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2006.04.21

宣伝: 4月22日(土曜日)、新宿・ロフトプラスワンのトークライブ「ロケットまつり11」に出演します

 あたふたしているうちに明日になってしまいました。恒例ロフトプラスワンの「ロケットまつり11」に出演します。

宇宙作家クラブPRESENTS
「ロケットまつり11」
ロケットを打ち上げた人、ロケットを作っていた人、今のロケット事情??

【Guest】林紀幸(元ロケット班長)、垣見恒男 (日本で初めてジェットエンジンを設計)
【出演】浅利義遠(漫画家)、笹本祐一(SF作家)、松浦晋也(ノンフィクション・ライター)、他
4月22日土曜日
Open/18:30 Start/19:30
ロフトプラスワン :新宿・歌舞伎町

¥1000(飲食別)
当日券のみ

急転直下状況変化、増刷決定!

 急転直下、状況が変化した。「われらの有人宇宙船」の増刷が決定した。5月中旬には増刷分が店頭に出回ることになるだろう。

 文字通り皆さんのおかげである。12日にここで「増刷はない」と告知した直後からAmazonに注文が集中し、それが裳華房に届いたのだ。
 元々同社社内には「この本を絶版にしていいのか」いう意見はあったそうだ。担当のIさんは「100冊くらいまとまった注文があれば増刷できるんですが」といっていた。正確にAmazonに何冊の注文があったか不明だが、このblogのアフィリエイトからも50冊以上の注文があった。

 結果的に、私が品不足感を演出してしまったようで、心苦しいのだが、それでも増刷は素直にうれしい。買ってくれた人のおかげで「われらの有人宇宙船」は,またしばらく店頭に並ぶこととなった。

 どうもありがとうございます。

2006.04.12

「われらの有人宇宙船」が在庫切れとなる

 裳華房のKさんから連絡。「われらの有人宇宙船」の出版社在庫がなくなったとのこと。増刷の予定はない。残るは書店店頭や、取り次ぎ在庫などの流通在庫のみとなる。

 というわけで、入手したい方は、すぐにでも発注をかけてください。それでも手に入らない可能性もあるかと思います。

 思えば、野田司令の「ふじ」構想の検討が始まったのが2001年の初夏だった。その後、某出版社で企画を通して原稿を書き始めたものの、翌年6月に内閣府が出した「今後10年は独自の有人活動を行わない」という方針で、出版計画自体がつぶれてしまった。
 そこで漂流する原稿を読み、「出しましょう」といってくれたのが、Kさんだった。彼なくして、この本はなかったのだ。

 ありがたいことに、「われらの有人宇宙船」は、日本語で書かれた有人宇宙船に関するほぼ唯一の解説書(現役で店頭にて入手できる、という意味だ)ということで、それなりに評価してもらえた。さすがに人口に膾炙するまでは行かなかったが、一定の人々には刺激を与えることができたのではないか、と、まあこれは自画自賛だ。

 何にせよ、Kさんにはあらためてお礼したい。Kさん——裳華房に「この人あり」の編集者・國分利幸さんである。

 どうもありがとうございました。


 おそらく今注文すれば、ぎりぎりで入手できるのではないかと思う。私としては、この本をもって村上春樹やら、村上龍やらと部数的に戦うつもりだったのだが、結果的に言えば「デシベル」で表した方が早いぐらいに部数には差が付いたのであった(当たり前か?)。

 でもなあ、せめて「水にありがとうしてますかあ?」とか「アストラルです!ヒーリングです!」とか「霊だっちゃ、前世だっちゃ」というような本よりは、部数を出したかったなあ。

追記:スペースシャトル初飛行25周年(1981年4月12日、STS-1「コロンビア」打ち上げ)の日に、この本の売り切れを聞くというのも、なにかの因縁なのかも。

エネルギー収支からカーライフを考える

D180

 ちょっと小耳に挟んだ話など。

 新車を製造するのに必要なエネルギーは、その自動車をおよそ5万km走らせるのに必要なガソリンと等しいのだそうだ。燃費の良い自動車を製造するのも悪い自動車を製造するのも、等しくエネルギーが必要なはずなので、この話は「その車格の平均的燃費で5万km」ということなのだろう。

