「ニコチアナ」を読む
川端裕人さんの「ニコチアナ」を少し前に読了した。出版時に読もう読もうと思いつつ、いつの間にか本屋から姿を消してしまった本だが、例のスーパー源氏で発見して購入した。ちゃんと新刊で買うべきだったと後悔。とてつもない小説だ。
大ざっぱにいって、人間は世界を認識するための方法を2つ知っている。一つめは「世界は自分を含む。自分の見た世界こそが世界だ」という方法。主観による世界理解とでも言えばいいのだろうか。普通私たちはこの方法論を無意識に使って暮らしている。
もう一つは「世界とは自分を含まないものだ。自分だけではなく、様々な人の視点から見た世界の共通部分のみが世界だ」とする方法、科学はこちら側に入る。
「ニコチアナ」は、この2つの世界把握の方法を、タバコという奇妙な植物と、タバコの生み出した文化と社会現象をもって結びつけようとした小説だ——そう私は理解した。
手法としてはタバコを中心に据えた多視点小説だ。タバコに代わる無煙ニコチン嗜好品を売り出そうとするビジネスマン達、アマゾンに迷い込み、新種のタバコを栽培する種族に拾われて住み着く日本人、村で育つもアメリカに出てタバコビジネスに関わるようになるその孫、長年の喫煙で健康を損ねた米タバコ産業のボスとその跡目を狙う若者、タバコ葉を蝕む謎の病——こういったストーリーは、常にひとつの事象を二通りに注釈しつつ展開する。
例えば米タバコ産業のボスの病気はタバコがもたらした健康被害だが、同時にアマゾンの種族にすればスペイン人に滅ぼされた過去の文化が「西洋なるもの」にかけた呪いの発現でもある。「健康被害」と解釈するのは主観を含まない世界認識であり、「呪い」と解釈するのは主体込みの世界認識だ。同様にタバコ葉を蝕む病は、レトロウイルスによる遺伝子の種間転移であると同時に、「予言」の成就でもある。小説内の事実は、すべてに渡って二種類の解釈が施される。
そしてテーマは、喫煙なる習慣の意味へと切り込んでいく。本来、喫煙は神と人を取り結ぶ神聖な行為だった。それは文化だった。しかし紙巻きタバコというテクノロジーは、どこでもいつでも手軽な喫煙を可能にした。テクノロジーは世界を客観的に見ることによってもたらされる。
それにより、喫煙は文化ではなくなり、健康被害をもたらす悪習となった。神聖な行為は、近代のテクノロジーを経て、死を伴うが抜けることが困難な消費行為へと堕落したのだ。それは同時に、タバコ会社に莫大な収益をもたらした。
端々に挟まれるタバコを巡る蘊蓄は素晴らしく濃い。私は、紙巻きタバコが第一次世界大戦で決定的に普及したということにショックを受けた。戦場における非日常的なストレスから逃れるために、兵士はタバコを吸い、生き残った者らは喫煙のニコチンのもたらす鎮静作用から逃れられぬまま社会に散っていった。非人間的な大量殺戮なくしてタバコの浸透と拡散はなかったのである。
小説として見るとラストが弱い。でも、そういうことは別の作家に求めるものなんだろう。とにかくタバコという題材に目を付け、膨大な情報を渉猟し、整理し、多視点の小説にまとめ上げた力量にはひたすら感服するしかない。
喫煙という行為について書いてみたい気もするが、もう少し気持ちが整理できたらということにしよう。思い出すのはそろそろ一周忌近い父のことだ。最盛期、父は両切りピースを毎日4〜50本消費した。原稿を書く父の手元には、いつも吸い殻てんこ盛りの灰皿があった。「俺はタバコを吸いながら長生きするんだ」とうそぶいていた父は、大腸ガンで死んだ。大量喫煙は大腸ガンの発病確率を3〜4倍1.7倍程度押し上げる(9/16注;勘違いだったようで訂正しました)。肺転移が大きくなり、死期がはっきりしても、父はタバコを吸うことに執着した。
まだ私にはうまくまとめることができない何かが、タバコにはある。
しかし、著者がネットで活動しているというのはなかなか恐ろしい。願わくば「自分はステーキのつもりで差し出したのに、あいつは『なんて旨い刺身なんだ。しかも新鮮なのがいい』とか抜かしているぞ」ということにはなりませんように。
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Comments
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松浦さん、どうもありがとうございます。
ところが……そのステーキなんですが、どのみちあまり食してくださった方がいないようで、わが著作歴上、一番、読まれていんじゃないかなあ、と。
いまだに文庫にしてもらえませんしね。
関係ないですが、来年後半からまた宇宙小説を書く準備をします。
また、雲仙普賢岳、ちょっとずつですが構想が進んでいます。
と、松浦さんに報告して、自分を追い込んでみる、と。
Posted by: カワバタ | 2005.09.16 04:51 AM
>いまだに文庫にしてもらえません
もったいないですねえ。
でも、真の傑作は新しいが故に認められるのに時間がかかるものです。「カリオストロの城」だって、ロードショー公開はさんざんな成績でしたし(あまりいい例えではないか)。
雲仙の話、気長に待ちますよ。
Posted by: 松浦晋也 | 2005.09.16 08:44 AM
大腸癌と喫煙習慣(紙巻煙草)の関連は必ずしも明確では無く、1.X倍の相関関係が認められる程度のようです。喫煙習慣を助長するような生活習慣(例えば、長時間の座り仕事等)があると思うのですが、そのような生活習慣そのものに大腸癌の危険因子が多く含まれている可能性もあるようです。
もちろん喫煙が肺癌や食道癌の圧倒的なリスク要因である事は言うまでもありませんが。
Posted by: ジュビー | 2005.09.16 01:56 PM
ご指摘ありがとうございます。最近3〜4倍という数字を読んだ記憶があったのでそう書いてしまいましたが、調べてみると1.7倍程度らしいですね。
私の記憶違いでしょう。
訂正しておきました。
Posted by: 松浦晋也 | 2005.09.16 07:44 PM
>紙巻きタバコが第一次世界大戦で決定的に普及したということにショックを受けた。
ヴェトナム戦争とドラッグの関係を思い起こさせますね。
私は煙草を一度も口にしたことが無いので(もちろんドラッグも)、喫煙者の心理はまったく分かりませんが。
Posted by: ROCKY 江藤 | 2005.09.17 01:51 AM
いま日本の青少年で、薬物を乱用する人の数が急激に増加しているというのは、彼らにとって、いまの日本は戦場に等しいってことなんだろうか。
Posted by: 林 譲治 | 2005.09.17 11:32 AM
>いまの日本は戦場に等しい
今時の若者がやわになっているというのと、どっちなのか、それとも両方なんでしょうかね。もう一つ、薬物を手に入れやすい環境になっているか、ですね。
紙巻きタバコの場合は兵隊が持つ糧食キットに含まれていたというのが大きいそうです。軍需でタバコメーカーは大いに儲けたとのこと。
第一次世界大戦において同じ経路で普及したものとしては、安全カミソリというものがあります。こちらも兵隊のための衛生キットに含まれて普及しました。
Posted by: 松浦晋也 | 2005.09.19 10:25 PM
学校給食に雪見だいふくを売り込んで社長賞を受けた営業マンの話は関係ありませんかそうですか。
Posted by: 野尻抱介 | 2005.09.19 10:58 PM