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2006.08.04

「涼宮ハルヒの憂鬱」を楽しむ

 またまたアニメの話。

 仕事でぎちぎちになっている間、「涼宮ハルヒの憂鬱」を楽しみにしていた。

 実際、良くできたアニメだった。絵やストーリーや演出といった単体が、というわけではなく、すべてが良くできていた。アニメの次週を楽しみにしたのは、「エヴァンゲリオン」以来だろうか。「ターンAガンダム」と「キングゲイナー」は、思わずレンタルショップで次々と借りてしまったが、放送中に気が付いて、次回が楽しみだったのは、本当にエヴァ以来だ。

 検索をかければ「ハルヒ」に関して熱く語っているページはいくらでも見つかるので、ここでは、「現状でもこれだけのことができることが証明された」ということを指摘しておきたい。金の回らなさに代表される、アニメ業界の駄目っぷりは、あちこちで指摘されているが、「ハルヒ」はその駄目な状況の中でもこれだけのことをできる、と示したといえるのではないか。

 これは、「ハルヒ」以下のアニメを乱発しているところ、テレビ局からアニメプロダクションに至るまで——は、なにかやり方を間違っているか、無能であるかのどちらかである、ということでもある。

 ネットを見ていくと、「京都アニメーションは神」というような記事が目立つのだけれど、逆に言えば京都アニメーション以外のアニメプロダクションは、すべて経営が稚拙で、その結果駄作を連発しているという可能性もあるのではないだろうか。

 今後、色々な意味で、「ハルヒ」がアニメーションのクオリティの基準になればいいと思う。ハルヒ以上のものが作れないということが無能の証明になれば、淘汰も進むだろう。結果として日本のアニメーションの底上げになれば、我々はそれだけ次週を楽しみにできるということだ。

 「ハルヒ」で、楽しみだったのは、音の演出が非常にうまかったこと。長門有希がうなずくところで、かすかに衣擦れと喉の音らしきものが入っているのは気が付いたろうか。音の演出の頂点が「射手座の日」と「涼宮ハルヒの憂鬱VI」におけるクラシック音楽の使用にある、と私は思う。

 例えば「エヴァンゲリオン」におけるベートーベンの第九とヘンデルの「メサイアコーラス」の使用は、「誰もがよく知っているクラシック音楽の使用」に留まっていた。その証拠に、よく知っている部分を頭から流していたのだ。

 一方「ハルヒ」におけるクラシックの使用には、明らかに「この部分をこのように使用すれば盛り上がる」という演出上の意図が存在した。お見事である。


 「射手座の日」冒頭は、モーリス・ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」の夜明けの音楽。バーンスタインが、「青少年のための音楽入門」だったか「答えのない質問」だったかで、「音符が一杯」と形容した音楽だ。

 朝の音楽で、大抵の人が思い出すのが、グリークの「ペールギュント」における「夜明け」だろう。だが、ラヴェルの夜明けの音楽は精緻かつ構成的で、素朴なグリークの音楽をあっさりと凌駕していると思う。ここでは、かつてラヴェルのスペシャリストと謳われたアンドレ・クリュイタンス指揮の演奏を推薦する。





 「射手座の日」の脳内宇宙艦隊戦が、先行するアニメ「銀河英雄伝説」それもOVA版のパロディであることは明白。「銀英伝」ではラヴェルの「ボレロ」を使っていたが、その「ボレロ」をパクったショスタコーヴィチの第7交響曲第1楽章をもってくるあたり、「良く分かっている」と思う。それも、きちんと「ここをこう使えば盛り上がる」というところをうまく使っているのは素晴らしい。

 この「ボレロ」まがいについては、20世紀初頭に活躍し、第二次世界大戦当時はナチスの庇護を受けていたオペレッタ作家レハール、ショスタコーヴィチ、そしてアメリカに避難していたハンガリーの作曲家バルトークの三人を巡る因縁が存在する。因縁については、また別項で書こうかと思う。

 演奏は、かつてのスタンダードであったムラヴィンスキー、レニングラードフィルによるものをリンクした。ショスタコーヴィチ自身はムラヴィンスキーの演奏を「何も分かっちゃいない」と感じていたようなのではあるが。





