大先達の話を聞く

午後、永福町へ。当地に住む宇宙開発の大先達、黒田泰弘さんにインタビュー。こちらのためのインタビューだが、当方が忙しかったり黒田さんが体調を崩されたりで延び延びになっていた。そろそろ片を付けようということで、本日は午後一杯話を聞く。今年で84歳になられるはず。
黒田さんは、NASDAが最初に開発した衛星打ち上げ用ロケット「N-I」の、開発ヘッドを務めた人だ。陸軍の軍人だった黒田さんは、戦後航空研究が禁止され、多くの日本の航空人が飛行機を諦めた時、なんと米軍立川基地で飛行機整備の仕事に潜り込んだ。そしてチャンスをつかみ、航空が禁止されている日本からアメリカへ、航空研究の名目で留学してしまう。
そこで黒田さんは、ロケットと出会った。
「ロケットエンジンの噴射炎を見て、人生が変わった」という。帰国後、なんとしても日本でロケット開発を立ち上げようと粘りに粘り、ついにアメリカからの技術供与によるN-Iの開発にたどり着く。
黒田さんの話には、私にとっては歴史的な人物が何人も出てくる。戦後、米軍に雇われて製図作業をしていた堀越二郎(ゼロ戦設計者)、「もう日本の飛行機なんてダメだよ」としょんぼりしていた木村秀政(航研機やA-26長距離機の設計者)——なかでも印象深いのは久保富夫(百式司令部偵察機の設計者)の話だ。
帰国後、黒田さんはロケット開発を立ち上げようとして三菱重工に就職する。しかし、航空自衛隊向けのF-86戦闘機のライセンス生産が始まる時期で、「飛行機だ!」と沸き立っていた三菱に黒田さんの話を聞く人はいなかった。黒田さんは戦中の名設計者だった久保富夫にロケット開発を訴える。昼休み、テニスをしながら久保は言ったそうだ。「黒田君、もう日本で飛行機は無理だ。これからは自動車の時代だよ」。
その言葉通り、久保氏は三菱自動車へと転じて後に社長を務める。久保時代の三菱自動車は「コルト」を初めとした今もファンがいる名車を次々に開発することとなった。
ロケットに向かう人がいて、飛行機に執着する人もいて、自動車へ希望をつなぐ人がいる。これが歴史だ。今日、私は歴史の言葉を聞いてきたのだった。
帰途、渋谷を通る。東急文化会館はもうなくなっていた。13歳まで三鷹台に住んでいた私にとって、渋谷の五島プラネタリウムは好奇心を満たすこの上なく楽しい場所だった。数年前、プラネタリウムが閉館した時はとても悲しい思いをしたものだ。しかし、今や東急文化会館そのものが取り壊されてしまい、屋上の半球ドームもない。残っているのは連絡通路に張られた写真のパネルだけだ。これもいずれなくなるのだろう。
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