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2011.11.12

尾崎宗吉の音楽を聴く

 夜の歌 尾崎宗吉作品集成
 1. 小弦楽四重奏曲(1935)
 2. 幻想曲とフーガ(1936)
 3. 初夏小品(1936)[作詩:大木惇夫]
 4. チェロ・ソナタ(1937)
 5. ヴァイオリン・ソナタ第2番(1938)
 6. ヴァイオリン・ソナタ第3番(1939)
 7. 夜の歌(1943)
 演奏:モルゴーア・クァルテット他

 アマゾンから届いたので聴いた。これはすごい。戦前の日本に、こんなに良い曲を書ける作曲家がいたのか。

 尾崎宗吉(1915-1945)は昭和20年に30歳で中国大陸にて戦病死した作曲家。小倉朗など関係者の回想を読むと、必ず「才能抜群」として登場する。LP時代に極少部数で作品集が一回出ていたようだが、作品が一枚のCDにまとまって、市販されるのは多分これが初めて。

 こちらに尾崎に関する詳細な解説がある。
夭逝の作曲家/尾崎宗吉

 これほどの作品を書ける男が、わずか30歳で戦病死しなくてはならなかったなんて…かわいそうだし惜しいし、くやしいし、とにかくなんといっていいかわからない。残した音楽が素晴らしいほどに、死の無念さが胸に迫る、

 尾崎は1915年、浜名湖に浮かぶ弁天島で旅館を営む夫婦の六男として生まれた。子供の頃から木琴を好み、音楽を志して上野の音楽学校(現東京芸大)を受験するが、音楽の成績ではなく健康診断で尿タンパクが出たというだけで受験に失敗(尿タンパクは激しい運動後には健康人でも出るものだ)。
 このことが彼の人生を決めてしまう。当時、上野の音楽学校の学生には徴兵猶予があったのである。
 上野に代わって東洋音楽学校(現東京音楽大学)に進学し、小倉朗と知り合い、親友となる。当ブログでも取り上げた諸井三郎に師事し、やがてめきめきと頭角を現し始めた。その前に立ちはだかったのが徴兵だった。尾崎は兵隊として中国大陸の戦線を転々とすることになる。。

 尾崎の創作は19歳の小弦楽四重奏曲から始まり、28歳の夜の歌で終わる。20代の10年は、そのうち5年を兵隊として戦地で過ごし、30歳でこの世を去った。作曲にあてることのできた時間は5年に過ぎない。
 その間に、彼は恐ろしいほどの進歩を示した。稚拙と瑞々しさの同居の裡に才能のきらめきを見せる小弦楽四重奏曲から、プロコフィエフやバルトークすら連想させるヴァイオリン・ソナタ第3番まで、わずか4年だ。彼の音楽ははつらつとしたリズムと無駄のない構成が際立っている。初期の作品は淡い五音音階の音感で日本調を感じさせもするが、やがて自由自在に半音階を使いこなしていくようになった。
 徴兵が年限になって戦地から帰ってきた時に書いた絶筆、夜の歌は他に比較する対象がないほどに透みきっている。同じく戦地から帰ってきている間に書いたヴァイオリンソナタ4番の楽譜が行方不明になっているのが惜しい。

 彼の死因は戦地で患った虫垂炎だった。交通不便の地であったため、病院への搬送が遅れ、手術の甲斐無くこの世を去ったのである。今ならなんということもなく直る病気だ。ひょっとしたら抗生物質の服用のみで、助かったかもしれない。

 哀しく、美しく澄み切った夜の歌の後に、一体どんな音楽があったのか、あり得たのか。彼の頭の中では、数多の音が現実化されるのを待っていたはずなのに、今やすべては想像するしかない。それどころか、彼が残した楽譜もそのかなりの部分が紛失して行方不明になっている。このCDには、現存する作品のほぼ全部(オーケストラのための田園曲以外)が入っている。これだけしか残らなかった、というべきなのか、これだけでも残って良かったというべきなのか。

以下、友人であった小倉朗の自伝「北風と太陽」(1974)に登場する尾崎。

 尾崎はその音楽学校に僕より少し遅れて入ってきた。いかつい青年――第一印象はまあそういったものだった。弁天島の生まれで、僕より数ヶ月上。強い近視の眼鏡の中で目が小さく見え、堅く結んだ口元は芯の強さを示したが、笑うと目尻が下がって子供のような可愛らしい顔になった。

(中略)
 たちまち意気投合して、親友兼ライバルとなり、僕が学校を飛び出してからもこのつき合いは深まる一方で、彼の下宿と僕の家との行き来は頻繁。一緒に音楽会にいき、レコードをきき、勉強を競い,討論し、やがて木琴の名手と知ると僕のピアノの伴奏で,僕等が名付けた「サバリアン・ラプソディー」——つまり気分本位のごまかし演奏——をやって涙のこぼれるくらいの大笑いをした。
 彼は着実に学校を卒業し、卒業するとすぐ作曲家連盟の主催する試演会で「小絃楽四重奏曲」を発表して一躍注目を浴びる、僕はその曲に旋律の発明力とリズムの自発性を見て、手強い相手に出会ったことを思い知る。
 その後、彼は立てつづけに作品を書いた。その筆の早さを僕が危ぶむと、「とんでもない。まだ完成を求めるなんていう年頃じゃないよ」と笑った。尾崎はそうして遠い未来を睨んでいたのである。けれども中国で始まっていた戦争が彼をひきずり出す。徴兵検査が終るとまもなく、佐倉の鉄道隊に入り、ある朝、朝靄をついて営門を出て、銃を担い、隊列の中から目だけで僕に笑って中支に向かった。
 幸い、そのときは帰ってきた。しかし戦争については「愚劣!ひどいもんだ!」というだけで、後は何も語ろうとはしなかった。そして、戦争の疲れから脱けきらないうちにまた召集される。出発の直前、彼の家を尋ねた。がらりと玄関をあけると、玄関先でこっちを向いてチェロを弾いていた。そのチェロを弾く姿が彼の最後の姿となった。――死んだのは太平洋戦争も間もなく終わろうとするころのことである。

 尾崎に関する唯一の文献。古書店経由で入手できるようなのでリンクを掲載する。20年前の出版だが、当時存命だった関係者——小倉朗、柴田南雄、井上頼豊、安部幸明などは、全員がこの20年の間にこの世を去った。おそらく生前の尾崎を知る人はもうほとんど残っていないのだろう。

 人は死んで去っていく。作曲家は後に楽譜という形で音楽を残す。楽譜は音楽そのものではない。楽譜を音楽にするためには演奏しなくてはならない。

 もっと彼の作品が演奏されますように。そう願う。


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2011.11.03

山田一雄作品を聴いてきた

 久しぶりにブログを書くことにする。10月30日の日曜日、下記のコンサートに行った。

オーケストラ・ニッポニカ 第20回演奏会・山田一雄没後20周年記念/交響作品展 2011年10月30日(日) 14:30開演予定(14:00開場予定) 紀尾井ホール(東京・四ッ谷)/全席指定 3,000円 山田和男/ 大管絃楽の為の小交響詩「若者のうたへる歌」 (1937) 交響組曲「呪縛」(1940)* もう直き春になるだらう (1938) 城左門詩* 日本の歌 (1944/1959) 深尾須磨子詩* おほむたから 作品20 (1944) 大管絃楽の為の交響的「木曾」 作品12 (1939)

