2008.04.07

書籍紹介:「音盤考現学」(片山杜秀著)

 音楽評論家の片山杜秀氏の本「音盤考現学」が出た。主に明治以降、日本人が西洋音楽と格闘し、作り上げてきた音楽について縦横無尽に語っている。

 本日読了。これが無類に面白かった。

 コンテンツが社会においてコンテンツとして機能するためには、「そのようなコンテンツが存在する」ということをある程度の数の人が知っていなくてはならない。
 知られていない情報は存在しないのと同然だ。J-POPの存在を知らない人は、そもそもJ-POPを聴こうとはしないし、「誰か他の歌手」と聴き進むこともない。

 この点でクラシック音楽はその他の音楽に比べて決定的に不利である。まず一曲一曲が長い。音楽の理解には繰り返し聴くことが必須だが、一曲が長いと自ずと繰り返しの回数は減る(マイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」の冒頭は、映画「エクソシスト」のテーマ音楽となったので誰でも知っているだろう。では、あの素晴らしい「アンド・チューブラー・ベルズ!」というナレーションと共に高揚する第一部のラストはどうだろうか)。

 多くの人々に耳に音楽を届けるためには、テレビ・ラジオのような放送メディアでのヘビー・ローテーションが有効だが、曲が長ければローテーションの回数も減る。もちろん放送メディアは商業メディアであって、番組の枠を超えるような長い曲をそうそうかけることはできない。
 繰り返しができないから、ヘビー・ローテーションがかからない。ヘビー・ローテーションがかからないから、ますます知られない。知られないから、ヘビー・ローテーションにはならない。じり貧だ。

 ましてや邦人のクラシック系の曲となると状況は絶望的である。伊福部昭の音楽が人口に膾炙するまでに、ゴジラをはじめとした多数の映画音楽、そして30年近い時間が必要だった。

 従って、この分野は音楽評論家の役割が非常に大きくなる。単に演奏がいいとか悪いとかではない。その曲の魅力を的確にえぐり出し、知識のパースペクティブの中に曲を位置付け、読者を「この曲を聴いてみないか」と誘惑する、メフィストフェレスのような評論家が。

 片山氏の文章は、読者に対して「ほーら、これは面白いよ、聴いてごらん」と誘惑する力が非常に強い。その力の一部は、彼自身が邦人作曲家の音楽が大好きだという熱意にある。なにしろナクソスの「日本作曲家選輯」では、目が爆発するほど小さな活字にもかかわらず、CDケースが破裂するようなぶ厚いブックレットが必要になる、長大な解説を毎回書いているのだ。

 しかし、それ以上に重要なことは、彼が蓄積した膨大な知識だ。一つ一つはトリビアとしか思えない知識を組み合わせ、あっと思わせる構図を描いてみせるのである。

 團伊玖磨のオペラ「ひかりごけ」に刻印された三島由紀夫の姿を読み解いてみたり、東宝映画「大阪城物語」に伊福部昭がつけた音楽から、明治のお雇い外国人ルルーが作曲した「分列行進曲」を読み取り、その上で日本近代史において「分列行進曲」が表象したイメージを語り…あるいは社会主義リアリズムと戦前の大日本帝国が作ろうとした「国民詩曲」を並べて、その中に外山雄三を位置付けてみたり——片山氏の筆は縦横無尽に飛び回る。そして気が付けば「おおお、この曲が聴いてみたい」と思わされているのだ。

 思い出せば、私が邦人作品を聴き始めた30年以上昔、何人もの優れたメフィストフェレス的評論家が筆を振るっていた。

 札幌で同級生だった伊福部昭を作曲の道に引き込んだ“特大のメフィストフェレス”三浦淳史は、まだまだ現役で記事を書いていた。武満徹を語らせてはピカイチの秋山邦晴も元気だった。船山隆と武田明倫は新進の評論家だったし、ラジオをつければ柴田南雄がとつとつとしゃべっていた。私は彼らの文章を読み、ラジオ解説を聴き、NHK-FMの「現代の音楽」をエアチェックした。

 その後、しばらくの間、メフィストフェレス的評論家の系譜が絶えていた(そういえば秋山邦晴の訃報を、私は種子島でH-IIロケット4号機を見送った日に聞いたのだった)。

 さあ、片山杜秀という久し振りに出現した“特大のメフィストフェレス”の語りを読んで、「うう、この曲が聴いてみたい」と身もだえしてみよう。私がせっせと音楽を聴き進めていた30年前に比べれば、状況は大分良い。大抵の曲は、アマゾンでクリック一発。アマゾンになくとも、ほぼ間違いなくTower RecordやHMVには在庫がある。ものによってはiTunes Music Storeで見つかるだろう。

