2008.01.17

知っていることと知りたいこと、知らないこと

 12月の話だが、日経新聞の先輩Tさんと忘年会をした。科学技術報道の先輩なのだが、昨年、ひょんなことから2人ともクラシックファン、しかもショスタコーヴィチが好きということが判明し、「一度飲みますか」ということになった。

 昨年11月から12月にかけて、記念碑的コンサートが開催された。指揮者の井上道義がショスタコーヴィチの交響曲、全15曲を8回の連続演奏会ですべて演奏したのだ。

「日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト」

 私はこれにすべて通った。Tさんも仕事が許す限り通った。「いやあ、すばらしかったね」とワインを飲みつつ盛り上がる。

 話は、テレビドラマやアニメで盛り上がっている「のだめカンタービレ」へと流れた。

「松浦さんねえ、クラシックの側から見た『のだめ』の功績って、ベートーベンの7番を一般に知らしめたことだと思わないか」

 ここでいう7番というのは第7交響曲のこと。5番の「運命」、6番の「田園」に続く曲だが、前2曲のようなニックネームを持たない。

「そうですねえ。みんな『運命』も『田園』も一応知ってますけれど、その次の7番を聴いたことがある人は意外に少ないですね」
「良い曲なんだけどねえ」
「大傑作ですよ。あのリズムの取り方はベートーベンが書いたロックとかダンスミュージックとか、そうといってもいいでしょ」

「本当になあ」
と、Tさんが言う。
「みんな知っているものは知りたがるんだ。知っているのに聴きたがるんだ」
「そして知らないものは聴きたがらない。知りたがらない」と私。
「5番の『運命』はじゃじゃじゃじゃーんで知っていて、6番の『田園』はたーらーたーたーららたったーで知っている。でも次に7番があるなんてことを思いもしない」
「ちゃんと9番『合唱』があることは知っているのにね」
「そうなんだ」
「8番も知られてませんね。いい曲なんですけどね」
「他人事じゃないよなあ。僕らの仕事も同じだ。知っていることしか知りたがらない人たちに、知らないことを伝えて行かなくちゃならない」

 2人でため息をつく

 Tさんはずっと科学技術報道に携わってきた。私は今、宇宙分野で物を書いてどうやら生きている。「人間、知っていることしか知りたがらない」というのはまったくもって実感だ。

 人間は本質的に保守的な生き物だ。知っていることを確認して安心することを好む。新しいことを知って楽しむ「好奇心」という属性も持っているが、どちらかといえば「知っていることだけを、知る」傾向の方が強い。

 例えばベートーベンの第5交響曲、通称「運命」だが、冒頭の「ジャジャジャジャーン」は知っているとして、あの曇天から晴れ間がのぞくような第2楽章のメロディを思い出せる人はどれぐらいいるだろう。なかなか格好良い第3楽章のフーガは、あるいは第3楽章からトンネルのような暗い接続部を経て、昂然と鳴り出す晴れやかな第4楽章の冒頭はどうだろう。
 知らないとしたらなぜ知らないのか。興味がないのか。「この道はどこに続いているんだろう」と同じような、「このメロディはどこにつながっていくのだろう」という好奇心がなぜ働かないのか。

 そう、たとえ冒頭の「ジャジャジャジャーン」を知っていても、その続きに好奇心が働く人はわずかだ。曲の全体にベートーベンが込めた深い創意にたどり着く人は、「クラシックマニア」と呼ばれてしまう。

 あるいは、「歓喜の歌」の第9交響曲。あのメロディは覚えているとして、では付点付きのリズムが力強い第1楽章冒頭はどうか。ティンパニのオクターブ跳躍が付点付き音符の3拍子で響く第2楽章は、あの天国的な平穏さに満ちた第3楽章は。あなたは覚えているだろうか。きちんと聴いているだろうか。
 ひょっとして、「あのメロディが出てくるまで退屈でたまらん」とか言って、演奏会に行くと寝てはいないか。そして第4楽章のバリトンが「おお友よ」と歌い出すところで、「やあ、そろそろだ」と起き出して、すでに知っているメロディを聴いてはいないか。

「だってつまらなそうだから」という人もいる。そんな人でもベートーベンが楽聖と呼ばれる存在であることは学校で習っていたりする。
 楽聖とまで呼ばれる男が全力を尽くして作った作品が面白いかつまらないか、試してみる。それだけの好奇心が働く人は、数少ない。

 知られていないから、皆知りたがらない。だからますます知られない――クラシック音楽はいつもこんなマイナスのスパイラルと戦っている。

 そして科学報道も。

 知らないものを知りたがらない人々に、新しい物を知らしめる方法は存在する。マスメディアでヘヴィ・ローテーションをかけて、無意識のうちにその情報にふれている状態を作り出す。つまり、知らないものをいつのまにか「知っていること」に割り込ませてしまうのである。

 音楽業界ではよく使われる手法だ。テレビドラマの主題歌タイアップというのもこの手法の一つである。ドラマを見ている人に、音楽を刷り込んでしまうわけである。

 しかし、科学報道で同じ手法は使えない。結局、Tさんも私も延々と匍匐前進を続けるしかないのだろう。

 「のだめ」でベートーベンの7番を初めて知った方は、ぜひともCDを買って7番の全曲を聴いてもらいたい。とても楽しい曲だから。あなたは、音楽を楽しむにあたっての、すばらしいチャンスを手に入れたのだ。

 その上で、できれば同じベートーベンの8番とか(冒頭、弦楽器が「あーくたびれたー」と演奏を始める。本当だよ!)、あるいは最終楽章でファゴットが超絶技巧を発揮する4番など聴いてみてもらえれば… ちょっとばかりうれしいね。

 ベートーベン7番だが、ここではベタにカラヤン・ベルリンフィルの1983年録音盤を推薦しておくことにする。クラシックファンはうるさ方が多くて、「カラヤンなんて流麗なだけで中身がない」という人も多いのだけれど、私はカラヤンの演奏をバカにしてはいけないと思う。
 流麗に演奏するのは実のところとっても難しいのだ。最初に聴く人には、彼のような演奏のほうがなじみやすいのではないだろうか。

