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2005.05.31

「池野成の映画音楽」を紹介する

 せっかく、 Amazonのアフィリエイトを始めたというのに、今日はAmazonでは入手できないCDの話だ。

「池野成の映画音楽」

 昨年逝去した作曲家・池野成による映画音楽を集めた4枚組CDだ。限定500セットという少部数だが、内容がすごい。日本映画黄金時代の音楽がぎっしりとつまっているのだ。吉村公三郎、川島雄三、増村保造、山本薩夫といったそうそうたる監督の作品に、黒田義之監督「妖怪大戦争」の音楽まで入っている。

 池野成は、他に類のない作風の優れた作曲家だった。
 とにかくすべてが強烈で緻密なのだ。
 トロンボーンとティンパニによる低音の偏愛、ドローンとオスティナートへの執着、緻密な音響構成——そういった特徴がこのCDから聞き取ることができる。

 私が池野成という名前を初めて知ったのは、NHK-FMで放送された「エヴォケイション」という曲からだった。ソロのマリンバに、6人のティンパニ、6人のトロンボーンという異色の編成から強烈なリズムと音響が繰り出される作品だった。
 私は、この作曲家の他の作品も聴きたいと思ったのだけれども、一向にラジオで演奏されることもなく(1983年の「ラプソディア・コンチェルタンテ」はFMで放送初演されたそうだが、あいにく当時は私がバイクに夢中でラジオ番組には注意を払っていなかった)、そうこうしているうちに20年以上が過ぎ、作曲家は世を去ってしまった。その間、私は代表作と言われる「エヴォケイション」を再度聴く機会すら得られなかった。

 一体なぜ、かくも優れた、百歩譲ったとしてもユニークと言える作曲家が死に至るまでこれほどまでの無名、知る人ぞ知るという状態のままだったのだろうか。様々な大家の映画に音楽をつけながら、それが賞の形で評価されなかったのか。不思議でならない。

 例のNAXSOSの「日本作曲家選輯」でも池野の名前は挙がっている。しかしその順番は後ろの方で、いつになったらこの作曲家のコンサート用作品をまとめて聴くことができるようになるのか、まったく分からない。いつかNAXOSが池野作品のCDを出すその日まで、この「池野成の映画音楽」が、彼の音楽を知る唯一の手がかりということになる。

 「池野成の映画音楽」は通販で購入することができる。さあ、少しでも興味を持ったなら、メールを出そう。ここで、この限定500セットのCDを逃したら、いつ池野の音楽を聴くことができるか分からないのだ。悲しい話ではあるが。


 今年の夏にリメイク版が公開されるからか、「妖怪大戦争」のDVDも新しいパッケージで販売されることになった。現在予約受付中。
 ずいぶん以前にテレビで観た印象しかないのだけれども、脚本が弱いという日本映画の宿痾から、この映画も逃れてはいないと思う。どうにも話の運びは散漫だ。

 その一方で、敵役の妖怪ダイモンは迫力十分。その迫力の半分は、池野成が付けたトロンボーン合奏のポルタメントによる「ダイモンのテーマ」によるものだろう。
 残る半分は着ぐるみでダイモンを演じた橋本力の功績だ。橋本は「大魔神」シリーズでも大魔神を演じている。大魔神のあのぎろっとした目は橋本の目そのものであるのは有名だが、この映画でもダイモンの目はそのまま橋本の目を使っている。一世一代の目の名演技である。

 今夏のリメイク版では荒俣宏が原作を担当。敵役はダイモンではなく、加藤保憲なんだそうだ。誰が魔人加藤を演じるかは公開されていないが、1989年の映画「帝都物語」では嶋田久作がこれまた一世一代の名演技を見せていた(そういや「帝都物語」も映画は大したことなかったなあ)。また、嶋田の加藤が観られるならば、ちょっとだけ楽しみである。

2005.05.30

散骨を行う

相模湾

 5月29日の日曜日、弟と釣りに行く。釣り船は片瀬江ノ島のKさんの船。父が所属していた釣りの会のイベントだ。1982年、生粋の漁師であるKさんの周囲に釣り好きが集まって、毎月釣りをして宴会をする会が結成された。父は創立時からの会員として、人生のほぼ三分の一で毎月の釣りと宴会を楽しむことができた。現在は、父に代わって弟が会員となっている。

 獲物はキス。午前8時に江ノ島から出航し、ほどなく釣り場に到着。「さあ、今日はどんどん釣ってね」というK船長のかけ声と共に釣りが始まる。餌のイソメを釣り針に付けて、浅い海底にいるキスを狙う。あらためて観察するとイソメという生物もなかなか面白い。そのまま針に付けると大きすぎるので途中でちぎる。生きたイソメをちぎるので、手はイソメの分泌物と中身でべたべただが、それもまた楽しいので気にしない。検索をかけると、おお、イソメを食べた勇者もいるではないか。

 弟は竿さばきも堂に入ったもので、次々にキスが上がってくる。私はといえば、「まあぼちぼちでんな」の状態。操舵席からはK船長の容赦ない叱責が降ってくる。「○○さーん、それじゃ釣れないよー。何やってんのー」「ダメダメ、そんなことやってちゃ他の人に迷惑だよー」などなど。

 午後1時半、釣りを終えて船は沖に向かう。父の散骨である。「骨の一部は相模湾へ」というのが釣りを愛した父の願いであり、K船長に相談したところ、願いを聞き入れてくれたのだ。そのために納骨の時にほんの小さなひとかけらを散骨のために取り分けておいた。
 とはいえ散骨のやり方を当方は知らず、おたおたしていたら、K船長がすべて準備していてくれた。「儀式だからね。やり方があるんだよ」。漁師なりの儀式があるらしい。言葉もない。
「以前散骨について文章を書いたことがあってね、それを読んで松浦さんもやって欲しいっていったんだろう」
「そうですね」
「お父さんはいくつだった?」
「享年76歳です」
「じゃあ水深76mのところに行こう」
 烏帽子岩を望む茅ヶ崎沖に、K船長は船を進める。
「いいかい、『山を立てる』って言うんだ」と、K船長はかすかに見える地上目標を結ぶ線の交点へと船を進める。
「今はGPSもあるけれど、こうやって覚えておけばまたここに来ることができるからね」
 空は晴れ、波はやや高い。無類の晴れ男を自認していた父にふさわしい。遠くに大山、霞の彼方にはかすかに富士山も見える。

 船長が船縁からまず塩を、そして酒をまく。私がペーパータオルに包んだ父の骨ひとかけらを、弟が菊の花を海に落とす。白く小さな包みはゆらゆらと沈んでいく。
 父の釣り仲間達が、菊の花をひとつずつ海に流す。そして酒を回し飲み。残った酒は海にまく。
 K船長が叫ぶ。
「景気よく、ぱあっと!酒好きな人だったんだから!」

