21 posts categorized "文化・芸術"

2010.06.28

pixivに投稿されたはやぶさたち

 「はやぶさ」は日本で本格的なネット普及が始まった後の2003年打ち上げということもあり、ネットで一般が盛り上がり、熱狂した最初の探査機となった。2005年11月の小惑星イトカワへの着陸の時には、有名になった「おつかいできた」を初めとして様々なイラストがネットで公開されたことは記憶に新しい。

 pixivというサイトがある。プロ、アマを問わずイラストレーターやマンガ家が集まって、自作を公開する場だ。登録制で、大きなイラストを見るためには登録を行う必要があるが、縮小された画像ファイルで絵の概要を見ることは、登録なしでもできる。

 ここではやぶさと検索すると、なんと985件も見つかる。毎日数枚ずつ登録は増えており、数日中に1000件に到達するだろう。この中には鉄道の「はやぶさ」(ブルートレインや新幹線)も入っているのだが、かなりの部分は小惑星探査機の「はやぶさ」だ。
 小惑星探査機はやぶさでの登録は43件。「はやぶさ」「小惑星探査機はやぶさ」で重なって登録してあるイラストもある。このあたりはかなり緩い。

 もちろんというべきか、「おつかいできた」も作者の手によって登録されている。

 やはりというか、擬人化したイラストが多い。男の子女の子、子供からグラマーまで、さまざまな「はやぶさタン」が描かれている。

 私が気に入ったのはこの一枚。


 帰還時のはやぶさの輝きが、適度に様式化され、その下を老若男女が走っていく。童画風でもあるし、モスクワの宇宙飛行士記念博物館外壁のレリーフを思い起こさせもする。確かにはやぶさは、こんなミッションだったなと思うのだ。

P1030410 モスクワの宇宙飛行士記念博物館。てっぺんにロケットの造形を載せたモニュメントで根本部分が記念博物館になっている。

P1030404
外壁のレリーフ。右から、科学者が計算し、技術者が設計し、労働者が建造し、そして宇宙飛行士が搭乗して飛び立つ、という内容になっている。

 気に入ったので、自分のパソコンの壁紙に設定してみた。

 ちなみにpixivを、川口淳一郎で検索してみると…愛されているのが、探査機のみではないことが分かる。


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2009.07.20

コンサート:101年目からの松平頼則 II

 7月16日木曜日、表題のコンサートに行ってきた。去年のコンサート「101年目からの松平頼則 I」に続くもの。いやもうなんというか、とにかく面白かった。

 松平頼則(まつだいら・よりつね、1907-2001)については、去年の演奏会についての記事で書いた通り。20世紀初頭に生まれ、文字通り“松平的”としか形容のしようのないオンリーワンの音楽を精力的に書き続け、94歳の天寿を全うした作曲家だ。私の尊敬する作曲家の一人である。

 昨年から音楽評論家の石塚潤一氏が、この「101年目からの松平頼則」という音楽会のシリーズを立ち上げた。今回はその第2回目。松平の作風は1951〜52年前後を境に、フランス風の和声を駆使した新古典的なものから、雅楽と12音技法を結合した前衛的なものに2分することができる。今回のコンサートは前期からの室内楽3曲、後期から独奏曲と大規模室内楽を各1曲というもの。



101年目からの松平頼則 II
日本音楽史上の奇蹟・松平頼則再び 〜大編成室内楽作品を交えて〜

2009年7月16日(木) 19:15 開演 (18:45 開場)
杉並公会堂 小ホール (荻窪駅北口徒歩7分)
全席自由:前売り3000円、当日3500円

主催:<101年目からの松平頼則>実行委員会
後援:上野学園大学
協賛:<東京の夏>音楽祭 SONIC ARTS
助成:財団法人 野村国際文化財団 財団法人 ローム ミュージック ファンデーション

プログラム


  • 「セロ(チェロ)・ソナタ」(1942/47)
    多井智紀(vc)、萩森英明(pf)

  • 「フルート・バスーン・ピアノのためのトリオ」(1950)
    木ノ脇道元(fl)、塚原里江(fg)、井上郷子(pf)

  • 「弦楽4重奏曲第1番」(1949)
    甲斐史子(vn)、亀井庸州(vn)、生野正樹(va)、多井智紀(vc)

  • 「3つの律旋法によるピアノのための即興曲」(「律旋法によるピアノのための3つの調子」)(1987/91)
    井上郷子(pf)

  • 「雅楽の主題による10楽器のためのラプソディ」(1982)
    木ノ脇道元(fl)、宮村和宏(ob)、中秀仁(cl)、塚原里江(fg)、川崎翔子(pf)、甲斐史子(vn)、亀井庸州(vn)、生野正樹(va)、多井智紀(vc)、溝入敬三(cb)、石川星太郎(cond)

 今回のコンサートの曲目解説はこちらで読むことができる

 松平は、戦後すぐから清瀬保二などの仲間と共に新作曲派協会という作曲家の団体を組織し、その演奏会で、次々に室内楽を発表していく。
 新作曲派協会というのは、清瀬保二、伊福部昭、松平頼則、渡辺浦人、塚谷晃弘、荻原利次といった、音楽学校(現在の東響芸大)とは無関係に自学自習で作曲家になったメンバーが集まって結成した作曲家グループ。後に若き日の武満徹も親友の鈴木博義と共に加入している。武満のデビュー作「2つのレント」は新作曲派協会第7回作品発表会(1950年12月)で、初演されている。

 今回のコンサートで演奏された、「チェロソナタ」「トリオ」「弦楽四重奏曲1番」という新古典的な作風の3曲は、すべて新作曲派協会演奏会で初演されたもの。

 チェロソナタは(新作曲派協会第1回作品展で初演)は、昨年の第1回で演奏された「フリュートとピアノのためのソナチネ」と同様の、瑞々しさを感じさせる曲。とはいえ、初演時に作曲者は40歳になっている。松平特有の増4度音程で調性をあいまいにされた和音の使用が目立ち始めている。

 フルート・バスーン・ピアノのためのトリオ(新作曲派協会第6回作品展で初演)は、フランス流の流麗な和声と自己主張とを完璧に折り合いを付けて作品に仕上げている。大変に洒脱な曲で、あえて影響というならばフランシス・プーランクに似ていると言えないでもない。

