種子島に来ている。
ご存じの通り、H-IIAロケット12号機は2月16日に打ち上げ予定時刻直前に天候悪化で打ち上げ中止になってしまった。さあ、次の打ち上げまで島で仕事をしながら粘るか、あきらめて帰るか。思案のしどころである。
前回書いた、自転車の車道通行禁止問題は、相当数のパブリックコメントが集まったそうで、そのせいかどうかは不明ながら警察庁は態度を変えた。基本的に自転車専用レーンの普及へと方針転換したのだ。詳細は疋田智氏のメルマガを読んでもらいたい。
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今回のことからもわかるように、国のやることに対して無力感を持たずに、きちんと意見を出すことは非常に重要だ。「はやぶさ2」予算についても、JAXA自身が折衝の過程でゼロにしたものが、文部科学省の力があったとはいえ、1/10だけでも復活したにあたって、私は、皆さんのメールが幾分かの力を発揮したのだろうと思う。
ところで、自転車の件については、様々なコメントやトラックバックをもらった。その中には、今回疋田氏が提唱した運動に疑問を投げかけるものもあったし、そもそも自転車の将来性を疑問視するものもあった。
私から見て目立ったのは、「そもそも警察庁の出した文面は、疋田氏が主張するように読めない。疋田氏は文面を歪曲して解釈している」というものだった。
確かにそう読めるのだ。常識的には。
だが、「常識的」というのがくせ者なのである。
ちょうど良い機会なので、ここでまとめておこう。
官僚の作文において、「常識的にどう読めるか」は意味を持たない。
1)常識をいっさい働かせずに、その文章の文脈と論理のみではどう読めるか
2)その文章の前にどのような文章が公式文書化されているかという脈絡
のみがすべてである。
常識で色々補って読むと、官僚の思うつぼにはまってしまうのだ。
私の見るところ、疋田氏は官僚の作文の読み方を理解した上で、今回の運動を起こしている。対して、「疋田氏は警察庁の文書を歪曲解釈している」と指摘する向きは、官僚作文の読み方を知らず、常識で読み解いてしまっているのである。
今回、問題になった文章は以下の通り。
・「道路交通法改正試案」に対する意見の募集について
提案の趣旨は以下のpdfファイルにまとまっている。
・「道路交通法改正試案」に対する意見の募集について
問題の文面は、全部で19ページのファイル中、9ページ目に記載されている。
3 自転車利用者対策の推進
(1) 通行区分の明確化
現在、自転車は、車道通行が原則とされ、例外的に道路標識等で通行することが認められている場合に歩道を通行することができることとされていますが、必ずしもこれによらず、自転車の歩道通行が言わば無秩序になされている状況が見られます。
そこで、自転車の通行区分について、車道通行の原則を維持しつつ、道路標識等により普通自転車歩道通行可の規制がなされている場合のほか、児童(6歳以上13歳未満の者・幼児(6歳未満の者)が普通自転車を運転する場合、車道を通行する)ことが危険である場合等と、普通自転車が例外的に歩道を通行することができる場合の要件を法律で明確に定めることとします。
一方、歩道通行が認められる場合であっても、歩道における歩行者の安全を確保するため必要があると警察官等が判断した場合には、当該普通自転車の運転者に対して当該歩道を引き続き進行してはならない旨を指示することができる(指示に違反した場合には、処罰の対象となります)こととします。
一般社会の常識でこの文章を読むならば、「車道通行の原則を維持しつつ」とあることから、「ああ、車道通行を維持するんだな」と読んでしまうことになる。疋田氏の呼びかけに対する批判者は、この文章を読み「いったいこれのどこが自転車の車道通行禁止と読めるのか」と言っているわけだ。
では、この文面を「官僚作文の正しい読み方」で読み解くとどうなるか。
1.まず、「先行する文書との関連」を見てみよう
今回の道路交通法改正にあたっては、先だって「自転車の安全利用の促進に関する提言」が出ており、それを受けての改正という形をとっている。
有識者を集めて委員会を立ち上げ、委員会における議論をコントロールして都合の良い内容の提案を作り、「有識者の皆様がこういっているので、それに沿って法律を作ります」という形で法改正を進める――これは官僚の常套手段だ。覚えておいて損はない。
「自転車の安全利用の促進に関する提言」(平成18年11月30日)は、以下のリンクから読むことができる。