ソプラノ 山田英津子*
指揮 田中良和
管弦楽 オーケストラ・ニッポニカ

 山田和男(途中で改名して一雄、1912〜1991)の作品を集めたコンサートだ。

山田一雄の世界

 ヤマカズさんは、指揮者として何回も実演を聴いたものだ。頭の後ろのほうにだけ残った白髪を長く伸ばし、髪振り乱し汗飛び散らせ、飛び上がって指揮をする姿はありありと思い出せる。指揮棒から紡ぎ出される音楽は、いつも完璧ではなく、時として野暮ったさも感じさせた(当時は、あの流麗極まりない音楽を紡ぎ出す小澤征爾が、当たり前のように日本のオケの定期演奏会を振っていた)が、なによりも熱くエネルギッシュで、いったんエンジンがかかるとどこまでも高揚していった。

 作曲家としての顔もあることは、高校時代に著書「指揮の技法」を読んで知った。自作の譜例を掲載していたのだ。いや、顔があるどころではない、山田和男は戦前戦中を通じて、たいへん精力的に活動した作曲家だった。1950年頃から活動の軸足を指揮に移して作曲を止めてしまったので、ちょうど私が音楽に興味を持ち始めた時期は、作曲家としての側面が忘れ去られていた(ピエール・ブーレーズと似ているが、ブーレーズは完全に作曲を止めることはなかった)。ここ数年、代表作の「交響的木曾」が何回か演奏され、近くナクソスからCDが出るという噂もある(是非出て欲しい!)。

 ヤマカズさんはグスタフ・マーラーの影響を色濃く受けた人だった。戦前に日本にやってきたマーラーの直弟子、クラウス・プリングスハイムから直接作曲と指揮の指導を受けている。マーラーの孫弟子というわけだ。最初の「若者のうたへる歌」は、24歳の時の作品。濃厚なマーラーの影響が、五音音階的な旋律と混ざり合い、かつどこかショスタコーヴィチの交響曲、それも3番あたりを思わせる無限変奏的構成で展開していく。なにより瑞々しい。私は白髪の姿しか知らない作曲者の、若い瑞々しさが音楽に溢れている。
 「呪縛」は貝谷とも子バレエ団の為に書いた異国情緒溢れるバレエ音楽から抜粋した組曲。途中ソプラノ独唱が入り、意味不明(おそらくは異国語を想定したでたらめ、ハナモゲラ語じゃないかと思う)の歌詞を歌うのが面白い。
 ソプラノの山田英津子は、作曲者の娘さんだ。ヤマカズさんは、再婚でずいぶん歳を取ってから娘に恵まれた。私が高校生の頃「音楽の友」誌でまだ小さな娘さんと並んだ写真を見た記憶がある。
 あの写真の娘さんが、この人か…日本語の的確な発音と、ベルカント唱法の響きを効果的に使い分けるソプラノ歌手となっていた。実に良い声だと感じ入って、帰ってきてから検索をかけたら冬樹蛉さんのこのページがひっかかった。私の知人では随一の声フェチの冬樹さんが、ここまで入れ込むというのは大したものだ。

 ところで、パンフレットによると、チャイコフスキーの「白鳥の湖」日本初公演は貝谷とも子バレエ団によるが、オーケストラ譜が入手できず。ピアノ譜からヤマカズさんが独自にオーケストレーションを施して演奏したんだそうだ。当時の例としては他に、近衛秀麿版「展覧会の絵」なんてのもあるそうな。
 これは聴いてみたいな。楽譜は残ってないだろうか。

 「もう直き春になるだらう」は代表作のひとつ。素直な歌詞に素直な音楽が付き、繊細なオーケストレーションが可憐に響く。
 一方、休憩を挟んでの「日本の歌」は、「うましくに、ひのもと」と歌う日本賛美の歌詞に、マーラーを思わせる堅固・緻密なオーケストレーションを施した、まさに「マーラーの交響曲の一部」みたいな曲。
 パンフの記述によると、作曲者本人はこの曲にかなりの愛着があり、戦後も改作を続けて1959年に決定稿を演奏しているのだそうだ。あるいはこの曲こそは詩だけではなく音楽も含めて本人の「日本観」の吐露なのかも知れない。

 「おほむたから」はこの日最大の聴きもの。戦局急を告げる1944年に作曲され、一見戦意高揚を思わせる題が付いたオーケストラ曲ながら(「おほむたから」は天皇にとっての大いなる宝、つまり臣民を意味する)、マーラーの第5交響曲の第1楽章を換骨奪胎した構成をしており、極めて悲劇的な色彩が強い。近年になって音楽評論家の片山杜秀氏がこの事実を指摘したことから一気に注目されるようになった。


 徹底した引用と換骨奪胎という表現手法の面では、ルチアーノ・ベリオのシンフォニア(1969年)第3楽章(こちらはマーラーの第2交響曲「復活」の第3楽章を骨組みとしてありとあらゆる引用をコラージュしていった)に25年先駆け、自由に物言えぬ環境での暗喩による音楽の表現という意味ではショスタコーヴィチとほぼ同時期ということになる。
 もう冒頭から、マーラー5番からの換骨奪胎はありあり、ビートルズのパロディのラトルズを聴いているような雰囲気。そして、オリジナルの悲劇的雰囲気は拡大再生産されている。
 ここまで沈痛な雰囲気の曲でも、「おほむたから」とそれっぽい題を付ければ堂々演奏できたのだな。まあ1944年の段階で元ネタとなったマーラー5番を知っていた者のほうが少なかったのは間違いない。
 そういえば、ショスタコーヴィチ交響曲連続演奏会の時のトークで指揮者の井上道義氏が「昭和20年の空襲が続く中、日比谷公会堂では三日に一回の割合でクラシックのコンサートをしていたんですよ」と話をしていたのを思い出した。

 最後の大管絃楽の為の交響的「木曾」は文句なしの傑作。木曽節をはじめとした民謡が気持ちよく鳴りまくる。私はこの曲を実演で聴くのは2回目だけれど(前回もニッポニカの演奏だった )、外山雄三の「オーケストラのためのラプソディ」あたりと並んで、オーケストラが気持ちよく鳴らす日本民謡の曲としてもっと演奏されていいと思う。
 …と書いたら、こちらに「外山雄三のラプソディは、交響的木曾に触発されて書いたもの」という記述があった。これはびっくり。