 そして、この日一番面白かったのが、弦楽四重奏曲1番(新作曲派協会第4回発表会で初演)。曲目解説では「ラヴェルの弦楽4重奏曲という鋳型の中に自分の表現を流し込もうとした」と書いているが、まさにその通り。モーリス・ラヴェルの弦楽四重奏曲と同じ4楽章構成というのみならず、音楽のかなり細かいところまでがラヴェルに対する換骨奪胎になっている。特に第1楽章と第4楽章は、細かいフレーズの繰り返しや、緩急の付け方とか、主和音への持って行き方とかで、ふわっとラヴェルの曲そっくりの雰囲気が流れたりするのだ。ビートルズに対するラトルズというか、マイケル・ジャクソンに対するアル・ヤンコビックというか。

 それは、一面では単なる真似やパロディになってしまう危険性もある行き方だが、結果としてこの時期の松平の個性が、ラヴェルの陰影を伴って現れるというか、なんとも形容のし難い絶妙のハイブリッドとして立ち現れる曲となっている。
 第2楽章は、4人の奏者が違う調性で多声音楽を展開する、多分にダリウス・ミヨーの影響を感じさせるもの。雅楽の越天楽を主題とし、ポルタメントを多用する第3楽章は、後の彼の雅楽と前衛技法との結合を予告するかのような、非常に面白い音楽に仕上がっている。

 ちょっと残念だったのは、演奏の4人が今回のためにアンサンブルを組んだメンバーであったこと。常設でカルテットを組んでいるメンバーだったら、もっと相互に緊密な演奏をしてくれたろう。

 ここからは、松平が前衛的技法を採用して、より抽象的な作風へと転じていってからの2曲。

 「3つの律旋法によるピアノのための即興曲」は、昨年のコンサートで演奏された「呂旋法によるピアノのための3つの調子」と対になる作品とのこと。「呂旋法によるピアノのための3つの調子」が、前衛の極北のような厳しい響きだったのに対して、こちらは、アクセントや長音で強調される音を追っていくと、無調的な十二音の響きの中から雅楽の旋律が立ち上ってくる。

 最後の「雅楽の主題による10楽器のためのラプソディ」は、私としては始めて聴く松平の大規模室内楽。舞台中央にピアノ、右側に弦楽五重奏。左側に左端からフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットと並ぶ。
 曲は雅楽「輪鼓褌脱」による。序奏と12の変奏曲、終曲という構成。各セクションごとに編成が変わる。ある部分は右側の弦楽五重奏のみ、ある部分はピアノと左側の木管のみ。フルートとクラリネットのみになったり、オーボエとファゴット、弦楽のみになったりと変化していく。

 複雑な連符でぽんぽんと音が大きな音程で跳躍する様は、極めて現代音楽的だが、結果として出てくる音楽は、雅楽的で、かつ松平的としかいいようのない個性的なものになっている。音楽を貫くすべての時間、全ての瞬間に濁りがなく、透明な水晶のような印象を与える。本当に素晴らしい。

 作曲者が94歳の長寿を全うしてから8年、生誕から数えれば102年になるにも関わらず、彼の音楽の一般における受容は進んでいるとはいえない。

 松平頼則という人は、それこそ歴史が始まって以来誰も思い描かなかったであろう“松平的”としか形容のしようがない音楽をエネルギッシュに量産し、そして天寿を全うした。

 こういう人は、もっと評価され、尊敬されてしかるべきだと強く思う。願わくばこの「101年目からの松平頼則」のコンサートが、「III」「IV」「V」と続かんことを。


 最後に、前回のコンサートの記事でも掲載した、松平頼則関連の資料を。

 まず石塚潤一氏の文章。

 残念ながら、この1年間で、松平の作品は1枚もCDが出ていない。今回も松平の音楽の入門用の紹介するのは、ナクソスの「日本作曲家選輯」に収録されたこの1枚ということになる。
 松平にとって音楽作法の転回点になった「ピアノとオーケストラのための主題と変奏」、そして雅楽と十二音技法を結びつけた代表作の「右舞」「左舞」が収録されている。
 「主題と変奏」はフランス風の和声を駆使した美しい音楽から、尖った前衛的音楽へと傾斜していく過程の曲。第5変奏では「越天楽」のメロディがブギウギのリズムで演奏される。越天楽からフランス風の優美な和声、ブギウギから十二音技法までというごちゃごちゃさ加減がなんとも面白い曲。実は指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンが演奏した、唯一の邦人作曲家の作品でもある。
 「右舞」「左舞」「ダンス・サクレとダンス・フィナル」は十二音技法の厳しい音が続く曲だが、音楽の基本形状が雅楽なので、前衛音楽という意識を持たずに気楽に聴くことができる。

 ナクソスは、音楽のネット販売にも積極的であり、このアルバムもiTunes Music Storeで購入することができる。

Matsudaira Bugaku Dance Suite:iTMSへのリンク
 こちらは900円とCDよりも安いし、試聴することもできる。

 今回、帰宅後に手元の蔵書「日本の作曲家たち」(秋山邦晴著・音楽之友社1978年)の松平頼則の章を読み直した。すると、秋山が「今の自分には、新古典期の松平の曲に触れようもないが」としつつ、「ピアノとオルケストルの為の変奏曲」(1939年)に対する早坂文雄の批評を引用していた。

 30年前の作曲者70歳の時点では、武満・湯浅譲二などの盟友だった秋山にして、松平の前半生の作品を聴くことすら敵わなかったのだ。

 私は昨年4月、オーケストラ・ニッポニカの演奏会で、この曲の実演を聴くことができた(ちなみにCDは、かつてフォンテックから芥川也寸志指揮、新交響楽団の演奏が出ていた。現在は残念ながら入手できない)。

 そして、去年と今年の石塚氏によるコンサート!

