156 posts categorized "日記・コラム・つぶやき"

2011.07.21

石碑建立

 2年前の夏、この世を去った木村雅文さんの石碑が故郷である広島県福山市の菩提寺に建立されたとの報を聞く。
 
星を愛し、星となる:NEC航空宇宙システム人事ブログ

 没後、小惑星の一つが「Masafumi」と命名されたことは聞いていた。石碑だなんてKIMさん、えらい出世じゃないかとつぶやき、つぶやいたことで悲しくなる。そんな偉くなりかたって、全くもってしょうもないよなあ。もう君は星の巷を自由に飛び回っているのだものなあ。でも、地上にいる僕らには君のよすがが必要なんだ。

 はやぶさがイトカワですばらしい冒険を繰り広げた末、行方不明になってしまった2005年12月、いつも通り町田の飲み屋で会ったKIMさんは、かなり強い調子で言ったのだった。「はやぶさはすごい。本当にすごいよ。松浦さん、これは書かなくっちゃ駄目だよ」。自分はKIMさんの勢いの気圧されて「やるよ、やるとも」と答えた(と、記憶には残っているが実際はもっとうにゃうにゃした、煮え切らない返事だったはずだ)。

 小惑星16853Masafumiは、火星と木星の軌道の間、小惑星帯を巡っている(君はもう星になって太陽系を大航海しているのかい)。いつの日か、そこに探査機が到達することを夢見て。

 「はやぶさはすごい。本当にすごいよ。松浦さん、これは書かなくっちゃ駄目だよ」
 私はまだそのときの約束を完全には果たしていない。果たした暁には墓参に行かなくては。

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2011.06.30

この一年ばかりの仕事のまとめ

 去年から一杯働いているなという実感がある。はやぶさ2関連で頑張って毎日更新をした後、ばったり更新が途絶えたのも、とでもじゃないが忙しくてたまらなかったからだ。

 その間を埋めるようにしてTwitterを使っている。この一年ほどはこちらではなく、Twitterがメインページといってもいい状況だった。140文字という文章量制限は、気軽に書いて公開するという点ではよくできている。

 以下、この一年ほどの間にやってきた仕事の一部を紹介することにする。

 去年の3月に出た本なので一年以上前になるのだけれど、JAXA産業連携センターが作ったムック。書名で分かるようにメインコントラクターから中小企業に至るまでの日本宇宙産業を概観できる内容になっている。写真を担当した清水健カメラマンが凄腕で、美しい写真がふんだんに使われている。が、なによりもこの本の目玉は、日本の主な宇宙関連メーカーの一覧表が付いているところだろう。日本にはとんでもないところに高い技術を持った小さな会社がある。
 私はライターとしてけっこうな量の記事を書いている。記名記事として「宇宙産業が歩んだ半世紀」「世界の宇宙産業」の項目も執筆した。


 上記ムックの第二弾。第一弾が宇宙関連産業なら、こちらは宇宙実験、地球観測、衛星測位など宇宙利用産業を概観している。「宇宙兄弟」の作者である小山宙哉さんのインタビューも入ってお得な一冊。
 前回に引き続いてのライター仕事の他、記名記事として「ニュービジネスを創生したGPS衛星」と、綴じ込み別冊の「ドキュメントはやぶさ」を執筆した。「宇宙利用のムックなのになぜはやぶさが」というのはいいっこなし。編集の時点では、はやぶさ抜きの宇宙ムックなど考えられないほどのはやぶさブームが起きていたのだった。もちろん目玉は私の記事ではなく、はやぶさを作り上げた全企業リストである。


 ブルーバックスならではのはやぶさの使った技術に関する解説書。おそらく現時点におけるはやぶさの技術について一番まとまった一般向け書籍になっている。私は編集協力として参加。




 はやぶさ帰還とあかつき/イカロス打ち上げに合わせたNECの広告企画。私はインタビューを担当。こんなページも





 そしてこの、初めての子供のための本。実は私としては「H-IIロケット上昇」(1997年)「スペースシャトルの落日」(2005年)に次ぐ、3冊目のハードカバーだったりする。お子様の夏休みの読書に是非是非…






 iPhone/iPad向けの電子ブックの日経BPストアからも1冊出している。

 というわけで、電子ブックに関する本を電子ブックで出版するというなかなかメタな試み。Android版も出すという話を聞いているが、まだ出ていないようだ。

 肝心の内容については、深川岳志氏が、PC Onlineの「iPadで読む今週のお薦めコンテンツ」で紹介してくれている。

 「電子書籍に関する15の考察」は、出版界という狭い世界を相手にした本ではない。電子書籍という存在をもっと広く、大きなものとして捉えており、読後感は爽快だ。「電子書籍なんて……」と暗い顔で呟いている人に読んでほしい。価格は350円と破格の安さだが、さらに無料のLite版が用意されている。Lite版では「はじめに」「第1章」「第2章」を読むことができる。立ち読みの分量としては十分だろう。

 過分な言葉、どうもありがとうございます。

 しかし、まず「日経BPストア」というアプリをダウンロードし、そのアプリへのアドオンとして電子ブックデータを買うという煩雑さはなんとかならないだろうか。

 近日中にもう一冊、自転車ネタの電子ブックが出る予定。




 この他にもいろいろ書いているので、随分と仕事したなあという印象ではある。いや、まだ足りないのかもしれない、と反省。

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2010.06.16

はやぶさ2に向けて

 ただいまアリススプリングスの宿にいる。はやぶさ再突入帰還カプセルの余韻にひたったまま、15日はアリススプリングス郊外にあるヘンブリー・クレーターを見に行ってきた。約5000年前に落ちた隕石によってできたクレーターだが、衝突直前に割れたことで大小10数個のクレーター群を形成している。雨のたびに土砂が流れ込み、内部には樹木が生い茂り、鳥とバッタの楽園になっていた。

