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2005.09.08

残暑に、渡辺美里の歌が耳の中で蘇る

 台風一過の素晴らしい晴天、温度計の目盛りも天井知らず。9月だというのにだらだら汗を流しつつ、東京某所へ。深刻な顔であれこれ意見交換。

 夏で思い出すのは、「チューブ」だったり「サザン・オールスターズ」だったり。「ブルーハーツ」なら暑苦しさ倍増だ。

 私の場合は渡辺美里。ただしその記憶はほろ苦い。

 デビューからしばらくの彼女は、全身全霊で歌っていた。「18歳のライブ」とか「My Revolution」だったり「Teenage walk」だったり。その没入っぷりは、危ういほどだった。
 尾崎豊に感じた危うさと同じだ。「このままティーンズのカリスマになって死んでしまうじゃないか」と思わせる、人間としての未熟さを未熟なまま昇華させてしまうような、そんな危うさがあった。「死んでいるように生きたくない」などは怖いほどの迫力ではないか。

 だからこそ、なのだろう。その歌は魅力的だった。18歳でデビューして「eyes」「Loving you」「BREATH」「ribon」と年1枚ずつのアルバムが続く。突っ走っているとしかいいようがない。
 その頂点となるアルバムが5枚目の「Flower Bed」(1989年)だと思う。特にラスト、大江千里が提供した「すき」は、ちょっとした個人的思い出もあって、私にとっての永遠の一曲である。

 おそらく「Flower Bed」と次のアルバム「tokyo」(1990年)の間で、何か心境の変化があったのだと思う。「tokyo」で、彼女は歌う主体である自分と、歌との間に距離を取り始めた。有り体に言えば全身全霊では歌わなくなった。
 「tokyo」には「サマータイムブルース」という曲が収録されている。世間的には名曲とされているけれども、私はこの曲を聴いたとき、渡辺美里のアルバムを買う意味はなくなったと思った。なぜなら、この曲は「ブルース」と銘打ちつつも全然音楽はブルースではなかったから。
 こういう曲名の嘘は、かつての彼女がもっとも嫌うものではなかったか。そう私は勝手に思いこんだのだった。

 おお、松浦よ。「ミサトちゃん、純粋じゃなきゃイヤだーい」とでも思ったか?

 うん、そうかも知れない。

 それでも7枚目のアルバムである「LUCKY」(1991年)までは買った。収録された「卒業」を聴いて、「もういいや」と思った。

 渡辺美里は、初期に「さくらの花の咲く頃に」(「ribon」収録)という卒業をテーマにした曲がある。これは本物の名曲だ。個人的には村下孝蔵の「初恋」を超えていると考えるほどである。
 一方「卒業」は、明らかに卒業シーズンの高校生あたりに受けるという意図をもって作られていた。「みんな、卒業式で歌ってねー」だ。
 それは全身全霊では決して歌えない曲だった。

 私は渡辺美里のアルバムを買うのを止め、後には5枚のCDという形で、全力を持って駆け抜けた女性歌手の記録が残った。

 それは本人にとって幸せなことだったのだろう。人間は年を取る。いつまでもティーンエイジャー向けの歌を全身全霊で歌うことはできない。強いて全身全霊であろうとすると、袋小路が待っていて、場合によっては死に至ることだってある。

 誰だって大人になり、成熟しなくてはならないのだ。

 渡辺美里は尾崎豊のように死なないで済んだ。多分に成熟を選び、歌い方を変えたからなのだろう——そう勝手に考える。そろそろ40歳近くになるまで歌い続けられたし、西武球場でコンサートを続けることだってできた。

 でも、私にとっての渡辺美里は初期の、針で突いたらはじけてしまいそうな、若くて危うくて本気と元気一杯の渡辺美里なのである。

 アマゾンにリンクしようとしたら、ありゃ、「BREATH」と「Flower Bed」は廃盤になってしまっているのか。この2枚こそが素晴らしいというのに。とりあえず、初期CDへのリンクを掲載しておく。


 デビューアルバム。「死んでいるように生きたくない」「18歳のライブ」など、危うさと元気が共存している。あるいは聴く人を選ぶかも。特定の年代、特定の気分の人が聴いてこそ意味があるアルバムかも知れない。




 2枚組。「My Revolution」「Teenage Walk」など。表題作「Lovin' you」は見事なバラードだ。




 このアルバムも名曲揃い。「センチメンタルカンガルー」「恋したっていいじゃない」「さくらの花の咲くころに」「悲しいね」「10years」と来る。くうう、甘酸っぱいぞ。

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Comments

経歴を拝見しておじゃましました。
わたしは宇宙に惹かれて久しくなります、是非わたしのブッログをご覧下さい、何かの足しになります。

U_taikiさん

 はて、なにをしたくて、ここにコメントを残されたのでしょうか。

 コメント欄は基本的に元の記事へのコメントを書くところです。そこに「自分のblogを見て」と書くことは、一般に宣伝と判断されます。

 コメント欄を使った宣伝は、基本的にマナー違反と見なされ、書いた者はネット上での評判を落とします。

 自分のページについてはURL欄に残すだけで十分です。十分に興味深いコメントを残すことができれば、「この素晴らしいコメントを付けたのはどんな人だろう」と、自ずとリンクを辿って来る者も増えます。

 ですから、U_taikiさんのような書き込みは「僕は能力がありません」と世間一般に告白しているようなものです。

 今回は許します。削除もしません。誰でも失敗から学び、賢くなる権利と義務があります。

 しかし再度このようなことをするならば、学習能力なしと判断し、見つけ次第削除します。

その西武球場でのライブも今年で最後だったようですね。

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/music/news/20050714et05.htm

こんばんは。こちらでは初めまして。

何度目かの西武球場でのライブで、「私もいつまでもこのままじゃいられない。みんな解ってくれるよね」という趣旨のコメントをした事がありました。中期以降、自分がやりたい歌とファンが求めている歌のギャップに悩んだようですが、うまく自分を納得させて先に進めたみたいです。ライブでは相変わらず古い曲の方が
盛り上がりますが。

かくいう私も初期の、甘酸っぱい、背中がムズムズするような歌の方が好きです。「彼女の彼」なんてのもいいですね。

 一人の人間が人生の全期間に渡って、最高の勢いを維持するということはまず無理みたいです。必ず迷ったり低迷したりする時期があると。

 渡辺美里もまた、本人があきらめないなら、きっと再度盛り上がることがあるんじゃないかと思います。

 西武球場ライブ、一回ぐらいは行っておくべきだったかな。

 西武のど汚いやり口はそのころすでに知っていたので「だーれが堤義明の西武なんぞに金を落とすか」と考えたのですが。考えすぎだったかなあ、と思う次第。

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