 ほんの少しずつではあるけれども、松平頼則と彼の音楽を巡る状況は良くなって来つつあるのかも知れない。

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2009.06.23

訂正:MMDオリジナル振り付けについて

 訂正です。

 前回「MMDから新しいダンスの振り付けが生まれ、「踊ってみた」というビデオがアップされる状況になっていない。」と書いたが、これは事実誤認だった。

 コメント欄でcocoonPさんから指摘され、確認したのだが、まず「MMDから新しいダンスの振り付けが生まれ」という部分は、オリジナルの振り付けがかなりの数、投稿されている。MMD振り付けというタグが、オリジナルの振り付けを探す鍵だった。

 「『踊ってみた』というビデオがアップされる状況」については、まだきちんと探せてはいないのだが、いくつかMMDで発表された振り付けを実際に踊った例を確認した。

 私の事実誤認である。

 何が間抜けって、MMD杯の動画をチェックしている時に、この動画もちゃんと観ていたのだ。

 ところがLove and Joy関連の動画を追っかけているうちにすっかり記憶から抜け落ちしてしまっていたのであった。我ながら全くもって情けない。

 cocoonPさんのコメントには、「実際にモーションを作っているMMD界隈の仲間たちが、あなたのこのエントリを見て悲しんだり怒ったりしている」とあるが、もしもそのような方がおられるなら、大変申し訳ありませんでした。

 なぜこういうことになったかを考えてみるに、「音を扱う音楽=ミクオリジナル曲と、体の動きを扱う振り付け=MMDによるオリジナル舞踏との間に、なにか人間の側の情報処理の仕組みに大きな違いがあるのではないか」ということを考えていたからだろう。

 ラマチャンドランによる幻肢痛の治療に見るように、「自分で、自分の体を『これは自分のものである』と認識するメカニズム」は、なかなか一筋縄ではいかないものだ。新たな振り付けの創造にあたっては、そこに「自己の肉体を自己として認識する仕組み」が大きく影響しているのだろう。

 ボーカロイドは、「歌う」という行為を仮想化してパソコン上で(ある程度の精度で、ではあるが)再現することに成功し、その結果ボーカロイドによるオリジナル曲がアップされ、さらに「歌ってみた」という形で現実の歌声に遡上するという現象が起きた。

 では、MMDは「踊る」という行為を仮想化してパソコン上で再現することに成功しているのか。その結果オリジナルの振り付けがアップされ、さらに「踊ってみた」という形で現実の舞踏に遡上しているのか?

 そこで、「人体における歌声と舞踏との自己認識が異なるなら、現象として違うことが起きているのではないか」というのが、私の作業仮説だったのだ。ところが、Love and Joy関連の動画を追っかけているうちに、「違っているに違いない」という先入観に陥ってしまったようである。
 そこには、自分がMMDをいじったときに手こずった経験も投影されているようだ。実際、自分でやってみるとミクが思っていたように動いてくれなくて、ずいぶんと苦労した。

 ただ、ここまで短時間でざっと見ただけなのだが、確かにMMDによる投稿は、ボーカロイド曲の投稿に比べて数が少ない。そして「歌ってみた」と「踊ってみた」を比べると、「踊ってみた」はずっと少ない。

どのタグで比較するかによるのだが——
2009年6月24日時点で、


  • 初音ミク:50,319件
  • MikuMikuDance:5,544件
  • 歌ってみた:128,738件
  • 踊ってみた:16,209件
  • ミクオリジナル曲:1,036件
  • MMD:221件

 だいたい規模として、1/10から1/5程度と判断していいようだ。大まかに言って「桁が違う」わけである。

 これが、cocoonPさんの指摘したような敷居の高さのせいなのか、それとも私が考えていたような「人間の自己認識の仕組みの違い」のせいなのかは、現状ではなんともいえない。そもそも「自己認識の仕組みが違うから敷居が高くなる」のかもしれないし——これ以上は、別の切り口のデータが必要になるだろう。例えば、ミクを使ってDAWで作曲している時と、MMDで新しい動きを考えている時にそれぞれ脳波の多点計測をするとか。

 「歌と踊り」とまとめられることも多いし、実際これらは切り離しがたいものではあるのだが、このような差異が存在する。それもニコニコ動画ではっきりと見えてくる。その差が、私にとって面白かったのだけれど、でも、先入観で事実を誤っては話にならない。反省しきりだ。

 罪滅ぼしの意味も込めて、ラジPによるオリジナルの振り付けをいくつか紹介する。これは手練れの作品だ。なかなかMMDでこうは動かせない。



 ラマチャンドランが、自らの研究を一般向けに解説した本。人間の脳が、自分や世界をどのようにして認識しているかを、彼は独創的な数々の実験を通じて明らかにしてきた。ものすごく面白く、かつエキサイティングである。読んでない人は是非とも読むべき名著だと思う。

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2009.06.15

アイマスMadふたたび

 前回ニコ動のアイマスMadを紹介したのはいつだっけ、と調べてみると、昨年の大晦日だった。

 というわけで以下はこの5ヶ月半ほどの間に見つけてブックマークしておいたアイマスMadを紹介する。


 フェリーニPの作品。この半年ほどで一番気に入ったアイマスMadである。キャラクター達とロイ・リキテンスタインのポップ・アートの組み合わせが意表を突く面白さを生み出している。音楽の選択もぴったりだ。


 同じくフェリーニPによる、同じ「ドゥーピータイム」を使った作品。キャラクターらによるファッションショーという趣向で、これまたなかなか。


 「im@sclassic」からは、まずmoguPの作品。繊細で美しい映像だ。冨田勲の「月の光」でアイマスキャラのひとり、水瀬伊織が幻想的に踊る。


 我が道を行くカルミナPの新作は、なんと三善晃の吹奏楽曲だった。複雑なリズムの曲に、三色の衣裳をコーディネートしたセンスが光る。


 つかさPの作品。これもなんでこの程度の再生数に留まっているのか良く分からない傑作。1980年代のミュージックビデオを思わせるストーリーを伴う映像だ。


 同じくつかさPのこれまた素晴らしく切れの良い映像だ。再生数が伸びているのは「 音m@s撫子ロック祭」というイベント合わせの作品だかららしいが、それとは関係なく大変優れた演出だと思う。


 もう一本、「 音m@s撫子ロック祭」の参加作品から。wacわくPの作品。同じ曲を使っても、これだけ異なる映像に仕上がるという例。シルエットを使ってほどよく抽象化された美を展開する。


 ナオキPによるこの作品は、大分以前に投稿されアイマスMadの世界では傑作と評価されていたそうだが、私は最近まで知らなかった。スローモーションを多用する独特の映像美学の持ち主だ。

 色々とアイマスMadを漁って思うのだが、投稿された作品の質と再生数はある程度関係するものの、基本的には別らしい。「なんでこんなに素晴らしい作品が」と思うものが、再生数が伸びていなかったりする。
 再生数は話題になったかどうかのバロメーターなのだろう。つまり話題になってわっと再生が伸びるということと、作品として優れているかどうかは、あまり強く相関していない。

