2009.06.17

例によってミクオリジナル曲より

 アイマスMadと来れば、初音ミクオリジナル曲も取り上げないわけにはいかないだろう(自分としては、だが)。以下、この半年ほどの間に聴いて、気に入った曲である。例によって再生数がぐんと伸びている曲は避け、再生数1000から1万の間の曲を中心に紹介していくことにする。


 質の高い音楽を着実にアップしてきた割に、いまひとつ再生数が伸びなかったとち-music_boxさんだが、この曲でブレイクした!スティーブ・ライヒ風のフレーズを、同じくライヒ風に繰り返していくが、細かい部分に作者ならではの工夫があり7分半の演奏時間はあっというまにすぎる。


 ミクオリジナル曲は、アップテンポでビートのきつい音楽が受ける傾向がある。が、それだけだとこういう良い曲が埋もれてしまう。ソロモンPによる、静かなゆったりとした、ちょっと不思議な雰囲気の曲。


 同じくソロモンPの手による、これまた静かでゆったりとしたとても良い曲。この人の曲の再生数が伸びないのは、長靴Pが1万再生あたりでうろうろしているのと合わせて、私にとってミクオリジナル曲の「2つの謎」だ。良い曲なんだがなあ。


 作者のPhantasmaさんは、どうやらプロらしいのだが、ちょっと正体は分からなかった。これもゆるやかなテンポであるというだけで損をしているとしか思えない、しっとりとした曲だ。


 同じPhantasmaさんの曲だが、こちらはそれなりの再生数を集めている。テンポがアレグレットぐらいまで早くなっただけなのだけれど。これも、「いいから聴いてごらん」とすべての人に勧められる曲だと思う。


 クヌースP(P名からして理系と分かる)による、1980年代半ばぐらいの坂本龍一を思わせるテクノポップ。アップテンポでビートも効いているが、こちらは「テクノポップ」というだけで、損をしているような気がする。おーい、ニコ厨たち。はやりのアニメっぽい音楽だけが音楽じゃないぞー。ちなみに題名のアナライザーとは、佐渡医師の助手を務める赤いロボット…ではなくて、明らかに計測機器のFFTアナライザーのことだろう。理系萌えというか、理系擬人化というか、そういう歌詞。


 仏教ロック「舎利禮文」でニコ厨に衝撃を与えた鉄風Pの、これはまた見事なまでに内省的な曲。曲の出来は、「舎利禮文」に勝とも劣らぬ、と思えるのだけれど、どういうわけか再生数が伸びていない。北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」や、自伝的要素を持つ「楡家の人々」を読んでいると、さらに楽しめるだろう。クヌースPが「理系ポップ」なら、こちらは「文芸ロック」というべきか。以前から主にインディーズで「文芸ロック」を標榜したグループはいたわけだけれど。


 アルゴリズム・ミュージックという分野がある。あるアルゴリズムを最初に設定しておいて、それに沿って音を発生させていくというものだ。乱数Pによるこの曲は、アルゴリズム・ミュージックの範疇に入るのだろうが、曲の基本となるアルゴリズムが「乱数」なのである。音の高さも長さも乱数。歌詞も乱数。それなのにけっこう面白く聞けてしまうのはなぜなのだろう。
 発想としては、ジョン・ケージの「易の音楽」などと同じだが、こういう曲がさらっとアップされているのも、ボーカロイド曲の面白いところだ。


 これは、音楽単体というよりもコラボで付いた映像との組み合わせがなかなか良い。マッド・サイエンティストをテーマにした曲というと遊佐未森が歌った「M氏の幸福」を思い出すが、この曲には「M氏…」のようなちょっと湿ったリリシズムはない。むしろ、「みんなのうた」的な明快さ、明朗さを感じさせる。


 その遊佐未森っぽい、というより初期の遊佐に曲を提供していた外間隆史の影響を感じさせる曲。初期の遊佐未森のアルバムに入っていてもおかしくないような雰囲気だ。


 ジンジャーPによる、ジャズっぽい軽快な曲。ジンジャーPという人は本当に多芸多才で、超絶技巧のピアノ曲を書いてMIDIで演奏してみたり、物理シミュレーション言語Phunでピタゴラスイッチのような仕掛けを作ってみたりして、人気を集めている。この曲などは、きっと手すさびで書いているのだろうと想像するのだけど、それでも完成度は高い。


 ちなみにこちらは、ジンジャーPによる超絶技巧ピアノ曲。「弾けたら千手観音」というタグがついている。



 最後に、オリジナルでもミクでもないが、本当にびっくりしたので紹介する。古賀政男の曲ばかりをアップしているこがうたPによる「いとしあの星」。オリジナルは渡辺はま子が歌っていた。

 なんでルカの歌声はこんなに古賀メロディに合うのだ??

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.06.15

アイマスMadふたたび

 前回ニコ動のアイマスMadを紹介したのはいつだっけ、と調べてみると、昨年の大晦日だった。

 というわけで以下はこの5ヶ月半ほどの間に見つけてブックマークしておいたアイマスMadを紹介する。


 フェリーニPの作品。この半年ほどで一番気に入ったアイマスMadである。キャラクター達とロイ・リキテンスタインのポップ・アートの組み合わせが意表を突く面白さを生み出している。音楽の選択もぴったりだ。


 同じくフェリーニPによる、同じ「ドゥーピータイム」を使った作品。キャラクターらによるファッションショーという趣向で、これまたなかなか。


 「im@sclassic」からは、まずmoguPの作品。繊細で美しい映像だ。冨田勲の「月の光」でアイマスキャラのひとり、水瀬伊織が幻想的に踊る。


 我が道を行くカルミナPの新作は、なんと三善晃の吹奏楽曲だった。複雑なリズムの曲に、三色の衣裳をコーディネートしたセンスが光る。


 つかさPの作品。これもなんでこの程度の再生数に留まっているのか良く分からない傑作。1980年代のミュージックビデオを思わせるストーリーを伴う映像だ。


 同じくつかさPのこれまた素晴らしく切れの良い映像だ。再生数が伸びているのは「 音m@s撫子ロック祭」というイベント合わせの作品だかららしいが、それとは関係なく大変優れた演出だと思う。


 もう一本、「 音m@s撫子ロック祭」の参加作品から。wacわくPの作品。同じ曲を使っても、これだけ異なる映像に仕上がるという例。シルエットを使ってほどよく抽象化された美を展開する。


 ナオキPによるこの作品は、大分以前に投稿されアイマスMadの世界では傑作と評価されていたそうだが、私は最近まで知らなかった。スローモーションを多用する独特の映像美学の持ち主だ。

 色々とアイマスMadを漁って思うのだが、投稿された作品の質と再生数はある程度関係するものの、基本的には別らしい。「なんでこんなに素晴らしい作品が」と思うものが、再生数が伸びていなかったりする。
 再生数は話題になったかどうかのバロメーターなのだろう。つまり話題になってわっと再生が伸びるということと、作品として優れているかどうかは、あまり強く相関していない。

 これは大変にもったいない話だ。ニコニコ動画は「みんなが見ているものを見る」のではなく、「優れたものを自分で探す」という態度でいれば、非常に素晴らしい作品に出会える場所なのだから。



 最後にネタ動画を。「家具の音楽」として有名なサティの「ヴェクサシオン」に、実にそれっぽい動画をつけたもの。さあ、これを840回繰り返して聞いてみよう。私はイヤだけれども。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.05.04

18年物の新曲

 ここのところ、このblogでも宇宙の話しか書いていないなあ。

 というわけで。

 新たにアップロードしました。前回から半年以上経ってしまいましたが、3曲目です。1991年に書いた曲です。

 今回の詩は、自分が現役高校生の時に、図書館報に掲載されていたもの。30歳近くなってから読み返し、いかにも高校生っぽい未完成な感性が面白いと思って、曲を付けたのだった。

 母校のボロ極まりなかった図書館も、今はもうない。とうの昔に綺麗で大きな図書館に建て替えられている。取りあえずは、「30年前に木造の古いきしむ図書館の貸し出しカウンターで、三つ編みお下げ(眼鏡オプション付き)の女子高生図書委員長が、丸い小さな字で書いた詩」とでも、妄想した上で聴いてもらえれば本望である。

 さて、1991年頃に書いた曲も、残っているのはあと2曲。次の曲はミクだけではなく、ルカも使う予定。そして最後の曲は、かなり長いです。詩も、ここまでとはちょっと毛色が変わります。

 最後に、過去にアップした曲へのリンクも掲載しておく。「受けなくってもいいんだよ(ツン)」という態度を取っていても、再生数やマイリスト数が伸びるのはうれしいので。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.01.18

ニコニコ動画の影響力、遂に中国に及ぶか?

 うははははは。こ、これは!…面白いじゃないか。

 もちろんオリジナルは、初音ミク初期の大ヒット作である「みくみくにしてあげる♪」

 どこから見つけてくるのか、どうやって録音しているのかは知らないけれども、よく見つけてアップする人がいるものだ。これがネット時代というものなのだろう。「日本のものをパクっても、向こうには伝わらないから大丈夫」から、「あっという間に伝わって笑われる」へ。

 ただ嘲笑するのも芸がないというか、笑いが足りないというか、すでに「偽音シナ」なるタグが付いているので、後は誰か絵の描ける者が、みんなが納得する萌え系「偽音シナ」の絵をかけば、ここにもう一人、ボーカロイド派生キャラ一丁あがりということになる。

 同じく派生キャラクターの亞北ネル誕生のエピソードを思い出す話だ。こんな経緯だったのですよ。

 この件、単に「だから中国は」というヒステリックな嫌中ネタにせずに、是非とも笑いと共に向こうにボールを投げ返したいものだな。

 中国人——とひとくくりに考えてはいけないぐらい、向こうは人種も社会階層も多様なわけだが——少なくとも向こうのネットユーザーには、「こういう情報は、あっという間に世界を流通してワールドワイドにお笑いを増幅していくぜ、どうするよ?」というところをぶつけてみたいところではある。

 そもそも「みくみくにしてあげる♪」はニコニコ動画で生まれたヒット曲なのだから、出自の時点でJASRAC流のがちがちの著作権管理とは異なる、著作権的にはゆるいところがあるわけだ。

 では、この中国版パクリのどこがいけないのかといえば、「オリジナルに対する敬意なしに、ものすごく安易に『日本で流行っているものをちょっともって来ればこっちでも受ける』と考えている」らしきところだろう。要するに志が低いのだ。
 自分たちの頭を使って、もっとひねりを入れればよかったのに。


 このあたりのパクリについては、日本も中国のこと言えた義理ではなくて、日本のポップス歌謡曲の世界が、かつては(今も??)洋楽からのパクリいっぱいであったことは、割と知られているところではある。
 
 個人的に今でも忘れられない件としては、ニック・カーショウの「The riddle」が流行ったら、小泉今日子がそっくりというのも愚かな程にそのものの「木枯しに抱かれて」を歌ったなどということもあった。1986年の話である。
 これは、ひどかった。本当にひどかった。作曲者は誰かと思えば…なんだ、「THE ALFEE」の高見沢俊彦ではないか。

 個人的にインパクトの強かった件を、思い出すままに書き出すと、リプチンスキーが、アナログ時代のハイビジョン合成を駆使した映像絵巻「オーケストラ」を発表したと思ったら、日本のCM業界に「オーケストラ」もどきの合成映像が溢れたとか(これは1990年頃)、三善晃の「ピアノソナタ」の第2楽章冒頭は、アンリ・ディディユーの「ピアノソナタ」第2楽章冒頭とそっくりだとか(1965年のことだ)。
 「レスペクト」とも「パクリ」とも、「傾倒するあまりについつい似てしまった」とも付かない事例はいくらでも存在する。

 「学ぶ」の語源は「真似ぶ」なんだそうで、真似を排除すると次の世代が育たない。とはいえ、安易なウケを狙っての志の低い真似は、「そういうのは軽蔑されるぜ」という雰囲気を作っておくのは悪くない。

 13億を超える中国で、ネットユーザー人口は2億を超えているとのこと。この2億の中は、それなりにきちんと思考する人々がいる——私は、日経ビジネスオンラインに遠藤誉さんが書いた「開幕式の「まやかし」が傷つけたもの ネットに溢れる中国国民の怒り」という記事を読んでから、そのように考えるようになった(日経ビジネスオンラインの全文を読むには、無料登録が必要である。私としては、遠藤さんの記事が読めるだけでも、登録する価値はあると考えている)。

 まあ…日本のネットも玉石混淆なのだから、向こうは人口が多い分、もっと玉石混淆なのだろうが——それにしても、今回の件をうまく笑いで投げ返すとどんな反応が出るのだろう。そして、そんなドタバタを繰り返しながら、ネット時代は進んでいくのだろう、ね。


22:15追記:さっそく来た来た。

 この調子、この調子。

19日5:00追記:どうやら、単なるパクリではないという雰囲気になっている。

ニコニコ大百科:偽音シナ(コットンファーザーアキヨシ)

コットンファーザーアキヨシとは、長渕がいつも一人でいると思っている中国人(らしい)人である。

概要 

事の発端は2009年1月18日に投稿された動画(sm5874126)である。

中国語放送のラジオ番組「ニコニコ大ニッポン語FM」にて「みくみくにしてあげる♪」に似た曲が
歪みなく歌われている。
どういうことなの・・・

 当初はパクリだとして「偽音シナ」との蔑称がつけられたが、動画内で明確に「ニコニコ」と
聞き取れる部分があるため、歌いやすくアレンジされた「歌ってみた」シリーズの可能性もあり、
今後の経緯が期待される。
編集者が表示用記事名を直そうとしたが無理だった。仕方ないね。

 ニコニコ動画が4カ国語対応になったことを考えると、アレンジバージョンの登場は
やや遅くさえ考えられる。

正しい歌詞なのか、どのような経緯で歌われたのかはまったく不明。シャランQのファンらしい。
あまり裕福ではないらしく、生のピーマンを食べたり、「食材があるときに食事にする」と発言し、
サンタマン(サンタクロース?)のプレゼントを期待しているようだ。歌詞も食べ物についての内容が多い。

 いやもう、ネットでは話が早いことよ。

19日23:OO追記:そもそも元の動画が中国のラジオ放送を模した偽造だということが明らかになった。

ニコニコ大百科:偽音シナ

事の発端は2009年1月18日に投稿された動画(sm5874126)である。

「みくみくにしてあげる♪」に似た曲(通称「ニコに関して頑張る♪」)が歪みなく歌われている。

会話部分の音源はニューヨーク州立大学ストーニーブルック校の学内放送であるWUSBの
「China Blue」という中国人向け番組で流れたもの。
番組表

しかし元音源(Youtubeより引用)の4:02~4:23あたりのDJコメントに後から曲を乗せ編集されている。
つまりラジオ放送において「ニコに関して頑張る♪」が歌われたという事実はない。

動画タイトルと投稿者コメント以外に情報がない現状では「中国に対する差別感情を煽る」という意図しか
伝わらない釣り動画という評価が妥当である。投稿者も現在まで一切コメントしていない。。

 「「中国に対する差別感情を煽る」という意図しか伝わらない釣り動画という評価が妥当」ということで、たちの悪い歪んだいたずらということで落ち着きそうだ。

 それにしてもあっという間に関連動画がどんどんアップされるのは相関だ。しかもそれらが「また中国www」的なものではなく、きちんと笑いを取ろうとしたものだったのは良かったと思う。とりあえず元の動画をアップした者には「釣り乙」ということで、いいのかな。

| | Comments (6) | TrackBack (0)

2009.01.16

巡音ルカを予約してしまった

 予約してしまった。

 以前も書いたかもしれないけれども、30歳の頃に描いた曲が5曲あって、それをぼつぼつと初音ミクに歌わせてはニコニコ動画にアップしている。今、3曲目をいじくっているが、この後の4曲目と5曲目には、ミク以外の声が必要になるのだ。
 少々早いが、ええい買ってしまえ、というわけ。

 5曲をアップし終えたら、当時スケッチだけ書いて、完成させなかった曲を作り上げようと思っている。これが3曲ほど。その後は、これまた当時、詩を選ぶだけ選んで、そのまま放置していたものにあらためて曲を付けてみようと思っている。半年に1曲のアップのペースで、一体どうなることやらではあるが。

 では、その次は…

 野望はある。まず、オーケストラ伴奏付きの歌曲。いや、歌曲というよりも、オーケストラと声の曲。できれば5つに分割したオーケストラが聴衆を囲むように配置され、音列技法かなにかを使って、思い切りかつてのアバンギャルドのような響きで、歌う詩はもちろんシュールレアリズム——というような曲だ。

 ピエール・ブーレーズに、「プリ・スロン・プリ」という曲がある。オーケストラにソプラノが付いて、ステファン・マラルメの詩を歌うという、1時間以上かかる大作だ。
 「プリ・スロン・プリ」の影響をうけたのかどうかは分からないが、武満徹にも、「ソプラノとオーケストラのための環礁」という曲がある。こちらの詩は大岡信。

 そんな曲を書いてみたい。詩は、西脇順三郎か、それとも滝口修造か。

 その先は、オペラだな。かつて、サン・テクジュペリの「星の王子さま」と「人間の土地」を混ぜて、オペラの台本を書きかけてほったらかしにしてあるので、まずはこれは完成させ、曲を書いてMIkuMikuDanceでボーカロイドにバーチャルオペラを演らせる。
 器楽は室内楽レベルに小さな編成。登場人物は男声3人に女声2人。男は、サン・テクジュペリ(僕)と、アンリ・ギヨメ、そしてジャン・メルモーズ。女は、王子様(中性の扱いとなる)、薔薇の花(コンスエロと一人二役)。サン・テクジュペリが、ナチスドイツ迫るパリで、「世界に対する愛情の不足の罪」で裁判にかけられるというシーンがクライマックスとなる(裁判官がメルモーズ、弁護士がギヨメなのだ)。

 …まあ、言うだけは自由だからね。

 それはさておき、朗々と響く声の男声ボーカロイドが欲しいな。クリプトン・フューチャー・メディアに対しては「藤山一郎ロイド」とか、「フランク永井ロイド」を希望するものである。

 色々毀誉褒貶はあれどブーレーズが20世紀を代表する大作曲家であり、同時に指揮者であることは間違いない。そんな人物だから、自作も何度となく録音しており、しかも録音毎に自作にも手を入れたりしている。私が四半世紀前に入手して、何度となく聞いたのは、この1969年の録音だった。
 この曲はソプラノの扱いもさりながら、オーケストラの鳴らし方も面白い。特に終曲の“墓”でのぎしぎしきしみながらカタストロフに突進する音楽は、20歳になったばかりの自分を魅了したものだった。若さ故の悩みに煩悶する若者を魅了する苦さにあふれている——とでも言いましょうか。

 武満徹というよりも、指揮の外山雄三の卓越した曲の解釈を聴くための一枚。外山は自らも作曲家だが、このCDでは指揮者として素晴らしい演奏を聴かせてくれる。
 このCDは武満の死後2年目の彼の命日、すなわち三回忌に発売された。おそらく外山は、友人であった武満に最高の演奏を手向けるべく、相当の覚悟を持って演奏に挑んだのだろう。譜面を徹底的に研究し抜いたという印象だ。名曲「地平線のドーリア」の演奏も素晴らしいが、なによりも、ろくに演奏される機会がない「環礁」で、心に沁みるような演奏をしているのは、天晴れというほかない。ソプラノの浜田理恵も、音程から発音に至るまで、完璧と形容できる声を披露している。

| | Comments (9) | TrackBack (0)

2009.01.01

人力ボーカロイドはさえずり機械の夢を見るか

 あけましておめでとうございます。

 以前も書きましたが、もう年賀状を出さなくなって何年も経ちます。このblogが生存証明ということになります。

 新年最初の更新もニコニコ動画絡みです。ネタは人力ボーカロイド。

 初音ミク以下のボーカロイドは、あらかじめサンプリングした音声波形をモーフィングをかけることでスムーズに接続するという手法で、比較的自然な歌声を作り出している。初音ミクの場合は藤田咲さんという声優の声が歌声を発生させるためのデータとして使われている。しかし、ユーザーの間では、「自分の好きな声優の声で歌を歌わせたい」という欲求が存在する。

 欲求の赴くところ試行錯誤も存在するわけで、初音ミクの登場以降、一部ユーザーが好みの声優の音声データを切り貼りして、歌わせるという試みにチャレンジしはじめた。例えば「歌う」という言葉ならば、1)どこかからその声優が「歌う」と発音しているデータを見つけてきて、デジタル的に音の長さや音程を整える、2)「う」「た」「う」と3つのデータを用意してデジタル的に音程と音長を整形してつなぎ合わせる——という作業を延々と繰り返すわけだ。

 恐ろしく手間のかかる作業だが、同じ「あ」でも、様々な表情を持つ「あ」を吟味し、選ぶことができる。限られたデータから歌声を生成するボーカロイドよりも、実際の歌声に近い歌を作り得る可能性がある。

 で、現時点での成果がどんなものかというと…


 これがつぎはぎで作られた人力ボーカロイドだと信じられるだろうか。
 初音ミクによるニコ動100万アクセス超えのヒット曲 「ブラック★ロックシューター」:(Supercellという音楽集団の作品)。それを、ハロPが「アイドルマスター」の登場キャラクターの一人、高槻やよいの音声を切り貼りして人力ボーカロイド化。さらに矢夜雨Pが、キャラクターの画像を入れてビデオ化したものだ。
 高槻やよいの声は、仁後真耶子さんという声優が演じているが、この人が「ブラック★ロックシューター」を歌ったことは(多分)ない。この曲は高槻やよいを演じる仁後真耶子さんの声をサンプリングし、切り貼りして構成されている。それで、ここまでできてしまうのだ。


 こちらは、同じく「アイドルマスター」のキャラクターである秋月律子の声を切り貼りしてacousticPが音源を作成、それにヤマネコPが映像をつけたもの。もちろん秋月律子の声を演じる若林直美さんが歌ったわけではなく、その声をサンプリングして切った貼ったで作り上げたわけだ。
 すいません、私、冒頭の「ハイはーい、りっちゃんですよ〜」という声でけっこうくらっと来ました。


 これまた秋月律子の声の切った貼ったで、ニコ動屈指のヒット曲「メルト」を歌わせたもの。


 これは、同じく「アイドルマスター」のキャラ、菊池誠…じゃない菊地真の声を切り貼りして作成したもの。ちなみに「鳥の詩」という曲は、「AIR」というゲームのテーマソングで、年若きオタク達の間で圧倒的な支持を得ている。
 私は歳若き友人から、初めて「『鳥の詩』がいいんですよ!」と聞かされた時、「なんで、パブロ・カザルスが弾いた『鳥の歌』が、現代日本で若い連中に受けているんだ??」とびっくりしたのであった。いうまでもなく、後者はチェリストのカザルスが帰るに帰れぬ(当時フランコ政権でしたからね)スペインへの望郷の念を込めて演奏したカタロニア民謡です。


 こちらは、「アイドルマスター」の星井美希というキャラクターの声で構成した、ニコ動ヒット曲。

 ユーザーの莫大な手作業が、ある面では専用ソフトウエアである初音ミクの表現力を超えた結果を生み出しているわけで、これはまったくもって面白い現象だ。

 しかし、これらの動画像のもっとも恐ろしい点は、その完成度ではない。ユーザーがせっせと手で行っている作業が、将来的にはパソコンのプログラムで代替される可能性があるということである。現在でもすでに、いくつかの人力ボーカロイド作成を支援するソフトが出回っているが、最終的には歌詞を入力すると、自動的に大量の音声データから、当該人物の声色で歌を作成するソフトウエアができるであろう。

 そうなった場合、悪用の方法も色々考えられる。ひょっとすると電話の音声通話などは、もっとも信用ならないコミュニケーション手段として衰退するかもしれない。歌手や声優などは、まさに「声を盗まれる」可能性すら考えられる。

追記(2008.1.1)

 とかなんとか言っているうちに、こんなものまで出現しているのに気がついた。Perfumeの歌声を切り刻んで、新たな歌詞を歌わせてしまっている。もちろん生身の三人はこの歌詞を歌っているはずはないのだ。

2008.1.3追記
 この動画の音声は、Perfumeの歌声の切り貼りではなく、ボーカロイドの声にエフェクトをかけたものだ、という指摘があった。あるいはそうかも…だがそうだとすると、今度はPerfumeの歌は、Perfumeが歌うということには意味が無くボーカロイドで代替可能ということになる。


 とはいえ、私としては楽しい未来を考えたいところだ。例えばあれこれ残っている田中角栄の演説の音声データを使ってバーチャル角栄ロイドを作り、「びゅわーん、びゅわーん、は・し・るー、走るひかりの…」と歌わせるとか。

 ところで、このようなシミュレーションの精密化を目指す方向とは別に、ニコニコ動画には、SofTalkという音声読み上げソフトで棒読み音声を楽しむという行き方も存在する。「棒歌ロイド」というタグがついているので、色々検索すると面白い動画に行き当たるだろう。


 棒歌ロイドのとんでもない傑作。聞いているとへにゃへにゃと全身の力が抜けていく。厨房的発想ではあるが、今まさに、この歌をイスラエルの首脳部に聴かせたいと思ってしまう(「ゆっくりしていってね」って、ヘブライ語ではどう言うのだろうか)。

 まあ…「表現は技巧につれ、技巧もまた表現につれ。しかし技巧は表現にあらず、技巧に過ぎぬ」…ということで。

 ところで今回のタイトルは、もちろんフィリップ・K・ディックの本歌取り。「さえずり機械(Twittering Machine)」というのは、1980年代に作曲家の吉松隆氏が提唱していた「すべての鳥の歌声をサンプリングして、ありとあらゆる声でさえずるデジタルバード」 というコンセプトからの引用である。
 同コンセプトに基づく作品としては「デジタルバード組曲」「ランダムバード変奏曲」などがある。「デジタルバード組曲」は、このCDで聴くことができる。若き日の吉松作品は、どこを切っても血が出るぐらいの真摯さがほとばしっている。「デジタルバード組曲」も傑作だ。どこか孤独でひねくれた「鳥恐怖症」から始まり、愛らしく美しい「夕暮れの鳥」、幻想と怪奇の「さえずり機械」、メカニカルな「真昼の鳥」と続き、ラストの「鳥回路」では音楽が感傷を引きちぎって疾走する。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2008.12.31

アイマスMadに魅せられて

 昨日NHKで高専ロボコン全国大会を見た。
 NHKの腐敗もここまできたか。

 鹿児島高専が「篤姫」ネタで来たからといって、それに10分以上の時間を割き、あまつさえ本編の映像まで流すとは。ここはいくら「宣伝になる!」と算盤を弾いたとしても、さらりと流すのが公共放送の矜持だろう。

 そして、ゲストが全員邪魔。私は高専生と彼らの作ったロボットとその戦いが見たいのであって、稲垣吾郎がマスタ・スレーブに驚く様を見たいのではない。全試合バージョンを、新年1月2日の午前10時15分〜午前11時44分でBS-2で放送するとのこと。ゲストの出演を切れば、全試合を地上波で放送できたろうに。

 年末に紅白歌合戦などを見るよりもニコニコ動画で過ごした方が数等ましというものだろう(結局それかい)。以下、というわけで、初音ミクを離れて「アイマスMad」の話。

 ニコニコ動画の三大勢力は、初音ミク以下のボーカロイドに「アイドルマスター」、そして「東方」なんだそうだ。東方というのは、一連の「東方●●」という名前の同人シューティングゲームで、その音楽が格好良いということで追従者を生み、一連の「東方系」と呼ばれる音楽ジャンルを形成したらしい。「…らしい」というのは、私はあまり東方系の音楽がピンとこないので、きちんと聴いていないのだ。

 そして「アイドルマスター(THE IDOLM@STER:通称“アイマス[im@s]”)」はナムコ(現バンダイナムコ)の開発したゲームで現在はXBOX360用に販売されている。音楽プロデューサーになって女の子キャラクターを一流アイドルに育てるという育成ゲーム。
 特筆すべきは、3Dグラフィックスで踊る女の子達が、いわゆる「不気味の谷」をうまい具合にごまかして、それっぽく、かわいく見えること。そこで、ゲームマシンからの画像をパソコンでキャプチャーして、あれこれ加工して別の意味を与えた「Madビデオ」がニコニコ動画に氾濫し、現在に至るというわけだ。

 この「アイマスMad」達、もちろん玉石混淆なのだが、選んでみていくとアマチュアとは思えないほどの高品位の映像作品が見つかったりもする。私の場合は、「im@sclassic」というタグを見つけたことが、この世界に踏み込むきっかけだった。


 「im@sclassic」タグから、このカルミナPの作品を見つけたのだった。正直、独自の美意識を貫徹した出来映えにびっくりした。ラヴェルの「クープランの墓」から他の5曲ではなく「トッカータ」を選んだ選曲眼から始まり、ビデオ編集で独自の映像美を生み出しているところとか、後半の音楽の使い方など、どこから見てもこれはパロティ系のMadというよりも“作品”と呼ぶに相応しい。
 

 カルミナPの名前の由来は、初期にカール・オルフのカンタータ「カルミナ・ブラーナ」の曲を使った作品をまとめて投稿していたことらしい。この作品も、なんとも表現に困る面白さがある。朗々と歌い上げるフィッシャー=ディースカウの声が、かくもぴったりと踊る女の子達の映像がはまるとは。


 カルミナPの場合、選曲も渋いというか、「よくこれを選ぶ!」と感嘆することが多い。これもそうでバルトークのバレエ音楽「中国の不思議な役人」(Wikipedia)を使っている。このバレエが、どんな筋かを知った上でこのビデオを見ると、音楽と映像との落差にくらくら来る。


 これまた無茶苦茶渋い選曲。そして音楽と映像が見事にマッチしている。

 カルミナPの作品で味をしめた私は、せっせとアイマスMadを発掘することになったのだった。もちろん再生数はあてにならない。信じるは己の感性と勘のみだ。自分が面白いと思うものを、タグや本人説明などのちょっとした手がかりで探し始めたのである。


 ごく普通のアイマスMadは好きな音楽に合わせてお気に入りのキャラクターの踊る映像を組み合わせるというもの。これは正統派の作品だと思うが、ビデオ映像の作り込みが半端ではない。「世の中にはセンスのある人がいるんだなあ」と、感嘆しつつ「俺にはできねえ」と自分の卑小さにがっくりくる動画ではある。


 うはは、こんなものまであるとは。なんだか子供の頃に戻って「シャボン玉ホリデー」を白黒テレビで観ている気分になってくる。オリジナルの映画は筋としては大して面白くなかったが、空撮まで使った大がかりな映像と、ラストの円谷英二が指揮したという大爆発シーンが印象的だった。
 この森江春策Pは、どうやら推理作家の芦辺拓氏らしい。50歳を過ぎてアイマスMad作成でニコニコ動画生活とは、なんとも若々しい。


 いやもう、この堂々たるレトロっぷりは素晴らしいの一言に尽きる。


 もうひとつレトロ路線で。画用紙に柔らかめの鉛筆で書かれたと思しきイラストに独自の味わいがある。アストロPはレトロ一辺倒というわけではないのだけれど、妙な雰囲気のある作品を次々に投稿している。


 同じくアストロPの作品。ストラヴィンスキーの「春の祭典」。大混乱を引き起こした1913年の初演時に、ニジンスキーが付けた振り付けの再現映像と組み合わせるとは…良い意味であきれてしまう。


 一方で、これだからなあ。掛け値なしで、紅白歌合戦よりも面白いと思うぞ。


 コンロン・ナンカロウの一発アイデアの傑作「習作21番」にその通りの映像をつけた作品。
 これはちょっと説明の必要があるだろう。コンロン・ナンカロウは20世紀アメリカの作曲家だが、共産主義者だったことが災いし、アメリカを出てメキシコに住まざるを得なくなった。メキシコに住み着いた時、彼の手元にあったのは、ロール紙に空けた穴の通りに演奏する自動ピアノだけだった。
 ところが彼はそれを逆手にとって、「人間ではとても演奏できない、自動ピアノでしか演奏できない音楽」を作り始める。「習作21番」はその代表作。基本的に上声下声の2声部から成るポリフォニーなのだけれど、上声部と下声部のテンポが異なっている。上声部は無茶苦茶な速さから徐々に徐々にテンポがゆっくりになっていき、下声部はゆっくりとしたテンポから徐々に速くなっていく。曲の真ん中で2つのテンポは交差し、最後で上声部はゆっくりに、下声部は滅茶苦茶に速いテンポとなって終わる。
 アイドルマスターには亜美と真美という一卵性双生児のキャラクターが出てくるが、この作品は、2人のダンスをそれぞれ、スローモーションから高速再生に、逆に高速再生からスローモーションにと加工して、「習作21番」と組み合わせているというわけ。
 確かに「習作21番」を知っていれば、割と思いつきやすいアイデアだとは思うけれども、それにしても本当にやってしまうとは…

 というわけで当blogの2008年は(NHKのロボコン番組より面白い)ニコニコ動画とアイドルマスターで終わるのだった。

 皆様、良いお年を。2009年も引き続き当blogをよろしくお願いいたします。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

2008.12.29

ますますニコ動にはまるのだ

 野尻さんのアピールに乗せられて、ニコニコ動画のプレミアム会員になった。快適な回線容量が確保され、ますますニコニコ動画にはまり込むのである。

 以下、今年秋以降にアップされた/見つけた、面白かった音楽系動画を。初音ミクもそれ以外もごっちゃになっています。


 今年後半もっとも衝撃的だった作品。鉄風Pの曲に機能美Pがビデオを付けたコラボレーション作品だが、音楽と映像の両方とも斬新、かつ両方が組み合わさってさらに素晴らしい。間違いなく、ニコニコ動画がなければ現れることがなかった作品だろう。
 鉄風Pの音楽そのものが「変拍子を基調にしたモーダルな仏教ロック」というショッキングなものである上に、ビデオもタイポグラフィの限界に挑むような高品位。10万アクセス突破は当然だ。

 作中に頻出する女の子のシルエットは、実は「M@STER FONT」というフォント。ナムコが販売しているゲーム「アイドルマスター」に登場する女の子達のシルエットを文字フォント化したものだ。
 この「アイドルマスター」の映像を加工したビデオ画像は、ニコニコ動画で一大勢力を形成している。というよりもこのゲームの人気はニコニコ動画に投稿されるユーザーが作成したビデオ(パロディ的な内容が多いので「Mad」と呼ばれる)なくして考えられない。


 その「M@STER FONT」のプロモーションのために作成されたビデオ。これまたとんでもないセンスの発露で、感心するしかない。


 萌え声サンプリングミュージック、と一言で片づけるにはあまりに良くできた逸品。もとはMusicMakerというドイツ製の音楽ソフトに、輸入元が声優さんの音声サンプルを付けて萌えパッケージで出荷したもの。その音声サンプルをいじくって一曲に仕立ててしまった。
 サンプリングミュージックは繰り返し一辺倒になってしまいがちだが、この曲は繰り返すフレーズと繰り返さない一回限りのフレーズとのバランスがすばらしい。音楽とは、繰り返しとその時一回限りの出会いを駆使して聴き手の記憶を操る技法なのである。


