さようなら、初演魔の活火山
指揮者の岩城宏之氏が13日、この世を去った。ずいぶんと長患いをしていることは、彼を扱ったテレビ番組で知っていたが、それでも悲しい。
せっせと現代音楽の演奏会に通っていた頃、ずいぶんとその指揮を見た。いつ、いかなる曲を振っても、岩城の棒は筋肉質で弾力性に富む音を紡ぎ出した。それがたとえ武満徹の曲であっても、弱々しくはなく、響く音は(おそらくは武満本人の意図を超えて)筋肉質だった。若い頃、ヨーロッパでは「活火山」と評価されたという。確かに「活火山」の通り名は伊達ではなかった。
今、世間では彼の事を、「ベートーベンの交響曲を一晩で振った男」として思い出しているのだろうか。しかし、私にとって岩城宏之という指揮者は、何よりも邦人作曲家の曲を誰よりも多数初演した、初演男だった。「日本人の曲を日本人が演奏するのは義務だ」というのが岩城のポリシーだったという。
先だっての「武満徹の宇宙」で代役を立てた時、「これは最後かも」と思った。以下、そのときにmixiの読者限定日記に書いた文章。
28日午後は、東京オペラシティホールの「武満徹の宇宙」というコンサートに行ってきた。「カシオペア」「アステリズム」「ジュモー」と、そろって編成が変だったり演奏時間が中途半端だったりで、コンサートにかかりにくい曲ばかり3曲をあつめたなかなかとんでも無いプログラム。しかもアステリズムのピアノソロを、ほぼ30年ぶりに高橋悠治が弾くという演奏会だった。
演奏会の感想は表で書くとしてこの演奏会、本当は若杉弘と岩城宏之が指揮をする(ジュモーは2人の指揮者を必要とする)はずだったのだが、岩城の体調不良で、高関健が代理で振った。
で、演奏会で配布されたチラシに見る今後の岩城の予定。
と
新交響楽団 第194回演奏会 2006年7月22日(土)サントリーホール19:00<芸術文化振興基金助成事業>
指揮:岩城宏之 合唱:栗友会
曲目 芥川也寸志/交響管絃楽のための音楽
伊福部昭/管絃楽のための日本組曲
黛敏郎/涅槃交響曲
NHK交響楽団 指揮:岩城宏之 2006年9月18日
横浜定期演奏会
武満徹:弦楽のためのレクイエム/テクスチュアズ、黛敏郎:曼茶羅交響曲、ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」
かつて邦人作曲家の曲を次々に初演し、初演魔と言われた岩城が、こういうプログラムを組む理由は1つしかない。彼は明らかに死期を悟っている。ガンに犯され手術を重ねてきた岩城は、人生の締めにかかっている。
涅槃、曼荼羅、テクスチュアズを演奏しようというのだ。どれも岩城が初演した曲だ。
なによりも、「テクスチュアズ」は、後に「オーケストラのための弧」に第四楽章として組み入れられ、めったに単独演奏されることがない。7分ほどと短いが、巨大複雑な編成で演奏至難の曲である。
1964年、34歳の武満、自分の語法を確立しようとあがいていた武満が書いて、32歳の岩城、若くてエネルギーがあり余り、ヨーロッパでは「活火山」と評されていた岩城が初演した曲だ。
この曲をあえて単独でやろうというのだ。
今日の一日のコンサートとしては破格かつ無茶苦茶な選曲も、おそらくは岩城の意志があってのことだったのではないだろうか。
打楽器ソロに特殊編成のオーケストラという「カシオペア」、一種のピアノ協奏曲だけれども演奏時間が10分ほどしかない「アステリズム」、そして2つのオーケストラに2人の指揮者、しかもオーボエとトロンボーンのソロという、巨大複雑編成の「ジュモー」——どう考えても1日のプログラムとしては無茶だ。
正直、彼がベートーベンの交響曲全曲を一気に演奏しようと、私としてはどうでもいい。
が、黛、武満となると別だ。
付き合いましょうも。それまで、彼の命が持つかどうかも含めて、付き合いましょうとも。音楽家の人生仕舞いを見届けましょうとも。
結局、涅槃も曼荼羅も、テクスチュアズもなかった。聴きたかったのに…
いやもう、私の感性が一番柔軟だった頃の記憶が岩城の指揮と重なっているので、こうやって書いているだけで泣けてしまう。岩城の指揮で、ずいぶん色々聴いたなあ。新日フィルの横浜定期で聴いた武満の「地平線のドーリア」、黛敏郎追悼演奏会での涅槃交響曲。
だが一番印象に残っているのは1984年6月13日、東京文化会館でサントリー音楽財団が主催した「作曲家の個展 武満徹」だ。
あの時、22歳の私は、留年したあげくやっとこさ進学した専門課程が面白くなく、人生何をすべきか分からずに、ずーんと沈んでいた(本人は大変だったが、まあ良くある話だ)。コンサートには、留年せずに先に就職を決めた友人I(後に私の大家になった男)と行った。
「おめーどうすんだよ」
「ああ」
「このまま退学でもしたら、上野のガード下一直線だろうがよ」
「そうだなあ」
というような会話をしたのをはっきり覚えている。
