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2004.12.31

死を送る

 2004年が終わる。

 今年の後半、私は軍神の星を巡る話を書き続け、いまなお書き終わることなく、その間に父を見送った。

 自分の身辺と世界を同等に見立てるのは不遜だが、世界では天候不順が続き、イラクもアフガニスタンも治まらず、中越地震が起き、スマトラ沖で世界最大級の地震とそれに伴う津波が発生した。

 この年の瀬に至り、もうたくさんだと思っていたところに、立て続けにだめ押しがやってきた。

 ひとつに29日、高校のクラス会に出席し、私が所属していた合唱部の部長をやった娘(といっても、自分と同じ40過ぎだったわけだが)が8月に病死していたことを知った。委細は分からなかったが、まだ死ぬ年齢ではない。
 彼女とは特に親しかったわけではなく、部活上のつきあいがあったに過ぎない。私は「音楽をする」ということに自意識過剰な思い入れがあり、それが「高校の部活をする」という意向の彼女とはぶつかっていたものだ。卒業以来25年もの間に、確か2回しか会っていないし、その2回もろくに話したわけではない。
 それでも、一緒にハーモニーを作り(いや、あれは和音などという代物ではなかったが)歌ったという感覚は身のうちに残っている。確か野球部の誰だったかを好きだったらしき彼女が、夕暮れの江ノ電の駅頭で「おめーよお」とかなんとかくっちゃべりつつゲハゲハ笑いながら帰っていく野球部の連中を、赤くなった頬を押さえつつ見送っていたのを思い出せる。

 死ぬのに理由などいらない。分かってはいるのだが、それでも「なんと理不尽なことか」という感情は消すことができない。

 ふたつに本日夕刻、実家の隣家に住んでいたご老体がこの世を去った。長く患い、退院してきた矢先だった。独居老人が自宅で倒れて死ぬのは、手続き上変死扱いになるとのことで、警察が入った。
 何を悪いことしたわけでもない。真面目に生きてきた終末が、独居というだけで検死で締めくくられるとはなんとつらいことか。

 そして、生物ではなくましてや人でもないのだが。この大晦日、会社を辞めたときに購入し、使い倒してきたPowerBookG3(2000年モデルがついに壊れた。7月のクラッシュを受けてバックアップ対策をとってあったので、原稿への被害は避けられた。
 覚悟を持って会社を辞めた時に「仕事の道具に」と思い入れを持って購入し、以来どこに行くにも持って歩いたパソコンだ。2個バッテリーを搭載すると実時間で10時間近く稼働するという特性を生かし、酷使というのも愚かなほど使ってきた。そろそろ買い換え時ということは分かっていたが、それでも予備機のVAIOとは比べ物にならない程良いキータッチと洗練された使い勝手で、私の仕事の環境として十分以上に機能し続けてきた。私に取ってなくてはならない道具だった。
 キーボードのトップはすり減り、梨地仕上げだったパームレストはてかてかになっている。ボディには亀裂が走り、もう持ち歩きは無理になっていたが、それでもぎりぎりまで原稿執筆に使用した。


 正月は私の誕生日であり、あと数時間で私は43歳になる。2004年が私の傍をタナトスが通り過ぎていった年であるなら、2005年はエロスに縁のある年であって欲しいものだ。

 そして陳腐な言葉だが、「地には平和を!」。
 皆様も良いお年を。

2004.12.27

日々は巡る

 blogをほったらかしてなにをしているかといえば、もちろん原稿を書いているのである。年末年始一切関係なし。もともと他人様が何をしていようと気にしない性質なので、別に年末年始に休めなくとも不満はない。自分のペースで自分のしたい仕事ができるのは幸せだ。

