2008.01.01

初音ミクと原盤権

 あけましておめでとうございます。もう何年も前に年賀状を出すのを止めてしまったので、ここでの挨拶が生存証明となります。

 2008年が皆様にとって良い年でありますように。


 初音ミクを巡る、今回のドワンゴの対応で、ずっと気になっていたのは「ドワンゴは、原盤権をどう扱おうとしていたのか」ということだった。

 12月25日付のドワンゴ・ミュージックパブリッシングとクリプトン・フューチャー・メディアの共同メッセージで、この件は以下のように明快に記載された。

2 「初音ミク」ソフトウエアを使用して作成された音楽データ(原盤)に関する権利は、「初音ミク」ソフトウエアの使用許諾契約書の諸条件のもと、音楽データ(原盤)の制作者が保有することを確認し、その権利行使代行会社を制作者自身の意思により決定することができることを確認します。

 すばらしい。誰がこの条項を入れるよう主張したかは分からないが、この条項ひとつをとっても、ネットの音楽事業をきちんと理解した上で、共同メッセージが作成されたことが分かる。

 私がこの分野を取材していた8年前の段階で、すでに音楽のネット配信では、原盤権を誰が保有しているかが死命を制するということが、業界の常識となっていた。
 
 とりあえずは、ここで原盤権について解説しておくことも無駄ではないだろう。

 例によって8年前に取材し、勉強した事項なので、誤りがあったならばコメント欄での指摘をお願いします。

 結論を先に書いておくと、今後自作の曲を商用利用に出す方は、間違っても契約相手に原盤権を渡してはならない。
 著作権のJASRAC管理が、「その曲を色々な人が利用すること」を制限するものなら、原盤権の譲渡は「自分が完成させた音を、自分の意志で扱うことができなくなる」ということを意味する。

 著作権の周囲には様々な権利がくっついている。原盤権というのはそれらのうちの一つだ。

 まずはWikipediaの原盤権を読んでみよう。「原盤権(げんばんけん)は、一般に音楽を録音・編集し完成した音源(いわゆる原盤、マスター音源)に対して発生する権利のこと。」とある。

 音楽の場合、作詞家が詩を書いて作曲家が曲を付けても、それだけでは聴衆の耳に届かない。まずは実演家が演奏する必要がある。
 ライブならそれでおしまいだが、レコード(CD、音楽配信)ならば、録音を行い、録音技術者が様々な調整を行って、複製可能なマスターデータを作成する必要がある。

 このマスタデータを自分の意志でどうこうする権利が、原盤権だ。原盤というのは、アナログレコード時代、レコードを作成するための最初のマスターのことを原盤と呼んだことに由来している。

 原盤権の保有者は、自らの意志でそのデータをCDにして販売したり、送信可能化権を行使してネット配信したりすることができる。その場合、著作権者の了解を得る必要はない。
 もちろん著作権者に対して著作権料の支払いは生じる。しかし著作権者が、原盤権保有者に対して、例えば「その録音は若気の至りだから再発売するな」「自分はネットを信用していない。ネット音楽配信するな」というような要求をすることはできない。

 従来、原盤権は音楽出版社、つまり各アーチストが所属する音楽プロダクションが保有することが多かった。これは、レコードの企画と制作の手配を音プロが行っていたかららしい。
 その昔は一般的に、音プロがレコード会社に企画を売り込み、録音の段取りを行い、セッションを用意してからおもむろに看板歌手がスタジオにやってきて録音し、録音をマスタリングするという手順でレコードを作っていた。

 ところがそのうちに、原盤権の重要性に気が付くレコード会社が出てきた。一番最初に原盤権の重要性に気が付いたレコード会社は、ソニー・ミュージック・エンタテインメント(SME、現ソニーBMG・ミュージックエンタテインメント)だったと記憶している。同社の社長を務めた丸山茂雄氏(現247music社長)が、アーチストとの契約の際に「原盤権はSMEが持つ」という条項を入れるようにしたのだった。

 余談だが、丸山氏はJ-POP草創期に主にロックの分野で活躍したプロデューサーだった。取材していて「この人は信用できる」と思えた数少ない業界人の一人である。
 丸山氏の先見の明で、原盤権を押さえたソニーは、そのまま音楽ネット配信事業の勝者となってもおかしくはなかった。しかし実際にはOpenMGのようなおよそユーザーフレンドリーではないコピープロテクションに走ったあげく、CCCDの導入でユーザーの総スカンを食らってしまい、AppleのiTunes Music Storeの後塵を拝する結果となった。
 その過程で丸山氏はSMEを退社し、247musicを設立した。何があったのだろうか…

 そのSMEのやり方を真似たのがエイベックスで、こちらも原盤権を会社が持つというやりかたをとっている。エイベックス——今回の初音ミク騒動の一方の当事者であるドワンゴの筆頭株主である(1/2記:「親会社」を「筆頭株主」に訂正しました)。

 今回の初音ミクを巡る動きの中で、当初ドワンゴは原盤権を押さえるつもりでいたに違いない——などと主張するつもりはない。それは出来の悪い陰謀論だろう。

 それでも、私は今回のドワンゴ、クリプトン間の合意の文面で、エイベックス流の「原盤権よこせ」ではなく、「音楽データ(原盤)に関する権利は、「初音ミク」ソフトウエアの使用許諾契約書の諸条件のもと、音楽データ(原盤)の制作者が保有することを確認」と、はっきり原盤権がそれぞれの作者にあることが明記されたことは大きな意味があると考える。

 初音ミクのオリジナル曲の場合、作者が作詞作曲から、最終的にリスナーの耳に届く音データに至るまでを制作している。音プロがレコードを企画して、歌手が乗っかるだけというのとは根本的に事情が異なる。
 自分の曲をどうネットで配信すべきかは、レコード会社が決めることではない。
 それぞれの作者が、自分の保有する原盤権に基づいて決めるべきことだろう。

 ちなみに、丸山氏とは別の方面から、原盤権の重要性を主張していた人物がいた。シンセサイザーで有名な冨田勲氏だ。私が音楽配信の取材に従事していた当時、氏は「原盤権はクリエイターが持つべき」とあちこちで発言していた。

 その事情はJASRACのHPに掲載されたこの記事にある通りだ。ムーグ・シンセサイザーによる最初のアルバム「月の光」のレコードを出すにあたって、レコード会社のRCAは2つの条件を提示した。原盤権をRCAで買い上げるというものと、原盤権は冨田氏が持ち、印税形式で報酬を受け取るか、だ。原盤権の買い取り価格はかなり高額で、借金をしてまでシンセサイザーを購入していた氏は相当悩んだそうだが、自分で原盤権を保持する方を選んだ。

 トミタ・シンセサイザー・ミュージックはその後、世界を席巻し、その原盤権は冨田氏に大きな収入をもたらすと同時に「サウンド・クラウド」のような大きなイベントを開催するための礎となった。