 こうして父の一部は相模湾の大気と海洋の循環に還った。

 K船長、釣り仲間の皆さん、ありがとうございました。

 港に戻ってからは恒例の船上飲み会。潮風にさらされて心ゆくまで飲む。

 写真は相模湾の海と空。この風景の中に融けていったのだから、父も満足であろう。

 ちなみに散骨は、かつて違法行為と思われていた時期もあったが、1991年に「法の規制外」という見解が出て一般化した。以下のリンクを参考のこと。

散骨の実施について

2005.05.29

代用ビールに怒る

beer

 アサヒビールが、「新生」という発泡酒を発売した。税法上は「その他の雑酒2」に分類されるビールテイストのアルコール飲料だ。酒税が低率で、その分販売価格も安い。

 一応この手の新製品が出ると一本は試してみることにしてみている。「新生」も一本だけ買ってきた。一本だけというのは、どうにも「地雷」のような気がしたからだ。

 地雷であった。

 発泡酒全般がビールの劣化コピーならば、こいつはドライビールの劣化コピーだ。ドライビールですら許し難いほどまずいというのに、その劣化コピーを堂々発売するとはどういうつもりだアサヒビール。

 ネットを観ていると「自分には発泡酒で十分」と書いている人は意外に多い。そう書いている文章をよくよく読み込んでいくと「自分にはビールの味が分からないし」という自己規定があるようだ。

 私思うに、そういう人は、きちんと味覚や嗅覚、口腔内粘膜の触覚などを使って味わっていない。「まあこんなもんだろう」という味覚の先入観というかフォーミュラというか、そんなものが脳内に出来ていて、味覚の刺激入力に対して、その先入観が発動してしまっている。先入観が味覚を始めとした入力をブロックしてしまい、代わりにあらかじめ生成されている「まあこんなもんだろう」という刺激が脳内を駆けめぐっているのだ。
 速水螺旋人さんの書くところの大脳食法だ。速水さんは、積極的に「大脳で食うべし」と書いているわけだが。

 つまり、ビールを飲んでいてもビールを味わっておらず、ビールは脳内のフォーミュラを発動させるトリガーにしかなっていないのである。ただのトリガーなら、より安い発泡酒のほうがいいし、さらに安いその他の雑酒はさらに好ましいということになる。

 考えてみれば。「とりあえずビール」という飲み方は、ビールを脳内フォーミュラのトリガーにしか使っていないということの証拠なのだろう。で、最適トリガーとしての地位を得た味が、ビール市場を制するわけだ。

 かつて私が就職した頃は、「ビールはやはりキリンでないと」というオヤジ世代はかなり多かった。当時の私の好みはサントリーのモルトであって、なぜオヤジ共がキリンにこだわるか理解できなかった。要は彼らの脳内にトリガーとしてのキリンがすり込まれていたということだったのだろう。
 やがて、アサヒビールが、「スーパードライ」を発売し、キリンの地位を奪った。何をどう味わっても「スーパードライ」は「キリンビール」よりもまずかった。が、刺激的な味で大多数の消費者の脳内トリガーの地位を奪った「スーパードライ」はアサヒを業界一位メーカーに押し上げた。

 そして発泡酒だ。同じトリガーなら安い方が良い。財務省が税金逃れだとして発泡酒の税率をアップした。ならばトリガーとして機能するもっと安い酒でシェアアップだ。そうして「新生」が出た。

 なあ、味は一体どこにいったんだ?

 ビール缶に入っているがこれはビールじゃない。発泡酒というような呼び方も事実を隠蔽する命名だ。これは「代用ビール」だ。なぜ我々は、十分に豊かになった日本で、大豆ペプチドなどを使った代用ビールを飲まねばならないのだろうか。

 税法が味覚文化を破壊するという面で見るならば、かつての日本酒がたどった道を、ビールも進んでいるように思える。太平洋戦争中の食料統制において、日本酒には等級制が導入された。特級、一級、二級という税法上の区分では、本物である純米酒が非常に造りにくい仕組みになっていた。貴重な米を酒ごときで消費するなということだ。
 ところが大蔵省は、戦後に米が余りだしても頑として税法を変えなかった。巷にはアルコール添加のまずい日本酒があふれ、「日本酒はまずいもの」という認識が一般に定着した。しぶしぶ大蔵省が税法改正に同意した時、そもそも人々の間から「日本酒を飲む」という習慣が失われており、様々な蔵元がおいしい純米酒を出すようになっても市場規模は回復しなかった。

 ドイツには「ビール純粋法」という法律があり、ビールには「大麦、ホップ、酵母、水」以外を使用してはいけない」と規定されている。コーンスターチやら米やらを使った日本のビールは、本場ドイツの定義ではビールではない。
 そしてドイツで飲んだピルスナーは、とてもおいしかった。


 写真は、ドイツに持っていっても「ビール」として通用する「エビスビール」と「新生」。もちろん「エビス」2本は、口直しに買っておいたものであり、新生を飲んだ後、私は「エビス」を買っておいて良かったと、つくづく思ったのであった。
 税金には腹が立つが、私はそれでもおいしい本物のビールが飲みたい。

2005.05.28

NHK技研の公開に行く

digitalmobile

 世田谷の砧にあるNHK放送技術研究所の一般公開に行く。ここ数年、タイミングが合わず行けなかったが、今後の放送技術の動向を知るためには是非とも押さえておきたい研究所だ。1992年の公開で、ISDNならぬISDBという名称で公開されたデジタル放送は、非常に衝撃的だった。それまでNHKは帯域圧縮にMUSEを使ったアナログ伝送のハイビジョンを推進していたが、ISDBの公開あたりから徐々にデジタルへと軸足を移していったのである。
 NHKが技術や企画で何かをやる場合には、必ずここの一般公開に前兆が出てくる。

 以前、5年ほど前に来た時よりもずっと活気がある。新しくなった建物の3フロアを使った展示は、非常に見やすく、説明も丁寧になっていた。若い研究者が以前よりも目立つ。ここ数年、積極的に若手を採用してきたのだろうか。
 かつてのISDBのような、「これで世界は一変するぞ」と思わせるような大ネタはなかった。が、それでも目を奪うに十分な展示が並んでいた。
 今年の目玉は、既存のデジタルHDTVを遙かに超えた7680×4320ドット、秒60フレームの「スーパーハイビジョン」と、2006年春からサービスが始まる携帯端末向け地上デジタル放送ということになるだろうか。

 「スーパーハイビジョン」は、4分のデモンストレーション映像を見た。既存の1080iの映像を「確かにNTSCよりはきれいだが、圧倒的な差は感じない」と評価している私だが、これはすごい。大相撲の映像が流れたが、比喩もお世辞も抜きで本当にそこに力士がいるかのような臨場感だ。ここまでやれば、視覚は完全にだますことができるということか。
 質問したところ、ビットレートは非圧縮で20Gbps、4分のデモ映像ファイルは1テラバイトとのこと。ただしハードディスクの帯域が足りないので、現在のシステムでは50台ものハードディスクを並列動作させているそうだ。
 家庭への伝送は、21GHz帯を使った衛星放送を考えているとのこと。実用化時期はと聞くと「20年とか30年は先でしょう」だそうだ。