 脱力ロックが楽しい長靴Pの新作。そうか、長靴Pは実は絵もうまかったんだと見入ってしまう。イラストも音楽も歌詞も、そしてギター演奏もほどよく力が抜けていて、なおかつ脱力しきっていない。いいねえ。いいなあ。


 以前、音女-オトメを紹介したまうPの作品。軽やかなピアノとフランス風の和声が快い。ミクの声も、べーゼンドルファーのサンプリング音も曲の雰囲気に実によく合っている。本当にこの人は、心にすとんと落ちる曲を書く。


 そもそも人間の声と言うには表情がどうしても乏しい初音ミクに、極限までの表現力を要求するワーグナーを歌わせるというのは無謀そのもの。しかし、無謀の行為を通じて見えてくるものもあることも事実だ。
 この調子で技術が進んでいけば、ボーカロイドを組み合わせてオペラを歌わせ、MikuMikuDanceで3Dモデルに演技をさせて、たった一人でバーチャルオペラを作り上げる事も可能ではないかと夢想してしまう。
 そのためにはもう少しボーカロイドの種類が増えないとなあ。せめて男声のバス歌手は欲しいところ(需要があるかどうかというのは難しいところだろうが)。


 と、思ったらまうPの新作はオペラ風の曲だった。曲はできるな。後は、これにMikuMikuDanceで動きを付ける人が出てくるかどうか。


 私はいいと思うのだけれど、なぜかアクセス数が伸びないトゥルララPの最新スキャット曲。どこかYMOを思わせるクールで落ち着いた雰囲気だが、こういうのはニコニコ動画のメインユーザーには受けないのだろうか。「尻P」こと野尻抱介さんは「ラノベ感性が足りないんじゃないでしょうか」と分析していた。「ニコニコ動画のユーザーは若いので、ラノベっぽい感性がないといかんのでしょう、『メルト』とか」。そうかもなあ。
 その割にかなり年配のPも多いようなのだけれど。


 ボーカロイド一家が歌う武満徹。無伴奏合唱曲もなかなかいい。
 武満は、感性の根本部分に多量のポップス成分を抱えていた。それが良く分かる佳品。ほろっとくる緩やかな暖かさに満ちた曲だ。「こどものころをおもいだした」というあたりの和声は古いアメリカンポップスの匂いがする。
 「風の馬」、私も聴きたいです、アビヨヨ←作者の方。


 おそらくもっとも有名な現代詩であろう谷川俊太郎「二十億年の孤独」に木下牧子が曲を付けた合唱曲。現代日本の合唱曲の指標的な作品だ。武満作品は、表面的な親しみやすさとは別の演奏のしにくさがあるのだけれど、この曲は特に訓練を受けていない中学生から高校生が歌うことを前提に、色々と歌いやすくなる工夫が盛り込まれている。なおかつ音楽として中高生が興味を持てる曲になっているのは、まさしく「プロの仕事」だ。


 強烈な鬱曲を、精力的にアップしているネガティブPによる、「すげーコワイクリスマスの曲」。映画「シャイニング」の映像あたりと合わせたら、全世界でクリスマスが中止になりそう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.11.01

超(手短)バッハ入門(偏りあり)

 ちょっと反省する。

 いきなり「フーガの技法」を薦めたのは敷居が高かったか、と。

 思い出せば自分のバッハ体験も、ごく当たり前に中学時代に聴いた「G線上のアリア」と「メヌエット」から始まっている。

 「G線上のアリア」は管弦楽組曲3番の第2曲「エア」に基づいている。なぜそれが「G線上のアリア」と呼ばれるようになったかは、G線上のアリアの知識を読んでもらいたい。実際、クラシック関係は熱心な方が詳細なホームページを作成している。
 著作権もとっくの昔に存在しない曲なので、MIDIファイルも多数ネット上に存在している。例えばこのオルゴール編曲とか。

 とても良い曲。いきなり「フーガの技法」を聴くよりも、まずはここから始めた方がいいのかも。

 「メヌエット」は、バッハが2番目の妻アンナのために書いた曲集「アンナ・マクダレーナ・バッハのためのクラヴィーア曲集」に収録された小品。こちらは「ラヴァーズ・コンチェルト」という題でポピュラー編曲が出たことで一気に一般化した。詳細はこちらを読むこと。
 もちろん、クラシックマニアとしては「どこがコンチェルト(協奏曲)やねん!」と突っ込みを入れねばならない。

 その次に、「トッカータとフーガニ短調」に引っかからなかったのが、自分の幸運だったのかも知れない。この曲はオリジナルはオルガン曲だが、指揮者のレオポルド・ストコフスキーが、派手なオーケストラ編曲を施してあちこちで演奏し、さらにディズニーのアニメーション映画「ファンタジア」に採用されることで、一気に人々の間で広がった。
 日本では「トッカータ」冒頭部分が、劇的な変化が起きる場合の劇伴として使われ、今や多くの人が嘉門達夫の「鼻から牛乳」の「鼻から牛乳」というフレーズのあの音楽ね、と記憶しているという状態となっている。

 が、思うにこの曲、バッハの代表作とは言い難い。トッカータは派手だががっちりとした構成を好むバッハ本来のありようではないし、続くフーガ(ちゃんとここまで聴いたことのある人、どれぐらいいる?)は、正直なところバッハが書いた数々のフーガの中では凡庸の類に入る。

 「ちゃらり〜、鼻から牛乳〜」で、バッハ体験が終わってしまっている人は、大変不幸であると思うのだ。

 私の場合は、「G線上のアリア」と「メヌエット」の次がブランデンブルク協奏曲3番だった。中学3年の夏、FMで放送されたのをたまたまエアチェックしてハマッた。何回聞き直したか分からないほど聴いた。詳細は、こちらを読むこと。バッハが公私ともに充実していた時代の傑作である。全部で6曲あるが、中でも3番と5番は名曲の名に値する。

 高校に入ると、フルートを習いだし、そこで演奏者としてバッハの楽譜に接することになった。最初が管弦楽組曲2番、次がバッハの真作か疑わしいニ短調のフルートソナタ。こっちは真筆間違いない変ロ長調のフルートソナタと続き、ロ短調のフルートソナタと出会った。

 これは本当にショックだった。その旋律は後の時代のモーツアルトよりもハイドンよりもベートーベンよりも半音階的であり、モダンかつ陰影に富んでいた。その複雑かつ繊細な旋律が、バッハ一流の対位法によって重なり合い、絡み合いながら音楽が形作られていく。大澤さんがコメント欄で「バッハはアバンギャルドだ」と書いているけれども、まさに同じことを実感した。「どうしてこんな半音階を十分に含んだ曲を書けたのか、俺には書けないよ!」ってな感じである(当時すでに自分で作曲への試みを始めていた。今思えば無駄なことを…)。

 その後ああでもないこうでもないとバッハの半音階的な曲を漁るきっかけとなった。「インベンションとシンフォニア」のへ短調のシンフォニアとか。

 ネットとはありがたい場所であり、探せばちゃんとMIDIやらMP3のファイルが存在する。私がノックアウトされたロ短調のフルートソナタの第1楽章はこれだ。

 ちなみにへ短調のシンフォニアはこちら。グレン・グールドは「インヴェンションとシンフォニア」を独自の解釈で曲順を入れ替えて録音しているが、最後にこの曲を持ってきている。これは私からすれば、まったくもって正しい解釈に思える。

 で、同時期にNHK-FMの「現代の音楽」を聴き始めていたわけだが、そのテーマ音楽がウェーベルン編曲の「6声のリチェルカーレ」だったわけだね。

 これです、これ。(音が鳴ります。注意のこと)「は・つ・ね・み〜く〜」

 これはまた、色々と語り始めたたら止まらない曲なので、またいずれ機会があったら。

 この世には確かに、「聴かないと人生損する」という音楽が存在する。その一つは間違いなくバッハの音楽であり、それにティーンエイジャーの時に接することができた私は、随分と幸せだったのだ、と。
 まあ、思いこみかも知れないが、この年齢まで生きてきての実感でもあるのです。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2008.10.28

本当の神曲:バッハの「フーガの技法」

 ニコニコ動画で楽しく遊んでいる私だが、コメントでやたらと「神曲」という言葉が出てくるのには違和感を感じている。日本は八百万の神のいる国だから、そこらにぽっと神が現れても不思議はないが、「神曲」という言葉をそうそう乱発していいものやら。本物の神懸かり的な曲に失礼ではないだろうか。

 まず「神曲」の定義を考える。過去数千年の人類の歴史の中で一曲を選ぶとしたらどれを選ぶか、あるいは人類が滅亡に際して次の世代の知性体に残すべき一曲はどれか――八百万ではなく一神教的な神曲を考えてみる。

 色々な意見が出るだろうが、私としてはどうしてもヨハン・セバスチャン・バッハの曲ということになる。バッハは音楽一家に生まれ、当時の欧州では田舎であったドイツの宮廷楽士として一生を送った人だが、音楽史的にはまさに一つの結節点であり転回点でもあった。バッハ以前の音楽はバッハによって統合されて完成し、バッハ以降の音楽はバッハの遺産の上に展開する――そんな存在である。

 そんなバッハの曲から選ぶとしたら、これまた私としては「フーガの技法」「マタイ受難曲」「音楽の捧げ物」が思い浮かぶ。「ゴールドベルク変奏曲」もありうるが、これはグレン・グールドによる1980年のそれこそ神懸かり的録音をもって「人類が未来に残すべき最高の録音記録」として別枠で選ぶべきだろう。

 その中で、どうしても一つ、となれば、私は「フーガの技法」を選ぶ。

 フーガとは複数の旋律が追いかけ合い、絡み合う音楽の形式だ。

 音楽には対位法という技術が存在する。和声法が異なる高さの音を同時に鳴らして、その響きを時間軸方向につなぎ合わせていく技術であるのに対して、対位法は複数の旋律を同時に鳴らしつつ、調和の取れた響きと両立させる技術である。

 フーガは対位法を駆使し、旋律の追い掛け合いや絡み合いを作り出していく。バッハは生涯にわたってフーガという形式の技法の探求し、最晩年に至って自分が開発した技法の集大成として、この「フーガの技法」を作曲した。

 「フーガの技法」を特徴づけるのは、その恐ろしいまでの抽象性だ。技法の開陳を目的に作曲されたので、そこには様々な表情の指定が一切存在しない。テンポ、強弱、クレッシェンド、ディクレッシェンド、アチェレランド、ディヌミエンドなど、音楽に表情を与える指定は楽譜上ではなされていない。それどころか、どのような楽器で演奏するかの指定すらない。

 存在するのは、比較的簡単な主題とその変奏、それらに技法を厳格に適用していった結果の旋律の絡み合い、それだけである。

 そこにあるのは音の高さと音の長さの指定だけだ、とも言える。音の長さも音の高さも厳密に数字で指定しうるから、「フーガの技法」の実態は一連の数字の羅列、つまり数列である。

 しかし、その数列がひとたび音として響くと、それは「音楽である」としかいいようのない、異様なまでの感動を生み出す。

 あれこれ説明するよりも、以下のページで実際に聴いてもらいたい。

フーガの技法研究所

 フーガの技法に入れ込んだ方が作成したホームページだ。楽譜を入力しただけのMIDIファイルが多数アップロードしてあり、分析室1では、楽譜そのままの「フーガの技法」各曲を聴くことができる。

 もうひとつ、「フーガの技法」を人類最高の音楽たらしめているのは、この曲集がまさにクライマックス直前で未完成となっているというところにある。

 技法的にも音楽的にも全曲の頂点として企画された3主題によるフーガは、3つめの主題が登場して、最初の2つの主題と絡み合って楽が大きく盛り上がる直前、239小節で途切れてしまっている。
 しかもその3つめの主題は、バッハ(Bach)自身を象徴する、「BACH(シ♭、ラ、ド、シ)」という音の並びに基づいているのである。

 この「3主題によるフーガ」の自筆楽譜の末尾に、息子の一人であるエマニュエル・バッハは、

"NB. uber dieser Fuge, wo der Nahme B A C H im Contrasubject angebracht worden, ist der Verfasser gestorben."

「注意.このフーガにおいて、対主題として B A C H の名前が持ち込まれたところで、作者は亡くなりました。」

と書き込んだ。このため、長い間この曲がバッハの絶筆とされてきたのだが、実際には死の約1年前にこまで書き進めたところで視力と体力の低下で継続を断念したことが判明している。

 とはいえ、このフーガの宇宙的とも形容できる幕切れは衝撃的だ。聴き手は宇宙の彼方まで連れて行かれたあげく、そこにぽんと放り出されたような異様な感覚を味わう。

 ミロのビーナスが腕がないために様々な想像を誘うように、「フーガの技法」も未完であるが故に、他を寄せ付けない絶対孤高の音楽足り得たと言えるかもしれない。

 「神曲というからには、“フーガの技法”を聴いた上で言っているんだろうな」というのが私の意見。この曲を聴かずして死ぬのは、人生の痛恨事であると断言しうる音楽だ。


 非常に抽象性の高い曲なので、誰が演奏しても聞けるし、どんな楽器で演奏してもきちんと響く。CDを買うならば、Amazon フーガの技法で検索から、好きな編成での演奏を選べばいい。

| | Comments (5) | TrackBack (0)

2008.10.27

ジャミロクワイと半導体娘

 この10日ほどで対照的な動画が2つ、ニコニコ動画に投稿された。


 MikuMikuDanceで、ジャミロクワイの世界的なヒット曲「Virtual Insanity」(1996)のミュージックビデオを再現したもの。「ジャミロクワイって誰?、Virtual Insanityって何?」という人も、見ればシルクハットをかぶったあんちゃんが廊下をうろちょろする映像を思い出すだろう。


 こちらは、なんと電子楽器を自分で設計し、自分で作り上げ、それでもって自分が作曲したオリジナル曲を演奏し、初音ミクに歌わせるというもの。最初から最後まで自作の精神を貫いており、自作でないのは個々の電子部品とソフトウエアとしての初音ミクだけと言っていいだろう。

 これら2つの投稿の対照性を解く鍵は、再生数にある。「MikuMikuDanceでVirtual Insanity」はどんどん再生数が伸びて、そろそろ20万再生に届くところにまで来ているが、「自作音源で自作曲を演奏してみた/半導体娘計画【新番組】」は今のところ2万半ばのあたりだ。

 この差は、ニコニコ動画ユーザーが、あらかじめ内容についての情報を与えられているか否かによるものである。

 「Virtual Insanity」は音楽産業の周到なプロモーションによって作り上げられたヒット曲だった。質の高い楽曲と歌い手、さらには贅を尽くして作り上げたミュージックビデオを用意し、それらを様々なメディアで繰り返し一般聴衆に刷り込むことで世界的なヒットを作り上げた。

 だから、ニコニコ動画のユーザーは「MikuMikuDanceでVirtual Insanity」というタイトルを見ただけで、ある程度その内容を推測することができる。ミュージックビデオの内容を覚えている人は「ああ、あれをミクが演じるわけだな」と思い、その再現度や、忠実な再現からのちょっとしたはずし方や、場合によってや似てなさ加減などを楽しむことができるなと考え、視聴し、今回の場合はその出来のすばらしさにびっくりしてマイリストに加えたり、他人に教えたりで、ますます再生数が増えていくわけだ。

 一方「自作音源で自作曲を演奏してみた/半導体娘計画【新番組】」は、ほとんどの人にとって事前にどんな内容かが分からない。「ひょっとしたらつまらないかもよ」と思った人は見ない。見た人はその内容の高度さに驚いて、「Virtual Insanity」と同様にマイリストに加えたり、他人に教えたりで再生数は伸びていくものの、その数は「Virtual Insanity」ほどではない。

 これまで、当blogで何度も書いてきたが、人間には知っていることしか知りたがらないという性質がある。知らないものは基本的に危険物であると仮定して扱ったほうが安全だからだ。その一方で、未知のものに触れたいという欲求も存在するが、それは「人間には知っていることしか知りたがらない」という性向からすれば基本的に従属物である。

 だから、知っている安全な情報を基本にして、ちょっとだけ新規要素を付け加えたものが多くの人々の耳目を集めることになる。「MikuMikuDanceでVirtual Insanity」ならば、ジャミロクワイの「Virtual Insanity」というすでに音楽産業によって人々に刷り込まれた情報を基本に、「初音ミクがミュージックビデオを再現する」という新規要素を組み込むことで再生数を伸ばしたわけだ。

 確かオペラの作曲家プッチーニが成功するオペラの作り方を問われて「大衆の半歩先を行くこと」と答えているが、構図は同じである。みんなが知っていることを基本にちょっとした新規要素を組み込むこと――大衆の一歩先に出て、新規要素ばかりですべてを構成すると、それ自身が「みんなが知っていること」となるまでの長い時間、無視や無理解と戦わねばならないことになる。

 ところで「自作音源で自作曲を演奏してみた/半導体娘計画【新番組】」もまた、「みんなが知っていること」の恩恵を受けている。

 キーワードは「初音ミク」だ。ニコニコ動画には初音ミクが一枚かんでいるというだけで、どんな投稿でも一応は視聴してみるという傾向が存在している。そして大変重要なことだが、一度視聴した情報は「知らないこと」から「知っていること」になる。何らかのおもしろさを感じて二度三度視聴すれば、それだけ投稿に込められた新規要素に馴染む機会が増え、それが素晴らしい新規要素であるならば「おお、なんと斬新で素晴らしい」と感じる人の数が増えていく。

 ニコニコ動画では「ミクだっ、初音ミクだ」というだけで、どんなに新規な情報でも人々の間で一般化する可能性がある。ミクが歌ったというだけで、ジョン・ケージの「4分33秒」が4万再生を超え、松浦某とかいう食わせ者の自作が何千再生かを記録してしまう。


 私は、ここに文化的装置としてのニコニコ動画と初音ミクの可能性を見る。


 ニコニコ動画では「神曲」という言葉が単なる「ちょっと良い曲」という意味で、割と安易に使われているが、真の意味での「神曲」、それこそ人類が滅亡に当たって宇宙に人類が存在した証としてこの宇宙に残すべきほどの情報は、いつも長い無理解の果てにやっと人々に受け入れられてきた。なぜならそれらの情報がいつも人々にとって新規な要素を十分に含んだものであったからだ。

 バッハのマタイ受難曲は、メンデルスゾーンが蘇演するまで100年以上歴史の隙間に埋もれていたし、ベートーベンの第9交響曲も初演当時は「合唱まで入ったトルコ風味の風変わりな曲」としか認識されなかった。マーラーの交響曲はワルターやスプリングハイムのような弟子達が世界各地で必死になって演奏し続けなければ一般化しなかったろうし、ストラヴィンスキーの「春の祭典」が初舞台で浴びたのは賞賛の拍手ではなく、賛否入り交じった怒号だった。
 クラシック音楽以外でもこのような例は多いのではないだろうか。絵画ならば、ゴッホやゴーギャン、ユトリロなどの例がすぐに思い出せる。

 プッチーニの言い方を借りるなら「神曲とは、いつも一歩以上先の立ち位置に現れ出るもの」なのである(もちろん「一歩先に踏み外したヤツ」も存在しうるわけなのだけれども)。


 ニコニコ動画プラス初音ミクならば、そのような新しい情報を一般が受け入れるプロセスを加速できるのではないだろうか?

 ジャミロクワイをミクでなぞるのも、自分で電子楽器を作って自作を演奏するのも、共にニコニコ動画の楽しみだ。そのことを理解して上でなおかつ、私としては「自作音源で自作曲を演奏してみた/半導体娘計画【新番組】」の行き方を応援したいな、と感じているのであった。

 もちろんこれは仮説であり、ニコニコ動画や初音ミクに対する過大評価かも知れない。それでも、ある日、バッハのマタイ級の傑作がニコニコ動画に投下され、やがて「神曲!」というコメントで画面が埋め尽くされるってのは、ちょっと見てみたくありませんか?

| | Comments (1) | TrackBack (1)

2008.10.25

ボーカロイド隠れた名曲その1

 これから気が付くたびに、「これはっ」と思うボーカロイド・オリジナル曲を紹介していくことにする。基準は、私が良い曲だと判断することと、再生数があまり伸びていないこと。10万再生以上の「VORCALOID殿堂入り」の曲は、除外することにする。

 初回は以下の3曲。同一作者の作品を紹介する。

 この作者、P名を持たずに「とち-music box」を名乗っているいけれどとても達者だ。上手に全音音階を使いこなして、独特の響きを作り出しているし、「スケッチ集」でわかるように楽器法も心得ているようだ。「くるりんフラワー 2号」の疾走感はなぜかジョー・ジャクソンの「Stepping Out」を思い出させるし、「スケッチ集」や「水彩の森」はちょっとラヴェルの歌曲を連想させる。

 これほどの曲が書ける人が、2000再生前後で埋もれているというのは惜しい。もっと聞かれてしかるべき人だと思う。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

2008.10.23

JPOPのワンパターン

 もうすこし音楽の話を。

 最近、JPOPサウンドの核心部分が、実は1つのコード進行で出来ていた、という話という記事が話題になっている。

 30年前に和声法の勉強を途中で放り投げた私でも、これは理解できる。

 問題のコード進行は、IV△7→V7→III7→VIというもの。サブドミナント→ドミナントと動いて、基本ならばその後に主和音が来るところを、主和音の根音を抜いてさらに上に7thを重ねて調性を曖昧にしたIII7をもってきて、短調であった場合にはIII和音がドミナントの役割を果たすことを使って、短調の主和音であるIVにもってくるというわけだ。

 記事では「メジャーとマイナーの中間を漂う浮遊感」と書いているけれどもまさにその通り。

 以下自分なりにもっと簡単な説明を試みてみよう。

 長調とか短調といった調的な音楽の場合、「こういう風に和音が並ぶと音楽がきちんとしめくくられるような感覚を聞き手に与えられるぞ」という和音の並びがある。

 その一番基本となる並びが、IV→V→Iというものだ。

 一番簡単なハ長調、ピアノの白鍵だけでドレミファソラシドの音階で説明すると。Iというのはド。同時にドの上に音階の音を3度で積み上げたドミソの和音を意味する。IVというのはドから数えて4つ目の音であるファであり、同時にファの上に積み重ねたファラドという和音である。同様にVは5つめの音であるソでありソシレという和音のことだ。

 この3つの和音は主音であるドを中心に音程でいうと5度の関係にある。5度というのは鍵盤5つめの音だと思っておいてもらいたい。

 ドから上に5度がソ、下に5度がファだ。

 ドの主音に対してソを属音(ドミナント)、ファを下属音(サブドミナント)という。これら3つの和音が、長調における一番基本の和音であって、そのまた一番基本の並びが、ファラド、ソシレ、ドミソ、つまりIV→V→Iなのだ。

 細かい理由は抜きにするがV和音はもうひとつ音を積み重ねてソシレファとして使うことが非常に多い。記号で書くとV7である。

 さて、ここでドレミファソラシドの長調は、音階の出発点を変えるとラシドレミファソラの短調になる。主音はラになるわけだ。ここでもさっきと同じ5度の関係を作ることができて、ラドミの主和音に、ミソシのドミナント、レファラのサブドミナントが存在する。これでさっきの長調と同じ基本の和音の並びを作ると、レファラ、ミソシ、ラドミ、となる。記号で書くとII→III→IVだ(本当はもっともっと色々あるのだけれど、とりあえずは省略)。

 ここで、問題の和声進行「IV△7→V7→III7→VI」に戻る。7とか△とかは、簡単に言えば和音に独特の彩りをつけるフレーバーみたいなものだから、とりあえず無視する。するとこの和声進行は「IV→V→III→VI」となる。ハ長調の音階で書くと、ファラド、ソシレ、ミソシ、ラドミ、となる。

 これを、一番基本となる和声進行「IV→V→I」と比べると、IV→Vと来たものが、Iに行かずにまずIIIに行ってしまっている。Iはドミソ、IIIはミソシだから、音は2つ共通だ。でも肝心かなめの主音であるドがなくなってしまっている。
 これは聞き手の耳の印象からすると、「あれ?ドが鳴って音楽が一段落付くはずが、なんか落ち着かないぞ。でもミとソは鳴っているよな。一段落ついたようなつかないような変な気分だぞ」ということになる。

 そしてIIIの和音は短調で考えるとドミナントだ。だから短調の基本の和音の並びに従って、次は短調の主和音VIとつながる。

 すると聞き手の耳は「あれれ、ここまで長調だと思っていたけれども、短調で収まりよく音楽が落ち着いちゃったようだなあ」と感じるわけだ。

 人間の耳は和音一つや二つ程度の音の並びでは「これは長調だ、短調だ」と断言することができない。せいぜい「なんか長調っぽいぞ、短調みたいじゃないか」と感じる程度である。つまりこの和音の並びは、それまで長調で来た音楽に一瞬長調と短調との間で、宙ぶらりんになった印象を与えることができる。

 その一瞬の曖昧さが、日本人好みである、というわけだ。

 もちろんこの和声の並びに引き続いて本格的に短調に転調してしまってもいいわけだが、JPOPはそうはせずに、また長調へと戻っていく。長調基調の曲に一瞬の曖昧さを与えるためにこの和声進行を使っているというわけである。ほんの一瞬、ウエットな印象の短調へと音楽が振れるのを「なんかいいなあ」と感じているのだね。

(ということでよろしいでしょうか、大澤先生!)

 やあ、いいことを聞いたぞ。この和声進行を使って、次は自分がヒットメーカーだ!――ではなくて。

 JPOPは、この和声進行が聴衆から受けることに気が付いた結果、「なんでもいいからこの和声進行を使っちゃえ。そうすれば売れる音楽を量産できて儲かるぞ」という思考停止に陥ってしまったということなのである。

 音楽というのは面白いメディアで、こういう安易さはじわじわと伝わる。特に色々な音楽を多数聴き込んでいる人ほど、敏感にこの手の「ま、こんなもんだろ」的な音楽作りに気が付く。つまり趣味の良い分かった聴衆ほど「けっ、ふざけんじゃねえや」と、離れていって、後にはあまり耳を鍛えていない、普段は音楽をマニアックに聴くことがない人が残っていくことになる。

 もちろん商売としては一部マニアよりも大多数を相手にしたほうが儲かるわけだから、当面はそれでもそろばん勘定は回っていく。だが、何度も繰り返せば、いかに「普通の人」であっても、徐々に気が付いていくのだ。

 同時に「普通の人だけ相手にしてりゃいい」的態度は、作り手の中から真剣さを失わせる。どんどん安易へと流れていくのだ。

 私はクラシックマニアであり現代音楽オタなので、JPOPが滅亡しても全く痛痒を感じないし惜しいとも思わないのだが、それでも「少しは考え直したほうがいいのじゃないか」と思う。かつて演歌が大ブームの後に同様の思考停止に陥って衰退したことを考えると、音楽ビジネスの維持のためには今のうちになんとかしたほうがいいのは明白だ。

 もっとも、過激に言ってしまうならば、JPOPなどというものが高収益ビジネスとして回転している状況のほうがどうかしているのかも知れない。音楽なんてものはほっといても作り手の中から泉のごとくあふれ出てくるのが本来であり、それは作り手の衣食住を支えれば十分だったはずだから(クラシックの世界の食えなさっぷりを考えると、ね)。

| | Comments (2) | TrackBack (1)

2008.10.21

結局コラボレーション

 初音ミクとニコニコ動画、そしてMikuMikuDanceといったものがもたらしたのは、見知らぬ他人がネット上で出会い、協力してなにがしかの情報を生成していくというコラボレーションの場だったのではないか――そう思っている。

 数日ミク関連の動画紹介を書いてきたが、最後はコラボレーションによって作られた動画をいくつか紹介する。


 初音ミク史に残るべきPV。初期の傑作「恋するVOC@LOID」に凝った3Dアニメーションが付いている。このものすごい完成度!


 これも初期の傑作「WhiteLetter」に手書きアニメの映像をつけたもの。CGとは違う暖かさが良い。


 これはテレビアニメのエンディング風。しゃれた音楽に、これまたしゃれた映像。あまり考えずに楽しめる気楽な作品。


 手書きならではの質感を生かした映像が、歌になんとも合っている。いいねえ、これ。

 稚拙でもなんでもいいから、とにかく自分の作ったモノを出す場があって、そこで色々と評価される。けなされることもあるけれども、作り続けていけば必ず評価してくれる人もいる。

 そういう場ができたということに感謝しよう。

 実に楽しいものだね。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.10.20

楽しいMikuMikuDance

 拙作【ニコニコ動画】じいちゃんの戦争【初音ミクオリジナル曲】で使ったMikuMikuDanceというソフトは、その優秀さもあってニコニコ動画ではずいぶんと使われている。

 というわけで、以下は私基準で選んだMikuMikuDance傑作選。


 モーリス・ベジャールが振り付け、ジョルジュ・ドンが踊った「ボレロ」は20世紀のバレエで一作選べといったら、たぶんこれになるんじゃないかと思えるほどの作品。それをミクに踊らせるとは…いかにMikuMikuDanceが使いやすいとはいえ、この動画を作成するのにいったいどれだけの手間がかかったのやら。想像するだに恐ろしい労作にして傑作。

 比較動画はこちら。もちろん本家ジョルジュ・ドンの迫力に、ミクではかなわないわけだが、私としてはフリーウエアを使ってアマチュアが頑張るだけで、世界最高のダンサーの動きを再現できるというところに、未来への可能性を見たいところ。


 こちらは、おそらく振り付けまで自分で行った逸品。ソフトをダウンロードしたら、あとはユーザーのがんばりでここまでできるのだから、本当に良い時代になったものだ(こればっかだなあ、俺)。


 ニコニコ動画では、ある人が作った曲に別の人がビデオをつけるというようなコラボレーションが普通に行われている。これはニコ動でのヒット曲「ストラトスフィア」に、MikyMikuDanceでビデオをつけたもの。こういう人間離れした動きも手軽に作れるのは楽しい。


 これもコラボ作品だが、実写と組み合わせているのが面白い。日常的なしぐさを自然に再現するのは難しいのだけれど、ずいぶんと頑張っていると思う。



 動作を手軽に作れるということは、ネタ系動画も簡単に作成できるということ。ただしネタ系は作者のセンスが問われる。これは、名画に目をつけたところが勝利の鍵だったかな。軽快な演出が快い。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.10.19

ボカロクラシカから

 もう少し、ニコニコ動画の初音ミク関連の作品を紹介することにする。

 ニコニコ動画には「ボカロクラシカ」という検索用タグが存在する。初音ミクをはじめとした、ボーカロイドソフトでクラシック系の曲を演奏した投稿に付くタグだ。

 クラシック系の曲は、ポップス系と比べると再生数は低いのだけれども、結構面白い動画がアップされている。


 「いきなりこれかよ!」と言われそうだが、はい、これです。ジョン・ケージによるコンセプチュウアル・アートの極北。「音のない音楽」。これすら、初音ミクでパッケージングすると4万再生を超える一発ネタ人気動画になってしまうのだ。ケージ本人はこういう事態になることを予想していなかったろうけれども、もしも知ったら「それもありだろ」と笑うのだろう。
 コメント欄のノリが面白い。


 昨年10月という割と早い時期にアップされた傑作。ゾルタン・コダーイのあまり有名ではない合唱曲で、ミクにハンガリーの言葉を歌わせるというもの。曲そのものの魅力が、ミクの声質とよく合っている。


 高校の音楽の教科書に載ったりもしている有名な歌曲を歌わせたもの。歌曲を歌わせたものとしては割とスタンダードな仕上がりだ。日本語専用に作られているミクで、外国語を歌わせるのはなかなか難しい。


 こっちはブラームス。ミクにはシューマンよりもブラームスのほうが合っているような気がする。


 プーランクも悪くない。ミクを使うと合唱もできるという例。


 バッハ畢生の傑作「マタイ受難曲」に挑む勇者もいる。音域、発音など難しい部分は多々あると思うのだけれど、ずいぶんと頑張っていると思う。


 バッハの器楽曲、特に最晩年の「音楽の捧げもの」「フーガの技法」は、表現と技法の統一という点で空前絶後の高みに達している。楽器指定や音の強さの指定、あるいはテンポ指定すらもされていない、音の高さと音の長さだけを書き込んだ楽譜は、恐ろしいまでに抽象的。にもかかわらず、そこには人を感銘させずにはおかないなにかが存在する。
 抽象的なものだから、これらの曲はどんなアレンジをしても映える。「音楽の捧げもの」を代表する曲「6声のリチェルカーレ」は、初音ミクが歌っても、やはりバッハであり、その音楽が壊れることなない。


 これが時代を下ってドビュッシーぐらいになると、バッハのように「どんなアレンジでもなじむ」というわけには行かなくなる。ドビュッシーのピアノ曲は、ピアノという楽器に密着して作られているので、そこから離れて別のアレンジを施すのにはよほどの努力と才能が必要だ。この動画でミクはずいぶん頑張っているけれども、かなりつらいところもある。


 ミクやリンを電子の歌姫ではなく、独特の音質を持つ楽器として扱う方向性もある。これらの曲が典型例。ミクの音質は意外にライヒの音楽に合っている、これはライヒ自身が声を器楽的に使うことが多い(18人の奏者のための音楽とか)作曲家だからだろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.10.18

再生数は少ないけれど――ミクオリジナル曲選

 ニコ厨となり、ミク廃ともなると、誰がどんな曲を書いているかが気になって、ニコニコ動画にアップされた「ミクオリジナル曲」タグの付いた動画をせっせと閲覧することになる。

 実際、ミクに歌わせたオリジナル曲は「アマチュアの手すさび」で片づけることができないほどの市場性を見せており、人気トップクラスは100万再生を遙かに超えている。CDのミリオンセラーとの単純な比較はできないだろうが、すべての閲覧者が10回再生しているとしても、100万再生ならばユニークなリスナーが10万人いる計算となる。これはまったくもってバカにできない規模だ。

 とはいえ、あれこれと聴いていった印象では、もう少し再生数の小さいところ、数千から数万再生のあたりにユニークで面白い曲が多い。
 
 以下、数千から数万再生あたりで、私が面白いと思った曲を紹介していくことにする。もちろん投稿されているミクオリジナルをすべて聴いたわけではないから、私が聴いた範囲、しかも私の好みを反映したセレクションではある。それでも、ニコニコ動画で多彩な才能が楽しく遊んでいることの証拠ぐらいにはなるだろう。