 つまり、「燃費の良い新車にしましょう」と自動車を買い換えると、それだけで5万km分のエネルギーを消費することになるのである。燃費のためにハイブリッドカーを買うぐらいなら、今の自動車に乗り続けろ。内装が痛んだとか、飽きたとかいうような理由だけでぽんぽん買い換えるんじゃない、ということである。

 もちろん、自動車メーカーはそんなことは宣伝しない。

 さらに言うならば、燃費の良いきれいな新車を買うぐらいなら、燃費が悪くても年季の入った旧車に載るほうが、エコロジカルということにもなる。下手をすれば30年以上昔のリッター5kmを切るようなアメリカンV8のほうが、プリウスに代表される省エネカーよりも、生産から廃棄までのエネルギー収支を考えると、ずっとましということになるわけだ。

 もちろん、今、新車を買って30年乗り続けるならば、それはそれで意味があるということになる。愛着を持つという意味でも、耐久性という意味でも、30年乗り続けられる自動車を、今の自動車メーカーが生産しているかどうかは、また別の問題である。

 もうひとつ。

 そうしてみると、なんだか意味を失いそうなハイブリッドカーだが、実は大きな意味が一つあることに気が付いた。ハイブリッドカーの巨大な電池は、大地震などの災害時に分散した電源となる。一昨年の新潟の地震でも分かるように、災害時に自動車は緊急避難の住居にもなる。そこでふんだんに電力が使えるかどうかは、避難生活の質に大きく影響する。
 ハイブリッドカーは、通常の自動車より割高だ。例えば、大容量電池を搭載したトヨタのエスティマ(新型エスティマはまだハイブリッドが出ていないので2004年モデルで比較)の場合、ハイブリッド車が最高グレードで402万1500円、ガソリンエンジンのエスティマLがだいたい320万円前後。
 自動車としてみると、多少燃費が良くて80万円高というのは、少々考えてしまうが、緊急時の避難所として10年乗ると考えて年間8万円ならば、これは検討に値するということになる。
 ただし、地震災害に関しては、一番最初に復旧するライフラインは電力なのだそうだ。一番最後まで手間がかかるのがガスとのこと。また、大きなエスティマに、普段は一人で乗るというような使い方をするならば、それはいざというときの備えというよりも、ムダということになるだろう。

 最後にもう一つ聞いた話。

 現在のハイブリッドカーは、家庭用のコンセントから充電できる仕様にはなっていない。が、電力会社からの既存の配電システムから充電できるようにすべきという議論があるそうだ。
 割安の夜間電力を使えば、コスト的にいい線行くらしい。

 写真は、日本クラシックカー協会のイベント「ニューイヤーミーティング2006」で撮影した1954年型ベンツ180D、ワンオーナーで50年間に75万kmを走ったという驚異の履歴を持つ自動車だ。今年5月で引退し、日本自動車博物館入りするとのこと。
 とんでもない自動車趣味と思えるが、これこそが究極のエコロジカル・カーライフなのかも。

2006.04.09

武満徹関連本を読む

 武満徹没後10年ということで、今年はオール武満の演奏会がいくつか予定されている。また、関連本も色々と出ているが、そのうちの2冊を読んだ。

 まず「武満徹の音楽」(ピーター・バート著 小野光子訳 音楽之友社)

 武満徹の音楽には「タケミツ・トーン」と呼ばれる独特の音の響きが溢れている。本書は彼が遺した134作品を分析し、どのようにしてタケミツ・トーンが組み立てられているかを示した音楽理論書だ。

 例えば、かつての日本音楽コンクール(私がせっせと聴いていたのは毎日音楽コンクールという名前の頃だったが)の作曲部門、特に管絃楽作品の年は、一時期必ずと言っていいほど、三善晃の影響をくっきりと受けた曲が最終選考に残ったものだった。三善晃、それも三善27歳の出世作「交響三章」の影響だった。
 これは「交響三章」がそれほど魅力的な曲だということに加えて、若き日の三善が、フランスで学んだアカデミックな作曲技法を駆使しているということが影響していたのだろう。つまり作曲家を目指す学生にとって、「交響三章」は学校で習った知識で分析でき真似がしやすかったのではないだろうか。
 真似は学習の過程で必須だが、みんながみんな三善調、それももっと表現主義的作風へ移ってからの「チェロ協奏曲」や「ノエシス」ではなく、若書きの「交響三章」の真似というのが、なんとも笑えたものだった。

