携帯電話の進歩にびっくりする

4月2日の朝は雨っぽかった。自動車で父を病院に送る。帰途、ガソリンスタンドで自動車の簡単な整備。車内を掃除してタイヤ空気圧を調整する。大分圧力が下がっていた。あぶないあぶない。
午後からはすばらしい陽気。春だよなあと思いつつ、水道橋のKDDIへ、日経WinPCの連載のための取材。カメラマンのOさん、編集長のIさんと一緒。最近の携帯電話の恐るべき進歩にびっくりする。これを高校生が使っているのかと思うと、なんともいえない気分になる。
昔話をするのは年を取った証拠だというが、自分が子供の頃は家に電話のない友達というのが実際にいた。電話は電電公社の黒電話で。ダイヤルは回すものだった。子供が電話で友達を遊びに誘うと、「子供らしくない」といわれたものだ。子供は玄関先で「あそぼー」と叫ぶものだった。
フィンガー5の「恋のダイヤル6700」などは、テクノロジーの発達により、今の青少年には理解できなくなっているのではないだろうか(でも調べてみるとこの歌、ちゃんと着メロリストには入っていた)。あの歌ではダイヤルは「回す」ものだし、だいたいなんであんなに女の子のところに電話するのがどきどきするかといえば、親が出てきたらどうしよう、ということだものな。携帯電話なら、親が出てくるというのはまずない。
帰途、I編集長と、テクノロジーの進歩について話し合う。I編集長曰く「たしか1993年の5月だったかな、ジョージ・ギルダーのインタビューをしたんだ。ギルダーは『今アメリカではネットワークが大きな影響を持ち始めていて、ルーターが重要になっているんだ』といったんだけど、僕なんか『ルーターって何?』だったんだよね」。私にもそんな経験が山ほどある。
20年前の1984年がどんな時代だったか考える。私は人より2年遅れた大学3年生だった。
1984年。
もちろん携帯電話はない。インターネットもない。パソコン通信草創期だ。そのパソコンはといえばPC-9801F(8086、8MHz)だった。ADSLに押されてあっという間に衰退したNTTのINS64すらまだだ。NTTの三鷹実験は1985年だった。大型テレビもまだだ。28インチ以上のテレビ普及は1986年である。家庭用ビデオは普及しはじめたばかりで、VHSとベータががっぷりよつだった。
こと技術という一点に限ってみても、20年前に今の状況を予想することはできなかった。つまり20年後も予測不可能である。「20年後にあれができるこれができる」と語る者がいたとしても、それは信頼すべきではないだろう。
夜、町田に出てNIFTY-Serve時代からの友人Kさんと一席。「面白い人を紹介します」ということで一緒にやってきたNさんは、なんと日大航空出身だった。なぜか最近日大航空出身者と会う事が多い。飛行機の話でどーんと盛り上がり、終電を逃してKさんの家に泊まることになる。
写真は、水道橋と飯田橋の間にあるKDDI本社前。かつてのJR貨物の飯田町駅だった場所はきれいな高層ビジネスビルが建ち並ぶオフィス街となっていた。
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