 これは大変にもったいない話だ。ニコニコ動画は「みんなが見ているものを見る」のではなく、「優れたものを自分で探す」という態度でいれば、非常に素晴らしい作品に出会える場所なのだから。



 最後にネタ動画を。「家具の音楽」として有名なサティの「ヴェクサシオン」に、実にそれっぽい動画をつけたもの。さあ、これを840回繰り返して聞いてみよう。私はイヤだけれども。

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2008.12.31

アイマスMadに魅せられて

 昨日NHKで高専ロボコン全国大会を見た。
 NHKの腐敗もここまできたか。

 鹿児島高専が「篤姫」ネタで来たからといって、それに10分以上の時間を割き、あまつさえ本編の映像まで流すとは。ここはいくら「宣伝になる!」と算盤を弾いたとしても、さらりと流すのが公共放送の矜持だろう。

 そして、ゲストが全員邪魔。私は高専生と彼らの作ったロボットとその戦いが見たいのであって、稲垣吾郎がマスタ・スレーブに驚く様を見たいのではない。全試合バージョンを、新年1月2日の午前10時15分〜午前11時44分でBS-2で放送するとのこと。ゲストの出演を切れば、全試合を地上波で放送できたろうに。

 年末に紅白歌合戦などを見るよりもニコニコ動画で過ごした方が数等ましというものだろう(結局それかい)。以下、というわけで、初音ミクを離れて「アイマスMad」の話。

 ニコニコ動画の三大勢力は、初音ミク以下のボーカロイドに「アイドルマスター」、そして「東方」なんだそうだ。東方というのは、一連の「東方●●」という名前の同人シューティングゲームで、その音楽が格好良いということで追従者を生み、一連の「東方系」と呼ばれる音楽ジャンルを形成したらしい。「…らしい」というのは、私はあまり東方系の音楽がピンとこないので、きちんと聴いていないのだ。

 そして「アイドルマスター(THE IDOLM@STER:通称“アイマス[im@s]”)」はナムコ(現バンダイナムコ)の開発したゲームで現在はXBOX360用に販売されている。音楽プロデューサーになって女の子キャラクターを一流アイドルに育てるという育成ゲーム。
 特筆すべきは、3Dグラフィックスで踊る女の子達が、いわゆる「不気味の谷」をうまい具合にごまかして、それっぽく、かわいく見えること。そこで、ゲームマシンからの画像をパソコンでキャプチャーして、あれこれ加工して別の意味を与えた「Madビデオ」がニコニコ動画に氾濫し、現在に至るというわけだ。

 この「アイマスMad」達、もちろん玉石混淆なのだが、選んでみていくとアマチュアとは思えないほどの高品位の映像作品が見つかったりもする。私の場合は、「im@sclassic」というタグを見つけたことが、この世界に踏み込むきっかけだった。


 「im@sclassic」タグから、このカルミナPの作品を見つけたのだった。正直、独自の美意識を貫徹した出来映えにびっくりした。ラヴェルの「クープランの墓」から他の5曲ではなく「トッカータ」を選んだ選曲眼から始まり、ビデオ編集で独自の映像美を生み出しているところとか、後半の音楽の使い方など、どこから見てもこれはパロティ系のMadというよりも“作品”と呼ぶに相応しい。
 

 カルミナPの名前の由来は、初期にカール・オルフのカンタータ「カルミナ・ブラーナ」の曲を使った作品をまとめて投稿していたことらしい。この作品も、なんとも表現に困る面白さがある。朗々と歌い上げるフィッシャー=ディースカウの声が、かくもぴったりと踊る女の子達の映像がはまるとは。


 カルミナPの場合、選曲も渋いというか、「よくこれを選ぶ!」と感嘆することが多い。これもそうでバルトークのバレエ音楽「中国の不思議な役人」(Wikipedia)を使っている。このバレエが、どんな筋かを知った上でこのビデオを見ると、音楽と映像との落差にくらくら来る。


 これまた無茶苦茶渋い選曲。そして音楽と映像が見事にマッチしている。

 カルミナPの作品で味をしめた私は、せっせとアイマスMadを発掘することになったのだった。もちろん再生数はあてにならない。信じるは己の感性と勘のみだ。自分が面白いと思うものを、タグや本人説明などのちょっとした手がかりで探し始めたのである。


 ごく普通のアイマスMadは好きな音楽に合わせてお気に入りのキャラクターの踊る映像を組み合わせるというもの。これは正統派の作品だと思うが、ビデオ映像の作り込みが半端ではない。「世の中にはセンスのある人がいるんだなあ」と、感嘆しつつ「俺にはできねえ」と自分の卑小さにがっくりくる動画ではある。


 うはは、こんなものまであるとは。なんだか子供の頃に戻って「シャボン玉ホリデー」を白黒テレビで観ている気分になってくる。オリジナルの映画は筋としては大して面白くなかったが、空撮まで使った大がかりな映像と、ラストの円谷英二が指揮したという大爆発シーンが印象的だった。
 この森江春策Pは、どうやら推理作家の芦辺拓氏らしい。50歳を過ぎてアイマスMad作成でニコニコ動画生活とは、なんとも若々しい。


 いやもう、この堂々たるレトロっぷりは素晴らしいの一言に尽きる。


 もうひとつレトロ路線で。画用紙に柔らかめの鉛筆で書かれたと思しきイラストに独自の味わいがある。アストロPはレトロ一辺倒というわけではないのだけれど、妙な雰囲気のある作品を次々に投稿している。


 同じくアストロPの作品。ストラヴィンスキーの「春の祭典」。大混乱を引き起こした1913年の初演時に、ニジンスキーが付けた振り付けの再現映像と組み合わせるとは…良い意味であきれてしまう。