 もう一枚、カラヤンと同時期に活躍したカール・ベームが壮年期に入れた録音を。この録音ではそうでもないのだけれど、晩年になるにつれてベームの演奏は、音楽の本質のみを取り出した、それこそ「音楽の骨格」としか言いようのないものになっていった。最後の来日時に演奏したチャイコフスキーの「悲壮」、私はNHKの放送でしか聴いていないけれど、あれはすごかった。本来ふくよかなはずのチャイコフスキーの音楽から、柔らかな表情が一切そぎ落とされ、ホネホネの厳しい、しかし音楽の本質だけが結晶したかのような響きだった。
 一説によると、最晩年になって体が動かなくなり、どんどん不明確になっていったベームの指揮棒に、オケが必死になって合わせていった結果そんな音楽になってしまったそうなのだが、本当にそうなのか、私は知らない。

 クラシック系の音楽は、知られていないが故に知られない、ということを実証した曲。ポーランドの作曲家ヘンリク・ミコワイ・グレツキの「交響曲3番・悲歌のシンフォニー」。1976年に作曲された。全3楽章で、ソプラノの独唱が付く。すべての楽章がゆっくりとしたテンポで、人生をおそう悲しみを歌う。第2楽章の歌詞は、ナチスの収容所の壁に残された犠牲者の言葉だ。巨大で、悲しく、最後に淡いなぐさめを感じさせる美しい曲である。
 この地味な曲は、傑作ではあるがそのままでは忘れ去れて終わりだったろう。しかしイギリスのとある放送局が番組のテーマ曲として、第2楽章をヘヴィローテーションしたところ、欧州を中心に人気が爆発し、1980年代半ばには世界的な大ヒットとなった。ウィキペディアにも一項目が立っているほどだ。
 そうだ、傑作はいつだって存在するし、聴かれるのを待っている。知っていることしか知りたがらない私たちの耳は、数多くの傑作を忘却の森の中に置き去りにしているのだろう。

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2007.10.02

三沢の航研機

Koukenki

 現在、三沢に来ている。宇宙作家クラブメンバーによる閉鎖生態系実験設備を持つ環境科学研究所の見学のため。

 昨日から研究所施設をあれこれと見せてもらい、今日は二週間の閉鎖実験を終了した研究者2名が施設から拍手と共に出てくるところに立ち会わせてもらった。

 最初は宇宙向けの基礎研究として始まった閉鎖生態系研究だが、省庁統合を経て色々と悩みは深い様子。投資して準備していた実験が予算不足その他でできなくなっているという。

 午後遅くから、三沢航空科学館に行く。ここには航研機をはじめ、奈良原二式、白戸式旭号と、日本航空の初期を飾る機体のレプリカが展示されている。

 それはうれしいのだけれども、やはり展示の密度が不足している。博物館という者は、見学者を展示物の密度で圧倒しなければ意味がないのだ。

 航空科学館という名前でわかるように、ここはサイエンスミュージアムもかねており、結果として展示の焦点がぼけてしまっている。航空博物館ならば、航空に絞り、これでもかと飛行機を展示して欲しいところ。屋外にはP-3C、F-104J、T-2などの自衛隊機が展示されているので、これらを屋内に持ち込み、はずしたエンジンと共に別に展示するだけで大分印象が変わるはずなのだけれども。

 写真は、航研機。本物は敗戦のどさくさで、羽田の大鳥居あたりに埋められてしまったそうで、もちろんここにあるのはレプリカ。それでも、この歴史的機体を目の当たりにできるのはうれしい。

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2007.09.28

ミームとバックドアの与太話

 アマゾンからこんなメールが来た。

 ご注文時に予定して おりました発送予定日となっておりますが、まだ下記の商品の調達が できておりませ ん。

 お待たせしており誠に申し訳ございませんが、継続して商品の調達を行いますので、今しばらく時間の猶予をいただけますよう、よろしくお願い申し上げます。これに伴い現時点において目処となる発送予定日に変更させていただいております。

(中略)

"初音ミク HATSUNE MIKU"

 出遅れたかな。

 さて、昨日の、「神の恩寵を私の説こうとした若者が、なぜ悪魔のように去っていかねばならなかったのか」という話の続き。

 最近になって、4月のキャンパスで私に向かって「あなたなんか地獄に落ちますからね」と叫んだ若者と同じ印象を受ける振る舞いを、ネットでよく見るようになった。

 mixiには、「懐疑論者の集い-反擬似科学同盟」というコミュニティがある。ニセ科学をウォッチングするコミュニティだが、ニセ科学というか、トンデモの信奉者が入り込んできて論戦になることがある。「911テロはアメリカの自作自演である」とか。

 もちろん論理的にはコミュニティに集う強者に論破されてしまうわけだが、彼らはほとんどの場合に自らが間違っていることを認めようとはしない。逆に「なんであなた方はこんなことが分からないのか」「こんなことも分からないようでは話にならない」「議論の相手にもならないのでさようなら」と、一方的な勝利宣言をして去っていく。

 その発言が、どうにも私には「あなたなんか地獄に落ちますからね」という言葉と似ているように思えるのだ。

 mixi以外では、大阪大学の菊池誠教授が、自らのkikulogで、911陰謀論、マイナスイオン、血液型制作診断といったトンデモの信奉者と激論を戦わせている。
 ここでも、時折、ビリーバーによる「あなたなんか地獄に落ちますからね(私の勝ちだ)」的な発言をみることができる。

 さて、怪しげな推論を組み立てることにしよう。以下は話半分に読んでもらいたい。

 宗教の勧誘、エセ科学や陰謀論のビリーバーが、なぜ同じような罵詈雑言で撤退していくのか。それはなにか両方が、同じ現象に根ざしているからではないか。

 もう一歩、怪しげな推論を進める。宗教もエセ科学も陰謀論も、人間の脳の同じ働きによって発現しているのではないか。

 もっと怪しい話を考える。それはひょっとしてミームによる人間の脳のクラッキングの結果ではないか。つまり、人間の脳に実装された世界認識のシステムには、最初から宗教のようなミームが利用可能なバックドアが組み込まれているのではないか。

 ドーキンスも「神は妄想である」の中で、人間の認識の問題点について言及している。人間が世界を認知する仕組みは、人間の体のサイズに合わせ、人間が進化したサバンナという場所での生存に役立つように進化してきたの。だから、それ以外の世界、例えば極微の量子力学的現象や、光速に近い速度の相対論的現象などを直感的に理解するようにはできていない、というわけだ。