 会場で、立派な装丁のヤマカズさんの演奏記録を500円というお値打ち価格で売っていたので入手。折田義正さんというお医者さんにしてヤマカズさんの大ファンが、編集したものだ。
 1991年7月21日の新交響楽団コンサートが最後の舞台。翌月の8月13日に79歳で急逝。最後まで現役だったんだな。もっともっと演奏したかったのだろう。

 ちなみに、「おほむたから」は来年2012年2月3日の東京ニューシティ管弦楽団第80回定期演奏会で、元ネタのマーラー第5交響曲と共に演奏される予定だ。興味のある方はどうぞ。



 指揮者としての山田一雄はあまり録音を残さなかったが、近年ライブ録音がいくつもCD化されている。こちらは、1978年2月12日に神奈川件の藤沢市民会館で演奏したマーラーの交響曲8番「千人の交響曲」のライブ録音。

 高校2年生の私はこの時、二階席の最前列にいた。木管が五管に拡大された四管編成オーケストラに合唱団、独唱と多数の演奏者を乗せるため、ステージは大きく客席側に張り出していて、張り出しの上で指揮する山田の姿は、二階席からは手すりの間を見え隠れしていた。山田は、例によって飛び上がり、伸び上がり、身をかがめて渾身の指揮をした。感極まって飛び上がる山田の後頭部が、手すりの間から飛び出してきたのを、私はありありと思い出せる。

 演奏も録音も決して最高ではない。特に第一部は雑駁でさえある。しかし第二部に入るとどんどん音楽は高揚していく。最後の「神秘の合唱」はまさに超絶的名演と言えるだろう。



 前にも紹介したけれども、この諸井三郎追悼演奏会のライブ録音はまさに名演。山田は多数の邦人作品を初演した。岩城宏之の先輩的存在でもあった。




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2011.06.30

ニコ動に新曲アップ

 少々前になるが、ニコニコ動画にオリジナル曲を1曲アップロードした。2年振りになる。

 こんな曲を書いていたのは29歳から31歳にかけてだから、過去の妄念を供養する行為とも言える。あと1曲残っているので、これもなるべく早くアップロードできるようにしたい。2年というのは間が空きすぎだ。

 ともあれ、面白い時代になったものだ。私が書いて本棚に放り込んでいた曲など存在しないも同然だった。演奏するにしても、演奏者を集めるような伝手も持っていない。「人がいない森の奥で木が倒れたとして、その時の音は存在したと言えるのか」という古い設問と同じだ。「存在しているとしても、存在していないも同然」ということである。
 それでも、ミクに歌わせてニコニコ動画にアップすれば、立派に社会的な存在になる。数は少なくとも聞く人がいて、わずかなりとも感想が帰ってくる。ニコ動に置いておくだけで、聞く人は増えていく。「いつか大ブレイクするかも」という虫の良い夢を見ることもできる。
  いつかどこかに届くことを期待して、瓶に詰めた手紙を流すようなものだ。流す場所が海や川ではなく、ネットというわけである。

 今回、DAWにLOGIC Expressを導入した。すると、これまでのGaragebandよりもぐっと音が良くなったのには驚いた。細かい調整も利くので、これまできちんとやっていなかったマスタリングのまねごとにも踏み込んでみた。声はメインボーカルがミクで、コーラスにルカを使っている。

 ニコ動の動画像をココログに貼れるようになったこともあるし、以下、過去に投稿した作品を貼って宣伝しておく。妙で不格好な曲ばかりだがご寛恕頂きたく思う。

 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。(宮沢賢治「注文の多い料理店」序)
 これは、音楽に魅せられたあげく、うっかり曲を書こうなどと思ってしまった人、すべての真情だろう。
 誰もが宮沢賢治になれるわけではないけれども。

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2010.07.28

はやぶさのテーマ

 そうか、はやぶさ帰還ではやぶさを知った人は、このCDを知らない可能性があるのかと気がついたので。また紹介する。また、というのは2005年のイトカワタッチダウンの時にも紹介しているからだ。

 甲斐恵美子さんの「Lullaby of Muses」である。

 前に書いた記事とはジャケットが替わっているが、現在の手に入る版は2007年に一曲を追加して再発売されたものである。

 5年前に書いた通り、このアルバムは打ち上げ前の2002年に発売された。

 2002年、打ち上げ前に制作されたジャズ組曲。はやぶさの行程を全11曲の組曲(現在のCDではプラス1曲で、全12曲)で表現した大作だ。

 この曲はJAXA/ISASの矢野創さんが、ちょっとした機会に天文学者にしてジャスCDのlyraレーベルの主宰者である尾久土正己さんと知り合ったところから始まったのだそうだ。「探査機のテーマ音楽が欲しい」という矢野さんのアイデアに、音楽家が応えた結果である。アルバムには矢野さんが力のこもった長文の解説を書いている。

 音楽は即興中心のハードなジャズではなく、メロディを主体とした美しいものだ。自由自在に跳ね回る中谷泰子さんのヴォーカルが素晴らしい。

 前に書いた上記の紹介に付け加えることは何もない。ニコニコ動画で様々なはやぶさ関連の音楽がアップされるずっと以前に、はやぶさは「テーマ音楽を持つ史上初の探査機」だったのである。
 ちなみにはやぶさ 関係者からのメッセージには、「はやぶさ〜Well come Back to Home!〜」という題の甲斐恵美子さんのメッセージが掲載されている。


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2010.07.25

盆踊りに演歌、替え歌

 日本において、ある事物がブームになったと判断しうる3つのポイントがある。

1)盆踊りの音頭になる。
2)演歌になる。
3)替え歌が流布する。

 ありました、はやぶさ音頭。


 ファンキーだなあ。ちなみに、飛び出したのは種子島ではなく内之浦。これは重要。

 実はイラストレーターの小林伸光さんが作った歌詞もあるので、以下に掲載する。

はやぶさ音頭 作詞:小林伸光

速い 速いよ イオンの流れ
やっと 来た 来た 小惑星
ブワッと 着陸 サンプル取って
さっと 帰ろう 故郷に

はっと しました ホイール故障
やった 置いたよ マーカーを
ふわっと 着陸 したいけど
さすがに 姿勢が 崩れたよ

入っているのか サンプルは
ヤバイ 漏れたよ ヒドラジン
普通の 帰還は あきらめた
三年 待ってよ 皆の衆

入ってきました ビーコンが
やってみました キセノン噴射
2つの イオンエンジンを
最後の手段で つなげたよ

はるばる 60億キロを
やっとの思いで たどりつく
ブルーに輝く 故郷の
砂漠の上で 流れ星

 もう一つ、小林さん作詞の演歌。

はやぶさ迎え酒 作詞:小林伸光

おまえ思って 飲む酒は  
空を見上げる 迎え酒  
その身は遠く 離れていても  
健気な姿が 目に浮かぶ
涙こらえて ほほえみを 
帰っておいでよ 愛の星 
みんな待ってる 青い星
 
夜空旅して ただ一人  
流れ流れて 遠い星  
今は傷つき くたびれ果てて
涙の雫も 枯れたけど
貴方の声が 聞けたから 
守ってきました 愛の花 
きっと見せます 流れ星  

