武満徹関連本を読む
武満徹没後10年ということで、今年はオール武満の演奏会がいくつか予定されている。また、関連本も色々と出ているが、そのうちの2冊を読んだ。
まず「武満徹の音楽」(ピーター・バート著 小野光子訳 音楽之友社)。
武満徹の音楽には「タケミツ・トーン」と呼ばれる独特の音の響きが溢れている。本書は彼が遺した134作品を分析し、どのようにしてタケミツ・トーンが組み立てられているかを示した音楽理論書だ。
例えば、かつての日本音楽コンクール(私がせっせと聴いていたのは毎日音楽コンクールという名前の頃だったが)の作曲部門、特に管絃楽作品の年は、一時期必ずと言っていいほど、三善晃の影響をくっきりと受けた曲が最終選考に残ったものだった。三善晃、それも三善27歳の出世作「交響三章」の影響だった。
これは「交響三章」がそれほど魅力的な曲だということに加えて、若き日の三善が、フランスで学んだアカデミックな作曲技法を駆使しているということが影響していたのだろう。つまり作曲家を目指す学生にとって、「交響三章」は学校で習った知識で分析でき真似がしやすかったのではないだろうか。
真似は学習の過程で必須だが、みんながみんな三善調、それももっと表現主義的作風へ移ってからの「チェロ協奏曲」や「ノエシス」ではなく、若書きの「交響三章」の真似というのが、なんとも笑えたものだった。
武満の場合、その響きを模写しようとする者が出てきても全然おかしくはなかったが、多くは部分模写に留まり、なかなか「タケミツ・トーン」の再現に成功する者は現れなかった。わずかに先年パリで亡くなった平義久が「クロモフォニー」「メディタシオン」といった管弦楽曲で、「タケミツ・トーンを思わせる」と評価されたが、これもまあ「どことなく、それっぽい」という程度で、寧ろ曲はオリジナリティのほうが強く出たものだった(そうでなければ作曲家などやってはおれないわけだが)。
武満の音楽は、通常の作曲科の授業で教える技法では分析できない。和声法でも対位法でも、音列技法でも、だ。
私もかつて、武満の「弦楽のためのレクイエム」の楽譜を書き写して分析しようとしたことがある。いざ書き写してみると、縦方向に無秩序に思えるほどの音が密集しており、その仕組みを遂に読み取ることができなかった。あのような縦の音の重なりから、なぜあの魅力的な音楽が産まれるのか、ついに理解できなかったのだった。
でたらめでないことは、音楽を聴けば分かる。しかし、楽譜を見ても、どのようにして秩序を作っているかが分からなかったのである。
本書は、武満がどのようにして独自の「タケミツ・トーン」を紡いだかを、詳細に分析した本だ。
武満の方法論の基本は、意外に単純だった。「音階の音を全部鳴らす」ということだったのである。
中学高校の音楽の授業でしか音楽理論に触れたことがない人は、意外に知らないが、音楽には長調、短調以外の多種多様な音階がある。独自な音の動きを伴うことが多いので、単なる音階ではなく、音の動きの法則も含めて「旋法」(モード)と呼ばれる。
武満の場合、まずモードを選び、そこに付加音を付けていく。例えば、ピアノの黒鍵だけの五音音階、ド♯、ミ♭ ファ#、ラ♭、シ♭に、ド♯の増4度上のソを加えたり、増5度上のラを加えたり、ド♯の半音下のドを加えたり…
そしてその音をすべて同時に鳴らす。
同時に鳴らすだけならば、ただ一つの響きしか作れない。そこで、武満は、どの音域にどの音を置くか——ヴォイシングという——に細心の注意を払って、響きを作り出していく。
先ほどの例ならば、ソを加えた五音音階は、一オクターブ内に密集させれば、ピアノの鍵盤をこぶしで叩いた時にでるクラスターという音塊と似た響きとなる。
これが低音で、ミ♭ ファ#、ソを鳴らし、中音域で、シ♭、ド♯、ファ#、高音でシ♭、ミ♭、ソ、ラ♭と鳴らすなら、その響きは全く異なるものとなる。
その響きの中で、例えば、ド、ド♯、ミ♭、ミ、ファ♯、ソ、ラ、シ♭という音階(メシアンの「移調が限られた旋法」のひとつだ)でメロディを響かせれば、とりあえずはなんとはなしに武満っぽい響きとなる。
武満は若い頃に、日本の五音音階を使った作品を書こうとしていた。しかし五音音階では和声的な展開ができない。五音音階を基礎に響きを作ろうとする試行錯誤の中で、このような音階に付加音を加えて、ヴォイシングに注意して響きを作り出すという技法に至ったようだ。
「武満徹の音楽」は、豊富な譜例と共に、武満が響きを作り出す秘法を、詳細に解説していく。音階の選び方、付加音の付け方、ヴォイシングの傾向など。