 日本では、はやぶさ2推進のためのネット署名が始まっている。こういう動きが自発的かつ既存の関係者(自分も含めて)以外のところから出てくるのはいいことだと思う。
 管首相が、はやぶさ2予算に含みを持たせた発言を参議院でしたそうだが、それも一般が盛り上がったればこそだろう。一般が声をあげることはとても大切だ。私も一国民として署名をした。

 これで「はやぶさ2」がつぶれるようなことがあったら、JAXAは国と国民の両方から信頼を失うことになるんじゃないだろうか。

 そして、こちらのパブリックコメントの締め切りも迫ってきている。

「「月探査に関する懇談会 報告書(案)」に対する意見、及び「ロボット月探査の計画の愛称」の募集について 」 6月17日木曜日必着。 t

 宇宙開発戦略本部に意見をもの申すチャンスだ。「見当はずれのことを言ってしまうのではないか」「自分が意見を出したところで事態は変わらない」などと考えず、どんどん意見を出そう。
 私の見方は週刊ダイヤモンドに書いた通り。「アメリカについていくつもりで懇談会作ったはいいけれど、アメリカが有人月探査をやらないって言ったのに、自分だけ月に行こうとして、もはや存在しないアメリカの計画に付き従おうとするのは滑稽だ」というもの。
 月の科学探査には意味がある。これは間違いない。しかし、月の資源とか将来の宇宙開発の拠点とか言われると???となってしまう。

 はやぶさが示したのは、国民がきちんと興味を持てばそれを国もJAXAも無視できないということだった。
 まずは声を上げることからだ。

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2010.06.13

オカエリナサイ――南オーストラリア・ク-バーペディにて

 どたばたしているうちに2ヶ月も更新を空けてしまった。

 今、オーストラリアの南、クーバーペディに来ている。あと22時間ほどとなった小惑星探査機「はやぶさ」の地球帰還を取材するためだ。JAXAの回収隊及びマスメディア関係者が、再突入カプセルが着地するウーメラ実験場の南側のグレンダンボという街にいるが、私は反対側のクーパーペディに陣取った。 こちらにもJAXAの光学観測班が待機しているとのこと。発光する再突入カプセルを観測して、着地点を推定するためだ。

 ついにここまで来たのか。
 2005年の小惑星イトカワへのタッチダウンとその後の通信喪失、翌年の劇的としか形容しようのない復帰と、満身創痍の機体による帰還飛行。ここまでたどりついただけでも、本当に良くやったと言わねばならない。

 「はやぶさ」に関する情報流通も着陸があった2005年に比べればぐっと良くなった。今回は私ががんばらなくとも様々な情報が広く公開され、多くの人々に届くだろう。私は、私にしかできないことがあれば、その都度このブログとTwitter(@ShinyaMatsuura)に書き込んでいくことにする。現地はかならずしも通信状況が良くないので、情報が遅れることもあるだろうがご容赦願いたい。

 この後何があっても、私はバンザイをするだろう。再突入が失敗したって許す、カプセルに何も入っていなくても許す(私が許したからどうだ、というのはとりあえず突っ込まないで欲しい)。それは失敗ではない。始まりが終わっただけだ。まだまだやること、やれることはいっぱいある。

 いまから心しておくことがある。「はやぶさ」を忘れてはならない。これをきっかけに日本を「はやぶさ2」をはじめとした様々な探査機をどんどん太陽系の各所に飛ばせる国にしていこう。そのためには「はやぶさ」を忘れてはならない。

 実は私たちはかなり忘れやすい。

 前例がある。1912年、白瀬矗に率いられた日本初の南極探検隊は、アムンゼンとスコットが南極点到達を競ったのと同時に南極を踏破した。経験不足もあって彼らの足跡は南極大陸のごく一部にとどまった。それでも白瀬隊の探検は、「日本がフロンティアに出ていった」最初期の行為となった。
 白瀬隊の資金はかなりの部分が民間からの募金でまかなわれた。当時、メディアも国民も白瀬の構想をこぞって応援したのである。しかし、白瀬が帰国し、歓呼の声で迎えられ、その後しばらくして起きたのは忘却だった。

 白瀬は南極探検にあたって少なからぬ借金をしていた。しかし借金が消えぬ間に、白瀬隊への一般からの支援は消え、きれいさっぱり白瀬は忘れ去られた。
 帰国後の白瀬は、南極で撮影した映画フィルムを抱えて講演をしては借金を返済するという生活を20年以上に渡って続けざるを得なかった。本来ならば何らかの形で継続的に南極探査を実施すべきところを、第二次世界大戦後、永田武・西堀栄三郎らが学術調査としての南極調査を再開するまで、日本の南極探査は途絶えた。

 はやぶさは世界初の壮挙を成し遂げつつある。それは終わりではなく始まりだ。より深く太陽系を理解するためにより様々な場所へ、より遠くへ。


 今、「はやぶさ」の後継機「はやぶさ2」は、開発が開始できるかぎりぎりのところにある。当初2010年を予定していた打ち上げは、奇妙なことに引き延ばされるだけ引き延ばされ、現状では2014年である。