 携帯端末向け地上デジタル放送は、AVC/H.264というコーデックで128bpsのデジタル放送を行い、携帯電話などの端末にデジタルテレビ放送を送り込むというもの。試作品をずらっと並べて来場者がさわれるようになっていた。 
 128bpsの画像は予想以上にきれいだが、驚くというほどではない。むしろデータ放送で、様々な文字情報も端末に送り込めるというところが重要ではないかという気がする。正直、これを使って屋外でスポーツ番組やらドラマやらを見る気にはならないが、間違いなく災害時の情報伝達に役立つだろう。

 その他では、音声合成の進歩が印象的だった。イントネーションも発音ももはや人間の生の声との区別がつかない。来年秋頃に気象通報と株式市況を合成音声化するという。

 やはり研究所公開には足を運ばねばいけないな、と思いつつ帰宅。

 写真は、地上デジタル放送を受信中の携帯電話。

2005.05.27

ダイマクション・カー

dmcar
 野尻抱介さんから投稿があったので、あまりきれいな写真ではないのだが掲載する。ダイマクション・カーのフレーム模型だ。

 リア・エンジン前輪駆動、ほぼ垂直に近いリアステアリングの軸とステアリングを駆動する長大なチェーン、横から見るとX型に2つの部位を組み合わせたフレーム——一方にエンジンをマウントし、もう一方に前輪を装着し、間をサスペンションで結ぶことでエンジンの振動が客室に伝わらないようにする——といった独特の構造を見て取ることができる。

 バックミンスター・フラーという人は、フラー・ドーム、ダイマクション・マップといった素晴らしい業績も上げてるが、一方でこのダイマクション・カーのような妙な失敗もたくさんやらかしている。フラーの人生から学ぶものがあるとすれば、「多少の失敗など大したことではない」ということだろうか。



 フラーの伝記。「まあよくも次々と妙なことを考えられるもんだ」と感嘆することうけあい。フラーが海軍士官出身ということを知り、だから一カ所に留まることがなかったのか、と思ったりもする。
 まかりまちがって、自分が家を建てることになったら、是非ともフラー・ドームを作ってみたい。プレハブのキットも存在する

 竹材でフラー・ドームを作るという試みも面白そうだ。

2005.05.26

「ネット・サイエンス・インタビュー・メール」が終了する

 サイエンス・ライターの森山和道さんが過去7年に渡って続けてきた、「ネット・サイエンス・インタビュー・メール」が、終了した。第一線の科学者に話を聞き、インタビュー内容を可能な限り生のまままとめて配信する他に例のないメールマガジンだった。

 森山さん、ごくろうさまでした。

 一般的にインタビューを記事にまとめるには、話し言葉を圧縮して書き言葉に直し、なおかつ話しているかのように語尾を操作するという手法を使う。話し言葉は通常思われている以上に散漫である。特に対面して話していると相互の暗黙の理解の部分が略されるので、後で録音を聞いても訳が分からないということがままある。

 しかし「ネット・サイエンス・インタビュー・メール」は、研究者が語った言葉をほぼそのまま文字に起こして、なおかつ意味が明晰に理解できるという希有のインタビュー記事だった。ひとえに森山さんの話を引き出す技術の賜物だろう。文面からは生の科学の現場を読み取ることができた。

 最終号によると配信停止に至る経過は以下の通りだ。

 ネット事業勃興期の98年4月30日に創刊した本誌ですが、発行元である「科学技術ソフトウェアデータベース・NetScience」事業は、これまで、(株)デジタルウェア、住商エレクトロニクス(株)へとその所属を移してきました。

そして今回、新たに事業所有者となった(株)ヒューリンクスの方針に伴い、「ネットサイエンス・インタビュー・メール」は配信停止に至りました。

 配信停止の直前には、ヒューリンクスのCMメールが「広告特集号」として配信されている。「どうせなら最後に広告流しとくか」という意志が見えるような気がする。
 どういう事情があったかは不明だ。しかし、おそらくこれはヒューリンクスの指示によるものではないかと思う。
 ここではメルマガの配信停止直前に、これまで送られてこなかったCMメールを配信するという行為は、メルマガ購読者に不快感を与えるということを指摘しておく。「ヒューリンクスとはその程度の会社であったか」と。

 森山さんは、次のメールマガジン創刊に向けて動いているようだ。新たなメルマガに期待したい。

2005.05.25

前輪駆動・後輪ステアリングのリカンベントを夢見る

 私がリカンベントをいじくっているのは、いずれ自分で設計したリカンベントを乗り回してみたいと思っているからだ。時間ができると、よく「どのような形状がHPVとして最適なのか」と考える。HPVはHuman Powerd Vehicleの略。字義通りだと人力乗り物すべてが含まれるが、ほとんどの場合は飛行機などは除外して、地上を走る乗り物を意味する。

 つらつらと考える。
 リカンベントは仰向きに足を投げ出して乗る。だから後輪を駆動する為は長いチェーンかシャフトかの駆動系が必要となる。駆動系を短くするためには前輪駆動にすれば良い。

 前輪駆動にするとステアリングが面倒になる。大抵の場合はチェーンをひねるようにしてステアリングをするようになっている。例えばToxyZRのように。しかしこれではハンドルの切れ角が小さくなり、小回りがきかなくなる。
 中には等速ジョイントをかませて、ステアリングによるタイヤとチェーンの干渉を防いだモデルもある。が、できれば複雑な機構は避けたい。

 そこで後輪をステアリングすることにする。リカンベントでは前輪は足に近いし、腕をだらりと下げるならば後輪は手に近い。後輪をステアリングするほうが自然だ。

 おお、俺って天才か。自転車に代わる未来のHPVのコンセプトを思いついてしまったじゃないか!

