だって?
 だってマーケティングに内容は関係ないんじゃないの??

 なんで、電通も博報堂も、メディアを巻き込んでマーケティングしないのだろうね(やや棒読み調)。


#おまけ
 おおっ、ポチは見た!更新しているぞ。今回のテーマはネコタ自動車の欠陥隠蔽問題。

 そのネコタ自動車ですが、こんなニュースも流れている。NHKの今後の報道態度は要注目だ。

| | Comments (11) | TrackBack (2)

2006.08.04

「涼宮ハルヒの憂鬱」を楽しむ

 またまたアニメの話。

 仕事でぎちぎちになっている間、「涼宮ハルヒの憂鬱」を楽しみにしていた。

 実際、良くできたアニメだった。絵やストーリーや演出といった単体が、というわけではなく、すべてが良くできていた。アニメの次週を楽しみにしたのは、「エヴァンゲリオン」以来だろうか。「ターンAガンダム」と「キングゲイナー」は、思わずレンタルショップで次々と借りてしまったが、放送中に気が付いて、次回が楽しみだったのは、本当にエヴァ以来だ。

 検索をかければ「ハルヒ」に関して熱く語っているページはいくらでも見つかるので、ここでは、「現状でもこれだけのことができることが証明された」ということを指摘しておきたい。金の回らなさに代表される、アニメ業界の駄目っぷりは、あちこちで指摘されているが、「ハルヒ」はその駄目な状況の中でもこれだけのことをできる、と示したといえるのではないか。

 これは、「ハルヒ」以下のアニメを乱発しているところ、テレビ局からアニメプロダクションに至るまで——は、なにかやり方を間違っているか、無能であるかのどちらかである、ということでもある。

 ネットを見ていくと、「京都アニメーションは神」というような記事が目立つのだけれど、逆に言えば京都アニメーション以外のアニメプロダクションは、すべて経営が稚拙で、その結果駄作を連発しているという可能性もあるのではないだろうか。

 今後、色々な意味で、「ハルヒ」がアニメーションのクオリティの基準になればいいと思う。ハルヒ以上のものが作れないということが無能の証明になれば、淘汰も進むだろう。結果として日本のアニメーションの底上げになれば、我々はそれだけ次週を楽しみにできるということだ。

 「ハルヒ」で、楽しみだったのは、音の演出が非常にうまかったこと。長門有希がうなずくところで、かすかに衣擦れと喉の音らしきものが入っているのは気が付いたろうか。音の演出の頂点が「射手座の日」と「涼宮ハルヒの憂鬱VI」におけるクラシック音楽の使用にある、と私は思う。

 例えば「エヴァンゲリオン」におけるベートーベンの第九とヘンデルの「メサイアコーラス」の使用は、「誰もがよく知っているクラシック音楽の使用」に留まっていた。その証拠に、よく知っている部分を頭から流していたのだ。

 一方「ハルヒ」におけるクラシックの使用には、明らかに「この部分をこのように使用すれば盛り上がる」という演出上の意図が存在した。お見事である。

 「射手座の日」冒頭は、モーリス・ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」の夜明けの音楽。バーンスタインが、「青少年のための音楽入門」だったか「答えのない質問」だったかで、「音符が一杯」と形容した音楽だ。
 朝の音楽で、大抵の人が思い出すのが、グリークの「ペールギュント」における「夜明け」だろう。だが、ラヴェルの夜明けの音楽は精緻かつ構成的で、素朴なグリークの音楽をあっさりと凌駕していると思う。ここでは、かつてラヴェルのスペシャリストと謳われたアンドレ・クリュイタンス指揮の演奏を推薦する。


 「射手座の日」の脳内宇宙艦隊戦が、先行するアニメ「銀河英雄伝説」それもOVA版のパロディであることは明白。「銀英伝」ではラヴェルの「ボレロ」を使っていたが、その「ボレロ」をパクったショスタコーヴィチの第7交響曲第1楽章をもってくるあたり、「良く分かっている」と思う。それも、きちんと「ここをこう使えば盛り上がる」というところをうまく使っているのは素晴らしい。
 この「ボレロ」まがいについては、20世紀初頭に活躍し、第二次世界大戦当時はナチスの庇護を受けていたオペレッタ作家レハール、ショスタコーヴィチ、そしてアメリカに避難していたハンガリーの作曲家バルトークの三人を巡る因縁が存在する。因縁については、また別項で書こうかと思う。
 演奏は、かつてのスタンダードであったムラヴィンスキー、レニングラードフィルによるものをリンクした。ショスタコーヴィチ自身はムラヴィンスキーの演奏を「何も分かっちゃいない」と感じていたようなのではあるが。


 チャイコフスキーでおおかたの人が思い浮かべるのは「白鳥の湖」のあのメロディだろうが、私思うに、あのメロディはチャイコフスキーとしては駄作だ。分かりやすいというだけ。
 チャイコフスキーの特長は、なによりも「格好良さ」にあると思う。それこそ粋がっているヒップホップ系のガキがひっくり返るほどに、チャイコフスキーの繰り出すメロディは格好良い。  中でも4番から6番までの交響曲3曲は、どこを切っても格好良いという点で、音楽史上空前絶後だ。
 「射手座の日」、長門有希による逆襲に使われるのは、交響曲4番第4楽章のラスト、コーダの部分。長門有希がうなずいて、リターンキーを押す、その瞬間に冒頭主題が鳴り出すのは、実に気分が良い。
 誰が演奏しても盛り上がる曲なので、ここでのお薦めはシャルル・デュトワ指揮のNHK交響楽団。同時カップリングが武満徹のヴァイオリン協奏曲「遠い呼び声の彼方へ」であるところもポイントが高い。


 元々、ロマン派音楽は、セカイ系そのものだよな、と思っていたら、そのセカイ系を思い切りひねった「ハルヒ」に、ロマン派的誇大妄想の頂点であるマーラーの交響曲8番を持ってくるとは——「分かっているじゃないか」としか言いようがない。
 「涼宮ハルヒの憂鬱VI」使われているのは、第1部と第2部からなる曲の、第1部、展開部終盤から再現部にかけて。派手に転調を繰り返してきた音楽が、主調である変ホ長調の主和音上に戻り、がーんと「Veni, creator spiritus(来たれ、創造主たる聖霊よ)」と歌う部分が、キョンとハルヒのキスシーンに重なる。おそらく音楽の演出をやった者は、「してやったり」と笑っているはずだ。それぐらい、音楽と映像がリンクしている。
 演奏は、最初の一枚にはどれがいいか、ということで、安くて聴きやすい小澤征爾・ボストンフィルの演奏を。


| |