 小惑星には様々な種類がある。「はやぶさ」が赴いた小惑星イトカワは、岩石主体のS型小惑星だった。このほか、炭素主体のC型、金属主体のM型、その他反射光のスペクトルの違いでP型、E型、B型などに分類される。S型を探査したので、次にC型を狙うわけだ。

 「はやぶさ2」の航行能力で到達できるC型小惑星は、この1999JU3しかない。

 小惑星に限らず、太陽系の他の星への打ち上げのチャンスは、地球との位置関係によってかなり限定される。
 「はやぶさ2」の目的地であるC型小惑星1999JU3へは、2014年の打ち上げチャンスを逃せば、次は2020年代となる。つまり、2014年打ち上げを逃せば、事実上の「はやぶさ2」は中止になる。
 2014年打ち上げのためには、2011年度に数十億円規模の予算が付き、開発がスタートすることが必須である。「はやぶさ2」は、ほぼ「はやぶさ」同型機とはいえ、一品物の機体を制作するのに打ち上げまで4年という時間はもはや限界にちかい短さだ。

 技術も人も、続けることによってのみ維持発展する。今年は、「はやぶさ」の成果を日本が「はやぶさ2により」継承発展させることができるかどうかがはっきりすることになる。

 まず私たちが見守るべきは、「はやぶさ2」を巡る予算の状況だろう。

 しかし「はやぶさ2」も終わりではない。
 その先には、枯渇彗星核を狙うより大型の探査機「はやぶさマーク2」があり、現在順調に航行を続けるソーラー電力セイル試験機「イカロス」の技術と「はやぶさ」のイオンエンジンが合体した、木星及びトロヤ群小惑星観測を目指す「ソーラー電力セイル探査機」構想が存在する。私たちの知識は少なく、太陽系は広大だ。

 明日、はやぶさはマイナス5等の明るい流星となって南オーストラリア上空に輝くことになる。私は消えゆくはやぶさの光に「日本が継続的に太陽系全域を探査できる国となるように」と願うつもりだ。

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2010.03.03

船長の船出

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 2月28日、小菅文雄さんが亡くなられた。享年73歳。物書く漁師。江ノ島は片瀬で、60年近くも相模湾の沿岸漁業に携わってきた生粋の海の人。

 チリの地震による津波を心配し、船を見に港に出たところで心筋梗塞を起こしたという。こんな形で津波の影響が身辺に及ぶとは言葉もない。つい一週間前に、釣りの新年の宴席でお会いしてきたばかりだった。ほろ酔い機嫌で「最近どうしてんの、仕事してる? 北朝鮮のロケットってどうよ」と話しかけてきた。その時は、まだまだお元気だろうなと思ったのだけれども。


 自分のブログを検索したら、小菅さんについて触れている記事が2本あった。

 それぞれの記事に登場するKさんとは、小菅さんのことである。

 以前、小川一水さんが「漁を取材したい」と言った時に、小菅さんを紹介したことがあった。小川さんが小菅さんの漁船に同乗した時の記録。取材成果は「群青神殿」に反映された。


 3月3日の葬儀では、小川さんの弔電も読み上げられた。

 小菅さんは、片瀬の漁師の家に生まれ、中学を卒業してすぐに漁師となった。石原裕次郎や加山雄三が青春を謳歌していた同じ湘南の海で、同年配の小菅さんは毎日漁に出て、働いていたのである。
 小菅さんがただの漁師でなかったのは、文章が書くのが好きだったことだ。漁師という職業は、過酷な自然を相手とするせいか刹那的なところがあって。文章を書いたり記録を取る気風に乏しい。
 しかし、小菅さんはせっせと文章を書き続け、世間で認められるようになった。おそらく、まとまった文章を発表する唯一の漁師ではなかったろうか。

1936年、神奈川県藤沢市の代々続く漁師の家に生まれる。若い頃より家業の漁業に専念していたが、40歳代で初めての小説「海鳴」を執筆、1981年の「第8回野性時代新人文学賞」(角川書店)の最終候補作品に選ばれる。以後、漁師のかたわら創作活動を続け、1988 年、小説「五郎の海」が「KAZI海洋文学賞」(舵社)を受賞。幼い頃より親しんできた湘南片瀬の海と町をこよなく愛し、現在は伊勢エビ漁を中心にした漁師稼業と文筆業にいそしむ日々。持ち船は文成丸といい、藤沢・鎌倉に暮らす文学仲間たちと、釣りと酒を楽しみ文学を語る会「文成丸釣飲会」を主宰。著書に『五郎の海』(ペンネーム:小菅太雄、舵社刊、1996年)。 http://www.minatonohito.jp/books/b065.html より
 長年書きためていたエッセイ集を出版し、NHKラジオの「ラジオ深夜便」にも出演し、まだまだ海も文章もやる気十分だった。

 湘南藤沢あたりの文士らの釣り好きと小菅さんが語らって、釣飲会という釣りの会を結成したのは1970年代後半だったか。父が参加して私も釣飲会にしばしば連れて行かれるようになり、船を出す小菅さんとの面識ができた。

