Web検索


Twitter

ネットで読める松浦の記事

My Photo

« June 2004 | Main | September 2004 »

2004.08.31

SF大会の補足:液体酸素・液体水素は最高の推進剤か その3

  「液体酸素・液体水素はいつも最高の推進剤ではない」、「噴射速度、つまり比推力が高いということが即どんな条件でも最適ということではない」ということの続きである。
 コメントやトラックバックなどで見ると、やはりこの問題はわかりにくいらしい。いやいや、私の説明が悪いのだろう。もうちょっと頑張って解説してみよう。

 以下、まずは「質量」「加速度」「エネルギー」「運動量」などが何かということを理解できている高校生ぐらいに向けた説明をしてみる。可能な限り数式は使わない。

 こう考えてみてみよう。

「推進剤が燃焼して発生するエネルギーのいかほどが、ロケットの運動エネルギーとなるか」

 ロケットは、燃焼ガスを噴射する反動で前に進む。外力が働かない理想的な状態を考えればロケットと噴射ガスの運動量の和はゼロだが、運動エネルギーはロケット本体と噴射ガスの両方に配分される。

 理想的には、ガスの運動エネルギーはゼロで、ロケット本体にすべての運動エネルギーが与えられるのが望ましい。静止状態で、それがどんな状態かと言えば、例えば自分が台車に乗って壁を押すような状態だ。壁は動かず、えいやと壁を押したエネルギーはすべて自分の運動エネルギーとなる。ロケット推進ではどんな状態かといえば、「無限大の質量を噴射するという状態」だ。

 もちろん実際には、噴射ガスの質量が無限大ということはないので、「ロケットの動きはじめは、なるべく大きな質量のガスを噴射したほうが、ロケット本体に配分されるエネルギーが大きくなる」ということが分かる。

 以下、少し速度が付いた時、もうちょっと速度がついた時、ますます速くなった時、と考えていくと、「ロケットは前に進みつつ、後に残るガスがちょうど速度ゼロになるようにガスの噴射速度を変えていくと、ロケット本体に残る運動エネルギーが一番大きくなる」ということが分かる。
 コメントでは、「排出ガスが馬の糞みたいにその場に静止するのが理想である」と野尻抱介さんが書いてくれている。まさにこのことである。

 さて、液体酸素と液体水素の組み合わせは、ガスの噴射速度が高く、最終的なロケットの到達速度が大きくなるというのが利点だった。だが最終到達速度が大きくなくても良いロケット、例えばブースターや第1段の場合、発生したエネルギーの大部分が噴射ガスの運動エネルギーとなってしまい、ロケット本体の運動エネルギーにはならないということになる。

 つまり、液体酸素・液体水素の組み合わせが有効なのは、最終到達速度が高い場合なのである。もっと一般化すると噴射速度が大きな推進剤が有効なのは、最終到達速度が高い場合ということになる。

 次は「物理は高校1年であきらめた」という人向けの説明。

 昨年の秋、イタリアで、ミハエル・シューマッハの乗ったフェラーリのF1マシンと、欧州の最新鋭戦闘機であるユーロファイターが、滑走路上で静止した状態からヨーイドンで競争するというイベントがあった。

 ユーロファイターはマッハ2以上の速度を出せる。一方フェラーリF1がいくら速いといっても最高速度はいいところ400km/h以下だ。競争をすればユーロファイターが圧勝する――そう思える。エンジンの出力だって段違いだ。

 が、競争の結果がどうかといえば滑走路の端でユーロファイターが離陸するまでは、フェラーリF1のほうが速かったのである。フェラーリF1は猛烈なダッシュで加速してすぐに最高速度に達したのに対して、ユーロファイターはゆるゆると出発してだんだんと加速、フェラーリF1の最高速度を超えて加速して、最後はフェラーリを抜いて離陸していったのであった。

 なぜ最初の段階ではフェラーリF1のほうが速かったのか。フェラーリF1は、エンジン出力でタイヤを駆動している。タイヤが地面を押しやることで前に進んでいるわけだ。つまりエンジン出力のすべてが地面を蹴ることで車体が前に進むために使われているのだ。
 ところがユーロファイターが、エンジン全開にすると、最初エンジン出力は全部噴射ノズルから後ろに吹き出すジェット噴流が持っていってしまう。ゆるゆるとユーロファイターが動き出してからだんだんと出力がユーロファイター本体を加速するのに使われるわけだ。

 つまり、速度によって、本体に運動エネルギーを与える最適な方法は変化するのである。速度ゼロの時には地面を蹴るタイヤのほうがジェットエンジンよりも、良い方法だったのだ。で、滑走路途中でタイヤよりもジェットエンジンのほうが加速に向いた方法となって、ユーロファイターはフェラーリを抜いたのである。


 上記2種類の説明で、納得していただけるだろうか。この問題は、今後の宇宙輸送システムを考える上で非常に重要だと思うので、もっと色々な説明方法を考案すべきかと思う。この文章を読んだ方も、色々と自分で考えてみて、できれば自分なりの説明方法を考えてみていただければありがたい。


