Web検索


Twitter

ネットで読める松浦の記事

My Photo

« 大人が乗ってもうれしくない新幹線の話を思い出す | Main | スパムメールと戦う »

2005.01.06

ネットの「マツリ」を目撃する

 実家に詰めて一日原稿。書いては犬をからかって遊び、また書いて食って。運動不足だ。

 昇天したPowerBookG3に代わって、父が使っていたiBookG4を使い始める。

 ネットをうろちょろしていて、年末から年始にかけて発生した騒ぎを知る。記者歴6年という人物が、自分のblogに「イラク人質事件の三人が自己責任を問われるのは、スマトラ沖地震の津波に巻き込まれた人が自己責任であるというようなものだ」と書いて、ネットのあちこちから総攻撃され、いわゆる「マツリ」状態になった(鈴木慎一さんの日記1月4日の記述から色々たどることができる)。

 そもそもの震源地となった自称記者氏の、およそメディア関係者とも思えない稚拙な対応に驚く。いくら匿名の批判コメントが殺到したからって、投稿者のIPアドレスをさらしたり、コメント欄を閉鎖するのはまずいだろう。主張の正当性以前の問題だ。

 一方で「自分もしっかりしなければ」と思う。自分もメディアで食っている以上、不用意な一言で転落する可能性は常にある。「明日は我が身」。


 もう一つ感想。「いったいいつから左翼言論や市民運動の言論は、かくも脆弱になってしまったのだろうか」。今回の自称記者氏のような人物ばかりではないと思うが、ネットで「プロ市民」「サヨ」といった言葉で軽蔑のニュアンスをもって語られてることが多いのはどうしたことか。

 ネットというメディアが本質的に抱える問題?ソ連崩壊以降の左翼勢力の弱体化?そもそも左翼言論がその程度のものだった?日本が右傾化している?

 だが考えて欲しい。

 ネット、特に匿名の世界は雰囲気で雪崩のような動きが起こる怖い世界だ。しかし、しっかりとした論拠を押さえて、まともな議論を展開していけば、「敵も多いが味方も多い」という状況には持っていけるはずだ。

 なぜそうはならないのだろうか。

« 大人が乗ってもうれしくない新幹線の話を思い出す | Main | スパムメールと戦う »

パソコン・インターネット」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

 いわゆる「左翼」が侮蔑的に語られるのは、左翼言論が弱くなったという問題ではなく、それを語る人たちが、自分は左翼ではないーーそしておそらくは右翼でもない、普通の庶民であるーーことの確認行為ではないでしょうか。

 今日は初めまして。

 今回の騒動も「疑似」左翼、いわゆるサヨが引き起こしたモノと考えます。

 そしてそのサヨ達も、実態はかつてのマル経などとは無縁の、ただの冷戦の残滓、反動反戦反官反米、主体/代替を持たない野党的感情的言動を繰り返すのみ。

 それをバランス感覚を持った庶民が忌避し、冷静に排撃した、というコトかと・・・。

自称記者氏は古いタイプの言論人だったのでしょう。
インターネット時代以前は、マスコミの報道に異を唱えることはほぼ不可能でした。せいぜい新聞に投書して掲載されることを祈るか、テレビ局に電話して適当にあしらわれるか、仲間内で愚痴るぐらいしかできなかった訳です。
報道されてしまったことは、たとえ個人的な思い込みであっても、世論扱いされていました。
意識の低い言論人は自分が世論の代表者であるかのような誇大妄想的優越感に浸ってもおかしくありません。
左翼右翼とは関係なく、現代において、そのような思い上がりを抱えたままの言論人は叩かれても仕方がありませんね。

ここまで大勢の反発を受けたのは、津波被災者とイラク人質は本質的に同じと論ずる記者氏の非論理性もさることながら、津波被災者へのシンパシーよりも日頃抱いている自説の正しさを主張することが先行しているような印象を感じさせるからでしょう。