 武満の場合、その響きを模写しようとする者が出てきても全然おかしくはなかったが、多くは部分模写に留まり、なかなか「タケミツ・トーン」の再現に成功する者は現れなかった。わずかに先年パリで亡くなった平義久が「クロモフォニー」「メディタシオン」といった管弦楽曲で、「タケミツ・トーンを思わせる」と評価されたが、これもまあ「どことなく、それっぽい」という程度で、寧ろ曲はオリジナリティのほうが強く出たものだった(そうでなければ作曲家などやってはおれないわけだが)。

 武満の音楽は、通常の作曲科の授業で教える技法では分析できない。和声法でも対位法でも、音列技法でも、だ。
 私もかつて、武満の「弦楽のためのレクイエム」の楽譜を書き写して分析しようとしたことがある。いざ書き写してみると、縦方向に無秩序に思えるほどの音が密集しており、その仕組みを遂に読み取ることができなかった。あのような縦の音の重なりから、なぜあの魅力的な音楽が産まれるのか、ついに理解できなかったのだった。
 でたらめでないことは、音楽を聴けば分かる。しかし、楽譜を見ても、どのようにして秩序を作っているかが分からなかったのである。

 本書は、武満がどのようにして独自の「タケミツ・トーン」を紡いだかを、詳細に分析した本だ。
 武満の方法論の基本は、意外に単純だった。「音階の音を全部鳴らす」ということだったのである。

 中学高校の音楽の授業でしか音楽理論に触れたことがない人は、意外に知らないが、音楽には長調、短調以外の多種多様な音階がある。独自な音の動きを伴うことが多いので、単なる音階ではなく、音の動きの法則も含めて「旋法」(モード)と呼ばれる。
 武満の場合、まずモードを選び、そこに付加音を付けていく。例えば、ピアノの黒鍵だけの五音音階、ド♯、ミ♭ ファ#、ラ♭、シ♭に、ド♯の増4度上のソを加えたり、増5度上のラを加えたり、ド♯の半音下のドを加えたり…
 そしてその音をすべて同時に鳴らす。
 同時に鳴らすだけならば、ただ一つの響きしか作れない。そこで、武満は、どの音域にどの音を置くか——ヴォイシングという——に細心の注意を払って、響きを作り出していく。
 先ほどの例ならば、ソを加えた五音音階は、一オクターブ内に密集させれば、ピアノの鍵盤をこぶしで叩いた時にでるクラスターという音塊と似た響きとなる。
 これが低音で、ミ♭ ファ#、ソを鳴らし、中音域で、シ♭、ド♯、ファ#、高音でシ♭、ミ♭、ソ、ラ♭と鳴らすなら、その響きは全く異なるものとなる。
 その響きの中で、例えば、ド、ド♯、ミ♭、ミ、ファ♯、ソ、ラ、シ♭という音階(メシアンの「移調が限られた旋法」のひとつだ)でメロディを響かせれば、とりあえずはなんとはなしに武満っぽい響きとなる。

 武満は若い頃に、日本の五音音階を使った作品を書こうとしていた。しかし五音音階では和声的な展開ができない。五音音階を基礎に響きを作ろうとする試行錯誤の中で、このような音階に付加音を加えて、ヴォイシングに注意して響きを作り出すという技法に至ったようだ。

 「武満徹の音楽」は、豊富な譜例と共に、武満が響きを作り出す秘法を、詳細に解説していく。音階の選び方、付加音の付け方、ヴォイシングの傾向など。
 武満は生前に「夢と数」という著書で、自分の技法の一部を解説していたのだけれど、これがかなり独自の用語を駆使したわかりにくい本だった。いくら読んでも、意味がとれないところも多々あった。本書は、そのあたりも明快に解説していく。
 私にすれば、長年の謎が解けたというわけで、大変興味深い一冊だった。技法を知ったからといって、自分が武満のような曲を書けるはずもないが、それでも長い間ひっかかってきた疑問が解消するのは、楽しいことである。


 もう一冊は、「作曲家 武満徹との日々を語る」(武満浅香著 小学館)。武満夫人の著者が、世界的作曲家となった夫との生活を語る一冊。

 やはりというべきか、若い頃の武満の行状が無茶苦茶面白い。他人の家の軒先で寝てしまうし、深夜突如玄関で声をかけずに他人の家に上がり込んで、一言もしゃべらずに座り込んでみたり、どこをどう切っても迷惑な無頼漢。自意識ばっかりが先走った痛い若者だ。今だったらNHK教育の若者番組に出て、とんちんかんな自己主張をしてしまうタイプだろう。