 一方で、これだからなあ。掛け値なしで、紅白歌合戦よりも面白いと思うぞ。


 コンロン・ナンカロウの一発アイデアの傑作「習作21番」にその通りの映像をつけた作品。
 これはちょっと説明の必要があるだろう。コンロン・ナンカロウは20世紀アメリカの作曲家だが、共産主義者だったことが災いし、アメリカを出てメキシコに住まざるを得なくなった。メキシコに住み着いた時、彼の手元にあったのは、ロール紙に空けた穴の通りに演奏する自動ピアノだけだった。
 ところが彼はそれを逆手にとって、「人間ではとても演奏できない、自動ピアノでしか演奏できない音楽」を作り始める。「習作21番」はその代表作。基本的に上声下声の2声部から成るポリフォニーなのだけれど、上声部と下声部のテンポが異なっている。上声部は無茶苦茶な速さから徐々に徐々にテンポがゆっくりになっていき、下声部はゆっくりとしたテンポから徐々に速くなっていく。曲の真ん中で2つのテンポは交差し、最後で上声部はゆっくりに、下声部は滅茶苦茶に速いテンポとなって終わる。
 アイドルマスターには亜美と真美という一卵性双生児のキャラクターが出てくるが、この作品は、2人のダンスをそれぞれ、スローモーションから高速再生に、逆に高速再生からスローモーションにと加工して、「習作21番」と組み合わせているというわけ。
 確かに「習作21番」を知っていれば、割と思いつきやすいアイデアだとは思うけれども、それにしても本当にやってしまうとは…

 というわけで当blogの2008年は(NHKのロボコン番組より面白い)ニコニコ動画とアイドルマスターで終わるのだった。

 皆様、良いお年を。2009年も引き続き当blogをよろしくお願いいたします。

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2008.11.01

超(手短)バッハ入門(偏りあり)

 ちょっと反省する。

 いきなり「フーガの技法」を薦めたのは敷居が高かったか、と。

 思い出せば自分のバッハ体験も、ごく当たり前に中学時代に聴いた「G線上のアリア」と「メヌエット」から始まっている。

 「G線上のアリア」は管弦楽組曲3番の第2曲「エア」に基づいている。なぜそれが「G線上のアリア」と呼ばれるようになったかは、G線上のアリアの知識を読んでもらいたい。実際、クラシック関係は熱心な方が詳細なホームページを作成している。
 著作権もとっくの昔に存在しない曲なので、MIDIファイルも多数ネット上に存在している。例えばこのオルゴール編曲とか。

 とても良い曲。いきなり「フーガの技法」を聴くよりも、まずはここから始めた方がいいのかも。

 「メヌエット」は、バッハが2番目の妻アンナのために書いた曲集「アンナ・マクダレーナ・バッハのためのクラヴィーア曲集」に収録された小品。こちらは「ラヴァーズ・コンチェルト」という題でポピュラー編曲が出たことで一気に一般化した。詳細はこちらを読むこと。
 もちろん、クラシックマニアとしては「どこがコンチェルト(協奏曲)やねん!」と突っ込みを入れねばならない。

 その次に、「トッカータとフーガニ短調」に引っかからなかったのが、自分の幸運だったのかも知れない。この曲はオリジナルはオルガン曲だが、指揮者のレオポルド・ストコフスキーが、派手なオーケストラ編曲を施してあちこちで演奏し、さらにディズニーのアニメーション映画「ファンタジア」に採用されることで、一気に人々の間で広がった。
 日本では「トッカータ」冒頭部分が、劇的な変化が起きる場合の劇伴として使われ、今や多くの人が嘉門達夫の「鼻から牛乳」の「鼻から牛乳」というフレーズのあの音楽ね、と記憶しているという状態となっている。

 が、思うにこの曲、バッハの代表作とは言い難い。トッカータは派手だががっちりとした構成を好むバッハ本来のありようではないし、続くフーガ(ちゃんとここまで聴いたことのある人、どれぐらいいる?)は、正直なところバッハが書いた数々のフーガの中では凡庸の類に入る。

 「ちゃらり〜、鼻から牛乳〜」で、バッハ体験が終わってしまっている人は、大変不幸であると思うのだ。

 私の場合は、「G線上のアリア」と「メヌエット」の次がブランデンブルク協奏曲3番だった。中学3年の夏、FMで放送されたのをたまたまエアチェックしてハマッた。何回聞き直したか分からないほど聴いた。詳細は、こちらを読むこと。バッハが公私ともに充実していた時代の傑作である。全部で6曲あるが、中でも3番と5番は名曲の名に値する。

 高校に入ると、フルートを習いだし、そこで演奏者としてバッハの楽譜に接することになった。最初が管弦楽組曲2番、次がバッハの真作か疑わしいニ短調のフルートソナタ。こっちは真筆間違いない変ロ長調のフルートソナタと続き、ロ短調のフルートソナタと出会った。

 これは本当にショックだった。その旋律は後の時代のモーツアルトよりもハイドンよりもベートーベンよりも半音階的であり、モダンかつ陰影に富んでいた。その複雑かつ繊細な旋律が、バッハ一流の対位法によって重なり合い、絡み合いながら音楽が形作られていく。大澤さんがコメント欄で「バッハはアバンギャルドだ」と書いているけれども、まさに同じことを実感した。「どうしてこんな半音階を十分に含んだ曲を書けたのか、俺には書けないよ!」ってな感じである(当時すでに自分で作曲への試みを始めていた。今思えば無駄なことを…)。

 その後ああでもないこうでもないとバッハの半音階的な曲を漁るきっかけとなった。「インベンションとシンフォニア」のへ短調のシンフォニアとか。

 ネットとはありがたい場所であり、探せばちゃんとMIDIやらMP3のファイルが存在する。私がノックアウトされたロ短調のフルートソナタの第1楽章はこれだ。

 ちなみにへ短調のシンフォニアはこちら。グレン・グールドは「インヴェンションとシンフォニア」を独自の解釈で曲順を入れ替えて録音しているが、最後にこの曲を持ってきている。これは私からすれば、まったくもって正しい解釈に思える。

 で、同時期にNHK-FMの「現代の音楽」を聴き始めていたわけだが、そのテーマ音楽がウェーベルン編曲の「6声のリチェルカーレ」だったわけだね。

 これです、これ。(音が鳴ります。注意のこと)「は・つ・ね・み〜く〜」

 これはまた、色々と語り始めたたら止まらない曲なので、またいずれ機会があったら。

 この世には確かに、「聴かないと人生損する」という音楽が存在する。その一つは間違いなくバッハの音楽であり、それにティーンエイジャーの時に接することができた私は、随分と幸せだったのだ、と。
 まあ、思いこみかも知れないが、この年齢まで生きてきての実感でもあるのです。