 笑顔が素晴らしい、素朴と素直と稚気を凝縮したような方だった。一方で船の上では、けっこう厳しかった。釣れないでいると「怠けてちゃだめだよー。魚は絶対いる場所に連れて来ているからね。松浦の兄ちゃん、あんたの腕が悪いんだからね」と拡声器で怒鳴られた。
 自動車マニアでもあった。外車に乗るというのがポリシーでいつもボロボロの外車に乗っていた。一度だけ、ポルシェ924に乗せてもらったことがある。床がサビて大穴があいていて、アスファルトが見えていた、「缶でも潰して敷いておかなくっちゃな」と意にも介していなかった。

 釣りの知人達は、小菅さんのことを「船長さん」と呼んでいた。小菅さんの風貌と小さな漁船は常に一体だった。

 知り合って30年近く(そして私も初めて会った時の小菅さんの年齢を超えた)、私にとっての相模湾とは、すなわち小菅船長のいる海となっていた。

 朝晩に海岸を散歩する時も、机の前で「ああ、締め切りから逃げて海に行きたい」と思う時も、思い浮かぶ相模湾とは、そのどこかで小菅船長が漁船を走らせている海なのだった。どこにいるかは知らないが、必ずどこかにいる、晴れの日も雨の日も、湾のどこかをコンコンとエンジンの音を響かせて走っている、そんな確信がいつの間にか自分の中に根付いていたのだった。

 船長、さよならはいいません。あなたの新たな海路が平安でありますように。

 生前に出た小菅さん唯一の小説。名義はペンネームの「小菅太雄」となっている。「いや、文雄というのはどこか弱そうだからさ、太雄ってしたんだよね」と言っていた。小説としては荒削りなのだけれど、本書で読むべきはストーリーではなく、自らの経験に裏打ちされた圧倒的な海の描写だ。紙面から飛沫が飛んでくるような臨場感に溢れている。

 釣飲会の会報に「片瀬今昔」と題して小菅さんが長年書きためてきたエッセイからの選集。漁師とはどのような職業か、どのように物事を見て生きているのか、かつての江ノ島あたりの漁はどのようなものだったか、進駐軍が上陸してきた日の思い出、小菅さんのお父上が語った関東大震災の時の相模湾——すべてが具体的に描かれている。

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2009.11.01

旧車會珍車會には鉄槌を

 いつか盛大にdisってやろうと思っていたら、捕まってしまったよ。

40歳暴走族リーダー逮捕=関東最大規模組織−神奈川県警(時事通信)

 乗用車やバイク約70台を連ねて暴走行為をしたとして、神奈川県警交通捜査課は31日、道交法違反(共同危険行為)容疑で、関東最大規模の暴走族組織「全日本レーシング連盟」リーダーの無職伊藤健志容疑者(40)=横浜市鶴見区潮田町=を逮捕した。
 同課は、これまでに同容疑で同連盟メンバー19人を逮捕。最高齢は41歳だった。伊藤容疑者らは、暴走族OBらが旧型オートバイなどを改造して集団走行する「旧車会」と呼ばれるグループだという。

 去年の春、東京湾フェリーで房総半島に渡ってツーリングをした時のこと。千葉県側、金谷のフェリーターミナルでフェリーを待っていたら、そこに盛大な爆音をまき散らし、数十台の“族仕様”バイクの集団がやってきた。ナンバーを見ると横浜が主だった。もう「湘南爆走族」から出てきたような上向いたロケットカウルのバイクにファッション。う゛ぁんう゛ぁんふかして蛇行運転。その数30台ぐらい。

 なんだなんだ、 房総半島のどこかにタイムトンネルが開いて、バックトゥザ80sにでもなっているのか?

 ぞろぞろと、湘南爆走族ファッションの連中が降りてくる。ドカヘルをはずして白マスクを取ると、全員三十過ぎのおっさんフェイス。

 びっくりしたなんてもんじゃない。族なんてもんは十代のバカガキがやるもんじゃなかったのか。こいつらは何者だ?
 というわけでバイク関係の知人やらバイク屋経由で少し調べたのであった。

 連中の正体は旧車會というオヤジ暴走族だった。かつて暴走族だったオヤジ共が、またぞろ同じ格好して同じことをしていたのである。

 以下、一般に暴走族と呼ばれている連中の事を、ネットの呼称に従い「珍走団」と記述する。同様に旧車會は「珍車會」と書く。だいたい、「旧」の旧字体は「舊」なのに、「旧車會」などと名乗っている時点でおつむの程度は知れようというものだ。彼らには「珍」の文字がふさわしい。

 調べた結果は以下の通り。


  • 暴走族珍走団あがりの30歳以上が、過去を懐かしみ「旧車會」と名乗って、暴走行為珍走行為を行っている。
  • その手の連中は全国にけっこういるらしい。「旧車會」で検索をかけるとけっこうな数のホームページがひっかかる。しかもレディースまでいる(見たくない…)。YouTubeに自らの暴走行為珍走行為をアップしていたりもする。
  • まっとうなオールトタイマーなバイクの愛好家の集まりは、主に「旧車会」を名乗っている。一方、珍な連中は「旧車會」
  • 彼らは自分たちの行為を暴走行為ではないと主張している。その根拠は「制限速度を守っているから」。実際走っているのを見ると、そんなに飛ばしているということはない。しかし、制限速度を守っていれば、他はなにをやってもいいというのは、中二病だ。中年にして中二病…
  • バイクは、GT380やら、KH250/400やら、CB400やら、要するに彼らが現役の暴走族珍走団だった頃のバイクにそのまま乗っている。しかも天を突くロケットカウルに白のシートといった、いわゆる珍仕様。
  • あきれたことに珍仕様の中古車を扱うショップも存在する。そこにいくと、例えばぴかぴかの珍仕様のGT380が100万円もの高値で売買されているとのこと。
  • つまり、旧車會珍車會とは、大人の財力でかつての暴走族珍走団バイクを購入し、いい歳して暴走行為珍走行為にふける大人の集まりである。
  • 路上で観察するに、湘南海岸近辺には横浜ナンバーと小田原ナンバーの旧車會珍車會が出没している。どうも神奈川県内に2〜3、あるいはそれ以上の数の団体が存在する模様。