 で、「速度によって、本体に運動エネルギーを与える最適な方法は変化する」、「液体酸素・液体水素の組み合わせが有効なのは、最終到達速度が高い場合」ということを念頭において、ロケットの打ち上げを考える。

 「その2」の復習だ。

 ロケットの速度が低い場合、液体酸素・液体水素の組み合わせは、エネルギーの大部分を噴射ガスが漏っていってしまうので、加速が鈍い。別の言い方をすれば「液酸・液水エンジンでは、エンジン規模の割に大推力を得るのが本質的に難しい」

 そして、打ち上げ初期にロケットが上に昇っていく状態では、重力損失という損失が存在する。重力損失は、大加速度で一気に上昇すると小さくなる。

 だから、スペースシャトルやH-IIやアリアン5は、噴射速度は低いが大推力の固体ロケットブースターを付けている。それは、打ち上げ初期の平均噴射速度を下げるということであり、「噴射速度が大きく最終到達速度が高い」という液体酸素・液体水素の組み合わせの利点を殺すということである。

 野尻さんの指摘のようにこの段階では空気抵抗による空力損失も存在する。空力損失は空気の濃さとロケットの速度が関係してくるので「どの高度をどんな速度で抜けるか」が問題になる。実際のロケット設計には大きな影響を与えるのだが、ここでの大さっぱな議論では、あまり気にしなくてもよい。

 そうまでして、液体酸素・液体水素を第1段で使う理由がどこにあるかといえば、次に、地上から発進して単段で高い到達速度を得ることが必要な宇宙輸送システムを開発する必要がある場合、先行開発として意味がある。つまり「単段式再利用型ロケット」「スペースプレーン」といった1段だけで軌道速度を出す機体を作るならば、液体酸素・液体水素の第1段は意味を持つ。

 ここで、たれさんが「SSTOって原理的に不可能という話はどこへ。」というコメントを付けている。

 そうなのだ。この結論と、「SSTOってどうなんだ」という疑問を組み合わせると、なかなか嫌な結論が見えてくる。

 長くなったので、またまた続くのであります。

2004.08.30

マイレッジマラソンで、世界新記録が出る!

 液酸・液水の話をしている最中ですが、臨時ニュースです。

ガソリン1Lで4079キロ 省エネカー燃費で世界新(asahi.com)

 広島の中根久典さんのチーム「ファンシーキャロル」が、燃費競争「マイレッジ・マラソン」長年の目標だったリッター4000km超の記録を達成したのだ。

 昨年、私は日経WinPC誌で書いていた連載「コダワリ人のおもちゃ箱」の取材で、中根さんのところにお邪魔した。中根さんは、元々自動車技術者だったがマイレッジ・マラソンにとりつかれて独立、会社経営の傍ら世界記録への挑戦を続けていた。

 なによりも素晴らしいと思ったのは、中根さんは既成概念にとらわれることなく、一歩一歩記録達成に向けた技術開発進めていること、そして、可能な限りの部品を自分の手で作り出していることだった。「自分で作ることで、色々なことがよく分かる」と中根さんは言っていた。

 その結果が、この世界記録だ。記録はいずれ破られるだろう。でも、記録を作るために中根さんらチームメンバーが経験したことは残り、引き継がれるのだ。

 中根さん、おめでとうございます。

 チーム・ファンシーキャロルのページ
 中根さんの会社FC-Designのページ

 で、ちょっと宣伝。現在書いている火星探査機の本の次は、「コダワリ人のおもちゃ箱」をまとめた本を出すことになっている。連載から精選したコダワリ人たちの紹介と書き下ろしで構成する予定だ。もちろん中根さんにも登場して頂くことになっている。

SF大会の補足:液体酸素・液体水素は最高の推進剤か その2

 「多少効率が悪くてもかまわないじゃんか」と考える人もいるだろう。「打ち上げの最初の頃、多少加速が悪くっても、とにかくトータルで見たら性能はいいんだから、やっぱり液体酸素・液体水素だよ」と。ところが地上からの打ち上げではそうは問屋が降ろさない。

 重力損失というものがあるのだ。

 自重と同じ推力を発生するロケットがあるとしよう。それを噴射しても、地面効果でちょっとばかり浮くだけで上へは上昇していかない。上昇せずに推進剤ばかりが浪費されていることになる。
 ちょっと考えると、上昇するロケットは、この「ちょっとしか浮かないロケット」と同じような損失を常に発生させていること。損失の総量が上に向かって上昇している時間と関係していることがすぐに分かるだろう。

 これがなかなかバカにならない。では重力損失を小さくするにはどうしたらいいか。もちろん上に昇っていく時間を短くすればいいのだ。つまり、大加速度で一気に登り切ってしまえばいいのである。

 これがスペースシャトルやH-IIAや、アリアン5に固体ロケットブースターが付いている理由だ。打ち上げ初期にはエネルギーが噴射ガスに持って行かれてしまう液体酸素・液体水素エンジンで、だらだらと昇っていくと重力損失が大きくてかなわない。そこで推力が大きい固体ロケットブースターで一気に昇っていって重力損失を小さくするのである。

