死を送る
2004年が終わる。
今年の後半、私は軍神の星を巡る話を書き続け、いまなお書き終わることなく、その間に父を見送った。
自分の身辺と世界を同等に見立てるのは不遜だが、世界では天候不順が続き、イラクもアフガニスタンも治まらず、中越地震が起き、スマトラ沖で世界最大級の地震とそれに伴う津波が発生した。
この年の瀬に至り、もうたくさんだと思っていたところに、立て続けにだめ押しがやってきた。
ひとつに29日、高校のクラス会に出席し、私が所属していた合唱部の部長をやった娘(といっても、自分と同じ40過ぎだったわけだが)が8月に病死していたことを知った。委細は分からなかったが、まだ死ぬ年齢ではない。
彼女とは特に親しかったわけではなく、部活上のつきあいがあったに過ぎない。私は「音楽をする」ということに自意識過剰な思い入れがあり、それが「高校の部活をする」という意向の彼女とはぶつかっていたものだ。卒業以来25年もの間に、確か2回しか会っていないし、その2回もろくに話したわけではない。
それでも、一緒にハーモニーを作り(いや、あれは和音などという代物ではなかったが)歌ったという感覚は身のうちに残っている。確か野球部の誰だったかを好きだったらしき彼女が、夕暮れの江ノ電の駅頭で「おめーよお」とかなんとかくっちゃべりつつゲハゲハ笑いながら帰っていく野球部の連中を、赤くなった頬を押さえつつ見送っていたのを思い出せる。
死ぬのに理由などいらない。分かってはいるのだが、それでも「なんと理不尽なことか」という感情は消すことができない。
ふたつに本日夕刻、実家の隣家に住んでいたご老体がこの世を去った。長く患い、退院してきた矢先だった。独居老人が自宅で倒れて死ぬのは、手続き上変死扱いになるとのことで、警察が入った。
何を悪いことしたわけでもない。真面目に生きてきた終末が、独居というだけで検死で締めくくられるとはなんとつらいことか。
そして、生物ではなくましてや人でもないのだが。この大晦日、会社を辞めたときに購入し、使い倒してきたPowerBookG3(2000年モデルがついに壊れた。7月のクラッシュを受けてバックアップ対策をとってあったので、原稿への被害は避けられた。
覚悟を持って会社を辞めた時に「仕事の道具に」と思い入れを持って購入し、以来どこに行くにも持って歩いたパソコンだ。2個バッテリーを搭載すると実時間で10時間近く稼働するという特性を生かし、酷使というのも愚かなほど使ってきた。そろそろ買い換え時ということは分かっていたが、それでも予備機のVAIOとは比べ物にならない程良いキータッチと洗練された使い勝手で、私の仕事の環境として十分以上に機能し続けてきた。私に取ってなくてはならない道具だった。
キーボードのトップはすり減り、梨地仕上げだったパームレストはてかてかになっている。ボディには亀裂が走り、もう持ち歩きは無理になっていたが、それでもぎりぎりまで原稿執筆に使用した。
正月は私の誕生日であり、あと数時間で私は43歳になる。2004年が私の傍をタナトスが通り過ぎていった年であるなら、2005年はエロスに縁のある年であって欲しいものだ。
そして陳腐な言葉だが、「地には平和を!」。
皆様も良いお年を。
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