ひとり偲んで 飲む酒は  
夜空見上げる 迎え酒  
今はその身は 消えようと 
涙の向こうに 明日を見る  
おまえの姿が そこにある 
帰ってきたんだ 流れ星  

 2005年のタッチダウン時に、漫画家のあさりよしとおさんが作った替え歌もあるので再掲載する。これら、誰かボーカロイドに歌わせて、ニコ動にアップしてくださいな。

蒲田行進曲のメロディで 替え歌:あさりよしとお

アステロイド 光の港
未踏の天地

星の姿 星間物質
凍るるところ

カメラの目に映る
モノクロの像にさへ

青春燃ゆる 生命は躍る
未踏の天地


 替え歌はすでにこういうのもある。


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2009.11.24

底抜けに明るくて、かつ大規模なアレグロ——原博の「交響曲」

 懐かしくなり、久し振りに聴きたくなって、アマゾンで検索をかけたらば品切れになっていた。在庫を探してHMVで「ダメもと」で注文したら届いたので、このところ繰り返し聴いている。

 原博の「交響曲」である。

 アマゾンでは一時的な品切れで、版元では在庫があるようなので、注文すれば届くだろう。急ぐならば、HMVで注文すればいい。

 原博(1933〜2002)は、孤高の作曲家だった。1950年代から1960年代にかけての前衛の時代を、バッハとモーツアルトを理想として一切の前衛的技法に見向きもせず古典的機能和声と対位法を追求した。12音技法とそれに続く一連の技法を否定しただけではなく、ドビュッシー以降の旋法的音楽にも目を向けなかった。その意味では、伊福部昭や別宮貞雄といった調性に基づいた音楽を主張する作曲家よりも保守的とすら言えた。
 といっても実作ではモーツアルトの模写に留まらず、機能和声の限界を追求する行き方をとった——そうなのだが、私はそんなに原の音楽をきちんと追っかけて聴いているわけではない。交響曲の他にピアノ協奏曲など数曲をCDで聴いているだけである。

 だから、ここは、いかにして私が彼の交響曲に出会ったかを書くべきだろう。

 原博の交響曲(彼は生涯にこの一曲しか大規模な交響曲を書いていない)は1979年に完成し、1980年夏に、渡邉暁雄指揮のNHK交響楽団あにより放送向けに録音された。放送初演はNHK-FMで1981年2月5日に行われた。

 私はこの放送をエアチェックしたのである。

 1981年2月というと、私は浪人中で大学入試真っ盛りだったはずだが、NHK-FMでめぼしい邦人作品のエアチェックは欠かさなかったのだった。今にして思えばろくでもない受験生だ。

 当時既に武満徹のファンだった私にとって、原の交響曲は妙な曲だな、と聞こえた。当時、私が欲していたのは「いまだ聴いたことがないすごい音楽」だった。その意味では、作曲年代は関係なかった。当時すごいなと思った交響曲は、セザール・フランクの交響曲ニ短調だったり、グスタフ・マーラーの6番と10番だったり、ストラヴィンスキーの詩編交響曲だったり、ショスタコーヴィチの4番であったり、アントン・フォン・ウェーベルンの「交響曲」だったり、あるいは松村禎三の「交響曲」だったりした。これらの曲に感じた「すごさ」は、原の交響曲にはなかった。

 しかし、それとは別に、原の交響曲、特にフィナーレの第4楽章は、私を魅了した。がっちりと構成された古典的フーガであるにもかかわらず、アレグロで疾走する音楽は、底抜けの明るさに溢れていた。こんなにも明朗な音楽、しかも明朗快活の裏にがっちりとした構造を持った音楽は聴いたことがなかった。

 音楽のすべてが明るくて、愉快で、しかもその輝きが決してくどくなく、わざとらしいいやらしさもなかったのである。

 両面120分のカセットテープの片面一杯に録音した交響曲。私はその第4楽章だけを繰り返し、繰り返し聴いた。忘れられない19歳の思い出だ。

 演奏時間50分もの長大な交響曲の1から3楽章は、暗く抑圧された情熱の連続だ。しかし、3つの楽章で鬱積した気分は、ラスト、10分以上の演奏時間をアレグロ・ジョコーソ(快活なアレグロ)で突っ走る第4楽章で、すべて昇華する。

 その明朗快活さは、例えば芥川也寸志の「交響管弦楽のための音楽」(1950)の第2楽章に近い。シンバル一発の響きと共に金管楽器が朗々とテーマを吹き鳴らし、弦楽器が調子よくリズムを刻み始める芥川の曲は、かなり原のフィナーレに近い。が、芥川也寸志25歳の快活さと、原博46歳の快活さは自ずと異なる。なんといったらいいのか、芥川にはない、そしてないことが魅力になっているわずかな陰りが、原の交響曲にはある。そして、うっすらとした陰りのあることが、逆になんともいえない魅力になっているのだ。ラスト間近、一瞬だけ引用される秩父音頭がなんと効果的であることか。

 この曲は、NHK-FMの放送初演のあと、長らく演奏の機会に恵まれなかった。舞台初演は、作曲者の死後、作曲から25年を経た2004年6月7日に「追悼 原博作品展 VOL.2」というコンサートで行われた。

 無調と前衛を攻撃し、機能和声にこだわり、調性にこだわった原は、一定数のファンを演奏家と聴衆の両方に獲得しているようだ。この追悼コンサートは2008年までに4回開催されている。

 実のところ、私には原の機能和声へのこだわりは、よく分からない。機能性といっても、それは18世紀ドイツの耳の趣味の組織化でしかないだろうと思えるためだ。そこにあるのは正当性ではなく地方性ではないかと。

 しかしそんな私の疑念はこの曲の価値を損ねるものではない。私にとっては「日本人が書いた、もっとも明朗快活かつ大規模なアレグロの音楽」、もうそれだけで十分である。

 比較対象というのは、芥川也寸志にも原博にも失礼だろうが、原の交響曲のアレグロと、芥川「交響管弦楽のための音楽」のアレグロを比べると、確かに芥川のほうがポピュラリティの面では上だな、と感じる。芥川の音楽は、「交響三章」(1947)であっても、「交響管弦楽のための音楽」(1950)であっても、「弦楽のためのトリプティーク」(1953)であっても、あるいは「交響曲1番」(1954/1955)であっても、さらには作風が変わり、より混沌としてマッシブな音響性を増した「エローラ交響曲」(1958)であっても、作曲者本人がそうであったような、ダンディさ、格好良さがある。

 原の音楽は誠実ではあるが、決して格好良くはない。その原が、もっとも芥川的な格好良さに近づいたのが、交響曲の第4楽章だと言えるのかもしれない。

 原には、遺作となった「ミニシンフォニー変ホ長調」(2001)という曲がある。日本吹奏楽コンクールの課題曲で、6分ほどの短い演奏時間の中に、古典的な4楽章の交響曲を詰め込んだ、まさに原の技巧の到達点を示す作品らしい。機会があれば聴いてみたい。


