散骨を行う

5月29日の日曜日、弟と釣りに行く。釣り船は片瀬江ノ島のKさんの船。父が所属していた釣りの会のイベントだ。1982年、生粋の漁師であるKさんの周囲に釣り好きが集まって、毎月釣りをして宴会をする会が結成された。父は創立時からの会員として、人生のほぼ三分の一で毎月の釣りと宴会を楽しむことができた。現在は、父に代わって弟が会員となっている。
獲物はキス。午前8時に江ノ島から出航し、ほどなく釣り場に到着。「さあ、今日はどんどん釣ってね」というK船長のかけ声と共に釣りが始まる。餌のイソメを釣り針に付けて、浅い海底にいるキスを狙う。あらためて観察するとイソメという生物もなかなか面白い。そのまま針に付けると大きすぎるので途中でちぎる。生きたイソメをちぎるので、手はイソメの分泌物と中身でべたべただが、それもまた楽しいので気にしない。検索をかけると、おお、イソメを食べた勇者もいるではないか。
弟は竿さばきも堂に入ったもので、次々にキスが上がってくる。私はといえば、「まあぼちぼちでんな」の状態。操舵席からはK船長の容赦ない叱責が降ってくる。「○○さーん、それじゃ釣れないよー。何やってんのー」「ダメダメ、そんなことやってちゃ他の人に迷惑だよー」などなど。
午後1時半、釣りを終えて船は沖に向かう。父の散骨である。「骨の一部は相模湾へ」というのが釣りを愛した父の願いであり、K船長に相談したところ、願いを聞き入れてくれたのだ。そのために納骨の時にほんの小さなひとかけらを散骨のために取り分けておいた。
とはいえ散骨のやり方を当方は知らず、おたおたしていたら、K船長がすべて準備していてくれた。「儀式だからね。やり方があるんだよ」。漁師なりの儀式があるらしい。言葉もない。
「以前散骨について文章を書いたことがあってね、それを読んで松浦さんもやって欲しいっていったんだろう」
「そうですね」
「お父さんはいくつだった?」
「享年76歳です」
「じゃあ水深76mのところに行こう」
烏帽子岩を望む茅ヶ崎沖に、K船長は船を進める。
「いいかい、『山を立てる』って言うんだ」と、K船長はかすかに見える地上目標を結ぶ線の交点へと船を進める。
「今はGPSもあるけれど、こうやって覚えておけばまたここに来ることができるからね」
空は晴れ、波はやや高い。無類の晴れ男を自認していた父にふさわしい。遠くに大山、霞の彼方にはかすかに富士山も見える。
船長が船縁からまず塩を、そして酒をまく。私がペーパータオルに包んだ父の骨ひとかけらを、弟が菊の花を海に落とす。白く小さな包みはゆらゆらと沈んでいく。
父の釣り仲間達が、菊の花をひとつずつ海に流す。そして酒を回し飲み。残った酒は海にまく。
K船長が叫ぶ。
「景気よく、ぱあっと!酒好きな人だったんだから!」
こうして父の一部は相模湾の大気と海洋の循環に還った。
K船長、釣り仲間の皆さん、ありがとうございました。
港に戻ってからは恒例の船上飲み会。潮風にさらされて心ゆくまで飲む。
写真は相模湾の海と空。この風景の中に融けていったのだから、父も満足であろう。
ちなみに散骨は、かつて違法行為と思われていた時期もあったが、1991年に「法の規制外」という見解が出て一般化した。以下のリンクを参考のこと。
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Comments
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>散骨は、かつて違法行為とされてい>た時
>期もあった
とありますが、なぜか違法行為だと思われていただけで、1991年以前も違法ではありません。
Posted by: kk | 2005.05.31 10:05 PM
>1991年以前も違法ではありません
そうですね、本文を訂正しておきました。
Posted by: 松浦晋也 | 2005.05.31 11:04 PM
実は私も散骨を望んでいます。
我が一族代々の墓は都内某所に立派なのがあるんですが、
自然に返る?散骨(できれば宇宙葬)を望んでいます。
スペインだかどこかで請け負っている企業がありますね。
Posted by: Tempelhof | 2005.06.03 11:08 PM