・警察庁、安全・快適な交通の確保:提言などが掲載されているページ
- 「自転車の安全利用の促進に関する提言」(平成18年11月30日):以下の4つのpdfファイルに分割されて掲載されている。
まず「要旨」を読んでみよう。該当する部分は2の(2)だ。
(2)歩行者の通行の安全確保に配慮し、歩道上での自転車の通行方法をより明確にすること、指定された自転車の通行部分には歩行者もできるだけ立ち入らないようにすることなど、特に歩道における自転車と歩行者の共存を図るための実効性のある具体的なルールを定める。
また、幼児や児童を始め、自転車利用者に対し広くヘルメットの着用を促進する。
「ほらみろ、ちゃんと自転車と歩行者を分離するという趣旨になっているじゃないか」と思うかもしれない。
しかし、まずこれが「要旨」であることに注意しなくてはならない。官僚は、反発が予想される内容についてはわざと要旨には入れないことがある。逆に要旨に入っていないのに、提言全体では大きく扱われるトピックがあるなら、それは官僚がこっそり通したいとと考えている部分だ。
そしてすでに、この要旨の部分で自転車を歩道にあげてしまおうという意図がちらりと見えている。「特に歩道における自転車と歩行者の共存を図る」という部分だ。車道通行を基本とした自転車専用レーンを目指すなら「特に車道における自転車と自動車の共存を図る」と書かねばならないはず。なぜ歩行者と自転車なのか?
次に「概要」を読んでみよう。これは、要旨をビジュアルかつ箇条書きに展開したものだ。該当する部分は、2ページ目の「1 利用目的・利用主体に応じた自転車の通行空間の確保(自転車の通行空間の在り方)」という部分である。
○ 自転車の車道通行の原則を維持
* 自転車は車両の一種であり、走行性能等を発揮するためには、車道(又は自転車道)に通行空間を求めるべき
○ 普通自転車歩道通行可の規制が行われている歩道のほか、要件を限定し自転車の歩道通行を認める(児童・幼児が運転する場合、車道通行が著しく危険な場合等)
* 子供や高齢者の利用、買物目的の利用等では、車両としての迅速性等は必ずしも求めておらず、安全の観点からは歩道通行の必要性
これを「ほらみろ、自転車の車道通行を維持と書いているじゃないか」と読んでしまうと、官僚の術にはまったことになる。
このまとめは「原則はこうだが、原則とは別に特別な例を認めるべき」という論理の流れで書いてある。こういう場合は後段に重みがかかっており、また書き手の意図も後段にある。
ジョージ・オーウェル「動物農場」のスローガンと一緒だ。「すべての動物は平等であるが、一部の動物はより平等である」という奴。
つまり、ここで官僚が主張した意図は「普通自転車歩道通行可の規制が行われている歩道のほか、要件を限定し自転車の歩道通行を認める」というところにある。
「普通自転車歩道通行可の規制」は、1978年の道路交通法改正で緊急避難的に認められた、現在の歩道通行可の歩道を指す。だから、この文章は、現在の歩道通行に加えて、さらに自転車の歩道通行を許す、という意味である。
「でも、『要件を限定し』と書いているじゃないか」と思う人もいるだろう。「これなら、むやみやたらに自転車を歩道にあげるようなことはしないはずだ」と。
実は要件はまったく限定されていない。
限定の中身について「車道通行が著しく危険な場合等」という」という条件が入っていることに注目してもらいたい。
誰が「著しく危険」と判断するのだろうか。
答えは警察である。そして警察が「著しく危険だ」と判断したことに関する事前のチェック機構は、現在の行政システムの中にはない。
この部分は、警察が恣意的にすべての道路を「著しく危険」とすることで、自転車をすべて歩道に上げてしまうということを可能にしているのである。本当に危険かどうかは関係ない。警察が「著しく危険」と判断すれば、そこは危険ということになるのだ。
この提言に従って道路交通法を改正すれば、警察は自転車をいつでも全面的に歩道に上げることができる。そのための法的な根拠を、フリーハンドで得られることになる。
こういう文書の読み方に、とまどう人も多いだろう。「そこまでうがち読みしないといけないのか」と思うかもしれない。「常識で読んではいけないのか」と。
しかし、官僚の作文は常識で読んではいけないのだ。その文書にかかれた文面がすべてであり、その文面の論理を追っていくことで矛盾が生じなければ、それは正しいということになるのである。