 大人の財力で、中学生みたいなことをしている——これほどまでに情けない、惨めなバカというのもちょっと他には考えられない。

 が、彼らの何が一番惨めかといえば、「ガキんときにバカだった奴は、大人になっても結局バカで、賢くはなれないよ」という実例を、子供達の前に晒して回っていることだと思う。

 ちなみに、今でも湘南海岸にはガキの暴走族珍走団がいる。数は減ったし、かつてのように数十台も連ねて走ることはないが、それでも珍なバイクに乗り、道交法無視で走っている連中はしょっちゅう見かける。

 十代の子供が、中二病であったりバカであったりするのは一面では仕方ないことだ。そんな彼らの心の中には、「大人になったらまともになるんだ」的な希望があったりする。尾崎豊の「15の夜」で、バイク盗んで走り出しちゃう15歳のおバカちゃんが、「彼女ときっと将来さ」とか、いかにも中二な夢を見ている——あれだ。

 旧車會珍車會の行いは、そんな十代の暴走族珍走団の連中の心にある希望を、こなごなに打ち砕くものであるといえるだろう。バカはいくつになってもバカなんだよーん、お前らは大人になっても賢くはなれないんだよーん。ほーら実例がここに。う゛ぁんう゛ぁん。

 そう考えると、横浜ナンバーの旧車會珍車會ご一行様が東京湾フェリーでわざわざ千葉まで行って、暴走行為珍走行為をしていたのも、「地元だと嫁と子供の手前、外聞が悪いから」じゃないかと勘ぐりたくもなる。

 今回捕まったのは、横浜の旧車會珍車會の連中だそうだ。神奈川県警としてはもっと徹底的に仕事をして欲しい。その上で法の許す限りの厳罰が、彼らに科せられることを願う。

 彼らは自身がバカで、周囲に迷惑をかけるだけではない。かつての彼らと同様の、愛すべきバカガキ共の希望をも踏みつぶして回っているのだ。もちろん中二病の希望に根拠などないのだが、それでもどんな子供であっても、子供には希望が必要なのだ。

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2009.09.27

Twitterを使う

 うかうかしていると、すぐに更新が一ヶ月以上途切れてしまう。

 9月11日のH-IIB試験1号機/HTV試験機の打ち上げの取材で種子島に行ったり、なんだかんだとどたばたしていた。

 今回の種子島取材で、初めて本格的にTwitterを使ってみた。「ミニブログ」などといわれるが、1回の投稿を140文字に制限したblogとチャットの中間ぐらいのサービスだ。私の発言はこちらで読むことができる。

 少し前から当blogの左上に青色の視覚が表示してあるが、これはTwitterのブログパーツだ。私の最新の書き込みを読むことができるようにしてある。ここしばらくは、当blogを放っておいてTwitterであれこれ発言しつつ試行錯誤してみていた。

 メディア・ジャーナリストの津田大介氏が、Twitterでイベントのリアルタイム中継を行い、その後Twitter利用の中継が「tsudaる」などと命名されたのは、ネットユーザーならとっくにご存知だろう。


 種子島Twitter中継は、自分としては「津田大介のすなる“tsudaる”を自分もせむとて」といったところ。前提として、ある程度の容量の回線でネットとつながっている必要があるが、今回の打ち上げから種子島宇宙センターのプレスセンターにおいて、無線LANが使えるようになった。環境は整ったのだから、まずは試してみるのが正しい態度だろう。

 実際やってみると、「tsudaる」は大して難しくなかった。耳から入る言葉を整理してパソコンに入力することができれば(これは慣れ次第でできるようになる)、今までの記者会見と変わりはない。

 面白かったのは、どんどん流していく途中で、「こういう質問をしてくれ」というリクエストが来たりすること。これは、今までならばありえなかった、Twitterならではの特徴だろう。もちろん、リクエストに応えてもいいし、別に無視したって構わない。

 Twitterの特徴は、そのべとつかない適度に距離感を置いたコミュニケーションだと思う。Twitterはmixiのように「友人」「友人の友人」といった、実際の対人関係を持ち込まない。面白い人がいれば、勝手にフォローするだけ。「承認する/しない」といったウエットな要素は排除されている。

 フォローした相手の発言に対して何かをいいたければ、リプライをかける。相手には「どこのだれがどんなリプライをかけたか」はすぐにわかる仕組みになっている。その一方で、リプライに応答する義務はない。返事したければするし、無視ししてもいい。

 140文字という情報の制限は、簡潔な物言いを強制する。「ああでもない」「こうでもない」というねちねちとした文章は、あっさりと文字数制限に引っかかって投稿不可能になる。結果、言いたいことをギリギリまでけずった簡素なやり取りが実現する。もちろん、面倒になれば議論を打ち切るのも勝手。