ハンドル名への敬称は省略させていただいた。



 野尻抱介さんに教えてもらった、ハンドル名、長靴Pの作品三連発。長靴Pの作品は、達者なギターから繰り出される爽快なロックンロールと、シュールとも間抜けとも人生の機敏を描いているとも取れる歌詞、そして特徴的なミクのイラストが、三位一体の絶妙なコンビネーションを作り上げている。
 実に楽しいと思うのだけれど、どういうわけか私の評価ほどには再生数が伸びない。おやじっぽいミクが嫌われているのだろうか。「出てねえ腹なんて背中と同じだ」とか、最高だと思うのだがなあ。



 魔術的な繰り返しが特徴的な曲。極端な繰り返しが陶酔を生む系統の曲としては、「ストラトスフィア」がVORCALOID殿堂入りとなっているが、私はこの曲のほうが「ストラトスフィア」より好きだ。
 ミクオリジナルではこういう南米系のリズムの曲もけっこうアップされているのだけれど、どういうわけか再生数が伸びない傾向がある。シックスティーンビートのJPOPテイストだけが音楽ではないのだけれども。


 ハンドル名、子猫Pの曲、初音ミクの登場当初は、ミク自身を主人公としたキャラクターソングが多数アップされた。その中でも最大のヒットは「みっくみくにしてあげる」だったわけだが、こちらはラテンリズムのキャラクターソング。なんともかわいい。ちょっと一連の「うる星やつら」のキャラクターソングを思い出させる。


 同じく子猫Pの曲。キャラクターソングも、「そのキャラクターが、そのキャラクターたる理由はどこにあるのか」というメタな視線を入れると、こういう異色作になる。一発ネタといえばその通りだが、プロからはまず間違いなくでてこないであろう視点が面白い。


 あれこれの要素を付加して音楽を豪華にしていくのではなく、逆にぎりぎりまで切りつめていった歌。まったく無駄がないシンプルさがいい。


 ハンドル名、トゥルララPは、歌詞をつけずに「ラララ」とミクに歌わせることに執心している。歌詞を歌わせることができるのがミクの特徴なのだが、あえて歌詞を禁じ手にして伸びやかな声のサウンドを生かし、素直な曲に仕上げているのが快い。
 この曲も野尻抱介さんが見つけてきたもの。ちょっと聴くと単純に思えるが、メロディの細かいところまで神経の行き届いたうウェルメイドの曲だ。たとえば女性声優のボーカルアルバムのラストにこの曲が入っていたら、アルバムの締めとしては理想ではないだろうか。私はこの曲から矢野顕子の「オーエスオーエス」を連想した。


 これはもう立派な室内楽伴奏付きの歌曲。よく考えられた音楽の構成や、達者なビデオの作りからすると音大、美大系の出身者の作品かとも思う。


 沖縄の音階を使ったシンプルな佳曲。



 最後も猫ネタで。再生数からいえば立派なヒット曲だ。まだまだ伸びるだろう。

 ちなみに作者のハンドル名の最後にPが付いているのはニコニコ動画の慣習だ。これはプロデューサーの略。ニコニコ動画で一世を風靡した「アイドルマスター」というゲームに由来する。このゲームでは、プレイヤーが芸能プロダクションのプロデューサーになってアイドルを育成する。画面にプレイヤーの名前が「●●P」と表示されることから、いつしか、ニコニコ動画でのハンドル名は最後にPが付くようになった。ハンドル名は自称する場合も、ユーザーが投稿者の特徴を捉えて「この人は●●Pだ」と命名することもある。ちなみに私は「L/DP」というハンドル名をもらっている。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

2008.10.17

かっとなってやった、から、確信犯へ

 初音ミクを入手してから1年以上が経過した。結局自分もニコ厨でありミク廃であるのだな、と思う。

 新作をニコニコ動画にアップしました。


 新作といっても、詩は20年以上昔に新聞に掲載されたものをスクラップしておいたもの。曲は17年前に書いたものである。誰が歌ってくれるあてがあるわけでもなく書いた曲を、こうやって電子の歌姫が歌ってくれて、しかもニコニコ動画という発表媒体も存在するというのは、なんともすばらしいことか。

 今回、ミクの3Dモデルに振り付けることができるMikuMikuDanceというソフトを使ってみたが、これがなかなか素晴らしい、良くできたソフトだった。これほどの機能を持つソフトウエアがフリーで公開されているというのも、なんとも良い時代になったものだ。
 
 だってさ、最初にPC-9801を見た時(1982年のことだ)、「TANAKAのフライトシミュレーター」で、3Dワイヤフレームが動いていてびっくりしたんだぜ。この曲を書いた1991年には、シリコン・グラフィックスのトレードショーで3D隠線処理をして、きちんと面がある3Dの戦車がリアルタイム画像生成で画面の中を走り回るのを見てたまげたんだぜ。それを考えりゃ——って、つまりは自分が歳を取ったということなのだけれども。


 そして半年前にアップした曲は、いつの間にやら5000再生に近づいている。

 「みっくみくにしてあげる」とか「メルト」とか「恋は戦争」とか、100万再生以上の曲から比べればささやかなものだが、もしも初音ミクが存在しなければ、そもそも誰も聞くことのない、それこそ「誰もいない森で木が倒れた時の音」のようなものだったのだから、5000再生というのは、まったくもって夢のような状況だ。聞いてくれた皆様、ありがとうございます。

 こんな曲があと3曲残っている。来年の春までにはぼつぼつアップしていきたいな、と考えている。

 そうです、もう「かっとなってやった」ではすまされないわけです。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2008.07.21

コンサート:「101年目からの松平頼則」

 先週の水曜日に行ってきた。

101年目からの松平頼則
2008年07月16日(19:15 開演) 杉並公会堂小ホール

第24回<東京の夏>音楽祭2008 関連公演
後援:上野学園大学
協賛:SONIC ARTS
助成:財団法人 アサヒビール芸術文化財団 財団法人 ローム・ミュージック・ファンデーション 

演奏曲目(全曲松平頼則作品):

「フリュートとピアノのためのソナチネ」(1936)
木ノ脇道元(fl)、井上郷子(pf)

「ピアノ・トリオ」(1948)
阪中美幸(vn)、 多井智紀(vc)、 萩森英明(pf)

「蘇莫者」(1961) 木ノ脇道元(fl)

「呂旋法によるピアノのための3つの調子」(1987/91 第2.3曲は独奏版世界初演)
井上郷子(pf)

「音取、品玄、入調」(1987)
木ノ脇道元(fl)、神田佳子(perc)

 素晴らしいコンサートだった。

 松平頼則(まつだいら・よりつね 1907〜2001 Wikipedia)は、特異かつオンリーワンの作曲家だった。松平の殿様の家に生まれ音楽を志す。ところが実家の破産により一転。戦中戦後と極限の貧乏生活を強いられ、その中で独自の音楽語法を磨いていく。

 初期はドビュッシーからフランス6人組、特にプーランクを思わせる美しい和声と日本民謡が融合した音楽を書いていたが、1952年の「ピアノとオーケストラのための主題と変奏」が海外で演奏されたあたりから、作風が先鋭化していく。素材は日本民謡から雅楽へと移り変わり、作風もフランス風な優美な和声から12音技法に代表される前衛的なものへと急速に変貌していった。

 ちなみに「ピアノとオーケストラのための主題と変奏」は、よく知られた雅楽「越天楽」のメロディを変奏曲に仕立てたもの。ヘルベルト・フォン・カラヤンがその生涯で演奏した唯一の邦人作品となった。

 その後最晩年に至るまで、一貫して第二次世界大戦後の前衛音楽の技術と、雅楽とを結合した、他に類のない、「これは松平の曲だ!」としか形容のしようのない作品を次々に生み出していったのである。

 この日の演目は、やわらかな和声が美しい「フリュートとピアノのためのソナチネ」から始まって、フランス風語法の集大成である「ピアノ・トリオ」、そして前衛と雅楽を結合した晩年にかけての3作品というもの。

 どの演奏も素晴らしかったが、びっくりしたのは「ピアノ・トリオ」。
 美しく、洒脱で、なおかつ風格を感じさせる大変な傑作だった。この一曲を聴けただけでも行った価値があった。雅楽と前衛に近づく以前の段階で、これだけの傑作をものにしていたのか。

 後半は、フルーティストのセヴィリーノ・ガッゼローニが世界中で演奏しまくって有名になった「蘇莫者」から。前衛の極北のような厳しい音が連続する「呂旋法によるピアノのための3つの調子」が続き、締めが一番雅楽風の音がする「音取、品玄、入調」。

 「音取、品玄、入調」が面白かった。ピッコロが雅楽の龍笛、打楽器が鞨鼓を模していくのだけれど、もちろんピッコロは雅楽の旋律を解析した12音の音列だし、打楽器は、鞨鼓のアチェレランドの連打を思わせつつも柔軟に伸び縮みするリズムをたたき出す。前衛か否かとは全く別の観点から、「とても面白い音楽」だった。

 松平は、94歳でこの世を去る直前まで日々作曲を続けた。委嘱があるわけではなく、誰かが演奏してくれるあてがあるわけでもない。それでも喜々として作曲にいそしんだという。作曲は彼にとって仕事ではなく、生きることそのものだったのだろう。

 誰に頼まれるわけでもなく、オンリーワンの超絶的な音楽をエネルギッシュに生産し続ける作曲家というプロフィールは、どこか中井紀夫「山の上の交響楽」を思わせる。

 結果として、今なお演奏されたことのない曲がかなりの数残っているのだそうで、これは是非とも今後徐々にコンサートにかけ、録音を発売してもらいたいところ。かくも特異、かつ優れた作曲家の仕事が埋もれていていいはずがない。

 松平頼則については、今回のコンサートを企画した音楽評論家の石塚潤一氏が、精力的に紹介を続けている。

松平頼則を聴いてみませんか?:松平本人とその音楽の簡単な紹介
松平頼則が残したもの同pdfファイル:2002年度 <柴田南雄音楽評論賞>奨励賞。本格的な評論。
松平頼則と総音列技法(pdfファイル):松平が使用した音楽的な技法の一端を分析している。

 作曲家、特に真に新しい音楽を書く作曲家には、理解者、紹介者が不可欠なのだろう。バッハにメンデルスゾーンがいたように。マーラーにワルターやスプリングハイムがいたように。
 石塚氏の活動から始まって、もっと松平音楽が演奏されるようになるのを心から願う。

ピアニストの野平一郎氏による追悼文:死の直前まで旺盛な意欲で作曲をしていたというエピソードが披露されている。
 94歳でピアノ協奏曲を書き上げるというのは、信じがたいバイタリティだ。だって、89歳まで生きたストラヴィンスキーでも85歳以降はほとんど仕事をしていないし、“グランド・オールドマン”と尊敬されたヴォーン・ウィリアムズの最後の交響曲9番にしても死の前年、85歳の作なんだよ!
 ちなみにこの曲(ピアノ協奏曲3番)はいまだに演奏されていない。

 かつてのように「松平の音楽聴きたしと思へども音盤なし」という状況ではないが、それでも録音で聴くことができる作品は決して多くはない。

 松平入門の一枚としては、ナクソスの「日本作曲家選輯」に収録されたこの1枚ということになる。松平にとって音楽作法の転回点になった「ピアノとオーケストラのための主題と変奏」、そして雅楽と十二音技法を結びつけた代表作の「右舞」「左舞」が収録されている。
 「主題と変奏」はフランス風の和声を駆使した美しい音楽から、尖った前衛的音楽へと傾斜していく過程の曲で、作曲者としても色々と試行錯誤している最中だったのだろう。第5変奏ではなんと「越天楽」のメロディがブギウギのリズムで演奏される。松平がポピュラー・ミュージックのイディオムを採用したのは長い生涯でこれ一度きりだったが、今となっては越天楽からフランス風の優美な和声、ブギウギから十二音技法までというごちゃごちゃさ加減がなんとも面白い。
 一転して「右舞」「左舞」「ダンス・サクレとダンス・フィナル」は十二音技法の厳しい音が続く曲だが、音楽の基本形状が雅楽なので、前衛音楽という意識を持たずにするりと聴くことができる。

 ナクソスは、音楽のネット販売にも積極的であり、このアルバムもiTunes Music Storeで購入することができる。

Matsudaira Bugaku Dance Suite:iTMSへのリンク

 こちらは900円とCDよりも安いし、試聴することもできる。

 松平は最晩年、ソプラノ歌手の奈良ゆみのために多数の声の作品を作曲した。奈良は、ポルタメントを多用する特異な唱法の歌い手で、その歌声に惚れ込んだ松平はモノオペラ「源氏物語」、オペラ「宇治十帖」といった平安時代を題材にした大作を世に送り出していく(しかしながら「宇治十帖」は今なお上演されてはいない)。
 奈良は、松平作品のみを収録した2枚のCDを出しているが、ここではその「源氏物語」からの抜粋と、初期の日本民謡を素材とした歌曲を収めた盤を推薦する。特に南部民謡を素材とした「南部民謡集 第1集」は、松平二十代前半の若き日の作品でありながら、彼が人並み外れた鋭い和声感覚の持ち主であったことが分かる貴重な録音だ。
 「源氏物語」から抜粋したアリアをまとめた「朧月夜」では、奈良のポルタメント唱法を生かした、日本的でありながら“松平的”としか形容のしようがない、未知の音空間が現出する。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

2008.05.18

すべてのCDをポケットに

Ipod_cd

 3月末頃から、個人的なプロジェクトを少しずつ実行していた。

 「自分の持っているCDをすべてiPodに落とし込む」というものだ。

 1990年代の初め、ノートパソコンが市場に現れた頃から、「デジタル遊牧民」というコンセプトを漠然と考えていた。

 1986年に大学卒業旅行で行った北京の故宮博物館には、清朝歴代皇帝の肖像画があった。
 清朝は遊牧民の作った王朝だ。清朝貴族はやがて漢民族の文化に感化されて定住するようになったが、ファッションには遊牧民の習慣を残した。貴金属や玉をめいっぱい身につけて、肖像画のモデルとなったのである。
 移動し続ける遊牧民は、全財産を身につける。

 遊牧民の財産は宝玉。では、記者の財産は何か——当然のことながら自分の収拾した情報だ。

 ノートパソコンが出現した時、自分が持つデータをすべてノートパソコンに収めて常に持ち歩き移動するというライフスタイルがあり得る、と思ったのである。

 1990年当時でも、自分の書いた文章は持ち歩きが可能だった。1990年代半ばにはデジカメが出現して、自分の撮った写真を常時持ち歩くことも可能になった。1990年代半ばから、私はメインマシンをノートパソコンに切り替え、なるべく持ち歩くようにした。

 2001年、5GBの初代iPodが発売された。となれば、自分の持っているCDをすべて持ち歩き、聴きたいと思った瞬間に音楽を呼び出せたら素晴らしいのではないだろうか。

 2001年時点では、自分の収拾した音楽をすべて持ち歩くのは無理だった。保有するCDの数が多すぎた。

 128kbpsの圧縮音声も、聴いても分からない程度とはいえ、音声の質は悪化している。なにか「自分のビット資産が目減りする」ようで嫌だった。

 これはいけるかも、と思ったのは80GBのHDDを搭載したiPodが出た2006年のことだった。この時点でAppleは独自のロスレスコーデックもリリースしていたので、目減りなしのビット資産をiPodに詰め込めむことが可能になっていた。しかし、簡単な計算をしてみると、私の持つCDの枚数は、すでにAppleロスレス圧縮をもってしても、80GBには収まらないことが判明した。

 私はもう少し待つことにした。2007年9月、遂にAppleは160GBの容量を持つiPod Classicを発表した。世間では、同時発表のiPod Touchのほうが話題になっていたが、私にとっては「160GB」という容量のほうがよほどの大事件だった。

 半年ほど、買うたやめた音頭を踊った後、私はAppleの軍門に下った。


 私のPowerBookG4は、160GBのHDDを内蔵しているが、これでは容量が足りない。バックアップ用に1TBの外付けHDDを調達し、これまでバックアップに使っていた500GBの外付けHDDを音楽専用にすることにした。もちろん音楽データに関しても、最終的にはバックアップを作っておかなくてならないだろう。デジタルデータは、事故で一瞬にして失われる可能性がある。

 4月から5月にかけて毎日仕事の合間を縫って、デジタル化を進めていった。まいったのはCDの書誌データを集めたCDDBのデータが統一したフォーマットを持っていなかったことだ。CDDBは世界中のネットユーザーがボランティアで入力しているのだそうで、結果としてデータ・フォーマットはばらばらだ。例えば、作曲家の名前も「武満徹」「武満 徹」「Toru Takemitsu」「Takemisu, Toru」「Toru Takemitsu(1930-1996)」などなど。

 これらは自分の都合に合わせて入力しなおさなければならなかった。

Ipoddata
 1ヶ月以上の入力作業の後、私は自分のコレクションが160GBのiPodに収まりきらないことを発見した。30枚ほどの単品CDと全50枚以上の武満徹全集がはみ出してしまったのだ。256kbpsのAACに圧縮しておけば良かったのだろうが、そもそも圧縮音声は嫌だというところから出発しているので、いたしかたない。

 床の上に広げたCDの山のうえに、iPodを置くと、なんともいえない感慨に打たれた。これだけのCDを買うのに20年以上かかっった。それが今、ポケットに入る大きさのiPodの中にすべて入っている。20年分の記憶、「あの曲、この曲を聴いた時の自分」がiPodの中に入っている。

 音楽販売の形態が変わるわけだ。これだけのCDの山が、ロスレス圧縮ファイルでiPodに収まってしまうのだ。音楽コンテンツ販売の形態が変化しないと考えられるのは、よほど鈍感な人だけだろう。

 今、私はiPodを持ち歩いて音楽を聴いている。過去、気に入っていた曲も、突如思い出した曲も、すぐに呼び出して聴くことができる。
 こうなると、「懐メロ」という概念は消滅するのだろう。懐メロは、世間にその音楽が流通しなくなり、記憶からも薄れていって初めて懐メロとなる。いつでも思い出した時に、すぐに聴くことができるならばそれは懐メロではない。
 たとえ自分のiPodの中に曲がなかったとしても、オンラインストアからすぐにデータを買ってくることができる。オンラインストアに品切れはない。

 この先、ますますデジタル・ストレージの容量は大きくなっていくのだろう。自分の書いた文章、書籍、音楽、インタビュー音声、写真、動画像などを全て持ち歩く未来も、そう遠いことではないと思う。

 一つはっきりしていることがある。もしもAppleが320GBや500GBのiPodを発売したら、私は喜んで買うだろう。収まりきれないCDは残っているし、iPodにはデジカメ画像も収めることもできる。今現在2万5000枚、60GBを超えているデジカメ画像をも、できれば私はiPodで持ち歩きたいと思っている。
 250GBのHDDレコーダーに入っているテレビ番組の録画を加えるならば、ストレージの容量はいくらあっても足りない。

 データを吸い出した後のCDは、お気に入りの数十枚を除いて段ボール箱に詰めて押し入れにしまった。これ自身がバックアップ最後の砦というわけだ。本棚は大分空いたのだけれども、空の本棚を眺めつつ、私は「これでまたCDが買える」などと考えているのであった。

 さあ、SACDプレーヤーを買って、次はSACDを集めるかな。

 というわけで、iPod160GB。圧縮音声でいいと割り切れば、ほとんどの人は自分の所有するすべてのCDの音声データを持ち歩くことができるだろう。

良いSACDプレーヤーはないかと捜して、このパイオニアのDV0-800AVに行き着いた。デジタル時代に入り、AV機器の音質は、ますます価格に依存しなくなりつつある。
 これはいい、と買おうとしたものの、どうやらそろそろ次期モデルが出るらしい。というわけで、私は今、アマゾンで買うたやめた音頭を踊っているのです。

| | Comments (9) | TrackBack (0)

2008.04.07

書籍紹介:「音盤考現学」(片山杜秀著)

 音楽評論家の片山杜秀氏の本「音盤考現学」が出た。主に明治以降、日本人が西洋音楽と格闘し、作り上げてきた音楽について縦横無尽に語っている。

 本日読了。これが無類に面白かった。

 コンテンツが社会においてコンテンツとして機能するためには、「そのようなコンテンツが存在する」ということをある程度の数の人が知っていなくてはならない。
 知られていない情報は存在しないのと同然だ。J-POPの存在を知らない人は、そもそもJ-POPを聴こうとはしないし、「誰か他の歌手」と聴き進むこともない。

 この点でクラシック音楽はその他の音楽に比べて決定的に不利である。まず一曲一曲が長い。音楽の理解には繰り返し聴くことが必須だが、一曲が長いと自ずと繰り返しの回数は減る(マイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」の冒頭は、映画「エクソシスト」のテーマ音楽となったので誰でも知っているだろう。では、あの素晴らしい「アンド・チューブラー・ベルズ!」というナレーションと共に高揚する第一部のラストはどうだろうか)。

 多くの人々に耳に音楽を届けるためには、テレビ・ラジオのような放送メディアでのヘビー・ローテーションが有効だが、曲が長ければローテーションの回数も減る。もちろん放送メディアは商業メディアであって、番組の枠を超えるような長い曲をそうそうかけることはできない。
 繰り返しができないから、ヘビー・ローテーションがかからない。ヘビー・ローテーションがかからないから、ますます知られない。知られないから、ヘビー・ローテーションにはならない。じり貧だ。

 ましてや邦人のクラシック系の曲となると状況は絶望的である。伊福部昭の音楽が人口に膾炙するまでに、ゴジラをはじめとした多数の映画音楽、そして30年近い時間が必要だった。

 従って、この分野は音楽評論家の役割が非常に大きくなる。単に演奏がいいとか悪いとかではない。その曲の魅力を的確にえぐり出し、知識のパースペクティブの中に曲を位置付け、読者を「この曲を聴いてみないか」と誘惑する、メフィストフェレスのような評論家が。

 片山氏の文章は、読者に対して「ほーら、これは面白いよ、聴いてごらん」と誘惑する力が非常に強い。その力の一部は、彼自身が邦人作曲家の音楽が大好きだという熱意にある。なにしろナクソスの「日本作曲家選輯」では、目が爆発するほど小さな活字にもかかわらず、CDケースが破裂するようなぶ厚いブックレットが必要になる、長大な解説を毎回書いているのだ。

 しかし、それ以上に重要なことは、彼が蓄積した膨大な知識だ。一つ一つはトリビアとしか思えない知識を組み合わせ、あっと思わせる構図を描いてみせるのである。

 團伊玖磨のオペラ「ひかりごけ」に刻印された三島由紀夫の姿を読み解いてみたり、東宝映画「大阪城物語」に伊福部昭がつけた音楽から、明治のお雇い外国人ルルーが作曲した「分列行進曲」を読み取り、その上で日本近代史において「分列行進曲」が表象したイメージを語り…あるいは社会主義リアリズムと戦前の大日本帝国が作ろうとした「国民詩曲」を並べて、その中に外山雄三を位置付けてみたり——片山氏の筆は縦横無尽に飛び回る。そして気が付けば「おおお、この曲が聴いてみたい」と思わされているのだ。

 思い出せば、私が邦人作品を聴き始めた30年以上昔、何人もの優れたメフィストフェレス的評論家が筆を振るっていた。

 札幌で同級生だった伊福部昭を作曲の道に引き込んだ“特大のメフィストフェレス”三浦淳史は、まだまだ現役で記事を書いていた。武満徹を語らせてはピカイチの秋山邦晴も元気だった。船山隆と武田明倫は新進の評論家だったし、ラジオをつければ柴田南雄がとつとつとしゃべっていた。私は彼らの文章を読み、ラジオ解説を聴き、NHK-FMの「現代の音楽」をエアチェックした。

 その後、しばらくの間、メフィストフェレス的評論家の系譜が絶えていた(そういえば秋山邦晴の訃報を、私は種子島でH-IIロケット4号機を見送った日に聞いたのだった)。

 さあ、片山杜秀という久し振りに出現した“特大のメフィストフェレス”の語りを読んで、「うう、この曲が聴いてみたい」と身もだえしてみよう。私がせっせと音楽を聴き進めていた30年前に比べれば、状況は大分良い。大抵の曲は、アマゾンでクリック一発。アマゾンになくとも、ほぼ間違いなくTower RecordやHMVには在庫がある。ものによってはiTunes Music Storeで見つかるだろう。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

2008.04.03

【ニコニコ動画】かっとなってやった…わけではないけれど【初音ミク】

 「初音ミク」を衝動買いしてから半年以上、やっとこさ一つ形にしてニコニコ動画にアップした。

 私がもたもたしている間に野尻抱介さんは、ばんばんニコ動に投稿してウケを取っていた。それをうらやましいと思いつつ、自分の立場だと著作権的にアレなことはちょっとできないしなあ、などと言い訳をしていたのだった。あちこちで「『初音ミク』買ったんだって?で、何やってんの?」と言われたりもした。

 これでもう言い訳もなしだ。

 ここはやはり、テンプレート発言をしておくべきだろうな。

「かっとなってやった。後悔していない」

 実際にはかっとなってやったどころか、17年物のそれこそ古酒のようなものではある。古酒というほど“うまい”ものではないが。

 20代後半から30台初めの頃、心にひかかった詩にちょこちょこと曲を付けていた時期があって、その中でまあましかな、と思える曲なのだ。今回のことで楽譜を引っ張り出したら1991年3月と書いてあった。20代最後の年、日経エアロスペース勤務が4年目になって、「俺、宇宙ばっかり取材していると偏った記者になっちゃうんじゃないかなあ」なとと考えていた時期だ。後に自分がもっと偏った道を突き進むことになるなどとは思ってもいない。

 それにしても、「初音ミク」はもちろんのこと、パソコンでさくさくとビデオ編集はできるわ、ピアプロに参加する皆さんがイラストをアップしてくれているわ、もちろんニコ動のような発表場所はあるわ——便利になったもんだなあ、とつくづく感じ入ってしまった。それもこれも半導体技術の急速な進歩あってのことだ。ムーアの法則万歳!

 実のところ今回のアップも、歌詞において著作権的にアレな部分が残っている。それでもここしばらくのニコニコ動画の動きを見ていて、なにもかもを杓子定規に考えるのではなく、むしろ柔軟に行動したほうが良い結果を生むのではないかと考えるようになった。

 こういうものは考えるだけではダメで、実際に自分が動きの中に入ってみて、あっちうろうろ、こっちうろうろしなくては本当のことは分からない。もちろん面白くもない。

 というわけで、詩人の中本道代さんについてご存知の方、おられましたらご一報下さい。

 曲はまだいくつかあるので、そのうちにまたアップするかも知れません。こんな青春晩期の残渣がネット・コンテンツのにぎやかしになるのだから、愉快だね。

 一方野尻さんのほうは、さっさと先に進んでいて、SFマガジンに書いた短編「南極点のピアピア動画」を題材に、ネット上でコラボレーションを展開している。こういうところは、かなわないな。じゃんじゃんやってください。


| | Comments (6) | TrackBack (0)

2008.03.03

伊福部の「管絃楽法」、復刊!

 音楽好きには大ニュース。長らく絶版だった伊福部昭「管絃楽法」が復刊された。

音楽之友社HPの紹介

 作曲においてオーケストラの各楽器にどのような音を担わせるかという作業をオーケストレーションという。オーケストレーションにあたっては、それぞれの楽器の音域から始まって、音域毎の音色の特徴、発音原理や運指などから来る限界、さらには複数の楽器を組み合わせたときに得られる効果などを熟知している必要がある。

 そのようなオーケストレーションに必要な知識をすべてまとめた教科書的な本が、この「管絃楽法」だ。

 自らも魔法のようなオーケストレーションの腕前を持つ伊福部が、第二次世界大戦中、二十代の頃にから構想し、戦後執筆を開始。最初の判は1958年に出版され、15年後の1968年の改訂時にこれを「上巻」として、新たに下巻を加えて完成したという、とてつもなく時間を掛けた大著である。

 オーケストレーションの教科書は、古くはベルリオーズやリムスキー・コルサコフのものから、近代ではウォルター・ピストンのものなど各種ある。伊福部の「管絃楽法」は、それらの中にあっても、最高峰と評価される名著なのだ。

 今回の復刊にあたっては、著者自身が死の直前まで校訂し、その後伊福部門下が作業を引き継いだとのこと。上下二巻だったものを一冊にまとめると共に、内容をが一部追加されている。

 「専門的な教科書を紹介してどうする」と言われそうだが、私は買う。高い本だがそれでも買う。長年捜して、これまで手に入らなかった本だから。

 作曲家になりたくて勝手な音符を書き散らしていた高校生の頃、この本が読みたかったのだ。結局手には入らず、私は全音のポケットスコアに入っていた諸井三郎による薄っぺらい「スコアリーディング」に載っていた各楽器の音域表を頼りに、オーケストラの曲を書こうとしたものだ。もちろんものになるはずもなく、あの頃書いた音楽まがいの楽譜は後で全部棄ててしまった。

 大学に入ってからも、この本は見つからず、代わりにウォルター・ピストンの本を買った。だからといって、自由自在に作曲ができるようになるわけではなくて、結局私は理工学部を出て記者になり、今は皆さんがご存知の通りである。

 それが今になって、この本が買えるようになるなんて…複雑な気分ではあるが、なんと幸せなことだろうか。

 音大作曲科の学生なら買うべし、伊福部ファンなら買うべし。そして——

 ニコニコ動画あたりに初音ミクで投稿していて、なおかついつかはシンセの代わりに本物のオーケストラをがーんと鳴らしてみたいという野望を持っている人は買うべし。覚悟を決めて買うべし。そして、伊福部が書き残した技術を、知と情の両面で喰らい、咀嚼嚥下すべし。


 
 伊福部の技術が、「管絃楽法」に詰まっているとするなら、伊福部の精神はこの「音楽入門」に凝縮されている。本来はクラシック音楽初心者のため平易な入門書として企画された本だが、出来上がってみれば伊福部の音楽芸術に対する態度がはっきりと現れた本になった。1951年初版なので、まさに「管絃楽法」を執筆している最中に書かれた本である。
 「2万5200円なんて高い本、しかも音大生用教科書なんて買えるか!」という人はこちらの本を読もう。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2008.01.17

知っていることと知りたいこと、知らないこと

 12月の話だが、日経新聞の先輩Tさんと忘年会をした。科学技術報道の先輩なのだが、昨年、ひょんなことから2人ともクラシックファン、しかもショスタコーヴィチが好きということが判明し、「一度飲みますか」ということになった。

 昨年11月から12月にかけて、記念碑的コンサートが開催された。指揮者の井上道義がショスタコーヴィチの交響曲、全15曲を8回の連続演奏会ですべて演奏したのだ。

「日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト」

 私はこれにすべて通った。Tさんも仕事が許す限り通った。「いやあ、すばらしかったね」とワインを飲みつつ盛り上がる。

 話は、テレビドラマやアニメで盛り上がっている「のだめカンタービレ」へと流れた。

「松浦さんねえ、クラシックの側から見た『のだめ』の功績って、ベートーベンの7番を一般に知らしめたことだと思わないか」

 ここでいう7番というのは第7交響曲のこと。5番の「運命」、6番の「田園」に続く曲だが、前2曲のようなニックネームを持たない。

「そうですねえ。みんな『運命』も『田園』も一応知ってますけれど、その次の7番を聴いたことがある人は意外に少ないですね」
「良い曲なんだけどねえ」
「大傑作ですよ。あのリズムの取り方はベートーベンが書いたロックとかダンスミュージックとか、そうといってもいいでしょ」

「本当になあ」
と、Tさんが言う。
「みんな知っているものは知りたがるんだ。知っているのに聴きたがるんだ」
「そして知らないものは聴きたがらない。知りたがらない」と私。
「5番の『運命』はじゃじゃじゃじゃーんで知っていて、6番の『田園』はたーらーたーたーららたったーで知っている。でも次に7番があるなんてことを思いもしない」
「ちゃんと9番『合唱』があることは知っているのにね」
「そうなんだ」
「8番も知られてませんね。いい曲なんですけどね」
「他人事じゃないよなあ。僕らの仕事も同じだ。知っていることしか知りたがらない人たちに、知らないことを伝えて行かなくちゃならない」

 2人でため息をつく

 Tさんはずっと科学技術報道に携わってきた。私は今、宇宙分野で物を書いてどうやら生きている。「人間、知っていることしか知りたがらない」というのはまったくもって実感だ。

 人間は本質的に保守的な生き物だ。知っていることを確認して安心することを好む。新しいことを知って楽しむ「好奇心」という属性も持っているが、どちらかといえば「知っていることだけを、知る」傾向の方が強い。

 例えばベートーベンの第5交響曲、通称「運命」だが、冒頭の「ジャジャジャジャーン」は知っているとして、あの曇天から晴れ間がのぞくような第2楽章のメロディを思い出せる人はどれぐらいいるだろう。なかなか格好良い第3楽章のフーガは、あるいは第3楽章からトンネルのような暗い接続部を経て、昂然と鳴り出す晴れやかな第4楽章の冒頭はどうだろう。
 知らないとしたらなぜ知らないのか。興味がないのか。「この道はどこに続いているんだろう」と同じような、「このメロディはどこにつながっていくのだろう」という好奇心がなぜ働かないのか。

 そう、たとえ冒頭の「ジャジャジャジャーン」を知っていても、その続きに好奇心が働く人はわずかだ。曲の全体にベートーベンが込めた深い創意にたどり着く人は、「クラシックマニア」と呼ばれてしまう。

 あるいは、「歓喜の歌」の第9交響曲。あのメロディは覚えているとして、では付点付きのリズムが力強い第1楽章冒頭はどうか。ティンパニのオクターブ跳躍が付点付き音符の3拍子で響く第2楽章は、あの天国的な平穏さに満ちた第3楽章は。あなたは覚えているだろうか。きちんと聴いているだろうか。
 ひょっとして、「あのメロディが出てくるまで退屈でたまらん」とか言って、演奏会に行くと寝てはいないか。そして第4楽章のバリトンが「おお友よ」と歌い出すところで、「やあ、そろそろだ」と起き出して、すでに知っているメロディを聴いてはいないか。

「だってつまらなそうだから」という人もいる。そんな人でもベートーベンが楽聖と呼ばれる存在であることは学校で習っていたりする。
 楽聖とまで呼ばれる男が全力を尽くして作った作品が面白いかつまらないか、試してみる。それだけの好奇心が働く人は、数少ない。

 知られていないから、皆知りたがらない。だからますます知られない――クラシック音楽はいつもこんなマイナスのスパイラルと戦っている。

 そして科学報道も。

 知らないものを知りたがらない人々に、新しい物を知らしめる方法は存在する。マスメディアでヘヴィ・ローテーションをかけて、無意識のうちにその情報にふれている状態を作り出す。つまり、知らないものをいつのまにか「知っていること」に割り込ませてしまうのである。

