「武満徹の宇宙」を聴きに行く
28日日曜日の午後、東京・初台の東京オペラシティで、開かれた「武満徹の宇宙」というコンサートに行ってきた。
2006年5月28日[日]15:00
[武満徹─Visions in Time]
オーケストラ・コンサート「武満徹の宇宙」
岩城宏之/若杉 弘(指揮) 高橋悠治(ピアノ) 加藤訓子(パーカッション)
古部賢一(オーボエ) クリスチャン・リンドバーグ(トロンボーン) 東京フィルハーモニー交響楽団
曲目
「カシオペア」(1971)
「アステリズム」(1968)
「ジェモー」(1971-1986)
武満徹の人生における傑作の森は、1964年の「テクスチュアズ」に始まって、1981年の「海へ」で終わる、と私は考えている。1980年代以降、武満の音楽はひたすら美しくなり、代償として緊張感を失った。
この世ならぬ美と緊張感が両立しているのが「テクスチュアズ」から「海へ」の間の作品なのだ。
ところが、困ったことにこの時期の武満作品は編成が普通ではなかったり、演奏時間が短かったりで、通常のコンサートにかけにくい曲ばかり。だから、なかなか演奏されない。
通常、クラシック系オーケストラ・コンサートは、1)序曲、前奏曲(10分前後)、2)ソリストを立てた協奏曲(20〜30分)、3)大規模管弦楽曲か交響曲(40分ぐらい)——という組み合わせでだいたい2時間のプログラムを組む。
ところが1960〜70年代の武満作品は、ソリストが立つ協奏曲でも10分ほどだったり、舞台上のオーケストラを特殊な配置に組み直したり、極めて大規模だったりで、このパターンに当てはまらない。だから「秋」「ウインター」「カトレーン」「マージナリア」といった名作が軒並み、滅多にコンサートにかからない幻の作品になってしまっている。
今回は、その中から3曲を選んで1つのコンサートにするという野心的なプログラム。うまくいくのかどうか、実のところかなり心配だった。まず、指揮者の岩城宏之が体調不良で、高関健と交代した。闘病しつつ指揮活動を続けている岩城だが、おそらく今回の選曲には岩城の意志がかなり入っているのではないだろうか。その岩城を欠いて大丈夫なのか。
1曲目の「カシオペア」は打楽器奏者のソロが入る、打楽器協奏曲と言える作品。1970年代、天才の名を欲しいままにした打楽器奏者ツトム・ヤマシタのための作曲された。オーケストラは通常の配置ではなく、それぞれ異なる編成の4つの群に分けられ、打楽器奏者共々、舞台上にカシオペア座を象徴する逆W型に配置される。
オケのチューニングの時点で、「これはまずいかも」と思った。オケ・メンバーが軒並み仏頂面なのだ。なにかリハーサルでトラブルがあったのだろうか。やはり、この3曲でコンサートを構成するのは難しいのか…
ところがいざ、若杉弘の指揮のもと、音楽が始まると、オケは素晴らしい音を奏でた。
この曲で、打楽器奏者は、途中からカスタネットを叩きながらホールの後ろから登場する。ほぼ20年前に吉原すみれの演奏で聴いた時、吉原は足に付けた鈴をならしつつ、一気に走って登場した。
今回ソロを取る加藤訓子は走らず、能の歩みを思わせる足裁きで登場した。
演奏は大変な熱演だった。が、私にはがんがん鳴らしすぎに思えた。この曲は、自分の解釈を押し出すよりも武満の書いた音と対話するようにして、鳴らすところと静寂を聴かせるところのメリハリを付けて演奏する方がいいのではないか。初演者ツトム・ヤマシタが、小澤征爾と入れた録音のように。
ソリストが気負いすぎたかな、という印象。
ここで20分の休憩が入り、オケの配置を変えて2曲目の「アステリズム」。これまた作曲当時「ナポレオン的ピアニスト」と言われた高橋悠治をソロに立てたピアノ協奏曲。その後、武満と高橋が仲違いをしたため、高橋がこの曲を演奏するのは実に30数年ぶりだという。指揮は岩城に変わって高関。
多分、岩城は、自分と高橋でこの曲を演奏し、武満に送りたかったのだろうな、と思う。
高橋と小澤征爾/トロント交響楽団による歴史的録音がある曲なのだけれど、この曲は本来、若いピアニストが弾くべき曲なのだろう。
高橋悠治だけに、音を外すというような無様なことはしないが、それでも今年68歳の高橋は、この曲を演奏するのには枯れすぎてしまっていた。