 別宮貞雄の作品が演奏される演奏会に行って、下駄を鳴らして抗議したなどというエピソードが紹介されている。あげく、偉そうに芥川也寸志に芸術論をふっかけて、「武満君、とにかく作品を一つでも書きなさいよ」と諭された、なんて話も。
 そんな武満も、大阪万博の時には、「大企業に音楽を売り渡した」と、坂本龍一などに芸大でビラを撒かれたりするわけだから、なんともはや。
 映画ファンには、黒澤明との絡みも見逃せないところだろう。「乱」の音楽を巡って、黒澤と武満が衝突したというエピソードが詳しく紹介されている。ジャズの猪俣猛とセッションを組んだことがあるなどというのも初耳、びっくりだ。

 本書に収録されている写真を見ると、若き日の武満は「こいつ、ヤクザの鉄砲玉かなんかに使われて、あっさり死ぬんじゃないだろうか」という目をしている。「私がいなければ、徹さんは死んでいたかもしれないんだから」という著者の述懐は、間違いなく真実だろう。

 なるほど、この夫人と出会って、やっと武満は武満徹となったのか、と納得できる一冊。

 ふと思い立って「武満徹」で検索ををかけてみると、Toru Takemitsu, his music and philosophyに、生前のインタビュー音声が、多数アップされていた。この中でも「柴田南雄によるインタビュー」は、必聴だ。1958年、どうやら「弦楽のためのレクイエム」がNHKラジオで放送された時の音声らしい。この時武満は28歳。聴き手の柴田南雄も42歳。高校の頃、ずいぶんと柴田氏のラジオ放送のお世話になったものだが、声が若い若い。
 そしてまだ肺に結核を抱えていたであろう時期の武満、28歳のひきつったような声の堅さが、なんとも感慨深い。「これを言ったら死にます」という印象の、思い詰めた様が響いてくる。


 せっせと演奏会に通っていた頃は、よく武満徹ご本人を見かけたものだった。いつも黒を基調とした服装で、ひょこらひょこらと風に流されるように歩いていた。音大の学生と思しき人物に「私の作品を見て下さい」と詰め寄られ、「僕は独学で他人に教えることなんかできないから」と断るのを見かけたこともある。

 もういなくなって10年も経つのか。なんとも言えない気分になる。


 作曲に興味がある人なら、読んでも損はない一冊。音楽の勉強は、アカデミックな確立した理論を学ぶことで行うが、それとは別のところで、たった一人で自分の方法論を打ち立てた軌跡がここにはある。夢枕獏作品に出てくる「仏陀が自分ひとりで悟りに至ったのならば、自分も一人で悟りに至ろう」として山に籠もる僧の話を思わせる。

 そんな武満も晩年はブラームスの分析を喜々として行っていたそうで、その様は同じく晩年に至ってやっとまともな音楽教育を自ら望んで受けたエリック・サティを連想させないでもない。


 こういう本を多くの人は、「高いから」と図書館で読む傾向があるけれども、できれば自分で買って読んでもらいたいな、と思う。なんとも楽しい、読後感が暖かい本だ。

2006.04.08

ゴジラのテーマのルーツを探る

 ネットを見ていると、意外に知らない人が多いようだったので。

 伊福部昭の手による「ゴジラ」のテーマ。これがモーリス・ラヴェルの「ピアノ協奏曲ト調」の第3楽章に出てくるモチーフと酷似しているというのは、割とよく知られているようだ。しかし、同じモチーフが伊福部の先行作品に出てくることは知られていないらしい。

 1948年(昭和23年)、伊福部は最初のヴァイオリン協奏曲を発表した。敗戦後の1946年に北海道から上京してきて最初の大作である。当初3楽章の構成だったが、その後彼は、緩やかな第2楽章を削除、数回の改訂を経て「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲」という全2楽章の曲として完成させた。
 この曲の第1楽章のほぼ中間あたりに、あの「ゴジラ」のモチーフが出てくる。まさに映画の冒頭で鳴るテーマ通りだ。ただし楽章を貫く主題というわけではなくて、中間部で音が自由に展開する中で一瞬出現するという印象である。