それまでがらがらの現代音楽コンサートばかりに通っていた私は、もちろんチケット予約などしていなかった。ところが東京文化会館は超満員で、主催者はついに立ち見のチケットを出した。私とIは、東京文化会館3階の通路階段に座って、鶴田錦史・横山勝也の「ノベンバー・ステップス」を聴いた。それは、私にとって鶴田・横山の初演コンビによる演奏の一期一会だった。
超満員にもかかわらず、1階のS席のエリアには空席が目立った。
——おつきあいでチケットを買ったけれども、音楽にはそもそも興味がなくて欠席したブルジョワ野郎がたくさんいるんだ…
私は見当外れの怒りを感じつつ、3階からどこに空席があるかを観察した。もちろん休憩時間に1階に移動して割り込んだのである。
幸いにして、休憩時間が終わってもその席のチケットをかった仮想敵のブルジョワ野郎は来なかった。私は安い立ち見チケットでS席に座り、武満の「オリオンとプレヤデス」日本初演を聴いた。堤剛の独奏チェロの奏でる、微分音混じりのメロディがやけに心に沁みた。
そのときも、目をつぶりチェロを演奏する堤の横で、岩城は切れの良い指揮棒を振っていたのだった。
この日の演奏は後に二枚組CDとなった(残念ながら現在は絶版中だ)。私はそれを持っているが、滅多にかけない。かけるとあの日の陰鬱と充実が奇妙な界面を形成した気分を思い出してしまうから。思い出したくない自分が、あふれだしてしまうから。
ともあれ、岩城宏之という人がいなければ、私が学生時代、あれほどの現代音楽の実演に接することはなかったろう。
たくさんの音楽をありがとうございました。合掌。
やはり岩城宏之は邦人作品の演奏を聴かなくては、と思うので、邦人作品の録音のみを紹介する。
29歳の黛敏郎が書いた、正真正銘の大傑作。梵鐘の響きを音響解析し、六管編成で3つに分割したオーケストラで再現し、そこから様々な響きを引き出し、男性六部合唱と組み合わせた大作だ。初演は1958年4月2日「三人の会」第3回演奏会で、岩城宏之とNHK交響楽団が行った。この時岩城宏之は25歳!
題名だけで「親父、涅槃で待つ」というようなセリフを思い出して笑ったり、抹香臭い音楽だと先入観を持つなかれ。おそらく過去100年に日本人が作曲した音楽の中でも間違いなく十本の指に入る曲だ。いや、最高の一曲に選ぶ人がいてもおかしくはない。
このCDは、黛にインスピレーションを与えた奈良法相宗薬師寺の聲明「薬師悔過」(やくしけか)がカップリングされている。
曼荼羅交響曲は涅槃交響曲で調子に乗った黛が次に書いた交響曲。これまた岩城が初演している。第一楽章が「金剛界曼荼羅」、第二楽章が「胎蔵界曼荼羅」と名付けられた二楽章で構成される。といっても、仏教的というより異国的で、黛お得意のラプソディックな音響が乱舞する。録音は古いのだけれど、「胎蔵界曼荼羅」の後半で、突如野太いメロディが出現してクライマックスを導く当たりのリズムの取り方は、間違いなく岩城宏之ならではだ。
もう一曲の「BUGAKU」は、1962年作曲。岩城は日本初演をしている。雅楽の舞楽を、舞楽のメロディを引っ張ってくるのではなく、改めてオリジナルで作曲した、比較的なじみやすい曲。
黛の死後、彼の管楽やブラスバンドの曲ばかりを岩城が指揮して録音した、まさに友情の一枚。表題の「トーンプレロマス55」は題名の通り1955年、黛25歳の作品。ミュージカルソウ(西洋のこぎりをヴァイオリンの弓で演奏する)が大活躍するユニークな曲。中間部ではマンボのリズムが爆発する。
思想信条において、黛は右翼的で、岩城はどちらかといえば左翼的だったが、ともにそんなことは全く気にしていなかったようだ。岩城は黛の生前も、死後も、ことあるごとに黛作品を演奏した。
岩城が、あまり演奏されない1970年代武満徹の名作を3曲振った是非とも手に入れるべき一枚。札幌オリンピックに合わせた「ウインター」の冷徹な美、様々な音響がなまめかしい身振りで浮遊する中から一瞬ワルツのリズムが立ち現れる「マージナリア」のエロティックな美。そして、このCD一番の聴き所は、高橋美智子のマリンバをソロにたてたマリンバ協奏曲「ジティマルヤ」だ。弦楽を排除したオーケストラをバックに、マリンバが意味深な身振りで旋律を紡ぎ出す。マリンバの打撃音と管楽器の異国風の旋律がアラベスク模様のように絡み合う。
筆も立った岩城の著書から、とびきり面白い一冊を紹介する。岩城と山本直純は芸大の先輩後輩だった。指揮者を目指した二人は本物のオーケストラを振りたい一心で、「練習に来たら蕎麦をおごるから」と学生を集めてオーケストラを組織し、演奏会を開催する。
才能抜群だが破天荒で破滅型、でも憎めない「ナオズミ」こと山本直純の行動が無茶苦茶面白い。脇を固めるキャラもどれもこれも個性的。「本当にあった話か?作ってないか?」と思ってしまうほど。ラスト、ショスタコービッチの「森の歌」を演奏するシーンは、もう泣くしかない。