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2009.10.15

31年目のライブ録音——諸井三郎「交響曲3番」「ピアノ協奏曲2番」

 どうもTwitterを始めて以来、こっちに書く頻度が下がってしまっている。140文字の気楽さ故に、思いついたネタがすぐにTwitterに出て行って、こちらに書くに至らないといった感触。

 ともあれ、最近びっくりし、かつ感動したことを。

 ・諸井三郎記念演奏会1978

諸井三郎 交響曲第3番 Op.25/ピアノ協奏曲第2番 Op.31/交響的断章 園田高弘(ピアノ)、山田一雄指揮東京都交響楽団 [1978年4月6日/東京文化会館ライヴ]

日本音楽史の至宝・諸井三郎の交響曲第3番、山田一雄による1978年の演奏のライヴ音源が出現しました。これは前年3月に世を去った諸井を追悼して行なわれたコンサートで、遺作のピアノ協奏曲の世界初演も行われました。当コンサートが後世の財産になると確信した主催者が本格的な録音を行いましたが、時期尚早で発売のめどがつかぬまま埋もれていました。演奏はさすが山田一雄。ボルテージの高さと音楽の大きさに圧倒させられます。園田高弘の巨匠風ピアニズムとともに、今日珍しい大きな演奏を堪能できます

 まだアマゾンに登録されていないようなので、タワーレコードとHMVのオンラインショップへのリンクを掲載しておく。

諸井三郎記念演奏会1978(タワーレコード)
諸井三郎記念演奏会(HMV)

 以前、ついに幻の第1楽章を聴くという記事で、諸井三郎の交響曲3番について書いた。

 1977年、諸井三郎という作曲家がこの世を去った。翌年、彼の作品による追悼演奏会が開催され、NHK-FMがその様子を放送した。(中略) 追悼演奏会では、諸井の「第3交響曲」が演奏された。当時高校2年生だった私は、NHK-FMをでそれを聴き、それこそ鳥肌が立つほど感動した。

 その、諸井三郎追悼演奏会のライブ録音が、なんとまあ31年もの時を経て、CDとして発売されたのである。これが興奮せずにおられようか!自分がラジオで聞いて、感動して、エアチェックのテープを何度となく聞き返したあの演奏なのだ。
 NHK-FMで放送された以上、録音が存在することは分かっていたが、今まで残っていたとは。

 早速入手して聴いている。

 ライナーノートを読むと、そもそも録音は録音技師の浅野芳廣氏の私的努力で行われ、氏の尽力で今日までマスターが保管されていたとのこと。頭が下がる。

 このCDのおかげで、諸井の畢生の傑作である交響曲3番を、最盛期の山田一雄の指揮で聴くことができる。山田一雄の指揮は、高校から大学にかけて何度も聴いた。ちょっとやぼったく、エンジンがかかるまで時間がかかるが、いったん調子に乗るとどこまでも熱く高揚していく。このCDの演奏では、感動的な第3楽章が、その山田節で大きく盛り上がる。ナクソスから出た湯浅卓雄指揮、アイルランド国立交響楽団の演奏は、緻密な演奏だったが、一方、山田のライブは熱い。オケが音を外しているところもあるけれども、圧倒的な熱さで迫ってくる。

 このCDには、諸井の死の年に完成した「ピアノ協奏曲2番」も収録されている。これがまた素晴らしい。

 作曲家に限らず芸術家という人種は、若い頃には様々な雑念と共に作品を作っていく。「有名になりたい」「認められたい」「受けをとりたい」というように。いかに真摯に自分の作品に対峙したとしても、どこかに若く苦い汗が混ざり込んでいく。それはそれで魅力なのだが、そんな者らも晩年に至ると、一部は一切の雑念が入らない作品を作るようになる。受けも、歓呼の声も、名声もどうでもよくなり、ただ音と自分の関係の間だけで、純粋な音楽を紡ぐようになる。

 ピアノ協奏曲2番はそんな音楽だ。ここには諸井本人と、諸井が選んだ音しかない。素晴らしく自由で、雑念のない、純粋な調べが流れていく。12音技法的な音の流れや主題の操作が表に出た、やや暗めの“夜の音楽”だが、ラストに至って日本民謡を思わせるのメロディが朗々と鳴り響く。そこに至り、聴き手は実は日本民謡風の響きが、曲冒頭の主題の中に組み込まれていたことに気が付く、という構成だ。

 ピアノを担当する園田高弘は、1978年当時50歳で、円熟の境地にある。その指が打ち出す音の美しいこと。特に第3楽章でのひとつひとつの音の輝きには聞き惚れてしまう。

 山田と園田の組み合わせで、諸井最後の曲を聴けるとは、なんと幸せなのだろうか。

 ライナーには例によって片山杜秀氏の解説がついており、最晩年の諸井の生活を知ることができる。交響曲3番の後、その死までの33年で、彼は8曲しか作曲していない。そのうちの3曲が、死の年である1977年に集中している。
 明らかに1976年から77年にかけて、諸井の中で創作への意欲が甦りかけていたのだった。しかし、天は彼に時間を与えなかった。1977年3月24日、諸井は心筋梗塞で倒れ、病院への搬送途中に亡くなった。

 惜しいとしか言いようがない。

 ともあれ、この素晴らしいCDには入手する価値がある。強く推薦しよう。そして、なによりも録音を行い、マスターテープを2009年まで送り届けてくれた浅野芳廣氏に感謝を。

 前回の記事でも紹介した、諸井リバイバルのきっかけともなったナクソスの一枚。こちらも素晴らしい演奏だ。片山氏のライナーノートは、こちらのCDのほうが詳しく、諸井の音楽について解説している。私としては「両方買え」と言いたいところだが、熱い演奏が好みなら今回の山田・園田のライブ盤、端正な演奏が好きなら、この湯浅盤がお薦めである。

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2009.08.06

「天にひびき」(やまむらはじめ)が面白くなりそうだ

 ヤングキングOURSで連載が始まった、「天にひびき」(やまむらはじめ)が、面白くなりそうな予感を感じさせる。

 奏者も空気もすべて引き込んで、まとめてしまう天才的な指揮の才能を持った少女・ひびき。彼女との鮮烈な出会いによって秋生の人生は大きく変わっていった!夢を追う青年達の希望と苦悩…。音を奏でる若者たちの青春ストーリー!
(ヤングキングOURSホームページより)

という、女性指揮者をテーマとした音楽マンガなのだが、作者のやまむらはじめさんが、どうも相当にクラシック系音楽に入れ込んでいる節があるのだ。

 このことに気が付いたのは、同じOURSで以前連載していた伝奇物マンガ「カムナガラ」の最終回直前のサブタイトルに、「そしてそれが風である事を知った」(武満徹の室内楽曲)、「閃光の彼方へ」(オリヴィエ・メシアンの管弦楽曲)といった曲名を使用していたことからだった。