 そう考えると、スペースシャトル主エンジンも、LE-7も、はたまたアリアン5のヴァルカンエンジンも、「第1段エンジン」と呼ぶにはややカンバンに偽りがあることが分かる、真の第1段、つまり地上からロケットを最初に持ち上げるのは実は固体ロケットブースターなのだ。
 上記の液酸・液水エンジンは、極論してしまえば「地上から着火して持っていく第2段用エンジン」なのである。

 で、問題は「そうまでして地上から液体酸素・液体水素エンジンを点火して打ち上げて、なにかいいことがあるのか」ということだ。そんなことをするなら、いっそ最初は固体ロケットブースターだけで上昇して、途中から液酸・液水エンジンを点火したほうがいいのではないだろうか。

 実はそうなのだ。突っ込むとノズル効率の話になるので理由は省略するが、1気圧の地上から使う液酸・液水エンジンは、かなりの高圧で燃焼を行わないと、その特徴である「高い噴射速度」を実現できない。

 ただでさえ扱いにくい零下250℃の液体水素に加えて、エンジン構造に大きな応力がかかる高圧燃焼を行うとなると、エンジンの開発はとても大変になる。そのために2段燃焼サイクルという複雑な燃焼サイクルを使わなくてはならなくなる。

 結果、スペースシャトル主エンジンとLE-7は開発にずいぶんと苦労することになったし、2段燃焼サイクルを使わなかったヴァルカンも完成までには9万秒もの累積燃焼時間をかけることになった(通常ロケットエンジンは完成までに2万秒の燃焼試験を行う。ちなみにLE-7は1万3000秒で、予算の足りなさ加減を象徴している)。

 そこまでやっても、できあがるのは「地上から着火して持っていく第2段エンジン」でしかない。

 「おいおい、じゃあなんでそんなものを開発したんだよ。科学に弱い国民を一見すごい技術で恐れ入らせるためかよ」

 そうではない。実はこのような技術開発が意味を持つ場合があるのだ。「この次に単段で高い最終速度を得る必要のあるロケットを開発するなら、このような技術開発は先行開発として意味を持つ」のである。

 「単段で高い最終速度を得る必要のあるロケット」、つまりSSTOだ。Single Stage To Orbit、スペースプレーンとか、デルタクリッパーとかのような、単段で地球周回軌道に出ていって、場合によっちゃまた帰ってきて再利用するような機体を目指すなら、地上から使える液酸・液水エンジンが、是非とも開発しなければならない必須アイテムなのである。

 この話、まだまだ続きます。

2004.08.28

SF大会の補足:液体酸素・液体水素は最高の推進剤か

 SF大会での補足第二弾。どうも「液体酸素・液体水素こそ最高のロケット用推進剤」と思っている人が多いようなので。

 この話、私も野田篤司さんと議論するまではきちんと理解していなかった。どうも野田さんと議論がかみ合わないなと思っていたら、野田さんにとっては液体酸素・液体水素がどんな条件でも最高の推進剤というわけではない、ということは自明だったのである。

 「液体酸素・液体水素最高!」と思っていた私は大きな衝撃を受けた。

 そう、スペースシャトルの問題点は液体酸素・液体水素を使ったというところにもあるのだ。

――――――――――

 以下、なるべくわかりやすく説明を試みてみる。私も完全に理解しているかと言えば自信はないのだけれども。

 ロケットの性能は、ツィオルコフスキーの公式という簡単な式で表すことができる。こんな式だ。

 ロケットの最終到達速度=噴射ガスの速度×Log(推進剤込みのロケット質量/ロケット本体だけの質量)

 ただしLogは自然対数

 この式から、ロケットを最終的に高速に加速するには、1)噴射ガスの速度が大きい、2)本体を軽くして中に一杯推進剤を積む、という2つの方法があることがわかる。

 で、液体酸素・液体水素は1)の方を追求する手段だ。燃焼は化学反応だから分子1モルあたり発生する熱で、1モル分の生成ガスを加速する。だから噴射速度を上げるためには軽い分子のほうが良い。液体酸素と液体水素だと、発生するのは分子量18の水だ。これは、ケロシン・液体酸素で発生する二酸化炭素や、ヒドラジン・四酸化二窒素から発生する酸化窒素よりもずっと軽い。

 だから最終到達速度を高めるためには、液体酸素と液体水素の組み合わせが不可欠になる。もちろんこの組み合わせは発生する熱量も大きい。

 気が付いて欲しい。上記には「最終到達速度を高めるためには」という条件が付いているのだ。では、そんなに最終到達速度が高くなくてもいい場合はどうだろうか。
 ここで、ロケットは、後ろにガスを吹き出すことでガスとの間で運動量の受け渡して前に進むということを思い出そう。

 速度ゼロから噴射でロケットが動き出すことを想像して欲しい。ロケットエンジンはエネルギーを発生してガスを噴射している。でも、最初の段階では噴射のエネルギーはロケットそのものの運動エネルギーにはならない。全部ガスの運動エネルギーとなってしまうことが分かるだろう。やがてロケットがずるずると動き出していくと、運動エネルギーは少しずつ効率的にロケット本体が受け取るようになっていく。