 「月の光」も冨田氏ひとりがゼロから作り上げたものだった(ドビュッシーは1918年に死去しており、その著作権は1968年末日で切れている…と思ったのだが、日本の場合戦時加算で10年以上延びていたのだった。このあたりどのような権利処理をしたのだろう?)。その意味では、初音ミクオリジナル曲と、状況は似ていると言えるのではないだろうか。

 ワルター・カーロスの「スイッチト・オン・バッハ」がシーケンサーによるテクノ音楽に繋がったとしたら、ドビュッシーをフィーチャーした「月の光」は、未だかつて存在し得なかった新たな音色を創造するという方向への第一歩だった。発売から30年以上を経て、今なお新鮮に響く名盤である。未聴の方は是非是非。


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2007.12.28

初音ミクとJASRAC

 初音ミクと日本音楽著作権協会(JASRAC)の話。

 8年前の取材経験に基づいて書くので、事実誤認が紛れ込むかもしれない。それでも記者として知り得たことはネットに還元しておいたほうがいいと判断するので、以下書いていきます。
 間違いに気が付いた方は、コメント欄で指摘して下さい。

 「カスラック」という蔑称に代表されるように、ネットにおけるJASRACの評判は極めて悪い。

 例えばJASRACは「放送通信融合」の敵か味方か--菅原常任理事に聞くというCNET Japanの記事に対するはてなブックマークの反応を見ると…「JASRACの負の部分が凝縮された、ある意味永久保存版の記事。見識の無さをここまで披露してくれてありがとうと言いたい。」「ラスボスらし過ぎるwww」「そりゃ日本の音楽が衰退していく訳だわ」などなど、JASRAC非難のオンパレードだ。

 ただし、ここで注意しなくてはならない。JASRACのような組織がないと立ち行かないこともまた存在する。

 例えば日本人作品に対する海外からの権利金徴収だ。JASRACは世界各国の音楽著作権管理団体と協定を結んで、日本での海外作品の著作権料を送金すると共に、海外からの著作権料を受け取り、国内の権利者に分配している。このような業務はJASRACのような組織でなくては難しい。

 初音ミクと終わりのはじまりに付いたぴょんきちさんのコメントにあるように、JASRACがあることでルールが明確化され、フェアユースが可能になる案件も存在する。

 それでは、なぜJASRACがかくもネットで嫌われるのかといえば、ネットが出現したことにより、これまで存在し得なかったような新たな創造的な場が出現しつつあることに対して、従来の著作権の考えをそのまま拡張し、押しつけようとしているからだろう。

 つまりJASRACは新たなテクノロジーの出現に対して、どのように対応すれば、よりみんなが音楽を楽しむことができるようなるか」という発想ではなく、「従来の著作権の考えに、いかにしてネットのような新しい媒体を組み込むか」という発想しか持てないでいるのだ。

 その背景はCNET Japanの記事に現れていると、私は思う。

 この記事の中で、菅原瑞夫常任理事は、徹頭徹尾、お金の話しかしていない。CNET Japan側がインタビュー内容を取捨選択した可能性もあるが、読んだ印象では「金に関する部分の話が圧倒的に多かったのでそこを中心にインタビュー記事を構成した」のではないかと思う。

 菅原理事がお金の話しかしていない理由を私なりに推察すると、菅原理事が、事務方出身だからではないだろうか。

 JASRACの議決機関、そして組織図を見てもらいたい。なぜか会長と理事長が存在し、総会、評議員会、理事会と3つの議決機関が存在している。総会は言ってみれば株主総会のようなものだから、ここでは除こう。日常的な意志決定は評議員会と理事会が行っている。

 実はJASRACの意志決定のシステムは二重底になっている。会長と評議員会は会員、つまりクリエイターや所属する法人の関係者で構成される。

 一方、理事長と理事会は事務方、つまりクリエイターだけではなくJASRACの社員も入って構成されている。定款によると最大29人以内とされる理事のうち、18人以内は評議会で選ばれるクリエイターだ。しかし実際問題として、理事の中から理事長が選ぶ常務理事及び常任理事が強い力を持っている。これらの席はほとんどJASRAC社員、つまり事務方が占めている。


 定款を見るとそれぞれの議決機関の役割分担が書いてある。簡単に言うと、クリエイター側の評議員会はお金の分配方法を決め、一方事務方主導の理事会は、お金の徴収方法を決定している。
 とはいえ1つの組織に2つの意志決定の仕組みがあるので、そこには力関係が存在する。

 ここからは8年前に取材していた時の実感となる。実際問題として、理事会と評議員会とのどちらが力があるかというと、圧倒的に理事会だった。
 まず、クリエイターの集まりである評議員会は、まとまらない。もともと一匹狼気質の強いクリエイターが集まるのだから、議論百出でまとまるものもまとまらなくなるのが当然だ。

 さらに、クリエイター側には、演歌関係者とそれ以外という内部対立も存在する。いわゆる古賀問題だ。

 JASRACは1994年に新橋から現在の代々木上原に移転した。その時に、JASRACから古賀政男音楽文化振興財団へ、ビル建設費用78億円が無利子で融資され、しかも完成後のビルにJASRACが入居したのだった(このあたりこのあたりを参考にしてほしい)。現在、JASRACと同じ敷地には古賀政男音楽博物館が入っている。

 私も詳細は知らないのだが、8年前に関係者から聞いた時の口ぶりでは、先生-弟子の人間関係が非常に強い演歌関係者が「古賀先生のために」と、JASRACの資金を一部理事の協力を得て、その他のクリエイターに無断で古賀政男を記念する施設を作るために、不明朗ななあなあの意志決定で使ってしまったらしい。当時、カラオケ施設からの著作権料聴取が進み、演歌関係者はかなり潤っており、同時にJASRACでの発言権も増していた。

 演歌以外からすれば「俺たちの著作権料をなんてことに使ってくれたんだ」ということになる。このことは、演歌とそれ以外のクリエイターの間に深刻な対立を引き起こした。結果、ただでさえまとまらない評議員会は、ますますまとまらなくなってしまった。

 さらに困ったことに、演歌関係者の多くは技術革新に見事なぐらいに疎かった。つまり評議会で「新たなネット社会に合わせた著作権のあり方を考える」としても、かなりの勢力を持っていた演歌関係者は「なにそれ? そんなこと必要なの?」状態だったのだ。

 ちょうど私が取材していた頃は、「こんなことではいけない」と、カシオペアの向谷実さんや、「うる星やつら」の音楽で知られる安西史孝さんなどが、評議員として活動を開始した時期だった。しかし、今のJASRACを見ると、どうもこの活動はなかなかうまくいかなかったように思える。

 クリエイター側がこのような状態である一方で、事務方が力を持つ理事会は、基本的な体質が官僚である。つまり「権限を大きくする」という意識が先に立ち、事業目的にある「音楽の著作物の利用の円滑を図り、もって音楽文化の普及発展に資する」という部分への配慮が足りない。