官僚は文書の作成を仕事としており、文書作成のプロだ。彼らは、文書の文言を操作することで行政を動かしている。そのことを軽く見るべきではない。
プロの文書である以上、官庁の文書はその一言一句に至るまでに意味を持たせている。それを読みとれるかどうかは、国政を左右する重大問題なのである。
ここまでを理解した上で、「提言」の本文を読もう。関係する部分は17ページ以降の「第4 自転車の通行空間・通行方法の在り方について」という章である。すると、だ。 2/18記:該当ページ数を間違えていたので訂正しました。
自転車は、現行道路交通法でも規定されているように、車両の一種であり、その走行性能を発揮し、通行の安全性とともに迅速性・快適性を確保するためには、その通行空間は、専用の通行空間である自転車道か、又は車道に求められるべきである。このような考え方は、諸外国においても例外がなく(資料6)、ルールはクリア・シンプルであることが望ましいことからすれば、自転車の通行空間は(自転車道が整備されている場合は別として)車道に一本化すべきという考え方もあり得る。
しかしながら、我が国における自転車利用の多様性、とりわけ、子供や高齢者の利用、主婦等による買い物や子供の送迎目的の利用等身近な生活における移動手段として自転車が幅広く利用されており、これらの利用主体又は利用目的においては、自転車に車両としての迅速性等の機能を求めていない場合も多いことを考慮する必要がある。
「原則は車道歩行で、国際的にも車道一本化だ。でも日本では自転車に迅速性は求められていない」という、ねじれた論理を展開している。道路環境が悪いから、多くの自転車ユーザーは自転車に迅速性を求めるのを諦めているというのが正しい理解だろう。
こうした我が国の事故実態や道路実態、更に今後の高齢化社会の進展等を考慮すると、我が国において自転車を一律に車道通行とすることは現実的ではなく、車道通行を原則としつつ、一定の場合に歩道での通行を認める現行制度の考え方を今後も基本的に維持することが適当と考えられる。
1978年の道路交通法改正で、緊急避難的に認めた自転車の歩道通行を、法的裏付けのもとに恒久的なものにしようとはっきり言い切っている。「30年間ほったらかしで、実態として定着したから、このまま行こう」というわけである。緊急避難を30年間も放置した責任については一切触れていない。
さらに、我が国の道路事情を考慮すると、歩道の幅員が狭く自転車歩道通行可の規制は行われていないが、車道における自動車の通行量が多く、自転車の車道通行が著しく危険である場合も少なからず見受けられる。また、歩道について、通勤・通学時間帯等は歩行者の通行量が多く自転車の通行は適さないが、その他の時間帯は通行に支障がないような状況も多いと考えられる。このような場合に幅員の広さにかかわらず交通規制を実施したり、細かく時間を区分した規制を行う方法も考えられるが、道路標識等の設置により普通自転車の歩道通行を可能とする現行制度では、ある程度画一的な規制とならざるを得ず、自転車利用者の多様性や時間帯等によって変化する交通実態に対応することは困難である。
これらのことを考慮すると、幅員等の要件を満たし自転車歩道通行可の規制が行われている歩道以外の歩道であっても、児童・幼児が運転する場合や自動車交通量が多く自転車が車道を通行することが危険な場合などには、歩道通行を認めても差し支えないのではないかと考えられる。
じわじわと、自転車の歩道走行を拡大する意図がはっきりと出た文章であるといっていいだろう。
そして問題の提言4.2.4となる。
上記の環境整備にあたっては、
○ 自転車道や車道における自転車の走行環境の整備状況に応じ、自転車歩道通行可の規制を解除すること
○ 自転車が車道を通行することが特に危険な場合は、当該道路の自転車通行を禁止するなどの措置を講ずること(注:強調は松浦による)
など、個々の道路について交通環境の変化に応じた交通規制を実施するよう配慮する必要がある。
この文面だけを読むと公平な処置に見えるが、ここまでの文脈をたどってくると、論旨の中心は強調部分にあることがわかると思う。
前段の「歩道通行可の解除」は、緊急避難処置の解除であり、「自転車は車道」という原則に戻すにすぎない。しかし、強調部分は、「自転車の車道通行禁止」という新たな立法を必要とする処置である。つまり、警察庁が目指しているのは「危険な道路での自転車の車道通行禁止」であり、危険はどうかは恣意的に判断できるようにするということだ、と読みとれるわけだ。
