男3人、寿司を食う

4月7日 夜は少し雨が降り肌寒かったが、午前中から晴れて暖かくなる。
午前一杯かけて筑波宇宙センターへとでかける。東京駅からのJRバスは、4軸8車輪二階建て84人乗りの「メガライナー」という大型車両だった。航空機並みの座席とサービス設備でなかなか快適。もっとたくさんこの車両を導入すればいいのに、とも思うが、2005年に秋葉原と筑波を結ぶ常磐新線「つくばエクスプレス」、通称「オタク電車」が開通すればそちらに客は流れるだろう。
午後一番から、筑波宇宙センターで柴藤羊二さんに会う。このところ問題意識を持っている「スペースシャトルとは何だったのか」ということに対して、1980年当時に現場にいた柴藤さんからうかがう。他、あれこれと話題は飛びまくる。
辞去する際に、「そういえば最初に会ったのは1989年のスーパー301の時だったね」という話になる。私は航空宇宙業界ニューズレターの記者として、柴藤さんにお会いしたのだった。柴藤さんは次期通信衛星CS-4の必要性を力説していた。結果としてスーパー301はアメリカの思惑通りになりCS-4もBS-4も消え、日本の衛星産業は衰退した。まさにおごれる日本の敗退だったが、同時にそこには「衛星なんてアメリカから安く買ってくればいいじゃないか」と考えたNTTとNHKの意志があったことも忘れてはいけない。
センターの厚生棟で、仕事を一瞬抜けてきた野田組の面々と野田篤司さんに会う。野田さんが個人的に開発中のダメダメ(?)ソフトウエアを見せてもらう。昨日、航空宇宙学会で、「パリエアショーでの航空宇宙工業会の恥ずかしい展示」という話をしたよ、と野田さんに言ったらば、野田さん「そうなんだよ。ファーンボローでも同じだったんだ。しかも俺の場合そこに『野田様こちらに寄ったら連絡して下さい』って恥ずかしい張り紙まであったんだよ!!」。
東京に戻り、時間があったので日経BP出版局編集部に寄る。どうやら「国産ロケットはなぜ墜ちるのか」は、ぼつぼつ売れ続けているようでうれしい限り。担当編集のIさんは、早速FOMAのP900iを入手していた。Iさんは自動車はシトロエンだわ、自宅には凝ったオーディオが入っているわ、カメラはハッセルブラッド一式だわという大変な趣味人である。「ビオゴンはいいね、ツァイスが生んだレンズの極みだね」などマニアな話題で盛り上がる。
その足で門前仲町に出て待ち合わせ、すぐに出会うことができた。「さすらいの食い倒ラー」山本謙治さんと脚本家・翻訳家で「SF物書き」の堺三保さん。懸案だった特上の寿司を食いに行くのだ。
山本さん、などともったいぶっても仕方がない。やまけんと呼ぶことにしよう。私は14年間サラリーマンをしたが、うち2年は会社から神奈川県藤沢市にある慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの大学院メディア・政策研究科に出た。当時藤沢キャンパスはできたばかりで、どいつもこいつも個性の強い学生ばかりが集まっていた。所属した研究室には、小柄ながら分厚い胸板と太い腕を持ち、やたらと声のでかい威勢のいい男がいた。やまけんだった。
やまけんは行動力の塊だった。新入生として藤沢にやってくると、さっさと学長室に出かけていって「空き地を畑に使っていいですか」と交渉したのだそうだ。土地の使用許可をとったやまけんは、土を掘り起こして畑を作り、仲間を募って「八百藤」という農業サークルを立ち上げ、無農薬栽培の野菜を作った。そして学園祭がある毎に収穫を料理したり配布したりしたのである。さらに彼は、インターネットと農産物流通に興味を持ち、その題材で懸賞論文を書いて賞金をせしめ、大学院に進学した。その後証券会社系シンクタンクを経由して農産物流通会社に就職し、日本中を歩き回ってうまいものを食い倒し、そして現在はこんなblogを開設しているのである。と、思って見てみたら、あ、またうまそうなもの食ってやがる。腹立つなあもう。