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2005.10.02

のまねこ炎上中

 のまねこ問題は、解決どころかますます炎上している。図ってやっているとしか思えないタイミングでエイベックス側が新たなトラブルを起こし、それがますます2ちゃんねる、ネットワーク側を刺激しているためだ。

 詳しくは エイベックスのまネコ問題まとめサイト を見るといいだろう。当ページもリンクされてしまった。おかげで現在、アクセスが小爆発している。

 この件に関して、2ちゃんねるに殺人予告が書き込まれ、エイベックスが警察に訴えた。ところが2ちゃんねるが公表した書き込みのIPアドレスはUSEN、つまりエイベックス筆頭株主の会社のものだった。
 USENはプロバイダーなので、これをもってすぐにエイベックスの自作自演と決めつけるべきではない。警察は捜査権を持つので、いずれ真実が明らかになるだろう。

 9月30日の書き込み以上に、私からエイベックスについて言えることはない。
 しかし、音楽業界全般として考えると、今回の事件は古い体質とネットという新しいメディアが衝突した事件と捉えることができる。

 ポピュラーミュージック業界は、ヒットすれば天国、しなければ地獄という状況の中、何年にも渡ってヒット至上の体質を育ててきた。ヒットするためには何をしてもいいというアウトロー体質だ。その中には剽窃も含まれる。過去にも洋楽からのパクリはあれこれ指摘されてきたが、一向に改まる風もない。

 今回はその「パクリオッケー」な業界体質と、インターネット時代の「コモンズ(共有知的財産)」の概念とが衝突していると言えるのではないだろうか。今回の件をただの「吉牛と同じ2ちゃんねらーのマツリ」と思っていると、事の本質を見損なう気がする。

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2005.09.30

のまねこ騒ぎ、決着の報を聞く

 本日、たまたま外苑前のエイベックス本社前を通ったところ、右翼の宣伝カーがなにかをがなっていた。しきりに現社長を糾弾しているようだ。
 おや、のまねこ絡みだろうか。2ちゃんねらーどころか、インターネット・ユーザー全体を敵に回そうかというような同社の拙い対応は、ついに右翼まで引っ張り出してしまったか。そう考えつつ帰宅すると、エイベックスがのまねこの商標登録を取り消すという報道が出ていた。当たり前の結果といえるだろう。

 それでも、今回の騒ぎでネットには同社の看板である浜崎あゆみとマドンナの類似を指摘したページができて、それなりのページビューを集めているわけで、エイベックスという会社がネットユーザーの間で「何をするかわからない行儀悪い会社」として認知されたのは間違いないだろう。

 現役記者生活の最後の頃、1999年始めだったろうか、エイベックスを取材したことがある。当時、同社は音楽分野で快進撃を続けており、取材に応じた依田巽社長は素晴らしく勢いが良かった。ちなみに依田氏はあまりに収益優先の姿勢を嫌われ、後にお家騒動で追い出されることになる。

 実のところ、そのときの取材は、映像コンテンツ業界を追っていた後輩記者に付いていっただけだった、このため話の内容はさほど覚えてない。ただインタビューの最後のほうで依田社長は、「これからはアニメも力を注ぎます」と言ったのははっきりと覚えている。「アニメのキャラクターは出演料が要りません。高収益が見込めるビジネスです」。

 その、あまりにビジネス優先の姿勢に少々鼻白んだが、それでも今後の展開を聞いてみた。依田社長からは「これから強力にプッシュしていきます」という2つの具体的作品名が出てきた。

 すなわち「OH! スーパーミルクチャン」「トラブルチョコレート」

 後で作品を見て、私が「エイベックスは映像作品に出ていかないほうがいいな」と考えたのは言うまでもない。

 その後も同社は「サイボーグ009」に出資したりしていたが、どうもぴんとこなかったという印象だ。今回の騒ぎも、私から見ると「やはり映像でミソつけたか」というところである。


#10月1日追記
 どうも「決着」というのは間違いのようだ。コメント欄にもあるように、エイベックスが撤回したのは「のまねこ」という名称の全く別のグラフィックの申請で、実際ののまねこのグラフィックスは「米酒」という名称で申請されているという。もしそうなら、かなり姑息な手段で収束を図ったということになる。
 その他、松浦真在人現エイベックス社長が、mixiで肖像写真を使ったmixiユーザーに「訴える」とメッセージを送ったり、ますます事態は混沌としているようだ。