「提言」の文脈をたどる限り、これ以外の読み方はない。
同時に、常識で読んでいくと、このようには読めないことも事実である。
繰り返すが「官僚の作文に常識は通用しない。文書が論理的にどう読めるかだけがすべて」である。
2.「提言」をふまえた上で、パブリックコメント用資料を読んでみよう
さて、有識者委員会からの「提言」が出たので、次は「提言」の趣旨を生かした形の法改正ということになる。
官僚は形式上「提言」の趣旨からはずれた法案作成はできない。これは重要なポイントだ。彼らに立法の権限はないのだ。
提言の内容が上記の通りである以上、改正法案は提言の趣旨に沿って読み解かなくてはならない。
実はパブリックコメントを求めるに当たっての資料には、改正法案そのものは掲載されていない。警察庁側の解説が掲載されているだけである。
再度、その部分を掲載しよう。
3 自転車利用者対策の推進
(1) 通行区分の明確化
現在、自転車は、車道通行が原則とされ、例外的に道路標識等で通行することが認められている場合に歩道を通行することができることとされていますが、必ずしもこれによらず、自転車の歩道通行が言わば無秩序になされている状況が見られます。
そこで、自転車の通行区分について、車道通行の原則を維持しつつ、道路標識等により普通自転車歩道通行可の規制がなされている場合のほか、児童(6歳以上13歳未満の者・幼児(6歳未満の者)が普通自転車を運転する場合、車道を通行することが危険である場合等と、普通自転車が例外的に歩道を通行することができる場合の要件を法律で明確に定めることとします。
一方、歩道通行が認められる場合であっても、歩道における歩行者の安全を確保するため必要があると警察官等が判断した場合には、当該普通自転車の運転者に対して当該歩道を引き続き進行してはならない旨を指示することができる(指示に違反した場合には、処罰の対象となります)こととします。
この記事の冒頭で、この文章を読んだ時と、印象が全く異なるのではないだろうか。この文章は「提言」を踏まえた上で読み解かなくてはいけないのだ。
つまり、だ。「提言」の趣旨は「児童(6歳以上13歳未満の者・幼児(6歳未満の者)が普通自転車を運転する場合、車道を通行することが危険である場合等」の「車道を通行することが危険である場合等」という形で極力目立たないように記述してあるのである。もちろん目立って欲しくないからこう記述してあるわけだ。
目立って欲しくない理由は、これこそが本音だからなのである。
また、「一方、歩道走行が認められる場合であっても、」という文章は、提言4.2.4の「自転車が車道を通行することが特に危険な場合は、当該道路の自転車通行を禁止するなどの措置を講ずること」を、まるっきりケースをひっくり返して記述していることがわかる。
ここは「提言」の文面を踏まえた上で「一方車道走行が認められる場合であっても、車道における自動車の安全を確保するため必要があると警察官等が判断した場合には、当該普通自転車の運転者に対して当該車道を引き続き進行してはならない旨を指示することができる(指示に違反した場合には、処罰の対象になります)こととします」と読まねばならないのである。
「えーっ、そうなのかよっ」と驚いたのではないだろうか。「そんな無理な読み方でいいのか?」と。
しかし論理的にも手続き的にもこれ以外の読み方はないのだ。常識は通用しないのである。
実のところ、この道路交通法改正案の文書は、官僚の作文としても、かなり無理目のアクロバティックなことをやっている。それだけ、彼らの論拠が薄弱であり、なおかつ警察庁としては、その根拠薄弱な法改正を押し通さねばならない事情が存在したということを意味する。
警察庁の事情がなにかは、知らない。天下りの椅子の誘惑かも知れないし、有力議員のごり押しかも知れないし、そのほかになにかあるのかも知れない。
今回はっきりしているのは、その無理筋の改正案に対して、疋田氏の運動により反対のパブリックコメントが殺到し、警察庁が態度を変えざるを得なかったということである。
3.公文書を読み解くにはどうしたらいいか
今回、疋田氏がこの問題に気がつき、運動を起こし得たのは、日頃からこの分野の行政をウォッチングして官僚の動向を把握していたからだろう。
日頃のウォッチングはとても大切だ。法改正の議論の流れは、それこそ庁舎内の立ち話から生まれることだってある。