 そこで、もう一歩、怪しい方向に進んで、「そんな穴だらけの世界認識のスキーマに、クラッキング可能なセキュリティホールがあったら」と考えてみる。

 「人間はコンピュータ・ソフトウエアと違う」と言われそうだが、認知に関する現象には錯視の一部のように「魂」と言うものを持ち出さなくても、説明できるものが少なくない。とすれば、人間の世界認知システムを、ソフトウエアと考えてもいいのではないだろうか。


 思うに、このセキュリティホールは、人間が社会を営む生物であるというところに起因しているのではないだろうか。
 私たちには、社会を営む中で「周囲の人間に認められたい」といいう欲求が存在する。それはもちろん、認められることが生存に有利になるという理由から、進化してきたものだろう。

 しかし、実際問題として多くの人は、能力以上に認められることなく、社会に埋没していく。

 では「自分は特別であり、周囲に認められるべき存在である」と確信させてくれるミームが存在したらどうか。

 「特別であるべき自分」という欲求と、「特別ではない自分」という実際とのギャップに、バックドアが存在する。そこを突いてミームが入り込む。人間は酸素不足や睡眠不足、薬物などで幻覚を起こすハードウエアであるということも、ミームは利用する。神秘体験というやつだ。こんな神秘体験をした自分は特別である、というようにミームは自己認識を歪め、誘導する。

 ミームは集団に感染する。一人に感染しただけなら、ミームの創り出す「特別な自分」という認識は、現実の前に崩れるだろう。しかし集団に感染し、集団全体が「俺もお前も特別だよ」という幻覚を相互供給し合うなら、ミームは生存し続ける。

 集団感染は、ミームが生き延びる前提条件である。だからミームに感染した者は、ミームを広げるべく布教活動を始める。それは、宗教でもエセ科学でも、トンデモでも、マルチ商法でも、同じである。
 これらは、同じバックドアを利用するミームの変種なのである。

 ああ、なんだか書いていて、妙な気分になってきたぞ。

 でも、こんなことを思いつく俺ってすごいな。おお、息を止めると光が見えるぞ。わはは、我は解脱せり。ひれ伏せ!蛆虫めら!!(あれ?)


 そう、これは、かなりの過程を積み重ねた与太話である。「宗教の勧誘、エセ科学や陰謀論のビリーバーが、なぜ同じような罵詈雑言で撤退していく」ということのみを根拠で、論理を積み上げただけ。

 「人はひっかかりやすい生き物である」ということをごちゃごちゃ言ったに過ぎないような気もする。

 にわか作りだから、崩れるのもまた早いな。

 最後に、もう一つ妄想を積み重ねておくと、この手のミームの感染に対抗する免疫に相当するものがあるとするなら。それは「笑い」ではないかという気がする。

 池乃めだかの「今日はこれくらいにしといたるわ!」——あれですね。凝り固まった認識をすっとほぐすわけです。

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2007.09.27

神と悪魔と罵詈雑言

「『あなたは神を信じますか』って寄ってくる人をからかうと、おもしろいよ」
 こういう、ろくでもないことを教えてくれたのは、高校の年若い生物の教師だった。
「僕も学生の時、よくやったんだよね。話させるだけ話させておいて、『神様なんていませんよ』ていうとむきになったりしてね」

 しかしながら高校の頃は見知らぬ人をからかうには、自分は人見知りが過ぎた。
 意識してこの手の人たちをからかうようになったのは、大学に入ってからだ。

 大学という場所は、おおかたの宗教にとって信者の草刈り場だったのだろう。色々なのがいた。「あなたは神を信じますか」から始まって、「あなたの幸福を祈らせて下さい」とか、「手かざしをさせてください」とか。
 そういえば「神ノ愛ヲ、信ジナサーイ」というモルモン教徒に行き当たったこともある。「どこから来たのか」と聞いたら、アイダホだと言っていた。

 その手の人たちをからかうようになって、面白かったのは、最後の去り際だった。大体はからかわれると分かって、去っていく。その時、必ずといっていいほど、悪態を付くのだ。
 「なんて酷い人だ」というような非難ではない。悪態だ。

 4月、クラブの勧誘でいっぱいのキャンパス中庭で声をかけてきた若者は、特に印象に残っている。のらくらとこちらがはぐらかしていると、遂に怒り出し、「あなたなんか地獄に落ちますからね」と言ったのだ。確か「なんでそんなことが分かるんですかあ?」と返したら、憤然たる態度で「絶対です!」と叫び、去っていったのだった。

 確かに純な魂をもてあそんだ罪は、私にある。が、私は地獄への地図も、地獄の住所も知らない(だから、そういう態度でいたから彼は怒ったんだってば)。

 確か大学の3年になったころだったか、「幻魔大戦」がアニメになり、原作の平井和正も小説を書き継いだことがあった。ところが、当時平井が「GLA」という新興宗教にはまっていたこともあり、書く小説がどんどん妙な方向にいってしまい、20冊も書き継いでもストーリーは全然進まない、ということになってしまった(平井はその後GLAから離れたそうだが、GLAは今も活動している)。
 その頃、GLAの教祖である高橋佳子の著作を何冊か読んだことがある。文章が達者で、後で知った出口王仁三郎の「霊界物語」などに比べると格段に読みやすかった。これらは事実上平井がゴーストライターを務めたそうだ。

 このあたり、本当は再読して確認してから書くべきなのだろうが——ここでは記憶を優先することする。

 高橋佳子の著作(確か「真創世記」だったか、そんなタイトルだった)で強烈に覚えているのが、霊界で農家のおばあさんに会って会話する(霊界で農家ってどういうこと??)というところで、おばあさんの言葉が「だべ」だったか「だべさ」だったか、訛っているのだ。

 霊界がどんなところかは知らないが、訛っているとはこれ如何に?霊界に加藤茶がいたら、やっぱりおまわりさんは「すんずれいしました!」とやっているのか??
 キリスト教の典礼文がキリシタン弾圧の結果、オラショへと転訛したという事例もあるし、訛っていていかんということはないのだろうが、それでも光に満ちた清浄なる霊界に、いきなり俗世間っぽい訛りとはねえ、と、思ったものである。そりゃ、「霊界とはそういうものだ」と言われれば、「はいそうですか」としか答えようがないわけだが。