 権限第一の官僚的思考をJASRACに当てはめると、著作権の強化もネットからの徴収も、JASRACに集まる著作権料を増加させるので組織にとっての正義であるということになる。「取ることは、著作権者のためだ、その分著作権者にお金が回るのだから正義である」という大義名分もある。

 この結果、JASRACは「取れるところからどんどん取る」というコワモテ体質になってしまい、今やネットでカスラックと罵られるようになっている——これが私の現状判断である。

 今回の初音ミクの問題をJASRACとネットの関係で見ると、「ネットに出現した新たな創造の場をどう見るか」という問題に帰着するように思う。JASRACの事業目的に「音楽文化の普及発展に資する」とある。ネットに対してこれまでのやり方を押しつけるだけでは、事業目的に違反することは明らかだ。JASRACは、どう振る舞うことが音楽文化の普及発展に資するのかをよくよく考えたほうがいい。

 それが絵画であれ音楽であれ、創造は模倣から始まる。模倣無くして創造はあり得ない。今、ネットに誕生しつつあるのは模倣と相互評価による世界規模の切磋琢磨の場ではないだろうか。
 私には、これを著作権を楯にして、潰していいとはとても思えない。

 菅原理事は、CNET Japanのインタビューで、「切り貼り”は創造にあらず」などという、不見識をさらしてしまっている。引用とコラージュが現代芸術の一大問題であることを、音楽に関係する組織の管理職が知らないとしたら、それは職務怠慢ですらある。

 一つ、私が希望を見るのは、現在の理事長が加藤衛氏であることだ。この人は文部官僚の天下りではなくJASRAC生え抜きで、私が取材していた頃は理事になったばかりだった。かなりのやり手であり音楽書誌の電子データ化やオンライン登録・徴収システムの整備に積極的に取り組んでいた、
 当時は記者会見などで唯一まともなことを言う理事という印象だった。この8年間、彼が気骨を貫いていたら、あるいは良い解決法を打ち出してくれるかもしれない。

 まあ、加藤理事長が今のコワモテの姿勢を指示している可能性も否定はできないのだけれども。このあたりは、現在取材をしていないので、私にはなんとも言えない。

 なお、JASRACの評議員会の様子は、作曲家でヴァイオリニストでもある玉木宏樹氏のホームページ内の、音楽著作権のJASRAC問題というページで、そのいくらかを知ることができる。

 以下は余談。本題とは関係ないのだが、JASRACに関連して思い出したので、備忘録としてここに書き記しておく。

 JASRAC60周年のパーティでのことだ。何日だったかは忘れたが、1999年11月15日にH-IIロケット8号機が打ち上げに失敗した直後だった。

 ホテルオークラの大きな宴会場には、音楽関係者だけではなく官僚も政治家も来ていた。当時、JASRACの理事長は文部省からの天下りの加戸守行氏(理事長を退任後、愛媛県知事選に出馬して当選)から、小野清子氏に変わったばかりであり、パーティは新理事長のお披露目も兼ねていた。小野理事長の横には風船を付けたJASRACの職員が付いていた。風船は、新理事長に挨拶に来る人に居場所を知らせる目印で、似たような風船は、会場に集まった文教族の政治家の後ろにも立っていた。

 当時取材で付き合いのあったとある音楽プロの社長が、理事長の風船を指さして声を潜めて言った。

「見なさい。いくらオリンピックで銅メダルを取った体操選手だからと言って、音楽のことが分かっているわけではない。まるで無知ですよ。誰か偉い人が言ったんでしょう。『JASRACあたりで次の選挙まで腰掛けしておきなさい』って。ふざけてますよ!」

 小野清子理事長はその前年の参議院選挙で落選し、浪人中の身だった。就任当初は「腰掛けではなく3年の任期を全うする」と発言していたが、2001年には選挙に出馬するため任期を18ヶ月残してJASRAC理事長を辞職している。その間の年俸は3700万円。退職金は1000万円だったそうだ。

 私は小野新理事長に近づき、話しかけた。どんな人にも名刺一枚で話しかけられるのは記者の特権である。すぐに分かったのは、新理事長が著作権のなんたるかを理解していないということだった。こちらの質問に対する返答に詰まると、お付きのJASRAC職員がこしょこしょと後ろから耳打ちしていた。「まるで二人羽織だな」と私は思った。
 この人に何を聞いてもニュースは取れないと判断した私は、そこから離れたのだった。

 その場には小野理事長を押し込んだ“偉い人”らしき人物も来ていた。小渕恵三内閣総理大臣である。この時私は、小渕総理と数語言葉を交わし、かなりのショックを受けたのだが、これはまた別の話になるのでいずれ。

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2007.12.26

トップに広告、新規カテゴリー追加、そしてJASRAC

 ココログの機能を利用して、トップに「昭和のロケット屋さん」の宣伝を置いてみた。一月ほど掲示してからサイドバーに持っていく予定。

 これから記事をあれこれ書く予感がするので、新たに「初音ミク関連」というカテゴリーを作った。今後増えるであろうボーカロイドについてや、音楽著作権の話などはこのカテゴリーに入れることにする。

 JASRACについて、少し書いておくべきなのであろう。もう8年前だが、2年間代々木上原に通って取材した相手だ。色々問題の多い組織だが、だからといって「カスラック」と罵っておけば良いというものではない。

 とりあえず参考になりそうなリンクを以下の通り捜してみた。

「補償金もDRMも必要ない」——音楽家 平沢進氏の提言 :ITmedia 2006年6月12日
 平沢進氏は、著作権管理についてかなり先鋭的な主張をしてきたアーチスト。この記事は、アーチストの側からJASRACの管理のどのあたりがうっとうしくて理不尽に見えるかを概観することができる。
 特に、音楽著作権の管理が、今やJASRACの独占ではないこと。にも関わらず、一般開放されたのは録音権のみで、その他関連権利はまだJASRACの独占であることは要注意だ。
 この著作権管理の民間への開放は、ちょうど私が取材していた時期に色々と紛糾していたところだ。なるほど、こんな結果になったのか。
 「開放」といいつつ「録音権」だけ開放というのは、いかにも霞が関がやりそうな手段だわい、と思うのである。

八分音符の憂鬱:みっくみく問題考:作曲家の吉松隆氏のblog
 実際にJASRACに権利委託をしている作曲家によるこの問題に対するコメント。

夏休み雑談・作曲家と著作権:月刊クラシック音楽探偵事務所(2007年8月10日)
 同じ吉松氏による、著作権に対する論考。しゃれにならない実態が赤裸々に描かれている。
 吉松氏は、一般向けに著作権の話をしばしば書いていて、私は作曲家である:第3章■作曲家という仕事にも、著作権の話が出てくる。なるほど、JASRACの取り分は29%か…

