最初に言っておく。バッシングをするつもりはない。事件発生時より私が感じた違和感を、十分に時間が経ち、それなりに冷静に判断できるようになった、と感じたので記述することにする。
今年4月に発生したイラク人質事件、人質となった3人の中で一番若かった今井紀明氏のことだ。
郡山総一郎氏と高遠菜穂子氏について、私はなにもいうことはない。成人と認められた年齢の人物が危険を承知してイラクに行こうとしたのだ。基本的に止める理由はないし、何かあったとしても本人の行動の結果を本人が受け取るに過ぎない。
日本国は彼らを救う義務があるが、日本国の首脳部及び外務省が法人保護についていかほどの実力を持つかをも含めて、本人が事前に最悪の事態を想定して考慮し、準備しておくべきことであろう。
ところが事件発生当時18歳だった今井紀明氏に関しては話は別だ。彼は「未成年」だったのである。
事件が発生した時、当然私は三人の名前で検索をかけたのだが、以下のページがずっと気になっていた。
・MOS(media of student) (ID:16338)
今井氏がイラク行きの前に発行していたメールマガジンである。発行部数は105。2003年10月27日から12月5日までの40日間に12号を発行し、そのまま止まっている。最終号にはNo.32とあるので、メールマガジンになる前に、なんらかの形式で20号を発行しているようだ。
各種報道によると、このメールマガジンが途絶した時分から今井氏は、イラク行きを考えるようになったらしい。
私は、解放された彼が帰国して以来、いつこのメールマガジンを再開するかを注目してきた。小なりとはいえども100を超える購読者を持つメディアだ。彼はメディアの主催者兼執筆者として、105人の購読者に己の行動をきちんと説明する責任がある。それはその他マスメディアに露出し、自分が原稿を書いたからといってそれでいいだろうというものではない。自らが主催するメディア、しかもいつ途絶してもいい身辺雑記を書いているのではなく、社会的な主張を持つメディアなのだ。105人の読者に対する説明責任は決して軽くはないし、こうやってオープンなwebページも存在する以上、ネット全般への説明という意味合いも出てくる。
それは「ぼくがイラクに行った理由」(amazon)という本を書いたというだけで免責になるようなものではない。彼はメールマガジンの主催者なのだ。主催者には主催者の責任がある。
なんらかの説明をした上で、メールマガジンを閉じるなら閉じるべく公告するのがジャーナリストとして、いや、社会人として最低限のマナーであろう。
しかし、2004年11月29日現在、メールマガジンは再開することなく一年近く放置されている。終巻のお知らせすらない。
私がこのメールマガジンの発行間隔と放置から連想するのは、小学生の壁新聞だ。学級会で出そうかとわっと盛り上がり、二号三号四号と一気に作ったものの、やがて飽きて次の遊びを見つけた子供達は集まらなくなり、自然に途絶する。
子供ならば、このような行いは許される。そうやって色々体験することで子供は育つのだ。一方で、子供には親権の及ばないイラクに行くことは許されない。
つまりこのメールマガジンの放置からは、2003年秋から2004年春にかけて、18歳の今井紀明氏が、「子供の感覚」のままメールマガジンを発行し、放置し、イラクに行ったということが読みとれるのである。
当時の今井氏は20歳を迎えてはいない。従ってその行為に責任を問うことはできない(18歳にもなって「一応の」大人としての行動が取れないというのも恥ずかしいことではあるが、ここでは問わない)。問題は彼の周囲の大人が彼に対して「子供がイラクに行くものではない」と制止できなかったというところにある。この問題が今井氏と、郡山、高遠両氏を隔てる部分だ。
子供が一人でイラクに渡航できるはずもなく(特に旅費は熱意だけではどうにもならない)、おそらくは「行って来い」と無責任に背中を押した大人がいるはずだ。彼の渡航に関して真の原因は、この無責任な大人にある。
ここから先は色々報道されているが、基本的にプライバシーも関係してくると思うので、直接取材をしていない私としては言及を避けることにする。
いったい彼は、なぜイラクに行ったのだろう。そして周囲の先輩達はなぜそんな行動を看過したのだろう。
早い話、取材とは技術であり、訓練によって身につけるものだ。そして訓練なくして現地に飛び込んだとしても、見ている事物を解釈し損ねるだけだ。「見たけど見ていないのと同じ」ということになるのである。それでは行くだけ無駄というものである。
一個人の経験を一般的に敷衍することはできないが、私の場合、国内において一応取材できているなと実感できるようになるまで、就職から2年がかかった。
もちろん才能があればこの下積み期間は短縮可能であろうが、それでも技術を学ばねばならないという事情は変わらない。まして海外取材となると国内に倍する労苦をさばく必要があるし、戦場に近い危険地域の取材ともなれば、必要な技術は一朝一夕に身に付くものではない。
温泉で、まずぬるい湯につかり、少しずつ熱い湯釜に移っていくように、ひとつひとつステップを踏んで、覚えていかなければならない。そういうステップを経ずに戦場取材に飛び込むのは、いきなり熱い湯釜に飛び込むようなものだ。
もちろん「あっちゃっちゃあっ」と叫ぶだけで済む事もあり得るし、そこで積んだ経験を元に大成することもあり得るだろう(若き日のアンドレ・マルローは恋人を連れて家出し、カンボジアに遺跡発掘に行った。あげく盗掘容疑で捕まり有罪判決を受けて本国に送還されている。確か19歳だったはず)。
が、たとえ大やけどを負っても、誰も同情はしない。
仮定の話として、もしもイラク渡航前の今井氏が私に相談をしていたとするなら、たかだか国内の産業記者をいくばくかやった経験のあるだけの私であっても、彼を怒鳴りつけていただろう。
その上で「劣化ウランに興味があるならば、まずアメリカに行って来い」とアドバイスしたと思う。
劣化ウラン弾を巡る問題は、イラクという現地を見ただけでは事の半分以下を押さえたに過ぎない。まずは劣化ウラン弾を製造、備蓄しているアメリカの論理や態度、雰囲気といったものを実感しなければ問題を捉えられないはずである。そして2003年から2004年にかけての世界情勢において、アメリカへの渡航はイラク渡航よりもはるかに容易だった
どうしても必要な取材ならば、まず容易なところから取材を始め、その過程で自分を鍛えつつイラク入りを狙うべきだった、と私は思うのである。
こんな簡単なことが、なぜ今井氏周囲の大人には分からなかったのか、私はいぶかしく思う。
今井氏が支援者に向けたあいさつによると、彼はこの10月からイギリスに渡ったそうだ。このあいさつに、イラク渡航の理由であった「劣化ウラン弾」は一言も出てこない。彼は自分のテーマを「僕のテーマは「人間の表現」です。」と書いている。
子供ならば、興味の対象を次々に変えることは許されるし、また成長にとって望ましいことでもある。が、ジャーナリストにとって、対象に向ける執念も重要な資質であることを、彼は理解しているのだろうか。彼の周囲の大人は教えなかったのであろうか。
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