今回のような文書が出てきたとき、背後に存在する意図を読み解く方法をまとめておく。
- 日頃のウォッチングを欠かさない
- 公文書の流れを理解し、先行する公文書にも目を通す
- 官僚は文書のプロであり、彼らの起草する文書には一言一句であっても意味があるということを肝に銘じておく
- 公文書に常識による読み解きはは存在しない。文面の論理に矛盾がないことだけが重要である。
- 矛盾のなさについては、先行文書との整合性も要求される。
4.ネットの言論に潜むわな
今回のことで気がついたのだが――ネットの言論では、「ソース」が重要だとされる。主張の根拠を示せというわけだ。
ところが、ソースそのものは、「ソースの読み方」は教えてくれない。従って読み方は「常識」によることになる。
それは、今までにない言論の場を作り出したわけだが、今回の官僚文書のように、常識とは全く異なる読み方を必要とする「ソース」にぶつかると、途端に「誤読」を起こしてしまうことになる。
私としては、最低でも日本の官公庁が発行する公文書については、その読み方がネットの常識となればいいと思う。
5.よくある質問と答え
ここまでを読んで、出てくるであろうFAQをまとめてみた。
Q:なんで官僚の作文に常識が通用しないなどということになるのでしょうか。文章は常識で読むのが当たり前なんじゃないでしょうか。
A:一言でいうと、官僚には文書しかないからです。官僚は、選挙で選ばれたわけではありません。実際にものを作っているわけでもありません。
彼らにできること、許されていることは文書を作成することだけです。彼らが仕事を遂行する根拠は文書にしかないのです。ですから、「文書がどう読めるか」は彼らにとって死活問題です。それを「常識」というあいまいで、時代と共に変化するものに頼ってはおれません。だからこそ「論理的整合性」が最重要視されるのです。逆に言えば、官僚が行政においてフリーハンドを得たいならば、論理的にそのように読める公文書を作成するしかないのです。
このほか「いかようにでも読める玉虫色の文面」というのも、同じ目的で使用されます。
Q:「有識者を集めて委員会を立ち上げ、委員会における議論をコントロールして都合の良い内容の提案を作る」なんてことが実際に可能なのでしょうか。有識者の意見をコントロールするなんてことができるとは思えません。
A:できます。一番簡単な手段は、「自分にとって都合の良い意見を持つ有識者ばかりを委員に任命する」というものです。「そもそも問題の所在を理解していなくて、なんでもかんでも官僚の言うとおりの意見を言う有識者を選ぶ」というやりかたもあります。
言うことを聞かない委員ばかりが集まった場合も、議論をコントロールする手段は存在します。委員会の事務局は基本的に官僚が担当します。有識者の議論をいちいち全部聞いた上で「では、次回までにレジメを作成してきます」とします。議事録要旨などもこれに入ります。
この、レジメや要旨の作成過程で、「常識で読むと委員の意見が記載されているように読めるが、論理を追うと官僚の意見になる」という文書を作成するのです。そのために、彼らは一言一句を精査します。その文書が次回の委員会で認められたらしめたもの。後で文句を言う委員に対しては「でも、この文書にはこう書いてあります。認めたのはあなたですよ」と返すわけです。
委員会を分科会に分割し、分科会レベルでは不満続出を許して、上位委員会に意見を集約する課程で、徐々にガス抜きをしていうことをきかせるという技も存在します。
最終的な手段としては、事務局が委員の意見を集約する形で、全く委員の意見を無視した文書を作成するという荒技もあります。当然委員会は荒れます。事務局トップに不満を抑えきる力量があるかどうかが、この技を成功させるポイントです。
私が実際に見聞した中では、1988年から1989年にかけて宇宙開発委員会で審議された、宇宙開発政策大綱の審議が、まさにこのパターンでした。分科会レベルでは不満続出、本会でも民間委員から異論反論が次々に出たのですが、事務局は「そんなことをやる予算がない」の一点張りで押し切りました。
Q:ある文書を読み解くに当たって、先行する文書が重要なのはわかりました。でも、先行文書を調べるのはそんな簡単ではありませんよね。どうしたらいいでしょうか。
A:官公庁の仕事のパターンを押さえておくと、先行文書の探索がいくぶん楽になります。官僚は「自分がこうだからこうする」という形で仕事をすることが許されていません。たとえ「自分はこうしたい」