…というのは嘘で、こんな簡単なことは誰でも思いついており、きっとなにかしら問題があるので実用化されていないに違いない。
 そう考えて調べてみたら、やっぱりなあ。ありましたがな、そのものずばりのページが。

Rear Wheel Steered Bike (RWSB) page
2. The idea of rear wheel steering

 さらには
This a description of how to build a Rear Wheel Steering Front Wheel Drive Trikeなどなど。

 かなりの人たちが私と同じことを考えて、あまつさえ実際の試作までやっていたのだった。そりゃそうだな。

 これらのページを読んでいくと、どうやら後輪ステアリングが問題含みであることが分かってくる。まず後ろ二輪の三輪車(トライクという)ならばある程度使えるものができるらしい。しかし、後ろも一輪の自転車タイプで後輪ステアリングを実現しようとすると、とたんに難しくなる。

 自転車は傾くと、傾いた方向にステアリングを切って姿勢を立て直す。つまり車体が傾いた時に、傾いた方向に進むようにステアリングが切れるようなモーメントがステアリング軸回りに発生する必要がある。これが後輪駆動だと難しいらしいのだ。操作面でも傾いた時に直感とは逆にステアリングを操作する必要があるのだという。

 このあたり、きちんと自転車の安定性は数学的に定式化されていると思うのだけれども、今のところそのような資料は見つかっていない。自転車工業会に問い合わせてみようか、amazon.comで参考書を探してみようかと色々考えている。どなたか二輪車の安定性の理論解析についてご存じの方は、資料をご教示下さい。ジオメトリを工夫すれば必ずしも不可能ではないような気がするのだが、実際はどうなんだろう。

 しかし、向こうの人たちはアクティブだ。理論がどうこうよりもまずは作ってしまって、それから「うまく走らないのはなぜか」と考えている様子が、上記ページの写真からうかがえる。それを思慮が足りないと決めつけるのは容易だが、手がよく動いているという意味では尊敬に値すると、私は思う。

 手を動かして楽しんだ者の勝ちというものだな。

2005.05.24

Amazonアフィリエイトをいじくり、NASAちゃんにお目通りする

 Amazonのアフィリエイトの表示を色々いじくっているのだが、なかなか自分の思い通りの表示にならない。当方としてはCDのジャケットをそれなりの大きさで表示したいだけなのだが、どうしてもうまくいかない。どうやったものか。
 いっそ面倒なアフィリエイトなど切ってしまいたいが、かつてbk1を手伝っていた時に、個人ページの書影掲載を認めるかどうかであれこれ議論があったのを見ているし、自分も著作で食っているのでなるべくトラブルが起きないやり方で掲載したいところだ。

 もう一つ、自分が紹介したいCDに限ってAmazonにジャケットが掲載されていないことに気が付く。あるいは扱ってすらいないこともある。要は自分がそれほどマイナーな音楽を愛好しているということなのだが、でも、そんなに日本の作曲家が作曲したコンサート用音楽がマイナーでいいのだろうか。これは重大な問題なので、別途書くことにする。

 本日はかつての同僚Mさんの家によって、娘のNASAちゃんにお目通り。Mさんは、私が記者をしていた時に同じ部署に転職してきた。ワイルド系美人で(と書いておこう)、スピードジャンキー。学生時代はスピードスキーでならし、転職前に務めていた某重工にはボアアップしたラリー仕様の「スタリオン」で通勤していた。「スタリオン」が日本車唯一の200馬力オーバーだった時代の話だ。
 その時毎日ぶち抜いていたバイクに乗っていたのが、現在のご主人である。で、娘の名前はNASA。男の子だったらNASDAになったかどうかは微妙であろう。
 現在小学校2年のNASAちゃんはかわいい盛り。どうやら、同僚の独身中年らがせっせとNASAちゃんに貢いでいる様子で、「おじちゃんからもらった鉛筆削り」が出てきた。ええんかいな。

「これ、食べて」とチョコレートをくれたのにちょっと感激する。自分もダメ独身中年だ…。

2005.05.23

NHK「プロX」で、またも取材相手が抗議する事態が発生する

 NHKの番組「プロジェクトX」がまたもややってしまった。

 ・「記事プロジェクトX「事実と違う」 大阪の高校が申し入れ」(朝日新聞 2005年05月23日21時36分)

 NHKのテレビ番組「プロジェクトX」で、合唱部が全国で金賞を取るまでの逸話を取り上げられた大阪府立淀川工業高校(大阪市旭区)が、番組の内容が一部事実と異なるとして、再放送の取りやめなどを申し入れていたことがわかった。NHKは過去のすべての番組を紹介しているプロジェクトXのホームページ(HP)から、この放送分をはずしている。

 問題となったのは「ファイト! 町工場に捧げる日本一の歌」(今年5月10日放送)。淀川工業に赴任した新人教師が合唱部をゼロから作って、全国コンクールで金賞を取るまでをまとめた回だ。荒れた学校の描写にOBから「そこまで荒れてはいなかった」と抗議があったとのこと。

 「プロジェクトX」については昨年の11月に書いたことで尽きているので、これ以上言わない。いかに視聴率を上げているとはいえ、そろそろNHKは「プロX」を打ち切るべきだと考える。事実を捏造する番組をいつまでも放映するべきではない。

 そして私たちも考えるべき事。

 5月23日、日本PTA全国協議会は、「家庭教育におけるテレビメディア調査/青少年とインターネット等に関する調査」という調査を発表した。

 ・平成16年度「家庭環境におけるテレビメディア調査/青少年とインターネットなどに関する調査」 「教育改革についての保護者の意識調査」結果報告(概要)

 ・家庭教育におけるテレビメディア調査/青少年とインターネット等に関する調査 調査結果概要(抜粋) (注意:pdfファイルです)

子どもに見せたい番組の名称【保護者】
  ・小学5年生保護者の第1位は“どうぶつ奇想天外!”
  ・中学2年生保護者の第1位は“プロジェクトX”
   (H15、H14は小中ともプロジェクトX)

 NHKの捏造した「番組開始40分過ぎからの『男達の逆襲』」に酔って、子供に見せたいと考えたのは他でもない私たちということだ。

 メディアリテラシーを磨こう。次の世代のために。自分のために。

2005.05.22

CDを買いに行く

 21日土曜日はほぼ一年ぶりに歯医者、歯石を取ってすっきりする。
 かかりつけの歯科医は東京にある。その足で新宿に出て新宿駅南口横のタワーレコードへ。もちろん私は8階のクラシックフロアへ直行。エスカレーターを昇っていくと、JポップのフロアにはいかにもJポップな連中が、ラップのフロアにはいかにもラップなファッションの連中が吸い込まれていくのがおかしい。
 若いということと個性的だということは、なかなか両立しない。そういう連中が「ジャズこそすべて」「ロックンロールは人生だ」「パンクはWay of lifeだぜ」とか熱くなってしまうのが音楽の偉大なところである。

 クラシックフロアで、ホルストの「惑星」に、「あの平原綾香のジュピターの」という売り文句が付いているのに脱力。

 ちなみに「木星」のあの旋律には過去何度も歌詞が付いている。確か、第一次世界大戦下のイギリスで「我汝に誓う」という題名の愛国歌謡として歌われたのが最初じゃなかったかな。

注記(5/23);探せばあるものでネットに歌詞と楽譜があった。正確には「I vow thee my country」(我が祖国、汝に我誓う)というタイトル。ダイアナ妃の葬儀で歌われたそうだが、リンク先にあるように、内容としては確かにろくな歌詞ではない。