 緊密さと同時に、泥沼にならないような適度な距離感を保つというコミュニケーションの設計法が、Twitterを、今現在、もっとも注目されるネットサービスに押し上げている——というのが、実際に使ってみての私の印象だ。

 便利なので、当面はblogと併用していこうと思っている。

 しかし、このblogにmixiにTwitter——少々、戦線を拡げ過ぎのような気もするな。身は一つ、頭も一つ、キーを叩く指も10本と変わりないので、ここの更新が滞ったら、「またTwiiterにうつつを抜かしているぞ」ぐらいに思って下さい。

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2009.08.24

さようなら、KIMさん

 木村雅文さんが8月11日、この世を去った。享年50歳。22日に葬儀があり、私も参列してきた。

 日本の宇宙開発は貴重な人材を、私はかけがえのない友人を失った。

 木村さんは、日本電気航空宇宙システム(NAS)の技術者で、軌道設計の専門家だった。1985年のハレー彗星探査機「さきがけ」「すいせい」に始まり、スイングバイ技術試験衛星「ひてん」(1990)、日米共同の磁気圏観測衛星Geotail(1992)、火星探査機「のぞみ」(1998)、小惑星探査機「はやぶさ」(2003)などなど、宇宙科学研究所(現宇宙科学研究本部)が実施した、ほぼすべての衛星・探査機の軌道計画立案に参加してきた。

 もっとも分かりやすい部分で代表させるならば、「軌道の魔術師」川口淳一郎教授が立案する軌道計画に対して、数値計算による裏付けを与えてきたのが木村さんであり、木村さんが育てたNASの技術者達だった。宇宙の彼方で緊急の事態が起きたとき、川口教授の指揮下、昼夜を分かたぬ突貫作業で救出のための新たな軌道を計算し、妥当性を検証し、最終的にまとめ上げたのが木村さん達だった。
 彼らは、川口教授が描いたデッサンを、物理法則にかなう一本の優雅な線に仕上げたのだった。

 「ひてん」の華麗なスイングバイ軌道も、地球脱出時にトラブルを起こした「のぞみ」を救うためのアクロバティックな軌道も、イオンエンジンを噴射し続け、刻一刻と軌道要素が変化し続ける「はやぶさ」の軌道も――すべて木村さんとその仲間達の緻密な計算によって現実のものとなったのである。

 私にとって、木村さんはパソコン通信のハンドルネームKIMさんだった。インターネット以前の1990年頃、パソコン通信Nifty-SERVEのスペースフォーラム(FSPACE)で、私は「宇宙開発の部屋」の管理人をしていた。KIMさんは常連の一人だった。あの頃、「宇宙開発の部屋」は、素人、マニア、本職が入り乱れる一種独特の言語空間だったが、彼はそこに常に的確な内容の文章を書き込んでいた。オフ会で本人と会い、本職であると知った。
 うまが合った我々は、時折連絡を取っては町田の街を飲み歩くようになった。お互いの仕事の内容について差し支えない範囲内で話し合い、現在を憂い未来を語る。そんなつき合いだった。町田の飲み屋での交遊はインターネットの時代になり、FSPACEに集った者らが四散した後も続いた。
 彼は常に節度を持って酒を飲んだ。飲み過ぎで終電を逃した私が彼の家に泊まったこともあった。気が付くとなぜか自宅にいることもあった、前後不覚になった私を、彼が送ったらしかった。

 全く持って私はKIMさんの世話になりっぱなしで、ダメな飲み友達だった。

 しかもこのダメ友は、しっかりと交友から元を取った。2002年の半ば頃だったか、「もう話してもいいだろうけれど、1998年ののぞみの地球脱出の時は本当に大変で大変で」と話してくれた。「これは書ける!」と私は直感し、その直感は後に「恐るべき旅路」となった。執筆時も彼は節度を保ちつつ、様々な資料を提供してくれた。「私はメーカーの人間でチームで動いています。宇宙研の先生達と違って、私一人でなにかができたわけじゃない。だから私のことは書いちゃダメですよ」という言葉と共に。

 しかし、私はすでに彼の果たした役割を知っていた。あくまで事実に即しつつ、彼の仕事の邪魔にならず、なおかつ彼の立ち位置と役割が分かる書き方を色々と考え、私は「恐るべき旅路」の掉尾を飾る「最後の勇者達」の部分に、一度だけ、彼の名前を書き込んだ。

 KIMさんは「恐るべき旅路」の出版を喜んでくれた…と思う。内心「コノヤロー余計なこと書きやがって」と思っていたのだとしても、少なくとも顔色には出さなかった。
 2005年初夏、私たちは町田で出版記念の祝杯を挙げ、間近となった「はやぶさ」のイトカワ探査に思いを馳せた。

 月探査機「かぐや」で、彼は軌道ではなくハイゲインアンテナによる高速データ通信システムを担当した。「おかしいでしょう。みんな『木村さんは軌道担当じゃないの』って聞くんですよ。人の使い方、間違ってるよね」といいつつも、彼は熱意を持って仕事にあたった。通信システムは開発時に色々なトラブルを出したが、打ち上げ後はノートラブルで順調にデータを送信してきた。
 KIMさんは、すべての任務を達成して月面に落下するかぐやから、最後の瞬間までデータが途切れることなく送信されてくるかということを懸念していた。かぐやの月面落下は6月11日早朝と決まった。それなのに。