 若き日の伊福部はラヴェルに傾倒していたので、「ピアノ協奏曲ト調」をよく知っていたのは間違いないだろう。ラヴェルはこの曲と、もう一曲「左手のための協奏曲」の2曲のピアノ協奏曲を作曲している。「ト調」が洒脱なら、「左手」は雄大であり、対照的な曲である。
 「ト調」の第3楽章で、ピアノが高音域で一瞬「ゴジラか?!」と思わせるモチーフを演奏する(もちろん作曲時期はラヴェルのほうが先だ)。ただしモチーフは出だしが同じであるものの、フレーズ後半の受けがゴジラとは異なる。音域もゴジラとは対照的であることからして、伊福部が盗作したのではなく、ラヴェルの楽想が伊福部の心の深い部分に沈み込んで、全く異なる歌として響きはじめたのが、「ゴジラ」だ、と考えるのが妥当なのではないだろうか。

 伊福部は映画「銀嶺の果て」(1947年、黒澤明脚本、谷口千吉監督&脚本、三船敏郎のデビュー作)から映画音楽の仕事を始める。彼は過去の自作から旋律を持ってきて、映画のシーンに合うようにオーケストレーションを施すことが非常に多かった。また、同じ旋律を複数の映画に使うことも珍しくはなかった。

 このように考えてくると、まずラヴェルの「ピアノ協奏曲ト調」があって、それを自らの骨肉の中で変奏したものが「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲」に一瞬顔を出し、さらにそのモチーフを映画に転用したのが、「ゴジラ」のテーマとなったのだろう。

 ちなみに、伊福部75歳の1988年、9人の弟子達が師匠の旋律を使った短いオーケストラ曲を作曲して師匠に謹呈した。「9人の門弟が贈る<伊福部昭のモチーフによる讃>」という曲集だ。この中でもやはりというべきかゴジラのモチーフを取り上げるものが最も多かった。
 私は演奏会の生でこの曲を聴いたが、黛敏郎の「Hommage a A.I.」が圧倒的に面白かった。ゴジラのモチーフを演奏しているはずが、いつの間にかラヴェルのピアノ協奏曲になってしまうあたりは、「おお、分かっているじゃないか」と膝を打ちたくなるようなしゃれっ気一杯の曲だった。

 さて、結論だ。「ゴジラが好きならば、ラヴェルも、協奏風狂詩曲も聴こう」。これである。


 オリジナルサントラで、ゴジラを聴きたければこれだ。ゴジラだけではなく「ラドン」「サンダ対ガイラ」「怪獣大戦争」など、特撮映画における伊福部節がいやというほど堪能できる。

 彼が「ゴジラ」の音楽を担当した時には、「そんなキワモノ映画の音楽をやるなんて」と忠告した人もあったというが、結果として特撮映画の音楽は、格好の伊福部音楽への入門編ということになった。

 「サンダ対ガイラ」などで「本物以上に本物らしい東宝自衛隊」などと言われたのも、伊福部のマーチがあったればこそだろう。毎年8月に陸上自衛隊が富士の演習場で実施する総合火力演習では、いつも「ここで伊福部マーチが流れればなあ」という声が聞かれるのである。


 「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲」はいくつか録音があるが、入手しやすく演奏も良いのはこのCDだろう。ゴジラのモチーフは第1楽章の7分25秒ぐらいのところで出現する。楽曲の構成という点では、最初に「ドレミ、ドレミ、ドレミドレミ」という上行する音形で、リズムが準備され、何回か繰り返された後に、「ドシラ、ドシラ」と、ゴジラのモチーフがほぼ完全な形でまず低弦で、次いで金管主体で出現する。全体の中では経過句として軽く扱われているが、その印象は鮮烈だ。あまりに鮮烈なモチーフなので、伊福部自身もゴジラに転用する気になったのではないだろうか。

 このCDにはもう一曲、伊福部27歳(ラヴェルが名作「弦楽四重奏曲」を作曲した年齢だ)の大作「ピアノと管絃楽のための協奏交響曲」も収録されている。若き伊福部が、機械主義的な音響を追求した素晴らしく面白い曲だ。

 この曲は、1942年の初演後、楽譜が空襲で焼失したと思われていた。その後、伊福部はこの曲の旋律を、「タプカーラ交響曲」「ピアノと管絃楽のためのリトミカ・オスティナータ」に使用した。
 ところが、 1990年代に入ってNHK資料室からパート譜が発見された。伊福部自身は「あれはなくなったもの」と復活を渋ったそうだが、周囲が説得して、1997年に復活演奏された。