 忙しいので、簡単なメモをアップして、生存証明とする。

  • スマトラ島沖の大地震:第一報の情報源が、米地質調査所(USGS)であったことに驚く。アメリカの世界支配の網は緻密だ。

     世界支配にはまずなによりも世界を知ることが重要で、そこには「地球を知る」ということも含まれる。GPSや気象衛星については拙著で触れた通り。地球観測衛星についても言うまでもない。
     それだけではなく、地球科学も地誌学も農業科学も生命科学も、およそ地球上の存在、あるいは地球そのものを対象とする科学は、国家システムから見れば、すべて世界支配の有力な道具となる。昨今、日本近海に出没する中国の調査船も、その文脈で読み解けば理解できる。中国はアメリカのように「世界」を支配したいのだ(文字通りの「中華」だ)。そのために自然科学が必要なのである。
     日本という国家の、自然科学全般に対する投資の不足は、実のところ第二次世界大戦後の日本がアメリカの軍事的庇護の元、「平和国家」として経済成長を遂げたことの反映なのかも知れない。

     それにしても心配なのはモルジブだ。ただでさえ地球温暖化による水没が心配される島々に、津波がどんな被害を与えたのか、想像するだに恐ろしい。

  • リーマン予想:書評仕事もあって、「リーマン博士の大予想」(amazonbk1)、「素数に憑かれた人たち」(amazonbk1)を読む。面白い。ゼータ関数とはこういうもので、このようにして素数定理と結びついていたのか。
     中でもレオンハルト・オイラーの業績に瞑目する。ゼータ関数が素数に関係した無限積と等しいというのは、これはもう現実に存在するセンス・オブ・ワンダーではないか。e のπi乗が-1に等しいというオイラーの公式を知った時以来の衝撃だった(いや、複素数学の留数定理以来かな)。
     リーマン予想に取り組む数学者に興味があれば「リーマン博士の大予想」、リーマン予想そのものを分かった気分になりたければ「素数に憑かれた人たち」がおすすめだ。

  • デルタ4ヘビー打ち上げ:昨年からずるずると延期を続けていたボーイング社の新型大型ロケット、「デルタ4ヘビー」の1号機が12月21日に打ち上げられた。日本国内メディアでは「成功」としか報じられていないが、実はペイロードを予定よりも低い軌道にしか投入できなかった。ボーイング社は「成功だ」とコメントしているが、私の見るところこれは失敗だ。予定の時刻に予定の軌道にペイロードを投入できなければ、ロケットは役に立たない。
     それよりも心配なのは実は「デルタ4ヘビー」は失敗作ではないかということ。昨年来の延期は数ヶ月単位で延びるというもので、どうも構造的な問題があるのではないかと思わせる。
     設計を見ても、そもそも第1段から液体水素・液体酸素を使うというのは合理的ではないし、だいたいコアを3本束ねたブースター構成は、どれか1基のエンジンが失火すれば打ち上げは失敗する。失敗確率はぐっと上がるし、しかも3基のエンジンはフェールセーフになっていない。「駄目な双発機」だ。
     この「デルタ4ヘビー」をボーイング社は、ブッシュ大統領の新宇宙構想に売り込もうとしている。この技術を敷衍していけば「サターンV」クラスの大型ロケットも作れますなどとアピールしているのだ(ボーイング社のデルタホームページ内、「delta IV→TECHINICAL SUMMARY」を参考のこと)。
     もしもこのロケットが新宇宙構想の主力ロケットになったら(官需企業ボーイング社の保護という観点からすると可能性は十分にある)、スペースシャトルの二の舞になる可能性があるように思う。

  • 共栄堂のカレーと焼きリンゴ:先日、東京に出た際に神保町の共栄堂によってポークカレーと焼きリンゴを食べる。ここの焼きリンゴを食べると、ああ冬だなあという気分になる。確か5年ぶり。
     隣を見ていると「ライス中盛り」と注文し、山のようなご飯が運ばれてきていた。そうか、そういう注文方法があるのか。今度やってみよう。

