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2004.11.19

父の原稿を公開する(その1)

 原稿執筆の合間をぬって、27日の父を偲ぶ会に配布する冊子の編集作業を行った。父が北京滞在時に書いていた文章をまとめたものだ。

 執筆中の火星探査機の話が第一部を書き終えたので、第二部を書き出す前に、ととりかかった。ところが、いざ作業を始めると予想以上に大変なことがわかった。
 文章の量が半端ではないのだ。色々整理したが、A4版2段組全172ページというものになった。

 印刷所のスケジュールはまったなし状態だ。結局、仮眠を挟んで2日連続の徹夜という強行軍で、どうやら入稿することができた。とはいえ、プリントオンデマンド印刷のデータ入稿なので、まだまだトラブルが出る可能性もある。実際、入稿に当たってはフォント周りのトラブルが発生した。

 やれやれだ。

 父への供養を兼ねて、ここで硬軟2本の原稿を公開することにする。最初に柔らかい方、「心に染みる北京の朝食」を掲載する。大学教授として北京に滞在していた父が、おいしい朝食を求めて四苦八苦する話だ。

 例によって「続きを読む」以降に掲載しておく。読みたい方だけクリックして、読んでみて欲しい。

 火星探査機本の執筆はやっと第二部に移行した。あと少しで 1998年7月4日の打ち上げである。

心に染みる北京の朝食、、西門外の「準南豆腐宴」

松浦龍雄

注:執筆時期は1998年3月頃、70歳の父は北京に大学教授として滞在していた。

うまい朝飯を食べたい
 戦前から、どれほど多くの日本人が、このテーマで紹介の文章を書いたことだろう。最近では中園英輔が書いている。

今さらという気がしないでもないが、それでもあえて書く気になった。

 この年令まで生きて来ると、世界中のホテルや町の飲食店、屋台店で、それこそ、ピンからキリまで、朝食を食べた経験を持っているが、とにかく北京人が食べる朝食が、一番美味い。いやそのはずだった。
 ところが、昨年10月に北京に来てから、最大の不満は、朝飯が不味いことだった。そんな筈はない。物の本には北京の朝飯は一生忘れない、と書いてある。ところが運が悪いのか、当たる朝飯がどれもこれも美味しくないのだ。

 3月のある日、西門外の「準南豆腐宴」で昼食をT君と食べて、酸辣湯と餃子の美味しいのに驚いた。ひょいと見ると、朝飯も営業していると書いてある。そこで朝6時起きで、散歩がてらに行くことにした。

 やった、待望の北京人の朝食メニューがずらりと並んでいるではないか。

ついに食べたぞ正調北京の朝食
 油条(塩味の揚げパン)、包子(饅頭)、小米粥、紅豆粥、豆腐脳、豆醤、鶏蛋痩肉粥、水煎包、炸芝麻団などなど。もちろん鹹菜、醤豆腐もある。いろいろ注文しても、せいぜい2ー3元だ。

 朝6時から営業というのも嬉しいね。北京人は日本人のように夜更かしはしない。夜は早く寝る代わりに、朝は日の出と共に起きだす。そして朝飯は家で食べずに、町の屋台や飲食店で、家族がそれぞれのライフスタイルに応じて、別々に食べるのが常識である。そうした需要に応じる店が、東門外にも西門外も並んでいる

 テーブルに座って、油条を手で引き千切ると、手がにちゃつくので、箸でつまんで、歯で噛み千切る。丁度手頃の大きさで口に入り、噛みやすい。チリレンゲですくうと豆腐は柔らかく、口一杯に芳香がひろがり、自家製ラー油の辛味が鼻につんと来るときは、全く至福の境地である。包子をかむと、中の具からスープがじゅっと出てくる。

 朝の時間はこうやって、ゆっくりと過ぎていく。しかも豆腐宴は絶対にお客を追い出すような素振りを見せない。

 北京人の朝飯。これは帰国したら二度と味わえないだろう。一期一会だ。俺にはかの有名な、北京秋天より北京早飯だ。花より団子か。

豆腐宴の朝飯を見つけるまでの我が苦労と不満
 まず宿舎である第2招待所の食堂は、朝7時から営業しているが、全くもって言語道断である。白粥、饅頭、甘いパンケーキ、揚げパンや鶏蛋、塩味鴨蛋、鹹菜、醤豆腐など色々と揃っているが、何となく物足りない。

 そのはずで、服務員のサービス精神が皆無である。そもそも彼らにサービス精神は無理というもの。人民大学という国営の食堂だから、女の子は我々を管理しているという意識だ。こちらの指定の品物を皿に乗せて、「2.8元」と計算をいうと、こちらはそのとおり払う。お互いに仏頂面の侭である。