 分かっただろうか。軽いガスを高速で噴射するということは、ロケットが動き出す初期には、運動エネルギーをガスが持っていってしまうということなのだ。

 電気回路の知識のある人は、インピーダンス・マッチングを思い浮かべてくれれば理解しやすいのではないだろうか。

 もちろんロケットの速度が上がるにつれて、噴射ガスの運動エネルギーと比べてロケット本体が得る運動エネルギーは大きくなっていく。 だが、そんなに高速に加速しない時は、液体酸素・液体水素の組み合わせはかえって効率が悪くなるのである。

 ロケット打ち上げ時を考えると、地上の速度ゼロから加速していく第1段がまさにこの条件に相当するのだ。

 「シャトルもH-IIもアリアン5も、第1段は液体酸素・液体水素だ。どうなってんだ」

 そう、だからこれらのロケットには固体ロケットブースターが付いている。ガスの噴射速度は小さいが推力の大きな固体ロケットブースターを付けて、打ち上げ初期の平均ガス噴射速度、つまりは比推力を下げてやっているのだ。

 ここで疑問に思わなくてはいけない。取り扱いの難しい液体酸素・液体水素を使って、噴射速度を上げる、つまり高性能にしたというのに、なんで固体ロケットブースターでわざわざ噴射速度を下げなくちゃならないのか?どこかおかしくないか?

 どうなってんだ?

 以下続く。

2004.08.27

宣伝:宇宙ステーション利用計画ワークショップで対談します

 昨日書いたヴォイニッチ手稿の実物はこちらで見ることができます。絶妙のヘタウマ感と意味がありそうでなさそうで深読みを誘う謎の文字。なるほど、こりゃ騙されようというものだな。

 宣伝です。9月7日と8日に開催される第26回宇宙ステーション利用計画ワークショップで、黒川清先生(日本学術会議会長、国際宇宙ステーション・きぼう利用推進委員会委員長)と対談します。テーマは「我が国の有人宇宙計画のあり方」です。

日時:7日火曜日の15:20-16:20です。
場所:砂防会館 シェーンバッハ・サボー
東京都千代田区平河町2-7-5 砂防会館
(砂防会館地図)

 私の古巣である日経BP社のすぐ近くだ。ISS関連のワークショップは、かつて何度となく客席側から取材をしたことがある。まさか壇上に上ることになるとは、何とも言えず妙な気持ちではある。

2004.08.26

本日2回、うわっ、と思う

 うわっ、朝日新聞がJSFの記事を載せるのはいいけれど、掲載されている写真が採用されたロッキードマーチンの機体ではなくて、ボツになったボーイングの機体だ。
 記事自体はいいところ突いているだけに、これは記事の信頼性を損なうミスだ。この場合、責任はデスクにある。新聞のデスクは、すべてに渡る百科全書的知識が要求されるのだが、「給料もらえれば」というサラリーマン的意識でデスクを拝命すると、こういうことになる場合がある。

 うわっ、日経サイエンスの最新号に、ヴォイニッチ手稿が偽書であることが明らかになったという記事が出ているぞ。ヴォイニッチ手稿については、詳しくはリンク先を見て欲しいが天下の奇書などといわれた曰く付きの文書だ。やはり偽物であったか。
 個人的には、中学の頃に読んだコリン・ウィルソンの「賢者の石」で、狂言回し的にこの文書を使っていたことがずっと印象に残っている。「賢者の石」は一種のクトゥルー物だが、当時の私は「脳に特殊な金属片を埋め込んで知覚を拡大し、遠い過去や未来を透視する」というアイデアに酔ったものだった。


 で、一つ過去の「うわっ」を。

 本日、鈴木善幸元首相の葬儀。彼が首相をしていた1982年の夏、私は原付の免許を取って、てれてれと国道四号線を走って北海道へ向かった。鈴木首相の地元である岩手県では、「新幹線を岩手へ」と「祝・東北新幹線盛岡延伸」の立て看板が混ざってたっていた。誰から聞いたのだったか、「地元から首相が出るとな、大蔵省がご祝儀で予算を落とすんだ」と教わった。

 「うわっ、どうやら中学や高校で習ったのと全く別の、見えない仕組みで社会は動いているらしい」ということに気が付いた夏だった。

 今もこの国には、「子供に道徳教育を」と言う前に、大人が襟を正すべきことがたくさん横行していると思う。背筋を伸ばして生きていきましょう。未来のために。

2004.08.25

SF大会の補足をする

 SF大会で、私が出た企画「国産ロケットはなぜ墜ちるのかvs宇宙へのパスポート2」をごらんになっていた方のためにちょっと補足する。

 私はスペースシャトルを大失敗作だと言い、「スペースシャトルはいわばエアラクーダみたいな機体」と言ったが、エアラクーダってこんな機体です。ちょっと細かい解説はこっち

 ベルXFM-1エアラクーダ、プッシャー式のエンジンナセルに人間が乗る砲座がついた5人乗りの双発戦闘機!!