 日本語では遊佐未森が、「a little bird told me」という題名で付けた歌詞が素晴らしい。「ジュピター」よりはるかに出来がよい。
 歌詞の作り方としても、日本語を無理矢理旋律に押し込み、結果としてオリジナルの旋律をゆがめている「ジュピター」よりも、音楽に寄り添うようにして歌詞を紡いでいる「a little bird told me」のほうが格が上だ。
 「a little bird told me」の「小さな小鳥が昇って昇って、ついに宇宙にたどり着く」という内容の歌詞は、例えば種子島宇宙センター、液体燃料充填開始直前のGO NO GO判断でGOと出た時に構内放送でかけると格好良いだろうなあ、と思う。

 ともあれ「ジュピター」で、興味を持った層が「惑星」を聴くのはいいことだ。
 作曲者のグスターヴ・ホルストは、生涯にわたって「簡潔」をモットーとした人だった。「惑星」は、そのホルストが書いたほとんど唯一の豪奢な曲で、オーケストレーションでは「簡潔な書法で最大の効果」という態度が貫かれている。「簡潔にして豪奢」な魅力に是非触れて欲しい。

 で、私が買ったのは、「TOMITA ON NHK」。冨田勲が、NHKの番組に書いた音楽を集めたCDだ。冨田勲はシンセサイザー音楽の始祖として知られているが、実はテレビや映画の音楽で、無類のメロディストとしての才能を発揮していた時期がある。シンセサイザー初期の試作品である「銀河鉄道の夜」など絶品という他はない。
 このCDは、その冨田が脂ののりきった時期の仕事を集めたもの。「新日本紀行」とか大河ドラマ「勝海舟」など素晴らしい。スタジオライブで「青い地球は誰のもの」が入っているのも泣ける。

 ところで、Amazonのアフィリエイトに加入した。儲かるうんぬんよりも、CDのカバーをこのblogで使いたいという理由からだ。実は潜航中に、ひたすら音楽ばかりを聴いていたので、色々語りたくてうずうずしている。これからしばらく、音楽談義が増えるかも知れない。

 というわけで、本日話題にしたCD。


 ノスタルジーもあるのだろうなあ。「空中都市008」は、世紀の傑作「ひょっこりひょうたん島」と「ネコジャラ市の11人」の間に挟まって一年だけ放映された人形劇だが、本当に好きだった。原作が小松左京「アオゾラ市の物語」であることはずっと後で知った。




 「惑星」は、とりあえずデュトワ・モントリオール管のCDをリンクしておく。多種多彩な録音があるからお好みの録音で聴いて欲しい。最近別の作曲家(コリン・マシューズ)が「冥王星」を作曲して付け加えた録音も出回っている。これは完全な蛇足なので、引っかからないこと。






 「a little bird told me」が収録されている。もしも遊佐未森に興味があるなら初期の「モザイク」を聴いて欲しい。個人的には「遊佐未森の『サージェント・ペパーズ』」と呼んでいる。まごうことなき傑作。

2005.05.21

空の艦隊を建造する

modelplane
 ライトプレーン初飛行に合わせて遊ぶために、ゴムで打ち出すタイプのグライダーを作りためている。「ホワイトウイングズ」というキットを買ってきて作り始めたのだが、なんということか、これはすでに私の知る紙飛行機ではないぞ。驚くほど進歩している。

 まず、重心調整のおもりが必要ない。それだけ設計が進歩しているのだ。使用されている紙も、30年前のケント紙とは大違い。丈夫で破れにくく、適度の剛性がある。表面の様子からして水にも強そうだ。これならラッカーを吹き付ける必要は全くないだろう。設計はあの二宮康明氏。子供の時からこの方にはお世話になりっぱなしだな。二宮先生、ありがとうございます。

 実は、私の手元には小学生時代に買ったままついぞ作ることがなかった誠文堂新光社刊、二宮康明著「よく飛ぶ紙飛行機集」の第2集と第3集がある。今見たら第2集は昭和49年3月発行の第二刷、第3集は50年1月発行の第一刷だった。第2集は小学校から中学校への春休みに買って、そのまま興味が薄れたらしい。第3集は惰性で買ったがそのままになったのだろう。
 当初はこれを作ってやるかと思っていたが、そんなことをしなくて良かった。これほど色々と進歩しているなら、新しく買ったほうが全然お得だ。

 勢いに乗って、木村バルサが出しているオールバルサのハンドランチグライダーも買ってきてしまった。あまり調子に乗って作ってばかりいると梅雨が始まって飛行のチャンスを失うので、適当なところで飛ばしに行く予定だ。

2005.05.20

野口飛行士を巡る茅ヶ崎の風景など

noguchi1

 地元出身の野口聡一飛行士のスペースシャトル搭乗があと2ヶ月を切った。本日市役所に行ってきたので、野口飛行士を巡る風景など。まずは市役所の垂れ幕。




noguchi2


 市役所内部の展示。写真が切れてしまったが「日本人5人目の宇宙飛行士 野口聡一さんを応援しよう」とある。秋山さんの立場は…




noguchi3


 展示に付属していた謎のキャラクター。語尾が「チガ」というのはベタだ。
追記:「チガザウルス」というそうだ。
 うわっ、「チガソング」に「チガダンス」なんてものもいつの間にか決まっているじゃないか。

noguchi4
 市の広報誌も野口さん。申し訳ない、うっかり鍋敷きに使ってしまったので紙がふやけている。「えぼし岩」というのは、サザンオールスターズも「えぼしーいわもーみえてきたー」と歌っている茅ヶ崎海岸沖合の岩礁。

 もちろんSTS-114は成功するだろう。再開1号を失敗するほどNASAはヘボではないし、宇宙飛行士という職種は徹底的な訓練を受けるからだ。

2005.05.19

あきれたページを紹介する

 今日はあきれたページを紹介する。

EXPO 2005 AICHI JAPAN

 言わずと知れた、愛・地球博のホームページだ。

 あきれたのはここ。
財団法人2005年日本国際博覧会 役員名簿

会 長 1名
豊田 章一郎
(社)日本経済団体連合会名誉会長

 まあこれはいいだろう。だが…

副会長 18名

 これは一体どういうことだ。通常副会長というのは1人ではなかったか。かつて「天涯孤独の主人公に突如12人の妹が現れてラブコメ展開」というゲームがあった。「12人の妹なんかバカっぽい」と、世のオタク共にさんざんネタにされたものだったが、現実は「18人の副会長」で、あっさりとゲームを超えたのだ。突如18人の副会長ができた会長の心境やいかに。

 ところが現実は、もっとものすごいものを用意していた。「常任理事 7名」は、まあそんなものだろうとして…






理事 54名








理事 54名!



