音楽の記憶をたどる
かなりの人が十代において音楽に惑溺した記憶を持ってあいるはずだ。私もご多分に漏れず高校の頃は音楽漬けの日々だった。しかしなぜ、日本のコンサート向け音楽だったのだろう。あの当時一世を風靡していたフォークミュージックでも、プログレ黄金時代だったロックでもなく、地味でマイナーな現代音楽だったのだろう。
思い出してみる。
最初は中学時代、音楽室の正面に張ってあった年表だった。バッハに始まりショスタコービッチとブリテンで終わるおなじみの年表だ。そこで私は疑問を持ったのだった。「バッハ以前に作曲家はいなかったのか」「ブリテン以降、作曲家という人種は死滅したのか」。
まったくもって文部省、現文部科学省が子供に教える内容を規定するというのは無意味で有害なことだと思う。あの時疑問を持たなければ、私はバッハ以前の豊かな音楽も、同時代を生きる様々な人々の作品を聴くことはなかったろう。
これらの疑問に最初に答えてくれたのは、CBSソニーの企画レコード「これがバロックだ」だった。 どこかでバロック音楽という言葉を仕入れた私が、父に「バロックを聴きたい」とせがんだのだ。ちなみに、およそ音楽の素養に欠けた父がバロックという言葉に正しく反応できたのは、当時の父が東京某所にあった「ドン・ガバチョ」という「バロック音楽で飲めるバー」に通っていたためだ。なんで父はそんなところに通っていたのかは、知らない。
「これがバロックだ」には作曲家の諸井誠による簡明にして要を得たライナーノートが付いており、私はそれを頼りに知識を増やしていった。特にガブリエリの一連のカンツォンと、グレン・グールドの弾くバードやギボンズの作品は中学生の私を魅了した。今でもグールドの遺した録音で一番のお気に入りは、「バード&ギボンズ作品集」だ。
中学3年になって、私は図書室に音楽之友社の「世界名曲全集」があるのに気が付いた。現行版ではなく灰色の装丁の一つ前の全集だ。当然のごとく古典派もロマン派もパスし、私はバッハ以前と現代の部分を読みふけった。特に補遺の巻は何度も読んだ。そこには奇怪な楽譜と共に、シュトックハウゼン、ケージ、ペンデレツキといった作曲家の作品が紹介されていた。それらの楽譜は、3/4拍子と6/8拍子の区別もつかず、フラットが2つ以上ある調性記号を理解できずに放り出した私にとって、とてつもない自由さを実現しているように感じられた。拍子も調性記号もいらないなんてなんて素晴らしい!
奇妙な楽譜は図形楽譜と呼ばれるものだった。それらは、純粋に形のおもしろさで私を魅了した。
中学3年の夏近く、音楽の授業で先生が、武川寛海の作曲家のエピソードを集めた本を推薦した。その週末、私や友人達と茅ヶ崎駅前の本屋に向かった。先生推薦の本はあった。が、その横に吉田秀和の「現代音楽を語る」があった。
現代音楽?ゲンダイオンガク!
この言葉はあまりに魅力的であり、私は武川寛海の本を買わずに、吉田秀和の本を買った。この本で、私は武満徹という名前を知った。
その夏、私は吉田秀和の「現代音楽を語る」を何度も読み返し、未だ聴くことができない「テクスチュアズ」「地平線のドーリア」といった曲の音を想像して過ごした。
同じ頃、小学生時代からの天文学への興味に関係して、私はホルストの「惑星」を知り、レコードを手に入れた。東芝・セラフィムの廉価版でストコフスキーの演奏だった。その流れで、私は同じストコフスキーが演奏したシェーンベルク「浄夜」バルトーク「弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽」のレコードを買った。が、両曲とも「惑星」ほどわかりやすくはなかった。
面白いのは、「浄夜」も「弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽」もよく分からなかったのに、ゲンダイオンガクが理解しがたいものでないかとは全然思わなかったということだ。要するに当時の私にとって「理解できない」は「いずれ理解できるだろう」と同じ意味だった。それは解くべきパズルを与えられたパズル愛好家のような状態だったのではないだろうか。
大抵の人にとって音楽が理解できないというのは苦痛以外の何者でもない。が、私にとって理解できない現代音楽はすでに楽しみだったのである。
最初の転機は中学3年の1月にやってきた。NHK-FMでバルトークの第1ピアノ協奏曲が放送されたのだ。これはまったくもって衝撃だった。こんな音楽を私は聴いたことがなかった。私はバルトークについて調べ始めた。
NHK-FMに「現代の音楽」という番組があるのに気が付いたのも同じ頃だったと思う。NHKの名物プロデューサーである故上浪渡氏が独特の声で「こんばんわ、現代の音楽の時間です」と登場する曲を紹介していた頃だ。
さあ、黄金時代が始まった。私は毎週必死になって「現代の音楽」をエアチェックし、次の週まで繰り返し聴いた。最初は何がなんだか分からなかった。が、あるところからどんな音楽を聴いても、「理解できる」という実感が得られるようになった。
それは同時に音楽趣味において、友人達から孤立するということでもあった。小学校から中学校にかけて、女の子達の興味は新御三家の郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹から、フォークグループへと移っていっていた。ベイ・シティ・ローラーズは男女を問わず結構な人気があった。早熟な男子はピンク・フロイドやキング・クリムゾンのようなプログレロックにはまっていたし、男の子の人気の中心はスージー・クワトロだったりした。
そんな中で、せっせと「現代の音楽」を聴くというのは、自ら自分に「変な奴」というレッテルを貼ることでもあった。
当時、第二次ビートルズブームがあって、現代音楽とは別に私も「アビーロード」や「サージェントペパーズ」を聴いていたのだが、それはまた別の話である。
続く——ということはありません。ここから後は、まだまだ「思い出したくない若気の至り」に属するので。
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70年代に核爆発したような人気を誇り、爆発した後には何も残らなかったアイドルバンドである。
20代の人、知ってるかい??
見てくれ!この恥ずかしさ!?
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悲しくて涙が出てくるね(〒_〒)
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ずっと前にベスト盤みたいの、友達のね〜ちゃんからもらったんだ�... [Read More]
いや、本当に松浦さんはよくお聴きになっていらっしゃる!
松浦さんの現代音楽に関する知識は、私なんかより、よほど深いので、頭下がります。
NHK-FM「現代の音楽」は、ヴェーベルン編曲バッハの「音楽の捧げもの」が使われていたのが印象的でした。
私も高校生になってからですが、この手の番組、エアチェックしまくってました。もっとも音楽の内容は、まるで理解できていませんでしたが。
一方で、歌謡曲(懐かしい)も聴き、エルトン・ジョン、ジョン・デンヴァーやポール・マッカートニーも聴き、ポール・モーリアも聴き、映画音楽も聴いていたのでした。分裂症的音楽の聴き方なのでした。
これらのジャンルに対するスタンスの違いは、当時も今も基本的に変わっていません。と言うか分け隔てなく、客観的公平に聴いています(多分)。
Posted by: 大澤徹訓 | 2005.06.03 11:35 PM
私がいわゆる現代音楽に目覚めたのは中学時代で、
恩師で指揮者の村方千之先生の薫陶があった為です。
御歳77才で現在もお元気で活動を続けて居られます。
聞き始めがいきなりヴィラ・ロボスですから私も変わりモンですね。
黛敏郎は音楽性の違いから父と犬猿の仲でしたので、
聞いたのはずっと後です。
団伊久磨氏は後年だいぶ右寄りが進み・・・・。
でもキスカマーチは好みです。
Posted by: Tempelhof | 2005.06.04 12:11 AM