KATANAに乗る

30日、朝からまくりが入り、あうあう原稿を書いていると昼過ぎに電話が。「農協ですがスズキの二輪の共済が今日で切れます」。
そうだった!、我が愛車「スズキGSX-1100S刀」にかけた任意保険は3月末で更新であった。「継続の場合は本日午後4時までにおいでください」と電話は言う。行かねば。
外は雨っぽい雲がたれ込め、風も強い。
だが、心で何かがはじける。「バイクに乗ろう!」。
そうだ、ここ一ヶ月ほど、せっせとエンジンをかけて潤滑油を十分になじませていたのはこの日のためではないか。幸い気温は高く寒くはない。たかが保険の更新だが、刀に乗っていこう。
原稿をすっぽかして身支度をし、バイクブーツを履いて外へ出ると、音もなくバイクブーツの底が抜けた。ぺらんぺらんと足の裏にかろうじてぶらさがっている。そうだよな、このブーツも刀を買ったときに同時に使い始めたものだからもう9年だ。この際だ、買い換えよう。
久しぶりに刀にまたがりエンジンを掛けると、何かが自分の内側で動き出す。冷静さと高揚感との両方が訪れるような、バイク特有の感覚だ。
これだよ。
バイクに乗り始めたのは20歳の時だった。「夏休みに北海道に行きたい。でも自転車は面倒だし、鉄道の旅は待つのがだるい」、それだけの理由で原付の免許を取り、6月に原付を買って、9月には北海道を走っていた。
実にいい加減な理由で乗ったバイクだが、自分の人生の有り様を一変させる魅力があった。こと私に関しては「2種類の人生がある。バイクに乗る人生と乗らない人生だ」といっても過言ではない。
今は自動車も運転する身だが、魂が高揚するのは自動車ではなく、バイクだ。どうしようもなくバイクである。この不安定で危険な乗り物に乗らなかったら、今の自分は今あるようにはならなかったろうと思う。
これだよ、これだよ!とつぶやきつつ、ごくごく近所の農協へ。金がなかった学生時代に、掛け金が安いという理由だけで選択した農協の共済だ。その後20年以上、無事故で継続し続けているので保険金はとても安い。あっさり更新。雨が降ってきたがそのままかまわず、国道一号沿いのウメダモータースへ。バイクブーツを新調する。
海岸に回ってガソリンスタンドで給油し、タイヤの空気圧をチェックしてエアを補給。帰ってくると午後4時過ぎで、そのままメンテナンスに入る。といってもひたすら車体の汚れを落として、からからになっていたチェーンにグリースを塗るだけ。でも、これだけやっておけば、いつだってバイクに乗れる。
鼻の奥に残るグリースの臭いと共に、今年のバイクシーズンが始まる。
午後4時半ごろから大雨。刀のメンテを終えて部屋に戻ると、まくりのメールが。ひえええ、とまた原稿。
そういえば以前、筑波宇宙センターのシンポジウムの後、東大の学生達と話していた時のこと、野田司令が「君らバイクの免許持ってる?」と聴いた。
「バイクの免許を持っていないから親離れできていないとはいわないよ。でも、バイクの免許を持っているということはママに反抗して自分の意志を通したことがあるということだ。大体母親って人種は子供がバイクに乗るといったら『あぶない』とかいって反対するからね」と野田司令。
その場にいた中年共、つまり野田司令、笹本祐一さん、私は皆免許を持っていた。笹本、松浦は限定解除をも持っていた。ところがそこにいた東大の学生達は誰一人としてバイクの免許を持っていなかったのであった。
自分の時はどうだったろうか、と思い出してみる。確か何も親に相談せずに免許を取り、自分のバイトで稼いだ金で最初の原付を買った。母は渋い顔をして確かに「あぶないから自動車にしなさい」と言った。事を決めたのは父の一言である。「要するにバイクってのは鉄の馬だろ、男が馬ぐらい乗りこなせなくてどうする」。父は子供の頃に乗馬をしていた。
バイクは何一つ言い訳のできない乗り物だ。事故を起こせばそれが自分の責任だろうが他人のせいだろうが苦痛はすべて自分がかぶることになる。あくまで冷静でなければ乗ってはいけない。
だが、その冷静さを必要とする乗り物は、とてつもない高揚感をももたらす。さえた頭に熱い魂、それがバイクの魅力だ。
写真は、ウメダモータースの駐車場でたまたま並んだ二台の刀。手前が私の1995年モデル。刀は1981年発売で、1987年で一度生産を終了している。市場の要求に応えて1995年に再発売。私のは最初の再生産モデルで、大分あちこちに手が入っている。さびもでて結構ボロだ。
奥はノーマルの2000年最終生産型。フレーム補強入り、ブレーキ強化、それまでチューブ入り(!!)だったタイヤがチューブレスタイヤに、丁寧な塗装、などなどあちこちが改良されている(なんだかんだ言っても刀のデビューは1980年のケルンショー。基本は4半世紀昔のバイクなのだ)。これができるのなら、再生産の最初からやって欲しかったな、スズキ。