 思わず、一時期はやったテキスト系サイトの書き方をしてしまったが、このマンモス中学校の生徒会における議員数のような理事は一体何なのか。ガレー船の船倉で、オールを漕いているのだろうか。

 18人の副会長と54人の理事の肩書きを見ていくと、何が起きたかがなんとなく見えてくる。地元の首長に議会の議長に地元財界の元締めに、地域の名誉職、そういった人々が集まっている。つまり文句をいうと面倒な人々に、本業プラスの職をあてがってまとめて抱きかかえてしまっているのだ。

 これは円滑な事業遂行のための口封じだろう。副会長、非常勤理事という、言ってみればあまり働かなくてもさほど問題は生じない職分がふくれあがっているのがその傍証だ。彼らが給与を返上してボランティアで働いているという話は聞かない。むしろ、口封じであるなら積極的に給与が支払われているはずだ。

 愛・地球博の事業費は、会場建設費1350億円、運営費550億円という。その中には、これら副会長、理事への給与も含まれているのだろう。その出費は「彼らにごねられるよりも安く付く」ということで正当化されているのではないだろうか。

 愛・地球博は、別名トヨタ博などと言われている。地元の知人の話だと、博覧会のために豊田市周辺の交通は整備され、結果としてトヨタ自動車関係の物流は大きく改善したとのこと。さらには、その周辺で名古屋を通勤圏とする住宅開発が進んでいるそうだ。「おそらくはトヨタホームでしょう」とは知人の弁。博覧会会場も閉幕後は、森に戻すのではなく、宅地になる。

 私に関して言えば、会場に行かずとも、「54人の理事」というゲームどころではないシュールな状況を見ただけで、十分満足である。

2005.05.18

面白いページを2つ紹介する

 まずは、かなりあちこちで紹介されているのだが。

ポチは見た

 副題が「マスコミにだまされないために、虚構に満ちたマスコミの嘘と裏を知ろう!」というもので、マスコミ業界がやらかすろくでもない情報操作を、犬のポチとご主人様との会話で軽妙に解説したページ。Geoctiesにある匿名ページなのだけれども、作者はおそらくマスコミ関係者だ。
 私の知る範囲では間違ったことは書いていない。
 文章も達者で、読みやすい。ポチのキャラクターもきちんとエッジが立っている。

 残念ながら作者が忙しくなったのか飽きたのか、途中で更新が止まってしまっているが、是非とも完結して欲しい。


 もうひとつは、「ヤングサンデー」誌の連載「絶望に効くクスリ」(山田玲司)で知ったページ。

非電化工房

 同じことができるなら電気なんか使わない方がいいということで、電気を使わない家電製品(!?)を開発している人のページだ。

 「おーおー、エコかよエコ」と思う人もいるだろうが、私はこの非電化冷蔵庫が気になってしょうがないのだ。そりゃまあ宇宙の背景輻射は3Kだから、宇宙空間に放射冷却するというコンセプトは分かる。でも地上からやろうとすると、間に結構な温度の赤外線を放射する空気の層がある。そんなに都合良く冷えるものなのだろうか。

 確かに天気予報で言う放射冷却は、まさに宇宙空間へ熱が出ているから起きるわけだけれども。

 どなたか、この冷蔵庫が本当にこの原理で冷えるのか、解析してみてはくれないだろうか。

#自分で作ってみれば早いのだよなあ。

2005.05.17

主力機を更新する

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 潜航中にやったことをもう一つ。

 主力のパソコンを「PowerBookG4」に更新した。昨年末にそれまでの主力機「PowerBookG3(Pismo)」が昇天し、それ以降はサブ機の「VAIO SR(PCG SR9C/K)」と父の形見となった「iBookG4(12.1inch 8000MHz)」を使い分けていたのだけれど、「スペースシャトルの落日」執筆の後半になって、細かな文字が読めなくなってしまった。

 年齢からして、ついに老眼が来たかとがっくりした。しかし思い起こしてみると三十代半ばに同じ状態になったことがあったのだ。あの時は大して画質の良くない15インチモニタに1024×768の高精細表示をさせていて、眼精疲労を起こしたのが原因だった。

 今回も眼精疲労だろう。10インチや12インチの1024×768ドット液晶モニタで文章を書き続けていたのが原因に違いない。が、そうなると先代主力機のG3のように大きな液晶画面を持つノートを買う必要が出てくる。私はただでさえ狭い部屋の狭い机に、圧迫感のあるデスクトップ機を起きたくない。

 ことは目の健康に関わる問題だ。出費は痛かったが、即アップルストアで「PowerBookG4」を注文した。

 届いてからほぼ一ヶ月半。快適である。液晶はきれいだし、筐体もしっかりしている。キーボードのタッチも悪くない。

 「PowerBookG4」に関して、以前知り合いと「キーボードを光らせるなんて無用のくだらんギミックだよなあ」などと話したことがあったが、訂正する。このノートパソコンは周囲の明るさの検知するセンサーを持っていて、自動的に画面の明るさを調整してくれるのだ。しかも、ある程度以上暗くなると、キーボードの文字が光り出す。暗いところではけっこう便利だ。

 私は徹底的に道具を使い倒すほうなので、今後5年はこのマシンで原稿を書くことになるだろう。

2005.05.16

宣伝:新著「恐るべき旅路」が5月23日に発売されます

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 立て続けですが、 新著がもう一冊。「恐るべき旅路」(朝日ソノラマ刊 税込1400円)が、5月23日に発売されます。(amazonbk1)

 1998年7月、日本初の惑星探査機「のぞみ」が火星に向けて打ち上げられた。27万人の署名を搭載し、「のぞみ」は火星を目指す。しかしその道のりは長く苦難に満ちたものとなり、結局2003年12月、「のぞみ」は火星周回軌道投入を断念し、探査は失敗した。火星探査機「のぞみ」は、どのような経緯で着想され、誰がどのようにして開発し、どのような経緯を経て探査断念に至ったのか。その過程を追ったノンフィクションです。

 タイトルの「恐るべき」という形容は、「のぞみ」のたどった数奇な運命を表していますが、同時に開発に費やされた努力、そして数々のトラブルに対して関係者が見せた信じがたいほどの粘りにもかかっています。
 いかな努力をしても結果が失敗なら、成果は得られません。しかしだからといって努力が無意味ということではありません。では、「のぞみ」の苦闘は何を残したのか。

 自分で読んで、確かめ、そして考えて下さい。

2005.05.15

GWBを巡る2つの話題を紹介する

 Curious Georgeといえば、H.A.レイが生み出したキャラクター。日本では「ひとまねこざる」という名前で、岩波書店から一連の絵本が出ている。
 私も子供の頃、「知りたがりやのこざるのジョージ」は大好きだった。今でもそうだ。少なくとも著作権消失寸前に、アメリカの法律を変えてまで著作権を延長して浦安方面(日本の場合)の奴隷でいるどこかのねずみよりは。

