ライトプレーンを作る

連休にやったことの続きを。
ライトプレーンを作った。2年ほど前、ゴム動力飛行機に復帰した野尻抱介さんが、「TAN-II」という模型飛行機専用の強力なゴムを一束贈ってくれた。その意味はもちろん「松浦さんも遊ばないか」ということだ。よろしい、私もかつてはせっせとゴム動力飛行機を飛ばしたことがある。受けて立とうではないか。
でもこの前ゴム動力飛行機を作ったのは中学3年の時だ。さすがにこんなに間が空くと自信がないぞ、というわけで、まずは一番簡単なライトプレーンのキットを買ってきた。そしてそのまま2年もの間、机の下に放り込んだキットを忙しさに紛れて忘れてしまっていたのだった。ダメダメである。
この手のキットに初めて触れたのは、確か小学校2年生の時だ。自分では作れず、父が作ってくれた。「竹ひごが曲げてあるなんてなあ」と父が驚いたのを覚えている。昭和一桁うまれの父にとっては、竹ヒゴは自分で曲げるものだった。
それから36年が経って、今度は自分が驚く順番だった。主翼の途中に入れる小骨(リブ)が木ではなく、アルミ板のプレス製になっていたのだ。ライトプレーンのリブといえば「まあこんなものだろう」という質の低い木製というのが相場ではなかったか。
ヒューゴー・ユンカース教授の全金属製飛行機の試みから90年近くが経ち、ついにライトプレーンにまで金属化の波が及んできた——というのは大げさだろう。が、それぐらいのショックがあった。
竹ヒゴは直径1mmほどのアルミニウム管(ニューム管という)で接合する。そのニューム管の部分にアルミ製のリブを接合する必要があるので、3分硬化のエポキシ接着剤を使った。
エポキシ接着剤も自分の記憶にあるものよりもよほど進歩している。かなりいい加減な2液の混合比でもきちんと硬化する。素晴らしい。
付属の紙を貼り、水たまりに墜落することを考えてラッカーでも吹き付けるかと思い、模型屋に行って、またもびっくりした。今の模型飛行機はすべて樹脂フィルムを貼るので、ラッカーなどほとんど使わないというのだ。とりあえず在庫のラッカーを入手した。シンナーで思い切り薄めて吹き付けて完成である。おお、ラッカーシンナーの臭いも久し振り。
ゴムを巻いてプロペラを回すと、ぶるぶるとゴムのふるえる振動と共に、指先にかつての感触がよみがえる。自然と笑みがこぼれる。うふふ、うふふふふふふ。
うひょひょひょひょひょひょひょ。
やあ忘れていたなこの楽しさを。高校に入ってからの私は、音楽に傾倒して急速に模型飛行機から離れた。大学で所属した模型クラブは空を飛ばないプラモデル主体だった。
最後に飛ぶ模型を作ったのは確か大学1年の時だ。マブチの空中モーター(というものがあった)で飛ぶ双発機を作ったのだが、これは余りよく飛ばなかった。その後はバイク三昧の生活で、もう模型飛行機を振り返ることもなかった。
墜落しておしまい、では面白くないので、もう数機、遊ぶための飛行機を作ってから初飛行を行う予定。その時は、野尻さんから貰ったTAN-IIも出番ということになる。今のところは「さあ今、銀河の向こうへ、飛んでいけ」だとか「この大空に翼を広げ」などと、古い歌を歌いつつ、初飛行を夢見ているのであった。
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