武満は生前に「夢と数」という著書で、自分の技法の一部を解説していたのだけれど、これがかなり独自の用語を駆使したわかりにくい本だった。いくら読んでも、意味がとれないところも多々あった。本書は、そのあたりも明快に解説していく。
私にすれば、長年の謎が解けたというわけで、大変興味深い一冊だった。技法を知ったからといって、自分が武満のような曲を書けるはずもないが、それでも長い間ひっかかってきた疑問が解消するのは、楽しいことである。
もう一冊は、「作曲家 武満徹との日々を語る」(武満浅香著 小学館)。武満夫人の著者が、世界的作曲家となった夫との生活を語る一冊。
やはりというべきか、若い頃の武満の行状が無茶苦茶面白い。他人の家の軒先で寝てしまうし、深夜突如玄関で声をかけずに他人の家に上がり込んで、一言もしゃべらずに座り込んでみたり、どこをどう切っても迷惑な無頼漢。自意識ばっかりが先走った痛い若者だ。今だったらNHK教育の若者番組に出て、とんちんかんな自己主張をしてしまうタイプだろう。
別宮貞雄の作品が演奏される演奏会に行って、下駄を鳴らして抗議したなどというエピソードが紹介されている。あげく、偉そうに芥川也寸志に芸術論をふっかけて、「武満君、とにかく作品を一つでも書きなさいよ」と諭された、なんて話も。
そんな武満も、大阪万博の時には、「大企業に音楽を売り渡した」と、坂本龍一などに芸大でビラを撒かれたりするわけだから、なんともはや。
映画ファンには、黒澤明との絡みも見逃せないところだろう。「乱」の音楽を巡って、黒澤と武満が衝突したというエピソードが詳しく紹介されている。ジャズの猪俣猛とセッションを組んだことがあるなどというのも初耳、びっくりだ。
本書に収録されている写真を見ると、若き日の武満は「こいつ、ヤクザの鉄砲玉かなんかに使われて、あっさり死ぬんじゃないだろうか」という目をしている。「私がいなければ、徹さんは死んでいたかもしれないんだから」という著者の述懐は、間違いなく真実だろう。
なるほど、この夫人と出会って、やっと武満は武満徹となったのか、と納得できる一冊。
ふと思い立って「武満徹」で検索ををかけてみると、Toru Takemitsu, his music and philosophyに、生前のインタビュー音声が、多数アップされていた。この中でも「柴田南雄によるインタビュー」は、必聴だ。1958年、どうやら「弦楽のためのレクイエム」がNHKラジオで放送された時の音声らしい。この時武満は28歳。聴き手の柴田南雄も42歳。高校の頃、ずいぶんと柴田氏のラジオ放送のお世話になったものだが、声が若い若い。
そしてまだ肺に結核を抱えていたであろう時期の武満、28歳のひきつったような声の堅さが、なんとも感慨深い。「これを言ったら死にます」という印象の、思い詰めた様が響いてくる。
せっせと演奏会に通っていた頃は、よく武満徹ご本人を見かけたものだった。いつも黒を基調とした服装で、ひょこらひょこらと風に流されるように歩いていた。音大の学生と思しき人物に「私の作品を見て下さい」と詰め寄られ、「僕は独学で他人に教えることなんかできないから」と断るのを見かけたこともある。
もういなくなって10年も経つのか。なんとも言えない気分になる。
作曲に興味がある人なら、読んでも損はない一冊。音楽の勉強は、アカデミックな確立した理論を学ぶことで行うが、それとは別のところで、たった一人で自分の方法論を打ち立てた軌跡がここにはある。夢枕獏作品に出てくる「仏陀が自分ひとりで悟りに至ったのならば、自分も一人で悟りに至ろう」として山に籠もる僧の話を思わせる。
そんな武満も晩年はブラームスの分析を喜々として行っていたそうで、その様は同じく晩年に至ってやっとまともな音楽教育を自ら望んで受けたエリック・サティを連想させないでもない。
こういう本を多くの人は、「高いから」と図書館で読む傾向があるけれども、できれば自分で買って読んでもらいたいな、と思う。なんとも楽しい、読後感が暖かい本だ。
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すばらしい書評をありがとうございます.
私も,takemitsu toneはどうなっているのか,
"Air"だったら読めるかな と思っていた素人です.
松浦さんは私と同世代でしょうか.
私は,0系新幹線と同じ年です.まだ引退しません.(笑
NHKのドキュメンタリーを見て育ち,
血液に武満さんや林光さんが溶けています.
同世代の方は,こういう人間が多いと思います.
Posted by: 石原茂和 | 2008.12.01 02:46 PM