JASRACは「放送通信融合」の敵か味方か 菅原常任理事に聞く(CNET Japan 2007年12月26日)
 JASRACの態度は、この記事にはっきりと出ている。YouTube問題について「契約体系については、地上波テレビ局同様、総収入の2%をお支払いいだだく形になります。」とあるが、うち29%がJASRACの手数料であると仮定すると、事業者の総収入のうち約0.6%がJASRACの収入となる計算だ。
 日本テレビを例に取ると、2006年度の総収入は3436億円なので、2%の69億円がJASRACに支払われ、うち18億円ほどがJASRACの収入となるわけだ。


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2007.12.25

初音ミクと終わりのはじまり

 久し振りに野田司令に会ったら、「初音ミクはどうした?」と言われた。

 もちろんいじっております。試作品もあります。が、なかなか腰を据えて歌わせることができないのでありますよ。

 その間にも世界は動いていて、ニコニコ動画では初音ミクをフィーチャーしたオリジナル曲はどんどん出てくるわ、マッシュアップが進んでとんでもない高クオリティの映像が付くやらで、素晴らしい事態が進行しているではないか。

 こういうものは参加してみるに限る。是非とも自分も混沌広がるマッシュアップの場に乱入してボコボコにされてみたいのだけれど、悲しいことに私には野尻抱介さんのように、ささっとセンスの良い作品を作る能力はないのであった。あまりにうらやましかったので、野尻さんの投稿に、「先生なにやってんですか」とコメントを付けた…というのはウソですが。

 いやもうなんてえか。もっとやって下さい。

 ここに来て、ネットのムーブメントを旧来の権利処理の方法でビジネスをしようとしたドワンゴ(ニコニコ動画を運営するニワンゴに出資している。ちなみにのまネコ問題でミソ付けたエイベックスの関連会社でもある)と、初音ミク発売元のクリプトン・フューチャー・メディアの間で、トラブルが発生していたが、この度無事解決した。

 詳細はまとめWikiをみてもらいたい。要約するとニコニコ動画で短期間のうちに200万アクセス超えるヒットとなった「みくみくにしてあげる」という曲を、ドワンゴがカラオケに使おうとした際、JASRACに登録したことから、これまでネットで自由にマッシュアップされてきた曲が使えなくなるとしてネット利用者から大きな反発が起きていたのである。

 旧来の著作権ビジネスを展開しようとしたドワンゴが、著作権無視の花園に開いた花であるヒット曲を自分一人でつみ取ろうとしたことの帰結がこれである。

 明らかに、なにか今までとは違う事態が進行している。
 
 私は1998年から2000年春まで、つまりサラリーマン生活の最後の2年間、音楽のネット配信関連の取材に従事した。その時にずいぶんと音楽関係者に会ったのだけれど、つくづく感じたのは「音楽業界は嫉妬の連鎖で構成されている」ということだった。

 以下は一般論として読んでもらいたい。

 音楽業界に身を投じる者に音楽嫌いはまずいない。その多くは最初、自分がミュージシャン、クリエイターとして成功することを夢見ている。しかし、目標を達成するのはごく一部だ。残る者のうち一部はバックバンドやスタジオミュージシャンとなる、そこからも脱落すると、今度は音楽プロダクション関係者としてマネジメントや経営に携わることになる。

 つまり、夢破れた者が、かつて自分も追いかけた夢を実現した者を管理することになる。

 音楽プロダクション(業界的には音楽出版社などという)からも脱落した者は、より音楽から遠い場所、すなわち業界団体の事務などに流れていく。脱落に脱落を重ねた者が、業界を束ねて関係官庁との折衝を行うのだ。

 これに、地方のコンサートなどを仕切るプロモーター(彼らの多くも夢やぶれた者だ)や、興行に張り付いてくるヤクザなどを加えると、嫉妬と権力とのドロドロの場ができあがる。「なるほど、美空ひばりが絡め取られたのはこれか!」と取材で何度も思ったものだ。

 このどろどろの場が崩壊しない最大の原因は金だ。音楽の世界はヒットしなければ、極貧のどん底でのたうち回ることになる。しかし、その一方で一発ヒットが出ると、投資に対するリターンがとんでもない比率となる。
 つまり、音楽のクリエイターとしての才能がなくとも、業界に張り付いてヒットのおこぼれで食っていこうと思えば、食っていけるのだ。

 そのような資金のリターンを保証しているのが著作権を初めとした各種権利であり、JASRACというわけだ。JASRACは同時に、著作権料回収代行の手数料を徴収している。ヒット曲となるとこの額はバカにならない。それは同時に日本一の弱小官庁などと言われる文化庁にとって、とても貴重な利権になっているわけである。 

 結論を言えば、音楽業界は、一部のクリエイターの才能に、多くの関係者がぶらさがって食っている世界なのだ。

 初音ミクの件は、そのような業界構造が崩壊に向かう一つの象徴なのではないかという気がする。

 才能というものは、ダイヤの原石よりもキノコのほうによほど似ている。条件さえそろえば、勝手に生えてくる。
 食えるかどうかの判別に、知識と才能が必要という点もキノコそっくりだ。そして音楽業界を仕切っている者のすべてが、才能を見抜く能力を持っているわけではない。

 クリエイターとしては、創造の喜びと、人々の称賛、そして普通に暮らす生活費があれば十分だ。しかし業界はそれでは困るので、利益を最大にするための色々な仕組みを作り上げてきた。著作権のありようなどもその一つである。アーティストが音楽プロに所属するというシステムや、原盤権という権利も、あるいは送信可能化権などというものもそのうちのひとつだ。

 しかし今や、ニコニコ動画のように、才能と大衆が勝手に集まってきて音プロもJASRACもなしで楽しく遊ぶ場が動き出してしまった。
 もちろん、ヒット曲には対価が必要だろう。カラオケ配信で儲けたっていい。そこにJASRACが入ったってまあ良し。
 でも、そこだけにしといてもらいたいというのが、多くの人の感じるところじゃないだろうか。ネット配信の制限だの、マッシュアップが著作権侵害だの、JASRAC余計なことしてくれるな、ということだろう。

 私としては、音楽シーンのごく一部が現在のような巨大ビジネスになっていることのほうが、異常だと思っている。歌は英語でAir、空気だ。空気のように無償で、口伝えで、多くの人々の間に広がっていくのが、本来の歌ではなかったか。そして今や、ネットという歌を伝える新たな媒質が存在している。

 1994年に日本でインターネットの一般への開放があった時、「これで世界は変わる」と言っても理解できない人は多かった。あれから13年、そろそろ色々な変化がでてきたな、という気がする。

 それにしても、うう、自分もマッシュアップに参加してみたい!