  • ジャック・イベール「祝典序曲」:ここしばらく原稿書きの際のヘビー・ローテーション。イベールは「交響詩・寄港地」「フルート協奏曲」が有名だけれども、私はこの「祝典序曲」をイベールの最高傑作だと思う。フランス流の良く鳴るオーケストレーションとドイツ風の堅牢な楽曲構成が結合し、融合しているのだ。ティンパニに導かれる短い前奏に続いて、いきなり低弦から始まるフガート、中間部の金管によるコラール、終結部の盛り上がり——どこをとっても完璧。
     ちなみにこの曲、昭和15年の紀元2600年記念に日本政府が世界中の作曲家に委嘱したオーケストラ曲の1曲。委嘱されたのはリヒャルト・シュトラウス(ドイツ)、ヴェレッシュ(ハンガリー)、ピッツェッティ(イタリア)、イベール(フランス)、そしてベンジャミン・ブリテン(イギリス)。
     いちばんのトンデモさんはシュトラウスで、「ド・ミ・ソ」で鳴る銅鑼を使う「皇紀2600年祝典音楽」を作曲してきた。東洋にはそのようなものがあると誤解したらしい。そんなものがあるはずがなく、初演の時は似た音程の銅鑼を日本中探し回ったとか。
     一番の困ったちゃんはブリテン。なにを思ったか亡き父に捧げる「シンフォニア・ダ・レクイエム(鎮魂交響曲)」を送ってきた。祝典に鎮魂とは何事か、と日本政府はこの曲を突き返した。曲自体はブリテン初期の傑作というあたりも凶悪である。
     そういった周囲とは関係なしに、イベールの曲はいかにも祝典らしい派手さの中に厳粛な雰囲気もあって、私は大好きだ。ちなみにナクソスから佐渡裕指揮・ラムルー交響楽団のCD(amazon)が出ているので簡単に入手できる。聴くべし。

    追記:おお、解説ページがあるではないか。こっちのほうがよっぽど詳しいので、興味のある方はどうぞ。


 今年は喪中だ。そもそも私は記者生活最後の2年を郵政省に通い、その内部のあまりのドロドロさにあきれて以後可能な限り郵便局を儲けさせてなるものかと、年賀状を出すのを止めてしまった。
 インターネットがあたりまえの社会インフラになった今、少なくとも私にとって年賀状を出す意味はすでにない。不要な物に力を注ぐぐらいならもっと有意義に自分のエネルギーを使いたい。ましてそれが、あのでろんでろんの旧郵政省——今は日本郵政公社だがどうせ大して変わってはいないだろう——を儲けさせるとなれば、論外だ。


 というわけで、このblogはまだ当分続きます。年賀状代わりに世間一般に向かって日々情報を書き散らしていると思って頂ければ幸いです。

 さあ、仕事に戻ろう。

2004.12.10

横田めぐみさんの「遺骨」が偽物であったとの報に接して考える

 柄にもなく書いてしまうのである。

 横田めぐみさんの遺骨として返還された骨が、他人のものだったことが判明し、世論が激高している。新聞の社説にすら経済制裁という言葉が踊るようになった。

 経済制裁というが、対北朝鮮政策が外交であり、戦争は外交の延長であるということを考えるなら、敵対的外交は戦争と隣り合っている。とするならば戦争状態でなくとも、クラウゼヴィッツが書くように常に「どこに落とすか」を考えて行動しなければならない。「経済制裁だ!」「北朝鮮に正義の鉄槌を。バンザーイ」ではいけない。

 何しろ我々の国は63年ほど前に、「真珠湾攻撃だ!」「鬼畜米英に正義の鉄槌を。神州不滅。バンザーイ!」という国民的な雰囲気になってしまった前科がある。その結果何が起きたかを考えれば、今回こそはもっと賢く立ち回るべきだろう。
 我々は雌狐のように賢く立ち回る必要がある。

 日本の対北朝鮮外交の目的は何か。

 一に拉致被害者の完全奪還だ。

 これはいうまでもない。報道を見ていると、北朝鮮は日本どころか韓国、タイあたりからも一般人を拉致しているようだ。ここらへんの国と共同歩調は取れないだろうか。日本以上の人数が拉致されているという韓国の対応が、人道からすれば非常に生ぬるいことが気になる。まさか「同胞の北朝鮮なら誘拐してもいい」などと韓国政府が考えているとは思いたくないが。