 まさに「蘇る名曲」なのである。聴くべし。


 ラヴェルの「ピアノ協奏曲ト調」は、枚挙のいとまがないくらいのCDが出ている。私はアルゲリッチのハジけた演奏が好きなのだけれど、どうせなら「左手」とのカップリングで、ということで、ツィマーマンとブーレーズのコンビによる録音を推薦する。伊福部のどこか未熟でごつごつとしている(それがいいのだけれど)「ピアノと管絃楽のための協奏交響曲」に対して、なんと洗練され構成しつくされた音楽であることか。「これほど完成された曲を書く奴は人間じゃない」と思わせる曲である。




 「伊福部昭のモチーフによる讃」は、以前CDが出ていたのだけれど、現在は廃盤になっている模様。まあ、そのうちにまた出てくるでしょう。

2006.04.07

デジカメを買う

Fz71

 またもしばらく潜航してしまった。その間に、確定申告をして、原稿をひとつ上げ、次の原稿にとりかかった。

 そして、デジカメを買った。

 買ったのはパナソニックのDMC-FZ7だ。これまで3年間使用してきたDMC-FZ1のリプレイスである。

 この機種はFZ3、FZ5と新製品を出してきていたが、これらはせっかく買いそろえたテレコンバーター、ワイドコンバーターが使えなかった。今回FZ7では純正テレコン、ワイコンが用意され、そのためのアダプターを使うと、私のテレコン(オリンパスの「T-CON17」)、ワイコン(レイノックスの「HD-7000Pro」)も装着可能になる。
 さらには、マニュアル露出、マニュアルフォーカスが可能になったことが、買い換えの決め手となった。やはり、オートだけでは打ち上げの撮影はつらい。

 この大きさで35mm換算で36〜432mm。ワイコンを使うと25mmとなり、テレコンでは734mm。しかもFZ1の200万画素から600万画素に高解像度化したので、デジタルズームもそこそこ使い物になる。デジタルズームとワイコンを組み合わせると、実に2936mm相当の超望遠が実現できる。
 たったこれだけの荷物で、25mmから3000mmまでカバーできる。まさにスーパーカメラだ。

 もちろん欠点もある。レンズはワイド側の樽型収差が大きいし、CCDが小さいからS/N比は悪く、画質はそこそこだ。
 が、そのことを理解して使えば機動性は抜群と言える。

Fz72 テストで写真を撮ってみたが、なかなかだ。3年前のFZ1に比べれば段違いである。

 そろそろ仕事用にデジタル一眼レフを買わねば、とも思うが、現在のデジタル一眼レフは、「デジタル一眼レフにしか実現できない絶対的な優位性」が見えてこない。FZ7は、フィルムカメラでは絶対実現不可能な、広い焦点距離レンジと、携帯性を実現している。そこがいいのだ。
 個人的にデジタル一眼レフは、「ボディ側に手ぶれ防止機構を内蔵」「CCD面の自動清掃機構を内蔵」の2点がクリアされたら、買うかと思っている。

 最初にデジカメにさわったのは、1993年の暮れ。アップルのQuickTake100だった。あれから12年で、デジカメはずいぶんと進歩したものだ。おそらくこれからもますます進歩するだろう。楽しみである。


 機械を選ぶ時には、「あれもこれも」と欲張るのではなく、使い方を想定して思い切って割り切った方が、結果として使いやすい道具を手に入れることができる。FZ7は画質がそこそこで、レンズは収差が大きいが、「いかなる場合にもとにかく記録を取る」という用途には非常に向いている。
 なにしろ軽い。軽いということは持ち出しやすいということだ。どんな高性能のカメラであっても、とりあえずその時に持っていなければ写真を撮ることはできない。デジタル一眼レフで、700mm相当のレンズを振り回すのは(フィルムカメラよりも楽とはいえ)、大分骨が折れるということを考えると、このカメラのコンセプトはなかなか素晴らしい。

 上位機種のFZ30になると、かなり大きく、重くなるのでデジタル一眼レフに対する優位性は薄れるだろう。


 
 色違いのシルバーボディもある。テレコン、ワイコンとの組み合わせもあって、私としては黒のほうが好みだ。

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