 この本の中には、悪魔退散のシーンがあり、悪魔は、光の前にありとあらゆる罵詈雑言を吐きつつ退散するのであった。

 いや、このシーンがあったのは平井版「幻魔大戦」だったかも知れない。だいぶ記憶があいまいになっている。

 ともかく、大学生だった時に読んだ新興宗教がらみの本で、一番印象に残ったのが、「悪魔が罵詈雑言吐きつつ退散する」というシーンだったのである。なぜなら、私にはその悪魔が、私に向かって「あなたなんか地獄に落ちますからね」と言った若者と重なって見えたから。

 神の恩寵を私に説こうとした若者が、なぜ悪魔のように去っていかねばならなかったのか(だから、からかったお前が悪いんだってば、という話はともかくとして)。

 その後も宗教がらみで、罵詈雑言を見る機会が何度もあった。例えば、創価学会が日蓮正宗大石寺との確執の中で放った言論攻撃も、私には「まるで退散する悪魔の罵詈雑言」のように響いたものである。

 神と悪魔が、罵詈雑言という、余り行儀良くないキーワードで結びつくなら、それはそもそも宗教という思考様式に致命的な欠陥があるためではないか——当時の私はこの程度まで考えて、そこで思考を止めた。

 例えは悪いかもしれないが、吉本新喜劇の池乃めだか演じる、凄んでも凄んでも、すべて外して笑いをとったあげく、「今日はこれくらいにしといたるわ!」で締める——あれに近いものを感じたわけですな。

 昨日のドーキンスの本で思い出した、そろそろ四半世紀も昔の記憶である。もちろんオウム真理教なんて連中が本物のテロをやらかす大分前の話だ。

 以下は余談。

 私が、その手の人たちをからかうのをやめたのは、大学最寄りの駅で、おそらく同じ大学に通っていたのであろう——女性から「あなたの幸福を祈らせて下さい」と声をかけられたからだった。

 そーら、カモさんキター、しかも鍋と葱付きーっ、てな調子で、私はへらへらと相手をしたのだが、彼女はすべてを真剣に受け取って、「またお会いしましょう」といって去っていったのである。

 む、勝手が違うぞ。

 その後数回、彼女と会った。その都度、彼女は真剣な調子で「真理」を語り、私はへらへらと受け流した。何回目だったか、彼女は「私達の家に来ませんか。仲間の家があるんです」と言い出した。まあ、新興宗教が気の弱い学生を巻き込む時の常套手段である。

 だが、その後の言葉が違った。「家ではみんなでご飯を食べるんです。みんなで一緒に食卓を囲むなんて、とても素晴らしいことって思いませんか」

 私はこの言葉にショックを受けた。私の育った家庭は、円満にして満点というわけではなかったが、それでも家族が揃って食卓を囲むのは当たり前であった。私はそれを素晴らしいことと思っていなかった。家族の食卓は、当然あるべきものだった。

 「一緒に食卓を囲む」ことを「幸福である」と語る彼女の背後に、なにか尋常ならざる不幸の気配を感じた。触れてはならぬものに触れてしまったという後悔が背筋を走り抜けた。

 私は二度と彼女に会うことはなかった。そして、その手の人をからかうのもやめた。

 私には神も悪魔もどうでもいい。彼女はその後幸福になったのだろうか。そちらのほうが気にかかる。





 昨今、「神と悪魔」テーマなら、やはり「るくるく」だろう。悪魔の王女が貧乏学生のところに同居するという典型的落ち物パターンながら、込められた毒と哄笑が半端ではない(なにかとんでもない伏線を仕込んでいるようでもあるし)。実際問題として、天使がなぜか荒れ寺の小坊主になって、「やはうえさま、お元気ですか」と祈る、なんて発想は、あさりよしとお以外から出てきようがない。

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2007.09.22

パリの素敵なおじさまたち

おわびと訂正(2007.9.25)この記事で引用したaqqueさんのBlogの記事を、私は2007年のものと誤解していました。実際には2005年、前回のパリエアショーの時のものでした。この記事の趣旨には影響ないですが、一部言い回しが事実とは異なることになります。訂正し、お詫びいたします。コメント欄で指摘してくれた方、ありがとうございます(松浦)。


 パリ・エアショーには、日本からはいつも日本航空宇宙工業会がブースを出している。ところが、この展示がなんともやる気を感じさせない——という話は、2003年に私と一緒にパリ・エアショーを取材した笹本祐一さんが「宇宙へのパスポート3」の74ページに「やる気のない美術部が過去の遺産を寄せ集めて文化祭の体裁だけ整えました、な感じ。いや実際やる気ないんだろうし、閑散としてましたけど。」と書いている通りである。

 航空宇宙工業会の展示のみすぼらしさは、関係者も認識しているらしい。3年前に航空宇宙学会のパネルディスカッションに出席した時、 「パリエアショーでなにが恥ずかしいって、まったくやる気が感じられない航空宇宙工業会の展示が恥ずかしかった」と言うと、横でパネラーとして出席していた三菱重工の方が、吹き出し笑いをした、ということもあった。

 MRJがモックアップまで出展した今年パリ・エアショーで、日本航空宇宙工業会はどうだったのだろうか、と思っていたら、某氏からこんなページを教えてもらった。

 「フランスよもやま生活記 自由な生活を求めて」より。パリで生活する日本人女性aqqueさんのBlogである。

 2007年ではなく2005年でした。

 パリ・エアショーで、「日本*****という財団法人」の受付で働いたという話である。パリ・エアショーに日本の財団法人は出ていないので、これは間違いなく社団法人・日本航空宇宙工業会であろう。

 核心は パリ エアショー裏話1に書いてある。

みなさん、天下りの人たちだろうと思います。

*肩書きが同じ人が多すぎて、どういう位置づけかわかりません。
(副会長だけで3人、専務(vice president)だけで3人、部長も何人いるんだか・・・など)

*こちらが「おはようございます」と挨拶をしても、挨拶は返さない。

*名前を覚える気がない。(「女性の方たち」でひとくくり)

*陰でこそこそ悪口を言う。

*会長がいると、とたんに腰が低くなって借りてきた猫みたいになるくせに、自分より地位が高い人がいなくなると、急に横柄になる。
→これって、フランスではあまり考えられないことなんですよ。
だからかもしれないけれど、わたしたち女性軍が人(地位)によって態度を変えないことに、彼らはまた腹が立っていたのかもしれません。

