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2006.08.08

映画のマーケティングを考える

 「時をかける少女」「ゲド戦記」「涼宮ハルヒの憂鬱」と、アニメ系の記事を3つ書いたら、あちこちでリンクされてアクセスが集まった。
 そこでリンク解析を使って、リンク元を辿っていったら、こんな記事にぶつかった。


「亀田」と「時かけ」—メディアの煽動力がネットに圧される時代(デジモノに埋もれる日々 2006.8.6)
『ゲド戦記』が不評のようなのに商売人根性が炸裂し興行成績は優秀な件についての考察
(切込隊長BLOG(ブログ)~俺様キングダム~ 2006.8.7)

 結論は正反対だが、共にメディアが圧倒的な宣伝によって映画なりボクサーなりを売り出して利益を上げることに対する違和感が表明され、それに対してネットによるコミュニケーションがどのように影響するかを考察している。

 マーケティングを専門に勉強したわけではないので、このような手法が、歴史的にどのように立ち現れてきたか、私は不案内だ。ゲッベルスがヒットラーとナチスを売り出していったというあたりだろうか。新聞や映画、ラジオなどのマスメディアを使って刺激の強い情報を繰り返し流し続けるという手法だ。

 映画に関して言えば、これは間違いなく1970年代半ばに角川映画が、文庫本と連動して行ったマーケティングが最初だ。過去の人になりかけていた横溝正史を引っ張り出し、刺激的な宣伝で本も映画も売りまくった。

 あの当時でも、角川の宣伝手法には不信感は存在した。映画「野生の証明」の宣伝コピー「父さん、怖いよ。みんなで父さんを殺しに来るよ」をもじった、「父さん、くどいよ。宣伝で駄作を売りに来るよ」(正確なところは、記憶が曖昧になっている。検索をかけたが見つからなかった)というパロディがあったぐらいだから。
 しかし、あの時の角川は、「通常のメディアのプログラムに、宣伝的メッセージを意図的に挟み込む」ということはしていなかった。そして角川映画には駄作も多かったが、間違いなく傑作も存在した。

 その意味では、当時の角川映画は今よりもずっとましだった。

 さて、現在はといえば、「新聞や映画、ラジオなどのマスメディアを使って刺激の強い情報を繰り返し流し続ける」という、ゲッベルス以来の手法に加えて、「メディアに出資させて利害関係を作り、一見宣伝とは思えないフレームワークに宣伝的情報を挟み込む」という手法が、派手に使われている。

 ボクシングの亀田兄弟をニュースで取り上げるのも、「ゲド戦記」の制作発表やら興行収入をニュースで流すのも、NHKが来年の大河ドラマの配役決定をニュースで報じるのも、メディアが出資による利害に連なっているなら、それは一見公正中立なニュース情報という形を装った宣伝に他ならない。メディアは、聴衆を騙していると言える。

 特にテレビやラジオは、公共財である電波帯域を、免許によって私的に占有しているということを考え合わせると、このマーケティングは日本国民に対する背信行為とさえ言える。

 このような仕掛けを、電通、博報堂のような巨大広告会社が大々的に仕掛けると、利用するメディアも横断的になる。多分、ではあるが、韓流ブームというのもそうやって作られたものだったんだろう。

 それで、売るモノが、それなりに意味のあるものならまだしも、人格未熟にして技量不足のボクサーだったり、二世が作った生煮えプライベートフィルムだったりとなると、これは正当な商行為というよりも、かなり詐欺に近づいた事業となる。

 私は、素朴に、「それではいけない」と思っている。「ゲド戦記」は、星一つというほどひどい映画ではないが、それでも「時をかける少女」よりも高い興行成績を上げてはいけない。

 そう、はっきり「いけない」と言い切ってしまおう。

 なぜなら、「駄作でも宣伝で売れる」という例を、さらに一つ積み上げてしまうから。そうなると、製作会社もメディアも広告会社も、それでいいのだと思ってしまう。
 結果、我々はまた宣伝でじゃぶじゃぶになった駄作を観せられることになる。人生の時間を浪費させられるのだ。