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2005.09.08

残暑に、渡辺美里の歌が耳の中で蘇る

 台風一過の素晴らしい晴天、温度計の目盛りも天井知らず。9月だというのにだらだら汗を流しつつ、東京某所へ。深刻な顔であれこれ意見交換。

 夏で思い出すのは、「チューブ」だったり「サザン・オールスターズ」だったり。「ブルーハーツ」なら暑苦しさ倍増だ。

 私の場合は渡辺美里。ただしその記憶はほろ苦い。

 デビューからしばらくの彼女は、全身全霊で歌っていた。「18歳のライブ」とか「My Revolution」だったり「Teenage walk」だったり。その没入っぷりは、危ういほどだった。
 尾崎豊に感じた危うさと同じだ。「このままティーンズのカリスマになって死んでしまうじゃないか」と思わせる、人間としての未熟さを未熟なまま昇華させてしまうような、そんな危うさがあった。「死んでいるように生きたくない」などは怖いほどの迫力ではないか。

 だからこそ、なのだろう。その歌は魅力的だった。18歳でデビューして「eyes」「Loving you」「BREATH」「ribon」と年1枚ずつのアルバムが続く。突っ走っているとしかいいようがない。
 その頂点となるアルバムが5枚目の「Flower Bed」(1989年)だと思う。特にラスト、大江千里が提供した「すき」は、ちょっとした個人的思い出もあって、私にとっての永遠の一曲である。

 おそらく「Flower Bed」と次のアルバム「tokyo」(1990年)の間で、何か心境の変化があったのだと思う。「tokyo」で、彼女は歌う主体である自分と、歌との間に距離を取り始めた。有り体に言えば全身全霊では歌わなくなった。
 「tokyo」には「サマータイムブルース」という曲が収録されている。世間的には名曲とされているけれども、私はこの曲を聴いたとき、渡辺美里のアルバムを買う意味はなくなったと思った。なぜなら、この曲は「ブルース」と銘打ちつつも全然音楽はブルースではなかったから。
 こういう曲名の嘘は、かつての彼女がもっとも嫌うものではなかったか。そう私は勝手に思いこんだのだった。

 おお、松浦よ。「ミサトちゃん、純粋じゃなきゃイヤだーい」とでも思ったか?

 うん、そうかも知れない。

 それでも7枚目のアルバムである「LUCKY」(1991年)までは買った。収録された「卒業」を聴いて、「もういいや」と思った。

 渡辺美里は、初期に「さくらの花の咲く頃に」(「ribon」収録)という卒業をテーマにした曲がある。これは本物の名曲だ。個人的には村下孝蔵の「初恋」を超えていると考えるほどである。
 一方「卒業」は、明らかに卒業シーズンの高校生あたりに受けるという意図をもって作られていた。「みんな、卒業式で歌ってねー」だ。
 それは全身全霊では決して歌えない曲だった。

 私は渡辺美里のアルバムを買うのを止め、後には5枚のCDという形で、全力を持って駆け抜けた女性歌手の記録が残った。

 それは本人にとって幸せなことだったのだろう。人間は年を取る。いつまでもティーンエイジャー向けの歌を全身全霊で歌うことはできない。強いて全身全霊であろうとすると、袋小路が待っていて、場合によっては死に至ることだってある。

 誰だって大人になり、成熟しなくてはならないのだ。

 渡辺美里は尾崎豊のように死なないで済んだ。多分に成熟を選び、歌い方を変えたからなのだろう——そう勝手に考える。そろそろ40歳近くになるまで歌い続けられたし、西武球場でコンサートを続けることだってできた。

 でも、私にとっての渡辺美里は初期の、針で突いたらはじけてしまいそうな、若くて危うくて本気と元気一杯の渡辺美里なのである。

 アマゾンにリンクしようとしたら、ありゃ、「BREATH」と「Flower Bed」は廃盤になってしまっているのか。この2枚こそが素晴らしいというのに。とりあえず、初期CDへのリンクを掲載しておく。

 デビューアルバム。「死んでいるように生きたくない」「18歳のライブ」など、危うさと元気が共存している。あるいは聴く人を選ぶかも。特定の年代、特定の気分の人が聴いてこそ意味があるアルバムかも知れない。




 2枚組。「My Revolution」「Teenage Walk」など。表題作「Lovin' you」は見事なバラードだ。




 このアルバムも名曲揃い。「センチメンタルカンガルー」「恋したっていいじゃない」「さくらの花の咲くころに」「悲しいね」「10years」と来る。くうう、甘酸っぱいぞ。

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