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2004.11.14

ロフトプラスワンの壇上で絶句する

 13日は曇り。昨日まで、11月とは思えない暖かさだったのだが、急に寒くなった。東京では今年初めての木枯らしが吹いたとのこと。

 午後、大森のFさんを訪問する。父が所属していた釣り愛好家の集まりで、会誌の編集をしている方だ。過去15年近くにわたって会誌に父が書いてきた文章をコピーして貰う。
 会の名前は釣飲会という。以前このblogにも書いた片瀬の漁師Kさんが舟を出し、東京から湘南一円の海釣り好きが月に1回、相模湾に出て季節の魚を釣り、釣果をさばいて酒を飲むという会合だ。父は発足の時から、そこのメンバーとして釣りを楽しんできた。元々茅ヶ崎に居を構えたのだって「俺は山よりも海が好きだ」ということからだった。

 Fさんの整理箱から、色々な原稿や写真がでてくる。「ほら、この写真なんかいい顔してるじゃない。もってって、もってって」。そうだった。好きなことをやっている父の顔は、実際どの写真もにこにこしている。

 11/27に、ホテルを使い父を偲ぶ会を開催することになった。交遊の広い人だったので、密葬ではすまなかったのだ。その日のために、父の残した文章をまとめ小冊子を作らねばならない。納期の短い印刷所を探し、後はDTPで締め切りを引っ張れるだけ引っ張って、仕事の原稿と同時作業ということになる。大変だが、やらねばならない。

 Fさんのところは、プレス部品加工の工場を経営している。積み上げた部品を前に、「ここはどこそこ、こっちはどこそこ」とライバル企業の名前を言うFさん。ライバルから注文があるというのも、高い技術力を持っておればこそなのだろう。

 その足で新宿・歌舞伎町のロフトプラスワンへ。「ロケットまつり3――ロケット一代男がやってくる」に出演するためだ。私の到着した午後6時過ぎの時点で、すでに地上に列が伸びるほどお客さんが来ていた。びっくりしてしまう。今回は「コンタクト・ジャパン」と日程が重なったので、お客さんの数が減るかと思っていたが、むしろ前回より増えている。

 午後6時40分頃、ゲストの林紀幸さんが到着。「松浦さん、物を持ってきて欲しいならもっと早く言わなくっちゃダメだよ」といい、今となっては貴重な資料の数々を鞄から取り出す。

 定刻前に会場は満員になる。ロフトの渡辺マネージャーが事前説明で「ここに初めてくる人」と会場に問いかけると、かなりの数の手が上がる。そうか、初めての人がたくさん来てくれたのか。大変にうれしい。

 そうやって始まった本番だ。笹本さん、あさりさんとの打ち合わせでは「なるべく自分たちは話さず、林さんに話して貰う」ということだったのだが、心配は一切無用だった。 無造作にペンシルロケットを持って林さんが登場すると、それだけで会場からオオッという声が上がり、一気に雰囲気が盛り上がる。
 その雰囲気に乗って、林さんが次々と現場の生々しい話をしてくれる。打ち合わせでは「松浦が司会をやってうまく話を引き出す」ということになっていたが、途中私が絶句してしまうシーンもしばしば。あげくに林さんから「あなたどうしたの。今日はおとなしいねえ」と言われてしまう。だってねえ、そんな話を聞かされちゃ、言葉も止まろうというもので。

 来場した方は本当にツいていたと思います。お呼びした我々もあれほど色々なことを話してくれるとは思ってもいませんでした。

 ペンシル打ち上げの映像や、東大が秋田から撤退するきっかけになった「カッパ8型10号機」爆発事故の画像など、貴重な資料も次々に紹介される。「私このとき見ましたよ。糸川先生が坂を転げ落ちるの」。

 こういう人に「失敗って楽しいでしょ」といわれれば、「ハイ」としか言いようがない。実際、林さんの語る話のほとんどは、失敗の話であって、それらをまた実に楽しそうに語るのだ。

 最後は質疑応答。ここでも林さんはキレの良い口調で次々に質問に答えていく。

「実際、携わった打ち上げのどれだけが成功でしたか」
「ミッション全体では完全な成功は40%くらいじゃないかと思いますよ。大体の場合どこかしらにトラブルが出るものです」

「失敗してしまったときの心構えはどうすればいいのですか」
「失敗を忘れることです」
 この返答には笑いが起きたが、実際には含蓄の深い言葉だ。決して失敗をなかったことにするという意味ではないだろう。失敗に打ちのめされないという意味なのだ。

 最後にカッパロケット爆発事故の時のエピソード。事故の5日後が林さんの結婚式だった。「そうしたら糸川先生が『あなた、生きててよかったですねえ』って(笑)。それから『ずいぶん大きな花火上げちゃいましたね』ってねえ(大爆笑)」。


 終了後、林さんを打ち上げ会場まで案内するが、ここで私が大ミスをやってしまう。昨日飲んだ店だったのに道に迷ってしまったのだ。結局笹本さんに携帯電話で連絡を取り、お互い怒鳴り合うようにして遭遇、やっと店に着く。笹本「ゲストを迷わせるとは何事か」。
 申し訳ありません。敗因は、私が「交差点から一本入った末広通り」と記号化して場所を覚えていたのが、実際には「交差点から二本入った通り」で、付近はどの通りもなぜか末広通りという名前が付いていたためでした。ぎりぎりまで色々話をして、終電で茅ヶ崎に帰る。

 今回はペンシルからカッパまでの話をしてもらいましたが、ラムダ、ミューの話が残っています。というわけで来年2月あたりに、また林さんをお呼びしてロフトで話をしてもらう話が進んでいます。今回来られなかった方も、次回はどうぞおいでください。

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Comments

先日のトークライブはお疲れさまでした。前回(N司令)・前々回(笹本特派員)でも
興味深い話を聞けましたので今回も期待して行ったのですが、林さん自ら経験した
現場の声が文字どおりマシンガントークで展開されたら、そりゃ絶句するのも仕方
無いかと。

…次回開催はもちろん、次の著作物(?)も期待しています。(^^)/

次の著作物
 ぐわっ、そ、それは。

 編集の方をはじめあちこち不義理かけまくって書いていますので、出版の暁にはよろしくお願いいたします。

トークライブ堪能しました
林さんの歯切れの良い語りっぷりと内容にお腹いっぱいでした。
上映されたビデオの中に映っていた関係者リストに
父の恩師である富永五郎先生(当時の肩書きで助教授)のお名前を見つけてびっくりしました。
先生のご専門(真空装置だったでしょうか)からすると
その関連で糸川先生に動員されたのでしょうか。
私の父は昭和二年生まれで旧制の最後の年に第二工学部に入学
ドクターの最後の年に生産技研から田無の核研へ。
糸川先生がロケットを始められた初期と少し被っていますし
恩師である富永先生も動員されているのを見ると
院生なんて丁稚と一緒ですから何か手伝っているのでは?
等と夢が膨らみます
今度会場で買ったアリアンの本を手土産に話を聞きに行ってみます。
父共々新刊楽しみにしております。

>父の恩師である富永五郎先生
 縁ですねえ。第二工学部は本当に色々な人材を輩出しています。本郷あたりのアカデミズムがいかにろくでもないものかの反証みたいなもんです。

 林さんも話しておられましたが、あの頃の生産技研の先生方は産学協同でお金があったので、足の引っ張り合いをする以前に「おもしろそうじゃないか」とロケットに協力したのですね。

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