 でかくて無駄で間抜け。これを駄作と言わずして何を駄作というべきかという、アメリカンテイストいっぱいの駄作機である。

 で、「国際宇宙ステーションってのは要はカプロニCa60みたいなものだ」といったのは、まあこんな機体です。飛行機がどんな形状でであるべきかが分かる前に先走っちゃって、でっかいものを作ってしまった例。詳細はこちら

 実に壮大な計画だが結局飛ばなかった。

 私が何を言いたかったかおわかりいただけたでしょうか。

2004.08.24

できるということを考える

 アテネオリンピックで、日本がえらい勢いでメダルを獲得している。8月24日現在、金が15個。実に素晴らしい。
 ここで思い出すのは、ロス五輪以降のメダル低迷期にマスコミを彩った「分析」だ。曰く「日本人はプレッシャーに弱い」、「どうしても体力でかなわない」などなど。
 日本人は全然プレッシャーに弱くないし、体力でかなわないということもないことがアテネで証明されてしまった。とするとあの分析は何だったのか。

 なにかをするとき、最初から「できっこないよ」と考えたらできることもできなくなる。「無理だから現実的な方法を探そう」というのは、正しいように見えて実はよっぽどシビアに「無理かどうか」を見極めない限り、可能性を狭める後ろ向きの考え方だ。

 「日本人はプレッシャーに弱い」、「どうしても体力でかなわない」というのは分析のようでいて、言い訳でしかなかったのである。

 で、ちょっと本業がらみの話。内閣府の総合科学技術会議・宇宙開発利用専門調査会で、日本の宇宙政策の骨格を議論している。その報告書案が公開されているのだが、なにはともあれ読んでみて欲しい。



②有人宇宙活動への取組み

(a)当面(今後10 年程度)の目標

 我が国としては、当面独自の有人宇宙計画は持たないが、長期的には独自の有人宇宙活動への着手を可能とすることを視野に入れ、基盤的な研究開発を推進する。そのため、国際宇宙ステーション計画を通じた有人宇宙活動を今後も継続して実施する。なお、米国などの動向の影響を最小限としつつ、我が国の主体性ある活動を国際協力の枠組みにおいて実施し、着実に技術蓄積を行うための具体的な指針を策定する必要がある。
 また、有人宇宙活動に対する国民の支持(参考2 参照)、技術基盤の蓄積状況、合理的な目標設定、費用対効果などの諸条件を考慮し、その上で我が国の将来の目標・ビジョンの検討に着手する必要がある。その際、独自にすべきこと、国際協力としてすべきことを明確化しなければならない。


(b)長期的(20 ~30 年後)な将来展望

 当面(10 年程度)の取組みの成果を踏まえ、宇宙の多目的利活用に資する独自の有人宇宙活動を可能とするための必要な準備を進める。なお、準備を進めるにあたっては、有人宇宙活動に関する我が国の将来の目標・ビジョンが、我が国としての明確な意志と戦略に結実していることを見極めた上で、有人宇宙活動への着手を検討する。 長期的目標の設定の方向については、米国の新宇宙政策や欧州の探査計画などの国際的な状況を踏まえ、我が国の宇宙開発利用技術の優位性と自律性を勘案しながら、引き続き検討を進めるものとする。

(我が国における宇宙開発利用の基本戦略(案)8月19日版(事務局) p.17より)


 「10年は独自の計画を持たない。国際宇宙ステーションで勉強する」「20年~30年後にやる。そのために準備を進める」

 「無理だから現実的な方法を探そう」という一見賢明な方針に見える。ところで、この審議を行っている関係者の中で30年後も現役の人はいかほどいるのだろうか?

 国際宇宙ステーションで勉強するとするのはいい。しかし20年かかってまだ未完成のプロジェクト、しかも基幹輸送システムのスペースシャトルが運航停止の状態で、今後10年何を学ぶのだろうか。

 この話をすると、「未曾有の財政難で日本にはカネがありません。そこで独自有人宇宙活動なんてことはまあ無理です。今までの流れでねばり強く技術を蓄積していかないと」というような返事が返ってくる。

 人間は、まず「なにかをやろう」という意志を持ち、自ら考え自ら手を動かすことで初めて学び、進歩することができる。「学ぶ」の前提条件として「意志」「自分でやる」が必要なのだ。

 その目で内閣府の案を読むと、「意志」→「10年はやらない」、「自分でやる」→「国際宇宙ステーションで学ばせて貰う」――この案には「学ぶ」の基本条件が揃っていないのだ。それを「学ぶ」とし、「有人宇宙活動をやる」とすることは、欺瞞でしかない。

 この報告書案から読みとれるのは、五輪における日本人選手の不振を「日本人はプレッシャーに弱い」、「どうしても体力でかなわない」としたのと同じ、一見正しい分析を装った「言い訳」である。言い訳の結果が「20年~30年後」、つまり責任を子供の世代に丸投げするということだ。