 さらに続く青春ストーリー「夢のアトサキ」で、主人公の名前が「也寸志」君だったり、「武満さん」というかわいい女の子が出てきたりで、「おや?」と思っていたら、この連載である。

 クラシック音楽好きには、かなり期待の持てる連載だと思う。冒頭に、ベートーベンの第4交響曲を巡るエピソードをもってくるあたり「分かっているなあ」という雰囲気だ。ひょっとすると同じベートーベンの第7交響曲をメジャーに押し上げた「のだめカンタービレ」への対抗意識でもあったのだろうか。

 第4は、名前付きの2曲に挟まれて(第3「英雄」と、あまりに有名な第5「運命」)、今ひとつ知名度が低いのだが、実はとてもチャーミングな曲だ。第4楽章には、ファゴットのおよそ吹けそうもないほどの超絶高速パッセージがあって、これをどうこなすかがファゴット奏者の腕の見せ所だったりする。

 ベートーベンの交響曲は1番と2番が、ハイドンの影響が濃い習作であり、第3「英雄」、第4、第5「運命」、第6「田園」、第7、第8、第9「合唱」と続く。どれも超が付く有名曲である題名付きを除くと、残るは第4、第7、第8。
 のだめが第7を持っていったので、マンガで使えるのは第4と第8だが、第8は室内楽的な小振りで力が抜けた曲なので、ちょっとマンガの冒頭では使いにくい。

 この第4番の選択ひとつをみても、かなりクラシックを理解した上で選んでいるな、と思えるのである。

 クラシック音楽マンガは、多分手塚治虫の「虹のプレリュード」あたりから始まるのだろうか。手塚は執筆時に音楽を欠かさない音楽好きで、ピアノも弾いたので、音楽をテーマにマンガを描くというのはごく自然なことだったのだろう。もっとも、「虹のプレリュード」は、ショパンが登場するものの、ショパン本人と彼の音楽は添え物であって、主題は手塚好みの男装の麗人を巡る悲恋物語だった。「ルードウィヒ・B」では、ベートーベン本人の伝記に挑戦したが、これは完結させることができなかった。

 「虹のプレリュード」の次のクラシック音楽マンガというと、くらもちふさこ「いつもポケットにショパン」(1980〜1981)まで飛んでしまう、といっていいのだろうか(あまり熱心にマンガを読んでいるわけではないので自信はない)。だた、これも音楽がストーリーの根幹に食い込んでくるというよりも、音楽高校に通う女の子の恋愛ストーリーだった。
 「いつもポケットにショパン」よりちょっと後、竹坂かほり「ディ・カデンツ」「プレリュード」(1984)という音楽マンガが登場する。これは、同じ音大に通うヴァイオリンとピアノの男女の恋愛物語だった。この作品もまた、音楽はテーマというよりファッションだったと記憶している。クライマックスが、ヴァイオリンの男の子のコンクールでの演奏なのだが、演奏する曲がメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲なのだよ!
 当時、「そりゃ、あんまりに安易だ」と思ったものである。なにしろ、この通称「メンコン」は、学校の音楽鑑賞教材に入っているぐらいの超有名曲だったから。当時、「そこは、バルトークとはいわないから、せめてシベリウスのヴァイオリン協奏曲を使うところだろ」とマンガに向けて突っ込みを入れたものである。

 多分、クラシック音楽を抜き差しならない主題として扱った最初のマンガは、さそうあきら「神童」(1997〜1998)ではないかと思う。それまで私はさそうあきらを「キタナイ絵で、どうしようもない自我垂れ流しのマンガを描く奴」と認識していたので、「神童」を読んだ時には、本当にびっくりした。
 「神童」は、主人公である天才少女“うた”が、はるか年上の冴えない音大生“ワオ”を振りまわす話と思わせて、実は老いた元神童の御木柴教授、そして“うた”とは違う意味で、実は神童であった、“ワオ”と彼の恋人香音(カノン)という、「才能とは何か」を巡る物語だった。「はじめて恋愛以外をテーマにしたクラシック音楽マンガ」と言っても良いかもしれない。
 ストーリーの中での曲の選択も的確で、特に御子柴教授の復活と、うたに降りかかる試練という物語の転回点に、バルトークの第3ピアノ協奏曲を持ってきたのには感心した。
 その後、作者は指揮者を巡る「マエストロ」というマンガも描いている。

 その後は、一色まこと「ピアノの森」が出て、そしてなによりも二ノ宮知子「のだめカンタービレ」の大ヒットが出る。「のだめ」の凄さは、徹底した調査とストーリーテリングを融合させたところで(ここにも時々コメントを書いてくれる大澤徹訓さんがブレーンをしている)、「音大生って、こういう曲を演るよな」「コンクールってこんなもんだよな」というところで、一切隙がない。大澤さんは、作中のコンクールの架空の課題曲としてピアノ曲「ロンド・トッカータ」を一曲まるまる作曲してしまったぐらいだ。

 さあ、「天にひびき」は、どんな展開をしてくれるのだろうか。掲載誌はかなりマニアックな内容も許容するので、連載打ち切りにならない程度に、どんどん趣味に走ってやってもらいたいと思う。主人公のひびきが、やがて登場する2人のライバルと共に、3人の指揮者を必要とするシュトックハウゼンのオーケストラ曲「グルッペン」を演奏するとか(やり過ぎ?)。

 なお、現在発売中の9月号からは、作曲家の吉松隆氏による解説も始まった。初回は「指揮者のお仕事<誕生編>」で、指揮者という職業ができた歴史的経緯を説明している。こちらも本編と合わせて楽しみである。

   

 「カムナガラ」「エンブリヲン・ロード 」、そして現在連載中の「神様ドォルズ」と、やまむら作品はうねるようなストーリーが特徴だが、実は連作短編の名手でもある。マンガの短編集はどうしても部数が少なく、すぐに絶版になってしまうが、彼の短編を読まずにすますのは惜しい。今、入手できるのは「夢のアトサキ」だけだが、ここでは「境界戦線」「未来のゆくえ」も紹介しておく。私は特に「未来のゆくえ」が気に入っている。

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2009.07.20

コンサート:101年目からの松平頼則 II

 7月16日木曜日、表題のコンサートに行ってきた。去年のコンサート「101年目からの松平頼則 I」に続くもの。いやもうなんというか、とにかく面白かった。

 松平頼則(まつだいら・よりつね、1907-2001)については、去年の演奏会についての記事で書いた通り。20世紀初頭に生まれ、文字通り“松平的”としか形容のしようのないオンリーワンの音楽を精力的に書き続け、94歳の天寿を全うした作曲家だ。私の尊敬する作曲家の一人である。

 昨年から音楽評論家の石塚潤一氏が、この「101年目からの松平頼則」という音楽会のシリーズを立ち上げた。今回はその第2回目。松平の作風は1951〜52年前後を境に、フランス風の和声を駆使した新古典的なものから、雅楽と12音技法を結合した前衛的なものに2分することができる。今回のコンサートは前期からの室内楽3曲、後期から独奏曲と大規模室内楽を各1曲というもの。



