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2005.12.01

大叔父の葬儀に参列する

 はやぶさは、まだまだ予断を許さない状況にある。ともあれ、当ページも臨戦態勢を解いて、いつものペースに戻していくこととしよう。

 本日は29日にこの世を去った大阪の大叔父の葬儀。私の祖父の末弟で89歳の大往生だった。個人企業のオーナーで、死の直前まで出社していたので、出席者は仕事関連が多い。
 親族はといえば、多くはかなりの高齢。一段落付いて、酒が入ると、「○○のおばあさんなあ、15歳で網元の家に嫁入りして、家が恋しくて毎日海岸で泣いていたそうな」などという、「赤とんぼ」も真っ青な話が出てきたりする。現在70歳過ぎの彼らが語る「おばあさん」だから、明治末期の話だろう。
 近代とか現代とか言っても、「知っている人の知っている人」と二段階も遡れば、そこは「お里の便りも絶えはてた」の世界なのである。

 亡くなった大叔父は、戦前より左翼思想に傾倒し、戦時中は徴兵されても戦闘を拒否。何があったか、おそらくはぼろぼろにぶん殴られて懲罰労働にでも就かされたか、中国奥地の病院で死ぬばかりになっていたのを、兄、つまり私の祖父が乗り込んでいって、これまた何をどうしたのか救出してきた、という逸話の持ち主だった。その祖父は敗戦後にシベリア送りで死に、大叔父は天寿を全うしたのだから、人生というのは本当に分からない。

 戦後も筋金入りの共産党支持者で、個人企業を社長として切り盛りしつつ、一方で、まだ非合法活動をしていた共産党にかなりの資金を提供したという。共産社会が到来したら真っ先に切られる資本家なのに、共産党に協力するとはこれいかに、と閉口した親族が付けたあだ名が「共産趣味者」。それでも、温厚かつ人に篤い性格で、関西の親族のとりまとめ役的存在だった。

 学生時代、四国旅行の途中に家に泊めて貰ったことがある。酒が入るほどに昔話をし始めた大叔父は、私の事を「なあ龍雄さん」と父の名前で呼び始めた。「ちゃいます。息子です」というと、「おお、すまんすまん」、ところが五分ほどするとまたも「なあ龍雄ちゃん」…それももう懐かしき思い出である。

 葬儀に出るといつも、確かに人の品格というものはあるのだな、と実感する。日頃は隠していても本人の葬儀では隠せない。その人がよく生きてきたかがはっきりと現れてしまう。
 大往生の人の葬儀は大抵の場合明るい。それでも今日の葬儀では、棺の中で小さくなった大叔父の顔に花を乗せる段になって、親族の女性一同、老若を問わず皆涙ぐんでいた。「おじちゃん、さよなら」と。

 我が葬儀も、願わくばかくありますように。

 のぞみとこだまを乗り継いで、夜遅く茅ヶ崎へ帰着。

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Comments

大叔父のご冥福をお祈りします。
ずいぶん前に逝った私の祖父の葬儀を思い出しました。
祖父が生前旅客機(YS-11!)に乗る前に語っておりましたが、「子供の頃は人が空を飛んで旅行するとは思いもよらなかった」そうです。そう言う私の職場の机の上には子供の頃に見たSFドラマの小道具の必須アイテムだったコンピューターが意思を持つんじゃないかと思うほどの記憶容量と演算能力を持って鎮座しています。

人の技術革新のスピードは凄まじく、これを眺めているだけでも生きる励みになります。

宇宙開発の現場の状況を今後も一般の我々にに解り易く伝えてださい。

PS:松浦様
プロフィール拝見しましたがほとんど同世代のようです。(ワタシは1964年製造ですが・・・)
私らが大往生と呼ばれる時代には何がどうなっているか?とても楽しみです。

というサイトが在ります。 頃虜俘 拝

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