本blogでは、宇宙関連であまりシビアな話題はかかないようにしているのだが、以下は例外として書く。
9月19日、米航空宇宙局(NASA)は、2018年に有人月探査に復帰するという計画を公表した。
・How We'll Get Back to the Moon
これは2004年1月にブッシュ大統領が発表した新宇宙政策に対応してNASAが具体案をまとめたものだ。中核となるスペースシャトル後継の新しい有人宇宙船「CEV」は、カプセル型宇宙船である。
(Photo by NASA)
2001年、私は宇宙開発事業団(当時:現在は宇宙航空研究開発機構)の野田篤司氏が主導した日本独自の有人宇宙船構想の検討作業に参加した。検討結果は、H-IIAロケットによる打ち上げを前提としたカプセル型宇宙船としてまとめられた。我々は、そのコンセプトを「ふじ」として命名した。
・「日本独自の有人宇宙船構想」(JAXA総合技術研究本部)
当時、宇宙関係者の間では、具体的な有人宇宙活動について語ることすら「人死にが出たら世間の糾弾を受けて日本の宇宙開発が停止する」という理由からタブー視されていた。我々の最初の目標はまず、タブーを破りフランクに日本独自の有人宇宙活動について語り合える環境を作ることとなった。
「ふじ」を巡る議論の中で、検討参加者は「スペースシャトルやスペースプレーンに代表される再利用型有翼宇宙船は、宇宙を飛ぶ飛行体として無駄が多い。特に完全再利用型は技術的に当面は実現できる見込みがない」という認識を共有した。
しかし当時の日本は、「20年後にスペースプレーンを開発して有人宇宙活動へ」というような議論が幅を効かせていた。スペースシャトルは1986年のチャレンジャー事故以降、まがりなりに安全運航を続けており、その安全性を改めて疑う者はほとんどいなかった。
我々は、様々な方面へ、「ふじ」コンセプトの説明した。併せて、将来をスペースプレーンに代表される有翼飛翔体に頼り、絞ってしまうことの危険性も説いた。しかし、2001年から2002年の段階では、耳を傾ける人はほとんどいなかった。
内閣府や文部科学省にも説明をした。
しかし反応は、まず「日本が有人活動をするなんてねえ」、次いで「それは失敗を嫌う日本人の国民性になじまないのではないか」「財政難の日本にそんなことをする余裕はないのではないか」「カプセル型宇宙船なんて時代遅れのことを今更やるなんて」などなど、冷たいものだった。
私たちは人間が先入観から抜け出すことの困難さを実感した。「彼らは外圧に弱いから、アメリカから何か来ないと自分の過ちを認めないんじゃないか」「そのうち、アメリカの新宇宙船がカプセル型ということになって、俺たちは『だから言ったのに』と言わなければならなくなるんじゃないか」などと話し合った。
私は一般へアピールする必要を感じて「われらの有人宇宙船」(裳華房)という一般向け解説書を執筆した。当時、宇宙関連の書籍はおよそ売り上げの見込みが立たないということで、一度決まった出版社が降りたりもした。出版してくれた裳華房にはひたすら感謝するしかない。
幸い、本書はささやかながら一定の部数を販売することができた。「宇宙ものは売れない」とする当時の出版界の固定観念に、いくらかは風穴を空けることはできたかも知れない。
本書は、仲間からのカンパを募り(みんな、どうもありがとう)、関連すると思われる政治家にも献本した。ほとんどはなしのつぶてで、一部は印刷だったり秘書代筆だったりの礼状が届いて、それで終わりだった。我々としては、献本に対する礼などどうでも良くて、秘書なり本人なりに読んで貰いたかったのだが。
「なるほど、政治が利権とはこれか」と私は感じた。政治家には利権にありつきたい者が、様々な情報を持ち込んでいるのだ。そんなものにいちいち耳を傾けていたらやっていられない。どんな情報を送付したところで、その大部分はノイズとして自動的に処理されるのだろう。