 で、みのうらさんから教えてもらったページ。

 ・Curious GWB

 「ファミリータイズ」のマイケル・J・フォックスじゃないが、「オー、ジョージッ」とか叫び出したくなるじゃないか。

 本文もちゃんとオリジナルを踏まえてあって、大笑いだ。

 もう一つ、GWBネタを。先だってローラ夫人が、記者夕食会でジョークを飛ばしまくって新聞ネタになった。

 ・これがその時の朝日新聞の記事
 ・AFP=時事が流した記事;むむ、ちょっと違うぞ。

 ・全文はUSA Todayが掲載している

 全体をそれっぽく訳してみる。分からないところは適当に意味が通るように補ったので間違っている部分もあると思うが、まあ大体意味が通るようにはできた。
 長くなるし、恥ずかしい訳なので以下は、読みたい人だけクリックして下さい。

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2005.05.14

ちょっとだけ仕事のこぼれ話を

blueprint

 本の最終校正について。

 本は印刷用の原版ができた時点で最後の校正を行う。この段階で直しを入れると原版作り直しになるのでコストがかかる。あくまで確認用で直しは一切行うべきではないのだが、人間の性か、最終校正に至って初めて見つかるミスは少なくない。
 朱を入れる原版のコピーは出版社によって様々だ。それぞれの会社が歴史の中で培ってきた仕事の手順がそのまま反映されていると言っていい。ごく普通のコピーのところもあるし最新仕様のDTP出力を出してくるところもあるし、青焼きで出てくるところもある。方式の新旧云々よりも、出てくるコピーから、それぞれの会社のワークフローが見えてくることが面白い。

 ところで、しばらく潜航していたら、ココログの画像アップロードの手順が変わっていた。フローティングで、画像クリックで拡大画像を別ウインドウ表示というのが標準になっている。私のように320×240画素の画像を中央寄せで出すのにはどうしたらいいのだろうか。現在は手で「center」タグを売っているのだが、確かこのタグは使わないほうがよかったはず。「img」タグのどこかに中央寄せ指定ができるオプションがあると思うのだが…

2005.05.13

リカンベントの椅子が壊れる

pipe

連休にやったことの続き。


 リカンベントのサスペンションを調整していた。リカンベントは、足を前に投げ出して乗る自転車のことである。宿野輪天堂のページがわかりやすいだろう。

 私のリカンベントはLeading Edgeというところのキットを組んだものだ。BD-1というその筋では定番の折りたたみ自転車をリカンベント化するもので、4年前に組んでから、あちこちを改造しては遊んでいた。
 BD-1は前後ともサスペンションが付いている。ところがこのサスの質はあまり良くない。柔らかすぎる上にダンピングが足りないのでふわふわと一昔前のアメ車のようにふらつくのである。短距離をそんなに速度を上げずに走るには都合が良いのだが、こっちはそれなりの距離を高速で走りたいのだ。

 私のように考える者は少なくないようで、市場には交換用のハードスプリングが数種出回っている。バネ定数はそれでいいとして、問題はダンピングだ。バネが堅くなってもダンピングがしっかりしないと相変わらずふわふわはねてしまう。

 私の場合、堅いバネに交換したところ、ペダルの回転とバネの固有振動が高速では共振するようになってしまっていた。ダンパーを強化して振動を収束させなくてはならない。BD-1のサスは、スプリング内に押し込んだゴムスポンジの内部損失と、バネとの摩擦の両方で行っている。しかしそれではダンピングが足りない。
 一体どうするか。ネットを検索するとラジコンバギー用のダンパーを取り付けた例などが見つかる。しかし、できればそんな複雑な機構を使いたくない。なるべく簡単で軽く、ぶつかっても壊れないような仕組みがいい。
 結局バネの中に、オーディオ装置の振動防止に使うブチルゴムのシートを丸めて詰めることにした。ブチルゴムシートは東急ハンズで入手できるし値段も安い。

 結果は大成功、大分足回りのばたつきは改善された。

 楽しくなってリカンベントであちこち走り回っていたら、椅子の調子がおかしい。調べてみると椅子を構成するアルミパイプが折れていた。アルミパイプをリベットで組んだ椅子の、ちょうど腿の下に当たる部分のリベット接合部がぽっきりと折れている。亀裂がリベット穴から始まっているようなので、明らかに繰り返し荷重による疲労破壊だ。折損部分をルーペーで観察したが、残念ながらリップル痕は見ることができなかった。
 まあ、Leading Edgeのキットはかなり柔らかいアルミ素材を使っていて、これまでもあちこちが壊れている。その都度アルミ合金のアングルやらパイプを買ってきてはより頑丈な構造に作り直してきた。今回は椅子というリカンベントにとって主要パーツを作り直すことになる。

 さあ、どうしたものか。これを修理するか。それともいっそゼロから椅子を作り直すか。修理するにしてもより頑丈で乗りやすいものにしなくてはならないだろう。

 椅子は現在部屋の中で修理を待っている。

2005.05.12

ライトプレーンを作る

plane

 連休にやったことの続きを。

 ライトプレーンを作った。2年ほど前、ゴム動力飛行機に復帰した野尻抱介さんが、「TAN-II」という模型飛行機専用の強力なゴムを一束贈ってくれた。その意味はもちろん「松浦さんも遊ばないか」ということだ。よろしい、私もかつてはせっせとゴム動力飛行機を飛ばしたことがある。受けて立とうではないか。
 でもこの前ゴム動力飛行機を作ったのは中学3年の時だ。さすがにこんなに間が空くと自信がないぞ、というわけで、まずは一番簡単なライトプレーンのキットを買ってきた。そしてそのまま2年もの間、机の下に放り込んだキットを忙しさに紛れて忘れてしまっていたのだった。ダメダメである。

 この手のキットに初めて触れたのは、確か小学校2年生の時だ。自分では作れず、父が作ってくれた。「竹ひごが曲げてあるなんてなあ」と父が驚いたのを覚えている。昭和一桁うまれの父にとっては、竹ヒゴは自分で曲げるものだった。
 それから36年が経って、今度は自分が驚く順番だった。主翼の途中に入れる小骨(リブ)が木ではなく、アルミ板のプレス製になっていたのだ。ライトプレーンのリブといえば「まあこんなものだろう」という質の低い木製というのが相場ではなかったか。
 ヒューゴー・ユンカース教授の全金属製飛行機の試みから90年近くが経ち、ついにライトプレーンにまで金属化の波が及んできた——というのは大げさだろう。が、それぐらいのショックがあった。
 竹ヒゴは直径1mmほどのアルミニウム管(ニューム管という)で接合する。そのニューム管の部分にアルミ製のリブを接合する必要があるので、3分硬化のエポキシ接着剤を使った。
 エポキシ接着剤も自分の記憶にあるものよりもよほど進歩している。かなりいい加減な2液の混合比でもきちんと硬化する。素晴らしい。
 付属の紙を貼り、水たまりに墜落することを考えてラッカーでも吹き付けるかと思い、模型屋に行って、またもびっくりした。今の模型飛行機はすべて樹脂フィルムを貼るので、ラッカーなどほとんど使わないというのだ。とりあえず在庫のラッカーを入手した。シンナーで思い切り薄めて吹き付けて完成である。おお、ラッカーシンナーの臭いも久し振り。