101年目からの松平頼則 II
日本音楽史上の奇蹟・松平頼則再び 〜大編成室内楽作品を交えて〜

2009年7月16日(木) 19:15 開演 (18:45 開場)
杉並公会堂 小ホール (荻窪駅北口徒歩7分)
全席自由:前売り3000円、当日3500円

主催:<101年目からの松平頼則>実行委員会
後援:上野学園大学
協賛:<東京の夏>音楽祭 SONIC ARTS
助成:財団法人 野村国際文化財団 財団法人 ローム ミュージック ファンデーション

プログラム


  • 「セロ(チェロ)・ソナタ」(1942/47)
    多井智紀(vc)、萩森英明(pf)

  • 「フルート・バスーン・ピアノのためのトリオ」(1950)
    木ノ脇道元(fl)、塚原里江(fg)、井上郷子(pf)

  • 「弦楽4重奏曲第1番」(1949)
    甲斐史子(vn)、亀井庸州(vn)、生野正樹(va)、多井智紀(vc)

  • 「3つの律旋法によるピアノのための即興曲」(「律旋法によるピアノのための3つの調子」)(1987/91)
    井上郷子(pf)

  • 「雅楽の主題による10楽器のためのラプソディ」(1982)
    木ノ脇道元(fl)、宮村和宏(ob)、中秀仁(cl)、塚原里江(fg)、川崎翔子(pf)、甲斐史子(vn)、亀井庸州(vn)、生野正樹(va)、多井智紀(vc)、溝入敬三(cb)、石川星太郎(cond)

 今回のコンサートの曲目解説はこちらで読むことができる

 松平は、戦後すぐから清瀬保二などの仲間と共に新作曲派協会という作曲家の団体を組織し、その演奏会で、次々に室内楽を発表していく。
 新作曲派協会というのは、清瀬保二、伊福部昭、松平頼則、渡辺浦人、塚谷晃弘、荻原利次といった、音楽学校(現在の東響芸大)とは無関係に自学自習で作曲家になったメンバーが集まって結成した作曲家グループ。後に若き日の武満徹も親友の鈴木博義と共に加入している。武満のデビュー作「2つのレント」は新作曲派協会第7回作品発表会(1950年12月)で、初演されている。

 今回のコンサートで演奏された、「チェロソナタ」「トリオ」「弦楽四重奏曲1番」という新古典的な作風の3曲は、すべて新作曲派協会演奏会で初演されたもの。

 チェロソナタは(新作曲派協会第1回作品展で初演)は、昨年の第1回で演奏された「フリュートとピアノのためのソナチネ」と同様の、瑞々しさを感じさせる曲。とはいえ、初演時に作曲者は40歳になっている。松平特有の増4度音程で調性をあいまいにされた和音の使用が目立ち始めている。

 フルート・バスーン・ピアノのためのトリオ(新作曲派協会第6回作品展で初演)は、フランス流の流麗な和声と自己主張とを完璧に折り合いを付けて作品に仕上げている。大変に洒脱な曲で、あえて影響というならばフランシス・プーランクに似ていると言えないでもない。

 そして、この日一番面白かったのが、弦楽四重奏曲1番(新作曲派協会第4回発表会で初演)。曲目解説では「ラヴェルの弦楽4重奏曲という鋳型の中に自分の表現を流し込もうとした」と書いているが、まさにその通り。モーリス・ラヴェルの弦楽四重奏曲と同じ4楽章構成というのみならず、音楽のかなり細かいところまでがラヴェルに対する換骨奪胎になっている。特に第1楽章と第4楽章は、細かいフレーズの繰り返しや、緩急の付け方とか、主和音への持って行き方とかで、ふわっとラヴェルの曲そっくりの雰囲気が流れたりするのだ。ビートルズに対するラトルズというか、マイケル・ジャクソンに対するアル・ヤンコビックというか。

 それは、一面では単なる真似やパロディになってしまう危険性もある行き方だが、結果としてこの時期の松平の個性が、ラヴェルの陰影を伴って現れるというか、なんとも形容のし難い絶妙のハイブリッドとして立ち現れる曲となっている。
 第2楽章は、4人の奏者が違う調性で多声音楽を展開する、多分にダリウス・ミヨーの影響を感じさせるもの。雅楽の越天楽を主題とし、ポルタメントを多用する第3楽章は、後の彼の雅楽と前衛技法との結合を予告するかのような、非常に面白い音楽に仕上がっている。

 ちょっと残念だったのは、演奏の4人が今回のためにアンサンブルを組んだメンバーであったこと。常設でカルテットを組んでいるメンバーだったら、もっと相互に緊密な演奏をしてくれたろう。

 ここからは、松平が前衛的技法を採用して、より抽象的な作風へと転じていってからの2曲。

 「3つの律旋法によるピアノのための即興曲」は、昨年のコンサートで演奏された「呂旋法によるピアノのための3つの調子」と対になる作品とのこと。「呂旋法によるピアノのための3つの調子」が、前衛の極北のような厳しい響きだったのに対して、こちらは、アクセントや長音で強調される音を追っていくと、無調的な十二音の響きの中から雅楽の旋律が立ち上ってくる。

 最後の「雅楽の主題による10楽器のためのラプソディ」は、私としては始めて聴く松平の大規模室内楽。舞台中央にピアノ、右側に弦楽五重奏。左側に左端からフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットと並ぶ。
 曲は雅楽「輪鼓褌脱」による。序奏と12の変奏曲、終曲という構成。各セクションごとに編成が変わる。ある部分は右側の弦楽五重奏のみ、ある部分はピアノと左側の木管のみ。フルートとクラリネットのみになったり、オーボエとファゴット、弦楽のみになったりと変化していく。

 複雑な連符でぽんぽんと音が大きな音程で跳躍する様は、極めて現代音楽的だが、結果として出てくる音楽は、雅楽的で、かつ松平的としかいいようのない個性的なものになっている。音楽を貫くすべての時間、全ての瞬間に濁りがなく、透明な水晶のような印象を与える。本当に素晴らしい。