ことの始まりは体調を崩して減量真っ最中だった堺さんに、かなりの悪意を持って「こんなホームページがありますぜ」とやまけんのページを教えたことだった。私としては堺さんが歯ぎしりしてもだえ苦しむところを見たかったのだが、あにはからんや、堺さんはやまけんページをすっかり気に入ってしまい、やまけんとあれこれ食い物の情報を交換するようになり、あまつさえ二人で寿司を食いにいくまでになってしまったのだ。
そんなことをこの意地悪魔法使い松浦が許すだろうかいや許さない。「俺も寿司食いたい」というわけで、やまけん御用達の寿司屋、門前仲町の「匠」に出かけることになったのだ。
実はやまけんに会うのは学校卒業以来7年ぶり、久しぶりのやまけんはあいかわらず威勢が良かったが、7年の職業生活で確固たる食のプロになっていた。やまけんからは著書の「実践農産物トレーサビリティ」をもらい、私からは「国産ロケットはなぜ墜ちるのか」を贈る。
で、肝心の寿司といえば——うまいっ。他なにもいうことはありませんです。ネタもいいし米もいい、さらには醤油にまで神経が行き届いており一貫一貫がこまやかな手さばきで絶妙の強さで握られている。若い大将の真剣な態度が伝わってくる美味だ。漬けまぐろ、富山の白エビ、バフンウニ、塩で食う穴子、昆布〆鯛、ミル貝の肝、ホタルイカ——どれもこれも一級品ではないか。
そうか、今東京には最高の食材が最高の状態で運ばれてきているのだな。目利きと努力を惜しまなければ、それをこうやって提供することもできるのだな。
やまけんはと言えば、「俺腹減ってるからシャリ二倍ね」と言って、小ぶりのハンバーガーぐらいある寿司をぱっぱと食っている。
「松浦さん、純米酒の熱燗いこうぜ」
「純米酒は冷やで飲むのが基本では」
「なにいってんの。最高の純米酒は熱燗さ。知らないなーぁ」
と、三重の「るみ子の酒」を熱燗に。おお、確かに。冷酒とは全く異なるふくよかな味が口の中に広がる。
「熱燗にすると米の味がふわっと出るわけよ。素晴らしいのはそれが寿司のシャリの味を殺さないで引き立て合う事ね。最高でしょ」
はい、まいりました。
やまけんは、近く会社を興して独立するという。堺さんも生活を大きく変えるべく動き出すとのこと。負けてはおれないなあと強く思う。
しかし堺さんが、これほどきちんと食を考えている人とは知らなかった。「何言ってんですか。そもそも体調を崩したのも、ローストビーフやら豚角煮やらを自炊していたからで」そりゃ体調も崩しますわな。
いや、SF関係者の間では、堺さんといえば「スターウォーズボトルキャップを集めるために毎日ペプシがぶ飲み」とか「カロリーメイトで命をつないでいる」とかそんな話ばっかだったもので、典型的なオタク食の人かと思っていました。失礼しました。
やまけんの隣には、たまたま彼のblog常連のKappaさんという女性が座っていた。金融トレーディングで働いているという。やまけんはといえば、
「貯金預けるにはどうしたらいいのかな」
「20億以下じゃダメね。20億稼いだらいらっしゃい」
「おう、そんだけ稼ぐとしたら3ヶ月かな」
こういう奴だ。
Kappaさんからは、「よろしければつきあいませんか」と、生わさびを入れた焼酎を一杯おごってもらう。おお、これも美味。つんとせずにわさびのほのかな甘みが味わえる。「チューブ入りわさびでやっちゃダメですよ」。ははっ、しかと承りました。
かくしてとても楽しいひとときを過ごさせてもらった。やまけん、堺さん、「匠」の大将、Kappaさん、ありがとうございました。
写真は「匠」のカウンターにて、左からやまけん、私、堺さん。
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【堺三保のおたく人生日記blog版NEW】
文筆業者・堺三保の日記です。]
今日は阪神が大負けしてるのを横目に、やまけんさんと松浦晋也さんと3人で、門前仲町の寿司屋「匠」に行って、江戸前の握りを堪能してきた。
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