2003年2月、スペースシャトル「コロンビア」の悲劇的な事故が起きた。2004年1月、アメリカは新宇宙政策でスペースシャトルの2010年引退と、国際宇宙ステーション(ISS)の2010年完成と、2016年運用終了を打ち出した。
2010年までにスペースシャトルが、ISSを当初規模で完成させることができる回数のフライトを行うことは、すでに絶望的となっている。2010年完成とは、「できたところまでで『完成』と宣言する」ということに他ならないだろう。
その完成形態に「きぼう」が付いているかどうかはかなりあやしい。アメリカの有人宇宙技術を学ぶとして、1985年から検討が始まった宇宙ステーション日本モジュール「きぼう」は、すでに完成にしているにもかかわらず打ち上げのメドは立っていない。
他の国に頼って学ぶという姿勢ではいけない。たとえ時間がかかっても、自分で技術を手にに入れるという姿勢でなければ——私はそう訴え続けてきた。
世間の慣性は巨大だが、それでも事実の積み重ねは、世間に認識の変化を迫らざるを得ない。コロンビアが墜ち、中国がカプセル型宇宙船で有人飛行を行い、アメリカが君子豹変と形容できるほどの方針転換を行い、そして今、アメリカの新宇宙船がカプセル型であることが明白になった。
「だから言ったのに」
多分私たちは、そう言っても構わない立場に立ったのだろう。
が、その言葉のなんとむなしいことか。我が身にしみるのは何もできなかった無力さである。
「ふじ」構想は、とりあえず有人宇宙活動に関するタブーを破ることには成功したと思う。しかしそれだけでは、有人宇宙活動に向けた動きには足りない。
そして、現在、より切実な問題が姿を現しつつある。
「ふじ」以降の議論では、打ち上げロケットも問題になった。「ふじ」は単純にH-IIAロケットで打ち上げることにしていたが、その後H-IIA6号機が事故を起こして、情報収集衛星2機の打ち上げに失敗した。
有人打ち上げに最適なロケットはどのようなものかと検討していくうちに、我々にはスペースシャトルが世界中にもたらした巨大な害悪が見えてきた。その議論の一部が拙著「スペースシャトルの落日」に繋がった。そして、シャトルの毒は確実に日本のロケットにも回っていることに、私は気が付いた。
今や、H-IIA、GX、M-Vというロケットラインナップを根本から考え直さなければならないのだ。1994年のH-II1号機打ち上げ成功で希望と共に始まったH-IIシリーズの運用が、あれから11年——それこそアポロ計画開始から11号着陸までと同等以上の時間だ——も経つのになぜもたついているのか。なぜGXはずるずると遅れ続けているのか。なぜM-Vは安くならないのか。
すべては、技術的も組織的にも産業構造的にも、まっさらな状態で、先入観なしにもう一度日本のロケットのありようを再検討する時期に来ているというサインなのだ。「すでにLE-7があるからそれを利用して」だとか「三菱重工と石川島播磨重工の仕事の切り分けがあるから」だとか「今までの実績があるから」「来年の受注ベースは」といった思惑を一切廃して、ゼロからロケットを考え直す時期なのである。今の技術を使って、目的に最適なロケットをゼロから考え直すべきなのだ。
いたずらに過去や、既存の官需に拘泥し、既得権益ベースで議論を進めれば、大して多くもない官需もあっさりなくなるだろう。
ずいぶんと、とんでもないところに来た、と思う。が、私は常に希望を持っている。何度でも書こう。見上げればそこにはいつだって宇宙があるのだから。
あらためてこの本を宣伝しておく。有人宇宙船に関する基本的な問題は一応網羅している。すでに残部がごく少なくなっており、増刷のメドは立っていない。特に、私のところに「なんでアメリカはシャトルみたいなのをやめてアポロみたいな宇宙船に戻っちゃったんでしょうか」と質問してきたマスコミ関係者は必読、と言っておこう。
こちらの本も載せておく。スペースシャトルが何であったかについては、もっと多くの人が認識を共有する必要があると思う。その一助になれば、ということで。