失礼なコメントを削除する
ひどい風邪を引いてしまい、しばらく更新を停止していた。本日久しぶりに料理をしたが、舌が駄目になっていてちっともおいしくない上に、どうもおいしく作れていない模様。味覚が弱ると世界全体が灰色になったような気分になる。
先ほど、はるか過去の記事にコメントが付いた。まったく当方の記事とは関係ない。
「第26期東京都青少年問題協議会にて、フィルタリングサービス使用義務を条例に規定するよう求め、「情報から子どもを隔離する意義」まで強調する答申が出されました。
(中略)
私は高校生ですが、こどもの権利を否定するような東京都様の動きには全く賛同できません。」
というような長々としたコメントだった。一言で言えば「学校のネットにフィルタリングをかけるのに反対です」という内容だ。
即刻削除である。馬鹿者が。
インターネットでは、それを「本気の馬鹿」がやったのか「誰かがネタとして投稿したのか」、「本気の誰かへの悪意を増幅するために敵対する誰かが投稿したのか」を見極めるのは非常に難しい。が、blogにおいて、当方の書いた記事に対して全く無関係のコメントをつけるのが失礼な行為であることは明らかだろう。上記の3つのいずれにせよ、投稿者は相当な無礼者である。
そんな奴のために、当方が維持コストを支払っているページにスペースを提供する義理はない。
意見を表明したければ、自分のページで自分の名前を使ってやるべきである。もしも投稿した者が、自己申告の通り高校生であるならば、この当たり前のことが高校生になっても理解できていない恥ずかしい奴ということになる。
はっきり書いておく。私はそういう馬鹿がネットに出てこないためにも、学校のネットにおけるフィルタリングに賛成するものである。ガキ(とあえて書こう)が、大人と同じ権利を持っていると思ったら大間違いだ。
その上で、お上がやらかすであろう間抜けなフィルタリングを、あれこれの検索技術を駆使して「おお、こんなにバカじゃん」と笑い飛ばせるぐらいのスキルをすべての高校生が身につけることを希望する。
以下は今回のことで思い出したので。そろそろ四半世紀以上以前の昔話である。
私が高校に通っていた時の話だ。とある学校行事の後、悪ガキ共が居酒屋で酒盛りをやらかしてとっつかまったことがあった。悪ガキ共を前にした先生が言ったことには「お前ら、我々に見つかるようなところで酒を飲むんじゃない!」
おお、無責任教師出た!見つからなきゃ飲んでもいいんだな、表裏がある汚い大人だ——そう思うだろうか。
そうじゃない。これは実に教育的な叱責だったと思うのである。やってはいけないことをやらないためには、まず「なにがやってはいけないことか」を認識する必要がある。そして高校生の飲酒というのは、法律を離れて社会通念で考えるとなかなか難しい問題だ。確かに違法ではあるが、十代の後半は背伸びしたくてたまらないというのが当たり前でもある。それはむげに否定できない。
「お前ら、我々に見つかるようなところで酒を飲むんじゃない!」という先生の叱責は、「まず、何はともあれやっていいことと悪いことを弁えろ」という意味だったのである。その上でどう振る舞うかを自分で考えろ、ということだったのである。
世の中は法律ですべてがが動いているわけではなく、様々な「良い加減さ」が存在してしなやかに組み合わさっている。ネットにおいてはその「良い加減さ」が、まだうまく機能していないようだ。