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2006.01.06

青春スーツの音楽を聴く

 以前紹介したピアニスト・大井浩明氏の「閘門ブッコロリ」を起点に、あちこちのぞいたり、ストリーミングを聴いているうちに、たどりついた。とんでもない録音のストリーミング。

鈴木貴彦の演奏:ジャン・バラケ:ピアノ・ソナタ(1950-52、日本初演)ほか

 バラケ、ジャン・バラケ!

 私がバラケの名前を知ったのは、中学三年生で音楽に興味を持って、最初のオーケストラスコアを買った時だった。全音のポケットスコア、諸井三郎著のスコアの読み方を解説した「スコアリーディング」、そしてドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」だ。
 全音楽譜出版社のポケットスコアには、かなり詳細な楽曲解説が付属している。「牧神」の解説は、ジャン・バラケの分析に基づくものだった。

 その後、ジャン・バラケ(1928〜1973)が、難解な曲を書くことで知られた作曲家であることを知った。しかし、その曲を聴くことは、このストリーミングに出会うまで、なかった。

 バラケは大輪の、しかし日陰の花だった。日陰の花には対になる日向の花がつきものだ。バラケにも、巨大なひまわりたるライバルがいた。その名はピエール・ブーレーズ

 作曲家にして指揮者、斬新な解釈を施した数々の演奏で知られたブーレーズは、クラシックに興味がある人なら誰でも知っている大物である。
 ブーレーズとバラケ、一体何が起きたのか?(以下、若干芝居がかって)。

 アドルフ・ヒトラーがドイツに出現し、あの悲惨な第二次世界大戦へと世界を導いたことは、音楽の世界にも大きな影響を残した。大戦後の音楽業界では、ヒトラー的なるものが忌避されたのである。
 ヒトラーはワーグナーが大好きだった。このため、戦後欧州の作曲家の間では、ワーグナーのように聴き手の心を巻き込み、翻弄し、絶頂とどん底を経験させて感動に導くような音楽は忌避されるようになった。

 代わって、作曲家達の意識の中央を占めたのは、純粋に抽象的な美だった。

 戦後の若い作曲家達の動きは、後に「トータル・セリエリズム」と呼ばれるようになる。詳細は略するけれども、音程、音の長さ、強さなど、音楽を構成するすべての要素を、一つの数理的秩序のもとに統一しようとする考え方だ。過酷な戦争を子供として体験した彼らは、ロマンなどという曖昧なものに音楽の美をゆだねることに耐えられなかった。

 音程は、Hzで表される。つまり数字だ。音の長さは、秒で表すことができる。これまた数字、音の強さはデシベルで記述可能。やはり数字だ。もちろんテンポはメトロノームで記述できるわけで、数字そのものだ。
 若い作曲家達は、音楽のすべてを数理的秩序の元にコントロールしようと考えたのである。

 トータル・セリエリズムについては以下のページが詳しい。

全面的セリー主義:芸大の横田敬氏が公開している論考。


 ここでは本題に話を絞ることにしよう。

 当時、フランスにおいて若手作曲家として将来を嘱望されていたのが、ピエール・ブーレーズとジャン・バラケだった。二人はトータル・セリエリズムの可能性にむかって突き進み、それぞれに作曲していった。

閑話休題
 「ハチミツとクローバー」(羽海野チカ著)というマンガに、「青春スーツ」という言葉が出てくる。若いが故の自意識過剰と全能感と無力感が混合された精神状態を「青春スーツ真っ盛り」と表現し、そこからの脱却を「青春スーツを脱ぐ」と形容するわけだ。

 その伝でいえば、ブーレーズとバラケのトータル・セリエリズムは、「青春スーツの音楽」であった。俺たちが新しい音楽を創るんだ戦争は終わった老人共何するものぞ他のやり方は駄目俺は絶対正しいロマン派死ね民族主義死ね新古典主義死ねトータルセリエリズム万歳…。

 ブーレーズの「2台のピアノのための構造」や「第2ピアノソナタ」(共に1948年、ブーレーズ23歳の作品)、あるいはバラケのピアノソナタ(1952年、バラケ24歳の作品)などは、年齢から言っても「青春スーツ真っ盛りの音楽」だったわけである。

 しかし、その後の人生行路はあまりに違っていた。

 ブーレーズは女声と室内楽のための「主なき槌(ル・マルトー・サン・メートル)」(1954年、ブーレーズ29歳の作品)で、世界的な名声を獲得する。シュールレアリスト詩人・ルネ・シャールの詩を、メゾ・ソプラノが歌い、フルート、ヴィヴラフォン、ギター、ヴィオラ、打楽器が絡まっていく——どんな聴き手も魅惑せずにおかない結晶的な美に溢れた、間違いなく20世紀を代表する作品だ。
 この曲で、ブーレーズは「感覚的修正」ということを言い出した。トータル・セリエリズムで数理的に書いた曲に、「ここは俺の感覚に合う、合わない」で修正を施すということだ。むやみやたらに技法にこだわることをやめて、自分の感性を信用する態度に回帰したといっていいだろう。

 ブーレーズは大人になった、というのは言い過ぎだろうか。「マルトー」で彼は青春スーツを脱ぎ捨てた——私はそう読む。

 その後ブーレーズは、徐々に作曲から演奏へと活動の場を移していく。パリのポンピドーセンターを拠点に「アンサンブル・アンテルコンテンポラン」という演奏家集団を組織して、様々な曲を演奏し、録音を行い、斬新な楽曲解釈で世間を驚かせ——今や80歳となったブーレーズは、世界的名声を得た指揮者であり、かつてのカラヤンにも近い地位を楽壇において獲得しているといえる。

