浄水器を交換する

5月17日
部屋を片づけていると、水道の蛇口につけていた浄水器の中に黒くカビが増殖していたのに気が付く。
愕然とする。カビがはいっていたのは浄水フィルターの手前なので直接呑んでいたということはないが、それでもこの水で食器を洗っていたのかと考えると気分悪い。カビの状態を観察するに、どうやら排水口に増殖していた奴がフィルター交換の時の飛沫かなにかで入り込んだものらしい。排水口を清掃すると共に、4年ほど使用した浄水器を分解掃除する。ふと思いついて、洗面所に着けていた浄水器をばらすと、こっちはもっと状態が悪い。そこで掃除した浄水器を洗面所に回して、新たに浄水器を購入して台所に取り付けることにする。
私が育った30年以上昔の東京・三鷹市は水道のほぼ全量が地下水だった。水道の水は旨く、私は水道の水をそのまま飲むのが当然と思って育った。いったい水道の水をそのまま飲めなくなったのはいつごろだろうか、と思い起こすと茅ヶ崎に引っ越してきて高校に通い出した頃だ。古文の教師に「ここの水道を飲んでいると腎臓に石ができるぜ」と言われたのをはっきり覚えている。覚えているということは奇異に感じたということだ。
就職してから私は東京のど真ん中の住むこととなった。さすがに飲み水は買うようになったが、風呂などは水道水そのままだった。ある時、シャワーにフィルターを入れてびっくりした。1か月も立たないうちにフィルターが錆で真っ赤になり、ぐずぐずと崩れたのである。「健康被害」という言葉を実感した瞬間だった。
その後、空気清浄機を入れると、これまた説明書きでは半年持つはずのフィルターが3か月で煤煙を吸って真っ黒になり、ダメになった。「いつまでも東京に住んでいてはいけないな」と考えた。
現在、茅ヶ崎では同じ空気清浄機のフィルターが2年近くもつ。
思い起こせば「公害」という言葉が叫ばれた1970年頃には、「水も空気もフィルターを通さなければならず、外出にはガスマスクが必要なディストピア像」というのがメディアに盛んに露出していた記憶がある。現在、我々は水道にフィルターをかけて、場合によっては飲料水を買い、空気清浄機を回して花粉の季節の外出にはマスクを付ける。あれから30年、大した苦痛もなしに、30年前に想像されたディストピアに生きているのである。
昨今都心回帰ということで都心のマンションが人気だが、私は二度とあの環境に住む気はない。できればおいしい水が飲める場所、例えば箱根や静岡の三島あたりに住みたいところだが、情報を生業としている以上、今よりも東京から離れることはできない。
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