 二に、北朝鮮国内の人的損害を最小限にとどめつつ、現北朝鮮政権のカルト性を毒抜きし、外交と経済の両面で国際社会に復帰させることだ。

 一番良いのは北朝鮮内部で自発的な政権交代が起こることだが、これは望み薄だろう。北朝鮮国内の暴力革命がこれに続くがおそらくは難民問題を産み出す。
 最悪はアメリカ軍かロシア軍か中国軍か知らないが、外国の軍隊が北朝鮮に侵攻して占領することだ。そうなると、北朝鮮はカンボジアどころではない惨状を呈することになるのではないか。
 目的を達するにあたって、北朝鮮が戦争を起こすというような暴発を起こさないようにしなくてはならない。63年前に我々の国が暴発するにあたって、前提条件としてABCD包囲網という「経済制裁」を食らっていたことを思い出すべきだろう。国が経済制裁を発動するにあたっては、なによりも「結果への見通し」が大事だ。経済制裁を発動するならば、何か北朝鮮の暴発を防ぐパワーバランス的な「かけ金」をかける必要がある。
 

 最終的には北朝鮮地域に、世界経済に組み込まれた経済活動が可能な統治形態を確立することである。

 ここではあえてマキャベリズムの立場を取り、日本にすれば朝鮮半島が統一されないほうがいいということを指摘しておこう(人非人と言うなかれ。思考の上ではすべてのモラルをいったん停止したほうがリアルに未来を洞察できる。なぜなら過去の歴史において、権力者や経済の都合は、ほぼ確実にモラルよりも優先されてきたから)。
 南北の人的、経済的交流が自由になりさえするならば、半島は政治的に分断されていたほうが日本の対中国政策上は都合がいい。南北が政治的に統一されたら、新国家はあっというまに中国の影響圏に入り、日本は半島経由で中国の脅威に圧迫されることなるだろう。なにしろ朝鮮半島における儒教の影響は絶大で、中華を尊しとして東夷を蔑む心性はそう簡単に消えるものではない。
 

 と、偉そうに書いてみても、私に思いつくのは「公的には経済制裁には至らないが、事実上経済制裁と同じ状態を作り出す」ということぐらいだ。そうすれば日本側が切ることができる外交カードが増える。
 民間の力で事実上の経済制裁状態を作り出すということだが、ではどうするかといえば私には「あさりを食わない。松茸を食わない。ウニを食わない。パチンコをしない」ぐらいしか思いつかない。で、私はこのうち「あさりを食う」ぐらいしか該当しない。しかも「最後にあさりを食ったのっていつだっけ」ってなもんだ。あ、パスタのウニクリームソースは時々食うな。あれ、値段からして北朝鮮産ウニという可能性があるかも。

 北朝鮮拉致問題は「太平洋を挟んでアメリカ、西の大陸に中国という、それぞれに勝手な大国に地理的にも経済的にも挟まれた日本が、今後どのようにして国際社会の中で地歩を確保し、繁栄していくか」という大問題とリンクしている。

 拉致被害者を取り戻すのは第一歩だ、。しかし、それですべての問題が解決するわけではない。
 北朝鮮というカルト国家を無毒化するというだけで、すべてが解決するわけではない。 
 

 うう、仕事が進まない。火星探査機打ち上げまで、あと1ヶ月…(「前に『打ち上げまで後少し』と書いていたではないか」というあなた、あの時は後少しと考えていたのであります…)

 編集のIさん、amazonやbk1で予約してくれた皆様、申し訳ありません。ああっ、もう少しだけ、筆が速ければっ。

2004.12.03

疲労が噴出する

 9月頭に父が入院して以来の疲労が一気に出た。体が全く動かず、一日寝床で眠り続けてしまった。

 予兆はあった。数日前から食事後やたらと眠くなり、横になったら4時間も寝てしまったとか、電車で乗り過ごしをやってしまうとか。「ああまずいな」という感覚はあったのだが、いろいろせっぱ詰まっており、きちんと休めなかったのだ。