あるいは彼としては、力を抜くことで、様々な栄誉のヴェールをかぶってしまった武満の音楽を、もう一度裸にしようという意図があったのかも知れない。が、出てきた演奏は、もっと瑞々しく、もっと高圧的でエロティックなほうがよかったのにと思わせた。かつての高橋のように。
オケの演奏はちょっとだるいが、仏頂面は少しずつ減ってきた。なによりも曲の最後に入る長いクレッシェンドを実演で聴くことができただけでも良かった。でも、このクレッシェンド、楽譜では「最低40秒、できれば2分ぐらい」と指定してあるのだけれども、やや短かったような気がする。
ここでまた20分の休憩が入る。舞台上の椅子を並べ直して、最後の「ジェモー」。
2つのオーケストラに2人の指揮者、オーボエとトロンボーンのソロ、全4楽章演奏時間30分という、武満徹による協奏交響曲と言うべき作品。この曲はサントリーホールこけら落としで初演されたのを、私は聴いている。あの時はトロンボーンソロを取ったヴィンコ・グロボカールが素晴らしかった。
今回はといえば、トロンボーンのリンドバーグが駄目。技巧的には素晴らしいのだけれど、自己主張ばかりが強い演奏で、武満の書いた音を聴き、再現しようという意志が感じられない。音が大きいだけに、それだけで演奏はかなりの減点だ。
ところがオーケストラがいいので、それなりに演奏は盛り上がった。この曲は1972年に第一楽章に相当する第一部が完成したが、オケとのトラブルで演奏されず、その後15年近くかけて残る3つの楽章を書いて完成させたというエピソードがある。その間の武満の作風を反映して、最初は厳しい緊張に満ちていた音楽が、最後には大きくエロティックにうねり、協和音に到達する。
だが、初演ではもっと盛り上がったはずなんだがなあ。
色々問題のある演奏会だったけれども、それでも行って良かったと思う。なにしろ、どの曲もめったに演奏されないのだから。
そして、事前のリハーサルはとても大変な状況だったのではないかと推察できるにもかかわらず、難しい武満の曲を、ちゃんと最後まで聴かせる演奏で通した 東フィルに拍手。
なお、終了後は同じオペラシティで開催されていた武満徹 Vision in Time展へ。1950年代の実験工房によるオートスライド作品と、いくつかの作品の自筆譜を見ることができたのが収穫。
オートスライドというのは東京通信工業、現在のソニーが作っていたテープレコーダーに連動してスライド投影を行う装置。これをつかって、実験工房では映像と音を組み合わせた作品を作っていた。まさか名前だけは知っていた「試験飛行家W.S氏の眼の冒険」「見知らぬ世界の話」などを見ることができるとは思わなかった。
武満が構成を担当した「見知らぬ世界の話」(ある惑星に生命が発生し、原子エネルギーまで手に入れるが、放射線によりミュータントが発生して諍いの結果星は滅びてしまうという内容)は、ほとんど手塚治虫テイストだった。
なお、この演奏会はNHK-FMの「現代の音楽」で放送される。
NHK FM「現代の音楽」
2006年 7月2日(日) 18:00〜18:50 (《カシオペア》、《アステリズム》)
2006年 7月9日(日) 18:00〜18:50 (《ジェモー》)
興味があるならどうぞ。
一応CDも紹介しておく。
ツトム・ヤマシタと小澤征爾/日フィルによる「カシオペア」。録音は古いが、音質、演奏共に良い。同録は石井真木「遭遇II番」。オーケストラと雅楽が同時に演奏するという曲でこれまた面白い。
向かうところ敵なしだった時期の高橋悠治と小澤征爾が、これまた「これからガンガン曲を書いてやるぜ」という調子に乗った時期の武満作品を演奏しているお得な一枚。収録された曲は、「ノヴェンバー・ステップス」「アステリズム」「グリーン」「弦楽のためのレクイエム」「地平線のドーリア」と、すべて傑作揃い。買うべし。
「ジェモー」に加えて、最晩年の「精霊の庭」が収録されている。1980年代を美しい響きに溺れて過ごした武満だが、「精霊の庭」に至って、また音楽に緊張感が戻ってきた。それも以前のような張りつめた緊張感ではなく、リラックスしつつもひとつひとつの音への集中を途切れさせないという、新しい方向性だった。
もう少し長生きしてくれれば、この先にさらなる展開があったはずなのに、残念だ。