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2008.10.27

ジャミロクワイと半導体娘

 この10日ほどで対照的な動画が2つ、ニコニコ動画に投稿された。


 MikuMikuDanceで、ジャミロクワイの世界的なヒット曲「Virtual Insanity」(1996)のミュージックビデオを再現したもの。「ジャミロクワイって誰?、Virtual Insanityって何?」という人も、見ればシルクハットをかぶったあんちゃんが廊下をうろちょろする映像を思い出すだろう。


 こちらは、なんと電子楽器を自分で設計し、自分で作り上げ、それでもって自分が作曲したオリジナル曲を演奏し、初音ミクに歌わせるというもの。最初から最後まで自作の精神を貫いており、自作でないのは個々の電子部品とソフトウエアとしての初音ミクだけと言っていいだろう。

 これら2つの投稿の対照性を解く鍵は、再生数にある。「MikuMikuDanceでVirtual Insanity」はどんどん再生数が伸びて、そろそろ20万再生に届くところにまで来ているが、「自作音源で自作曲を演奏してみた/半導体娘計画【新番組】」は今のところ2万半ばのあたりだ。

 この差は、ニコニコ動画ユーザーが、あらかじめ内容についての情報を与えられているか否かによるものである。

 「Virtual Insanity」は音楽産業の周到なプロモーションによって作り上げられたヒット曲だった。質の高い楽曲と歌い手、さらには贅を尽くして作り上げたミュージックビデオを用意し、それらを様々なメディアで繰り返し一般聴衆に刷り込むことで世界的なヒットを作り上げた。

 だから、ニコニコ動画のユーザーは「MikuMikuDanceでVirtual Insanity」というタイトルを見ただけで、ある程度その内容を推測することができる。ミュージックビデオの内容を覚えている人は「ああ、あれをミクが演じるわけだな」と思い、その再現度や、忠実な再現からのちょっとしたはずし方や、場合によってや似てなさ加減などを楽しむことができるなと考え、視聴し、今回の場合はその出来のすばらしさにびっくりしてマイリストに加えたり、他人に教えたりで、ますます再生数が増えていくわけだ。

 一方「自作音源で自作曲を演奏してみた/半導体娘計画【新番組】」は、ほとんどの人にとって事前にどんな内容かが分からない。「ひょっとしたらつまらないかもよ」と思った人は見ない。見た人はその内容の高度さに驚いて、「Virtual Insanity」と同様にマイリストに加えたり、他人に教えたりで再生数は伸びていくものの、その数は「Virtual Insanity」ほどではない。

 これまで、当blogで何度も書いてきたが、人間には知っていることしか知りたがらないという性質がある。知らないものは基本的に危険物であると仮定して扱ったほうが安全だからだ。その一方で、未知のものに触れたいという欲求も存在するが、それは「人間には知っていることしか知りたがらない」という性向からすれば基本的に従属物である。

 だから、知っている安全な情報を基本にして、ちょっとだけ新規要素を付け加えたものが多くの人々の耳目を集めることになる。「MikuMikuDanceでVirtual Insanity」ならば、ジャミロクワイの「Virtual Insanity」というすでに音楽産業によって人々に刷り込まれた情報を基本に、「初音ミクがミュージックビデオを再現する」という新規要素を組み込むことで再生数を伸ばしたわけだ。

 確かオペラの作曲家プッチーニが成功するオペラの作り方を問われて「大衆の半歩先を行くこと」と答えているが、構図は同じである。みんなが知っていることを基本にちょっとした新規要素を組み込むこと――大衆の一歩先に出て、新規要素ばかりですべてを構成すると、それ自身が「みんなが知っていること」となるまでの長い時間、無視や無理解と戦わねばならないことになる。

 ところで「自作音源で自作曲を演奏してみた/半導体娘計画【新番組】」もまた、「みんなが知っていること」の恩恵を受けている。

 キーワードは「初音ミク」だ。ニコニコ動画には初音ミクが一枚かんでいるというだけで、どんな投稿でも一応は視聴してみるという傾向が存在している。そして大変重要なことだが、一度視聴した情報は「知らないこと」から「知っていること」になる。何らかのおもしろさを感じて二度三度視聴すれば、それだけ投稿に込められた新規要素に馴染む機会が増え、それが素晴らしい新規要素であるならば「おお、なんと斬新で素晴らしい」と感じる人の数が増えていく。

 ニコニコ動画では「ミクだっ、初音ミクだ」というだけで、どんなに新規な情報でも人々の間で一般化する可能性がある。ミクが歌ったというだけで、ジョン・ケージの「4分33秒」が4万再生を超え、松浦某とかいう食わせ者の自作が何千再生かを記録してしまう。


 私は、ここに文化的装置としてのニコニコ動画と初音ミクの可能性を見る。


 ニコニコ動画では「神曲」という言葉が単なる「ちょっと良い曲」という意味で、割と安易に使われているが、真の意味での「神曲」、それこそ人類が滅亡に当たって宇宙に人類が存在した証としてこの宇宙に残すべきほどの情報は、いつも長い無理解の果てにやっと人々に受け入れられてきた。なぜならそれらの情報がいつも人々にとって新規な要素を十分に含んだものであったからだ。

 バッハのマタイ受難曲は、メンデルスゾーンが蘇演するまで100年以上歴史の隙間に埋もれていたし、ベートーベンの第9交響曲も初演当時は「合唱まで入ったトルコ風味の風変わりな曲」としか認識されなかった。マーラーの交響曲はワルターやスプリングハイムのような弟子達が世界各地で必死になって演奏し続けなければ一般化しなかったろうし、ストラヴィンスキーの「春の祭典」が初舞台で浴びたのは賞賛の拍手ではなく、賛否入り交じった怒号だった。
 クラシック音楽以外でもこのような例は多いのではないだろうか。絵画ならば、ゴッホやゴーギャン、ユトリロなどの例がすぐに思い出せる。

 プッチーニの言い方を借りるなら「神曲とは、いつも一歩以上先の立ち位置に現れ出るもの」なのである(もちろん「一歩先に踏み外したヤツ」も存在しうるわけなのだけれども)。


 ニコニコ動画プラス初音ミクならば、そのような新しい情報を一般が受け入れるプロセスを加速できるのではないだろうか?

