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2005.11.01

清瀬保二「日本祭礼舞曲」を見直す

 以前、「『箕作秋吉の遺産』を聴く」で、こんなことを書いた。

 中学の頃、つまり現代音楽に興味を持ちだした頃に、戦前の日本人作品というと、まさにこんな曲をイメージしていたのだ。つまり五音音階を基調に、のったりのったりと進む歯切れの悪い曲を。  なんでそんなイメージを持ったのかといえば、おそらくは音楽の授業で聴かされた近衛秀麿編曲の「越天楽」と、同じ頃にラジオで聴いた清瀬保二作曲の「日本祭礼舞曲」あたりのイメージがごっちゃになったからだろう。

 この部分、訂正する。良い演奏で聴いた清瀬保二の「日本祭礼舞曲」は、なかなかすごい曲だった。

 最近、芥川也寸志指揮、新交響楽団による「清瀬保二 管弦楽選集」というCDを入手して、久し振りに日本祭礼舞曲を聴いた。これが全く以前と印象が異なる、エネルギッシュな歯切れ良い演奏で、私はこの曲に対する認識を全く改めたのだった。

 清瀬保二については、上記リンク先を参考にして欲しい。戦前から戦後にかけて活躍した作曲家で、日本的五音音階を基本に、なんとかして日本的な音楽を書こうとした人だ。といっても、その音楽は粘つく情感をあまり感じさせず、むしろ切れの良さと直截さが印象に残る。同じ土俗的でも伊福部昭は、北方アジア的な広がりを感じさせるが、大分は宇佐出身の清瀬はもっと我々が「日本的」と感じる感性に寄り添っている。
 清瀬の映画音楽リストを見ると、時代劇がずらっと並んでいる。そう、どこか琴線に触れる懐かしさがあり、同時に内省的でもある、そんな曲を書く作曲家だった。

 芥川・新響の演奏は、早めのテンポでメリハリをかっちり付けた演奏。特に第三楽章がダイナミックに演奏されている。こうして良い演奏で聴くと、様々な祭り囃子がガンガン鳴りまくる、意外なぐらい楽しい曲だ。1940年作曲、1942年改作という時代を考えると、もっと暗くてもいいように思うが、時代の暗さを一切感じさせない。

 私がこの曲に悪印象を抱くに至った原因は、レコード時代に唯一の録音だった山岡重信指揮、読売日本交響楽団の演奏のせいだ。
 例えば第一楽章はテンポがModerato(中庸に)と指定されている。それを芥川は冒頭の祭り囃子の笛を模擬した部分をAllegroに近い速いテンポで演奏して、主部に入ってからテンポを落とす。一方山岡は一貫してModeratoで最後まで通してしまう。要はメリハリに欠ける曲の解釈だったのだ。
 演奏が悪いと、どんなに良い曲でも真価は伝わらない。特に初演曲などは、次にいつ演奏されるか分からない。こうなると良い演奏が行われる可能性も減り、駄曲も名曲も一律に埋もれていってしまう。

 先だって紹介したピアニストの大井浩明氏へのインタビューで、大井氏はこんなことを言っている。

  論点が幾つか出てきたので、総括的に。まず、日本人ピアニストとしての「仁義」というものがあります。私のモットーは、「駄作を弾くのは、邦人新作でたくさん」(笑)。しゃべくり漫才系であっても、それが日本人作品、アジア人作品ならば、それらを委嘱・発掘・演奏する義務が私にはあると考えます。

 正論だと思う。人間の感性なんてものは、かなりの部分が慣れに支配されている。「け、駄作だぜ」と思った曲が、100年後の名曲でない保証はない。

 ちなみに、日本祭礼舞曲は、1981年に京都大学の福井謙一博士がフロンティア電子理論でノーベル賞を受賞した時、授賞式で流された。福井博士がこの曲に思い入れを持っていたのか、それともノーベル財団のほうがたまたまこの曲のレコードを日本的ということで引っ張り出してきたのかは分からない。この年の9月14日に清瀬は81歳で他界しているので、自作がノーベル賞授賞式で流れたことを、本人が知ることはなかった。

 もうひとつ、先に取り上げた箕作秋吉と清瀬保二の関係を。箕作が追い返してしまった若き日の武満徹を弟子として迎え入れたのが、実は清瀬保二だった。そのあたりの経緯は、松岡正剛氏の文章を参考のこと。私思うに、多分、箕作秋吉よりも清瀬保二のほうが精神が柔軟で偏見の少ない人だったのだろう。

 Amzonに在庫がないのでタワーレコードにリンクを張っておく。

清瀬保二、佐藤敏直:管弦楽選集〜芥川也寸志の世界7/芥川也寸志(指揮)新交響楽団

 このCDには、清瀬の弟子である佐藤敏直が、師の死にあたって書いた「哀歌」という曲も収録されている。佐藤は師匠よりは大分湿っぽい、情念的な曲を書く作曲家だった。彼の「ピアノ淡彩画帳」というピアノ独奏曲集、なかでも広島の原爆で残った鳥居を題材にした「片足で立つ鳥居」という曲は、長く残ってしかるべきと思う。その佐藤もすでにこの世の人ではない。ああ。

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