 チャイコフスキーでおおかたの人が思い浮かべるのは「白鳥の湖」のあのメロディだろうが、私思うに、あのメロディはチャイコフスキーとしては駄作だ。分かりやすいというだけ。

 チャイコフスキーの特長は、なによりも「格好良さ」にあると思う。それこそ粋がっているヒップホップ系のガキがひっくり返るほどに、チャイコフスキーの繰り出すメロディは格好良い。
 中でも4番から6番までの交響曲3曲は、どこを切っても格好良いという点で、音楽史上空前絶後だ。

 「射手座の日」、長門有希による逆襲に使われるのは、交響曲4番第4楽章のラスト、コーダの部分。長門有希がうなずいて、リターンキーを押す、その瞬間に冒頭主題が鳴り出すのは、実に気分が良い。

 誰が演奏しても盛り上がる曲なので、ここでのお薦めはシャルル・デュトワ指揮のNHK交響楽団。同時カップリングが武満徹のヴァイオリン協奏曲「遠い呼び声の彼方へ」であるところもポイントが高い。





 元々、ロマン派音楽は、セカイ系そのものだよな、と思っていたら、そのセカイ系を思い切りひねった「ハルヒ」に、ロマン派的誇大妄想の頂点であるマーラーの交響曲8番を持ってくるとは——「分かっているじゃないか」としか言いようがない。

 「涼宮ハルヒの憂鬱VI」使われているのは、第1部と第2部からなる曲の、第1部、展開部終盤から再現部にかけて。派手に転調を繰り返してきた音楽が、主調である変ホ長調の主和音上に戻り、がーんと「Veni, creator spiritus(来たれ、創造主たる聖霊よ)」と歌う部分が、キョンとハルヒのキスシーンに重なる。おそらく音楽の演出をやった者は、「してやったり」と笑っているはずだ。それぐらい、音楽と映像がリンクしている。

 演奏は、最初の一枚にはどれがいいか、ということで、安くて聴きやすい小澤征爾・ボストンフィルの演奏を。



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Comments

 「ハルヒ」内にて、クラシック音楽が使われていた、という内容のブログは何点か読みましたが、シーン毎の音楽の使い方や演出の意図にまで踏み込んで行われた評論は、今まで無かったように思います。
 特に最終話、マーラーの8番があのように巧みに使われているのに、それを歌詞の意味を理解した上で、その演出を誉めている人は、初めてなのではないでしょうか。私も歌詞カードを見て驚いた口で、それを適切に指摘している文章が読めて感激しています。
 おそらく、何処かの誰かが(クラシック音楽をディープに好きな人が)いつかはやってくれるに違いない(そうであって欲しい)と思っていましたが、ここまで明快で、的確な批評をこんなに速く読めるとは思っていませんでした。(だいたい、このレベルの評論は、雑誌かムックに寄稿されると思っていましたので)
 さらに、一つ一つの曲目について簡単な略歴を示し、お勧めの音源まで用意する至れり尽せり振り。
 これだけ、演出の意図を的確に賞賛すれば、きっと今後の作品作りにも、今回のような凝った音楽の使用が行なわれるようになるに違いないし、そう希望しております。

 「こんなブログ読みたいな」と、「あれ、これどこかで聞いた事あったけど、何だったかな」と、「検証の為、音源を聴いてみたいな」の三つをスッキリと解決させてもらって、大変感謝しております。

 本日お気に入りに追加しまして、末永くブログを閲覧させて頂きます。どうぞますますのご活躍を応援させていただきます。

 すみのやきとりさん

 過分のおほめ、どうもありがとうございます。でも、ハルヒに関しては使われたのが誰の演奏かまで特定したページがあったかと思います。私は曲には興味がありますが、比較的演奏によるヴァリエーションへの興味が薄いので、まあこの程度しか書けません。

 こりゃ、ショスタコーヴィチの交響曲7番を巡る因縁をはやいところ書いておくべきかな。

>すみのやきとりさん

Old Dancer's BLOG 涼宮ハルヒの憂鬱 VI
http://terry.blog1.fc2.com/blog-entry-1003.html

 僕は、ここの記事を読んで今までモヤモヤと感じていた、クラシックの教養の無さを何とかしようと決意した口なのですが‥ 正直どうすりゃいいのかな(笑)と途方に暮れていたところ、松浦さんのこの記事ですよ!