悲惨な津波被害の現実を前にして、ここでイラクの人質の自己責任の問題を持ち出す感覚には不快感を抱かれても仕方ありません。

 あの自称記者氏は左翼の論者ではなく、疑似左翼、通称「サヨ」でしかないということでしょうか。確かにあの間抜けというのもアレな対応は、右とか左とかとは別の、ただの「ネチケットを知らない困った人」ではありますね。

 右翼もネットでは「ウヨ」「プチ右翼」、あるいは韓国とのあれこれで騒ぐ「嫌韓厨」なんて呼ばれている人たちもいますし、左右を問わず、きちんと自分の論拠を示せないまま感情的な議論をはき出している人は一定数存在するということでしょうか。

>主体/代替を持たない
 そう、これは大事ですね。「反対はわかった。で、どうするの」。
 難しいのは「代案がないなら反対するな」という抑圧の道具にこのロジックが使われがちだということでしょうか。

>古いタイプの言論人
 話はずれますが、私がネットに触れて「あ、こりゃ紙の新聞は死ぬな」と思ったのは1995年でした。昨年、一連のNHKを巡る動きを見て、「あ、これで一極集中型のテレビ放送も死んだな」と実感しました。
 ただ、「システムの成立可能性のところで死んだと判定する」ことと、「実際にそのビジネスで金が回らなくなることで死んだと判定する」は別なのです。私が新聞が死んだと思ってから10年、まだ新聞は発行され、一定の機能を果たしています(年々駄目になっているとは思いますが)。

 しばらくは年齢とは関係ない「古いタイプの言論人」は生き延びるんかなあ、というのが現在の感想です。


はじめまして。
実は私も、Yahoo!掲示板で、障害者問題を引き合いに出した結果、イラク人質と一緒にするな、という反論を多数受け取ったことがあります。
また、別の方は、セカンドレイプと一緒だと言ったところ、やはり、一緒にするなという反論を貰ったことがあると述べていらっしゃいます。
そのような例について、まとめてみました。

てるてる日記
「自己責任についてのたとえと、異論と、異論への反論」

>terutell さん

「Aを非難するのは、Bを非難するのと同じではないか」という理論を展開する場合、かなりの注意が必要です。単に「AとBに共通点がある」ということではなく、「Aが非難されている本質がBにも共通する」という点を確認しておくべきです。

例えば、「麻原彰晃を非難することは同じ宗教家であるマザー・テレサを非難することと同じだ」という意見を受け入れられる人は稀でしょう。

イラクの人質を擁護するには、まず彼らが非難されている本質を考慮すべきだと思います。

そう考えると、イラクの人質と「安全だと思い、観光でインド洋を訪れ、不幸にも津波に遭遇してしまった人々」や「命の重さと障害の苦しみを理解した上で、障害児を産み、育てる決心をした両親」と比較するのは、不適切に思えます。

「風船おじさん」なら、ある程度共通点があるようにも思えますが、「風船おじさん」の評価自体はよくわからないですね。

すいませんゴミです。

うわーブログって凄いなー
林先生や小林先生と並んでドクター松浦からコメントして貰っちゃいました。
有り難うございました^^;。

>ドクター松浦
 えー、私は博士号を持っておりません。学会にも所属していないので追放されようがありません。つまりマッドサイエンティストの資格はありません。

 念のため。

ネットの祭りとしては、遥かに規模がでかい「NHK 対 朝日新聞」ですが、今回の特徴は確実にどちらかのメディアが嘘を吐いているという点ですね。この2大メディアの戦いの影響で、いったいどれだけのネットバトルが誘発されているのでしょうか?

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference ネットの「マツリ」を目撃する:

» http://mira.bio.fpu.ac.jp/tadas/cgi-bin/blxm/blosxom.cgi/fiesta.htm [極端大仏率 Returns!]
たしかに,このジャーナリスト氏は考えが浅いと言わざるを得ず,弁護の余地はない。しかし深く考えもしないで書いた一言でここまで叩かれるのは,自業自得とはいえ,哀れな... [Read More]

» 「大津波被災と自己責任論」関連リンク集 [てるてる日記@WebryBlog]
「素晴らしき世界」に言及しているブログ [Read More]

« 大人が乗ってもうれしくない新幹線の話を思い出す | Main | スパムメールと戦う »