(中略)
  やっぱりいわゆる本当にエライ人たちというのは、人間的に非常にできた人たちが多いので、とても謙虚だと言うことがわかります。
中途半端にエライ人、既得権を最大限に利用する人たちだけが、横柄な態度をとるのかな、と感じました。

 ここで、日本航空宇宙工業会を離れて一般論をしよう。主題は終身雇用組織が、組織中の厄介者をどう処遇するか、である。

 会社組織と所属する人にも相性というものがある。会わない場合、その人は組織内で「使いづらい奴」「役に立たない奴」と判定される。その中には、有能なのだが性格に問題がある、とか、上司に恵まれず能力を発揮できずに腐っているという人もいる。もちろん、本当の困ったちゃんもいる。

 終身雇用の世界では、そんな彼らを組織外に放り出すことができない。

 ではどうするか。道は2つある。一つは子会社に押しつけること。もう一つは業界団体など、関連する外部団体に押し込むことである。

 前者の場合、子会社社長になって阿鼻叫喚の惨状に、などということもままある(大抵の場合「ヒトラー」とか「アミン」といった独裁者のあだ名が付く)。ただし、この場合はまだましな人材であることが多い。

 子会社は本社と利益共同体なので、あまりの惨状になると本体の経営に差し支える。このため、本当にどうしようもない奴と判定された者は、業界団体に出される場合が多い。

 送り出す側は、困ったちゃんがよろこんで業界団体に出て行くように腐心する。大抵は「業界団体から大所高所の見地で、業界を指導してもらいたい」などといって送り出すことになる。

 そして困った人の多くは洞察力と自省心に欠けているので、「そうか、俺は偉くなったんだ」と錯覚して、業界団体にやってくることになる。そうなると、「この人は本当に社会人なのか?」とびっくりするような横柄な態度を取ったり、稚拙なウソをついたり、相手に応じてころっと態度を変えるような素敵なおじさまの一丁上がり、ということになる。
 中には会社を離れて、うってかわって水を得た魚のごとく働き出す例もあるが、誰もがそうなるというわけではない。

 ちなみに私が過去の取材経験でぶつかった最悪の例。

 もう時効だろうから書くが、1997年に「H-IIロケット上昇」を書くとき、私は当時のロケットシステム社長にインタビューしようとした、別の席でお会いした時に本人の了解も取り付け、一応会社に話を通しておかなくてはな、と電話したら、まさに素敵なおじさまにぶつかってしまったのである。

 彼は名乗りもせず、鼻息も荒く私を断罪した。
「あなたは何者ですか。社長があなたのような人に会うわけがないじゃないですか。ダメです。お断りいたします。取り次ぎなんてとんでもない」
 いくら社長本人の了解を取っていると説明しても、ダメの一点張り。そのうちに、「あなたは何の権限があって社長に会おうというのですか」と言い出したので、こりゃダメだと思って電話を切った。
 「完全に、社長に会う人をコントロールするという権限に酔っているな」と思った。無能の人が、与えられた職務上の権限を自分の能力であると錯覚するのは、よくあることである。
 私は結局、社長のインタビューをあきらめた。

 ずっと後になって、ロケットシステムの重役に「こんなこともありました」と話したことがある。重役氏は、私が名前も知らない素敵なおじさまが誰であるかを一発で理解したようだった。
「彼は元の会社に返しました」
という返事が、即座に返ってきたのであった。

 もちろんそれがいかなる団体であっても、よく働く有能な人はいる。そういう人がいないと、そもそも組織は回らない。

 とりあえずaqqueさんのBlogから推察するに、日本大使館で開催されたMRJレセプションには、「陰でこそこそ悪口を言」い、「会長がいると、とたんに腰が低くなって借りてきた猫みたいになるくせに、自分より地位が高い人がいなくなると、急に横柄になる」素敵なおじさまが複数出席していたのだろう。

 正確には「今年のパリエアショーにおいても、MRJレセプションに「陰でこそこそ悪口を言」い、「会長がいると、とたんに腰が低くなって借りてきた猫みたいになるくせに、自分より地位が高い人がいなくなると、急に横柄になる」素敵なおじさまが複数出席していた可能性が高い」です。

 私は、MRJが心配である。

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2007.06.20

生存報告を兼ねて「水からの伝言」のことなど

 うかうかしていると、ここの更新も簡単に一ヶ月も空いてしまう。
 仕事しています。ええ、しておりますとも。

 日経BPのSAFTY JAPANに書評欄を持っているのだが、そこに「水はなんにも知らないよ」の書評を書いた。以前こんな記事も書いているが、私としては「水からの伝言」のようなニセ科学には広がってもらいたくはないのだ。

 あんなものを信じる人が増えると、行ける星にも行けなくなってしまうではないか。

 どういうわけか、この書評は2ちゃんねる紹介サイトの痛いニュースに掲載されてしまった。ということは、2ちゃんねるのどこかで話題になったのだろう。

 ちなみに書評では、話の流れ上割愛したのだが、ニセ科学系の人は、おたがいつながっていることが非常に多い。さらには、ディプロマ・ミルと呼ばれる、金で学位を出す大学(アメリカにはそういう商売がある)の学位を持っている、そして発行する主体が非常にあやしげな賞を受賞している、という共通点も存在する。

 このあたりのニセ科学人脈と、あやしげな学位や賞については、菊池誠さんのkikulog中、このエントリについたコメントあたりを参照するといいだろう。

 偶発ではあるが、同時期に前野[いろもの物理学者]昌弘さんの娘さんが通う学校で、水伝大戦が勃発している

 前野さんが描くところの「ごめんなさい以後気をつけます」でその場を逃れようとする先生に対する評価は、野尻抱介さんによる「あなたは間違い方まで間違っているので教員免許剥奪です」というものが一番適切だろう。

 「信じ切っている人に、何を言っても無駄」という考えもある。だが、折に触れて「あれはインチキだよ」と言っておくことは決して無駄ではない——私はそのように考える。

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2007.03.31

道路交通法改正案を読む

 私が復帰したら、すぐにコメントが付いた。話題は、昨年来の自転車の歩道走行問題だ。

 この件に対する疋田智氏の反対運動を、「政治的意図に基づく陰謀」とする主張である。警察庁は終始一貫しているにもかかわらず、それに難癖を付けたというわけだ。

 私が更新を止めている間に、警察庁から、道路交通法改正案そのものが公開された。

・「道路交通法の一部を改正する法律案」について[H19.3.2 掲載]
 [条文] PDFファイル
 [新旧対照条文] PDFファイル

 問題となっている自転車の歩道走行について、改正案の具体的な条文は以下のようになっている。

第六十三条の四 普通自転車は、次に掲げるときは、第十七条第一項の規定にかかわらず、歩道通行することができる。ただし、警察官などが歩行者の安全を確保するため必要があると認めて当該歩道を通行してはならない旨を指示した時は、この限りでない。