 この話は、どこかできちんと書くかもしれないので、この場ではこれだけにしておく。


 最後に、浮谷東次郎の言葉を引用しておこう。

「人生に助走期間なんてない。あるのはいつもいきなり本番の走りだけだ。」


 いつだって本番を生きている我々は、「20年後にできる」なんて考えちゃいけないのだ。別に有人宇宙活動に限らず、ね。

2004.08.23

清原なつのさんに会う

 会うというより、お目通りしたといったものだろう。あいさつをしただけで名乗りもしなかったので。けれども、かつてファンであり今もファンであることを伝えることができた。幸せな気分だ。

 SF大会に参加した私は21日夜、小松左京研究会や宇宙作家クラブの皆さんと、ホテルの小松左京さんの部屋にお邪魔していた。小松さんの博覧強記という概念を実体化させたようなマシンガントークを聞いていると、とり・みきさんが、清楚な女性と共にやってきた。

「紹介します。清原なつのさんです」

 十代後半から二十代前半にかけて、私は熱烈な清原なつのさんの漫画のファンだった。最初は高校一年の初夏だったはずだ。当時茅ヶ崎市立図書館には「りぼん」が入っていた。

 なぜ「りぼん」を手に取ったのかは覚えていないが、そこには清原さん初期の代表作「花岡ちゃんの夏休み」が掲載されていた。

 十代というのは基本的に恥ずかしい時期だ。自意識過剰になって詩を書いたり歌を歌ったり、「パンクは生き方だぜ」とか力んでみたり、困った例ではバイクを盗んで走り出しちゃったりする。そんな過剰な自意識を、清原さんの漫画はざっくりと解剖し、かつ優しくはげましてもいた。しかも根底にははっきりとしたSFのテイストがあり、情緒過多に流れない理系の視線があった。

 一発でファンになった私は、少女漫画を買い始め、十代後半から二十代始めにかけては清原さんが掲載雑誌を変えるにつれて「りぼん」やら「ぶーけ」やらを買い続けた。私にとっての少女漫画遍歴は清原作品から始まるのだ。

 思わず私は「二十歳の頃、はずかしいのをこらえて清原さんの漫画読みたさに『りぼん』買ってました」というと、清原さんは「まあ」といってうつむいた。むさい男の信仰告白である。申し訳ない話だ。

 清原さんの漫画はSFファンをなにかインスパイアするものがあるらしい。SFファンには清原ファンが多い。翻訳家の大森望さんなどは、ペンネームを清原漫画の登場人物から取ったぐらいだ(「大森望」という登場人物が出てくる作品があるのです)。

 長い間絶版が多かった清原作品だが、現在早川書房が積極的に再刊しており、かなりの作品を書店で購入して読むことができる。

   ・清原なつの作品:bk1

 どれでもいいからぜひ購入して読んでみて欲しい。代表作といえば「花図鑑」だろうが、初期の「乙女ちっく」(という言葉が当時流行したのだ)タッチにひそかな毒を潜り込ませた作品も素晴らしい。

 しばらくは本業に専念していたが。近く漫画家として再起動する話もあるという。うれしい限りだ。

 しかし、小松左京さんの部屋で清原なつのさんに会う――こんな事があるなんて、二十歳の頃の自分に教えてみたいよ。

2004.08.21

SF大会に出席する

 岐阜で開催されているSF大会「G-CON」に来ている。SF大会というのはSFファンが集まって年に一回、マニアな話題で盛り上がるお祭り。こういう催し物をファン自らが主催し、しかも毎年実行委員会を変えつつ続くのは、SFというジャンルならではなのだろう。なぜか6年前からゲストとして呼ばれるようになり、根がSF好きなものだから毎年参加しては宇宙開発についてのあれこれを話している。

 ファン投票で選ぶ「星雲賞」という賞の自由部門を、私も解説を書いた「王立科学博物館第一期」が受賞した。急遽用意されたセッションに、岡田斗司夫さん、柳瀬直裕さん、みのうらさんと共に出演する。岡田さんの語る食玩の内幕は私も初耳。

 その後は見たい企画もあきらめて、無線LANのつながる環境で原稿を書いている。

 せっせと仕事。

 私の本番は明日。笹本祐一さんと、宇宙開発について語る予定。笹本さんのおしゃべりに圧倒されないようにしないと。

2004.08.20

スカイラブの食事を考察する

.skylab.jpg

 食から連想してちょっと本業の話。

 かつてスカイラブという宇宙ステーションがあった。20号まで予定していたアポロ計画が17号で打ちきりとなり、その余剰資材で開発したアメリカ初の宇宙ステーションだ。1973年に打ち上げられて3回に渡って各3人の宇宙飛行士が滞在した。最初に巨大なサターンVロケットで打ち上げられた本体を、「スカイラブ1」、以下小さめ(といっても打ち上げ時重量はH-IIAロケットの2倍近くある)サターン1Bロケットとアポロ宇宙船でスカイラブに向かった宇宙飛行士チームを「スカイラブ2」、「同3」、「同4」という。