 早い話、原稿だ。数日休めばリフレッシュされて効率が上がることが分かっていても、締め切りがあるとどうしようもない。その締め切りで仕事を受けたのは自分で、中には大幅に破っても待ってくれているところもある。要は自分の覚悟一つでしかない。

 ここしばらく長めの記事をアップしていたのには、「blogで勢いをつけてなんとか本業の原稿もはかどらせねば」という意図があったのだが、もうその状況は過ぎてしまったようだ。少し更新頻度と量の双方が減ると思います。

 願わくば 、すべての仕事を水準以上のレベルで完遂できますように。もちろん、全力を出し切ることは言を待たない。

2004.12.01

いまさらではあるがイラク人質事件についてコメントする

 最初に言っておく。バッシングをするつもりはない。事件発生時より私が感じた違和感を、十分に時間が経ち、それなりに冷静に判断できるようになった、と感じたので記述することにする。

 今年4月に発生したイラク人質事件、人質となった3人の中で一番若かった今井紀明氏のことだ。

 郡山総一郎氏と高遠菜穂子氏について、私はなにもいうことはない。成人と認められた年齢の人物が危険を承知してイラクに行こうとしたのだ。基本的に止める理由はないし、何かあったとしても本人の行動の結果を本人が受け取るに過ぎない。
 日本国は彼らを救う義務があるが、日本国の首脳部及び外務省が法人保護についていかほどの実力を持つかをも含めて、本人が事前に最悪の事態を想定して考慮し、準備しておくべきことであろう。

 ところが事件発生当時18歳だった今井紀明氏に関しては話は別だ。彼は「未成年」だったのである。

 事件が発生した時、当然私は三人の名前で検索をかけたのだが、以下のページがずっと気になっていた。

 ・MOS(media of student) (ID:16338)

 今井氏がイラク行きの前に発行していたメールマガジンである。発行部数は105。2003年10月27日から12月5日までの40日間に12号を発行し、そのまま止まっている。最終号にはNo.32とあるので、メールマガジンになる前に、なんらかの形式で20号を発行しているようだ。

 各種報道によると、このメールマガジンが途絶した時分から今井氏は、イラク行きを考えるようになったらしい。

 私は、解放された彼が帰国して以来、いつこのメールマガジンを再開するかを注目してきた。小なりとはいえども100を超える購読者を持つメディアだ。彼はメディアの主催者兼執筆者として、105人の購読者に己の行動をきちんと説明する責任がある。それはその他マスメディアに露出し、自分が原稿を書いたからといってそれでいいだろうというものではない。自らが主催するメディア、しかもいつ途絶してもいい身辺雑記を書いているのではなく、社会的な主張を持つメディアなのだ。105人の読者に対する説明責任は決して軽くはないし、こうやってオープンなwebページも存在する以上、ネット全般への説明という意味合いも出てくる。

 それは「ぼくがイラクに行った理由」(amazon)という本を書いたというだけで免責になるようなものではない。彼はメールマガジンの主催者なのだ。主催者には主催者の責任がある。

 なんらかの説明をした上で、メールマガジンを閉じるなら閉じるべく公告するのがジャーナリストとして、いや、社会人として最低限のマナーであろう。

 しかし、2004年11月29日現在、メールマガジンは再開することなく一年近く放置されている。終巻のお知らせすらない。

 私がこのメールマガジンの発行間隔と放置から連想するのは、小学生の壁新聞だ。学級会で出そうかとわっと盛り上がり、二号三号四号と一気に作ったものの、やがて飽きて次の遊びを見つけた子供達は集まらなくなり、自然に途絶する。

 子供ならば、このような行いは許される。そうやって色々体験することで子供は育つのだ。一方で、子供には親権の及ばないイラクに行くことは許されない。

 つまりこのメールマガジンの放置からは、2003年秋から2004年春にかけて、18歳の今井紀明氏が、「子供の感覚」のままメールマガジンを発行し、放置し、イラクに行ったということが読みとれるのである。