 著作権については、色々書きたいことがあるので、この話題は続きます。

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2007.11.08

A-Bikeと初音ミク

 気が付くとAmazonもA-Bikeの取り扱いを始めていた。値段は5万8800円だから、大作商事取り扱いの正規輸入品だろう。ポイントが10%付くから実質5万3000円ほどで入手できる。なかなかよく書けた評価がついていて、それぞれ星4つ。

 万人に勧められるものではないが、理解して使うならば悪くないということだろう。実際私はずいぶんと便利に使っている。


 


 そして、本題。Amazonには「この商品を買った人はこんな商品も買っています」というサービスがあるのだが、11/8現在、そこに表示されているのは、なぜか「初音ミク」なのだ。

 つまりA-Bikeを買っている人は「初音ミク」も買っていますということなのだが、何か関係あるのだろうか?
 自分は確かにその両方でblogを書いているが、影響しているということは…ないよなあ。

 どなたかイラストの腕に覚えのある方、A-Bikeに乗っている初音ミクとか、描きませんか?
 喜ぶのはごく限られた層だとは思うけれど。

 ちなみに私のところにも「初音ミク」は届いているが、なかなか使う時間がとれないでいる。
 そうこうしているうちに「VOCALOID2 キャラクターボーカルシリーズ01 鏡音リン」というのが出るそうで、初音ミクも使いこなせないでいるのにとてもそっちまでは手が回りそうにない。

 その初音ミクだが、GoogleとYahoo!の画像検索で一時期検索不能になったという事件。ネットでは、「VOCALOIDの権利を、クリプトン・フューチャー・メディアから奪いたい電通がやった」「同時期に伊達杏子をカムバックさせようとした電通の陰謀だ」などという話まで流れている。

 みんな陰謀論が好きだから、とも思うが、商用検索エンジン2種が同時期に同じ検索キーワードに対して不正確になるということは、少なくとも商用検索エンジンというものの脆弱さを示しているといえるだろう。

 脆弱さとは、技術的なものでもあるし、社会的なものでもある。

 なんらかの形でオープンソースの検索エンジンが必要な時期に来ているという気がする。調べるとオープンソースの検索エンジンはいくつか動いているが、まだまだ前途多難なようだ。

 ちなみに、伊達杏子は、いくら復活を狙ってもダメだと思う。あまりにもキャラクターイメージが完成されすぎていて、誰もマッシュアップに参加できないから。初音ミクではネットユーザーが適当にイメージをいじくって遊べる。しかし、伊達杏子では遊べないのだ。

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2007.09.19

初音ミクからボイセスカミングへ、その2

 では「ボイセスカミング」の話を。

 「Voices Coming」、「声ぞ来る」とでも訳せばいいのだろうか。この曲は、湯浅譲二により1969年にNHK電子音楽スタジオで制作された。作曲者は当時ちょうど40歳、バリバリに前衛の先頭を走っていた湯浅譲二。湯浅のイメージをテープに定着する仕事をこなした技術者は佐藤茂である。

 全体で20分50秒の尺があり、3部構成。うち大阪万国博の電電公社パビリオン「電気通信館」で流れたのは第1部の「テレフォノパシー」である。

 全3部とも、電子的に合成した音響と、実際の具体音とを融通無碍に使いこなしており、この時点の湯浅が「これは具体音から作ったからミュージック・コンクレート」「こっちは電子音で作った電子音楽」というような区別をせずに、「電子回路とテープなんだからまとめてもいいじゃないか」という意識であったことがうかがえる。

 3部の構成は1)テレフォノパシー、2)インタビュー、3)平和のために戦い殺された二人を記念して。

 テレフォノパシーは、当時の国際通話のオペレーターの声を録音し、これをテープを切った貼ったでつないでいったりして構成している。「ハロー、ハロー」さらには基地局名を告げる女声が交錯する、おそらく電電公社は、電話を象徴するオペレーターの声で、当時最新の電子音楽を創るというのが、「人類の進歩と調和」を標榜する万博に相応しいと思ったであろう。
 曲としては、当時の前衛系電子音楽の標準のような仕上がりを見せている。

 が、次の「インタビュー」はとんでもない問題作だった。

 インタビューというタイトル通り、様々な識者にシリアスな問題を投げかけ、その返事の音声をつぎはぎして作られている。…のだが、使われているのは、返事そのものではなく「あのー」「でもね」「それは、」「うーん」といった、返事の中の意味を持たない部分なのだ。

 技術者の佐藤によると、最初はインタビューから無意味なところを全て取り除き、意味のある部分だけで構成しようとしていたという。ところそれでは面白くないので、逆に無意味な部分だけを取り出すということになったのだそうだ。
 確かに聴いていると、無意味な間投詞にこそ、インタビューされた人の性格が投影されているのがありありと分かる。制作から37年も経った今、聴くと、これはとても面白い試みに思える。

 ところが公開当時、この部分はかなり激烈な批判にさらされたのだそうだ。「無意味な部分になんの意味があるのか」とか、変調などの操作をあまりかけない生の音声をつぎはぎした構成のせいだろう、「これは音楽ではない」とか。

 音楽かどうかはともかく、音響オブジェと考えれば、これもありかと思うのだが、当時はそうではなかったようだ。

 いやあ、本当にこれは面白いです。時間が経ったので、「ここで『うーん』と言っているのは誰それに違いない」というようなクイズ的要素も加わっているし。

 「平和のために戦い殺された二人を記念して」は、全曲で一番音楽っぽい、というと妙な言い方だが、音楽のように聞こえる音楽。
「平和のために戦い殺された二人」とは、ジョン・F・ケネディと浅沼稲次郎。演説が、そもそも音楽的要素を含むものなのだから、音楽的に響くのは当然なのかも知れない。

 前の2部では殆ど使われなかった電子変調が派手に使われ、ディストーションされたケネディと浅沼の声が、ステレオ音声で左右に行ったり来たりするところに、湯浅お得意の変調されたホワイトノイズが、がーっとかぶさる。ケネディの発する「As a result,」という言葉でクライマックスが来る。

 この曲の奇妙さ、怪作っぷりは、湯浅の問題意識の鋭さと、佐藤の技術の確かさががっちり組み合ったところにあるのだろう。音楽として聴こうと思えば聴けるし、音響オブジェと思えば音響オブジェだし、「人の声だ」と思えば人の声に聞こえる。そういう、音楽と言葉と音響の真ん中あたりに宙ぶらりんになっているところが、ものすごく面白い。

 こういう面白い曲(と言っていいのだろうか、いいんだろうな)が埋もれているのはとてももったいない。
 少しでも興味を持った人は聴いてみてもらいたい。


 というわけで、またもアマゾンからは買えないCDだ。検索に「音の始源を求めて3 佐藤茂の仕事」と入れて、オンラインで扱っているCDショップをさがしてみてもらいたい。

Sigen3 音の始源を求めて3 佐藤茂の仕事
収録曲
「小懺悔」(諸井誠)
「ディスプレイ'70」(柴田南雄):万国博日本政府館の音楽
「電子音と声によるマンダラ」(黛敏郎)
「ボイセスカミング」(湯浅譲二):万国博電気通信館の音楽
「ブロードキャスティング」 (篠原真)