「スカイラブ1」:1973年5月14日打ち上げ
「スカイラブ2」:同5月25日~6月22日、28日間
「スカイラブ3」:同7月28日~9月25日、59日間
「スカイラブ4」:同11月16日~1974年2月8日、84日間

 で、問題は84日間滞在した第三次クルーだ。この組は色々と地上と感情的な行き違いからトラブルを起こした。

 さて、スカイラブの物資補給だが、実は一切考慮されていなかった、サターンVロケットの有り余る打ち上げ能力を使って、最初に3回の滞在に必要な物資を全部搭載して打ち上げたのである。当然食料もだ。

 スカイラブの食事は、アポロの時よりよほど改善されたという。だが改善の内容を調べてみると「チューブだのスティックだのではなく、トレイに取って食べられるようになり、メニューも増えた」というだけ。詳細なメニューは分からなかったが、写真を見る限りではあまりうまそうに思えない。
 というか、絶対まずいに決まっていると思うのだ。あの飯がまずいアメリカの、それも宇宙食といえば体のいいインスタント食品だ。おいしいはずがないではないか!!

 ここで私の仮説。スカイラブ4のクルーが頭に来て感情的になったのは、あまりにまずいアメリカンなインスタント飯を84日も三度三度食わされたからではないだろうか。新鮮な野菜も肉もなしにそんなものばっか食っていたから、クルーは「キれちゃった」んではないだろうか。

 私ならキれる。アメリカのインスタント食品ばかりを84日間も連続して食わされたら怒り狂って暴動を起こすと思う。


 この仮説の難点は、その前の第二次クルーは至極調子よくジョークを飛ばしつつ、喜々として59日間に渡って仕事をこなしているということである。インスタントのまずい飯でも、楽しく生きていける奴もこの世にはいるのだ。

 写真は食玩「王立科学博物館第二期」のスカイラブ。このシリーズ、私はパンフレットに解説を書いており、一式貰っているのだけれども。あまりのできの良さに、自腹でもコンビニで買い込んでいる次第。 第一期よりも完成度は高い。おすすめです。

2004.08.19

エンゲル係数を上げようと主張する

 忙しいのでまた他人の話である。

 昨日話題にしたやまけんのページ、人気はもちろん出張食い倒れ日記にあるのだが、私はもう一方の「俺と畑とインターネット」にアップされている「安全な食べ物は安くありません」という意見に深く首肯する者である。


食べ物を選ぶということは、自分の血や肉、細胞を構成する要素を選ぶということだ。近代栄養学では、食物を栄養素で分解しているわけだが、マクドナルドのハンバーガーのパンに使われている小麦と、無化学肥料・無農薬で生産された小麦とに差異を認めることはない。けれど、その両者の間には遙かなる隔たりがある。その隔たりの分、価格も違う。
 高いものと安いものがあり、それを選択するのは、買う人の自由だ。それは全く問題ない。けれど、

「食べ物は安全で、しかも安くあるべきだ。」

という論には僕は真っ向から反対である。

「安かったらいいな。」

であればいい。けれども「安全で安く」というのは横暴というものだ。


 まったくだ。

 42歳独身で、自炊を旨とする私は、近所のスーパーやら八百屋やらで買い物をしているが、私の目から見ると「みんななんでそんなものを買うのか」という食材が安いという一点だけでどんどん売れているのを良く見る。大変失礼なことではあるが、買っている人の服装を見ると、食うに困って安い食材を買っているという風でもない。「あーら安いわ」で、以後思考停止しているようなのである。

 やまけんも言うように、食は生の基本だ。その基本を、「安い」という価値基準だけで判断してどうする、と思うのである。

 ここからが私の意見となる。過度に安全性に執着する必要はない。消費者としてはむしろ、食材が素材として「うまいか/まずいか」で判断すべきではないかと思う。ハンバーガーのような調理済みの製品には通用しないが、野菜や肉といった素材では、「うまい」即安全で健康的、と考えていいのではないだろうか。もちろん、そのためには「うまい/まずい」をきちんと判断するための舌を常日頃鍛えておくことが条件となる。

 例えばだが、7人乗りの3リッター級ワゴンと、1.2リッター程度のコンパクトカーでは200万円ほど価格に差がある。現在、7人乗りワゴンは大人気だが、私はそれをコンパクトカーにとどめて、その分食費につっこむべきだと思う。どうせ盆暮れの帰省程度でしか7人乗ることはない自動車にカネをかけ、低い燃費でガソリン税払って排気ガスをまき散らすよりも、常日頃の食卓にお金を掛けた方がずっといいと思うのだ。
 贅沢な食事をしようというのではない。その分、良い素材を使って料理を楽しもうということだ。