 ジャミロクワイをミクでなぞるのも、自分で電子楽器を作って自作を演奏するのも、共にニコニコ動画の楽しみだ。そのことを理解して上でなおかつ、私としては「自作音源で自作曲を演奏してみた/半導体娘計画【新番組】」の行き方を応援したいな、と感じているのであった。

 もちろんこれは仮説であり、ニコニコ動画や初音ミクに対する過大評価かも知れない。それでも、ある日、バッハのマタイ級の傑作がニコニコ動画に投下され、やがて「神曲!」というコメントで画面が埋め尽くされるってのは、ちょっと見てみたくありませんか?

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2008.07.21

コンサート:「101年目からの松平頼則」

 先週の水曜日に行ってきた。

101年目からの松平頼則
2008年07月16日(19:15 開演) 杉並公会堂小ホール

第24回<東京の夏>音楽祭2008 関連公演
後援:上野学園大学
協賛:SONIC ARTS
助成:財団法人 アサヒビール芸術文化財団 財団法人 ローム・ミュージック・ファンデーション 

演奏曲目(全曲松平頼則作品):

「フリュートとピアノのためのソナチネ」(1936)
木ノ脇道元(fl)、井上郷子(pf)

「ピアノ・トリオ」(1948)
阪中美幸(vn)、 多井智紀(vc)、 萩森英明(pf)

「蘇莫者」(1961) 木ノ脇道元(fl)

「呂旋法によるピアノのための3つの調子」(1987/91 第2.3曲は独奏版世界初演)
井上郷子(pf)

「音取、品玄、入調」(1987)
木ノ脇道元(fl)、神田佳子(perc)

 素晴らしいコンサートだった。

 松平頼則(まつだいら・よりつね 1907〜2001 Wikipedia)は、特異かつオンリーワンの作曲家だった。松平の殿様の家に生まれ音楽を志す。ところが実家の破産により一転。戦中戦後と極限の貧乏生活を強いられ、その中で独自の音楽語法を磨いていく。

 初期はドビュッシーからフランス6人組、特にプーランクを思わせる美しい和声と日本民謡が融合した音楽を書いていたが、1952年の「ピアノとオーケストラのための主題と変奏」が海外で演奏されたあたりから、作風が先鋭化していく。素材は日本民謡から雅楽へと移り変わり、作風もフランス風な優美な和声から12音技法に代表される前衛的なものへと急速に変貌していった。

 ちなみに「ピアノとオーケストラのための主題と変奏」は、よく知られた雅楽「越天楽」のメロディを変奏曲に仕立てたもの。ヘルベルト・フォン・カラヤンがその生涯で演奏した唯一の邦人作品となった。

 その後最晩年に至るまで、一貫して第二次世界大戦後の前衛音楽の技術と、雅楽とを結合した、他に類のない、「これは松平の曲だ!」としか形容のしようのない作品を次々に生み出していったのである。

 この日の演目は、やわらかな和声が美しい「フリュートとピアノのためのソナチネ」から始まって、フランス風語法の集大成である「ピアノ・トリオ」、そして前衛と雅楽を結合した晩年にかけての3作品というもの。

 どの演奏も素晴らしかったが、びっくりしたのは「ピアノ・トリオ」。
 美しく、洒脱で、なおかつ風格を感じさせる大変な傑作だった。この一曲を聴けただけでも行った価値があった。雅楽と前衛に近づく以前の段階で、これだけの傑作をものにしていたのか。

 後半は、フルーティストのセヴィリーノ・ガッゼローニが世界中で演奏しまくって有名になった「蘇莫者」から。前衛の極北のような厳しい音が連続する「呂旋法によるピアノのための3つの調子」が続き、締めが一番雅楽風の音がする「音取、品玄、入調」。

 「音取、品玄、入調」が面白かった。ピッコロが雅楽の龍笛、打楽器が鞨鼓を模していくのだけれど、もちろんピッコロは雅楽の旋律を解析した12音の音列だし、打楽器は、鞨鼓のアチェレランドの連打を思わせつつも柔軟に伸び縮みするリズムをたたき出す。前衛か否かとは全く別の観点から、「とても面白い音楽」だった。

 松平は、94歳でこの世を去る直前まで日々作曲を続けた。委嘱があるわけではなく、誰かが演奏してくれるあてがあるわけでもない。それでも喜々として作曲にいそしんだという。作曲は彼にとって仕事ではなく、生きることそのものだったのだろう。

 誰に頼まれるわけでもなく、オンリーワンの超絶的な音楽をエネルギッシュに生産し続ける作曲家というプロフィールは、どこか中井紀夫「山の上の交響楽」を思わせる。

 結果として、今なお演奏されたことのない曲がかなりの数残っているのだそうで、これは是非とも今後徐々にコンサートにかけ、録音を発売してもらいたいところ。かくも特異、かつ優れた作曲家の仕事が埋もれていていいはずがない。

 松平頼則については、今回のコンサートを企画した音楽評論家の石塚潤一氏が、精力的に紹介を続けている。

松平頼則を聴いてみませんか?:松平本人とその音楽の簡単な紹介
松平頼則が残したもの同pdfファイル:2002年度 <柴田南雄音楽評論賞>奨励賞。本格的な評論。
松平頼則と総音列技法(pdfファイル):松平が使用した音楽的な技法の一端を分析している。

 作曲家、特に真に新しい音楽を書く作曲家には、理解者、紹介者が不可欠なのだろう。バッハにメンデルスゾーンがいたように。マーラーにワルターやスプリングハイムがいたように。
 石塚氏の活動から始まって、もっと松平音楽が演奏されるようになるのを心から願う。

ピアニストの野平一郎氏による追悼文:死の直前まで旺盛な意欲で作曲をしていたというエピソードが披露されている。
 94歳でピアノ協奏曲を書き上げるというのは、信じがたいバイタリティだ。だって、89歳まで生きたストラヴィンスキーでも85歳以降はほとんど仕事をしていないし、“グランド・オールドマン”と尊敬されたヴォーン・ウィリアムズの最後の交響曲9番にしても死の前年、85歳の作なんだよ!
 ちなみにこの曲(ピアノ協奏曲3番)はいまだに演奏されていない。