 単純に私はいいものを享受したいのだ。私は、大手広告会社の意のままにお金を引き出せる、便利な財布ではない。駄作を観せられて、「でも、テレビのニュースであんなに言っているから良いものだったに違いない」と自己欺瞞に陥るのはご免こうむる。

 ネットによる情報の双方向性が、メディアを駆使した大規模マーケティングをひっくりかえすだけの可能性があるのかどうか。

 7/29の週は一位だったという「ゲド戦記」の興行収入が表しているのは、まだまだこのような広域かつ暴力的マーケティングは健在だということだ。

 だが、それをもって、「やはりネットの影響力は限られている」と考える必要もないはずだ。取りあえずボクシングの亀田・ランダエダ戦では、興行にまつわる不透明な闇の世界の存在が、放送直後にあっさりとネットを駆け回った(今、気が付いたけれどもTBSの放送免許剥奪を求める陳情なんてものも、ネットでは始まっているのだね)。
 これは今までになかった現象だろう。

 少しずつでも良い方向に変化していく、と私は思いたい。

 ところで、立て続けに映画館に通ったものだから、妙に映画づいてしまった。次に観たいなと思っているのは、ソクーロフ監督の「太陽」だ。
 だって、イッセー尾形の昭和天皇に、桃井かおりの香淳皇后、とどめは佐野史郎の侍従長(Wikipediaを見ると、時期的に藤田尚徳侍従長)ですぜ。この顔ぶれで、ロシア人監督が昭和天皇を撮る、というだけで、ゲドも時かけも沈没も吹き飛ぶ、今年最大の話題作になってしかるべきだと思うのだけれども。

 え、文芸映画だって?
 だってマーケティングに内容は関係ないんじゃないの??

 なんで、電通も博報堂も、メディアを巻き込んでマーケティングしないのだろうね(やや棒読み調)。


#おまけ
 おおっ、ポチは見た!更新しているぞ。今回のテーマはネコタ自動車の欠陥隠蔽問題。

 そのネコタ自動車ですが、こんなニュースも流れている。NHKの今後の報道態度は要注目だ。

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Comments

多分、その種のメディア宣伝を日本で初めて大々的に行ったのは、80年代のフジ・サンケイグループだったと思います。
「夢工場」とかいうよく分からないイベントが開催されたとき、連日大宣伝を繰り返すフジサンケイと、それ以外のメディアが完全無視する有様は異様な光景でした。古株オタクには「コミケが晴海から追い立てを食らったイベント」として記憶に残っているようです……(時期は若干ずれているのですが)。
それから20年、今や公共放送まで当たり前のようにこの手法を使うようになりました。しかし個人的には「メディアの大宣伝に対抗するネットの口コミ」という図式にも、手放しの肩入れをする気になれないです。まあそれはまた別の話ですが。
では。

ゲド戦記、2週目も1位のようですね。
http://www.cinemanavi.co.jp/info/last.html
http://www.cinemanavi.co.jp/english/weekend.html

ゲド戦記、人にはあまり勧められませんが、個人的には楽しめました。
見て1週間経って、ひょっとして傑作だったんじゃないかと思い始めています。欠陥はいっぱいあるんですが。

ps.コミケでの新刊、期待しております。

こんばんは。
たけくまメモも同様の意見でした。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_b8de.html

でも僕はこう思います。
それでも「時かけ」の上映館が増えたのは、netでの高評価ゆえだと思うし、「ゲド」も「沈没」も最悪な作品ではない(たぶん)。

つまり「ハリポタ」が不朽の名作だとは思わないけれど、世界中の少年少女が本を好き
になるきっかけになればいいし、ムラカミハルキが日本一の作家だとは全然思わない
が、日本の文学に興味をもつ機会としては悪くないのと一緒ではないでしょうか。