 これに続いて、歩道走行の用件を「交通標識で指定されているとき」「児童、幼児などが運転しているとき」「車道または交通の状況にてらして自転車の安全が確保できないと認められるとき」と定めている。

 警察官が指示できるのは「歩道を降りて車道を走行すること」であり、「車道から歩道に乗る」ことではない。
 基本的に警察庁は「自転車は原則車道を走る」という基本に戻って自転車の交通安全を確保する方向に踏み出したといっていいだろう。

 ところで、昨年11月30日時点の「自転車の安全利用の促進に関する提言」で、警察庁はどのような態度を示していたかを思い出そう。

「自転車の安全利用の促進に関する提言」 [H18.11.30 掲載]

問題となっている提言4.2.4をもう一度読んでみよう。

上記の環境整備にあたっては、
○ 自転車道や車道における自転車の走行環境の整備状況に応じ、自転車歩道通行可の規制を解除すること
○ 自転車が車道を通行することが特に危険な場合は、当該道路の自転車通行を禁止するなどの措置を講ずること

など、個々の道路について交通環境の変化に応じた交通規制を実施するよう配慮する必要がある。

 これは一見平等な両論併記に見えるが、一つめの○は現行道路交通法の枠内で対処可能であり、これは新たな主張でもなんでもない。つまり法案の改正になんの影響も及ぼさない。
 問題は二つめの○にある。これは、現行道路交通法にない規定を作るということである。

 つまり、警察庁は昨年11月時点では、「自転車が車道を通行することが特に危険な場合は、当該道路の自転車通行を禁止するなどの措置を講ずること」という内容の条文の追加を考えていたことを意味する。

 それが、実際の改正案では「普通自転車は、次に掲げるときは、第十七条第一項の規定にかかわらず、歩道通行することができる。ただし、警察官などが歩行者の安全を確保するため必要があると認めて当該歩道を通行してはならない旨を指示した時は、この限りでない。」ということになった。

 提言がそのまま条文になるとすれば「ただし」以下は、「また、自転車が車道を通行することが特に危険な以下の場合は、当該道路の自転車通行を禁止するなどの措置を講ずることができる」とならねばいけないはずなのだ。

 警察庁は、今年2月の記者会見で、「誤解に基づくパブリックコメントが多数集まった」とした。
 しかし昨年11月の「提言」と今年3月の「道路交通法法改正案」との間に存在する内容の変化は、警察庁が「自分たちは首尾一貫している」とする彼らの主張とはうらはらに、「誤解に基づくパブリックコメント」で、態度を変えたことを示している。

 私は、上記の事実を「警察庁は、当初自転車を歩道に上げることを考えていたが、パブリックコメントの結果で方針を転換し、自転車の原則車道走行に方針転換した」ことの証拠と考える。

 疋田氏の主張は、政治的意図を持つ陰謀でもなんでもなく、正鵠を射た的確なものだったということだ。

 この件を、今も「陰謀だ」と考えている人は、ここに示した警察庁ホームページにあるオリジナルの文章を読んだ上で、もう一度自分で考えてもらいたい。

 このことは何度書いても強調しすぎることはないだろう。オリジナルに当たり、きちんと読み込み、自分の頭で考えてみよう。


 さて、以下は蛇足。

 物書き商売をしていると色々なところから情報が入ってくるものだ。
 ニュースソースを秘匿しなければならないので「警察庁が態度を変えた確たる証拠」として、ネットに出すわけにはいかないのだが、私は信頼できる筋から「警察庁幹部が事前に自転車メーカーに対して、『自転車は主要道路で歩道に上げる』とはっきり言い切った」と聞いた。
 「これが証拠だ」と、提示できないので、とりあえずひとつの判断材料としてもらいたい。

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2007.03.30

生存の思い出

 一月以上空けてしまったが、生存しています。種子島で二週間つぶしたのが響いて、仕事、確定申告、仕事と片づけていました。

 今を去ること30年以上前、私が中学生だった1970年代のある日、母から「セイゾンという雑誌を買ってきて頂戴」と言いつかったことがあった。
 本屋に行った私は、「セイゾンという雑誌ありますか」と店員に尋ねた。出てきたのは、「生存」という右派系オピニオン雑誌だった。今だったらサンケイの「正論」あたりに相当する雑誌だったと記憶している。

 はて、父ならともかくとして、母はこんな雑誌を読むつもりだったのだろうか。私は買わずにとって返し、「こんな雑誌でいいの」と尋ねた。

「違うわよ。セイゾンよセイゾン。分かってる?」それが分からないから尋ねているのだ。
「あのね、パリの左岸の特集をしているの」はあ?
「ああもう、セイゾンだったら。まったくしょうがないわねえ」だからそれが分からないんだってば。

 真相が明らかになったのは、しばらくしてから「これがセイゾンよ」と母が実物を見せてくれた時だった。

 それは「SAISON」という大判のファッション雑誌だった。

 お母様、それはフランス語で季節を意味する「セゾン」ですよ。

 と、突っ込みを入れられるようになったのは、大学の第二外国語でフランス語を勉強してからのことである。

 くだらない話ではありますが、取りあえず「生きています」という証明として。

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2007.02.23

島で疲れる

Photo_5

 3回目のYマイナスゼロブリーフィングに出席してきた。

 さすがに疲れがでてきた。今度延期になったらどうしよう。

 種子島は晴れ、風は強いものの、見事な晴れ。プレスセンターでは「今日上げてくれよお」という声が出ている。

 青い青い空だよ。雲のない空だよ。種子島は常夏だ~よ~

 と、頭のねじもゆるみがち。ああ、疲れた。

 実際、暖冬とは言え、冬の種子島でここまで暖かいのは初めてだ。
 


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2007.02.22

島で待つ

 皆さんもご存じのように、H-IIAロケット12号機の打ち上げはずるずると延びている。15日の予定が16日になり、22日になり、現状では24日である。
 それにつきあって島生活もそろそろ10日だ。仕事を持って歩ける職業なればこそのおつきあい。