 音楽業界ではよく使われる手法だ。テレビドラマの主題歌タイアップというのもこの手法の一つである。ドラマを見ている人に、音楽を刷り込んでしまうわけである。

 しかし、科学報道で同じ手法は使えない。結局、Tさんも私も延々と匍匐前進を続けるしかないのだろう。

 「のだめ」でベートーベンの7番を初めて知った方は、ぜひともCDを買って7番の全曲を聴いてもらいたい。とても楽しい曲だから。あなたは、音楽を楽しむにあたっての、すばらしいチャンスを手に入れたのだ。

 その上で、できれば同じベートーベンの8番とか(冒頭、弦楽器が「あーくたびれたー」と演奏を始める。本当だよ!)、あるいは最終楽章でファゴットが超絶技巧を発揮する4番など聴いてみてもらえれば… ちょっとばかりうれしいね。

 ベートーベン7番だが、ここではベタにカラヤン・ベルリンフィルの1983年録音盤を推薦しておくことにする。クラシックファンはうるさ方が多くて、「カラヤンなんて流麗なだけで中身がない」という人も多いのだけれど、私はカラヤンの演奏をバカにしてはいけないと思う。
 流麗に演奏するのは実のところとっても難しいのだ。最初に聴く人には、彼のような演奏のほうがなじみやすいのではないだろうか。

 もう一枚、カラヤンと同時期に活躍したカール・ベームが壮年期に入れた録音を。この録音ではそうでもないのだけれど、晩年になるにつれてベームの演奏は、音楽の本質のみを取り出した、それこそ「音楽の骨格」としか言いようのないものになっていった。最後の来日時に演奏したチャイコフスキーの「悲壮」、私はNHKの放送でしか聴いていないけれど、あれはすごかった。本来ふくよかなはずのチャイコフスキーの音楽から、柔らかな表情が一切そぎ落とされ、ホネホネの厳しい、しかし音楽の本質だけが結晶したかのような響きだった。
 一説によると、最晩年になって体が動かなくなり、どんどん不明確になっていったベームの指揮棒に、オケが必死になって合わせていった結果そんな音楽になってしまったそうなのだが、本当にそうなのか、私は知らない。

 クラシック系の音楽は、知られていないが故に知られない、ということを実証した曲。ポーランドの作曲家ヘンリク・ミコワイ・グレツキの「交響曲3番・悲歌のシンフォニー」。1976年に作曲された。全3楽章で、ソプラノの独唱が付く。すべての楽章がゆっくりとしたテンポで、人生をおそう悲しみを歌う。第2楽章の歌詞は、ナチスの収容所の壁に残された犠牲者の言葉だ。巨大で、悲しく、最後に淡いなぐさめを感じさせる美しい曲である。
 この地味な曲は、傑作ではあるがそのままでは忘れ去れて終わりだったろう。しかしイギリスのとある放送局が番組のテーマ曲として、第2楽章をヘヴィローテーションしたところ、欧州を中心に人気が爆発し、1980年代半ばには世界的な大ヒットとなった。ウィキペディアにも一項目が立っているほどだ。
 そうだ、傑作はいつだって存在するし、聴かれるのを待っている。知っていることしか知りたがらない私たちの耳は、数多くの傑作を忘却の森の中に置き去りにしているのだろう。

| | Comments (9) | TrackBack (1)

2008.01.01

初音ミクと原盤権

 あけましておめでとうございます。もう何年も前に年賀状を出すのを止めてしまったので、ここでの挨拶が生存証明となります。

 2008年が皆様にとって良い年でありますように。


 初音ミクを巡る、今回のドワンゴの対応で、ずっと気になっていたのは「ドワンゴは、原盤権をどう扱おうとしていたのか」ということだった。

 12月25日付のドワンゴ・ミュージックパブリッシングとクリプトン・フューチャー・メディアの共同メッセージで、この件は以下のように明快に記載された。

2 「初音ミク」ソフトウエアを使用して作成された音楽データ(原盤)に関する権利は、「初音ミク」ソフトウエアの使用許諾契約書の諸条件のもと、音楽データ(原盤)の制作者が保有することを確認し、その権利行使代行会社を制作者自身の意思により決定することができることを確認します。

 すばらしい。誰がこの条項を入れるよう主張したかは分からないが、この条項ひとつをとっても、ネットの音楽事業をきちんと理解した上で、共同メッセージが作成されたことが分かる。

 私がこの分野を取材していた8年前の段階で、すでに音楽のネット配信では、原盤権を誰が保有しているかが死命を制するということが、業界の常識となっていた。
 
 とりあえずは、ここで原盤権について解説しておくことも無駄ではないだろう。

 例によって8年前に取材し、勉強した事項なので、誤りがあったならばコメント欄での指摘をお願いします。

 結論を先に書いておくと、今後自作の曲を商用利用に出す方は、間違っても契約相手に原盤権を渡してはならない。
 著作権のJASRAC管理が、「その曲を色々な人が利用すること」を制限するものなら、原盤権の譲渡は「自分が完成させた音を、自分の意志で扱うことができなくなる」ということを意味する。

 著作権の周囲には様々な権利がくっついている。原盤権というのはそれらのうちの一つだ。

 まずはWikipediaの原盤権を読んでみよう。「原盤権(げんばんけん)は、一般に音楽を録音・編集し完成した音源(いわゆる原盤、マスター音源)に対して発生する権利のこと。」とある。

 音楽の場合、作詞家が詩を書いて作曲家が曲を付けても、それだけでは聴衆の耳に届かない。まずは実演家が演奏する必要がある。
 ライブならそれでおしまいだが、レコード(CD、音楽配信)ならば、録音を行い、録音技術者が様々な調整を行って、複製可能なマスターデータを作成する必要がある。

 このマスタデータを自分の意志でどうこうする権利が、原盤権だ。原盤というのは、アナログレコード時代、レコードを作成するための最初のマスターのことを原盤と呼んだことに由来している。

 原盤権の保有者は、自らの意志でそのデータをCDにして販売したり、送信可能化権を行使してネット配信したりすることができる。その場合、著作権者の了解を得る必要はない。
 もちろん著作権者に対して著作権料の支払いは生じる。しかし著作権者が、原盤権保有者に対して、例えば「その録音は若気の至りだから再発売するな」「自分はネットを信用していない。ネット音楽配信するな」というような要求をすることはできない。

 従来、原盤権は音楽出版社、つまり各アーチストが所属する音楽プロダクションが保有することが多かった。これは、レコードの企画と制作の手配を音プロが行っていたかららしい。
 その昔は一般的に、音プロがレコード会社に企画を売り込み、録音の段取りを行い、セッションを用意してからおもむろに看板歌手がスタジオにやってきて録音し、録音をマスタリングするという手順でレコードを作っていた。

 ところがそのうちに、原盤権の重要性に気が付くレコード会社が出てきた。一番最初に原盤権の重要性に気が付いたレコード会社は、ソニー・ミュージック・エンタテインメント(SME、現ソニーBMG・ミュージックエンタテインメント)だったと記憶している。同社の社長を務めた丸山茂雄氏(現247music社長)が、アーチストとの契約の際に「原盤権はSMEが持つ」という条項を入れるようにしたのだった。

 余談だが、丸山氏はJ-POP草創期に主にロックの分野で活躍したプロデューサーだった。取材していて「この人は信用できる」と思えた数少ない業界人の一人である。
 丸山氏の先見の明で、原盤権を押さえたソニーは、そのまま音楽ネット配信事業の勝者となってもおかしくはなかった。しかし実際にはOpenMGのようなおよそユーザーフレンドリーではないコピープロテクションに走ったあげく、CCCDの導入でユーザーの総スカンを食らってしまい、AppleのiTunes Music Storeの後塵を拝する結果となった。
 その過程で丸山氏はSMEを退社し、247musicを設立した。何があったのだろうか…

 そのSMEのやり方を真似たのがエイベックスで、こちらも原盤権を会社が持つというやりかたをとっている。エイベックス——今回の初音ミク騒動の一方の当事者であるドワンゴの筆頭株主である(1/2記:「親会社」を「筆頭株主」に訂正しました)。

 今回の初音ミクを巡る動きの中で、当初ドワンゴは原盤権を押さえるつもりでいたに違いない——などと主張するつもりはない。それは出来の悪い陰謀論だろう。

 それでも、私は今回のドワンゴ、クリプトン間の合意の文面で、エイベックス流の「原盤権よこせ」ではなく、「音楽データ(原盤)に関する権利は、「初音ミク」ソフトウエアの使用許諾契約書の諸条件のもと、音楽データ(原盤)の制作者が保有することを確認」と、はっきり原盤権がそれぞれの作者にあることが明記されたことは大きな意味があると考える。

 初音ミクのオリジナル曲の場合、作者が作詞作曲から、最終的にリスナーの耳に届く音データに至るまでを制作している。音プロがレコードを企画して、歌手が乗っかるだけというのとは根本的に事情が異なる。
 自分の曲をどうネットで配信すべきかは、レコード会社が決めることではない。
 それぞれの作者が、自分の保有する原盤権に基づいて決めるべきことだろう。

 ちなみに、丸山氏とは別の方面から、原盤権の重要性を主張していた人物がいた。シンセサイザーで有名な冨田勲氏だ。私が音楽配信の取材に従事していた当時、氏は「原盤権はクリエイターが持つべき」とあちこちで発言していた。

 その事情はJASRACのHPに掲載されたこの記事にある通りだ。ムーグ・シンセサイザーによる最初のアルバム「月の光」のレコードを出すにあたって、レコード会社のRCAは2つの条件を提示した。原盤権をRCAで買い上げるというものと、原盤権は冨田氏が持ち、印税形式で報酬を受け取るか、だ。原盤権の買い取り価格はかなり高額で、借金をしてまでシンセサイザーを購入していた氏は相当悩んだそうだが、自分で原盤権を保持する方を選んだ。

 トミタ・シンセサイザー・ミュージックはその後、世界を席巻し、その原盤権は冨田氏に大きな収入をもたらすと同時に「サウンド・クラウド」のような大きなイベントを開催するための礎となった。

 「月の光」も冨田氏ひとりがゼロから作り上げたものだった(ドビュッシーは1918年に死去しており、その著作権は1968年末日で切れている…と思ったのだが、日本の場合戦時加算で10年以上延びていたのだった。このあたりどのような権利処理をしたのだろう?)。その意味では、初音ミクオリジナル曲と、状況は似ていると言えるのではないだろうか。

 ワルター・カーロスの「スイッチト・オン・バッハ」がシーケンサーによるテクノ音楽に繋がったとしたら、ドビュッシーをフィーチャーした「月の光」は、未だかつて存在し得なかった新たな音色を創造するという方向への第一歩だった。発売から30年以上を経て、今なお新鮮に響く名盤である。未聴の方は是非是非。


| | Comments (7) | TrackBack (0)

2007.12.28

初音ミクとJASRAC

 初音ミクと日本音楽著作権協会(JASRAC)の話。

 8年前の取材経験に基づいて書くので、事実誤認が紛れ込むかもしれない。それでも記者として知り得たことはネットに還元しておいたほうがいいと判断するので、以下書いていきます。
 間違いに気が付いた方は、コメント欄で指摘して下さい。

 「カスラック」という蔑称に代表されるように、ネットにおけるJASRACの評判は極めて悪い。

 例えばJASRACは「放送通信融合」の敵か味方か--菅原常任理事に聞くというCNET Japanの記事に対するはてなブックマークの反応を見ると…「JASRACの負の部分が凝縮された、ある意味永久保存版の記事。見識の無さをここまで披露してくれてありがとうと言いたい。」「ラスボスらし過ぎるwww」「そりゃ日本の音楽が衰退していく訳だわ」などなど、JASRAC非難のオンパレードだ。

 ただし、ここで注意しなくてはならない。JASRACのような組織がないと立ち行かないこともまた存在する。

 例えば日本人作品に対する海外からの権利金徴収だ。JASRACは世界各国の音楽著作権管理団体と協定を結んで、日本での海外作品の著作権料を送金すると共に、海外からの著作権料を受け取り、国内の権利者に分配している。このような業務はJASRACのような組織でなくては難しい。

 初音ミクと終わりのはじまりに付いたぴょんきちさんのコメントにあるように、JASRACがあることでルールが明確化され、フェアユースが可能になる案件も存在する。

 それでは、なぜJASRACがかくもネットで嫌われるのかといえば、ネットが出現したことにより、これまで存在し得なかったような新たな創造的な場が出現しつつあることに対して、従来の著作権の考えをそのまま拡張し、押しつけようとしているからだろう。

 つまりJASRACは新たなテクノロジーの出現に対して、どのように対応すれば、よりみんなが音楽を楽しむことができるようなるか」という発想ではなく、「従来の著作権の考えに、いかにしてネットのような新しい媒体を組み込むか」という発想しか持てないでいるのだ。

 その背景はCNET Japanの記事に現れていると、私は思う。

 この記事の中で、菅原瑞夫常任理事は、徹頭徹尾、お金の話しかしていない。CNET Japan側がインタビュー内容を取捨選択した可能性もあるが、読んだ印象では「金に関する部分の話が圧倒的に多かったのでそこを中心にインタビュー記事を構成した」のではないかと思う。

 菅原理事がお金の話しかしていない理由を私なりに推察すると、菅原理事が、事務方出身だからではないだろうか。

 JASRACの議決機関、そして組織図を見てもらいたい。なぜか会長と理事長が存在し、総会、評議員会、理事会と3つの議決機関が存在している。総会は言ってみれば株主総会のようなものだから、ここでは除こう。日常的な意志決定は評議員会と理事会が行っている。

 実はJASRACの意志決定のシステムは二重底になっている。会長と評議員会は会員、つまりクリエイターや所属する法人の関係者で構成される。

 一方、理事長と理事会は事務方、つまりクリエイターだけではなくJASRACの社員も入って構成されている。定款によると最大29人以内とされる理事のうち、18人以内は評議会で選ばれるクリエイターだ。しかし実際問題として、理事の中から理事長が選ぶ常務理事及び常任理事が強い力を持っている。これらの席はほとんどJASRAC社員、つまり事務方が占めている。


 定款を見るとそれぞれの議決機関の役割分担が書いてある。簡単に言うと、クリエイター側の評議員会はお金の分配方法を決め、一方事務方主導の理事会は、お金の徴収方法を決定している。
 とはいえ1つの組織に2つの意志決定の仕組みがあるので、そこには力関係が存在する。

 ここからは8年前に取材していた時の実感となる。実際問題として、理事会と評議員会とのどちらが力があるかというと、圧倒的に理事会だった。
 まず、クリエイターの集まりである評議員会は、まとまらない。もともと一匹狼気質の強いクリエイターが集まるのだから、議論百出でまとまるものもまとまらなくなるのが当然だ。

 さらに、クリエイター側には、演歌関係者とそれ以外という内部対立も存在する。いわゆる古賀問題だ。

 JASRACは1994年に新橋から現在の代々木上原に移転した。その時に、JASRACから古賀政男音楽文化振興財団へ、ビル建設費用78億円が無利子で融資され、しかも完成後のビルにJASRACが入居したのだった(このあたりこのあたりを参考にしてほしい)。現在、JASRACと同じ敷地には古賀政男音楽博物館が入っている。

 私も詳細は知らないのだが、8年前に関係者から聞いた時の口ぶりでは、先生-弟子の人間関係が非常に強い演歌関係者が「古賀先生のために」と、JASRACの資金を一部理事の協力を得て、その他のクリエイターに無断で古賀政男を記念する施設を作るために、不明朗ななあなあの意志決定で使ってしまったらしい。当時、カラオケ施設からの著作権料聴取が進み、演歌関係者はかなり潤っており、同時にJASRACでの発言権も増していた。

 演歌以外からすれば「俺たちの著作権料をなんてことに使ってくれたんだ」ということになる。このことは、演歌とそれ以外のクリエイターの間に深刻な対立を引き起こした。結果、ただでさえまとまらない評議員会は、ますますまとまらなくなってしまった。

 さらに困ったことに、演歌関係者の多くは技術革新に見事なぐらいに疎かった。つまり評議会で「新たなネット社会に合わせた著作権のあり方を考える」としても、かなりの勢力を持っていた演歌関係者は「なにそれ? そんなこと必要なの?」状態だったのだ。

 ちょうど私が取材していた頃は、「こんなことではいけない」と、カシオペアの向谷実さんや、「うる星やつら」の音楽で知られる安西史孝さんなどが、評議員として活動を開始した時期だった。しかし、今のJASRACを見ると、どうもこの活動はなかなかうまくいかなかったように思える。

 クリエイター側がこのような状態である一方で、事務方が力を持つ理事会は、基本的な体質が官僚である。つまり「権限を大きくする」という意識が先に立ち、事業目的にある「音楽の著作物の利用の円滑を図り、もって音楽文化の普及発展に資する」という部分への配慮が足りない。

 権限第一の官僚的思考をJASRACに当てはめると、著作権の強化もネットからの徴収も、JASRACに集まる著作権料を増加させるので組織にとっての正義であるということになる。「取ることは、著作権者のためだ、その分著作権者にお金が回るのだから正義である」という大義名分もある。

 この結果、JASRACは「取れるところからどんどん取る」というコワモテ体質になってしまい、今やネットでカスラックと罵られるようになっている——これが私の現状判断である。

 今回の初音ミクの問題をJASRACとネットの関係で見ると、「ネットに出現した新たな創造の場をどう見るか」という問題に帰着するように思う。JASRACの事業目的に「音楽文化の普及発展に資する」とある。ネットに対してこれまでのやり方を押しつけるだけでは、事業目的に違反することは明らかだ。JASRACは、どう振る舞うことが音楽文化の普及発展に資するのかをよくよく考えたほうがいい。

 それが絵画であれ音楽であれ、創造は模倣から始まる。模倣無くして創造はあり得ない。今、ネットに誕生しつつあるのは模倣と相互評価による世界規模の切磋琢磨の場ではないだろうか。
 私には、これを著作権を楯にして、潰していいとはとても思えない。

 菅原理事は、CNET Japanのインタビューで、「切り貼り”は創造にあらず」などという、不見識をさらしてしまっている。引用とコラージュが現代芸術の一大問題であることを、音楽に関係する組織の管理職が知らないとしたら、それは職務怠慢ですらある。

 一つ、私が希望を見るのは、現在の理事長が加藤衛氏であることだ。この人は文部官僚の天下りではなくJASRAC生え抜きで、私が取材していた頃は理事になったばかりだった。かなりのやり手であり音楽書誌の電子データ化やオンライン登録・徴収システムの整備に積極的に取り組んでいた、
 当時は記者会見などで唯一まともなことを言う理事という印象だった。この8年間、彼が気骨を貫いていたら、あるいは良い解決法を打ち出してくれるかもしれない。

 まあ、加藤理事長が今のコワモテの姿勢を指示している可能性も否定はできないのだけれども。このあたりは、現在取材をしていないので、私にはなんとも言えない。

 なお、JASRACの評議員会の様子は、作曲家でヴァイオリニストでもある玉木宏樹氏のホームページ内の、音楽著作権のJASRAC問題というページで、そのいくらかを知ることができる。

 以下は余談。本題とは関係ないのだが、JASRACに関連して思い出したので、備忘録としてここに書き記しておく。

 JASRAC60周年のパーティでのことだ。何日だったかは忘れたが、1999年11月15日にH-IIロケット8号機が打ち上げに失敗した直後だった。

 ホテルオークラの大きな宴会場には、音楽関係者だけではなく官僚も政治家も来ていた。当時、JASRACの理事長は文部省からの天下りの加戸守行氏(理事長を退任後、愛媛県知事選に出馬して当選)から、小野清子氏に変わったばかりであり、パーティは新理事長のお披露目も兼ねていた。小野理事長の横には風船を付けたJASRACの職員が付いていた。風船は、新理事長に挨拶に来る人に居場所を知らせる目印で、似たような風船は、会場に集まった文教族の政治家の後ろにも立っていた。

 当時取材で付き合いのあったとある音楽プロの社長が、理事長の風船を指さして声を潜めて言った。

「見なさい。いくらオリンピックで銅メダルを取った体操選手だからと言って、音楽のことが分かっているわけではない。まるで無知ですよ。誰か偉い人が言ったんでしょう。『JASRACあたりで次の選挙まで腰掛けしておきなさい』って。ふざけてますよ!」

 小野清子理事長はその前年の参議院選挙で落選し、浪人中の身だった。就任当初は「腰掛けではなく3年の任期を全うする」と発言していたが、2001年には選挙に出馬するため任期を18ヶ月残してJASRAC理事長を辞職している。その間の年俸は3700万円。退職金は1000万円だったそうだ。

 私は小野新理事長に近づき、話しかけた。どんな人にも名刺一枚で話しかけられるのは記者の特権である。すぐに分かったのは、新理事長が著作権のなんたるかを理解していないということだった。こちらの質問に対する返答に詰まると、お付きのJASRAC職員がこしょこしょと後ろから耳打ちしていた。「まるで二人羽織だな」と私は思った。
 この人に何を聞いてもニュースは取れないと判断した私は、そこから離れたのだった。

 その場には小野理事長を押し込んだ“偉い人”らしき人物も来ていた。小渕恵三内閣総理大臣である。この時私は、小渕総理と数語言葉を交わし、かなりのショックを受けたのだが、これはまた別の話になるのでいずれ。

| | Comments (9) | TrackBack (4)

2007.12.25

初音ミクと終わりのはじまり

 久し振りに野田司令に会ったら、「初音ミクはどうした?」と言われた。

 もちろんいじっております。試作品もあります。が、なかなか腰を据えて歌わせることができないのでありますよ。

 その間にも世界は動いていて、ニコニコ動画では初音ミクをフィーチャーしたオリジナル曲はどんどん出てくるわ、マッシュアップが進んでとんでもない高クオリティの映像が付くやらで、素晴らしい事態が進行しているではないか。

 こういうものは参加してみるに限る。是非とも自分も混沌広がるマッシュアップの場に乱入してボコボコにされてみたいのだけれど、悲しいことに私には野尻抱介さんのように、ささっとセンスの良い作品を作る能力はないのであった。あまりにうらやましかったので、野尻さんの投稿に、「先生なにやってんですか」とコメントを付けた…というのはウソですが。

 いやもうなんてえか。もっとやって下さい。

 ここに来て、ネットのムーブメントを旧来の権利処理の方法でビジネスをしようとしたドワンゴ(ニコニコ動画を運営するニワンゴに出資している。ちなみにのまネコ問題でミソ付けたエイベックスの関連会社でもある)と、初音ミク発売元のクリプトン・フューチャー・メディアの間で、トラブルが発生していたが、この度無事解決した。

 詳細はまとめWikiをみてもらいたい。要約するとニコニコ動画で短期間のうちに200万アクセス超えるヒットとなった「みくみくにしてあげる」という曲を、ドワンゴがカラオケに使おうとした際、JASRACに登録したことから、これまでネットで自由にマッシュアップされてきた曲が使えなくなるとしてネット利用者から大きな反発が起きていたのである。

 旧来の著作権ビジネスを展開しようとしたドワンゴが、著作権無視の花園に開いた花であるヒット曲を自分一人でつみ取ろうとしたことの帰結がこれである。

 明らかに、なにか今までとは違う事態が進行している。
 
 私は1998年から2000年春まで、つまりサラリーマン生活の最後の2年間、音楽のネット配信関連の取材に従事した。その時にずいぶんと音楽関係者に会ったのだけれど、つくづく感じたのは「音楽業界は嫉妬の連鎖で構成されている」ということだった。

 以下は一般論として読んでもらいたい。

 音楽業界に身を投じる者に音楽嫌いはまずいない。その多くは最初、自分がミュージシャン、クリエイターとして成功することを夢見ている。しかし、目標を達成するのはごく一部だ。残る者のうち一部はバックバンドやスタジオミュージシャンとなる、そこからも脱落すると、今度は音楽プロダクション関係者としてマネジメントや経営に携わることになる。

 つまり、夢破れた者が、かつて自分も追いかけた夢を実現した者を管理することになる。

 音楽プロダクション(業界的には音楽出版社などという)からも脱落した者は、より音楽から遠い場所、すなわち業界団体の事務などに流れていく。脱落に脱落を重ねた者が、業界を束ねて関係官庁との折衝を行うのだ。

 これに、地方のコンサートなどを仕切るプロモーター(彼らの多くも夢やぶれた者だ)や、興行に張り付いてくるヤクザなどを加えると、嫉妬と権力とのドロドロの場ができあがる。「なるほど、美空ひばりが絡め取られたのはこれか!」と取材で何度も思ったものだ。

 このどろどろの場が崩壊しない最大の原因は金だ。音楽の世界はヒットしなければ、極貧のどん底でのたうち回ることになる。しかし、その一方で一発ヒットが出ると、投資に対するリターンがとんでもない比率となる。
 つまり、音楽のクリエイターとしての才能がなくとも、業界に張り付いてヒットのおこぼれで食っていこうと思えば、食っていけるのだ。

 そのような資金のリターンを保証しているのが著作権を初めとした各種権利であり、JASRACというわけだ。JASRACは同時に、著作権料回収代行の手数料を徴収している。ヒット曲となるとこの額はバカにならない。それは同時に日本一の弱小官庁などと言われる文化庁にとって、とても貴重な利権になっているわけである。 

 結論を言えば、音楽業界は、一部のクリエイターの才能に、多くの関係者がぶらさがって食っている世界なのだ。

 初音ミクの件は、そのような業界構造が崩壊に向かう一つの象徴なのではないかという気がする。

 才能というものは、ダイヤの原石よりもキノコのほうによほど似ている。条件さえそろえば、勝手に生えてくる。
 食えるかどうかの判別に、知識と才能が必要という点もキノコそっくりだ。そして音楽業界を仕切っている者のすべてが、才能を見抜く能力を持っているわけではない。

 クリエイターとしては、創造の喜びと、人々の称賛、そして普通に暮らす生活費があれば十分だ。しかし業界はそれでは困るので、利益を最大にするための色々な仕組みを作り上げてきた。著作権のありようなどもその一つである。アーティストが音楽プロに所属するというシステムや、原盤権という権利も、あるいは送信可能化権などというものもそのうちのひとつだ。

 しかし今や、ニコニコ動画のように、才能と大衆が勝手に集まってきて音プロもJASRACもなしで楽しく遊ぶ場が動き出してしまった。
 もちろん、ヒット曲には対価が必要だろう。カラオケ配信で儲けたっていい。そこにJASRACが入ったってまあ良し。
 でも、そこだけにしといてもらいたいというのが、多くの人の感じるところじゃないだろうか。ネット配信の制限だの、マッシュアップが著作権侵害だの、JASRAC余計なことしてくれるな、ということだろう。

 私としては、音楽シーンのごく一部が現在のような巨大ビジネスになっていることのほうが、異常だと思っている。歌は英語でAir、空気だ。空気のように無償で、口伝えで、多くの人々の間に広がっていくのが、本来の歌ではなかったか。そして今や、ネットという歌を伝える新たな媒質が存在している。

 1994年に日本でインターネットの一般への開放があった時、「これで世界は変わる」と言っても理解できない人は多かった。あれから13年、そろそろ色々な変化がでてきたな、という気がする。

 それにしても、うう、自分もマッシュアップに参加してみたい!

 著作権については、色々書きたいことがあるので、この話題は続きます。

| | Comments (8) | TrackBack (1)

2007.10.30

踊れ、買うたやめた音頭

 「買うたやめた音頭」というのは、そろそろ20年近く昔、模型雑誌「モデルグラフィックス」に寄稿していた松本州平さんというモデラーが言い出した言葉だ。

 模型店の店頭で、プラモデルを手に取り、ためらいつつもレジに歩き出し、そこで思い直して棚に置き直し、歩き出そうとしてまた思い直してプラモデルを手にとって、以下繰り返す——「買おうか、買うまいか」を迷うと、よくやってしまう仕草だが、それが踊っているようだということで、「買うたやめた音頭」と命名されたわけである・

 「あるある、俺もやったよ」と共感を呼び、一部マニアでは今でも使われている言葉である。一時期プラモデルを買い集めていた頃、私もよく踊ったものだ、買うたやめた音頭を。

 最近だとネット通販だな。ここでぽちっとするか、やめとくべきか。カーソルがあっちいきこっちいき、ああ〜どうしようどうしようと、自分の代わりにディスプレイ上で踊るのである。

 というわけで、以下は最近私が踊っているアイテム。

 宮崎監督がすべてを仕切って全力投球した唯一のテレビシリーズ。というよりも、考えようによっては宮崎駿の最高傑作であり、関係者が「コナンはどこを切っても宮崎さん」という作品である。当時37歳の宮崎監督のリビドー全開。大塚康生作画のラナを「ブスだ」「大塚さんは自分の奥さんに似ちゃうんだよな」といって自分で全部直したというのだから気合いが入っている。

 以前5万円近い値段で出ていたものが、この値段で復活だ。うわ、これは買わねば。

 だが私はレーザーディスクで出ていた全話セットを今なお持ち続けているのである。しかもレーザーディスクプレーヤーも現役だ。

 さあ、どうするどうする。ハァ〜買うたやめた買うたやめた買うたやめた…

 「未来少年コナン」は色々と思い出深いアニメだ。NHKのテレビアニメ第一作というのもびっくりだが、それが「アルプスの少女ハイジ」を思わせる絵柄のSFというのは二度びっくりだった。放映当時私は高校2年生で、合唱部の部活から帰ってきて晩ご飯を食べていると、池辺晋一郎の「じゃじゃじゃじょわーん」という音楽と共にコナンが始まるのであった。

 記憶に頼って書いてしまうと、確か池辺晋一郎のテレビ劇伴第一作だったはず。ミトラという、マリンバの共鳴筒に紙を貼ってびびり音を加えた珍しい楽器が使われている。

 当時は、高校生ともなればテレビマンガ(アニメじゃないよ)を見るのは幼稚ではずかしいという感覚があった。それがコナンで一気に引き戻されたのである。確か同時期に「機動戦士ガンダム」も放送していて、マン研の友人が「シャアだ、やっぱりシャアだよ」と騒ぎだしたのも覚えている。

 そんなに面白いのかよ、と最初に見たのが、サイド6からホワイトベースが出港して、テレビ中継による衆人環視の中でガンダムがドム6機をまとめてたたき落とす回だったなあ。




 これまた、よく残っていたものだよな、の日本語吹き替えトラックが付いた「モンティ・パイソン」。とかなんとかいっちゃったりして〜ぇ、つーんつん。

 英語で見るモンティパイソンは、ひねたロジックやあてこすりを楽しむクールな番組だが、日本語吹き替えは、広川太一郎以下の声優の狂ったような怪演で、まったく印象が異なるものになっていた。

 日本でも「シャボン玉ホリデー」から「ゲバゲバ90分」ぐらいまでは、この手の「笑えないお前はバカだ」的挑発をするバラエティがあったのだが、多分変化が起きたのは「8時だよ!全員集合」あたりからだろう。

 それでもドリフターズは演芸コントの流れを受けて緻密に笑いを設計していくというスタイルだったが、「俺たちひょうきん族」以降は、そもそも笑いを設計するという概念が消えていく。

 個人的に決定的だったのは、とんねるずの登場で、私はとんねるずをまったく評価しない。当時からどこが面白いのかまったく理解できなかった。

 昔は良かった的な物言いは、記憶に美化作用がある以上、厳しく慎まねばならないが、私は今のテレビのバラエティに一切観る価値を見いだせない。そもそも、最近は地上波テレビを観ることもまれだ。

 で、日本語版モンティ・パイソン、買うべきか。ハァ〜買うたやめた買うたやめた買うたやめた…




 最近気になっている作曲家アラン・ペッテション(1911〜1980)の交響曲全集。たまたま聞いたウェブラジオで、彼の交響曲7番をやっていて、度肝を抜かれた。「うわ、ショスタコーヴィチよりもど真っ暗な音楽がある!」。

 交響曲を、「その作曲家の人生のすべてを突っ込んだ大規模管弦楽曲」と広く定義するなら、まさにペッテションの交響曲は、交響曲の王道を行く。どの曲も1時間、さらにはそれ以上の演奏時間であり、ダイナミックな音響に溢れている。

 が、それ以上に彼の交響曲を特色付けるのは、全編を貫く、絶望と呪詛だ。

 実際、彼の人生行路は安泰とはほど遠いもので、絶望につぐ絶望だったようだ。ところが彼は絶望をパワーにして、真っ暗な交響曲を次々に書いたのである。いくつか聴いた曲は、そのどれもが漆黒の闇すら、極め、貫通すれば輝き出すといった風情を湛えている。

 20世紀音楽で、「交響曲は死んだ」と言うことが良く言われる。現代の表現に、交響曲という形式は似合わないというわけだ。確か作曲家の諸井誠は、交響曲の終着点を、オリヴィエ・メシアンの「トゥーランガリラ交響曲」とショスタコーヴィチの「交響曲14番・死者の歌」としていたな。

 ところがどっこい、色々なところに交響曲はしぶとく生きているのですな。それどころか、その暗さにおいてショスタコーヴィチをもしのぐような作品が生まれていたわけだ。

 そんなど真っ暗などれも1時間超の交響曲を集めた全集を、さあ、果たして精神のバランスを保ったまま聴き通すことができるかどうか。そもそも、これを買う前にもっと買うべきCDがあるのではないか。

 ハァ〜買うたやめた買うたやめた買うたやめた…


| | Comments (1) | TrackBack (2)

2007.09.19

初音ミクからボイセスカミングへ、その2

 では「ボイセスカミング」の話を。

 「Voices Coming」、「声ぞ来る」とでも訳せばいいのだろうか。この曲は、湯浅譲二により1969年にNHK電子音楽スタジオで制作された。作曲者は当時ちょうど40歳、バリバリに前衛の先頭を走っていた湯浅譲二。湯浅のイメージをテープに定着する仕事をこなした技術者は佐藤茂である。

 全体で20分50秒の尺があり、3部構成。うち大阪万国博の電電公社パビリオン「電気通信館」で流れたのは第1部の「テレフォノパシー」である。

 全3部とも、電子的に合成した音響と、実際の具体音とを融通無碍に使いこなしており、この時点の湯浅が「これは具体音から作ったからミュージック・コンクレート」「こっちは電子音で作った電子音楽」というような区別をせずに、「電子回路とテープなんだからまとめてもいいじゃないか」という意識であったことがうかがえる。

 3部の構成は1)テレフォノパシー、2)インタビュー、3)平和のために戦い殺された二人を記念して。

 テレフォノパシーは、当時の国際通話のオペレーターの声を録音し、これをテープを切った貼ったでつないでいったりして構成している。「ハロー、ハロー」さらには基地局名を告げる女声が交錯する、おそらく電電公社は、電話を象徴するオペレーターの声で、当時最新の電子音楽を創るというのが、「人類の進歩と調和」を標榜する万博に相応しいと思ったであろう。
 曲としては、当時の前衛系電子音楽の標準のような仕上がりを見せている。