 日本の家庭のエンゲル係数は、もっと高くていいのではないだろうか。

 「素材がおいしいかどうかは判断できない」という人は、とりあえず「可能な限り自分の住んでいるところに近い場所で生産された食材を選ぶ」ということをお薦めしたい。食材は新鮮さが第一だ。輸送に時間を掛けていない食材はそれだけでぐっとおいしい。中国産のスーパーの野菜ではなく、個人営業の八百屋を流通する路地野菜を食べよう。南米北米、果てはアフリカから輸入される魚ではなく、高くても近海物を食べよう。土用丑の日には、大量にスーパーに並ぶ、切り刻んだタイヤのような中国産ウナギではなく、高くとも国内産のウナギを食べよう――そういうことである。
 肉は、必ずしも新鮮さが命ではないのだが、でもそれでも本当に質のいい国産肉って食べたことありますか?高いけれどもおいしいですよ。

 安いだけではない食生活を多くの人が始めれば、流通も変わる。一体我々はわざわざマダガスカルから持ってきてまでタコを食べたいのだろうか。マングローブ林を切り刻み、地元のひんしゅくを買ってまで、東南アジアのエビを食べたいのだろうか。フィリピンあたりから持ってきてまで、真冬にオクラが食べたいのだろうか。それらはうまいのか?よく考えてみて欲しい。
 我々が買わなければ、流通業者も無茶をしないのである。

――という話をサラリーマン時代の後輩としていたら、「でも、そんなに舌を鍛えちゃったら、日頃の食事が楽しめなくなっちゃいますよ」と言われた。うわ、そういう形の知足安住の発想もあるか。でもね、だからこそ日頃の食事の質を上げよう、といっているのだけどなあ。

2004.08.18

やまけんが漫画に登場する

flapper.jpg

 忙しい時は、他人の話でごまかすのである。

 「さすらいの食い倒ラー」ことやまけんが、あらま似合わぬ「コミックフラッパー」(メディアワークス:9月号)という漫画雑誌に登場したということなので雑誌を買ってくる。彼が登場したのは「ナリワイタイムズ」(いのうえさきこ)という連載。ユニークな生き方をしている人を漫画で紹介するものとのこと。

yamaken.jpg
(同誌229ページより)

 おお、やまけん、男前じゃないか。

 詳細は雑誌を買って読んで欲しい。ユーニクな男の来し方が載っている。

 負けるよなあ。なにしろ、うまいものをたくさん食べたいがために筋トレで新陳代謝を上げる努力しているというのだから半端じゃない。

 彼が専門とする農業や食料は、それがなければ生きてはいけない大切なものだ。一方私が取り組む宇宙開発などは、なくともとりあえず人は生きていける。私は人類の生存に宇宙進出は不可欠だと考えているが、そうでないと考える人も多い。

 そんな私も、反対する人も、否応なしに毎日ご飯を食べているのだ。

2004.08.17

生存を証明する

 2ヶ月近くこのページを放置してしまった。
 なにもしていなかったわけではない。宮崎で開催された宇宙関係の学会ISTSに出席し、笹本祐一さんと共にパネラーとして壇上に上がったり、テレビの1時間番組に出演したり(地上波ではなくBS-iでした)、なぜかボイスオブアメリカの取材を受けたり――なんだかんだとやっていたのだ。
 ではなぜ放置していたのか。忙しかったのが一つ、もう一つは原稿書きの最中にハードディスクがクラッシュしてしまったのである。
 すさまじく暑かった7月8日のことだった。PowerBookの電源を入れたまま部屋のクーラーを切り、外出して戻ってきたら、ハードディスクがクラッシュしていたのである。おそらくは熱のせいだろう。書きかけの原稿とここ半年ばかりのデジカメデータ、住所録にメールログなどが失われた。
 昨年11月のH-IIA6号機失敗以降、忙しくてバックアップを怠っており、そろそろやらねば、と思っていた矢先だった。まさにマーフィーの法則通りである。
 復旧業者まで頼んでデータのサルベージを行ったが、これまたマーフィーの手のひらの上、帰ってきて欲しいデータだけが帰ってこなかった。

 現在、予備機のVAIOで原稿を書いている。PowerBookのハードディスクは交換してOSインストールまで行ったが、そこから先のセットアップをしている余裕がない。

 当然このページの更新用IDとパスワードも失われた。調べる気力も出ず、今日になってやっと調べて更新する次第だ。

 現在せっぱ詰まりながら、火星探査機「のぞみ」の本を書いている。これがもうしゃれにならないせっぱ詰まりようで、とにかく頑張って書くしかない状態なのだ。

 今後もしばらくは更新が非常に不規則になると思う。楽しみにしている人がいるかどうかは分からないが、ともあれこういうページを始めた責任は私にある。お詫びしたい。

 それとお願い。メールログと住所録が失われてしまっている。私からメールの返事が来ないという人は、再度連絡を取って欲しい。また、住所が分からなくなっている人もいると思うので、こちらから問い合わせすることもあり得ると思う。よろしくお願いいたします。

 色々書きたいことはたまっているのだが、まずは原稿、原稿。

教訓:転ばぬ先のバックアップ。
メモ:達人は4重にバックアップしている。外付けHDD(場合によってはRAID)、DVD-ROMないしはCD-ROM、ネット上のサーバー。
住所録などは、ペーパー出力しておくこと。

« June 2004 | Main | September 2004 »