 安いことは安い、まず50円以下で朝飯が食べられる。しかし、食卓は汚いし、服務員は愛想がない。人が食べている横で、ガチャガチャ音を立てて、先に立った人の後片付けを始める。汚い雑巾でテーブルを一度拭いたらそれで終わり。およそ索漠とした気分に朝からなってしまう。

 なにより不味い。お粥があるのが救いといった日本人留学生もいるが、熱湯に前夜の残り物のご飯をぶちこんだだけで、とてもあの美味い北京のお粥ではない。本来お粥は、お米から水を加えて、炊き上げるもので、残飯をぶち込んで作るものではない。少なくとも北京では。

 東門外には屋台店が並んで「チ、ダーピン=大餅」と口々に叫んでいる。中学生の頃は、何の偏見もなく、買い食い、立ち食い平気だった。しかしこの年になると、やはり汚れた真黒な手で、こねくり回したダーピンを、いくら火を通してあるからといって、いかにも不潔で手がでない。もちろん調理の現場を見ないだけで、飲食店だって、果たして清潔と言えるかどうか、

 西門外もやはり飲食店が軒を連ねていて、しかも東門外より安い。フイっと思いついて、油条を2本買って歩きながら食べる。駄目だ。要するにいくら好きな油条でも、水もお茶もなしに立ち食いでは、のどに詰って美味さは半減する。脂っこくてやりきれない。

 大学構内の楽々美食庁で、朝粥を特別に喰わせるという。K女史に教えられて通う。しかし野菜主体の薄い粥ばかりで、どうも美味いという感じではない。しかもフルコースを取ると、12元も取られる。高いぞ。

 いろいろと朝食を工夫するが、どうしても美味いといえる店に当たらないのだ。やむなく2招の不味い朝飯を食べていたのだった。

不潔だぞ、北京の外食
 正直にいうと、北京の外食はいかにも不潔だ。早い話が、飲食店の癖に、便所がない店がある。向かいの百貨店、当代商城の2階に行って呉れと平気で言う。便所もなくて、なぜビールを売るんだ。失礼な店だ。そこの餃子は確かに美味いが、もう2度と行く気がしなくなった。
 或いは朝6時頃散歩すると、店内でお客さんが食べるテーブルを並べて、そのうえに布団を敷いて、店員が寝ている。ガラスを通して中が丸見えだ。そんなひどい店にも、2度と行く気がしなくなる。

 潔癖すぎると言われるかもしれないが、やはり食には一つの美意識というか、こだわりがあってしかるべきだ。正直な話、俺が死ぬまでに、あと何回食事ができるか。たった1回の食事でも、おろそかに出来ない。

 北京人は古い都の伝統を持つ、それだけ美意識も強烈な筈である。それが美意識のかけらもない食堂が氾濫しているのはどういうことか。生粋の北京人であるT君は、俺の居る人民大学が北京西北の郊外だからだという。「この辺りは、田舎者が住んでるね。こんな店は北京の真ん中の俺の家辺りなら、とっくに潰れるよ、田舎者は物を知らないからな」と、北京人の優越感丸出しで、悪口を言う。

 そのT君が豆腐宴の料理は誉めるのだ。豆腐宴の朝飯はまさに北京人の伝統を受け継いだものだ。そういえば、この店で料理を取ると、皿に料理を担当した厨師の番号が貼ってある。これで誰が調理したか一目で判るのだ。良心的というか、自信があるというか、文句は何時でも受けて立つのである。

 先日も老留学生のIさんを誘って朝飯を食いに行った。彼は2招の朝飯を、諦めて受け入れていたので、本当に驚いていた。「これなら文句ありませんわい」と賛嘆しきり。豆腐脳を食べての感想だが、実は粟粥も小豆粥も美味いですよ、中でも、油条はこうした料理と一緒にたべてこそ生きてくるというと、「中国人は偉い発明をするものですな」と、初めて知った風である。

 北京の朝飯を食わずして、朝飯を語るなかれ。本来の北京の朝飯は手が込んでいて決して手抜き料理ではない。しかも「準南豆腐宴」の朝食は2元から3元程度と飛び切り安いのだから驚きである。Iさんはここしばらく通い詰めているそうだ。

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Comments

ああー うまそうだぁ。人につくらせたうまい飯って最高だなぁ。・・・・
明日は、キノコクリームパスタをつくろう。

 いやもう、勝手に北京に行ってしまったものだから家族は大変だったのですよ。
 お気楽にうまいもん食ってやがって、ってなもんです。

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