 作曲者が94歳の長寿を全うしてから8年、生誕から数えれば102年になるにも関わらず、彼の音楽の一般における受容は進んでいるとはいえない。

 松平頼則という人は、それこそ歴史が始まって以来誰も思い描かなかったであろう“松平的”としか形容のしようがない音楽をエネルギッシュに量産し、そして天寿を全うした。

 こういう人は、もっと評価され、尊敬されてしかるべきだと強く思う。願わくばこの「101年目からの松平頼則」のコンサートが、「III」「IV」「V」と続かんことを。


 最後に、前回のコンサートの記事でも掲載した、松平頼則関連の資料を。

 まず石塚潤一氏の文章。

 残念ながら、この1年間で、松平の作品は1枚もCDが出ていない。今回も松平の音楽の入門用の紹介するのは、ナクソスの「日本作曲家選輯」に収録されたこの1枚ということになる。
 松平にとって音楽作法の転回点になった「ピアノとオーケストラのための主題と変奏」、そして雅楽と十二音技法を結びつけた代表作の「右舞」「左舞」が収録されている。
 「主題と変奏」はフランス風の和声を駆使した美しい音楽から、尖った前衛的音楽へと傾斜していく過程の曲。第5変奏では「越天楽」のメロディがブギウギのリズムで演奏される。越天楽からフランス風の優美な和声、ブギウギから十二音技法までというごちゃごちゃさ加減がなんとも面白い曲。実は指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンが演奏した、唯一の邦人作曲家の作品でもある。
 「右舞」「左舞」「ダンス・サクレとダンス・フィナル」は十二音技法の厳しい音が続く曲だが、音楽の基本形状が雅楽なので、前衛音楽という意識を持たずに気楽に聴くことができる。

 ナクソスは、音楽のネット販売にも積極的であり、このアルバムもiTunes Music Storeで購入することができる。

Matsudaira Bugaku Dance Suite:iTMSへのリンク
 こちらは900円とCDよりも安いし、試聴することもできる。

 今回、帰宅後に手元の蔵書「日本の作曲家たち」(秋山邦晴著・音楽之友社1978年)の松平頼則の章を読み直した。すると、秋山が「今の自分には、新古典期の松平の曲に触れようもないが」としつつ、「ピアノとオルケストルの為の変奏曲」(1939年)に対する早坂文雄の批評を引用していた。

 30年前の作曲者70歳の時点では、武満・湯浅譲二などの盟友だった秋山にして、松平の前半生の作品を聴くことすら敵わなかったのだ。

 私は昨年4月、オーケストラ・ニッポニカの演奏会で、この曲の実演を聴くことができた(ちなみにCDは、かつてフォンテックから芥川也寸志指揮、新交響楽団の演奏が出ていた。現在は残念ながら入手できない)。

 そして、去年と今年の石塚氏によるコンサート!

 ほんの少しずつではあるけれども、松平頼則と彼の音楽を巡る状況は良くなって来つつあるのかも知れない。

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2009.06.17

例によってミクオリジナル曲より

 アイマスMadと来れば、初音ミクオリジナル曲も取り上げないわけにはいかないだろう(自分としては、だが)。以下、この半年ほどの間に聴いて、気に入った曲である。例によって再生数がぐんと伸びている曲は避け、再生数1000から1万の間の曲を中心に紹介していくことにする。


 質の高い音楽を着実にアップしてきた割に、いまひとつ再生数が伸びなかったとち-music_boxさんだが、この曲でブレイクした!スティーブ・ライヒ風のフレーズを、同じくライヒ風に繰り返していくが、細かい部分に作者ならではの工夫があり7分半の演奏時間はあっというまにすぎる。


 ミクオリジナル曲は、アップテンポでビートのきつい音楽が受ける傾向がある。が、それだけだとこういう良い曲が埋もれてしまう。ソロモンPによる、静かなゆったりとした、ちょっと不思議な雰囲気の曲。


 同じくソロモンPの手による、これまた静かでゆったりとしたとても良い曲。この人の曲の再生数が伸びないのは、長靴Pが1万再生あたりでうろうろしているのと合わせて、私にとってミクオリジナル曲の「2つの謎」だ。良い曲なんだがなあ。


 作者のPhantasmaさんは、どうやらプロらしいのだが、ちょっと正体は分からなかった。これもゆるやかなテンポであるというだけで損をしているとしか思えない、しっとりとした曲だ。


 同じPhantasmaさんの曲だが、こちらはそれなりの再生数を集めている。テンポがアレグレットぐらいまで早くなっただけなのだけれど。これも、「いいから聴いてごらん」とすべての人に勧められる曲だと思う。


 クヌースP(P名からして理系と分かる)による、1980年代半ばぐらいの坂本龍一を思わせるテクノポップ。アップテンポでビートも効いているが、こちらは「テクノポップ」というだけで、損をしているような気がする。おーい、ニコ厨たち。はやりのアニメっぽい音楽だけが音楽じゃないぞー。ちなみに題名のアナライザーとは、佐渡医師の助手を務める赤いロボット…ではなくて、明らかに計測機器のFFTアナライザーのことだろう。理系萌えというか、理系擬人化というか、そういう歌詞。


 仏教ロック「舎利禮文」でニコ厨に衝撃を与えた鉄風Pの、これはまた見事なまでに内省的な曲。曲の出来は、「舎利禮文」に勝とも劣らぬ、と思えるのだけれど、どういうわけか再生数が伸びていない。北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」や、自伝的要素を持つ「楡家の人々」を読んでいると、さらに楽しめるだろう。クヌースPが「理系ポップ」なら、こちらは「文芸ロック」というべきか。以前から主にインディーズで「文芸ロック」を標榜したグループはいたわけだけれど。


 アルゴリズム・ミュージックという分野がある。あるアルゴリズムを最初に設定しておいて、それに沿って音を発生させていくというものだ。乱数Pによるこの曲は、アルゴリズム・ミュージックの範疇に入るのだろうが、曲の基本となるアルゴリズムが「乱数」なのである。音の高さも長さも乱数。歌詞も乱数。それなのにけっこう面白く聞けてしまうのはなぜなのだろう。
 発想としては、ジョン・ケージの「易の音楽」などと同じだが、こういう曲がさらっとアップされているのも、ボーカロイド曲の面白いところだ。


 これは、音楽単体というよりもコラボで付いた映像との組み合わせがなかなか良い。マッド・サイエンティストをテーマにした曲というと遊佐未森が歌った「M氏の幸福」を思い出すが、この曲には「M氏…」のようなちょっと湿ったリリシズムはない。むしろ、「みんなのうた」的な明快さ、明朗さを感じさせる。


 その遊佐未森っぽい、というより初期の遊佐に曲を提供していた外間隆史の影響を感じさせる曲。初期の遊佐未森のアルバムに入っていてもおかしくないような雰囲気だ。


 ジンジャーPによる、ジャズっぽい軽快な曲。ジンジャーPという人は本当に多芸多才で、超絶技巧のピアノ曲を書いてMIDIで演奏してみたり、物理シミュレーション言語Phunでピタゴラスイッチのような仕掛けを作ってみたりして、人気を集めている。この曲などは、きっと手すさびで書いているのだろうと想像するのだけど、それでも完成度は高い。


 ちなみにこちらは、ジンジャーPによる超絶技巧ピアノ曲。「弾けたら千手観音」というタグがついている。



 最後に、オリジナルでもミクでもないが、本当にびっくりしたので紹介する。古賀政男の曲ばかりをアップしているこがうたPによる「いとしあの星」。オリジナルは渡辺はま子が歌っていた。

 なんでルカの歌声はこんなに古賀メロディに合うのだ??

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