 しかし小刻みの延期は精神的につらい。20日の段階で24日といってくれれば、あきらめて20日中に帰ったのだが。

 というわけで、あいた時間で島のあちこちを見て回っている。1991年以来、すでに種子島に来ること13回。めぼしいところはすべて見尽くしたので、わざと細い道に入ってみたりレンタサイクルで細かく走り回ったり。


Photo これは西之表のこのあたりにあった看板。この王之山神社というのが、安徳天皇をまつった神社なのだという。
 だいたい非業の死を遂げた人には「実は生きていて」という話がつきまとうが、安徳天皇にも生存伝説があるとは知らなかった。つまり、安徳天皇は御歳三歳にて壇ノ浦を泳ぎ渡り、九州を踏破して種子島に来たということになる。しかもその後硫黄島に渡ったとなると、これはもう「未来少年コナン」並の体力だ。硫黄島でターザンのように暮らす安徳帝というのも、想像してみるとなかなかおもしろい。

 このあたり、古くは「海泊」という地名だったそうな。海は正確には海の下に「土」が付いた文字で、どう読むのかもよくわからない。なんでも漁師を意味する海士という言葉が一つの漢字となったものだとか。パソコンにも入っていない漢字だったので、この土地だけの文字ではないかと思う。



Photo_1 安徳天皇をまつった社はこのような状態だった。地元に社を維持する体力がもうないのだろうか。ずいぶんと荒れていた。おいたわしや安徳帝。
 このあたりは古来、沖の馬毛島でトビウオ漁をしていた漁師が住んでいた土地だったという。港の正面に鳥居があり、そのまま社に続いている。漁師の神様である証拠に社は海を向いている。私の住む茅ヶ崎あたりでも、神社の社は例外なくその正面を海に向けている。



Photo_2 南種子町と中種子町の境付近にあるマングローブの林に入ってみた。砂地のそこここにカニがあけたと思われる穴があいていたのだが、残念ながらカニを見ることはできなかった。歩いていくと小さなカニがわらわらと一斉に逃げていくのを見たかったのだけれど。

 以前、西表島でマングローブ林に入った時は、目の前一面小さなカニがいて、歩を進めるほどに足音に反応するのか、わらわらと穴に逃げ帰るのを見た。カニの地面が自分の進路に開けていくと言った雰囲気で、なかなか楽しかった。

Photo_4  これは観光名所の千倉の岩屋にある鳥居。一度くぐったらこっちがわにもどってこれなくなりそうな雰囲気。もちろんくぐって遊ぶ。  そこらへんにゲゲゲの鬼太郎かネズミ男かがいないかと思って見回してみたが、当然いるはずもない。

 こうやって鳥居に石を積むのは何かの信仰なのだろうか。賽の河原の石積みと何か関係があるのか?っそもそも横の石碑にも石が積んであるのはなにか意味があるのだろうか。
 岩屋そのものは、海の波が打ち寄せてはいってくる洞窟だった。岩屋の沖は潮の流れが速いので、うっかり泳ぐと流されそうになるそうだ。



Photo_3
 そして、カニと戯れ損ねた私は、海岸でロケットの打ち上げを待って泣き濡れるのであった。

 ああ、仕事をしなくては。明日は打ち上げ前日、のはず。

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2006.11.27

反省の弁を掲載する

 お約束通り、以下反省の弁を。

 私はかなり激高しやすい性質であり、「怒っても解決にはつながらない」時に怒りをぶつける文章を書いてしまう傾向がある。これは以前より自覚している。

 メディアの役割の一つに真実の暴露と、それによる現状の改善を期すというものがある。必要なのは事実の積み重ねであり、私が行わねばならないのは「事実の読み方の提示」だ。ところが時として、これが怒りを感じさせる文章となってしまう。

 もちろん、きちんと書かねばならないことは、書かなければならない。情で事実を隠蔽するのはもっての他だ。それでも、むやみやたらと私が悲憤慷慨して、事態が改善されるものではないことは肝に銘じなくてはならない。

 大切なのは「現状の改善」であり、個人的な怒りをぶつけることでも誰かを貶めることでもない。

 以上、自省のための備忘録として。

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2006.08.17

盛夏を過ごす

 12日はコミケット70の2日目。私は友人のILMA Expressで売り子。売れ行き盛況でコミケを楽しむ。メカ・ミリタリー系の知人達も、それぞれ成果を挙げた模様。

 今回は沖さんズのおうやん氏が、愛知からクーペ360で参加。駐車場でかなりの注目を浴びていたようだ。午後2時頃、大雨が降ってきたので自動車を保護するために大急ぎで撤収していったそうな。彼らの「クーペ360マガジン」は今回で終刊とのこと。今後はウェブに活動の舞台を移すという。ごくろうさまでした。

 風虎通信からは「宇宙の傑作機10 アポロ誘導コンピューター」(水城徹著)と「世界の競争自動車2 シャパラル2D/2F」(浜田一穂著)が出た。「アポロ誘導コンピューター」は、アポロ宇宙船を月に送り込んだ組込型コンピューターに関する本格的解説書。宇宙開発ファン必読。多分、またくだん書房で入手可能になると思います。ですよね、高橋さん。
 「シャパラル2D/2F」は、1960年代に光芒を放った革新的レーシングカーの本。おお、シャパラルかっこエエ。

 Yahoo!ムービーズのゲド戦記評は、星2つから星4つまでの様々な評価が出そろってきた。相変わらず、夜の一定の時間帯に内容のない星5つ評価が集中して投稿されてはいるが、自分なりの正直な評価を書き込む人が増えているようである。その結果の平均星2.3というのは、意外に正確な評価ではないかと思う。

 最近の星5つは、関係者というよりも、無意味な書き込みで場を混乱させることで自己顕示欲を満足させたい困ったチャンという気がする。

 映画「ゲド戦記」に対する原作者、アーシュラ・K・ル=グウィンのコメントが公開された。さっそくネット上には翻訳がアップされている。どなたの手によるものか、日本語で読めるのはとてもありがたい。

 この手の文章は、1)誤解を防ぐための状況に関する説明、2)本音による意見表明、3)本音の厳しさを緩和するためのフォロー——というフォーマットで記述されるのが普通だ。そう考えると、原作者は映画「ゲド戦記」に対して激怒しているといって良いといいだろう。
 ちなみに宮崎吾朗監督日記には、ル=グウィンの前で行った試写についての記述がある。