 一方、バラケの人生はといえば——そもそも彼は完璧主義者でぎりぎりまで自分を追いつめずにはいられなかった。それが災いしたか、作品はなかなか完成せず、望んだ職は得られず、家が火事になってそれまでの作品が焼失したり、交通事故に遭ったり、アル中になったり。
 彼は同性愛者でもあり、特に若き日の哲学者ミシェル・フーコーとの関係は有名だった。フーコー周辺の爛れた関係はこれまた知る人ぞ知る話であり、おそらくはバラケもホモの痴話喧嘩に巻き込まれたのだろう。
 何にどう絶望したのだろうか。バラケは45歳で自ら毒を飲み、自殺してしまった。

 彼の作品は7曲しか残っていない。その死から四半世紀も経ってから作品集が出版されたが、その内容は全く持って完璧からはほど遠い、未校訂のものだという。なんてついてないんだ…バラケ。


 ここで冒頭に戻り、・鈴木貴彦氏の演奏するジャン・バラケ「ピアノ・ソナタ」を聴いてみよう。

 構造があるんだかないんだか、精緻なのかでたらめなのか判別しにくい音から、やがて立ち上ってくるのは、痛々しい自負心と才能のかけらだ。確かに難解なのだけれども、瑞々しい感性が隠しようもなく聞こえてくる。

 その名前を知ってから30年、私はやっとバラケの音楽にたどり着くことができた。

 果たして、ピアノソナタを書いた後、バラケは青春スーツを脱ぎ捨てることができたのだろうか。ブーレーズのように。
 以下のエッセイを読むと、どうも一生青春スーツのまま、七転八倒していたように思える。

ジャン・バラケ(前編):深良マユミ氏のエッセイ
ジャン・バラケ(後編):同上

 深良氏の自己紹介にも、どことなく青春スーツの切れっ端が。ひょっとしてバラケには青春スーツがつきものなのだろうか?


 というわけで、「ハチミツとクローバー」。美大にたむろする若者達の青春七転八倒を描いたマンガだ。青春ただ中の読者は、「うんうん」と感情移入して読むし、より年齢が進めば「あったよなあ」とこれまたうなずいて読むという傑作。
 テレビアニメにもなったけれども、私は未見。この映像にしにくいマンガをどう料理したんだろう。

 不器用な真山と、さらに不器用な山田の関係に感情移入する人も多いだろうが、私には竹本の間抜けな七転八倒ぶりが面白い。バラケのソナタを聴きながら、思わず「青春の塔」のあたりを読み返してしまった。
 きっとバラケには、でこぼこでごつごつの作品に対して「素晴らしい、これこそ青春じゃあ〜」と言ってくれるおじいちゃん先生達や、煮詰まった時に乗って逃げることができるママチャリがなかったんだね、と思ったりして。


 まさかあるまいと思って調べてみたら、ありました。バラケ「ピアノソナタ」のCD。驚いたな。

 まずは、鈴木貴彦氏の男気に満ちた日本初演の音をストリーミングで聴いて、それから注文するかどうかを判断すればいいと思う。

 鈴木貴彦氏は、東京芸大中退後、京都大学で哲学を学び、大学院まで出て、なおかつピアニストになったという変わり種。大井氏とは京都大学で出会ったらしい(大井氏も京都大学卒、独学でばりばり現代曲を弾く技巧を身につけたというこれまた変わり種)。どういわけか、こういう型破りの演奏家は、芸術系大学からは出てこない。


 「ル・マルトー・サン・メートル(主なき槌)」——「大輪のひまわり」こと、ピエール・ブーレーズ、畢生の傑作。この「マルトー…」を聴かずして二十世紀音楽を語ることはできない。一聴すると、いわゆる「キンコンカン」系の現代音楽なのだが、とにかく一つ一つの音の美しさが尋常ではない。この曲がドイツの温泉保養地、バーデンバーデンの音楽祭で初演された時には、大変なセンセーションを巻き起こしたという。

 ブーレーズは指揮者として「マルトー…」を5回録音していて、このCDは2002年の最新録音。そう、室内楽でありながら、指揮者を必要とする至難の曲でもあるのだ。

 以前の録音が突きつける、目の前の空気を切断するかのような切れの良さはない。しかし、全体のまとまりと、一つ一つの音の美しさはこっちのほうが上だ。なにより、高音質の録音が必須の曲だけに、新しい機材で録音されたこの盤のほうが、曲を理解するには良いと思う。

 

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Comments

松浦晋也様
深良マユミです。執筆から1年以上も経ってとりあげていただけるとは思っていませんでした。
バラケはいいですよ…たまに聴くと心が震えます。部屋を暗くして聴くとなおいいです(笑)。
このヘルベルト・ヘンクの「ピアノ・ソナタ」は私も持っています。最高に取っつきにくいですね(苦笑)「まさかあるまいと思っていた」…だなんて(涙)バラケが可哀想です。きっとヨーロッパではもっとその存在を知られているのですよ…たとえフーコーのとの関連であったにせよ。そうそう、個人的には、フーコーも、「青春スーツ」を脱げなかった(脱ぐ前に寿命が尽きた)人だったのでは、と思っております。
乱文失礼いたしました。それでは、またお目にかかれますことを。

 深良さん、どうもです。面白い論考なのでリンクさせていただきました。
 実際問題として検索でひっかかったほぼ唯一のバラケに関する日本語の論考でした。

 確かにフランス本国における評価は、私も知りません。でも、バラケは日本ではまだまだ知られざる作曲家ですよね。完全主義者だったのに、死後出版された全集が間違いだらけというあたりが、哀れを誘います。

 部屋を暗くして聴くとなおよいというのは賛成です。ヘンクは確か、石井真木の「ブラックインテンション」なども弾いていましたね。

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