 普通の人は海の物とも山の物ともつかないCDに3000円を払うのは冒険かと思う。が、他にも面白い曲が入っているので、私としてはお薦めである。

 例えば、篠原真の「ブロードキャスティング」(1973)は、当時のNHK5波(テレビ、教育テレビ、ラジオ第一、ラジオ第二、NHK-FM)を、ある1日すべて録音し、それらをつぎはぎして作った「NHKのある1日」のような作品だ。

 作者としては、現代の放送というものを象徴させたかったらしいいのだけれども、今聴くと、ここにあるのは34年前にNHKがどんな放送をしていたかをダイジェストした生々しい記録である。
 私と同年代ならば、「ああ、あの頃のNHKってこんな雰囲気だったよなあ」と当時の記憶まで蘇ってきてしまう、ちょっとノスタルジックな曲になっている。

Utukushi
 「こんな変なことばっかりやっている湯浅なんて作曲家に興味ないよ」と思ったあなた。いえいえ、多分あなたもまた、知らないうちに湯浅の作品で育てられているのです。  実は湯浅譲二は、童謡の分野でも様々な作品を書いている。「インディアンがとおる」「ピコットさん」「はっぱがわらった」「はしれちょうとっきゅう」——すべて湯浅の作品なのである。

 このblogを読みに来る人なら、おおかたは「びゅわーん、びゅわーん、は、し、るー」と超特急の歌を歌って育ったはずだ。。

 湯浅の童謡は「美しいこどものうた」という1枚のCDにまとまっている。これまたアマゾンでは買えないが、HMVとタワーレコードは扱っているのでそんなに入手は難しくないはずだ。

美しいこどものうた(HMV)
美しいこどものうた(タワーレコード)

 収録曲は以下の通り。いくつ歌えるだろうか。


「美しいこどものうた」:平松英子(ソプラノ)、中川賢一(ピアノ)

  • ほんとだよ
  • ピコットさん
  • あめのひ
  • インディアンがとおる
  • やさいはきらい
  • こおろぎ
  • まど
  • チビのハクボク
  • 大きくなったでしょ
  • ちゃっぷちゃっぷらん
  • それでも あんよ
  • かぜ
  • ふしぎなおかお
  • とけい
  • 僕だけが知ってたうた
  • しゃぼんだま
  • はしれちょうとっきゅう
  • きょうはなにいろ
  • はっぱがわらった
  • 甘い夏みかん
  • ジェット機きゅーん
  • 宇宙船ペペペペランと弱虫ロン
  • 冬の思い出
  • 二冊の本
  • じゃあね
  •  あるいは前衛保守を問わず、メロディストであることが作曲家の条件なのかも知れない。

     とりあえずアマゾンは、「美しいこどものうた」の楽譜にリンクしておく。


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    2007.09.18

    初音ミクからボイセスカミングへ、その1

     もののついでだから、「初音ミク」からこのまま暴走して希代の怪作「ボイセスカミング」のことを書いてしまおう。

     といっても、なんで1969年という時期に、前衛的な作品を次々に発表していた湯浅譲二が、かくも奇怪にして愉快な作品を発表したかを理解するには、20世紀の音楽史をちょっとばかり理解する必要がある。

     トーマス・アルバ・エジソンが蓄音機を実用化したのは1877年。ここに人類は初めて、音声を記録再生する手段を得た。それまで音楽は、演奏家が楽器を演奏したり歌ったりするその場にいなければ聴くことができなかった。

     蓄音機は2つの可能性を人類に示した。ひとつは音楽を記録し、いつでも聴けるようにすること。こちらはエミール・ベルリナーによるレコードとレコードプレイヤーの元祖「グラモフォン」の発明で、現在のiPodにまで至るオーディオ機器の流れを形成することになる。

     もう一つは、蓄音機を楽器として扱う、という可能性だった。

     世紀が変わると、イタリアで未来派という芸術運動が起こり、ルイージ・ルッソロが1913年に「騒音も芸術だ」と宣言する「騒音芸術宣言」を出した。要は、音楽は楽器の出す楽音のみではなく、都市の機械類が発する音からも作りうるという主張だ。

     楽音は楽器によってコンサートホールの聴衆に届けられる。では騒音は?
     もちろん蓄音機によって届けられるのだ。

     ルッソロの騒音音楽は単発的な宣言に終わったが、それは録音技術が未熟だったからだった。技術の発達により第二次世界大戦後の1948年、フランスの電気技師ピエール・シェフェールにより、録音した音を加工することによって音楽を創るという新たな方向性が示された。

     これがミュージック・コンクレートだ。「具体音楽」などと訳される。当初はレコード盤への記録をあれこれいじっていたが、テープレコーダーの出現によりテープに録音した音に加工を加えるという方向で進化していくことになった。なにしろテープは切ったり貼ったり、レコーダーの回転数を変えることで音の高低を変えたり、逆回して音を後ろから再生することができる。色々と音を加工するのに好適だったのだ。

     さて、この一方、第二次大戦後、全ての音を正弦波から合成できないかという研究も進みはじめた。
     フーリエ級数が示すとおりすべての波は正弦波の合成で再現することができる。となれば、オーケストラのすべての音色を電子的に再現することだっで可能ではないだろうか。

     電子楽器は、20世紀初頭のテルミン、オンド・マルトノといった楽器が作られていたが、これらはそれぞれ独自の音色を持つ「楽器」であった。

     そうではない、音色を自由自在に操る電子楽器が可能なのではないか。

     この流れはやがてムーグのシンセサイザーへとつながっていくわけだ。

     ミュージック・コンクレートにせよ、後のシンセサイザーにつながる音色合成の研究にせよ、電子回路で音をいじくっていくというところは共通だ。そして、1950年代初頭、まだ大規模な電子回路を個人が開発、所有、維持できる状況ではなかった。テープレコーダーもテープも高価だった。発振回路や変調器、バンドパスフィルターなどを作るには電気工学のスペシャリストの手を借りる必要があった。

     しかし、これらの困難さ以上に、過去の音楽にない、新たな表現形態が可能になるのではないかという予感が、芸術家と技術者の両方を熱くさせた。

     というわけで、1950年頃から世界のあちこちで、主に金を持っている放送局がパトロンになって「電子音楽スタジオ」というものが立ち上がった。その実態は、基本的に技術者一人に、テープレコーダーと各種電気回路を詰め込んだ狭いスタジオ、そして芸術家という構成だったが、そこから色々な音楽が生み出されていったのである。
     日本でもNHKがNHK電子音楽スタジオを、1955年に立ち上げる。その最初の作品が「音の始源を探る1」に収録された黛敏郎「素数の比系列による正弦波の音楽」というわけだ。

     この辺りの歴史はなかなか面白くて、例えば初期の電子音楽をリードした3つのスタジオというのが、一番早く活動を開始した西ドイツ放送局電子音楽スタジオ、次いでイタリアのミラノ放送局内電子音楽スタジオ。そして日本のNHK電子音楽スタジオなのだ…なにか戦争に負けたことが影響しているのだろうか。戦争に負けると電子音楽をやりたくなるとか??