 かつてのように「松平の音楽聴きたしと思へども音盤なし」という状況ではないが、それでも録音で聴くことができる作品は決して多くはない。

 松平入門の一枚としては、ナクソスの「日本作曲家選輯」に収録されたこの1枚ということになる。松平にとって音楽作法の転回点になった「ピアノとオーケストラのための主題と変奏」、そして雅楽と十二音技法を結びつけた代表作の「右舞」「左舞」が収録されている。
 「主題と変奏」はフランス風の和声を駆使した美しい音楽から、尖った前衛的音楽へと傾斜していく過程の曲で、作曲者としても色々と試行錯誤している最中だったのだろう。第5変奏ではなんと「越天楽」のメロディがブギウギのリズムで演奏される。松平がポピュラー・ミュージックのイディオムを採用したのは長い生涯でこれ一度きりだったが、今となっては越天楽からフランス風の優美な和声、ブギウギから十二音技法までというごちゃごちゃさ加減がなんとも面白い。
 一転して「右舞」「左舞」「ダンス・サクレとダンス・フィナル」は十二音技法の厳しい音が続く曲だが、音楽の基本形状が雅楽なので、前衛音楽という意識を持たずにするりと聴くことができる。

 ナクソスは、音楽のネット販売にも積極的であり、このアルバムもiTunes Music Storeで購入することができる。

Matsudaira Bugaku Dance Suite:iTMSへのリンク

 こちらは900円とCDよりも安いし、試聴することもできる。

 松平は最晩年、ソプラノ歌手の奈良ゆみのために多数の声の作品を作曲した。奈良は、ポルタメントを多用する特異な唱法の歌い手で、その歌声に惚れ込んだ松平はモノオペラ「源氏物語」、オペラ「宇治十帖」といった平安時代を題材にした大作を世に送り出していく(しかしながら「宇治十帖」は今なお上演されてはいない)。
 奈良は、松平作品のみを収録した2枚のCDを出しているが、ここではその「源氏物語」からの抜粋と、初期の日本民謡を素材とした歌曲を収めた盤を推薦する。特に南部民謡を素材とした「南部民謡集 第1集」は、松平二十代前半の若き日の作品でありながら、彼が人並み外れた鋭い和声感覚の持ち主であったことが分かる貴重な録音だ。
 「源氏物語」から抜粋したアリアをまとめた「朧月夜」では、奈良のポルタメント唱法を生かした、日本的でありながら“松平的”としか形容のしようがない、未知の音空間が現出する。

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2008.04.25

宣伝:4月28日月曜日、ロフトプラスワンのイベントに出演します

 「やりましょうか」というプロデューサー斎藤さんの一言で決まりました。

 先般、地球を離れて旅立ったA・C・クラークについて、百戦錬磨のSF成分全開の面子が語り倒します。多分私は聴き手に回ることになるでしょう。

宇宙作家クラブpresents
「アーサー・C・クラークを語る」
『2001年宇宙の旅』など数多くの作品で知られ、2008年3月19日に多くの人に惜しまれながら永眠したSF作家の巨匠、アーサー・C・クラークを追悼し、その多大な偉業を振り返る。

【出演】江藤巌(航空宇宙評論家)、金子隆一(サイエンス・ライター)、鹿野司(サイエンス・ライター)、松浦晋也(ノンフィクション・ライター)、他

4月28日月曜日
Open 18:30 /Start 19:30
¥1000(飲食別)当日券のみ

場所:ロフトプラスワン(新宿区歌舞伎町1-14-7林ビルB2 03-3205-6864、地図)

参考記事:いずれ星の世界へ

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2007.07.03

お知らせ:7月7日、東京・学習院でニセ科学フォーラムが開催されます

午後5時追記
  コメントにあるように、すでに締め切られたそうです。この後は参加した人のレポートに期待ということになります。


 今日中にメールで申し込む必要があるので、大急ぎの告知です。私も本日気が付きました。

 「水はなんにも知らないよ」の著者である左巻健男さんを初めとして、小波秀雄京都女子大学教授、 菊池誠阪大教授、天羽優子山形大学助教授といった、この分野の論客が一堂に会して、ニセ科学が社会に与える影響を考えます。


ニセ科学フォーラム2007(7/7土13時〜学習院中高等科 )

 マイナスイオン、ゲルマニウム、デトックス、血液型性格判断、どれもニセ科学!

先の見えない世界の中ではびこる、あやしげな「科学もどき」商品の数々。その裏で言葉巧みなスピリチュアルや癒しに流されるひとびと。科学者のチームが現代の「ニセ科学」のすがたをさまざまな角度から徹底的に解剖して、市民と科学のよいあり方を考えます。

●7月7日(土)13:00〜17:30

●会場
 学習院中・高等科(501・502教室)
(JR山手線目白駅徒歩5分、都電荒川線鬼子母神電停徒歩7分)
http://www.gakushuin.ac.jp/mejiro.html
目白駅改札を出て右(出口は1ヶ所)、2つ目の信号前の正門を入り斜め左へ

※お車でのご来場はご遠慮下さい。

●日程
受付12:30〜12:55 受付

開会挨拶 左巻健男 13:00〜13:05
1.小波秀雄: 21世紀はニセ科学の世紀? 13:05〜13:40
2.菊池誠 :スピリチュアル・ニューエイジ・ニセ科学 13:45〜14:25
3.天羽優子:「水商売ウォッチング」の現場から 14:30〜15:10
4.土佐幸子:米国のニセ科学の様子と理科教育の「探究」 15:15〜15:45
5.左巻健男:理科教育と科学リテラシーからの提言 15:50〜16:20
全体討論 16:30〜17:30

●参加費:無料
●申込先:左巻健男:rika88 @ rika.org(@の左右を詰めてください。)
参加ご希望の方は必要事項をご記入のうえ、7月3日(火)までにE-mailにてお申し込みください。会場の定員になり次第締切とさせていただきます。
※当日は、E-mail返信でお送りする受付番号を必ずお持ちください。

申込E-mailの題名は、ニセ科学フォーラム としてください。本文に、
・お名前
・所属(勤務先など)
・緊急連絡用・返信受け取り用E-mailアドレス
をご記載ください。2人以上でお申し込みの場合は、一人一人別々に以上の内容をご記載願います。

●JST研究開発テーマ:「21世紀の科学技術リテラシー」中の「市民の科学技術リテラシーとしての基本的用語の研究」(研究代表:左巻健男[同志社女子大学現代社会学部現代こども学科・教授])の研究の一環として開催。
http://www.jst.go.jp/pr/info/info231/shiryou4.html

●共催:新理科教育フォーラム(代表:左巻健男):新理科教育MLを運営。
http://www.rika.org/rikaml/

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