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2004.03.31

KATANAに乗る

katanas.jpg

 30日、朝からまくりが入り、あうあう原稿を書いていると昼過ぎに電話が。「農協ですがスズキの二輪の共済が今日で切れます」。

 そうだった!、我が愛車「スズキGSX-1100S刀」にかけた任意保険は3月末で更新であった。「継続の場合は本日午後4時までにおいでください」と電話は言う。行かねば。

 外は雨っぽい雲がたれ込め、風も強い。

 だが、心で何かがはじける。「バイクに乗ろう!」。

 そうだ、ここ一ヶ月ほど、せっせとエンジンをかけて潤滑油を十分になじませていたのはこの日のためではないか。幸い気温は高く寒くはない。たかが保険の更新だが、刀に乗っていこう。

 原稿をすっぽかして身支度をし、バイクブーツを履いて外へ出ると、音もなくバイクブーツの底が抜けた。ぺらんぺらんと足の裏にかろうじてぶらさがっている。そうだよな、このブーツも刀を買ったときに同時に使い始めたものだからもう9年だ。この際だ、買い換えよう。

 久しぶりに刀にまたがりエンジンを掛けると、何かが自分の内側で動き出す。冷静さと高揚感との両方が訪れるような、バイク特有の感覚だ。

 これだよ。

 バイクに乗り始めたのは20歳の時だった。「夏休みに北海道に行きたい。でも自転車は面倒だし、鉄道の旅は待つのがだるい」、それだけの理由で原付の免許を取り、6月に原付を買って、9月には北海道を走っていた。
 実にいい加減な理由で乗ったバイクだが、自分の人生の有り様を一変させる魅力があった。こと私に関しては「2種類の人生がある。バイクに乗る人生と乗らない人生だ」といっても過言ではない。

 今は自動車も運転する身だが、魂が高揚するのは自動車ではなく、バイクだ。どうしようもなくバイクである。この不安定で危険な乗り物に乗らなかったら、今の自分は今あるようにはならなかったろうと思う。

 これだよ、これだよ!とつぶやきつつ、ごくごく近所の農協へ。金がなかった学生時代に、掛け金が安いという理由だけで選択した農協の共済だ。その後20年以上、無事故で継続し続けているので保険金はとても安い。あっさり更新。雨が降ってきたがそのままかまわず、国道一号沿いのウメダモータースへ。バイクブーツを新調する。

 海岸に回ってガソリンスタンドで給油し、タイヤの空気圧をチェックしてエアを補給。帰ってくると午後4時過ぎで、そのままメンテナンスに入る。といってもひたすら車体の汚れを落として、からからになっていたチェーンにグリースを塗るだけ。でも、これだけやっておけば、いつだってバイクに乗れる。

 鼻の奥に残るグリースの臭いと共に、今年のバイクシーズンが始まる。

 午後4時半ごろから大雨。刀のメンテを終えて部屋に戻ると、まくりのメールが。ひえええ、とまた原稿。


 そういえば以前、筑波宇宙センターのシンポジウムの後、東大の学生達と話していた時のこと、野田司令が「君らバイクの免許持ってる?」と聴いた。

「バイクの免許を持っていないから親離れできていないとはいわないよ。でも、バイクの免許を持っているということはママに反抗して自分の意志を通したことがあるということだ。大体母親って人種は子供がバイクに乗るといったら『あぶない』とかいって反対するからね」と野田司令。

 その場にいた中年共、つまり野田司令、笹本祐一さん、私は皆免許を持っていた。笹本、松浦は限定解除をも持っていた。ところがそこにいた東大の学生達は誰一人としてバイクの免許を持っていなかったのであった。

 自分の時はどうだったろうか、と思い出してみる。確か何も親に相談せずに免許を取り、自分のバイトで稼いだ金で最初の原付を買った。母は渋い顔をして確かに「あぶないから自動車にしなさい」と言った。事を決めたのは父の一言である。「要するにバイクってのは鉄の馬だろ、男が馬ぐらい乗りこなせなくてどうする」。父は子供の頃に乗馬をしていた。

