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2004.08.24

できるということを考える

 アテネオリンピックで、日本がえらい勢いでメダルを獲得している。8月24日現在、金が15個。実に素晴らしい。
 ここで思い出すのは、ロス五輪以降のメダル低迷期にマスコミを彩った「分析」だ。曰く「日本人はプレッシャーに弱い」、「どうしても体力でかなわない」などなど。
 日本人は全然プレッシャーに弱くないし、体力でかなわないということもないことがアテネで証明されてしまった。とするとあの分析は何だったのか。

 なにかをするとき、最初から「できっこないよ」と考えたらできることもできなくなる。「無理だから現実的な方法を探そう」というのは、正しいように見えて実はよっぽどシビアに「無理かどうか」を見極めない限り、可能性を狭める後ろ向きの考え方だ。

 「日本人はプレッシャーに弱い」、「どうしても体力でかなわない」というのは分析のようでいて、言い訳でしかなかったのである。

 で、ちょっと本業がらみの話。内閣府の総合科学技術会議・宇宙開発利用専門調査会で、日本の宇宙政策の骨格を議論している。その報告書案が公開されているのだが、なにはともあれ読んでみて欲しい。



②有人宇宙活動への取組み

(a)当面(今後10 年程度)の目標

 我が国としては、当面独自の有人宇宙計画は持たないが、長期的には独自の有人宇宙活動への着手を可能とすることを視野に入れ、基盤的な研究開発を推進する。そのため、国際宇宙ステーション計画を通じた有人宇宙活動を今後も継続して実施する。なお、米国などの動向の影響を最小限としつつ、我が国の主体性ある活動を国際協力の枠組みにおいて実施し、着実に技術蓄積を行うための具体的な指針を策定する必要がある。
 また、有人宇宙活動に対する国民の支持(参考2 参照)、技術基盤の蓄積状況、合理的な目標設定、費用対効果などの諸条件を考慮し、その上で我が国の将来の目標・ビジョンの検討に着手する必要がある。その際、独自にすべきこと、国際協力としてすべきことを明確化しなければならない。


(b)長期的(20 ~30 年後)な将来展望

 当面(10 年程度)の取組みの成果を踏まえ、宇宙の多目的利活用に資する独自の有人宇宙活動を可能とするための必要な準備を進める。なお、準備を進めるにあたっては、有人宇宙活動に関する我が国の将来の目標・ビジョンが、我が国としての明確な意志と戦略に結実していることを見極めた上で、有人宇宙活動への着手を検討する。 長期的目標の設定の方向については、米国の新宇宙政策や欧州の探査計画などの国際的な状況を踏まえ、我が国の宇宙開発利用技術の優位性と自律性を勘案しながら、引き続き検討を進めるものとする。

(我が国における宇宙開発利用の基本戦略(案)8月19日版(事務局) p.17より)


 「10年は独自の計画を持たない。国際宇宙ステーションで勉強する」「20年~30年後にやる。そのために準備を進める」

 「無理だから現実的な方法を探そう」という一見賢明な方針に見える。ところで、この審議を行っている関係者の中で30年後も現役の人はいかほどいるのだろうか?

 国際宇宙ステーションで勉強するとするのはいい。しかし20年かかってまだ未完成のプロジェクト、しかも基幹輸送システムのスペースシャトルが運航停止の状態で、今後10年何を学ぶのだろうか。

 この話をすると、「未曾有の財政難で日本にはカネがありません。そこで独自有人宇宙活動なんてことはまあ無理です。今までの流れでねばり強く技術を蓄積していかないと」というような返事が返ってくる。

 人間は、まず「なにかをやろう」という意志を持ち、自ら考え自ら手を動かすことで初めて学び、進歩することができる。「学ぶ」の前提条件として「意志」「自分でやる」が必要なのだ。

 その目で内閣府の案を読むと、「意志」→「10年はやらない」、「自分でやる」→「国際宇宙ステーションで学ばせて貰う」――この案には「学ぶ」の基本条件が揃っていないのだ。それを「学ぶ」とし、「有人宇宙活動をやる」とすることは、欺瞞でしかない。

 この報告書案から読みとれるのは、五輪における日本人選手の不振を「日本人はプレッシャーに弱い」、「どうしても体力でかなわない」としたのと同じ、一見正しい分析を装った「言い訳」である。言い訳の結果が「20年~30年後」、つまり責任を子供の世代に丸投げするということだ。

 この話は、どこかできちんと書くかもしれないので、この場ではこれだけにしておく。


 最後に、浮谷東次郎の言葉を引用しておこう。

「人生に助走期間なんてない。あるのはいつもいきなり本番の走りだけだ。」


 いつだって本番を生きている我々は、「20年後にできる」なんて考えちゃいけないのだ。別に有人宇宙活動に限らず、ね。

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Comments

だからトークライブでも言ったでしょ、おかあさんの「今度買ってあげるから」は絶対に守られない約束なんですよ。今やれないことは永久にありえないんです。

 あ、あさりさんだ。どうもです。

 私思うに、「20年後ね」というのはいかにも優等生っぽい自己欺瞞かも知れません。

「今、遊ぶのを我慢して勉強し、いい学校に入ればいい会社やお役所に就職できる」というのと同じ論理じゃないでしょうか。

 だから、こういう論理が出てくるあたり、内閣府の事務局(気を付けてください。委員会の委員が起草したんじゃなく、事務局案であるところに。官僚支配の典型的手法ですね)にはかつての優等生が集まっているんじゃないかという気もします。

女の子に”結婚いつするの?”って聞かれて、”3年後ぐらいにね”と言う男はぜーったい結婚する気がない、というのが私の持論です。

最近、”そのとおりなんだけどさ、疲れちゃって”、と思うことが多々あります。歳ですかね?やはり?

明日からロケット関連のイベント下見のため何名か秋田に来られます。とりあえず川原毛地獄でも御案内してこようかと思っております<既に主旨が変質している;
しかしホント、良いお湯です。日本の温泉の中で一番良いんじゃないかtお思います。松浦さんも、次回秋田においでの際には、是非川原毛大湯滝へ!

 つまり内閣府は子供を騙すお母さんで、自己欺瞞に陥った受験生で、不実な男ということですね。内閣府の人、ここ読んでいるでしょうか。「だからどうせえってんだよお」という声が聞こえてくるようです。

 確かに個人として関わると、総合科学技術会議の状況は絶望的にもなろうというものです。色々なしがらみがからまってどうしよもうもなくなっている。

 が、逆にひとりひとりがあきらめてはいけないと思うのですよ。このままいって、なにをどう延命しようとしても。どうせ最後は破滅なんたから、さっさとチャラにして次に進むべきと私は思います。

 なにをいっているか、分かりますよね。

 温泉ですが、先日行った増富の湯というのはすごかったです。ラジウムばりばりで、冷泉なのに体か暖かい!「ラジヲマン」もかくやという湯で、ええ、放射線を堪能いたしました。

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