 が、次の「インタビュー」はとんでもない問題作だった。

 インタビューというタイトル通り、様々な識者にシリアスな問題を投げかけ、その返事の音声をつぎはぎして作られている。…のだが、使われているのは、返事そのものではなく「あのー」「でもね」「それは、」「うーん」といった、返事の中の意味を持たない部分なのだ。

 技術者の佐藤によると、最初はインタビューから無意味なところを全て取り除き、意味のある部分だけで構成しようとしていたという。ところそれでは面白くないので、逆に無意味な部分だけを取り出すということになったのだそうだ。
 確かに聴いていると、無意味な間投詞にこそ、インタビューされた人の性格が投影されているのがありありと分かる。制作から37年も経った今、聴くと、これはとても面白い試みに思える。

 ところが公開当時、この部分はかなり激烈な批判にさらされたのだそうだ。「無意味な部分になんの意味があるのか」とか、変調などの操作をあまりかけない生の音声をつぎはぎした構成のせいだろう、「これは音楽ではない」とか。

 音楽かどうかはともかく、音響オブジェと考えれば、これもありかと思うのだが、当時はそうではなかったようだ。

 いやあ、本当にこれは面白いです。時間が経ったので、「ここで『うーん』と言っているのは誰それに違いない」というようなクイズ的要素も加わっているし。

 「平和のために戦い殺された二人を記念して」は、全曲で一番音楽っぽい、というと妙な言い方だが、音楽のように聞こえる音楽。
「平和のために戦い殺された二人」とは、ジョン・F・ケネディと浅沼稲次郎。演説が、そもそも音楽的要素を含むものなのだから、音楽的に響くのは当然なのかも知れない。

 前の2部では殆ど使われなかった電子変調が派手に使われ、ディストーションされたケネディと浅沼の声が、ステレオ音声で左右に行ったり来たりするところに、湯浅お得意の変調されたホワイトノイズが、がーっとかぶさる。ケネディの発する「As a result,」という言葉でクライマックスが来る。

 この曲の奇妙さ、怪作っぷりは、湯浅の問題意識の鋭さと、佐藤の技術の確かさががっちり組み合ったところにあるのだろう。音楽として聴こうと思えば聴けるし、音響オブジェと思えば音響オブジェだし、「人の声だ」と思えば人の声に聞こえる。そういう、音楽と言葉と音響の真ん中あたりに宙ぶらりんになっているところが、ものすごく面白い。

 こういう面白い曲(と言っていいのだろうか、いいんだろうな)が埋もれているのはとてももったいない。
 少しでも興味を持った人は聴いてみてもらいたい。


 というわけで、またもアマゾンからは買えないCDだ。検索に「音の始源を求めて3 佐藤茂の仕事」と入れて、オンラインで扱っているCDショップをさがしてみてもらいたい。

Sigen3 音の始源を求めて3 佐藤茂の仕事
収録曲
「小懺悔」(諸井誠)
「ディスプレイ'70」(柴田南雄):万国博日本政府館の音楽
「電子音と声によるマンダラ」(黛敏郎)
「ボイセスカミング」(湯浅譲二):万国博電気通信館の音楽
「ブロードキャスティング」 (篠原真)

 普通の人は海の物とも山の物ともつかないCDに3000円を払うのは冒険かと思う。が、他にも面白い曲が入っているので、私としてはお薦めである。

 例えば、篠原真の「ブロードキャスティング」(1973)は、当時のNHK5波(テレビ、教育テレビ、ラジオ第一、ラジオ第二、NHK-FM)を、ある1日すべて録音し、それらをつぎはぎして作った「NHKのある1日」のような作品だ。

 作者としては、現代の放送というものを象徴させたかったらしいいのだけれども、今聴くと、ここにあるのは34年前にNHKがどんな放送をしていたかをダイジェストした生々しい記録である。
 私と同年代ならば、「ああ、あの頃のNHKってこんな雰囲気だったよなあ」と当時の記憶まで蘇ってきてしまう、ちょっとノスタルジックな曲になっている。

Utukushi
 「こんな変なことばっかりやっている湯浅なんて作曲家に興味ないよ」と思ったあなた。いえいえ、多分あなたもまた、知らないうちに湯浅の作品で育てられているのです。  実は湯浅譲二は、童謡の分野でも様々な作品を書いている。「インディアンがとおる」「ピコットさん」「はっぱがわらった」「はしれちょうとっきゅう」——すべて湯浅の作品なのである。

 このblogを読みに来る人なら、おおかたは「びゅわーん、びゅわーん、は、し、るー」と超特急の歌を歌って育ったはずだ。。

 湯浅の童謡は「美しいこどものうた」という1枚のCDにまとまっている。これまたアマゾンでは買えないが、HMVとタワーレコードは扱っているのでそんなに入手は難しくないはずだ。

美しいこどものうた(HMV)
美しいこどものうた(タワーレコード)

 収録曲は以下の通り。いくつ歌えるだろうか。


「美しいこどものうた」:平松英子(ソプラノ)、中川賢一(ピアノ)

  • ほんとだよ
  • ピコットさん
  • あめのひ
  • インディアンがとおる
  • やさいはきらい
  • こおろぎ
  • まど
  • チビのハクボク
  • 大きくなったでしょ
  • ちゃっぷちゃっぷらん
  • それでも あんよ
  • かぜ
  • ふしぎなおかお
  • とけい
  • 僕だけが知ってたうた
  • しゃぼんだま
  • はしれちょうとっきゅう
  • きょうはなにいろ
  • はっぱがわらった
  • 甘い夏みかん
  • ジェット機きゅーん
  • 宇宙船ペペペペランと弱虫ロン
  • 冬の思い出
  • 二冊の本
  • じゃあね
  •  あるいは前衛保守を問わず、メロディストであることが作曲家の条件なのかも知れない。

     とりあえずアマゾンは、「美しいこどものうた」の楽譜にリンクしておく。


    | | Comments (1) | TrackBack (0)

    2007.09.18

    初音ミクからボイセスカミングへ、その1

     もののついでだから、「初音ミク」からこのまま暴走して希代の怪作「ボイセスカミング」のことを書いてしまおう。

     といっても、なんで1969年という時期に、前衛的な作品を次々に発表していた湯浅譲二が、かくも奇怪にして愉快な作品を発表したかを理解するには、20世紀の音楽史をちょっとばかり理解する必要がある。

     トーマス・アルバ・エジソンが蓄音機を実用化したのは1877年。ここに人類は初めて、音声を記録再生する手段を得た。それまで音楽は、演奏家が楽器を演奏したり歌ったりするその場にいなければ聴くことができなかった。

     蓄音機は2つの可能性を人類に示した。ひとつは音楽を記録し、いつでも聴けるようにすること。こちらはエミール・ベルリナーによるレコードとレコードプレイヤーの元祖「グラモフォン」の発明で、現在のiPodにまで至るオーディオ機器の流れを形成することになる。

     もう一つは、蓄音機を楽器として扱う、という可能性だった。

     世紀が変わると、イタリアで未来派という芸術運動が起こり、ルイージ・ルッソロが1913年に「騒音も芸術だ」と宣言する「騒音芸術宣言」を出した。要は、音楽は楽器の出す楽音のみではなく、都市の機械類が発する音からも作りうるという主張だ。

     楽音は楽器によってコンサートホールの聴衆に届けられる。では騒音は?
     もちろん蓄音機によって届けられるのだ。

     ルッソロの騒音音楽は単発的な宣言に終わったが、それは録音技術が未熟だったからだった。技術の発達により第二次世界大戦後の1948年、フランスの電気技師ピエール・シェフェールにより、録音した音を加工することによって音楽を創るという新たな方向性が示された。

     これがミュージック・コンクレートだ。「具体音楽」などと訳される。当初はレコード盤への記録をあれこれいじっていたが、テープレコーダーの出現によりテープに録音した音に加工を加えるという方向で進化していくことになった。なにしろテープは切ったり貼ったり、レコーダーの回転数を変えることで音の高低を変えたり、逆回して音を後ろから再生することができる。色々と音を加工するのに好適だったのだ。

     さて、この一方、第二次大戦後、全ての音を正弦波から合成できないかという研究も進みはじめた。
     フーリエ級数が示すとおりすべての波は正弦波の合成で再現することができる。となれば、オーケストラのすべての音色を電子的に再現することだっで可能ではないだろうか。

     電子楽器は、20世紀初頭のテルミン、オンド・マルトノといった楽器が作られていたが、これらはそれぞれ独自の音色を持つ「楽器」であった。

     そうではない、音色を自由自在に操る電子楽器が可能なのではないか。

     この流れはやがてムーグのシンセサイザーへとつながっていくわけだ。

     ミュージック・コンクレートにせよ、後のシンセサイザーにつながる音色合成の研究にせよ、電子回路で音をいじくっていくというところは共通だ。そして、1950年代初頭、まだ大規模な電子回路を個人が開発、所有、維持できる状況ではなかった。テープレコーダーもテープも高価だった。発振回路や変調器、バンドパスフィルターなどを作るには電気工学のスペシャリストの手を借りる必要があった。

     しかし、これらの困難さ以上に、過去の音楽にない、新たな表現形態が可能になるのではないかという予感が、芸術家と技術者の両方を熱くさせた。

     というわけで、1950年頃から世界のあちこちで、主に金を持っている放送局がパトロンになって「電子音楽スタジオ」というものが立ち上がった。その実態は、基本的に技術者一人に、テープレコーダーと各種電気回路を詰め込んだ狭いスタジオ、そして芸術家という構成だったが、そこから色々な音楽が生み出されていったのである。
     日本でもNHKがNHK電子音楽スタジオを、1955年に立ち上げる。その最初の作品が「音の始源を探る1」に収録された黛敏郎「素数の比系列による正弦波の音楽」というわけだ。

     この辺りの歴史はなかなか面白くて、例えば初期の電子音楽をリードした3つのスタジオというのが、一番早く活動を開始した西ドイツ放送局電子音楽スタジオ、次いでイタリアのミラノ放送局内電子音楽スタジオ。そして日本のNHK電子音楽スタジオなのだ…なにか戦争に負けたことが影響しているのだろうか。戦争に負けると電子音楽をやりたくなるとか??

     あるいは東京が電子音楽スタジオを立ち上げたことで、「JOAKに負けるな」とばかりにBKこと大阪のNHKも電子音楽に進出し、松下真一をひっぱってきて「黒い僧院」を作らせたり、とか(このあたり、大阪における電子音楽の歴史は未だにまとまっていない。関係者もあらかたこの世を去っており、このまま埋もれてしまう可能性もある)。

     さらには黛が、内幸町にあったNHKで電気回路と格闘しながら「素数の比系列による正弦波の音楽」を作っていたのと同時期、25歳の武満徹が、日本初のミュージック・コンクレート「ルリエフ・スタティク」を作成している。こちらは新日本放送、現在の毎日放送がスタジオと技術者を提供した。
     物量主義のNHKに対して、ちゃんと民放が同じ時期に対抗して似たようなことをしていたのである。

     「ルリエフ・スタティク」は最初、芸術祭参加ラジオドラマ「炎」の劇伴音楽だった。
     できたばかりの民放ラジオ局が劇伴にミュージック・コンクレートなどという新しい手法を使おうとした背景には、当時の民放はどこも最新鋭のテープレコーダーを導入していたという事情があったらしい。つまりスタジオをたくさんもつNHKは生放送で放送を続けることができたが、後発で規模が小さな民放局はすべての放送を生でまかなうことができなかったのである。

     そこで民放各社は、出始めたばかりのテープレコーダーを導入して対処しようとした。テープレコーダーがあるならいっちょ最先端のミュージック・コンクレートをやるかとなって、無名ではあるが実験工房で注目を集め始めていた武満に声がかかることになったようだ。

     ちなみに、NHK電子音楽スタジオは1993年にその幕を閉じている。スタジオの主的存在だった技術者の佐藤茂が1992年に定年退職となったのをきっかけに、「あんな儲からないセクションは閉じてしまえ」ということになったらしい。

     佐藤の証言:「ああいう電子音楽をNHKの中で残そうとするには、相当努力しないと残らんでしょう。3ヶ月も使って売れない曲を作ってたら、商売にならんからいらないって言われるでしょうね。佐藤がいるんだから歴史があるからって、いる間は残しとけってことだったけど、いなくなったらあっというまに潰しちゃった。」(「電子音楽 in JAPAN」田中雄二著 p.100)

     ありゃ、随分長くなってしまった。

     肝心の「ボイセスカミング」については、次の回にということで。


     今回の記事の元ネタ本。

     日本の電子音楽の歴史は、田中雄二氏の手によるこの大部の著作で見事にまとめられている。黛敏郎や武満徹による初期の試みから説き起こし、ムーグ・シンセサイザーの衝撃とそれまで劇伴作曲家だった富田勲の華麗な転身と成功、さらにはYMOのデビューとテクノポップ全盛にいたるまでを、あますところなく描ききっている(残念ながらJOBKと松下真一の協力のような大阪における活動は抜けているのだけれど。それでも大阪芸術大学における塩谷宏の業績にはきちんと触れている)。

     なによりも芸術家の側からだけではなく、技術者やメーカーの側からも取材を進め、両面から電子音楽というテクノロジーアートの歴史を描いているところを高く評価したい。例えば秋山邦晴による武満初期作品の評価は、テクノロジーの部分に関する分析が希薄だったから。

     電子音楽、さらにはテクノ系ミュージックに興味があるなら是非とも読んでおくべき、聖書のような本だ。確かに高い本だが、CDによるサンプルも付いていて、お買い得だと思う。

     余談だが、今見たら、アマゾンに掲載されている日経パソコン掲載のブックレビューは、かつて私が書いたものだった。

    | | Comments (2) | TrackBack (2)

    2007.09.14

    買ってしまった…

     買ってしまったよ。アマゾンでポチっと。

     最近ネットで人気沸騰している。DTM(デスク・トップ・ミュージック)用ボーカルソフトだ。女性声優の萌え声で、入力した通りの歌詞で歌ってくれる。その名も「初音ミク」

     松浦も萌え声にノックアウトされたか?
     いやいや、そうではない(正確にはそれだけではない、なのかも)。

     野尻ボードで野尻さんに教えられ、YouTube動画を聞いて(妙な言い回しだが、要はYouTubeにアップされた音を聴くことを目的にした動画ファイル)、びっくりしてしまった。
     これが、機械の歌か!!


     クラフトワークが「I am robot」とロボットボイスで歌ったり、「メガゾーン23」なんてアニメに時祭イブというバーチャルアイドルが出てきたりしてから幾星霜。
     その間、伊達杏子なんて色物もあったが、この「初音ミク」は声優が声をあてているのではない。マシンがプログラムに従って発声しているのだ。公式サイトにはサンプルがあるので、まずは聞いてみてほしい。

     知らない間の技術の進歩には、びっくりだ。

     著作権的にどうかと思うのでリンクはしないが、YouTubeやニコニコ動画を「初音ミク」で検索してみて貰いたい。沢山のファイルがアップロードされている。中でも「もののけ姫」を歌わせたやつなどは感嘆するしかない。





     これは著作権的に問題がないと思うのでリンクする。多分現役の合唱部員が作ったんだろうなあ。「モルダウ」。どうやら表情をつけずに素で歌わせたものらしい。ちょこっと入力させただけでもこの程度にはできるということだろう。

    ♯19 ave;new feat.初音ミク(試聴あり)
     こちらはave;newというプログループが、初音ミクを使って自作の「True My Heart」という曲ををDTM化したもの。プロがやるとここまで自然なボーカルに仕上げることができる。

     私も15年以上昔の、DTM草創期に、ローランドのMT-32を使ってDTMまがいのことをやっていた。あの頃DTMは個人に入手可能になったばかりの凄い技術だった。「凄い技術で凄いことをやってやる」と思わせる魅力があった。

     「初音ミク」には、その頃の感覚を蘇らせるものがある。

     もちろん、15年以上DTMから遠ざかっていた自分がそうそうスゴイことなどできないことも分かっているが、こういうものは色々遊んでみたくなるものである。

     種子島から帰った頃には届いているであろう。なにか結果が出せたら、このページで公開することにしよう。

    | | Comments (4) | TrackBack (0)

    2007.04.10

    「レッドショルダーマーチ」の正体が判明する

     気張った話を続けても仕方ないので、最近に私のところに届いた話を。

     2ちゃんねるでは数ヶ月前に騒ぎになっていたそうだから、情報の早い人はすでに知っているのだろうけれども。


    「レッドショルダーマーチ」の正体が判明した。

     「装甲騎兵ボトムズ」というアニメがあった。私もこんな記事を書いている。

     作中で、主人公のキリコは、かつて軍の特殊部隊、通称「レッドショルダー」に所属していたという設定になっていた。このレッドショルダーは命令とあらば、どんな残酷なことでもする悪逆非道の軍隊であり、そんなところに所属していたことがキリコのトラウマになっているのだが、それはともかく。

     作中では、レッドショルダー部隊が登場する時に、実に格好良い行進曲がBGMにかかっていた。これが「レッドショルダーマーチ」である。

     放送当時、この音楽にヤられた我らアニオタ共は、サントラの発売を待ち望んだのだが、発売されたサントラには、なぜか「レッドショルダーマーチ」が収録されていなかった。その代わり、ボロディンの未完に終わった「交響曲3番」のポピュラー編曲が入っていたり——もちろん本編には使っていない——今考えるとあれも妙なサントラだったな。

     いったいあの曲は何だったのか?放送局が蓄積している著作権フリーの曲だとか、様々な噂があったものの、その正体は不明のまま四半世紀が過ぎたのである。

     それが、今年に入ってから2ちゃんねるへの投稿で、判明したのだった。

     こちらがその正体。おや、品切れを起こしているな。

     1966年のイタリア映画「Due marines e un generale」(2人の水兵と1人の将軍)のサントラ盤だ。このCDの2番目の曲「Arrivano i Marines」(水兵の到着)という曲が、「レッドショルダーマーチ」だったのである。作曲者はPiero Umiliani(ピエロ・ウミリアーニ)と言う人。イタリアではかなり有名な映画音楽の作者らしい。
     ちなみに、サントラ中6番目の曲「L’offensiva di primavera」(春の攻勢)は、「機動戦士ガンダム」の第12話「ジオンの脅威」で、ジオン公国のギレン総帥が演説するシーンでかかる音楽なんだそうだ(私は見たはずだけど覚えていない)。あの「諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ。なぜだ!」「坊やだからさ」で有名なシーンですな。
     この「Due marines e un generale」という映画は、2人のアメリカ兵が、北アフリカでナチスドイツの将軍を捕獲しようとするという話とのこと。それに、ニセの作戦計画をわざと盗ませようとするナチス側と、本物を入手しようとするアメリカ兵の駆け引きが絡み、最後はアンツィオの攻防戦になだれ込むというストーリーのようだ。「アンツィオ・アニー(アンツィオ攻防戦で活躍したドイツの列車砲)」が出てくるなら見てみたいね。

     CDが品切れであっても、嘆くには及ばない。iTunes Music Storeでは、ちゃんと「Due marines e un generale」のサントラが売っている。試聴はできるし、曲をばら売りの1曲150円で購入できるし、品切れもない。やあ、いい時代になったもんだ。

     もちろん私はCDを買った。最初に気が付いた方は本当に偉いと思う。取りあえず長年の疑問と欲求を解消させて頂き、ありがとうございます。

    | | Comments (7) | TrackBack (0)

    2007.04.09

    早坂文雄の音楽を聴く

     携帯電話がきっかけになって、改めて早坂文雄の音楽を聴いている。

     聴くほどに、この人が長生きしたならば、日本の音楽シーンは大きく変わっていただろうと思う。

     一般に、早坂文雄は全盛期の黒澤映画の映画音楽で知られている。「七人の侍」のメインテーマは有名だし、ちょっと映画が好きならば「羅生門」のうねうねとうねるようなボレロ調の音楽を思い出すだろう。
     もちろん、早坂は映画音楽にも力を注いだのだけれど、本質はコンサート用音楽の作曲家だった。彼は決して書き飛ばすことなく、コンサート用の作品を作るのと同じ態度で、映画音楽に臨んだのだった。

     早坂文雄(1914〜1955)は、とてつもない不幸のどん底から出発した人だった。仙台で生まれ、幼少時に親の都合で札幌に移住。
     15歳で父が家出し、16歳で母が病死、17歳で弟妹と生き別れになって一人で生きていかなければならなくなる。しかも極貧の生活の中、本人は結核を患って、生死の境をさまよったのだ。

     昭和の初めの札幌の話だ。その寒さたるや形容のしようがない。

     凄まじい境遇の中、同じ歳の伊福部昭と出会って、将来共に作曲家になることを誓う。21歳で初めて書いたオーケストラ曲「二つの讃歌への前奏曲」がコンクールに入選して一気に運命が開ける。並のドラマどころではないドラマチックさだ。

     やがて、東宝映画社長の植村泰二に認められて上京し、映画音楽の仕事をするようになる。彼は貧乏を脱出し、映画音楽で作った財産で35歳で成城に豪邸を建て、それでも命を削るようにして働き続け、41歳で死んだ。
     死に方も壮絶だ。自宅に来客があり、自作の楽譜を取り出そうとして屈んで体を伸ばした拍子に、肺結核で癒着を起こしていた肺が破れたのだ。呼吸ができなくなった彼は、もがき、苦しみつつ死んだ。

     彼の葬儀では、作曲家仲間が、映画監督の溝口健二に「おまえが仕事をさせすぎたから早坂は死んだんだ」と迫ったそうだが、おそらく彼は止めても止めても止まらずに仕事へと自分を追い込んでいったのだろう。

     生前、最期に構想していたのは「ニルヴァーナ(涅槃)」というオーケストラ曲だった。このタイトルは黛敏郎に引き継がれ、傑作「涅槃交響曲」が生まれることになる。


    ——————————

     まとめて聴いていくと、早坂の音楽が最後まで未完成であったことが分かる。逆に言えば遺作となった「交響的組曲ユーカラ」の向こうには、もっともっと素晴らしい、はるかな高みに近づいた音楽があったはずと思えるのである。

     伊福部昭が初期から高い完成度を誇り、長い人生の最期までその水準を維持したとするなら、盟友の早坂は、稚拙から出発し、生涯を通じて進歩しつづけた。彼が41歳で死なずに、伊福部の91年といわず、武満徹の65年でも生きながらえたら、どんな素晴らしい曲を書いたろうか。

     私は昨年12月10日のオーケストラ・ニッポニカの早坂文雄作品演奏会で、彼21歳の「二つの讃歌への前奏曲」(1935)を聴いた。初演以来、実に70年振りの2回目の演奏だった。

     「二つの讃歌への前奏曲」は若さゆえの稚拙さが露呈した曲だ。

     伊福部昭21歳の出世作であるオーケストラ曲「日本狂詩曲」は、すでに完成されきった斬新な曲だった。しかし早坂が同じ21歳で書いた「二つの讃歌への前奏曲」は、作曲を始めた音楽高校の学生が、初めて書いたオーケストラ曲のような不器用さと不慣れさに溢れている。旋律の瑞々しさが才能を証しているものの、オーケストレーションも和声もぎこちない。

     それが27歳で書いたオーケストラ曲「左方の舞と右方の舞」では、ある種の風格すら感じさせるようになる。
     太平洋戦争後の1948年、34歳の時の「ピアノ協奏曲は」、ロマン派的曲想を持つ雄大な作品だ。「管弦楽のための変容」 (1953)では、音楽は高度の構築性を示すようになり、そして最後の「交響的組曲ユーカラ」(1955)にたどりつく。

     「ユーカラ」は、全6楽章、演奏時間50分の大作だ。それぞれの楽章はアイヌの叙事詩に基づくタイトルを持つが、音楽はよりいっそう抽象的になり、他に例のない構築性と張りつめた精神性を示すようになる。
     それは、彼がごく初期から考え続けてきた「東洋人にとっての音楽はどんなものか」という命題に対する回答だった。「ユーカラ」で、彼は和声による肉付きの良い豊穣な響きではなく、「点」と「線」による緊張感に満ちた水墨画のような音楽へと踏み込んでいく。
     それは、早坂の生涯の到達点であり、同時にその後の彼の音楽の出発点になるはずだった。

     「ユーカラ」作曲の時期、結核のためにすでに早坂の健康は予断を許さない状態になっていた。この頃、早坂の映画音楽の仕事を手伝っていた武満徹は、「ユーカラ」初演を聴いて「早坂さんの遺書のようだ」と言って泣いたという。

     武満の予感は当たり、運命は早坂にさらなる高みを目指すための時間を与えなかった。生涯を通して進歩しつつけた彼の音楽は、「ユーカラ」をもって途切れた。

     現在、早坂の作品が演奏される機会は徐々に増えている。私が音楽を聴き始めた30年前に比べれば手に入る録音も多くなった。
     だからこそ聴いてほしい。「七人の侍」の作曲家が遺したのは、とても豊かな音楽だったのだから。

     早坂文雄入門としては、この一枚がいいだろう。冒頭、あの「七人の侍」のテーマが収録され、さらに「羅生門」の音楽を例のボレロも含めて聴くことができる。加えて早坂が二十代の作品「古代の舞曲」「序曲ニ調」、そして晩年の「管絃楽のための変容」も入ったお得な一枚だ。
     このCDを聴くと、早坂が映画音楽にも一切手を抜くことなく、ぎりぎりに自分を駆り立てるようにして臨んだことが分かる。映画音楽とコンサート用音楽との間に、ほとんど差を感じさせないのだ。それは同時に彼の健康をも蝕み、寿命を縮めたのだろう。
     ちなみに、「羅生門」の「真砂の証言の場面のボレロ」は、泰西名曲が大好きな黒澤明がラヴェルのボレロに合わせて絵コンテを切ってしまったので、早坂が仕方なく苦心して書いたものだ。「羅生門」がヴェネチア映画祭に出た時には、映画の高評価とうらはらに「日本人がラヴェルの真似をしている」とだいぶけなされたという。
     しかし、今になって聴いてみると、これはラヴェルのアイデアを使いつつも全く異なる独立した音楽になっていると思う。少なくとも、以前に「涼宮ハルヒの憂鬱」と引っかけて書いたショスタコーヴィチの「レニングラード交響曲」における「戦争の主題」よりは、音楽としてはるかに上等だ。


     自分は音楽を色々と聴いているという自信があるならば、是非ともこの「交響的組曲ユーカラ」を聴こう。
     名曲だ。保証する。だが、同時に未完成さも感じさせる曲であるということは言っておかねばならない。何度も書くが、この後に一体どんな音楽があり得たのか。早すぎる死が惜しまれてならない。
     第1曲「プロローグ」は、なんとクラリネットソロ。クラリネットが一人で延々と、瞑想的なメロディを演奏する。オーケストラは第2曲の「ハンロッカ」で初めて鳴るが、決して大音響で押してくることはなく、室内楽的な音の戯れに終始する。第3曲「サンタトリパイナ」は、弦楽器のみが息の長い、どこまでも続くような旋律を演奏し、盛り上がり、そして消えていく。
     第4曲「ハンチキチー」は、ラプソディックで色彩豊かな楽章。第5曲「ノーベー」はかなり変化の激しい、当時としてはかなり前衛的な響きがする。最後の第6曲「ケネペ・ツイツイ」は複雑な、それでいて瞑想的な、墨絵を思わせる渋い渋い響きの曲だ。

     先に早坂の曲の演奏機会が増えていると書いたが、それでもこの曲は不遇だ。初演は1955年6月に上田仁指揮の東京交響楽団が行った。その後ずっと演奏されず、再演はそれから20年以上を経た1976年になった。記憶に頼って書いてしまうと、演奏は山岡重信指揮の読売日本交響楽団だったはず。
     多分、ではあるが、3回目はこのCDに収録された、山田一雄指揮日本フィルハーモニーによる1986年4月の演奏である(そう、このCDはライブ録音だ)。
     そして、これまた多分、になるのだけれど、4回目の演奏は2004年7月15日の矢崎彦太郎指揮東京交響楽団。
     これだけである(私の知らない演奏会が1〜2回あった可能性はある)。
     2004年の演奏を、私は東京文化会館で聴いた。決して万全の演奏ではなかったと思うけれど、それでも「ユーカラ」は心に沁みた。
     この曲は、もっと演奏されてしかるべきだと思う。


     NAXOSの「日本作曲家選輯」からもちゃんと早坂作品集が出ている。しかも岡田晴美が弾く「ピアノ協奏曲」という、うれしい選曲だ。収録された曲目は以下の通り。

    ・ピアノ協奏曲(1948)(世界初録音)
    ・左方の舞と右方の舞(1941)
    ・序曲 ニ調(1939)

     同シリーズではなにかとその演奏が問題とされるドミトリ・ヤブロンスキー指揮ロシア・フィルハーモニー管弦楽団だが、この録音はなかなか良い演奏をしている。もちろん岡田博美のピアノも素晴らしい。伊福部昭の「ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲」(1941)と聞き比べると、二人の資質の違いがはっきりと見えて面白いかも知れない。


     高橋アキによる、早坂のピアノ曲集。早坂はその生涯に渡ってピアノソロの小品を作り続けた。彼のその時々の問題意識が一番はっきり出ているジャンルかも知れない。演奏は折り紙付き。早坂のピアノ曲は、どれも超絶技巧を要求するようなことはないので、ピアノが弾けるならば、自分で弾くつもりで聴くのもいいだろう。


     タイトルに「黒澤明と早坂文雄」とあるが、本書の主人公は早坂だ。主に映画音楽の側から、早坂の人生を追った評伝である。従来あまり知られることがなかった、早坂の札幌時代の生活や、映画音楽の仕事をするようになった経緯、さらには彼が映画音楽の仕事を引き受けるようになったことで巻き起こる、音楽関係者と映画関係者の間の緊張関係に至るまで丹念に早坂の生涯を追っている。
     早坂の葬儀では、「七人の侍」のテーマが流されたが、音楽関係者は「なぜ、映画の音楽なんだ」と不満を漏らしたという。早坂にとって映画音楽もコンサート用音楽も区別なく取り組むべき仕事だったが、世間的には両者の間に断絶があったのだった。
     実際難しいところで、現在早坂は「七人の侍の作曲家」として記憶されているが、彼の仕事の質と量からすれば、本当は「ユーカラの作曲家」であるべきだろう(「七人の侍」では、佐藤勝、佐藤慶次郎、武満徹がアシスタントに入っている)。しかし、「侍のテーマ」が、早坂一世一代の名旋律であることも事実である。

    | | Comments (2) | TrackBack (0)

    2007.04.07

    携帯電話で音楽を聴く

    Lismo

     WindowsXPが使えるようになったので、以前から気になっていたLISMOを使ってみようと思い立った。
     LISMOは、auが行っている音楽ダウンロード販売である。昨年携帯電話をauに切り替えた時に、ソフトウエアが付いてきたのだが、WindowsXPにしか対応しておらず、これまで使えなかったのだ。

     iTunes Music Store(iTMS)は、時々使っている。最初は「ダウンロードでCDよりも音質が悪い圧縮音声ファイルの音楽を買うなんてなあ」と思っていたのだが、いざ使ってみると、ユーザー・インタフェースが秀逸なことと、ストアの構成が巧みなことが相まって、実に手軽に聴きたい曲を見つけることができる。
     記憶の底に引っかかっていたけれども、曲名が分からなかったというような曲も見つかったりして、ついつい「ポチっとな」で、買ってしまうことが重なった。結局これまでに1万円ほど、ダウンロード音楽販売に貢献してしまっている。

     LISMOのソフトは、「au Music Port」という。これ自身は音楽専用ではなくて携帯電話の電話番号登録や内蔵カメラの画像などのバックアップ機能も持っている。あくまで携帯電話とパソコンを連動するためのソフトウエアであり、その一環として音楽ダウンロード販売の機能も持っているわけだ。

     というわけで、Let'snoteに「au Music Port」にインストールして立ち上げ、一通りLISMO Music Storeの中をさ迷ってみた。
     残念なことにLISMOは最新J-Popを聞きたい若者をターゲットにしているらしく、私が聞きたい1970〜80年代洋楽とか、古い映画の映画音楽とか、クラシック系音楽とかは販売されていないようだった。

     私は宇多田ヒカルも大塚愛も倖田來未も興味はない。ピンクフロイドとかクイーンとか、「史上最大の作戦」のテーマ音楽とか、ヴォーン・ウィリアムズやら伊福部昭が聞きたいのだ。

     価格もiTMSの1曲150円〜200円に比べ、基本が315円と高い。ビデオクリップが1曲525円というのは、「うーん」とうなってしまう。レンタルショップに行って同じ金額を払えば、アルバム全曲ライブのDVDを借りておつりが来るだろう。もしも若者向けを狙っているならば、高い値段というのは、市場攻略方法を間違えてはいないだろうか。相手は、安くすますためにレンタルショップでCDを借りてリッピングするだけの時間的余裕を持っている連中なのだから。

     試聴の時間もiTMSが30秒なのに対して、LISMO Music Storeは11秒。後発なのだから、アドバンテージを押し出さなければ市場は取れないと思うのだけれども、試聴時間までけちってどうしようというのだろう。

     文句ついでに言ってしまえばLISMO Music Storeのユーザー・インタフェースの設計もほめられたものではない。なかなか聴きたい曲が探し出せないのである。特に検索窓の使いにくさは、なんとかしてほしいところ。LISMO Music Storeは地が白で枠線が黄緑というデザインなのだけれど、そこに枠線でかこっただけの白色の検索キーワードの入力窓があっても、なかなか存在に気が付かない。

     「品揃えが悪い、価格が高い、サービスが悪い、使いにくい」というわけで、「一曲買ってみるか」という意志はあっさり挫折した。携帯電話からちょこちょこやって着うたを買うのならともかく、これはパソコンをあれこれ操作してまで音楽を買う環境ではない。

     そこで方針転換して、手持ちのCDをリッピングして、携帯電話にダウンロード。携帯電話を音楽プレーヤーとして使ってみた。

     まず、携帯電話用に1GBのマイクロSDカードを買う。昨今のフラッシュメモリーチップの値下がりは凄まじく、2000円を切る価格で買うことができた。どうなっているのだろう。2年前に1GBのUSBメモリーを確か1万円で買った記憶があるのだけれど。

     次に、au Music PortでCDをリッピングし、USBケーブル経由で携帯電話にデータを送り込む。少しでも良い音質で、とリッピングのビットレートをあれこれいじったものの、携帯電話にダウンロードする際には、まとめて48kbpsに変換されてしまった。私の使っている携帯電話「W42SA」の仕様なのか、それともau全体の仕様なのかは分からない。