>松浦さん

 そんなわけで、凄く参考になりました。この記事で挙げられたモノを足がかりに始めていこうと思います。

長門有希の逆襲シーンで流れるチャイコフスキーの4番にはオリジナルにない繰り返しがあるので、CDを聴くと何か物足りない気分になります。オーケストラ譜で確認してみると繰り返されるのは4楽章の257~284小節で、257小節目についている練習記号が「H」。できすぎですね:-)
(参考資料:音楽之友社 ミニチュアスコア「チャイコフスキー交響曲第4番」)

初めまして、松浦さん!ネットの海を彷徨って、たどり着いたヒラリと申します。

>ハルヒに関しては使われたのが誰の演奏かまで
 特定したページがあったかと思います。

もしかしてこちらのblogでしょうか?
http://blog.so-net.ne.jp/ORCH/
(ちなみにカテゴリー・アニメと音楽です)
始めはJazz関連でたどり着いたところですがハルヒに関してもコメントされております。
私はアニメも好きなのでなかなか興味深いblogです。

 うわ、産総研の梶田さんですよね。はじめまして。

 繰り返しは気が付きませんでした。オリジナルの演奏がそもそもくりかえしているみたいですね。

 ヒラリさん、そうです。そのページです。
チャイコの4は
◎ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィル

だとしていますね。おや、私がショスタコ7で推薦した組み合わせだ。


初めまして。
今更に『ハルヒ』を観まして、たまたまCDを持っていたマーラーの8番にしびれてしまいました。まだ全部観ていないのに、思わずエントリを書いてしまうほど。
http://d.hatena.ne.jp/ume-y/20070723/venicreatorspiritus
以来、1部の展開部終盤を聴くたびに鳥肌立ってしまいます。

こちらのエントリは、『ハルヒ』未見の時に読ませていただいたのですが、なにしろ未見なので、さっぱり分からない。この度読み返して、なるほどぉと思った次第です。ためになるエントリ、ありがとうございます。
マーラーしか持っていないので、今度はご紹介いただいたチャイコフスキーの4番を聴いてみようと思います。長門の逆襲のシーンの曲は、本当に格好良かったので。

>ショスタコーヴィチ自身はムラヴィンスキーの演奏を「何も分かっちゃいない」と感じていたようなのではあるが。

「証言」は偽書というのが今日の通説のようですね。

 そうですね、ムラヴィンスキーに関する記述は「証言」にあったものです。この記事を書いた時に記憶に基づいて書いたものですから、注記しておくべきだったかもしれません。その後ファーイの伝記も読みましたが、ショスタコーヴィチのムラヴィンスキー不信というのは出てきませんでした。

 この話は後期の交響曲の初演をムラヴィンスキーが行っていないということから出てきた噂なのかも知れませんね。

 「証言」は偽書というのはほぼ通説になっていますが、当時ショスタコーヴィチ周辺に流れていた噂や本人発言の断片を集めたふしもあり、内容のすべてが間違っているともいえないようではあります。そんな曖昧さも含めてショスタコーヴィチ本人が、意図的にヴォルコフの偽作を容認した、ということだったらすごいな、と個人的には妄想しています。

本題とはあまり関係ないですが「ペールギュント」の朝の素朴さも素晴らしいと思うのです。
確かにラベルの方が、はるかに複雑で精緻な音楽であることに異論はありません。(もっとも言い方を変えればラベルの方は神経症的とも言える。)単純で素朴だからレベルが低いみたいな表現は音楽(に限らず)非常に危険であると思います。素朴であるがゆえにラベルにないものがグリーグにはあるはずです。
「白鳥の湖」のだれにでもわかる大衆性も同様です。

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