 当時の今井氏は20歳を迎えてはいない。従ってその行為に責任を問うことはできない(18歳にもなって「一応の」大人としての行動が取れないというのも恥ずかしいことではあるが、ここでは問わない)。問題は彼の周囲の大人が彼に対して「子供がイラクに行くものではない」と制止できなかったというところにある。この問題が今井氏と、郡山、高遠両氏を隔てる部分だ。

 子供が一人でイラクに渡航できるはずもなく(特に旅費は熱意だけではどうにもならない)、おそらくは「行って来い」と無責任に背中を押した大人がいるはずだ。彼の渡航に関して真の原因は、この無責任な大人にある。

 ここから先は色々報道されているが、基本的にプライバシーも関係してくると思うので、直接取材をしていない私としては言及を避けることにする。

 
 
 いったい彼は、なぜイラクに行ったのだろう。そして周囲の先輩達はなぜそんな行動を看過したのだろう。

 早い話、取材とは技術であり、訓練によって身につけるものだ。そして訓練なくして現地に飛び込んだとしても、見ている事物を解釈し損ねるだけだ。「見たけど見ていないのと同じ」ということになるのである。それでは行くだけ無駄というものである。
 一個人の経験を一般的に敷衍することはできないが、私の場合、国内において一応取材できているなと実感できるようになるまで、就職から2年がかかった。

 もちろん才能があればこの下積み期間は短縮可能であろうが、それでも技術を学ばねばならないという事情は変わらない。まして海外取材となると国内に倍する労苦をさばく必要があるし、戦場に近い危険地域の取材ともなれば、必要な技術は一朝一夕に身に付くものではない。
 温泉で、まずぬるい湯につかり、少しずつ熱い湯釜に移っていくように、ひとつひとつステップを踏んで、覚えていかなければならない。そういうステップを経ずに戦場取材に飛び込むのは、いきなり熱い湯釜に飛び込むようなものだ。
 もちろん「あっちゃっちゃあっ」と叫ぶだけで済む事もあり得るし、そこで積んだ経験を元に大成することもあり得るだろう(若き日のアンドレ・マルローは恋人を連れて家出し、カンボジアに遺跡発掘に行った。あげく盗掘容疑で捕まり有罪判決を受けて本国に送還されている。確か19歳だったはず)。

 が、たとえ大やけどを負っても、誰も同情はしない。

 
 仮定の話として、もしもイラク渡航前の今井氏が私に相談をしていたとするなら、たかだか国内の産業記者をいくばくかやった経験のあるだけの私であっても、彼を怒鳴りつけていただろう。
 その上で「劣化ウランに興味があるならば、まずアメリカに行って来い」とアドバイスしたと思う。
 劣化ウラン弾を巡る問題は、イラクという現地を見ただけでは事の半分以下を押さえたに過ぎない。まずは劣化ウラン弾を製造、備蓄しているアメリカの論理や態度、雰囲気といったものを実感しなければ問題を捉えられないはずである。そして2003年から2004年にかけての世界情勢において、アメリカへの渡航はイラク渡航よりもはるかに容易だった

 どうしても必要な取材ならば、まず容易なところから取材を始め、その過程で自分を鍛えつつイラク入りを狙うべきだった、と私は思うのである。

 こんな簡単なことが、なぜ今井氏周囲の大人には分からなかったのか、私はいぶかしく思う。

 
 
 今井氏が支援者に向けたあいさつによると、彼はこの10月からイギリスに渡ったそうだ。このあいさつに、イラク渡航の理由であった「劣化ウラン弾」は一言も出てこない。彼は自分のテーマを「僕のテーマは「人間の表現」です。」と書いている。

 子供ならば、興味の対象を次々に変えることは許されるし、また成長にとって望ましいことでもある。が、ジャーナリストにとって、対象に向ける執念も重要な資質であることを、彼は理解しているのだろうか。彼の周囲の大人は教えなかったのであろうか。


#この件に関しては、単なる罵倒や中傷のコメントは控えてください。当方の思い違いの指摘や、この問題に対する理解を深めるような建設的なコメントを歓迎いたします。

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