     48kbpsかよ、MP3もAACも128kbpsが基準だし、これは音質は期待できないなあ——と思っていたら大間違いだった。

     イアフォンで聞く分には十分な音質なのだ。室内楽のような繊細な音質の音楽でも試してみたのだけれど、かつてのカセットテープ並、あるいはそれ以上の音質で音楽を楽しむことができる。

     一体コーデックは何か、と調べてみると、HE-AACというものだった。これはすごい技術だ。MP3ならここまで圧縮するとくぐもった音になってしまうところを、室内楽でもソロでもきちんと音楽として楽しむことができる音質を確保できるのだから。

     かくして、現在私の携帯電話には、伊福部昭に早坂文雄、ヴォーン・ウィリアムズにアルチュール・オネゲル、そして吉松隆、と、偏った曲目がずらりと入っており、主に電車の中で聴いている。
     東海道線の中で、晩年(といっても今の私より若いのだ)の早坂文雄が骨身を削った「交響組曲ユーカラ」を聴いたりしていると、なんとも言えない気分になる。
     1955年に41歳で死んだ早坂が、かくも音楽というものがお手軽に楽しめる時代が来ると知ったら、どう思っただろうか。

     あんまり聴きすぎると、携帯電話の電池が尽きてしまう。電話として使えなくなってしまっては本末転倒なので、外出時に音楽を聴く時間は、とりあえず1時間以内とということにしている。もともと携帯電話のおまけ機能と思えば、使用時間の制限ぐらいは許容範囲内だ。

     ちなみに、リッピングしたCDの音は、着うたには設定できないようだ。「着うたは、LISMO Music Storeで買え」ということだろうか。ネットを検索すると、自分で着うたを作る裏技があれこれ公開されている。まあ、私は着信音には無頓着なので、これ以上どうこうするのはやめにする。

     音楽業界がこんな規制をかけているのか、それともauが悪いのかは知らないが、自分が金を払って買ったCDも、着うたに出来ないというのは、度量の狭い話ではある。

    | | Comments (6) | TrackBack (1)

    2006.11.11

    名優の死から出世を考える

     名優ジャック・パランス死去の報を聞く。享年87歳。

    J・パランス氏が死去=悪役で鳴らす: Yahooニュース

     私のお気に入り俳優の一人だった。いかつい顔にアクの強い演技がなんとも好きだった。訃報では、やはりというべきか、「シェーン」でのちらっと見るのすら怖いような敵役が取り上げられている。

     が、私にとっての一番は「攻撃」(1956年、ロバート・アルドリッチ監督)だ。

     J・パランス演じる小隊長は、アホタレ中隊長の下手くそ戦闘指揮で、部隊が全滅してしまう。ところがアホ中隊長はええところのボンボンで、誰も責任を追及しようとしない。死んだ部下に復讐を誓い、小隊長は上官を殺すべく最前線から司令部へと向かう——とまあ、全編怒りと執念とがぎとぎとに輝いている素晴らしい映画である。復讐鬼と化した小隊長を演ずるパランスは、まさにはまり役。生身で戦車と戦い、「神よ、力を」と唱えつつターミネーターのごとくきりきりと迫る様は、実に見応えがあった。

     フィルモグラフィを見ると、ごく最近まで元気に映画に出演していたのだな。シェーンで共演したアラン・ラッドはその後鳴かず飛ばずだったことを考えると、幸せな人生だったのだろう。合掌。

     話変わって。

     過去、記者会見で「この人ってダメな人じゃないか」と壇上の人物をまじまじと観察することが何度もあった。
     もう書いてもいいだろうから書くけれども、1990年代前半、ソニーに押されっぱなしだった頃の松下グループなどは、時折「こんな人が偉くなっていていいの?」と記者としていいたくなるような人物が記者会見に出てきたりしたものだ。その後の松下の盛り返しを見ると、困ったちゃんは一掃されたのだろう。とてもいいことだ。

     実際、アホタレが偉くなると周りは大きな迷惑を被る。これが天下りで転がり込んできた人物ともなると、下々のやる気もなくさせるわけで、一石二鳥の反対ということになる。
     自分の能力の限界を自覚して、自重してくればまだしも、困った人は往々にして「俺って優秀」と錯覚しているので、やらんでもいいことをして傷口を広げるということまでする。おお、一石三鳥の逆だ。

     憎まれっ子世にはばかるというのは真理であり、世の中にはこんな困った天下りにすり寄るスネ夫体質な人もいたりする。

     そして、多くの場合、困った天下りちゃんは「俺って優秀」という錯覚のまま、多額の退職金を受け取って退職していくのだ。後には「割り増し払っても良いからもっと早くいなくなって欲しかった」という嘆きが残る。

     ちなみに、某官庁から某独立行政法人幹部へ天下りしたケースの話。
     私は霞が関現役から、その天下り氏の官庁時代の愚行をあれこれ聞いた上、「彼を批判する記事を書くなら全面支援します」と言われたことがある。つまり役所でも厄介者扱いだった人材が、何を間違ったか人事ローテーションの関係でうかうかとおいしく天下ってしまったわけ。

     もちろん「全面支援します」というのは冗談だったのだろうけれども、世の中にはこれぐらい壮絶な事例も存在するのでありますな。

     ともあれ、人のことを言えた義理ではない。フリーの場合、厄介者のフリーランスは自然と淘汰されるのが、周囲にとっても本人にとっても救いでもある。願わくば自分も、ダメになったならば周囲に迷惑をかけることなく、さっさと淘汰されんことを願う(今すでにダメだって?)。

     ここで思い立って、久し振りにショスタコーヴィチの交響曲13番「バビ・ヤール」(1962)をかける。ソ連の反体制詩人エフトゥシェンコの詩に曲を付けた、交響曲というよりもカンタータと言うべき作品。
     第一楽章が、第二次世界大戦中のソ連におけるユダヤ人殺戮を扱った詩であるため、発表当時は、西側でウケが良かった。

     なぜこの曲を思い出したかといえば、フィナーレである第5楽章が、「出世」というタイトルなのだ。

     司祭達はガリレオを
     悪しき愚者と決めつけた
     しかし時が明らかにする
     愚者こそ賢者

    と、歌い始め、

     私は出世しないことを
     私の出世とする

    で締めくくる、それなりに感動的な詩なのだけれど、ショスタコーヴィチは、ここに、見事なまでに気合いの抜けたへなへなの音楽を付けているのだ。

     楽章冒頭のフルートの旋律からして、「へ〜なへな、へなへなへなへ〜、へ〜なへ〜な、へ〜な〜へなへ〜」と読み解けるほど力が抜けていて、聞くほどに脱力させられる。

     この直前の1961年、ショスタコーヴィチは彼の人生で最悪の駄作である「交響曲12番」を書いている。作曲家として全く不調だったらしい。
     彼が感動したらしき詩の作者であるエフトゥシェンコがその後微妙に体制側へ日和ったことやら、ショスタコーヴィチのひねくりねじ曲がった性格と根性から考えると、「出世」における詩と音楽の乖離もまた、彼が何かを意図した結果なのかもしれない(と、深読みが過ぎると、ショスタコーヴィチの術中にはまるのだ)。

     バビ・ヤール以降、ショスタコーヴィチの不調は1965年ぐらいまで続く(人によっては1964年のオーケストラ伴奏歌曲の「ステパン・ラージンの処刑」をほめるけれど、私は未聴)。

     そして1966年の弦楽四重奏曲11番あたりから、彼は前人未踏のど真っ暗な「黒の音楽」の世界へと突入していくのである。

     ちょっと高いが、ちゃんと「攻撃」のDVDは出ている。鬼瓦のごときジャック・パランスがすさまじい形相で汗と涙をまき散らし、戦車と対決するシーンは必見。そういった物見高さを別にしても、戦争、ひいては組織というものの不条理さを描いた映画としてとても面白い。この映画の撮影にあたって、米国防総省は「反戦的である」と協力を拒否したそうだ。そりゃそうだよな、なにしろ上官に復讐するという話なのだから。

     一応リンクしておくけれども決して薦めません。世評は高い曲だけれども、私としては交響曲12番に続く彼の駄作だと思う。

     どうせ後期ショスタコーヴィチの交響曲を聴くなら、14番と最後の15番にしよう。14番「死の歌」はその題の通り、古今東西の死を題材とした詩を2人のソロが切々と歌い上げるど真っ暗な曲。ロシア的な深い情念と共産主義が導く即物主義が合体すると、かくも身も蓋もない絶望が吹き出すのかと思わせる。しかし音楽の密度は鋼のごとくであり、聴き応えあり。
     交響曲15番は、絶望の暗黒を突き抜けて彼岸にいっちゃった曲。もはやこの世のものとは思えぬ音達が、向こう側でのびやかに踊っている。ここで推薦したCDでは、オーマンディの軽やかな演奏が、なんとも恐ろしく、同時に快感。

    | | Comments (0) | TrackBack (0)

    2006.09.13

    「未来への遺産」の音楽に溺れる

     ああ、もう一月もここをほったらかしにしている。

     やたらと忙しい。毎日原稿を書いているか取材をしているか。さもなくば、打ち合わせをしているか取材を受けているか。休みなし状態が続いている。

     H-IIA10号機打ち上げも行けなかった。なんとかして最後のM-Vロケットは取材に行きたい。そのためには、書かねば。書くべき物を書かねば。

     そんな中、やっとこさ、武満徹全集を買って聴き始めた。
     コンサート用作品はあらかた聴いているので、テレビ用音楽などの入った5巻から逆に買い進める予定。

    ・買って安心するのではなく、全部きちんと聴く。
    ・1巻をすべて聴いてから、次の巻を買う。

     という条件を自分に課して買っていくつもり。

     第5巻は、テレビや舞台のために武満が書いた音楽や、テープ音楽、声楽曲、新たに発掘された作品などを集めた巻。聴いていくほどに、武満が希代のメロディストの資質を持っており、しかもポピュラーやジャスとクラシック音楽との境目をあっけなく、かつ無造作に踏み越えていたことを実感する。
     おそらく、武満は偶然、コンサート用音楽の作曲家になったのだろう。ちょっと運命の歯車が違う回り方をしていれば、すぎやまこういちのような存在になっていたのかも知れない。武満が書いたグループサウンズやら「ドラクエの音楽」やら、考えるだに楽しい。

     しかし、もっともびっくりしたのはNHKのドキュメンタリー「未来への遺産」のための音楽だった。

     NHKのホームページには以下のようにある。

     『未来への遺産』は、「文明はなぜ栄え、なぜ滅びたか」をテーマに制作され、7つの取材班が44か国、150か所の文化遺産を取材した。

     この番組は、最近めっきりきなくさくなってしまったアフガニスタンからイランにかけても撮影隊を送っており、その後崩壊してしまった遺跡をも撮影している。

     武満の音楽は、それぞれの遺跡の存在する地域の音階を使用しつつも、全く過去の音楽とは異なる、「未来の民謡 」とでも言うべき魅力的な音の世界を展開していく。

     その一部は、後に「マージナリア」「ジティマリヤ」「秋庭歌・一具」といったコンサート用作品に転用されることになった。

     おそらく、この仕事で、中近東の音階に触れたことが、1980年代に入って武満が「パン・トーナル(汎調性)」ということを言い出すきっかけになったのではないだろうか。
     汎調性というのは、なんと説明すべきか…つまり、学校音楽では「長調・短調」というものを習うが、音楽の世界にはそれらよりも遙かに多様な音階、さらには音の動くパターンをも含めた旋法というものが存在する。そういったものを融通無碍に使いこなす立場と言えばいいのだろうか。


     ジティマリアの中盤、オーボエを中心とした木管楽器軍が、アラベスクのように絡み合う旋律を演奏するところが、まさに「未来への遺産」の音楽の転用だったのにはびっくりしてしまった。考えてみれば、武満は割と無造作に、映像用に書いた音楽をコンサート用作品に転用している。勅使河原宏監督の映画「砂の女」のための音楽は、彼の代表作の一つである「地平線のドーリア」に使われているし。

     機会があったら、是非とも「未来への遺産」の音楽を聴いてみて欲しい。特に、ポピュラー系の音楽のシックスティーン・ビートにを日頃惑溺している人。
     未だかつて体験したことがない、全く見知らぬ、しかも美酒のように聴く人を放さない魅惑的な音楽に出会えるはずである。

     ありがたいことに「未来への遺産」の音楽は単独でCD化されている。全集の5巻を買わなくとも、これ1枚で、その素晴らしい音楽を体験することができるのだ。買うべし。絶対買うべし。こんな素晴らしい音楽を聴かずに生きていくのは、あまりにもったいない。

     前にも紹介した、岩城宏之・札幌交響楽団による武満作品集。「ウインター」「ジティマリア」「マージナリア」と1970年代の作品3つが納められている。「ジティマリア」と「マージナリア」は、内容的に「未来への遺産」と関連がある。

     1979年に作曲された「秋庭歌・一具」は、雅楽の為の作品。といっても伝統的な雅楽とは異なる編成だ。しかも音楽の基調は、伝統的雅楽の音階ではなく、古代ギリシャのドーリア旋法に基づいている。静かな庭を散策するような、まさに秋の空と紅葉と木陰のような音楽。  あるいは中国に生まれた雅楽がシルクロードを通じて西に流れ、ギリシャに到達した——そんな架空の音楽を想定しているのかも知れない。

     武満の書いた「うた」を集めた作品集。ちょっとナンセンスだったり、悲しみがひそりと走ったりの歌詞が、肩の力の抜けた、のびのびとしたメロディで歌われる。「翼」は民放のニュース番組のテーマにも使われたので、聴いたことがある人も多いと思う。
     武満は若い頃、歌謡曲の代作もしていた。いくつかはヒット作になったらしいが、自分の名義ではないので、彼は表だって「あれは僕の曲だよ」と語ることはなかった。それでも酔うと、その旋律を口ずさみ、「実は僕が書いたんだ」ということがあったという。
     中村八大の「上を向いて歩こう」は、実は武満の代作だ、という都市伝説のような噂はあるのだけれど、本当はどうなのだろうね。

    | | Comments (3) | TrackBack (0)

    2006.08.09

    ショスタコ第7交響曲を語る——「涼宮ハルヒの憂鬱:射手座の日」上級編

     「時かけ」「ハルヒ」「ゲド」と、アニメの話を続けて書いたらアクセスが急に増えた。
     これも一つの縁であろう、ということで、急遽「涼宮ハルヒの憂鬱:射手座の日」の上級編を書くことにする。

     といっても、実のところアニメとはほとんど関係ない。脳内宇宙艦隊戦シーンに使われているショスタコービッチ「交響曲第7番」第1楽章に存在する宇宙的恐怖にして深淵のような因縁について以下つらつらと述べていこうというわけ。若干ミリタリー風味も入ってくる話題だ。

     本当はもう少しきちんと調べてから書こうと思っていたネタなので、少々調査不足ではあり、一部は記憶に頼っている。事実誤認や新事実が分かり次第訂正を入れていくことになるだろう。
     ショスタコーヴィチのマニアの間では有名な話であるし、色々突っ込みを入れたいところもあるだろう。そのあたりはコメント欄で指摘してもらえるとうれしい。


     「射手座の日」に使われた第7交響曲(1941〜1942)は通称「レニングラード」とも呼ばれる。作曲年代で分かるように、この曲は第二次世界大戦最大級の激戦地であったレニングラード、現在のサンクトペテルブルグと密接な関連を持っている。

     独ソ戦開始時、作曲者ショスタコーヴィチは、レニングラード音楽院で作曲を教えていた。第7交響曲はドイツ軍が迫るレニングラードで、1941年7月から作曲が始まった。ドイツ軍がレニングラードを完全に包囲する前に、ショスタコーヴィチは、当時モスクワの首都機能が移転していたクイビシェフに避難し、そこで全曲は完成した。作曲者によるスケッチのメモによると、最後の第4楽章が完成したのは1941年12月27日。

     レニングラードは1941年8月末からドイツ軍に完全に包囲されており、作曲が終了したこの時、冬将軍が到来した市内は、物資の不足によりまさに阿鼻叫喚の地獄と化していた。

     作曲者は、この曲を「レニングラード市」に捧げた。

     初演は1942年3月5日、クイビシェフで行われた。ソ連政府は、世界的に有名な作曲家であるショスタコーヴィチが完成させたこの一見壮大な交響曲を戦意高揚に利用する。複製された楽譜は空輸によってレニングラードに運ばれ、1942年8月9日、包囲下のレニングラードにおいて、レニングラード放送管弦楽団により演奏された。

     オケのメンバーはほとんどが、徴兵され最前線で戦っていた。皆、演奏のために市内に戻ることが許され、1日だけ銃を楽器を持ち替えて、演奏に参加し、そしてまた戦場へと戻っていった。
     彼らのほとんどが、そのまま帰ってこなかった。

     ソ連政府の手により、楽譜はマイクロフィルム化され連合国各国へと渡った。アメリカでは、1942年7月19日、トスカニーニの指揮、NBC交響楽団によって初演が行われた。アメリカはその演奏を、全世界にラジオ中継した。戦意高揚と連合国各国の連帯の強化のために、この曲を利用したのである。


    ————————————————


     と、いうような曲の来歴を頭に入れて、一度ハルヒの「射手座の日」に戻ろう。
     「射手座の日」で使用されるのは第1楽章。まず、コンピ研との戦闘開始にあたってハルヒが演説するシーンで、楽章冒頭の弦とファゴットのユニゾンによる雄大な印象の第一主題が使用される。

     この第1楽章は、非常に変則的なソナタ形式をしている。通常のソナタ形式では中間部は、2つの主題の展開部になる。ところがこの楽章では、展開部の代わりに、そこに全く別のメロディによる「ボレロまがい」が挟まっているのだ。

     この変ホ長調の主題は「戦争の主題」と呼ばれている。

     このメロディが14回ほど繰り返され、繰り返すたびに盛り上がり、最終的に暴力的なまでの音量ですべてを圧倒する。レニングラード市が戦争に巻き込まれる過程というわけだ。

     「射手座の日」では、この繰り返しの部分が使用される
    「1600開戦」の部分では、弦楽器が並行和音でメロディを演奏する7回目と8回目の繰り返しが使われる。

     キョンの「どうにもならないんだ」からはオーケストラの全楽器が咆哮する12回目、続いてメロディが大きく変形されて短調で出現する13回目の部分が使われる。いきなり曲調が悲壮な雰囲気に変わる部分に、みくるの「みなさんどこにいっちゃったんですか〜」という悲鳴が重なるあたり、演出効果満点だ。


    ————————————————


     と、まあここまでは、ショスタコーヴィチが生きていた頃の解釈である。

     ところでここで、メロディを覚えている人は、「戦争の主題」を口ずさんでみて欲しい。
     なんだか間抜けな気はしないだろうか。メロディだけ取り出すと、およそ戦争とは思えないぐらいのどかで間抜けで、しかもどこか茶番じみてもいる。これならば、ジョン・ウィリアムズが「スターウォーズ」で書いた戦闘の音楽のほうが、ずっと戦争と言うには似つかわしい。
     そういえば、このメロディ、かつてCMでシュワルツネッガーが、「ちちんぷいぷい」という歌詞を付けて歌っていたではないか。それぐらい、メロディとしては間抜けなのだ。

     この間抜けなメロディが「戦争の主題」とはどういうことなのだろうか。

     実は間抜けなのは主題だけではない。この「ボレロまがい」は、ボレロのように厳格にオーケストレーションだけを変化させるのではなく、繰り返しごとに異なる装飾的な対旋律を伴っている。早い話が「合いの手」が付いているわけ。その合いの手もまた、どこかサーカスじみた茶番っぽい雰囲気を持っているのである。

     はて?


    ————————————————


    閑話休題
     1942年に全米にラジオ放送された、第7交響曲の演奏を、アメリカに亡命した一人のハンガリー人の作曲家が聴いていた。

     その名は、バルトーク・ベーラ。ハンガリー人は、「姓・名」の順番で書くので、バルトークが姓である。

     彼は母国ではハンガリー民謡の研究で名前を上げ、民謡と近代的作曲技法とを統合した独自の作風を確立した作曲家として尊敬されていた。
     ところが彼の音楽は、アメリカが受け入れるには晦渋に過ぎた。そしてまた彼の性格もまた、アメリカでうまく立ち回るには実直に過ぎた。ナチスから逃れたアメリカに渡ったものの、ハリウッドを手玉に取ったストラヴィンスキーや、カリフォルニアに作曲の教師の職を見つけたシェーンベルグのようにうまくやることができず、この時期彼は貧乏のどん底にいた。
     しかも彼は、亡命による環境の激変によってか体調を崩しており、あまつさえ精神的には作曲すらできなくなっていた。
     何人かの音楽関係者が、彼を援助しようとしたが、援助を受けるにはバルトークは誇りが高すぎた。難儀な人である。

     そのバルトークは、このショスタコーヴィチの第7交響曲を聴いて怒り狂った。「なんという不真面目な曲だ」と。このことは、彼の息子のピーターが記録している。

     さあ、バルトークはこの曲の何を「不真面目だ」と怒ったのだろうか?


    ————————————————


     この時、指揮者のセルゲイ・クーセヴィツキーが、なんとかしてバルトークに生活費を渡そうとしていた。裕福な女性と結婚していた彼は、妻の財産を使ってクーセヴィツキー財団を設立し、様々な作曲家に新作を依頼し、自ら初演していた。
     誇り高いバルトークが生活費を受け取らないであろうことを知ったクーセヴィツキーは、代わってバルトークに「自分のためにオーケストラのための曲を書いて欲しい」と依頼した。それが、渡米以来萎えていたバルトークの創作意欲に火を付けた。

     かくしてバルトーク晩年の傑作、オーケストラの各楽器が縦横無尽に活躍する「管弦楽のための協奏曲」が生まれた。

     全5楽章からなる「管弦楽のための協奏曲」の第4楽章は「中断された間奏曲」という題名を持つ。ここで、ショスタコーヴィチの第7交響曲第1楽章の、あの「戦争の主題」後半が引用される。上から下へと音符が下がってくる部分だ。

     引用されたメロディの繰り返しが、木管楽器による人間の笑いを模擬したようなフレーズで3回中断される。「中断された間奏曲」という題名の由来だ。
     同時にバルトークのショスタコーヴィチに対する「不真面目だ!」という意思表示でもあるのだろう。


    ————————————————


     では、ショスタコーヴィチは、何が不真面目だったのか。私の記憶ではこれを指摘したのは日本の作曲家、柴田南雄だった。

     実は、「戦争の主題」の後半には元ネタがあった。ウィーンのオペレッタ作曲家フランツ・レハールの代表作「メリー・ウィドウ」(1905)だ。

     「メリー・ウィドウ」は、「会議は踊れど進まず」で有名な1814年のウィーン会議を舞台にした恋のさやあての物語だ。ご存知、ナポレオン後のヨーロッパの勢力図を確定しようと各国が角突き合いをしたあげく、ナポレオンのエルバ島脱出でお流れになった会議である。

     ショスタコーヴィチが引用したのは、登場人物の一人、ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵が酒場に繰り出すところで歌う歌。そして、ショスタコーヴィチが引用したまさにその部分の歌詞は「彼女ら(松浦注:酒場の女達)は祖国を忘れさせてくれるのさ」というものだったのである!

     おいおい、これはどういうことか。レニングラード市に捧げられた交響曲の「戦争の主題」が、「女で祖国を忘れよう」というのは一体何なのだろうか。バルトークが不真面目と怒った理由も分かろうというものだ。

     皮肉なことに、ショスタコーヴィチが第7交響曲を書き、バルトークがそれに怒って「管弦楽のための協奏曲」を書いたその時期、老いたレハールはナチスの庇護を受けていた。しかもユダヤ人の妻と共に。
     ヒトラーが「メリー・ウィドウ」が大好きだったという理由からだった。それ故、戦争終結後、レハール自体は一切政治的な動きをしていなかったにもかかわらず「戦争協力者」と非難されることになる。


    ————————————————


     ここで最大の問題は、なぜショスタコーヴィチは、本当に「メリー・ウィドウ」を引用したのか。そして、引用するとしたらその意図は何だったのかということだろう。

     実はショスタコーヴィチには、そのような引用を行う動機が十分にあった。彼は向かうところ敵なしの天才児としてスタートしたが、芸術をも統制しようとするソ連共産党によって1936年、プラウダ紙面で非難されたことがあった。
     スターリンが密告を奨励し、派手に粛正を繰り広げた時期、彼はこともあろうに共産党の機関紙の紙面で批判されたのだ。その恐怖はいかばかりだったろうか。彼は、彼の庇護者でもあった陸軍のトハチェフスキイ元帥に相談したのだが、翌1937年には、そのトハチェフスキイが、スターリンによって粛正されてしまうのである。

     プラウダによる批判以降、ショスタコーヴィチの音楽は変化した。生き延びるために「明るく健全で分かりやすい」という社会主義リアリズム方針に従った。
     彼の巨大な才能を持ってすれば、その路線ですら傑作を書くことが可能だった。そうして有名な第5交響曲が生み出された。
     彼は第二次世界大戦後、もう一度批判されるが、そのときはスターリンへのおべんちゃらに満ちたカンタータ「森の歌」を書いて生き延びた。歌詞はどうしようもないが、音楽は間違いなく傑作だった。

     その一方で、自由に作曲できない環境の中、彼は鬱屈し、屈折していった。彼は自分の音楽に謎めいた仕掛けをするようになる。奇妙に音楽の流れを断ち切るような音名象徴、それとは分からないような引用など。
     音楽は言葉と異なり、それ自身で確定した意味を持たない。いかようにでも解釈できる。有名なロッシーニの「ウィリアムテル」序曲は、アメリカ西部の騎兵隊の映像にもマッチするし、蒸気機関車の疾走にも、あるいは「スターウォーズ」のクライマックスで共和国軍を助けに駆けつけるハン・ソロとミレニアム・ファルコン号の映像にもぴったりだろう。
     その音楽の特質を生かし、ショスタコーヴィチは音楽の中に自分の真意をひそかに埋め込むようになっていった。


    ————————————————


     そう、ショスタコーヴィチが「戦争の主題」に込めたのは、反祖国的なもの、即ちスターリンによる粛正ではなかったのか。そう考えるとすべてが符合する。どこかおちゃらけた旋律が、サーカスのような対旋律を伴ってどんどん威圧的になっていく過程は、まさにスターリンの治世そのものでないか。
     すなわち、ショスタコーヴィチは、ナチスと戦う祖国の英雄を称える交響曲を書くと見せかけて、実はスターリンに対してあかんべえをかませていたということになるのだ!


    ————————————————

     ショスタコーヴィチの「音楽の暗号」は、彼の死後の1982年、西側で出版された衝撃的な「ショスタコーヴィチの証言」(ソロモン・ヴォルコフ編)で一躍表に飛び出た。回想録にはそれまで公式発言で形成されたいた西側のショスタコーヴィチ像とは全く異なる、彼があった。公式発言とは異なる、人間的に納得できるショスタコーヴィチがそこにいた。


     これで、めでたしめでたし。謎は解けたぜ、で終わればいいのだが…

     音楽の暗号は、数理的な暗号と異なり読み手がある意図を持っていなければ読み出せない。その意味では、ノストラダムスの予言とよく似ている。
     ということは、常に「それはショスタコーヴィチの真意か。深読みしすぎじゃないか」という問題がつきまとうことになる。戦争の主題が「メリー・ウィドウ」の引用って本当か?他人のそら似で、深読みしすぎじゃないか、というように。

     実際、現在では「証言」は「編者」ヴォルコフが、ショスタコーヴィチ周辺でプライベートに話されていたことや、ショスタコーヴィチが書いた文章を適当につなぎ合わせたものじゃないかという意見が優勢になっている。その証拠に、「証言」には、ショスタコーヴィチが死後に残した最大の爆弾が記載されていない。

     彼はスターリン時代に、スターリンをはじめとしたソ連政治を思い切り皮肉ったカンタータ「反形式主義的ラヨーク」を密かに書いていた。「証言」にはこの曲についての記述が一切ない。「反形式主義的ラヨーク」の存在を、本当に親しい人は皆知っていたが決して口には出さなかった。これが出てこないということは、「証言」は大して親しいわけでもないヴォルコフのでっちあげということだ、というわけである。


    ————————————————


     だが、私には、そういった混乱すら、実はショスタコーヴィチが意図したものじゃないかという気がする。

     ヴォルコフが西側の出版社に持ち込んだタイプ原稿にはショスタコーヴィチ自身のサインがしてあったという。

     私は想像してしまう。ソ連からの亡命を企てた若きヴォルコフが、西側へのみやげとして、ショスタコーヴィチの回想録をでっちあげるべく取材を開始する。それに気が付いたショスタコーヴィチは、ヴォルコフを呼びつける。おびえるヴォルコフに対して、老いたショスタコーヴィチは何も言わずに、彼の原稿にサインをいれる、というような鬼気迫る光景を。


     さて、長々とした話はこれでおしまい。「涼宮ハルヒの憂鬱」から始まって、ずいぶんと遠いところまで来てしまった。

     まあ、「射手座の日」でなにげなく使われた、そして、かつてシュワルツネッガーがCMで「ちちんぷいぷい」と歌ったメロディには、これだけの因縁がまとわりついていて、暗い暗い深淵が口をぽっかりと開けているのだ、ということで。


    ————————————————



     バルトークの「管弦楽のための協奏曲」は、色々な録音を聴いたけれど、このライナー指揮シカゴフィルの古い演奏が、やはり一番いい。歴史的名演だ。

     オーケストラの各楽器が、あたかもソリストのように縦横無尽に活躍する、エネルギッシュかつスタイリッシュな曲だ。第1楽章の途中、3本のトランペットと3本のトロンボーンがいきなり6声のカノンを演奏するあたりなど、背筋にぞくっと来るぐらい格好良い。




    .