 彼はは6月4日に病に倒れた。すぐに集中治療室入りとなり、治療のため意識レベルを下げる処置が続いた。そのまま闘病2ヶ月。

 かぐやが最後の最後までデータを送ってきたことをついぞ知ることなく、忽然と君は旅立ってしまった。

 ああ、KIMさん、俺は本当に悲しいよ。かぐやのミッションが終わったら乾杯するはずだったろ。「はやぶさ」の帰還だって見るはずだったよな。自分が結婚し、家庭を持った後は口癖のように「松浦さんも結婚しないと長生きできないよ」と言っていたじゃないか。長生きして、もっともっとたくさんの華麗な軌道を太陽系空間に描くんじゃなかったのかよ。

 今は宇宙へと飛翔した君の魂の旅路が安からんことを祈る。そして今後とも、様々な探査機が、君の後を追って宇宙に様々な軌道を描いていくのであろう。

さようなら、KIMさん。



 この本を、著者の私がこのようなエントリにおいて「読んでくれ」と書くのは、ひどく恥知らずな事なのかも知れない。それでも私は、「この本を読んでください」と言いたい。すでに読んだ人には「読み返してください」とお願いしたい。そして、私が書かなかった部分に木村雅文さんという有能で謙虚な技術者がいたことに、ほんの少しだけ思いを馳せてもらえれば、と強く願う。


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2009.08.19

NHK戦争証言アーカイブズ——公共放送が為すべき仕事

 私は終戦記念日という言葉は好まない。負けは負けであり、8月15日は敗戦記念日というべきだと思っている。

 NHKが素晴らしいサイトを立ち上げている。

NHK戦争証言アーカイブズ

 敗戦から64年を経て、すでに80歳を過ぎた人々から戦争の記憶を聞き出し、なんとノーカットで公開している。

 それぞれの証言は、動画像に加えてインタビューから起こされたテキストも読むことができる。読む速度は話す速度より速いので、時間のない向きは、テキストを読むことで内容を把握することができる。
 サイト設計もよい。戦争証言には不可欠のいつごろ、どこの話なのかというデータががすぐにわかる。

 しかも公開されているのは証言だけではない。以下ご覧になる前により引用

  1. 証言 NHKが番組制作の過程で、2007年から2009年にかけて、日本全国の戦争体験者の方々に対して行ったインタビューの収録映像を、閲覧に適した長さにしたものです。「証言」を閲覧する前に、下記の「証言」閲覧上の注意をお読みください。

  2. 番組
    1992年から1993年にかけて放送された「NHKスペシャル ドキュメント太平洋戦争 第1集から第6集」や、衛星ハイビジョンで放送された「証言記録 兵士たちの戦争」などのNHK制作のドキュメンタリー番組を公開しています。
    証言をお話しいただいている方々が体験した戦場やできごとなどに関しては、「証言記録 兵士たちの戦争」の関連する部分をご覧いただき、証言に関する理解を深めることにお役立てください。また、太平洋戦争全体の動きなどについては、さまざまな側面から掘り下げた「NHKスペシャル ドキュメント太平洋戦争」をご参照ください。

  3. 日本ニュース
    「日本ニュース」は、太平洋戦争を間近に控えた1940年(昭和15年)から終戦をはさみ、1951年(昭和26年)まで制作されたニュース映画です。戦時中の「日本ニュース」は、日本軍や内務省の検閲を受けた後、毎週映画館で封切られ、国民の戦意高揚に用いられました。テレビがない時代、国民は「日本ニュース」が伝える真珠湾攻撃や特攻隊出撃、学徒出陣の様子を映画館で目にしたのです。
    「日本ニュース」は、戦争完遂を目的にした国策映画ですが、太平洋戦争中の映像記録として大変貴重なものです。今回の「戦争証言アーカイブス」では、太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)、1945年(昭和20年)の9月までに上映された70号分のニュースを公開しています。「日本ニュース」を閲覧する際には、事前に下記の「日本ニュース」閲覧上の注意をよくお読みください。

  4. 戦時録音資料
    NHKは、初期の円盤式レコードであるSP盤を、戦時中の重要な記録媒体として使い、およそ16000枚のSP盤を保管してきました。
    その中から、当時の「大本営発表」や要人の演説など戦時中の肉声が記録された貴重な「歴史的音源」の一部を公開します。

 つまり、敗戦から六十余年を経て、記憶の風化を受けた証言に加えて、それを客観的(それはNHKにとっての“客観的”であるという限界を抱えているが)に検証した「番組」、さらには当時に一次資料である「ニュース映像」「録音」もまとめて公開されている。多面的に太平洋戦争を振り返ることができる仕組みだ。

 これこそ、公共放送の為すべき仕事だろう。

 問題点は2つ。小さいほうから言えば、公開されている画像が、「全画面」での視聴ができない。これは、放送法のなどの制限なのか、それともNHKエンタープライズあたりで後でDVDだかブルーレイディスクだかを売って儲けようという魂胆なのかは、私には分からない。

 そして、もっと重大な問題。

このサイトは2009年8月13日から同年10月12日までの2か月間のみの限定公開なのだ!