 ゴムを巻いてプロペラを回すと、ぶるぶるとゴムのふるえる振動と共に、指先にかつての感触がよみがえる。自然と笑みがこぼれる。うふふ、うふふふふふふ。

 うひょひょひょひょひょひょひょ。

 やあ忘れていたなこの楽しさを。高校に入ってからの私は、音楽に傾倒して急速に模型飛行機から離れた。大学で所属した模型クラブは空を飛ばないプラモデル主体だった。
 最後に飛ぶ模型を作ったのは確か大学1年の時だ。マブチの空中モーター(というものがあった)で飛ぶ双発機を作ったのだが、これは余りよく飛ばなかった。その後はバイク三昧の生活で、もう模型飛行機を振り返ることもなかった。

 墜落しておしまい、では面白くないので、もう数機、遊ぶための飛行機を作ってから初飛行を行う予定。その時は、野尻さんから貰ったTAN-IIも出番ということになる。今のところは「さあ今、銀河の向こうへ、飛んでいけ」だとか「この大空に翼を広げ」などと、古い歌を歌いつつ、初飛行を夢見ているのであった。

2005.05.11

宣伝:新著「スペースシャトルの落日」が5月20日に発売されます

shuttle

 ほぼ1年3ヶ月ぶりの新著、「スペースシャトルの落日」(エクスナレッジ刊 税込1365円)が、5月20日に発売されます。(amazon)

「宇宙旅行の夢を皆に与えてくれたスペースシャトルは、実際には世紀の失敗作だった。宇宙開発の未来を拓くものとして世界に喧伝されたスペースシャトルの真の姿とその背景、その影響と今後の宇宙開発において日本が進むべき道を探る。」

 また扇動的なタイトルの本を書いてしまいました。しかし、このことはもはや常識というべきでしょう。内容の基本ラインは、宇宙科学研究本部のISASニュース2004年9月号に寄稿した「スペースシャトルの罪科」と同じです。

 なるべくわかりやすく、たとえ宇宙開発に興味がない人でも読み通せるようにと心がけて書きましたが、果たして意図通り仕上がっているかどうか。著者としては、「どうか皆さん、読んで、自分で考えてみて下さい」と願うばかりです。

2005.05.10

ラジオを作る

radio

 この連休にやったことを少し。

 ラジオを作った。といっても、自分で設計したわけではなく、学研「大人の科学」の鉱石ラジオを作っただけの話だ。小学校以来ひさしぶりにコイルを巻き、クリスタルイアフォンに耳を澄ませた。残念ながら電波の入りは良くなく、イアフォンからはかすかな音楽が聞こえるのみ。次はアンテナを工夫して少しでもはっきりした音を聞いてみたい。

 30年から40年ほど昔に、小学生で工作好きだった人ならば、誰でも2つの通過儀礼を経てきているはずだ。ひとつがゴム動力の模型飛行機、もうひとつがゲルマニウムラジオ、世代が下がるとこれに水中モーターと田宮の「高速」と「強力」のギアボックスセットが加わる。

 自分がゲルマラジオを作ったのは、東京は三鷹に住んでいた小学校五年生の秋だった。「子供の科学」に載っていた部品リストをメモして、吉祥寺の模型屋で、ダイオードやバリコンなどを買ってきた。当時は模型屋でも電気部品を置いていた。それだけ自作する小学生が多かったのだろう。

 使ったハンダゴテは祖父がくれた確か60Wのもので、熱に弱いダイオードを付けるには明らかに大きすぎた。私は一度ダイオードを壊して、もう一つダイオードを買った。

 はっきり覚えている。初めて自分の作ったラジオで音を聞いたのは風の強い日だった。確か台風一過の夜だったはずだ。チューニングするうちにイアフォンに飛び込んできたのは、気象通報だった。

 その日、私は初めて「アモイ」という地名を知った。自分が見聞きする三鷹あたりだけではない広い世界が存在する事を知った。どこか自分の知らないところで自分の知らない雨が降り、自分の知らない風が吹いていることを実感した。

 ラジオは今の小学生にも、世界への扉として機能しているのだろうか。そうであって欲しいと思う。すべての子供にとって、ゲルマラジオが世界への扉であるようにと切に願う。

2005.05.09

宣伝:6月3日(金曜日)、新宿・ロフトプラスワンでトークライブに出演します

 次回のロフトは6月3日です。前回初登場し、参加者全員の度肝を抜いた垣見恒男さんが再度出演し、ベビーロケットについて語ります。

宇宙作家クラブPRESENTS
「ロケットまつり6」

 ペンシルロケットに続いて開発されたのがベビーロケットだった。東大の糸川博士のチームは、ちょっと大きくなったベビーロケットを秋田県の道川海岸でばかすか打ち上げていった。目標は高度100kmの宇宙空間。ロケットは小さいし技術は貧弱だったけれども、誰もが若く『いっちょやったろか』と思っていた。

 前回に引き続き垣見恒男さん、林紀幸さんを迎えて回想する日本のロケット青春時代。さあ、道川海岸の空に笑え!

【Guest】林紀幸(元宇宙科学研究所・ロケット班長)、垣見恒男 (元富士精密技術者・ペンシルロケットをを設計)
【出演】浅利義遠(漫画家)、笹本祐一(SF作家)、松浦晋也(ノンフィクション・ライター)、他

 ロフトプラスワン:新宿・歌舞伎町

Open/18:30 Start/19:30
\1000(飲食別)

 正直なところ、垣見さんと林さんがいれば、私も観客席に座っていたほうがいいかなあ、と思うほどです。というよりも是非とも観客席のほうで聞きたいと思う話ばかりです。時と共に堆積した伝説の垢をふるい落とし、ベビーロケットの真実を今こそ!

2005.05.08

告知:例の写真のダウンロードが可能になりました

 4月12日にロフトプラスワン「ロケット祭り」にご来場くださった方への連絡です。会場でお約束した旗の写真のダウンロードを開始しました。

http://homepage2.nifty.com/smatsu/会場で知らせたパスワード/flag.zip

でダウンロードできます。300万画素のJPEG画像5枚がzipファイルで圧縮してあります。7MBありますのでモデム接続の方は注意して下さい。

 大変遅くなって申し訳ありませんでした。また、当方のうっかりミスで肝心のお二方のサインが入っていません。次回、6月3日に、改めてサインをいただいて、会場で展示しようと考えておりますのでご容赦頂ければと思います。

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