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2006.09.13

「未来への遺産」の音楽に溺れる

 ああ、もう一月もここをほったらかしにしている。

 やたらと忙しい。毎日原稿を書いているか取材をしているか。さもなくば、打ち合わせをしているか取材を受けているか。休みなし状態が続いている。

 H-IIA10号機打ち上げも行けなかった。なんとかして最後のM-Vロケットは取材に行きたい。そのためには、書かねば。書くべき物を書かねば。

 そんな中、やっとこさ、武満徹全集を買って聴き始めた。
 コンサート用作品はあらかた聴いているので、テレビ用音楽などの入った5巻から逆に買い進める予定。

・買って安心するのではなく、全部きちんと聴く。
・1巻をすべて聴いてから、次の巻を買う。

 という条件を自分に課して買っていくつもり。

 第5巻は、テレビや舞台のために武満が書いた音楽や、テープ音楽、声楽曲、新たに発掘された作品などを集めた巻。聴いていくほどに、武満が希代のメロディストの資質を持っており、しかもポピュラーやジャスとクラシック音楽との境目をあっけなく、かつ無造作に踏み越えていたことを実感する。
 おそらく、武満は偶然、コンサート用音楽の作曲家になったのだろう。ちょっと運命の歯車が違う回り方をしていれば、すぎやまこういちのような存在になっていたのかも知れない。武満が書いたグループサウンズやら「ドラクエの音楽」やら、考えるだに楽しい。

 しかし、もっともびっくりしたのはNHKのドキュメンタリー「未来への遺産」のための音楽だった。

 NHKのホームページには以下のようにある。

 『未来への遺産』は、「文明はなぜ栄え、なぜ滅びたか」をテーマに制作され、7つの取材班が44か国、150か所の文化遺産を取材した。

 この番組は、最近めっきりきなくさくなってしまったアフガニスタンからイランにかけても撮影隊を送っており、その後崩壊してしまった遺跡をも撮影している。

 武満の音楽は、それぞれの遺跡の存在する地域の音階を使用しつつも、全く過去の音楽とは異なる、「未来の民謡 」とでも言うべき魅力的な音の世界を展開していく。

 その一部は、後に「マージナリア」「ジティマリヤ」「秋庭歌・一具」といったコンサート用作品に転用されることになった。

 おそらく、この仕事で、中近東の音階に触れたことが、1980年代に入って武満が「パン・トーナル(汎調性)」ということを言い出すきっかけになったのではないだろうか。
 汎調性というのは、なんと説明すべきか…つまり、学校音楽では「長調・短調」というものを習うが、音楽の世界にはそれらよりも遙かに多様な音階、さらには音の動くパターンをも含めた旋法というものが存在する。そういったものを融通無碍に使いこなす立場と言えばいいのだろうか。


 ジティマリアの中盤、オーボエを中心とした木管楽器軍が、アラベスクのように絡み合う旋律を演奏するところが、まさに「未来への遺産」の音楽の転用だったのにはびっくりしてしまった。考えてみれば、武満は割と無造作に、映像用に書いた音楽をコンサート用作品に転用している。勅使河原宏監督の映画「砂の女」のための音楽は、彼の代表作の一つである「地平線のドーリア」に使われているし。

 機会があったら、是非とも「未来への遺産」の音楽を聴いてみて欲しい。特に、ポピュラー系の音楽のシックスティーン・ビートにを日頃惑溺している人。
 未だかつて体験したことがない、全く見知らぬ、しかも美酒のように聴く人を放さない魅惑的な音楽に出会えるはずである。


 ありがたいことに「未来への遺産」の音楽は単独でCD化されている。全集の5巻を買わなくとも、これ1枚で、その素晴らしい音楽を体験することができるのだ。買うべし。絶対買うべし。こんな素晴らしい音楽を聴かずに生きていくのは、あまりにもったいない。


 前にも紹介した、岩城宏之・札幌交響楽団による武満作品集。「ウインター」「ジティマリア」「マージナリア」と1970年代の作品3つが納められている。「ジティマリア」と「マージナリア」は、内容的に「未来への遺産」と関連がある。


 1979年に作曲された「秋庭歌・一具」は、雅楽の為の作品。といっても伝統的な雅楽とは異なる編成だ。しかも音楽の基調は、伝統的雅楽の音階ではなく、古代ギリシャのドーリア旋法に基づいている。静かな庭を散策するような、まさに秋の空と紅葉と木陰のような音楽。
 あるいは中国に生まれた雅楽がシルクロードを通じて西に流れ、ギリシャに到達した——そんな架空の音楽を想定しているのかも知れない。


 武満の書いた「うた」を集めた作品集。ちょっとナンセンスだったり、悲しみがひそりと走ったりの歌詞が、肩の力の抜けた、のびのびとしたメロディで歌われる。「翼」は民放のニュース番組のテーマにも使われたので、聴いたことがある人も多いと思う。

 武満は若い頃、歌謡曲の代作もしていた。いくつかはヒット作になったらしいが、自分の名義ではないので、彼は表だって「あれは僕の曲だよ」と語ることはなかった。それでも酔うと、その旋律を口ずさみ、「実は僕が書いたんだ」ということがあったという。

 中村八大の「上を向いて歩こう」は、実は武満の代作だ、という都市伝説のような噂はあるのだけれど、本当はどうなのだろうね。

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