     酸鼻を極めたレニングラード攻防戦の概要を知るには、このソールズベリーによるノンフィクションをお薦めする。長らく入手不可能だったが、最近再刊された。高いとかいわずに、買うべし。

     レニングラードの指導者だったジダーノフは、スターリンにとって目の上のタンコブ的存在だった。スターリンは、ジダーノフを消すために半ば意図的にレニングラードを見捨てたのである。その結果、市民は地獄を見ることになった。

     スターリンの意図に反し、ジダーノフは包囲戦を生き抜き、ナチス・ドイツを打ち破って、ソ連共産党における地位を固める。そして、戦後ジダーノフは、ショスタコーヴィチに対してさらなる個人攻撃を仕掛けることになるのだ。



     偽書だという説が優勢になっているものの、この「証言」が西側に出てきたときのショックは巨大だった。今後ともショスタコーヴィチの受容史を語るには欠かせない文献といえるのではないだろうか。
     最近はかなりショスタコーヴィチの研究も進んでいるようだが、私がフォローできていない。なにか良い本が出ているようならば、是非とも教えてほしい。


     ショスタコーヴィチ趣味の行き着く果て、ということで遺作の「ヴィオラソナタ」をリンクしておく。間違っても素人はこれを買ってはいけない。
     晩年に向かうにつれ、ショスタコーヴィチの音楽は鬱屈し、内省的で暗いものになっていった。その到達点が、死の直前に完成したこのヴィオラソナタだ。
     マーラーの後期交響曲を暗いと感じる人は多いだろうが、これはそれどころじゃない。おそらく、人類が手にした最も暗い、ブラックホールのような音楽である。
     にもかかわらず、この曲は、あたかもホーキング輻射のように光を放っている。恐ろしいまでに高貴で、気高く、そして真っ黒な絶望に彩られている。この曲と比べることができるのは、ゴヤが晩年に描いた一連の「黒の絵画」だけだろう。
     ショスタコ19歳のはつらつとした第1交響曲を考え合わせると、社会主義というのはいったい何だったんだろうかと考えざるを得ない。

    | | Comments (7) | TrackBack (2)

    2006.08.06

    広島に黙祷する

     今年は広島に行ったこともあり、朝から広島の原爆の日式典をテレビで観ている。61年前の今日、午前8時15分、アインシュタインの手紙に始まり、アメリカが科学と財力の限りを尽くして完成させた原子爆弾が、トルーマン大統領の指示の元、ティベッツ機長率いるボーイングB29爆撃機「エノラ・ゲイ」によって、広島に投下された。

     かくして現出した地獄絵図の余波は、今も続いている。

     式典の音楽や、広島市長のあいさつなど、色々感じるところはあれど、今日は私も黙祷する。

     もちろん、「過ちを繰り返さないのは誰だ?」と考えつつ。

     式典に関して一つだけ言うと、そろそろ誰か有能な作曲家が式典用の実用音楽としての鎮魂音楽をもう一度作曲すべき時期ではないだろうか。
     コンサート用音楽としては、ペンデレツキの「広島の犠牲に捧げる哀歌」(これは作曲後に後から付けた題名で、曲と広島には内的関連は一切ないだそうだが)があり、大木正夫の「カンタータ 人間を返せ」「交響曲5番」があり、もっと若い世代では細川俊夫「ヒロシマ・レクイエム」があるが、どれも式典で使える音楽ではない。
     真の式典用音楽の作曲は、己の主張を押し出せばいいコンサート用音楽よりもずっと難しい。そろそろ、今後100年200年のために、誰かが新たに曲を書いていい時期に来ていると思うのだが。

     私見を述べるなら、2発の原爆投下について、アメリカ、特にトルーマン大統領は人道に関し、真っ黒の有罪であると思う。そこに至るまでの大日本帝国指導部の政策的な稚拙さと甘さもさりながら、爆弾一発の放射線と熱線で、赤ん坊から老人に至るまでの非戦闘員を10万人単位で焼き殺し、生き延びた人にその後60年以上も続く後遺症を残したということが、人道に対して有罪でないと考えるほうがおかしい。

     免罪があるとするなら、原子爆弾がそれほどのものだと、完成するまで誰も、それこそ開発に携わった科学者らですら、思いもしなかったということの一点のみだろう。人間の想像力は悲しいほど限定されている。

     ハリー・トルーマンという一人の人間の行為から学ぶことがあるとするなら、「自分が同じ立場に置かれたらどうするか」をよくよく考えることしかないだろう。
     自分の国の若者は、今日も星条旗の下、太平洋の戦場で死につつある。なにやらソ連では先代の大統領が結んだ密約に基づいて、スターリンが戦後地図を睨んで兵を動かしそうな雰囲気だ。そして手中には決定的かつ最終的解決をもたらしてくれそうな強力な爆弾が2発。
     この状況で、現在交戦中の敵国の一地方、見たこともない知らない土地に住む、人種も違う、赤ん坊から老人に至るまでの人々の日々の生活に、あなたなら思いを致すことができるだろうか。
     それが、想像力を持つということなのだ。

     広島と原爆を巡るCDを2枚紹介する。最初は芥川也寸志がただ一曲だけ残したオペラ「ヒロシマのオルフェ」。1960年に「暗い鏡」という題名で初演され、その後の改訂を経て1967年に「ヒロシマのオルフェ」という名前の決定版となった。
     脚本は大江健三郎。顔にケロイドを持つ若者が、娼婦から不思議な鏡を受け取り、鏡に映る己の姿を通じて希望と絶望を経験するという象徴的なストーリーだ。
     音楽は芥川特有の切れの良さと、表現主義的な暗さが見事にマッチした傑作である。
     音楽では、全体のバランスを取るためにどこかに明るい部分があったほうが良いが、原爆を題材にすると、明るい曲調を埋め込むことが極端に難しくなる。芥川も非常に苦労したようで改訂にあたっては全曲中唯一明るい曲調の第3幕「未来の夢、春の花、光の子供達」を全面的に書き直している。

     

     広島で被爆した詩人原民喜の詩に、林光が曲を付けた混声合唱曲「原爆小景」。1曲目の「水ヲ下サイ」は1958年に発表され、高い評価を受けたが、作曲者はその後をどうしても書き継ぐことができなかった。当初構想では、この後に「永遠のみどり」を書いて2曲で完結することになっていたが、どうしても書けなかったのだという。想像するに、林もまた芥川と同様に、明るい曲調を書きあぐねたのではないだろうか。
     結局、14年後の1971年になってより激越な曲調の第2曲「日ノ暮レチカク」と第3曲「夜」が書き足され、最後の「永遠のみどり」を書いて全曲が完結したのは、実に第1曲から44年を経た2001年になってからのことだった。
     林光へのインタビューによると、作曲にあたっては岩城宏之の要請があったそうだ。これもまた、岩城宏之という希代のキャラクターがあって、この世に生まれた曲なのである。
     背筋を伸ばして聴くしかない、林光一世一代、一期一会の作だと思う。

    | | Comments (5) | TrackBack (0)

    2006.06.14

    さようなら、初演魔の活火山

     指揮者の岩城宏之氏が13日、この世を去った。ずいぶんと長患いをしていることは、彼を扱ったテレビ番組で知っていたが、それでも悲しい。

     せっせと現代音楽の演奏会に通っていた頃、ずいぶんとその指揮を見た。いつ、いかなる曲を振っても、岩城の棒は筋肉質で弾力性に富む音を紡ぎ出した。それがたとえ武満徹の曲であっても、弱々しくはなく、響く音は(おそらくは武満本人の意図を超えて)筋肉質だった。若い頃、ヨーロッパでは「活火山」と評価されたという。確かに「活火山」の通り名は伊達ではなかった。

     今、世間では彼の事を、「ベートーベンの交響曲を一晩で振った男」として思い出しているのだろうか。しかし、私にとって岩城宏之という指揮者は、何よりも邦人作曲家の曲を誰よりも多数初演した、初演男だった。「日本人の曲を日本人が演奏するのは義務だ」というのが岩城のポリシーだったという。

     先だっての「武満徹の宇宙」で代役を立てた時、「これは最後かも」と思った。以下、そのときにmixiの読者限定日記に書いた文章。

    ——————————

     28日午後は、東京オペラシティホールの「武満徹の宇宙」というコンサートに行ってきた。「カシオペア」「アステリズム」「ジュモー」と、そろって編成が変だったり演奏時間が中途半端だったりで、コンサートにかかりにくい曲ばかり3曲をあつめたなかなかとんでも無いプログラム。しかもアステリズムのピアノソロを、ほぼ30年ぶりに高橋悠治が弾くという演奏会だった。

     演奏会の感想は表で書くとしてこの演奏会、本当は若杉弘と岩城宏之が指揮をする(ジュモーは2人の指揮者を必要とする)はずだったのだが、岩城の体調不良で、高関健が代理で振った。

     で、演奏会で配布されたチラシに見る今後の岩城の予定。

    新交響楽団 第194回演奏会 2006年7月22日(土)サントリーホール19:00<芸術文化振興基金助成事業>
    指揮:岩城宏之 合唱:栗友会
    曲目 芥川也寸志/交響管絃楽のための音楽
       伊福部昭/管絃楽のための日本組曲
       黛敏郎/涅槃交響曲

    NHK交響楽団 指揮:岩城宏之 2006年9月18日
    横浜定期演奏会
    武満徹:弦楽のためのレクイエム/テクスチュアズ、黛敏郎:曼茶羅交響曲、ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」

     かつて邦人作曲家の曲を次々に初演し、初演魔と言われた岩城が、こういうプログラムを組む理由は1つしかない。彼は明らかに死期を悟っている。ガンに犯され手術を重ねてきた岩城は、人生の締めにかかっている。

     涅槃、曼荼羅、テクスチュアズを演奏しようというのだ。どれも岩城が初演した曲だ。

     なによりも、「テクスチュアズ」は、後に「オーケストラのための弧」に第四楽章として組み入れられ、めったに単独演奏されることがない。7分ほどと短いが、巨大複雑な編成で演奏至難の曲である。
     1964年、34歳の武満、自分の語法を確立しようとあがいていた武満が書いて、32歳の岩城、若くてエネルギーがあり余り、ヨーロッパでは「活火山」と評されていた岩城が初演した曲だ。

     この曲をあえて単独でやろうというのだ。

     今日の一日のコンサートとしては破格かつ無茶苦茶な選曲も、おそらくは岩城の意志があってのことだったのではないだろうか。
     打楽器ソロに特殊編成のオーケストラという「カシオペア」、一種のピアノ協奏曲だけれども演奏時間が10分ほどしかない「アステリズム」、そして2つのオーケストラに2人の指揮者、しかもオーボエとトロンボーンのソロという、巨大複雑編成の「ジュモー」——どう考えても1日のプログラムとしては無茶だ。

     正直、彼がベートーベンの交響曲全曲を一気に演奏しようと、私としてはどうでもいい。

     が、黛、武満となると別だ。

     付き合いましょうも。それまで、彼の命が持つかどうかも含めて、付き合いましょうとも。音楽家の人生仕舞いを見届けましょうとも。

    ——————————

     結局、涅槃も曼荼羅も、テクスチュアズもなかった。聴きたかったのに…

     いやもう、私の感性が一番柔軟だった頃の記憶が岩城の指揮と重なっているので、こうやって書いているだけで泣けてしまう。岩城の指揮で、ずいぶん色々聴いたなあ。新日フィルの横浜定期で聴いた武満の「地平線のドーリア」、黛敏郎追悼演奏会での涅槃交響曲。

     だが一番印象に残っているのは1984年6月13日、東京文化会館でサントリー音楽財団が主催した「作曲家の個展 武満徹」だ。

     あの時、22歳の私は、留年したあげくやっとこさ進学した専門課程が面白くなく、人生何をすべきか分からずに、ずーんと沈んでいた(本人は大変だったが、まあ良くある話だ)。コンサートには、留年せずに先に就職を決めた友人I(後に私の大家になった男)と行った。

    「おめーどうすんだよ」
    「ああ」
    「このまま退学でもしたら、上野のガード下一直線だろうがよ」
    「そうだなあ」

    というような会話をしたのをはっきり覚えている。
     それまでがらがらの現代音楽コンサートばかりに通っていた私は、もちろんチケット予約などしていなかった。ところが東京文化会館は超満員で、主催者はついに立ち見のチケットを出した。私とIは、東京文化会館3階の通路階段に座って、鶴田錦史・横山勝也の「ノベンバー・ステップス」を聴いた。それは、私にとって鶴田・横山の初演コンビによる演奏の一期一会だった。

     超満員にもかかわらず、1階のS席のエリアには空席が目立った。
    ——おつきあいでチケットを買ったけれども、音楽にはそもそも興味がなくて欠席したブルジョワ野郎がたくさんいるんだ…
     私は見当外れの怒りを感じつつ、3階からどこに空席があるかを観察した。もちろん休憩時間に1階に移動して割り込んだのである。

     幸いにして、休憩時間が終わってもその席のチケットをかった仮想敵のブルジョワ野郎は来なかった。私は安い立ち見チケットでS席に座り、武満の「オリオンとプレヤデス」日本初演を聴いた。堤剛の独奏チェロの奏でる、微分音混じりのメロディがやけに心に沁みた。
     そのときも、目をつぶりチェロを演奏する堤の横で、岩城は切れの良い指揮棒を振っていたのだった。

     この日の演奏は後に二枚組CDとなった(残念ながら現在は絶版中だ)。私はそれを持っているが、滅多にかけない。かけるとあの日の陰鬱と充実が奇妙な界面を形成した気分を思い出してしまうから。思い出したくない自分が、あふれだしてしまうから。

     ともあれ、岩城宏之という人がいなければ、私が学生時代、あれほどの現代音楽の実演に接することはなかったろう。

     たくさんの音楽をありがとうございました。合掌。


     やはり岩城宏之は邦人作品の演奏を聴かなくては、と思うので、邦人作品の録音のみを紹介する。

     29歳の黛敏郎が書いた、正真正銘の大傑作。梵鐘の響きを音響解析し、六管編成で3つに分割したオーケストラで再現し、そこから様々な響きを引き出し、男性六部合唱と組み合わせた大作だ。初演は1958年4月2日「三人の会」第3回演奏会で、岩城宏之とNHK交響楽団が行った。この時岩城宏之は25歳!

     題名だけで「親父、涅槃で待つ」というようなセリフを思い出して笑ったり、抹香臭い音楽だと先入観を持つなかれ。おそらく過去100年に日本人が作曲した音楽の中でも間違いなく十本の指に入る曲だ。いや、最高の一曲に選ぶ人がいてもおかしくはない。
     このCDは、黛にインスピレーションを与えた奈良法相宗薬師寺の聲明「薬師悔過」(やくしけか)がカップリングされている。



     曼荼羅交響曲は涅槃交響曲で調子に乗った黛が次に書いた交響曲。これまた岩城が初演している。第一楽章が「金剛界曼荼羅」、第二楽章が「胎蔵界曼荼羅」と名付けられた二楽章で構成される。といっても、仏教的というより異国的で、黛お得意のラプソディックな音響が乱舞する。録音は古いのだけれど、「胎蔵界曼荼羅」の後半で、突如野太いメロディが出現してクライマックスを導く当たりのリズムの取り方は、間違いなく岩城宏之ならではだ。
     もう一曲の「BUGAKU」は、1962年作曲。岩城は日本初演をしている。雅楽の舞楽を、舞楽のメロディを引っ張ってくるのではなく、改めてオリジナルで作曲した、比較的なじみやすい曲。



     黛の死後、彼の管楽やブラスバンドの曲ばかりを岩城が指揮して録音した、まさに友情の一枚。表題の「トーンプレロマス55」は題名の通り1955年、黛25歳の作品。ミュージカルソウ(西洋のこぎりをヴァイオリンの弓で演奏する)が大活躍するユニークな曲。中間部ではマンボのリズムが爆発する。
     思想信条において、黛は右翼的で、岩城はどちらかといえば左翼的だったが、ともにそんなことは全く気にしていなかったようだ。岩城は黛の生前も、死後も、ことあるごとに黛作品を演奏した。



     岩城が、あまり演奏されない1970年代武満徹の名作を3曲振った是非とも手に入れるべき一枚。札幌オリンピックに合わせた「ウインター」の冷徹な美、様々な音響がなまめかしい身振りで浮遊する中から一瞬ワルツのリズムが立ち現れる「マージナリア」のエロティックな美。そして、このCD一番の聴き所は、高橋美智子のマリンバをソロにたてたマリンバ協奏曲「ジティマルヤ」だ。弦楽を排除したオーケストラをバックに、マリンバが意味深な身振りで旋律を紡ぎ出す。マリンバの打撃音と管楽器の異国風の旋律がアラベスク模様のように絡み合う。



     筆も立った岩城の著書から、とびきり面白い一冊を紹介する。岩城と山本直純は芸大の先輩後輩だった。指揮者を目指した二人は本物のオーケストラを振りたい一心で、「練習に来たら蕎麦をおごるから」と学生を集めてオーケストラを組織し、演奏会を開催する。
     才能抜群だが破天荒で破滅型、でも憎めない「ナオズミ」こと山本直純の行動が無茶苦茶面白い。脇を固めるキャラもどれもこれも個性的。「本当にあった話か?作ってないか?」と思ってしまうほど。ラスト、ショスタコービッチの「森の歌」を演奏するシーンは、もう泣くしかない。

    | | Comments (1) | TrackBack (0)

    2006.05.29

    「武満徹の宇宙」を聴きに行く

     28日日曜日の午後、東京・初台の東京オペラシティで、開かれた「武満徹の宇宙」というコンサートに行ってきた。

    2006年5月28日[日]15:00
    [武満徹─Visions in Time]
    オーケストラ・コンサート「武満徹の宇宙」

    岩城宏之/若杉 弘(指揮) 高橋悠治(ピアノ) 加藤訓子(パーカッション)
    古部賢一(オーボエ) クリスチャン・リンドバーグ(トロンボーン) 東京フィルハーモニー交響楽団
     曲目
    「カシオペア」(1971)
    「アステリズム」(1968)
    「ジェモー」(1971-1986)

     武満徹の人生における傑作の森は、1964年の「テクスチュアズ」に始まって、1981年の「海へ」で終わる、と私は考えている。1980年代以降、武満の音楽はひたすら美しくなり、代償として緊張感を失った。
     この世ならぬ美と緊張感が両立しているのが「テクスチュアズ」から「海へ」の間の作品なのだ。

     ところが、困ったことにこの時期の武満作品は編成が普通ではなかったり、演奏時間が短かったりで、通常のコンサートにかけにくい曲ばかり。だから、なかなか演奏されない。

     通常、クラシック系オーケストラ・コンサートは、1)序曲、前奏曲(10分前後)、2)ソリストを立てた協奏曲(20〜30分)、3)大規模管弦楽曲か交響曲(40分ぐらい)——という組み合わせでだいたい2時間のプログラムを組む。

     ところが1960〜70年代の武満作品は、ソリストが立つ協奏曲でも10分ほどだったり、舞台上のオーケストラを特殊な配置に組み直したり、極めて大規模だったりで、このパターンに当てはまらない。だから「秋」「ウインター」「カトレーン」「マージナリア」といった名作が軒並み、滅多にコンサートにかからない幻の作品になってしまっている。

     今回は、その中から3曲を選んで1つのコンサートにするという野心的なプログラム。うまくいくのかどうか、実のところかなり心配だった。まず、指揮者の岩城宏之が体調不良で、高関健と交代した。闘病しつつ指揮活動を続けている岩城だが、おそらく今回の選曲には岩城の意志がかなり入っているのではないだろうか。その岩城を欠いて大丈夫なのか。


     1曲目の「カシオペア」は打楽器奏者のソロが入る、打楽器協奏曲と言える作品。1970年代、天才の名を欲しいままにした打楽器奏者ツトム・ヤマシタのための作曲された。オーケストラは通常の配置ではなく、それぞれ異なる編成の4つの群に分けられ、打楽器奏者共々、舞台上にカシオペア座を象徴する逆W型に配置される。

     オケのチューニングの時点で、「これはまずいかも」と思った。オケ・メンバーが軒並み仏頂面なのだ。なにかリハーサルでトラブルがあったのだろうか。やはり、この3曲でコンサートを構成するのは難しいのか…

     ところがいざ、若杉弘の指揮のもと、音楽が始まると、オケは素晴らしい音を奏でた。

     この曲で、打楽器奏者は、途中からカスタネットを叩きながらホールの後ろから登場する。ほぼ20年前に吉原すみれの演奏で聴いた時、吉原は足に付けた鈴をならしつつ、一気に走って登場した。
     今回ソロを取る加藤訓子は走らず、能の歩みを思わせる足裁きで登場した。
     演奏は大変な熱演だった。が、私にはがんがん鳴らしすぎに思えた。この曲は、自分の解釈を押し出すよりも武満の書いた音と対話するようにして、鳴らすところと静寂を聴かせるところのメリハリを付けて演奏する方がいいのではないか。初演者ツトム・ヤマシタが、小澤征爾と入れた録音のように。
     ソリストが気負いすぎたかな、という印象。

     ここで20分の休憩が入り、オケの配置を変えて2曲目の「アステリズム」。これまた作曲当時「ナポレオン的ピアニスト」と言われた高橋悠治をソロに立てたピアノ協奏曲。その後、武満と高橋が仲違いをしたため、高橋がこの曲を演奏するのは実に30数年ぶりだという。指揮は岩城に変わって高関。
     多分、岩城は、自分と高橋でこの曲を演奏し、武満に送りたかったのだろうな、と思う。

     高橋と小澤征爾/トロント交響楽団による歴史的録音がある曲なのだけれど、この曲は本来、若いピアニストが弾くべき曲なのだろう。
     高橋悠治だけに、音を外すというような無様なことはしないが、それでも今年68歳の高橋は、この曲を演奏するのには枯れすぎてしまっていた。
     あるいは彼としては、力を抜くことで、様々な栄誉のヴェールをかぶってしまった武満の音楽を、もう一度裸にしようという意図があったのかも知れない。が、出てきた演奏は、もっと瑞々しく、もっと高圧的でエロティックなほうがよかったのにと思わせた。かつての高橋のように。
     オケの演奏はちょっとだるいが、仏頂面は少しずつ減ってきた。なによりも曲の最後に入る長いクレッシェンドを実演で聴くことができただけでも良かった。でも、このクレッシェンド、楽譜では「最低40秒、できれば2分ぐらい」と指定してあるのだけれども、やや短かったような気がする。

     ここでまた20分の休憩が入る。舞台上の椅子を並べ直して、最後の「ジェモー」。
     2つのオーケストラに2人の指揮者、オーボエとトロンボーンのソロ、全4楽章演奏時間30分という、武満徹による協奏交響曲と言うべき作品。この曲はサントリーホールこけら落としで初演されたのを、私は聴いている。あの時はトロンボーンソロを取ったヴィンコ・グロボカールが素晴らしかった。

     今回はといえば、トロンボーンのリンドバーグが駄目。技巧的には素晴らしいのだけれど、自己主張ばかりが強い演奏で、武満の書いた音を聴き、再現しようという意志が感じられない。音が大きいだけに、それだけで演奏はかなりの減点だ。
     ところがオーケストラがいいので、それなりに演奏は盛り上がった。この曲は1972年に第一楽章に相当する第一部が完成したが、オケとのトラブルで演奏されず、その後15年近くかけて残る3つの楽章を書いて完成させたというエピソードがある。その間の武満の作風を反映して、最初は厳しい緊張に満ちていた音楽が、最後には大きくエロティックにうねり、協和音に到達する。
     だが、初演ではもっと盛り上がったはずなんだがなあ。

     色々問題のある演奏会だったけれども、それでも行って良かったと思う。なにしろ、どの曲もめったに演奏されないのだから。

     そして、事前のリハーサルはとても大変な状況だったのではないかと推察できるにもかかわらず、難しい武満の曲を、ちゃんと最後まで聴かせる演奏で通した 東フィルに拍手。

     なお、終了後は同じオペラシティで開催されていた武満徹 Vision in Time展へ。1950年代の実験工房によるオートスライド作品と、いくつかの作品の自筆譜を見ることができたのが収穫。

     オートスライドというのは東京通信工業、現在のソニーが作っていたテープレコーダーに連動してスライド投影を行う装置。これをつかって、実験工房では映像と音を組み合わせた作品を作っていた。まさか名前だけは知っていた「試験飛行家W.S氏の眼の冒険」「見知らぬ世界の話」などを見ることができるとは思わなかった。

     武満が構成を担当した「見知らぬ世界の話」(ある惑星に生命が発生し、原子エネルギーまで手に入れるが、放射線によりミュータントが発生して諍いの結果星は滅びてしまうという内容)は、ほとんど手塚治虫テイストだった。


     なお、この演奏会はNHK-FMの「現代の音楽」で放送される。

    NHK FM「現代の音楽」
    2006年 7月2日(日) 18:00〜18:50 (《カシオペア》、《アステリズム》)
    2006年 7月9日(日) 18:00〜18:50 (《ジェモー》)

     興味があるならどうぞ。

    一応CDも紹介しておく。

     ツトム・ヤマシタと小澤征爾/日フィルによる「カシオペア」。録音は古いが、音質、演奏共に良い。同録は石井真木「遭遇II番」。オーケストラと雅楽が同時に演奏するという曲でこれまた面白い。



     向かうところ敵なしだった時期の高橋悠治と小澤征爾が、これまた「これからガンガン曲を書いてやるぜ」という調子に乗った時期の武満作品を演奏しているお得な一枚。収録された曲は、「ノヴェンバー・ステップス」「アステリズム」「グリーン」「弦楽のためのレクイエム」「地平線のドーリア」と、すべて傑作揃い。買うべし。



     「ジェモー」に加えて、最晩年の「精霊の庭」が収録されている。1980年代を美しい響きに溺れて過ごした武満だが、「精霊の庭」に至って、また音楽に緊張感が戻ってきた。それも以前のような張りつめた緊張感ではなく、リラックスしつつもひとつひとつの音への集中を途切れさせないという、新しい方向性だった。
     もう少し長生きしてくれれば、この先にさらなる展開があったはずなのに、残念だ。

    | | Comments (0) | TrackBack (0)

    2006.04.09

    武満徹関連本を読む

     武満徹没後10年ということで、今年はオール武満の演奏会がいくつか予定されている。また、関連本も色々と出ているが、そのうちの2冊を読んだ。

     まず「武満徹の音楽」(ピーター・バート著 小野光子訳 音楽之友社)

     武満徹の音楽には「タケミツ・トーン」と呼ばれる独特の音の響きが溢れている。本書は彼が遺した134作品を分析し、どのようにしてタケミツ・トーンが組み立てられているかを示した音楽理論書だ。

     例えば、かつての日本音楽コンクール(私がせっせと聴いていたのは毎日音楽コンクールという名前の頃だったが)の作曲部門、特に管絃楽作品の年は、一時期必ずと言っていいほど、三善晃の影響をくっきりと受けた曲が最終選考に残ったものだった。三善晃、それも三善27歳の出世作「交響三章」の影響だった。
     これは「交響三章」がそれほど魅力的な曲だということに加えて、若き日の三善が、フランスで学んだアカデミックな作曲技法を駆使しているということが影響していたのだろう。つまり作曲家を目指す学生にとって、「交響三章」は学校で習った知識で分析でき真似がしやすかったのではないだろうか。
     真似は学習の過程で必須だが、みんながみんな三善調、それももっと表現主義的作風へ移ってからの「チェロ協奏曲」や「ノエシス」ではなく、若書きの「交響三章」の真似というのが、なんとも笑えたものだった。

     武満の場合、その響きを模写しようとする者が出てきても全然おかしくはなかったが、多くは部分模写に留まり、なかなか「タケミツ・トーン」の再現に成功する者は現れなかった。わずかに先年パリで亡くなった平義久が「クロモフォニー」「メディタシオン」といった管弦楽曲で、「タケミツ・トーンを思わせる」と評価されたが、これもまあ「どことなく、それっぽい」という程度で、寧ろ曲はオリジナリティのほうが強く出たものだった(そうでなければ作曲家などやってはおれないわけだが)。

     武満の音楽は、通常の作曲科の授業で教える技法では分析できない。和声法でも対位法でも、音列技法でも、だ。
     私もかつて、武満の「弦楽のためのレクイエム」の楽譜を書き写して分析しようとしたことがある。いざ書き写してみると、縦方向に無秩序に思えるほどの音が密集しており、その仕組みを遂に読み取ることができなかった。あのような縦の音の重なりから、なぜあの魅力的な音楽が産まれるのか、ついに理解できなかったのだった。
     でたらめでないことは、音楽を聴けば分かる。しかし、楽譜を見ても、どのようにして秩序を作っているかが分からなかったのである。

     本書は、武満がどのようにして独自の「タケミツ・トーン」を紡いだかを、詳細に分析した本だ。
     武満の方法論の基本は、意外に単純だった。「音階の音を全部鳴らす」ということだったのである。

     中学高校の音楽の授業でしか音楽理論に触れたことがない人は、意外に知らないが、音楽には長調、短調以外の多種多様な音階がある。独自な音の動きを伴うことが多いので、単なる音階ではなく、音の動きの法則も含めて「旋法」(モード)と呼ばれる。
     武満の場合、まずモードを選び、そこに付加音を付けていく。例えば、ピアノの黒鍵だけの五音音階、ド♯、ミ♭ ファ#、ラ♭、シ♭に、ド♯の増4度上のソを加えたり、増5度上のラを加えたり、ド♯の半音下のドを加えたり…
     そしてその音をすべて同時に鳴らす。
     同時に鳴らすだけならば、ただ一つの響きしか作れない。そこで、武満は、どの音域にどの音を置くか——ヴォイシングという——に細心の注意を払って、響きを作り出していく。
     先ほどの例ならば、ソを加えた五音音階は、一オクターブ内に密集させれば、ピアノの鍵盤をこぶしで叩いた時にでるクラスターという音塊と似た響きとなる。
     これが低音で、ミ♭ ファ#、ソを鳴らし、中音域で、シ♭、ド♯、ファ#、高音でシ♭、ミ♭、ソ、ラ♭と鳴らすなら、その響きは全く異なるものとなる。
     その響きの中で、例えば、ド、ド♯、ミ♭、ミ、ファ♯、ソ、ラ、シ♭という音階(メシアンの「移調が限られた旋法」のひとつだ)でメロディを響かせれば、とりあえずはなんとはなしに武満っぽい響きとなる。

     武満は若い頃に、日本の五音音階を使った作品を書こうとしていた。しかし五音音階では和声的な展開ができない。五音音階を基礎に響きを作ろうとする試行錯誤の中で、このような音階に付加音を加えて、ヴォイシングに注意して響きを作り出すという技法に至ったようだ。

     「武満徹の音楽」は、豊富な譜例と共に、武満が響きを作り出す秘法を、詳細に解説していく。音階の選び方、付加音の付け方、ヴォイシングの傾向など。
     武満は生前に「夢と数」という著書で、自分の技法の一部を解説していたのだけれど、これがかなり独自の用語を駆使したわかりにくい本だった。いくら読んでも、意味がとれないところも多々あった。本書は、そのあたりも明快に解説していく。
     私にすれば、長年の謎が解けたというわけで、大変興味深い一冊だった。技法を知ったからといって、自分が武満のような曲を書けるはずもないが、それでも長い間ひっかかってきた疑問が解消するのは、楽しいことである。


     もう一冊は、「作曲家 武満徹との日々を語る」(武満浅香著 小学館)。武満夫人の著者が、世界的作曲家となった夫との生活を語る一冊。

     やはりというべきか、若い頃の武満の行状が無茶苦茶面白い。他人の家の軒先で寝てしまうし、深夜突如玄関で声をかけずに他人の家に上がり込んで、一言もしゃべらずに座り込んでみたり、どこをどう切っても迷惑な無頼漢。自意識ばっかりが先走った痛い若者だ。今だったらNHK教育の若者番組に出て、とんちんかんな自己主張をしてしまうタイプだろう。

     別宮貞雄の作品が演奏される演奏会に行って、下駄を鳴らして抗議したなどというエピソードが紹介されている。あげく、偉そうに芥川也寸志に芸術論をふっかけて、「武満君、とにかく作品を一つでも書きなさいよ」と諭された、なんて話も。
     そんな武満も、大阪万博の時には、「大企業に音楽を売り渡した」と、坂本龍一などに芸大でビラを撒かれたりするわけだから、なんともはや。
     映画ファンには、黒澤明との絡みも見逃せないところだろう。「乱」の音楽を巡って、黒澤と武満が衝突したというエピソードが詳しく紹介されている。ジャズの猪俣猛とセッションを組んだことがあるなどというのも初耳、びっくりだ。

     本書に収録されている写真を見ると、若き日の武満は「こいつ、ヤクザの鉄砲玉かなんかに使われて、あっさり死ぬんじゃないだろうか」という目をしている。「私がいなければ、徹さんは死んでいたかもしれないんだから」という著者の述懐は、間違いなく真実だろう。

     なるほど、この夫人と出会って、やっと武満は武満徹となったのか、と納得できる一冊。

     ふと思い立って「武満徹」で検索ををかけてみると、Toru Takemitsu, his music and philosophyに、生前のインタビュー音声が、多数アップされていた。この中でも「柴田南雄によるインタビュー」は、必聴だ。1958年、どうやら「弦楽のためのレクイエム」がNHKラジオで放送された時の音声らしい。この時武満は28歳。聴き手の柴田南雄も42歳。高校の頃、ずいぶんと柴田氏のラジオ放送のお世話になったものだが、声が若い若い。
     そしてまだ肺に結核を抱えていたであろう時期の武満、28歳のひきつったような声の堅さが、なんとも感慨深い。「これを言ったら死にます」という印象の、思い詰めた様が響いてくる。


     せっせと演奏会に通っていた頃は、よく武満徹ご本人を見かけたものだった。いつも黒を基調とした服装で、ひょこらひょこらと風に流されるように歩いていた。音大の学生と思しき人物に「私の作品を見て下さい」と詰め寄られ、「僕は独学で他人に教えることなんかできないから」と断るのを見かけたこともある。

     もういなくなって10年も経つのか。なんとも言えない気分になる。


     作曲に興味がある人なら、読んでも損はない一冊。音楽の勉強は、アカデミックな確立した理論を学ぶことで行うが、それとは別のところで、たった一人で自分の方法論を打ち立てた軌跡がここにはある。夢枕獏作品に出てくる「仏陀が自分ひとりで悟りに至ったのならば、自分も一人で悟りに至ろう」として山に籠もる僧の話を思わせる。

     そんな武満も晩年はブラームスの分析を喜々として行っていたそうで、その様は同じく晩年に至ってやっとまともな音楽教育を自ら望んで受けたエリック・サティを連想させないでもない。

     こういう本を多くの人は、「高いから」と図書館で読む傾向があるけれども、できれば自分で買って読んでもらいたいな、と思う。なんとも楽しい、読後感が暖かい本だ。

    | | Comments (1) | TrackBack (0)

    2006.04.08

    ゴジラのテーマのルーツを探る

     ネットを見ていると、意外に知らない人が多いようだったので。

     伊福部昭の手による「ゴジラ」のテーマ。これがモーリス・ラヴェルの「ピアノ協奏曲ト調」の第3楽章に出てくるモチーフと酷似しているというのは、割とよく知られているようだ。しかし、同じモチーフが伊福部の先行作品に出てくることは知られていないらしい。

     1948年(昭和23年)、伊福部は最初のヴァイオリン協奏曲を発表した。敗戦後の1946年に北海道から上京してきて最初の大作である。当初3楽章の構成だったが、その後彼は、緩やかな第2楽章を削除、数回の改訂を経て「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲」という全2楽章の曲として完成させた。
     この曲の第1楽章のほぼ中間あたりに、あの「ゴジラ」のモチーフが出てくる。まさに映画の冒頭で鳴るテーマ通りだ。ただし楽章を貫く主題というわけではなくて、中間部で音が自由に展開する中で一瞬出現するという印象である。

     若き日の伊福部はラヴェルに傾倒していたので、「ピアノ協奏曲ト調」をよく知っていたのは間違いないだろう。ラヴェルはこの曲と、もう一曲「左手のための協奏曲」の2曲のピアノ協奏曲を作曲している。「ト調」が洒脱なら、「左手」は雄大であり、対照的な曲である。
     「ト調」の第3楽章で、ピアノが高音域で一瞬「ゴジラか?!」と思わせるモチーフを演奏する(もちろん作曲時期はラヴェルのほうが先だ)。ただしモチーフは出だしが同じであるものの、フレーズ後半の受けがゴジラとは異なる。音域もゴジラとは対照的であることからして、伊福部が盗作したのではなく、ラヴェルの楽想が伊福部の心の深い部分に沈み込んで、全く異なる歌として響きはじめたのが、「ゴジラ」だ、と考えるのが妥当なのではないだろうか。

     伊福部は映画「銀嶺の果て」(1947年、黒澤明脚本、谷口千吉監督&脚本、三船敏郎のデビュー作)から映画音楽の仕事を始める。彼は過去の自作から旋律を持ってきて、映画のシーンに合うようにオーケストレーションを施すことが非常に多かった。また、同じ旋律を複数の映画に使うことも珍しくはなかった。

     このように考えてくると、まずラヴェルの「ピアノ協奏曲ト調」があって、それを自らの骨肉の中で変奏したものが「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲」に一瞬顔を出し、さらにそのモチーフを映画に転用したのが、「ゴジラ」のテーマとなったのだろう。

     ちなみに、伊福部75歳の1988年、9人の弟子達が師匠の旋律を使った短いオーケストラ曲を作曲して師匠に謹呈した。「9人の門弟が贈る<伊福部昭のモチーフによる讃>」という曲集だ。この中でもやはりというべきかゴジラのモチーフを取り上げるものが最も多かった。
     私は演奏会の生でこの曲を聴いたが、黛敏郎の「Hommage a A.I.」が圧倒的に面白かった。ゴジラのモチーフを演奏しているはずが、いつの間にかラヴェルのピアノ協奏曲になってしまうあたりは、「おお、分かっているじゃないか」と膝を打ちたくなるようなしゃれっ気一杯の曲だった。

     さて、結論だ。「ゴジラが好きならば、ラヴェルも、協奏風狂詩曲も聴こう」。これである。

     オリジナルサントラで、ゴジラを聴きたければこれだ。ゴジラだけではなく「ラドン」「サンダ対ガイラ」「怪獣大戦争」など、特撮映画における伊福部節がいやというほど堪能できる。
     彼が「ゴジラ」の音楽を担当した時には、「そんなキワモノ映画の音楽をやるなんて」と忠告した人もあったというが、結果として特撮映画の音楽は、格好の伊福部音楽への入門編ということになった。
     「サンダ対ガイラ」などで「本物以上に本物らしい東宝自衛隊」などと言われたのも、伊福部のマーチがあったればこそだろう。毎年8月に陸上自衛隊が富士の演習場で実施する総合火力演習では、いつも「ここで伊福部マーチが流れればなあ」という声が聞かれるのである。

     「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲」はいくつか録音があるが、入手しやすく演奏も良いのはこのCDだろう。ゴジラのモチーフは第1楽章の7分25秒ぐらいのところで出現する。楽曲の構成という点では、最初に「ドレミ、ドレミ、ドレミドレミ」という上行する音形で、リズムが準備され、何回か繰り返された後に、「ドシラ、ドシラ」と、ゴジラのモチーフがほぼ完全な形でまず低弦で、次いで金管主体で出現する。全体の中では経過句として軽く扱われているが、その印象は鮮烈だ。あまりに鮮烈なモチーフなので、伊福部自身もゴジラに転用する気になったのではないだろうか。
     このCDにはもう一曲、伊福部27歳(ラヴェルが名作「弦楽四重奏曲」を作曲した年齢だ)の大作「ピアノと管絃楽のための協奏交響曲」も収録されている。若き伊福部が、機械主義的な音響を追求した素晴らしく面白い曲だ。
     この曲は、1942年の初演後、楽譜が空襲で焼失したと思われていた。その後、伊福部はこの曲の旋律を、「タプカーラ交響曲」「ピアノと管絃楽のためのリトミカ・オスティナータ」に使用した。  ところが、 1990年代に入ってNHK資料室からパート譜が発見された。伊福部自身は「あれはなくなったもの」と復活を渋ったそうだが、周囲が説得して、1997年に復活演奏された。
     まさに「蘇る名曲」なのである。聴くべし。