 以前書いた月探査機「かぐや」のハイビジョン配信問題の時に気が付いたのだが、NHKは巨大組織であり、内部には本当に様々な人がいるということだ。


 かぐやハイビジョン配信問題については、以下の記事参照のこと。


 放送事業のビジネスモデル——国家から電波を使用する権利を独占的に与えられ、全国民に対する情報の流通経路を占有する——が、インターネットの発達によって崩れつつあるのは、すでに明らかだ。
 だが、NHKのような巨大組織には、そのことを理解している人と理解していない人の両方が在籍している。
 例えばBBCがネット配信に関してNHKよりもはるかに先を行く取り組みをしていることを、理解している人と理解していない人がいる。
 さらに、理解している人の中にも、「どうせ大したことない」と高をくくっている人や、「自分が定年になるまで今の体制で押し通し、逃げ切れば勝ち」と思っている人や、そもそも「ネットも放送も興味ない、給料さえもらえれば無事此名馬」という人もいる。
 そして、必ずしも、危機感を抱いて行動する人が、組織内で昇進するとは限らない。硬直化した組織では、うまく立ち回った者が偉くなる傾向がある。そうやって偉くなった者は、自分の地位を脅かさないおとなしい——あるいは場合によっては無能な——者を引き立てる傾向がある。

 公共放送の使命に、「日本という国が健忘症に陥らないため、可能な限り国の有り様を写し取った映像をアーカイブし、誰でもいつでも閲覧できるようにする」というものがあるだろう。これは、スポンサーを持つ民放にはできない。法律で視聴料の徴収が認められているNHKにしかできない仕事だ。

 その意味では、NHK戦争証言アーカイブズは、期間限定であってはならない。未来永劫公開されるべきものだ。

 それが、期間限定のトライアル公開になっているあたり、内部では様々な軋轢が発生しているらしきことが見て取れる。

 取りあえず、NHKとその周辺において、このサイトを作り上げた人たちには大きな拍手を。このサイトを限定公開に留める判断に与した人たちには派手なブーイングを。10月の公開終了までに、なんらかの進展があることを期待しよう。

 NHKが敗戦後64年目にしてやっている「当時を知る者から証言を集める」という極めて公共性の高い仕事を、伝説の編集者・花森安治が率いる暮らしの手帖社は、敗戦後24年目の段階で行っていた。

 しかも、雑誌「暮らしの手帖」の販売収益を使って、だ。彼らは、法律に守られた視聴料徴収の権利など持たずして、これだけの仕事をやったのである。
 本書は、戦時下において人々の暮らしがどんなものであったのかを、まだ記憶が鮮明であった戦後24年目の段階で記録したものだ。戦時下において、人々は何を食べていたのか、何を着ていたのか、どんな生活リズムだったのか、政治は戦況はどう報道されていたのか、それを人々はどう受け止めていたのか——具体的な戦時下における「朝起きてから寝るまで」を様々な証言を集めてまとめている。

 戦争というものを考える上で、必読の本である。この本を読まずして、どのような形であっても敗戦までの昭和の歴史を語ってはならない——そう言い切れるほどの価値を持つ本だと思う。

 さらに暮らしの手帖社が偉いのは、この本が発売された1969年から現在に至るまで絶版にすることなく市場に供給し続けていることだ。自分たちの仕事が持つ公共性をきちんと認識していなければ、一私企業が、この姿勢を保ち続けることはできないだろう。

 この本があるので、私の「期間限定公開に留めた側のNHKの中の人たち」に対する評価は極端に低くなる。
 お前ら全員切腹な。腹切って黄泉まで下り、花森安治にあやまってこい!


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2009.08.07

ゴミとプライバシー、横浜市の例

 知人のH.Nるてんしとさん(めもりーくりーなー等のフリーウエア作者)が、「横浜市がゴミ回収にあたって個人情報を収集している」という事実を発掘してきた。

横浜市の「ゴミ」と「個人情報

 横浜市がゴミ収集業務の一環として、2008年5月から、

  1. ゴミ袋を開けて、内容物の写真を撮影している
  2. 個人情報が特定できる書類などを、内容が読める状態の画像で記録している
  3. 収集された画像データは市の資源循環局の職員なら誰でも閲覧できる
  4. 横浜市は資源循環局の仕事を公募型指名競争入札で業務を委託している

 るてんしとさんの記述からは、横浜市資源循環局がすべての回収ゴミの内容物を撮影をしているのかどうかは分からない。手間を考えると分別に誤りがあったゴミ袋のみを撮影していると考えるのが妥当だ。

 おそらく、横浜市としては分別をきちんとしない者への注意喚起を狙ってこのようなことを行っているのだろう。が、これはかなりの問題含みだ。

 なぜならばゴミはプライバシーの反映であるから。

 ストーカーにとっても、ゴミを調べるというのは常套手段だ。それぐらいゴミはプライバシーを反映する。

 その情報が市の資源循環局に蓄積されつつあり、しかも資源循環局の仕事は外部への委託が進んでいるという。情報の管理手法によってはデータ流出事件の発生を危惧しなくてはならない状況というわけだ。

 この場合、画像は取得したとしても可能な限り早期に消去するのが筋だろう。分別のトラブルは例えばテキストデータとして「いつ、どこで、だれが」を記録するにしても、「どんなゴミを出しているか」の画像まで保存するのはまずい。

 今回の例は、官による1984的情報管理というよりも、横浜市資源循環局が便利な仕事の手順を追求した結果なのだろう。しかし、だからといってプライバシーへの配慮を欠いてよいわけではない。  こういったことは他の自治体でも起きているのだろうか。自分もかなり大量の書類を扱う仕事をしている以上、シュレッダー必須と思い、アマゾンに注文をかけたのだった。

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