 バイクは何一つ言い訳のできない乗り物だ。事故を起こせばそれが自分の責任だろうが他人のせいだろうが苦痛はすべて自分がかぶることになる。あくまで冷静でなければ乗ってはいけない。

 だが、その冷静さを必要とする乗り物は、とてつもない高揚感をももたらす。さえた頭に熱い魂、それがバイクの魅力だ。

 写真は、ウメダモータースの駐車場でたまたま並んだ二台の刀。手前が私の1995年モデル。刀は1981年発売で、1987年で一度生産を終了している。市場の要求に応えて1995年に再発売。私のは最初の再生産モデルで、大分あちこちに手が入っている。さびもでて結構ボロだ。
 奥はノーマルの2000年最終生産型。フレーム補強入り、ブレーキ強化、それまでチューブ入り(!!)だったタイヤがチューブレスタイヤに、丁寧な塗装、などなどあちこちが改良されている(なんだかんだ言っても刀のデビューは1980年のケルンショー。基本は4半世紀昔のバイクなのだ)。これができるのなら、再生産の最初からやって欲しかったな、スズキ。

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Comments

ううむ、今日のL/Dは泣けるなあ。
いや、なんで泣けるかというと、個人的な事情があるんですが。

自分がバイクの免許を取ったのはかなり遅くて、25のときで
した。

当時、自分は精神的な危機にあったのです。
今となってみればそれが慢性化した鬱病だとわかっているので
すが、当時はそうとは知らなかった。毎日が辛くて、喜怒哀楽
を失っていた。自分の周りに弾力性のある半透明の強靭な膜が
張っているようで、外の世界すべてに現実感がなかった。

このままでは普通の社会人になれずに引きこもり(という言葉
はまだ無かった)になってしまうと焦燥感に駆られていた。
(数年前の柏崎の監禁事件はまったく他人事じゃなかったです
ね。同じ新潟だし、同世代だし。)

そんなときになぜバイクに乗ろうと思ったのか今となっては
不思議ですが、とにかく苦しみながら教習所に通って400の
バイクを買った。

強烈でしたね。

「コケると死ぬ」という感覚が常にあって、前述の半透明の膜が
拭い去られるのを感じた。風の中に流れる光景は確かに「現実」
だった。
深夜、あてどもなくバイクを走らせていると、怒りと不安、焦り
といったものが、ガソリンとともに燃えていくようだった。

うーん、ああいうエネルギーを消耗する乗り物は鬱病には良くな
いはずなんですが・・・・若かったんですね。
そうして少しずつ精神的危機から脱出していったのです。

客観的にはヘタれライダーでした。
運動神経鈍いし。よく警察につかまったし(笑)まったくあの点
数制度ってやつは・・・ああ、あれで社会性ってのが身についた
のかな(苦笑)

しかし、いつの間にかだんだんバイクに乗らなくなり、最後は体
力がもたないという理由で止めてしまった。今はクルマばっかり。
結局、自分はバイクの人じゃなかったんですな。


東大の学生さんはそうした危機に直面したことがないんでしょう。
もっとも、受験期に危機を迎えていたら東大に入るのは覚束ない。


そういえば、会社の後輩に一人、こいつバイクに乗ったほうが
いいんじゃないかって奴がいます。
それを言ったらば、「バイクなんて危ないじゃないですか。私は
乗りません」だと。
いや、だから君はバイクに乗るべきなんだってばさ・・・


長文かつ個人的な書きこみしてすいません。
ああ、なんかまたバイク買ってみようかな。

 そうですね。確かにバイクの強烈な刺激はうつにはいいかと思います。

 六田登の「Twin」でしたっけ。バイクに乗ることによって生きる意味を取り戻す若者を描いていて、好きでした。

>>まったくあの点数制度ってやつは
 私も交通警察には十分文句をいう資格があるほど寄付しております。もちろん自分に非があることもあったのですけれども、なにがかなわんって、事故防止のための取り締まりではなく、取り締まりのための取り締まりをやることですね。

 彼らに聞けば「そんなことはやっていない」と答えるんですが、「ま、とりあえず切符切っときますんで」という台詞で、恐ろしくトリビアルな違反切符を切られたことがある身としては信用しておりません。「とりあえず」って何?

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