     ラヴェルの「ピアノ協奏曲ト調」は、枚挙のいとまがないくらいのCDが出ている。私はアルゲリッチのハジけた演奏が好きなのだけれど、どうせなら「左手」とのカップリングで、ということで、ツィマーマンとブーレーズのコンビによる録音を推薦する。伊福部のどこか未熟でごつごつとしている(それがいいのだけれど)「ピアノと管絃楽のための協奏交響曲」に対して、なんと洗練され構成しつくされた音楽であることか。「これほど完成された曲を書く奴は人間じゃない」と思わせる曲である。


     「伊福部昭のモチーフによる讃」は、以前CDが出ていたのだけれど、現在は廃盤になっている模様。まあ、そのうちにまた出てくるでしょう。

    | | Comments (2) | TrackBack (1)

    2006.02.08

    伊福部昭氏逝去す

     訃報:伊福部昭さん91歳=作曲家 映画「ゴジラ」も作曲:(毎日新聞)

     北海道・釧路生まれ。北海道帝大専門部卒。林務官を務めながらアイヌ音楽や樺太のギリヤーク民族の音楽を研究、「民族の特異性を経て普遍的な人間性に至る」ことを作曲理念に据え、ほぼ独学で民族色豊かな作品を作り出した。1935(昭和10)年、「日本狂詩曲」でパリのチェレプニン賞に入選。同曲は翌年米国でも演奏され、国際的な脚光を浴びた。来日したロシア出身の作曲家、チェレプニンに近代管弦楽法を師事。「土俗的三連画」「交響曲 オホツク海」など独自の交響作品を次々に完成させた。

     一昨年の卒寿記念コンサートでも車いすの登場だったので、かなりお年を召されたなという印象だった。41歳にして肺の病で倒れた盟友の早坂文雄や、65歳にしてガンで忽然と風のごとく去っていった武満徹などを考えれば、この世で成すべき事をすべて成し遂げた、幸福な人生だったと言えるのだろう。

     ただ一つ、戦争中の作品「交響詩・寒帯林」の復活演奏が死に間に合わなかったのは、悲しいことだと思う。この曲は、中国に楽譜があることが確認されたにも関わらず、中国側の事情で楽譜返還が未だ実現していない、

     他に比べるもの無き、「伊福部音楽」としか呼びようのない音楽の数々。私は幼少時に「ゴジラ」シリーズの音楽で、まずその洗礼を受け、高校時代に管弦楽曲を心に刻んだ。一度もお会いしたことはなかったが、心の師の一人であった。

     偉大なる人の偉大なる人生の終幕に、心からの敬意を。ありがとうございました。

     以下、とりあえず思いつくままに並べておきます。

     伊福部昭の伝記。現在のところ、もっともよくまとまった伝記だと思う。



     伊福部本人が、一般向けに自らの音楽観を語った唯一の本。彼の技術が大部の著作「管絃楽法」にまとまっているとするなら、彼の音楽芸術に対する精神的態度はこのコンパクトな本に凝縮されている。
     大変な名著。読むべし。



     伊福部を初めて聴くなら、まず初期管弦楽曲から聴こう。21歳にして書いた最初のオーケストラ曲「日本狂詩曲」の冒頭、静かなヴィオラのソロが鄙びた旋律を歌い出す部分で、もうノックアウトされるはずだ。驚くほどの音楽の瑞々しさ。一転して第二楽章では本人が「この楽章は打楽器が主で、管絃が伴奏である」語った通り、打楽器群が大音響の饗宴を繰り広げる。
     その上で、一転して簡素な音で書かれた「土俗的三連画」と第二次世界大戦中にこの世を去った兄への追悼として書かれた「交響譚詩」の、簡潔な佇まいに耳を傾けるべし。

     代表作である「タプカーラ交響曲」は、複数の録音があるのでお好きなものをどうぞ。ここでは一番手に入りやすいかと思われる広上淳一と日本フィルの録音をリンクしておく。



     「オレはゴジラが聴きたいんだ」という人にはこれ。伊福部の怪獣映画の音楽を演奏会用に編曲した「SF交響ファンタジー」が「1番」「2番」「3番」とまとめて収録されている。
     個人的には1番のラストを飾る「宇宙大戦争」のファンファーレと、それに続く「怪獣総進撃」マーチのあたりが大好きだ。3番に出てくる「海底軍艦」のテーマは「僕らの海底軍艦轟天号、轟天号」というファンが付けた後付けの歌詞を思い出す方もいるのではないかな(後半「●●●●艦長神宮寺、神宮寺」というフレーズが出てくるので人前では歌えないのだ)。

     このCDのメインである「タプカーラ交響曲」はあまり良い演奏ではないのだけれども、同時収録の「ピアノと管絃楽のためのリトミカ・オスティナータ」は、ある程度伊福部の音楽を聴いたことがある人にこそ聴いて貰いたい。「エネルギッシュ」とか「土俗的」という言葉で形容されることの多い伊福部だが、実は細心の注意を払って理知的に曲を構成しているということが分かる作品だ。  とはいえ、実際に響く音楽はまぎれもなく伊福部節。耳がひきつりそうなほどの変拍子でピアノがばく進する。

    | | Comments (4) | TrackBack (7)

    2006.01.06

    青春スーツの音楽を聴く

     以前紹介したピアニスト・大井浩明氏の「閘門ブッコロリ」を起点に、あちこちのぞいたり、ストリーミングを聴いているうちに、たどりついた。とんでもない録音のストリーミング。

    鈴木貴彦の演奏:ジャン・バラケ:ピアノ・ソナタ(1950-52、日本初演)ほか

     バラケ、ジャン・バラケ!

     私がバラケの名前を知ったのは、中学三年生で音楽に興味を持って、最初のオーケストラスコアを買った時だった。全音のポケットスコア、諸井三郎著のスコアの読み方を解説した「スコアリーディング」、そしてドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」だ。
     全音楽譜出版社のポケットスコアには、かなり詳細な楽曲解説が付属している。「牧神」の解説は、ジャン・バラケの分析に基づくものだった。

     その後、ジャン・バラケ(1928〜1973)が、難解な曲を書くことで知られた作曲家であることを知った。しかし、その曲を聴くことは、このストリーミングに出会うまで、なかった。

     バラケは大輪の、しかし日陰の花だった。日陰の花には対になる日向の花がつきものだ。バラケにも、巨大なひまわりたるライバルがいた。その名はピエール・ブーレーズ

     作曲家にして指揮者、斬新な解釈を施した数々の演奏で知られたブーレーズは、クラシックに興味がある人なら誰でも知っている大物である。
     ブーレーズとバラケ、一体何が起きたのか?(以下、若干芝居がかって)。

     アドルフ・ヒトラーがドイツに出現し、あの悲惨な第二次世界大戦へと世界を導いたことは、音楽の世界にも大きな影響を残した。大戦後の音楽業界では、ヒトラー的なるものが忌避されたのである。
     ヒトラーはワーグナーが大好きだった。このため、戦後欧州の作曲家の間では、ワーグナーのように聴き手の心を巻き込み、翻弄し、絶頂とどん底を経験させて感動に導くような音楽は忌避されるようになった。

     代わって、作曲家達の意識の中央を占めたのは、純粋に抽象的な美だった。

     戦後の若い作曲家達の動きは、後に「トータル・セリエリズム」と呼ばれるようになる。詳細は略するけれども、音程、音の長さ、強さなど、音楽を構成するすべての要素を、一つの数理的秩序のもとに統一しようとする考え方だ。過酷な戦争を子供として体験した彼らは、ロマンなどという曖昧なものに音楽の美をゆだねることに耐えられなかった。

     音程は、Hzで表される。つまり数字だ。音の長さは、秒で表すことができる。これまた数字、音の強さはデシベルで記述可能。やはり数字だ。もちろんテンポはメトロノームで記述できるわけで、数字そのものだ。
     若い作曲家達は、音楽のすべてを数理的秩序の元にコントロールしようと考えたのである。

     トータル・セリエリズムについては以下のページが詳しい。

    全面的セリー主義:芸大の横田敬氏が公開している論考。


     ここでは本題に話を絞ることにしよう。

     当時、フランスにおいて若手作曲家として将来を嘱望されていたのが、ピエール・ブーレーズとジャン・バラケだった。二人はトータル・セリエリズムの可能性にむかって突き進み、それぞれに作曲していった。

    閑話休題
     「ハチミツとクローバー」(羽海野チカ著)というマンガに、「青春スーツ」という言葉が出てくる。若いが故の自意識過剰と全能感と無力感が混合された精神状態を「青春スーツ真っ盛り」と表現し、そこからの脱却を「青春スーツを脱ぐ」と形容するわけだ。

     その伝でいえば、ブーレーズとバラケのトータル・セリエリズムは、「青春スーツの音楽」であった。俺たちが新しい音楽を創るんだ戦争は終わった老人共何するものぞ他のやり方は駄目俺は絶対正しいロマン派死ね民族主義死ね新古典主義死ねトータルセリエリズム万歳…。

     ブーレーズの「2台のピアノのための構造」や「第2ピアノソナタ」(共に1948年、ブーレーズ23歳の作品)、あるいはバラケのピアノソナタ(1952年、バラケ24歳の作品)などは、年齢から言っても「青春スーツ真っ盛りの音楽」だったわけである。

     しかし、その後の人生行路はあまりに違っていた。

     ブーレーズは女声と室内楽のための「主なき槌(ル・マルトー・サン・メートル)」(1954年、ブーレーズ29歳の作品)で、世界的な名声を獲得する。シュールレアリスト詩人・ルネ・シャールの詩を、メゾ・ソプラノが歌い、フルート、ヴィヴラフォン、ギター、ヴィオラ、打楽器が絡まっていく——どんな聴き手も魅惑せずにおかない結晶的な美に溢れた、間違いなく20世紀を代表する作品だ。
     この曲で、ブーレーズは「感覚的修正」ということを言い出した。トータル・セリエリズムで数理的に書いた曲に、「ここは俺の感覚に合う、合わない」で修正を施すということだ。むやみやたらに技法にこだわることをやめて、自分の感性を信用する態度に回帰したといっていいだろう。

     ブーレーズは大人になった、というのは言い過ぎだろうか。「マルトー」で彼は青春スーツを脱ぎ捨てた——私はそう読む。

     その後ブーレーズは、徐々に作曲から演奏へと活動の場を移していく。パリのポンピドーセンターを拠点に「アンサンブル・アンテルコンテンポラン」という演奏家集団を組織して、様々な曲を演奏し、録音を行い、斬新な楽曲解釈で世間を驚かせ——今や80歳となったブーレーズは、世界的名声を得た指揮者であり、かつてのカラヤンにも近い地位を楽壇において獲得しているといえる。

     一方、バラケの人生はといえば——そもそも彼は完璧主義者でぎりぎりまで自分を追いつめずにはいられなかった。それが災いしたか、作品はなかなか完成せず、望んだ職は得られず、家が火事になってそれまでの作品が焼失したり、交通事故に遭ったり、アル中になったり。
     彼は同性愛者でもあり、特に若き日の哲学者ミシェル・フーコーとの関係は有名だった。フーコー周辺の爛れた関係はこれまた知る人ぞ知る話であり、おそらくはバラケもホモの痴話喧嘩に巻き込まれたのだろう。
     何にどう絶望したのだろうか。バラケは45歳で自ら毒を飲み、自殺してしまった。

     彼の作品は7曲しか残っていない。その死から四半世紀も経ってから作品集が出版されたが、その内容は全く持って完璧からはほど遠い、未校訂のものだという。なんてついてないんだ…バラケ。


     ここで冒頭に戻り、・鈴木貴彦氏の演奏するジャン・バラケ「ピアノ・ソナタ」を聴いてみよう。

     構造があるんだかないんだか、精緻なのかでたらめなのか判別しにくい音から、やがて立ち上ってくるのは、痛々しい自負心と才能のかけらだ。確かに難解なのだけれども、瑞々しい感性が隠しようもなく聞こえてくる。

     その名前を知ってから30年、私はやっとバラケの音楽にたどり着くことができた。

     果たして、ピアノソナタを書いた後、バラケは青春スーツを脱ぎ捨てることができたのだろうか。ブーレーズのように。
     以下のエッセイを読むと、どうも一生青春スーツのまま、七転八倒していたように思える。

    ジャン・バラケ(前編):深良マユミ氏のエッセイ
    ジャン・バラケ(後編):同上

     深良氏の自己紹介にも、どことなく青春スーツの切れっ端が。ひょっとしてバラケには青春スーツがつきものなのだろうか?


     というわけで、「ハチミツとクローバー」。美大にたむろする若者達の青春七転八倒を描いたマンガだ。青春ただ中の読者は、「うんうん」と感情移入して読むし、より年齢が進めば「あったよなあ」とこれまたうなずいて読むという傑作。
     テレビアニメにもなったけれども、私は未見。この映像にしにくいマンガをどう料理したんだろう。

     不器用な真山と、さらに不器用な山田の関係に感情移入する人も多いだろうが、私には竹本の間抜けな七転八倒ぶりが面白い。バラケのソナタを聴きながら、思わず「青春の塔」のあたりを読み返してしまった。
     きっとバラケには、でこぼこでごつごつの作品に対して「素晴らしい、これこそ青春じゃあ〜」と言ってくれるおじいちゃん先生達や、煮詰まった時に乗って逃げることができるママチャリがなかったんだね、と思ったりして。

     まさかあるまいと思って調べてみたら、ありました。バラケ「ピアノソナタ」のCD。驚いたな。

     まずは、鈴木貴彦氏の男気に満ちた日本初演の音をストリーミングで聴いて、それから注文するかどうかを判断すればいいと思う。

     鈴木貴彦氏は、東京芸大中退後、京都大学で哲学を学び、大学院まで出て、なおかつピアニストになったという変わり種。大井氏とは京都大学で出会ったらしい(大井氏も京都大学卒、独学でばりばり現代曲を弾く技巧を身につけたというこれまた変わり種)。どういわけか、こういう型破りの演奏家は、芸術系大学からは出てこない。

     「ル・マルトー・サン・メートル(主なき槌)」——「大輪のひまわり」こと、ピエール・ブーレーズ、畢生の傑作。この「マルトー…」を聴かずして二十世紀音楽を語ることはできない。一聴すると、いわゆる「キンコンカン」系の現代音楽なのだが、とにかく一つ一つの音の美しさが尋常ではない。この曲がドイツの温泉保養地、バーデンバーデンの音楽祭で初演された時には、大変なセンセーションを巻き起こしたという。

     ブーレーズは指揮者として「マルトー…」を5回録音していて、このCDは2002年の最新録音。そう、室内楽でありながら、指揮者を必要とする至難の曲でもあるのだ。

     以前の録音が突きつける、目の前の空気を切断するかのような切れの良さはない。しかし、全体のまとまりと、一つ一つの音の美しさはこっちのほうが上だ。なにより、高音質の録音が必須の曲だけに、新しい機材で録音されたこの盤のほうが、曲を理解するには良いと思う。

     

    | | Comments (2) | TrackBack (0)

    2005.11.01

    清瀬保二「日本祭礼舞曲」を見直す

     以前、「『箕作秋吉の遺産』を聴く」で、こんなことを書いた。

     中学の頃、つまり現代音楽に興味を持ちだした頃に、戦前の日本人作品というと、まさにこんな曲をイメージしていたのだ。つまり五音音階を基調に、のったりのったりと進む歯切れの悪い曲を。  なんでそんなイメージを持ったのかといえば、おそらくは音楽の授業で聴かされた近衛秀麿編曲の「越天楽」と、同じ頃にラジオで聴いた清瀬保二作曲の「日本祭礼舞曲」あたりのイメージがごっちゃになったからだろう。

     この部分、訂正する。良い演奏で聴いた清瀬保二の「日本祭礼舞曲」は、なかなかすごい曲だった。

     最近、芥川也寸志指揮、新交響楽団による「清瀬保二 管弦楽選集」というCDを入手して、久し振りに日本祭礼舞曲を聴いた。これが全く以前と印象が異なる、エネルギッシュな歯切れ良い演奏で、私はこの曲に対する認識を全く改めたのだった。

     清瀬保二については、上記リンク先を参考にして欲しい。戦前から戦後にかけて活躍した作曲家で、日本的五音音階を基本に、なんとかして日本的な音楽を書こうとした人だ。といっても、その音楽は粘つく情感をあまり感じさせず、むしろ切れの良さと直截さが印象に残る。同じ土俗的でも伊福部昭は、北方アジア的な広がりを感じさせるが、大分は宇佐出身の清瀬はもっと我々が「日本的」と感じる感性に寄り添っている。
     清瀬の映画音楽リストを見ると、時代劇がずらっと並んでいる。そう、どこか琴線に触れる懐かしさがあり、同時に内省的でもある、そんな曲を書く作曲家だった。

     芥川・新響の演奏は、早めのテンポでメリハリをかっちり付けた演奏。特に第三楽章がダイナミックに演奏されている。こうして良い演奏で聴くと、様々な祭り囃子がガンガン鳴りまくる、意外なぐらい楽しい曲だ。1940年作曲、1942年改作という時代を考えると、もっと暗くてもいいように思うが、時代の暗さを一切感じさせない。

     私がこの曲に悪印象を抱くに至った原因は、レコード時代に唯一の録音だった山岡重信指揮、読売日本交響楽団の演奏のせいだ。
     例えば第一楽章はテンポがModerato(中庸に)と指定されている。それを芥川は冒頭の祭り囃子の笛を模擬した部分をAllegroに近い速いテンポで演奏して、主部に入ってからテンポを落とす。一方山岡は一貫してModeratoで最後まで通してしまう。要はメリハリに欠ける曲の解釈だったのだ。
     演奏が悪いと、どんなに良い曲でも真価は伝わらない。特に初演曲などは、次にいつ演奏されるか分からない。こうなると良い演奏が行われる可能性も減り、駄曲も名曲も一律に埋もれていってしまう。

     先だって紹介したピアニストの大井浩明氏へのインタビューで、大井氏はこんなことを言っている。

      論点が幾つか出てきたので、総括的に。まず、日本人ピアニストとしての「仁義」というものがあります。私のモットーは、「駄作を弾くのは、邦人新作でたくさん」(笑)。しゃべくり漫才系であっても、それが日本人作品、アジア人作品ならば、それらを委嘱・発掘・演奏する義務が私にはあると考えます。

     正論だと思う。人間の感性なんてものは、かなりの部分が慣れに支配されている。「け、駄作だぜ」と思った曲が、100年後の名曲でない保証はない。

     ちなみに、日本祭礼舞曲は、1981年に京都大学の福井謙一博士がフロンティア電子理論でノーベル賞を受賞した時、授賞式で流された。福井博士がこの曲に思い入れを持っていたのか、それともノーベル財団のほうがたまたまこの曲のレコードを日本的ということで引っ張り出してきたのかは分からない。この年の9月14日に清瀬は81歳で他界しているので、自作がノーベル賞授賞式で流れたことを、本人が知ることはなかった。

     もうひとつ、先に取り上げた箕作秋吉と清瀬保二の関係を。箕作が追い返してしまった若き日の武満徹を弟子として迎え入れたのが、実は清瀬保二だった。そのあたりの経緯は、松岡正剛氏の文章を参考のこと。私思うに、多分、箕作秋吉よりも清瀬保二のほうが精神が柔軟で偏見の少ない人だったのだろう。

     Amzonに在庫がないのでタワーレコードにリンクを張っておく。

    清瀬保二、佐藤敏直:管弦楽選集〜芥川也寸志の世界7/芥川也寸志(指揮)新交響楽団

     このCDには、清瀬の弟子である佐藤敏直が、師の死にあたって書いた「哀歌」という曲も収録されている。佐藤は師匠よりは大分湿っぽい、情念的な曲を書く作曲家だった。彼の「ピアノ淡彩画帳」というピアノ独奏曲集、なかでも広島の原爆で残った鳥居を題材にした「片足で立つ鳥居」という曲は、長く残ってしかるべきと思う。その佐藤もすでにこの世の人ではない。ああ。

    | | Comments (0) | TrackBack (0)

    2005.10.24

    大井浩明氏のblogを発見する

     例によって逃避して、ネットをさ迷っていたらピアニストの大井浩明氏のblogに行き当たった。

    閘門ブッコロリ

     大井浩明。2002年に「史上最も演奏が困難なピアノ協奏曲」と言われたヤニス・クセナキスの「シナファイ」を録音し、クラシックファンの間にセンセーションを巻き起こしたピアニストだ。無茶苦茶指がよく回る人である。

     ちなみにネットにはシナファイのピアノパート解説もある。日本初演の時にはピアノを担当した高橋悠治の指から出血したという曰く付きの曲だ。HMVの紹介はなかなか詳しくてお薦めである。

     こんな曲を書く方もいい加減イカれているが、演奏する方はもっとすごいと思う。

     大井氏のページからは、様々な現代曲をストリーミングで聴くことができる。しかもその「シナファイ」のライブ録音を聴くことができるではないか。

    ■2005/09/29(木) That’s made for you and me, ミッキー井上 ヘイ!ハイ!ホウ!

     こいつは豪気だ!と思ったけれど、なぜか私のPowerbookではうまく再生できない。他の曲はうまく再生できるのに残念だ。

     それでも、なかなかお薦めのページだ。

     興味のある方はどうぞ。シナファイのCD発売時の大井氏インタビューもなかなか面白い。

     大井演奏によるシナファイのCD。好奇心の強い方は是非とも史上最難のピアノ演奏に耳で挑んでみて欲しい。ただし、かなり手強い曲だから、分かろうが分かるまいがとにかく10回以上聴き込むことを覚悟したほうがいいだろう。  恐るべき密度の曲であることは確かだ。  ちなみに“シナファイ”は、別に中国とは関係ない。「結合」という意味である。シナプスの“シナ”と同じ。

    | | Comments (5) | TrackBack (2)

    2005.10.07

    「作曲家の個展2005−松平頼暁」を聴く

     6日は、夕方からアークヒルズのサントリーホールへ。「作曲家の個展2005−松平頼暁」を聴きに行く(朝日新聞によるコンサート紹介)。サントリーホールは毎年、一人の作曲家に焦点を当てたオーケストラによるコンサートを開催している。そのシリーズの24回目。

    「作曲家の個展2005松平頼暁」


    • 曲目

      • 「コンフィギュレーションI」(1961−63)
      • 「コンフィギュレーションII」(1963)
      • 「リメンブランス」(1996)
      • 「モルフォジェネシスI」(1991)
      • 「ダイアレクティクスII」(2004)【サントリー音楽財団委嘱 世界初演】

      • 指揮:下野竜也
      • ピアノ:中村和枝(「モルフォジェネシスI」)
      • 管弦楽:東京都交響楽団


     松平頼暁(まつだいら・よりあき)の音楽を、クラシック系音楽を知らない人にどう説明したものか…

     まず彼は「俺の魂の叫びを聴け!」的な音楽の対極に位置する。

     どうやら彼は「今までに聴いたことがない音楽を聴いてみたい」という欲求の上に活動しているらしい。

     だから彼はシステムによる作曲をする。最初にいくつかの規則を設定し、それを自動的に展開していったものが結果として作品となる。あくまで「今までに聴いたことがない音楽」が目的なので、「内面の発露としての音楽」には興味がない、らしい。

     松平の作品は、とても面白い。まずシステムありきで、過去の作曲技法を一切無視するからだ。クールで、キッチュで、しかもシリアスでもあり、ユーモラスでもある。

     実は彼の作品は、独奏や室内楽のような奏者の少ない曲のほうが理解しやすい。彼が作曲にあたって採用したシステムがそのまま音楽の形となっているということが、はっきりと聴き取れるからである。一方、オーケストラ曲は、「なにやってんだこりゃ」になりやすい。複雑な音の動きが、システムの面白さを覆い隠してしまいがちなのだ。

     さあ、今宵はどうかな、と思ったら、半々だった。

     一番古い2曲の「コンフィギュレーション」、特にIの方は、システムがはっきりと聴き取れる面白い曲だった。基本は分散和音に続いて音列技法によるぽつん、ぽつんと音が鳴る点描のフレーズが続く。繰り返すたびに分散和音も、点描の部分も微妙に変化し、聴き手の意識は繰り返しと変化へと集中していく。
     「リメンブランス」、これはかなりきつかった。元はピアノ曲なのだけれど、オーケストラ版への展開で音が分厚くなり、基本的なアイデアがわかりにくくなってしまっている。松平は伝統的なオーケストラ書法に顧慮しない。管弦楽法という技法は、「バランスよく、すべての音を聴き手の耳に届ける」ためのものだ。それを無視するのだから、何をやっているのか、どうしても聴きづらいものになる。
     「モルフォジェネシスI」、こいつもきつい。ピアノソロが入る事実上のピアノ協奏曲だが、オーケストラとソロの関係は伝統的な協奏曲のものではない。ピアノソロが音楽的に重要なパッセージを展開しているのに、オーケストラが覆い被さって聴き取れないというようなことが起こる。

     最後の「ダイアレクティクスII」は面白かった。松平お得意の引用(それもイタリアルネサンスの作曲家ジェスアルドのモテットを、ストラヴィンスキーが編曲した曲を、さらに引用するというひねくれっぷりだ)から始まり、様々な作曲家の曲を直接引用するのではなく、オーケストラ技法を引用するという曲。システム即音楽という身も蓋もない明快さが快い。
     コンサート前のプレトークで、一部ネタばらしをしていたが、曲のラストはショスタコービッチの第5交響曲第3楽章ラストのオーケストレーションをそのまま引っ張ってきて、その上に自分の音を展開するというものだった。

     演奏は、楽譜を忠実に再現するというもの。指揮者の下野竜也は初めて聴いたけれども、とてつもないテクニシャンだ。かなり難しい曲を易々と指揮していた。オーケストラは少々練習不足か。もう少し練習時間があれば、もっと切れの良い演奏になったろう。

     松平は当年74歳。プレトークでは、最近、40年近く作曲してきた演奏時間が2時間近い大作「レクイエム」を完成させ、さらにこれからオペラを三部作で3曲作曲するという予定を話していた。
     前衛という言葉が無意味になってから、もうずいぶん経つけれども、1950年代に前衛として出発した彼が、一貫して自分なりの方法論を貫き、ますます旺盛に作曲をしているという事実は、敬服に値する。今年は彼の個展が3回あるそうだ。

     私は、松平の音楽が好きだ。というのは、松平自身が色々な矛盾を抱えているらしいことがなんとなく分かるから。

     彼はあちこちで「ショパンは嫌いだ」と公言しているが、自作では何度となくそのショパンを引用している。システムによる作曲で一貫し、自分は自作が最終的にどう響くかよりもシステムのほうが重要だ、としているのに、作品表を見ると「墓碑銘」と題した親しい人の死に触発された作品が散見される。かなり激しい政治的主張を目指したと思われる曲すらある(曲名は忘れたが、隠れキリシタンのオラショと、オリジナルのグレコリオ聖歌を同時演奏するという曲もあった。作曲者によると、オラショの変形の度合は、幕府によるキリシタン弾圧の強度を意味するという)。
     自らをマイノリティと規定するのに、作品が英語の題名を持つことについて、「日本にはこういう曲の市場が無かったから」という。つまり英語圏の音楽市場を目指して作曲したということであり、マイノリティといいつつマジョリティになりたいという意志もあるわけだ。
     
    その矛盾が面白い。

     こういう作曲家の曲を、どう薦めたものか迷ってしまうが、「とにかく無茶苦茶変てこなキッチュな曲があるよ!」と薦めるのがいいのかも知れない。いや、本当に面白いんだから。


     松平頼暁の代表作を一曲となると、このアルバムに収録された「マリンバとオーケストラのためのオシレーション」ということになるのだろう。これが、見事にぐらいに変な、良い意味で「狂ってる曲」だ。

     まずオーケストラは3群に分割される。しかも3つのオーケストラは1/3音ずつチューニングをずらす。「恋のバッドチューニング」どころじゃない。

     で、ソロのマリンバ共々、オーケストラは、3連符5連符7連符9連符と、通常とは異なる分割のリズムで、短い旋法的なフレーズ(つまり割とわかりやすい響きだ)をえんえんと繰り返す。例えば5連符で音符6個で1フレーズに、7連符で音符8個で1フレーズというような、ひねたリズムが重ねられる。もちろんそういうフレーズは厳密なシステムに基づいて作られる。
     つまり様々なやりかたでシステマティックに「ずれ」を音楽に組み込んで、音響的にもリズム的にもモアレ模様を作り出すというのが、この曲の目的なのだ。

     結果として鳴る音楽は、豪華絢爛そのもの。ガムランとも中国の礼楽ともつかない異様な響きで朗々と鳴り渡ることになる。しかも曲全体の要となるソロのマリンバは、音楽を司る巫女のように「狂う」ことが要求される。マリンバ奏者は、叫び、演技し、曲の後半にはかなり長い即興を行う。

     にも関わらず、作曲者にとっては、この曲が派手で狂っているように響くということは無意味なのだ。確か初演の時だったか「極彩色の鳥が飛ぶようだ」という批評が出たことことがある。作曲者の反応と言えば「システマティックに音を組んだだけで、そんな印象を引き出すように意図したつもりはない」というものだった。

     この曲、NHKが出している尾高賞という賞を取った。尾高賞受賞作は、NHK交響楽団が定期演奏会で2回演奏することになっている。ところがN響メンバーが「こんな曲やってられるか」と怒ったために、2回目の演奏はキャンセルされてしまった。オケのチューニングをずらすというところで、演奏家の生理的反感を買ってしまったらしい。まったくもって、この素晴らしく狂った名曲にふさわしいエピソードだと思う。

     余談だけれども、誰か新進のマリンバ奏者が、池野成「エヴォケイション」、松平「オシレーション」、伊福部昭「マリンバとオーケストラのためのラウダ・コンチェルタータ」というプログラムでコンサートを開かないかしらん。どれも体力勝負で狂気全開でありつつクールに演奏しなくてはならない曲だ。一晩でまとめて、是非とも聴いてみたいところ。

     システムを聴き取るという点では、こちらのピアノ作品集のほうが面白いかも知れない。どの曲も「オシレーション」のような派手な印象はなく、静かな佇まいを見せる。特にアルバム表題作である「BINARY-STARS 連星」は、どこにも刺激的なところがないとてもクールな曲だ。例えば、坂本龍一のピアノ曲が好きな人ならば、きっと気に入るのではないだろうか。

    | | Comments (0) | TrackBack (0)

    2005.10.04

    知られざる「祝典序曲」を紹介する

     うわ、この曲、CDが出ていたのか!

     「三善晃」をキーワードにネットをさ迷っていて、見つけてしまった。三善晃「祝典序曲」(1970)のCD。オリジナル曲はオーケストラだが、CDは天野正道による編曲版で、ブラスバンドが演奏している。

     この曲、題名と年代でもうお分かりだろう。大阪万国博「EXPO'70」の開会式のために作曲された約5分ほどの曲だ。

     それだけでは珍しくもないが、実は非常に特異な曲なのである。

     聴けばすぐに分かるのだけれども、全然「祝典」という雰囲気ではないのだ。冒頭のファンファーレからして微妙な不安感に満ちており、そこかからなだれ込むようにして始まる主部は、変拍子の不安定かつ荒々しい行進曲だ。

     この曲は、祝祭的な華々しさとも晴れ晴れとした感情とも無縁だ。正反対の「なにかは分からない不安で巨大なものが、ものすごい勢いで否応なく迫ってくる」という雰囲気で一貫している。
     古今東西様々な、作曲家が「祝典序曲」を作曲している。が、三善晃のこの曲ほど、祝祭の喜ばしさからほど遠い「祝典序曲」はないだろう。
     およそ、他に類のない「祝典のための音楽」なのである。この曲は。

     しかし、1970年前後の時代の変化を考えると、評価は逆転する。

     この曲は見事なまでに大阪万国博を象徴している。無遠慮で荒々しい高度経済成長、その頂点で大阪万国博は開催された。すべては大阪万博で反転し、日本は公害とオイルショックとドル変動相場制の1970年代へと突入していくのである。
     時代の転換点である大阪万博のオープニングに、この不安で荒々しい祝典序曲は見事にマッチしているのだ。

     EXPO'70の開会式でこの曲を聴いた人たちは、一体何を感じたろうか。

     三善晃の曲を紹介するなら、彼25歳の傑作「交響三章」、あるいは1960年代を飾る「ピアノ協奏曲」「管弦楽のための協奏曲」「ヴァイオリン協奏曲」、合唱とオーケストラのための戦争三部作「レクイエム」「詩編」「響紋」、あるいは女声合唱をやったなら誰もが一回は歌う傑作「三つの叙情」などを紹介するべきなのかも知れない。が、あえて、あまり知られていない「祝典序曲」を紹介する次第。

     音楽の価値は時代を超越するが、この曲のように時代を見事に表象することで生じる価値もまた存在するのである。

     「祝典序曲」は、LP時代の「三善晃の音楽」に収録されただけで、長い間簡単に聴くことはできなかった。こうやってCDで聴くことができるようになるとは。しかし、主に吹奏楽分野で活躍する天野正道の作品集に天野編曲版として収録されているものだから、せっかく録音されたのにまたも埋もれてしまっている。

     このCD、AMAZONの登録データがまるでいい加減なので、収録曲を以下に掲載する。

     1. 天野正道 / シンボル・マーチ (05:43)
     2. 三善晃(天野正道編曲) / 祝典序曲 (04:38)
     3. モーリス・ラヴェル(天野正道編曲) / ラ・ヴァルス (07:38)
     4. モーリス・ラヴェル(天野正道編曲) / 「夜のガスパール」よりスカルボ (06:56)
     5. モーリス・ラヴェル(天野正道編曲) / 「クープランの墓」よりプレリュード、トッカータ (06:52)
     6. 天野正道 / 舞楽 (07:46)
     7. 天野正道 / 式典のための前奏曲 (08:41)
     8. 天野正道 / セレブレーション・アンド・セレブレーション (07:20)
     9. 真島俊夫 / マンボ・イン (04:21)

    指揮:阿部智博 演奏:秋田県立秋田南高等学校吹奏楽部

     こちらは大阪万博の記録映画。音楽は三善晃ではなく、間宮芳生が担当している。

     なお余談だが、三善は1972年の札幌冬季オリンピックでもファンファーレを作曲している。

    |