     あるいは東京が電子音楽スタジオを立ち上げたことで、「JOAKに負けるな」とばかりにBKこと大阪のNHKも電子音楽に進出し、松下真一をひっぱってきて「黒い僧院」を作らせたり、とか(このあたり、大阪における電子音楽の歴史は未だにまとまっていない。関係者もあらかたこの世を去っており、このまま埋もれてしまう可能性もある)。

     さらには黛が、内幸町にあったNHKで電気回路と格闘しながら「素数の比系列による正弦波の音楽」を作っていたのと同時期、25歳の武満徹が、日本初のミュージック・コンクレート「ルリエフ・スタティク」を作成している。こちらは新日本放送、現在の毎日放送がスタジオと技術者を提供した。
     物量主義のNHKに対して、ちゃんと民放が同じ時期に対抗して似たようなことをしていたのである。

     「ルリエフ・スタティク」は最初、芸術祭参加ラジオドラマ「炎」の劇伴音楽だった。
     できたばかりの民放ラジオ局が劇伴にミュージック・コンクレートなどという新しい手法を使おうとした背景には、当時の民放はどこも最新鋭のテープレコーダーを導入していたという事情があったらしい。つまりスタジオをたくさんもつNHKは生放送で放送を続けることができたが、後発で規模が小さな民放局はすべての放送を生でまかなうことができなかったのである。

     そこで民放各社は、出始めたばかりのテープレコーダーを導入して対処しようとした。テープレコーダーがあるならいっちょ最先端のミュージック・コンクレートをやるかとなって、無名ではあるが実験工房で注目を集め始めていた武満に声がかかることになったようだ。

     ちなみに、NHK電子音楽スタジオは1993年にその幕を閉じている。スタジオの主的存在だった技術者の佐藤茂が1992年に定年退職となったのをきっかけに、「あんな儲からないセクションは閉じてしまえ」ということになったらしい。

     佐藤の証言:「ああいう電子音楽をNHKの中で残そうとするには、相当努力しないと残らんでしょう。3ヶ月も使って売れない曲を作ってたら、商売にならんからいらないって言われるでしょうね。佐藤がいるんだから歴史があるからって、いる間は残しとけってことだったけど、いなくなったらあっというまに潰しちゃった。」(「電子音楽 in JAPAN」田中雄二著 p.100)

     ありゃ、随分長くなってしまった。

     肝心の「ボイセスカミング」については、次の回にということで。


     今回の記事の元ネタ本。

     日本の電子音楽の歴史は、田中雄二氏の手によるこの大部の著作で見事にまとめられている。黛敏郎や武満徹による初期の試みから説き起こし、ムーグ・シンセサイザーの衝撃とそれまで劇伴作曲家だった富田勲の華麗な転身と成功、さらにはYMOのデビューとテクノポップ全盛にいたるまでを、あますところなく描ききっている(残念ながらJOBKと松下真一の協力のような大阪における活動は抜けているのだけれど。それでも大阪芸術大学における塩谷宏の業績にはきちんと触れている)。

     なによりも芸術家の側からだけではなく、技術者やメーカーの側からも取材を進め、両面から電子音楽というテクノロジーアートの歴史を描いているところを高く評価したい。例えば秋山邦晴による武満初期作品の評価は、テクノロジーの部分に関する分析が希薄だったから。

     電子音楽、さらにはテクノ系ミュージックに興味があるなら是非とも読んでおくべき、聖書のような本だ。確かに高い本だが、CDによるサンプルも付いていて、お買い得だと思う。

     余談だが、今見たら、アマゾンに掲載されている日経パソコン掲載のブックレビューは、かつて私が書いたものだった。

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    2007.09.17

    DTM熱再燃か

     「初音ミク」ショック以来、DTM熱が戻ってきてしたようで、DTMマガジンを買ってきて読んでいる。DTM——デスクトップ・ミュージックの略で、要はパソコンで音楽を作り、鳴らすことだ。

     使用機材が15年前とはずいぶん様変わりしている。音源をハードウエアとして持つ時代はとっくに過ぎ、今や音源はソフトウエアとなってパソコンで動かすようになっているのだな。データの持ち方もMIDIだけではなく、生音の録音やサンプリングを組み合わせるのが当たり前になった。

     かつてせっせとDTMをしていた頃は、パソコンにMIDIインタフェースを付けて、モジュール音源につないで鳴らしていた。モジュール音源というのは、鍵盤のないシンセサイザーのようなものだ。
     特に1987年にローランドが出した「MT-32」というモジュール音源は、6万9800円という低価格でDTMの普及に一役買った。それまで、シンセサイザーは20万円以上したのである。私もMT-32のユーザーだった。

     DTMマガジン附属のDVDディスクで、読者投稿を聴いてみる。…どうも音楽としての質は、かつてとあまり変わっていないようだ。
     それどころか生音が使えるようになったことで、ボーカル付きが当たり前になり、逆に発想を狭くしているように思う。かつてのように、不自由かつぎくしゃくした音源で、ビッグバンドやオーケストラを再現してやろうという発想はマイナーになってしまったらしい。

     かつての名作はまだどこかにあるかな、と検索してみたらあった。「大星夜92」(子龍作)。1992年にパソコン通信のNifty-Serveで発表され、FMIDI(MIDIフォーラム)に大反響を引き起こした曲である。なにしろ自分の結婚式にこの曲を流した人がいたぐらいだ。
     今聴くと、もう少し自然な表情がつけられるはずと思うが、当時この曲のインパクトはとても大きかった。曲としては今聴いてもなかなかいいな。

     あの当時のDTMの精神は、ローランドの力作コンテスト入賞作品に残っているという印象だ。今の機材で作り込むと、アマチュアでもここまでできるという実例が集まっている。

     私は、実のところかなり変格的な態度でDTMに入っていった。「シンセサイザーで自然な音楽を創る」のではなく「自分が作曲するためのシミュレーター」としてDTMを利用しようと思ったのだ。
     作曲するには、頭の中で音が鳴らせなくてはダメ、とか、ピアノが弾けることが最低条件とか、絶対音感がなければダメというような様々な伝説が存在する。しかし当時の私は、「それらすべて、コンピューターで代用できるのではないか」と考えたのだった。
     シミュレーターが目的だから、私は音のアウトプットに無頓着だった。自分の頭の中で鳴っている音の確認ができればそれで十分なのだ。楽譜に出力して、後はそれを誰かに演奏してもらえればいい。

     とはいえ、MT-32の音はあまりに貧弱であり、それで再現したオーケストラサウンドは悲しいぐらいにオーケストラとは似ていなかった。特に弦楽器は涙が出るぐらい、本物の弦楽器とはほど遠かった。