そのパーティーの最後のお別れの挨拶のとき、
自分からル=グウィンさんに映画の感想を求めました。
これだけはきちんと聞いておかなければと思ったからです。

彼女は短く答えてくれました。
「It is not my book.
It is your film.
It is a good film.」
と。

彼女としては、本当はたくさんおっしゃりたいことが
あったのではないかと思うのですが、
それでも温かい笑顔とともに下さった言葉です。

この短い言葉を素直に、
心から感謝して頂戴したいと、思ったのでした。


 確かに英語によほど堪能でないと、相手が言葉に込めたニュアンスを読み取るのは難しいことだが、これはまた随分とナイーブに受け取ってしまったものだな、と思う。

 その後、お盆の時期を、仕事をしつつ、小学校1年生の甥と遊んで過ごす。好奇心が勝ったエネルギーが有り余っている子供と、一緒に犬の散歩に行き、一緒に工作し、一緒にスイカを食べ、一緒に川で遊び、一緒に温泉に浸かり、一緒に新江ノ島水族館に行き、一緒にモノレールに乗る。

 訳もなく腕を振り回してスキップをする甥と遊んでいると、自分の中で眠っていた感覚が蘇ってくる。

 そうだった、俺も小学生の頃の夏休みはこうだったな。

 ああっ、仕事が終わらない。

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2006.08.06

広島に黙祷する

 今年は広島に行ったこともあり、朝から広島の原爆の日式典をテレビで観ている。61年前の今日、午前8時15分、アインシュタインの手紙に始まり、アメリカが科学と財力の限りを尽くして完成させた原子爆弾が、トルーマン大統領の指示の元、ティベッツ機長率いるボーイングB29爆撃機「エノラ・ゲイ」によって、広島に投下された。

 かくして現出した地獄絵図の余波は、今も続いている。

 式典の音楽や、広島市長のあいさつなど、色々感じるところはあれど、今日は私も黙祷する。

 もちろん、「過ちを繰り返さないのは誰だ?」と考えつつ。

 式典に関して一つだけ言うと、そろそろ誰か有能な作曲家が式典用の実用音楽としての鎮魂音楽をもう一度作曲すべき時期ではないだろうか。
 コンサート用音楽としては、ペンデレツキの「広島の犠牲に捧げる哀歌」(これは作曲後に後から付けた題名で、曲と広島には内的関連は一切ないだそうだが)があり、大木正夫の「カンタータ 人間を返せ」「交響曲5番」があり、もっと若い世代では細川俊夫「ヒロシマ・レクイエム」があるが、どれも式典で使える音楽ではない。
 真の式典用音楽の作曲は、己の主張を押し出せばいいコンサート用音楽よりもずっと難しい。そろそろ、今後100年200年のために、誰かが新たに曲を書いていい時期に来ていると思うのだが。

 私見を述べるなら、2発の原爆投下について、アメリカ、特にトルーマン大統領は人道に関し、真っ黒の有罪であると思う。そこに至るまでの大日本帝国指導部の政策的な稚拙さと甘さもさりながら、爆弾一発の放射線と熱線で、赤ん坊から老人に至るまでの非戦闘員を10万人単位で焼き殺し、生き延びた人にその後60年以上も続く後遺症を残したということが、人道に対して有罪でないと考えるほうがおかしい。

 免罪があるとするなら、原子爆弾がそれほどのものだと、完成するまで誰も、それこそ開発に携わった科学者らですら、思いもしなかったということの一点のみだろう。人間の想像力は悲しいほど限定されている。

 ハリー・トルーマンという一人の人間の行為から学ぶことがあるとするなら、「自分が同じ立場に置かれたらどうするか」をよくよく考えることしかないだろう。
 自分の国の若者は、今日も星条旗の下、太平洋の戦場で死につつある。なにやらソ連では先代の大統領が結んだ密約に基づいて、スターリンが戦後地図を睨んで兵を動かしそうな雰囲気だ。そして手中には決定的かつ最終的解決をもたらしてくれそうな強力な爆弾が2発。
 この状況で、現在交戦中の敵国の一地方、見たこともない知らない土地に住む、人種も違う、赤ん坊から老人に至るまでの人々の日々の生活に、あなたなら思いを致すことができるだろうか。
 それが、想像力を持つということなのだ。

 広島と原爆を巡るCDを2枚紹介する。最初は芥川也寸志がただ一曲だけ残したオペラ「ヒロシマのオルフェ」。1960年に「暗い鏡」という題名で初演され、その後の改訂を経て1967年に「ヒロシマのオルフェ」という名前の決定版となった。
 脚本は大江健三郎。顔にケロイドを持つ若者が、娼婦から不思議な鏡を受け取り、鏡に映る己の姿を通じて希望と絶望を経験するという象徴的なストーリーだ。
 音楽は芥川特有の切れの良さと、表現主義的な暗さが見事にマッチした傑作である。
 音楽では、全体のバランスを取るためにどこかに明るい部分があったほうが良いが、原爆を題材にすると、明るい曲調を埋め込むことが極端に難しくなる。芥川も非常に苦労したようで改訂にあたっては全曲中唯一明るい曲調の第3幕「未来の夢、春の花、光の子供達」を全面的に書き直している。

 

 広島で被爆した詩人原民喜の詩に、林光が曲を付けた混声合唱曲「原爆小景」。1曲目の「水ヲ下サイ」は1958年に発表され、高い評価を受けたが、作曲者はその後をどうしても書き継ぐことができなかった。当初構想では、この後に「永遠のみどり」を書いて2曲で完結することになっていたが、どうしても書けなかったのだという。想像するに、林もまた芥川と同様に、明るい曲調を書きあぐねたのではないだろうか。
 結局、14年後の1971年になってより激越な曲調の第2曲「日ノ暮レチカク」と第3曲「夜」が書き足され、最後の「永遠のみどり」を書いて全曲が完結したのは、実に第1曲から44年を経た2001年になってからのことだった。
 林光へのインタビューによると、作曲にあたっては岩城宏之の要請があったそうだ。これもまた、岩城宏之という希代のキャラクターがあって、この世に生まれた曲なのである。
 背筋を伸ばして聴くしかない、林光一世一代、一期一会の作だと思う。