電通+TBSのソユーズロケットによる宇宙飛行士打上げの時も某国営放送は無視していたとか、NET(現10ch)が日本のモスクワ五輪参加を最後まで主張していたとか・・・
スポンサー/支持団体の都合で報道姿勢は変わるものです。

その内に個人主催の「太鼓持ちブログ」とか「協賛ブログ」とかバンバン現れて

「**さんはこう書いたけど、間違ってるよねー!」

とか世論を誘導するかも知れません。

商業主義に対して
「なんだかなー!」
と言う感じです。

前コメントの
>その内に個人主催の「太鼓持ちブログ」とか「協賛ブログ」とかバンバン現れて
は、既にアメリカで出現済みです。共和・民主両党とも有名ブロガーを総動員して既存マスコミや他のブロガーに対して「客観的」批判や「建設的」苦言を連発し、少なからぬ世論がその影響を受けているという記事や番組が日本でもちらほら見られるようになって来ました。
日本でも自民・民主両党がブロガーを招いて会合を開くなどの動きも見られます。もしかしたら電通・博報堂とも既に動き出しているかもしれません。また、ネットは既存メディアと違いアクセスする側の好悪による情報の選別も激しく容易に島宇宙化する可能性も高く、むしろ既存メディアよりも個人の情報的監禁に向いているともいえます。
要はどんな便利なメディアもそれを使用する個人とその個人が依拠する文化・教育によって毒にも薬にもなるという古典的なテーゼがより真らしいということでしょうか。
本格的なメディアリテラシー教育が望まれます。

 私は「ゲド戦記」を「時をかける少女」と同じくらい評価しています。
 恵まれないマーケティングの中で「時かけ」のような傑作が生まれた事と、
あまりに執拗な悪夢のようなマーケティングの中で、「ゲド」のような非商品的で静謐な作品が生まれた事は、
共に価値がある事ではないでしょうか?

面白い構図としては、TBS-TVでは亀田提灯ぶちかましているその裏で、TBS-Rでは批判論調をガンガン流していました。
まあすでにメディアとしては死んでいるといわれるラジオですし、一応分社化されているのでしょうが、この温度差はとても楽しいものがありました。

やはり「テレビ脳」の弊害だよなぁ(笑)

うーん、結局は日本人が流され安すぎるのが問題なんじゃないでしょうか。自分でモノの良し悪しを見分ける力が無く、雑誌やCMでいいと紹介されたものに無批判になびいてしまう。ラーメンも映画も温泉もデートスポットも、自分の目で大量にピンからキリまで味わってみて徐々に自分の眼を養うことが出来るのに、「そこそこはずれなしなら何でもいいや」で本当に「よかった~」なんて気になっている層ばかりだから広告打つ方もやりがいがありますよね。
ただ、今回のゲドと亀田に関しては、こういうのってまずは見てみないと分からないでしょ。見ないことには批判も何もできない。
だから今回は興行収入あってもおかしくないと思うんです。次からは見ねえって人が少なからず現れて、徐々に衰退していくんじゃないかと。

話はゲド戦記、亀田選手の件からずれますが、「宣伝」についてちょっと面白いショートフィルムがあります。
http://www.enjoy-cm.com/pc/asx/cm5/kaigishitsu_30sec.asx
「CMのCM」キャンペーンのものですが、「宣伝しないと良い商品でも認知されない」「でも、宣伝に消費者が踊らされることもある」という功罪両面が描かれてます。TV放映版では前半までなのですが。
そう気負って見ずとも、罪のないショートコントとしても楽しめるので、よろしければどうぞ。

株の世界ではこんな展開です。
http://live19.2ch.net/test/read.cgi/market/1146331431/l50

よい書評を書かれていて何よりです。
できたら、「最近のWeb掲載記事」に付け加えた方がいいかと思いますがいかがでしょうか?

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