     私はオーケストラ曲を書くのを諦め——まあ、そもそもそんなもんを書くだけの実力があったのか、という問題はあったわけだが——ぼそぼそと管楽器を中心にした室内楽やら歌曲やらをいくつか書いた。

     もちろんそれを演奏する人が現れるはずもなく、データは15年以上死蔵されたのである。つまらない音楽が世に出なかったのは、世のため人のため自分のため、という見方もできるだろう(誰だってジャイアンになるのはゴメンだ)。
     そうこうしているうちに、仕事が半端ではなく忙しくなり、私はDTMから離れた。

     今からDTMを再度始めるならば、おそらく今までとは違う知見をどこかから引っ張ってくるべきなのだろうな。既存のDTMユーザーの基本教養となっている昨今のJPOPやハウスミュージック、ハリウッドのサントラに代表される良く鳴るオーケストラサウンドとは別のところから。

     例えば、今やこれだけ機材が進歩しているのだから、1950年代から70年代にかけて、NHK電子音楽スタジオで作られた電子音楽など、個人レベルで同じことができるようになっているわけだ。このあたりに再注目すると、斬新な音楽を机の上から作り出せそうな気がしないでもない。

     NHK電子音楽スタジオで生み出された音楽は、21世紀に入ってから「音の始源を求めて」という5枚のCDになって発売された。企画は、大阪芸術大学音楽工学OB有志の会。ロームミュージックファンデーションからの助成を受けての発売である。

     極めてプレス枚数が少ないらしく、アマゾンでは扱っていないし、私が入手したタワーレコードのオンラインショップでも売り切れとなっている。ネットで検索するといくつかのショップではまだ在庫が残っているようなので(例えばドッペルゲンガーレコーズ)、まずは「音の始源を求めて」で検索をかけてみてもらいたい。

     このCDは大変ユニークなことに、作曲家別ではなく、作曲家の意図を汲んで実際の音として実現した音響技術者別に組まれている。第1巻が塩谷宏、第2〜第4巻が佐藤茂、第5巻が小島努というそれぞれの技術者別のCDとなっているのだ。

     ライナーノートも、作曲者がどうこうではなく、それぞれの技術者がどのようにして作曲者の望む音を実現したかについて書いてあり、技術と芸術の関わりをのぞき見るという点でも興味深い。

     1枚3000円するCDを5枚そろえるのは結構なコストだが、DTMや電子音響に興味があるならばその価値はある。ただし、冨田勲的な聴きやすいシンセサイザー音楽を求めてはいけない。収録された曲はどれもかなり前衛的かつ刺激的なものだ。

     とりあえず1枚というならば、最初にでた「音の始源を求めて 塩谷宏の仕事」、または2枚目の「音の始源を求めて 2 佐藤茂の仕事」をお薦めする。


    Otonosigen1音の始源を求めて 塩谷宏の仕事
    収録曲
    「テレムジーク」(カールハインツ・シュトックハウゼン)
    「素数の比系列による正弦波の音楽」(黛敏郎)
    「7のヴァリエーション」(黛敏郎、諸井誠)
    「ピタゴラスの星、第一部:沈黙の環」(諸井誠)
    「ヴァリエテ」(諸井誠)
    「オリンピック・カンパノロジー」(黛敏郎)

     どれも電子音楽関係の本を読むと必ずでてくる曲だ。特に東京オリンピックの開会式で使われた「オリンピック・カンパノロジー」が素晴らしい。

    Otonosigen2 音の始源を求めて 2 佐藤茂の仕事
    収録曲
    「フィノジェーヌ」(高橋悠治)
    「トランジェント '64」(松平頼暁)
    「電子音のためのインプロヴィゼーション」(柴田南雄)
    「マルチピアノのためのカンパノロジー」(黛敏郎)
    「プロジェクション・エセムプラスティック」(湯浅譲二)
    「ホワイトノイズによるイコン」(湯浅譲二)

     第1集がエポックメイキングな曲を集めたとすると、こちらは「名曲」が集まっている。なかでも一番前衛的でとがっていた頃の湯浅譲二による「ホワイトノイズによるイコン」は、音響系の音楽を志すなら必聴だ。

     ちなみに第3集には、湯浅譲二が大阪万国博エキスポ70のNTTバビリオンのために作った希代の怪作「ボイセスカミング」が収録されている。あまりに面白い曲なので、この曲についてはあらためて書くことにしたい。

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    2007.09.14

    買ってしまった…

     買ってしまったよ。アマゾンでポチっと。

     最近ネットで人気沸騰している。DTM(デスク・トップ・ミュージック)用ボーカルソフトだ。女性声優の萌え声で、入力した通りの歌詞で歌ってくれる。その名も「初音ミク」

     松浦も萌え声にノックアウトされたか?
     いやいや、そうではない(正確にはそれだけではない、なのかも)。

     野尻ボードで野尻さんに教えられ、YouTube動画を聞いて(妙な言い回しだが、要はYouTubeにアップされた音を聴くことを目的にした動画ファイル)、びっくりしてしまった。
     これが、機械の歌か!!


     クラフトワークが「I am robot」とロボットボイスで歌ったり、「メガゾーン23」なんてアニメに時祭イブというバーチャルアイドルが出てきたりしてから幾星霜。
     その間、伊達杏子なんて色物もあったが、この「初音ミク」は声優が声をあてているのではない。マシンがプログラムに従って発声しているのだ。公式サイトにはサンプルがあるので、まずは聞いてみてほしい。

     知らない間の技術の進歩には、びっくりだ。

     著作権的にどうかと思うのでリンクはしないが、YouTubeやニコニコ動画を「初音ミク」で検索してみて貰いたい。沢山のファイルがアップロードされている。中でも「もののけ姫」を歌わせたやつなどは感嘆するしかない。





     これは著作権的に問題がないと思うのでリンクする。多分現役の合唱部員が作ったんだろうなあ。「モルダウ」。どうやら表情をつけずに素で歌わせたものらしい。ちょこっと入力させただけでもこの程度にはできるということだろう。

    ♯19 ave;new feat.初音ミク(試聴あり)
     こちらはave;newというプログループが、初音ミクを使って自作の「True My Heart」という曲ををDTM化したもの。プロがやるとここまで自然なボーカルに仕上げることができる。

     私も15年以上昔の、DTM草創期に、ローランドのMT-32を使ってDTMまがいのことをやっていた。あの頃DTMは個人に入手可能になったばかりの凄い技術だった。「凄い技術で凄いことをやってやる」と思わせる魅力があった。

     「初音ミク」には、その頃の感覚を蘇らせるものがある。

     もちろん、15年以上DTMから遠ざかっていた自分がそうそうスゴイことなどできないことも分かっているが、こういうものは色々遊んでみたくなるものである。

     種子島から帰った頃には届いているであろう。なにか結果が出せたら、このページで公開することにしよう。

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